キセンアルプスランニングクラブの白石です。
有田氏でみかんなどやっています。ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第86回です。
本日は、和歌山市北村栗町商店街にある、民視アータシネマ203で収録しています。
本日のゲストは、シネマ203の高水美佐さんです。
今回は、本町文化道島田さんも収録に参加してくれています。
高水さんの生まれから現在に至るまでのルーツや、現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、というわけで、シネマ203の高水さんに出演していただいているんですけども、
高水さんからまずは、自己紹介してもらっていいですか?
はい、もう先ほど紹介してもらったんですけれど、北村栗町の片隅でこっそり15席の映画館をやっております、高水です。
はい、ありがとうございます。
そして、今回、僕も白石くんも映画に明るくないということで、映画に詳しい本町文化道島田さんにも収録に参加してもらっています。
はい、本町文化道島田ことシネマ203ともの会で会場をやらせていただいております。
ありがとうございます。
飛行機械組織。
高水さんからシネマ203がどういうお店かっていうのを、ちょっと簡単に紹介してもらっていいですか?
はい、映画を上映しています。
はい。
シンプルに。
そう。
すごいですね。
うん、映画を上映することしかしないっていうのは、最近新しいかもしれないですね、逆に。
含みがあるね、今のはね。
わからないけどね。
今のは含んでるね。
含んでるから。
2023年の10月にオープンっていうことで、2年ぐらいやってて。
もう3年終わるよね。
あ、そっか、2026年。もうすぐ3年ということで。
日本一小さい映画館っていうのを南下で見たんですけど、これは事実というか。
はい、オープン当時はそうだったんですけど、予期しなかったことなんだけど、全国でミニシアターのさらに小さいマイクロシアターブームなんですよね。
ここ1年、2年ぐらい。
なので15席より小さい劇場もできてるみたいです。
マイクロシアター、ミニシアターってなんか席数の基準とかあるんですか?
全くないです。
自称。
言ったもん勝ちよね。
どっちかって言うと、私は全然勇気はないんだけれども、ミニシアターっていう名前が、そのミニシアターと呼ばれる映画上映の形が流行った後ぐらいにできて、皆さんがミニシアターって語ってる予期。
大きなチェーンの劇場ではない個人経営の小さい、比較的小規模な個人経営の劇場のことをなんとなく総称としてミニシアターと呼んでたんだけど、その名前ができる前は単管系とゆっくりで、
東宝とか小築とか東映とか、当時チェーンで映画館を持っていた大きい映画会社には属さないっていう独立系映画館っていうんですか、として流行ってたところがあったけど、そういうところがもう半ば常識になって、後から出てきた言葉、誰が言い出したかわからんけど、嫌だなと思ったのがあります。
ミニシアターはミニシアターで、ミニシアターという文化があるわけじゃない。
映画作品でもこれはミニシアター系の映画っていう。
館だけじゃなくて、映画を上映する時に配給のルートであるとか、どんな作品を選ぶのかっていうので、そこも含めて作品、流通、場所っていう、そこがまるっと含めてミニシアターっていう文化があって、マイクロシアターは最近出てきた言葉で、マイクロシアターに関しては完全に場所だけの定義の話っていう。
具体的な定義はないんだけど、あまりに小さい劇場のことをマイクロシアターって自称して言ってる人たちがいる。
それはそれで新しい場所の流れで、ただミニシアターっていうのは単に映画館だけの話じゃなくて、もっと結構大きな文化があると思います。
ちなみに、Cinema203ってどういう映画館というか、どういう映画が上映されててとか、ジャンルとかあるんですか?
難しいですね。面白い映画をやりたいなと、ざっくり言うとそういうことだけど、よく聞かれるんですよ。映画の仕事してたり、こうやって映画館やってたりすると、一番好きな映画なんですかってよく聞かれるんだけど、それにはずっとまだ見てない、次に見る、これからできる新しい映画が一番好きだと思ってやってるっていうふうに答えてはいるんで、
心がけてることは、新しい映画やなっていう映画を上映するっていうことと、来年、再来年、まだ世の中に産声を上げるどころか、まだ卵にもなってないような新しい映画が登場した時に、それに気づけるように、これまでの短い映画の歴史の中から、これとこれは見といたら、新しい映画が出てきた時に面白いよねっていうものはたどって、
上映していきたいなっていう。
分かります?何に例えたらいいの?
なんとなく。
未来に何を描けるかっていうところから、たくさんして選んでるっていうことね。
そうです。まだ見ない。
上手いね。
本当に。
その通りです。
今、正直映画館で、古い映画ブームなのよ。
そういうよりも、古い映画がぶっちゃけ一番客入るんよ。
なぜなら評価が定まってるから。
はいはいはい。
これは見といた方がいいよとか、
これは幻の映画だよとか、
伝説の映画でね、みたいな評価が定まってる映画の方がぶっちゃけ今は、
海のものとも山のものとも分からん新作よりも入っちゃうっていう。
へー。
だからシネマ203も、ごめんなさい。友の会の会長として今話させていただいておりますけれども。
お願いします。頼む頼む。
コンセさんのところでも、203でも古い映画はいっぱいかかるんだけど、
それはこれは古くても評価が定まってるから、
だから見てねじゃなくて、
例えば今後フランスからすごい新しい映画が出てくるかもしれない。
こんな見たことないっていう映画。
ただ見たことないっていう映画と言いながらも、
何かしらそこにはルーツがあるわけであって、
今後コンセさんは期待してる。
こんな映画が出てくるといいなっていうみたいな。
どんな映画か分からないけど。
ってなった時に、その映画を見るためには、
でも実は70年代80年代とかのフランスの映画史を、
一応教養として知っておくと、
いざ新しい映画が出てきた時に、
戸惑わずに、これはこういう文脈があったんだとか、
本当にサンプリングと一緒。
これってこの映画サンプリングしてるよねって言って、
楽しめるという、さらに。
っていうところから、
たくさんして古い映画も描けるし、
でも一番描けたいのは新しい映画っていう。
そうです。
それを待ってる。
すごい分かりやすい。
そのセレクトとか運営とか、
全ても香水さん今一人でやられてるっていう。
うんまかせで。
うんまかせ。
うんまかせで。
オーバーワークでやってるもんね、完全にね。
ちょっと無理が出てきてる。
そんな映画館ってよくあることなんですか?
よくあることです。
一人で運営してる。
一人はね、今までは広島の横川シネマぐらいしか知らなかったですけど、
家族経営とか、
よくあったんじゃないですかね。
関西のミニシアターで唯一よ、一人でやってるのは。
そうなんかな。
でもそうじゃない方がいいと思うよ。
ミニシアターやマイクロシアターとかやったら、
本当に家族だけではあるけども、
配給というか買い付けやって、
広報を作って、宣伝して、
上映も全部一人はないと思うよ。
場所の管理と。
まあね、もうちょっと経営が軌道に乗ってたら、
お手伝いの人も頼めると思うんですけれど、
そしてそれが理想なんですけど、
まだちょっと一人で頑張らなあかんかなみたいな状況ですね。
なるほど。
あとは一番最大のポイントなんだけど、私の人生の。
人とうまくやっていけないっていう特徴があって、
誰でも我慢してもらえるってわけじゃないのが最大の問題だと思います。
なるほど。
ツッコめねえよって。
まあね、そんな今までのエピソードとか、
シネマ20さんがどういう経営をたどって、
この形に至ったのかっていう話をこれからちょっと聞かせてもらいたいんですけども、
その前にちょっとここで改めて、
キセンラジオの説明をさせていただきたいんですけども、
キセンラジオは和歌山でお店をしてたり、
活動してる人が今までどんなことをしてきて、
今の仕事をやってるのかっていうことをインタビューする番組となっております。
今回も香水さんのルーツのお話からお伺いしたいんですけども、
まず香水さん生まれはどちらですか。
かつらぎ生です。
かつらぎ生まれ。
長いよね。
そうですか。
3歳で和歌山市内に家族が引っ越してきて、
川向こうの新興住宅地に引っ越してきた。
物心ついたときは市内よね。
そう、全く記憶にないけど、お正月に帰ったりするでしょう。
母方は小田川町なんで、
夏はそっちに帰るっていう感じで、
言ったら2つの世界遺産をルーツに持つみたいな感じの子供時代。
かつらぎの世界遺産って何?
荒谷さんの入り口だからね。
そういうことか。
小田川の町のほう。
そうそう。
3歳で川向こうの和歌山市に引っ越して、
村栗町に連れてきてもらって、
うわ、町やなってびっくりします。
70年代初頭やから。
そう、私69年生まれだから。
お母さん、今日は祭りって聞いたらしいけど。
川向こうから、いわゆる市内に出てくると。
村栗町ってね、私高校生ぐらいのときまで、
村栗町行くときはお気に入りの一着で来るみたいな街中だったから、
今の人からしたら、大阪に遊びに行くぐらいの感覚でした。
大阪ぐらい店もいっぱいあって、人もいっぱいいててみたいな。
大阪のことは知らなかったし、大阪は当時はすごく遠くて、
私たちが高校生ぐらい、80年代までは、
今の人が東京に行くぐらいの距離感でした、町としてはね。
なるほど。家庭環境とかどんな感じだったんですか?
普通にサラリーマン家庭で、一つ下の弟がいて、
友達できないことに悶々としながら暮らしてた子供の頃から。
何歳から何歳までそれは?
ずっとかな。
幼少期すでに?
幼稚園のときからあんま馴染めなかったですし、
小学校1年生の先生から、この子は大人になるまで友達できませんって。
すごい先生。
母親が注意されたって大人になってから聞きました。
でも、みんな仲良くって学校で言われるからね。
自分は欠陥人間なんやなってずっと思って。
マジで仲良くできなかった感じなんですか?
全然仲良くできない。
っていうかね、仲良くするってどういうことかわからんから。
友達ってどうやったらできるの?みたいな感じでしたよ。
結構一人で過ごしててみたいな?
そうですかね。
弟がいたから、そんなに孤独に思わんかったかな。
じゃあ弟と遊んでみたいな?
遊ばないです。
遊ばない?
走ってたんかな。
ほぼ若山に18歳まで住んでたとき、ほぼ記憶がないんですよ。
でもわかるかもしれん。
わしも15歳まで記憶ないから、
映画館とか本屋とかやる人間は幼少期の記憶がないと思う。
そうなんですか。
2例しかないですけど。
いや、2例だけじゃないと思う。
だいたい映画が好きになってる人は、人生つらかった人が多いからね。
映画との出会いはどんな感じなんですか?
私はね、小学校1年生の時に父親にキングコングっていう映画に連れて行かれて、
それは多分彼が何かから逃避するために、映画館行くために、
家族内でまるっと許してもらえると思って、子供を連れて行ったんだと思いますけど、
彼がすごく映画館が好きだったんで、
毎週土曜にブラクリ町に2本立ての映画を見に連れて行ってもらってた。
キングコングはブラクリ町のどこでやってた?
キングコングは国際劇場でやったと思うんやけどね。
国際劇場?
外資系の配給会社の国際劇場でやってて。
国際劇場は今のドンキホーテのところやんね。
そんなところに映画館あったんですか?
あそこに密集してたんですよ。あそこに3原固まってて。
国際会館があって、地区営があって、帝国座があって。
昔は全国にチェーン展開してたんですよ、映画館って。
だから帝国座っていうのは、いわゆる東宝っていう映画会社の映画を描けるっていう専属契約。
地区営っていうのは省畜っていう会社の作品を描ける専属契約。
それから北ブラクリ町の入口そばに今、大衆演劇の小屋がありますけど、あそこは東映の映画館だったんですよ。
途中から2館体制になってたけど、そこは東映っていう映画会社の映画を描けるって専属契約で、
例えばトラさんが次、正月映画やとしたら、トラさんって省畜の映画なんで、
もう自動的に地区営の正月映画はトラさん。
ドラえもんは帝国座で、夏休み公開とか、それは一連拓招で、全国の提携劇場が一斉に、
あるいは和歌山は大阪とかの大都市から少し遅れてやるとか、いう感じだったんですよ。
ジブリは帝国座やったもんね、だから。
そうそう、東宝がずっとやってたからね。
今って結構ギュッと固まってるっていうか。
あれはシネコンができてからですね。
その歴史も振り返ると感慨深いです。
シネコンって何なんですか?
シネコンはシネマコンプレックスって言って、
一つの建物の中に何スクリーンもあって、今あるみたいにね。
ジストシネマだと、例えば10スクリーンあるから、
そのうちの自分の好きなの見ますっていうのが一斉に集まってるっていう、集合映画館。
ざっくり言うと映画館も個人店、個人店じゃないんだけど、
街に何個かあって、ここはこんな商品売る、こんな映画見せますっていうところだったのが、
シネコンって言ったらモールよ、モール。
まあそうやね。
いろんな会社がドカッと入ってるっていうイメージ。
なるほど。
だからそれはそれぞれの広業会社が最初作ったんですよ。
なんやけど、そのうち、
バージンレコードのバージンが、
バージンシネマズっていうのを六本木にドーンって作ったよね。
あんな一等地に。
何年代?
あれはね、1990年代の終わりか2000年代の頭だったと思うけど、
結構最近じゃん。
そうそう、六本木ヒルズになるタイミングでバージンが入ったんですよ。
それがね、もう大事件だったの。
シネコンってやっぱりモールやから、大きな土地がいるでしょ。
一等地にはもうそんな大きな土地って空いてないんですよね。
だからシネコンが作れなかったんで、
割と郊外から始まったんですよ。
テスト的に地方都市から福岡とあと一箇所、
どこやったかな、関東のところが試験的に導入したんだけど、
それで東宝もこれからはシネコンの時代なんやなって、
土地探した時にはもうなかった。
結局ね、その六本木のバージンがうまくいって、
それを東宝が買ったんですよ。
そこから今の東宝シネマズが中心の日本のシネコン文化が幕開けになって。
バージンは何かって言ってたの?
バージンは普通にシネコンがね、そこが味噌でね。
バージンはどこの配給会社でもかけてたんやと思う。
かけてたんや。
だからね、昔は松竹が作ったシネコンは、
松竹の映画と他の洋画で埋めてたんよね。
東宝の劇場は東宝の映画と他ので埋めてたけど、
ある時東宝のシネコンで松竹の映画がかかるみたいなのが、
知ってる方からしたら大事件やったわけ。
今は普通やもんね。
そうなん、そうなん。だからどこのシネコンでも同じのがかかってますよね。
今の姿になるまでは、もうたくさんのびっくり行点があったんですよ。
結構もうなんか気がつけば、今の状態しか知らないかなって感じですか?
そうそう、そうなんです、そうなんです。
しかもさっき島田さんが説明してくれたけど、
ミニシアターっていうところも、
今は小さなシネコンみたいな形態で映画を上映してるところが、
うちもそれに似てるけど多いんですよ。
規模が小さいけど朝から晩まで1回ずつ違う映画をかけて、
それを2週間合体で月に数十本の映画を上映してるみたいな状態になってて、
だけど80年代90年代のミニシアターがちょっとブームになっていく、
新しい興業形態になっていく段階では、
東京の、例えば一番有名なのがシネスイッチ銀座っていう劇場、
あそこ250くらいの席数だと思いますけど、
ニューシネマパラダイスっていう映画1本だけを1年半ロングランしましたっていうのが、
ミニシアターっていうものだったから、
その劇場にはいつ行ってもニューシネマパラダイスを1年半ずっとやってて、
ずっと行列が続くっていう。
だからそのロングラン興業によって、
大きいところで何ヶ月かかかるのよりも儲かったっていう時代があったんですよ。
単館興業の方が儲けが出るっていう時代があって、
それがブームとしてなんとなく広まったのかな。
ニューシネマパラダイスって、
配給した初めの年ってそこでしかやってなかったんですか?
もちろんもちろん。地方にも回りますよ。
それもある。
でも後で1年半やった?
単館興業でも、
映画って一応基準となっている9大都市っていう都市があって、
東京のほかは神奈川、横浜か、大阪、京都、神戸。
大阪が東京に続いて大きな都市なんですよ。
そこを筆頭に9個都市が、基準都市があって、
そこは東京から1週遅れとかで出すのね。
だから9大都市に出せるお金がある配給会社は、
そもそも映画って昔はフィルムプリントだったんですよ。
ディールってわかります?
映写機カタカタっていうの、見たことあります?
1巻が20分の巻のフィルムを、
2時間だったら6巻。
物理的にこのぐらいの巻が、
両手を広げて輪にしたぐらいの巻が縦に6本あって、
それが35キロとかいう感じの、
物理的にそれがないと映画って上映できなかったんですよ。
だから全国で100巻かけるときは、それが100個必要だった。
そんなに買えないから、1本ずつ買わないといけないからね。
だから小さい配給会社は、
当時は11号ぐらい号数がついてたから、
小さな単管形の映画でも9大都市と東京と四捨で回して、
フィルムってやっぱり擦るとダメになるから、
四捨にしか使わない予備みたいな感じで、
11本ぐらいはあったのかな。
11本で大阪が終わったら、
次は四国とか和歌山とか、
だんだん周辺に広まっていくように、
そのプリントが終わり次第ここの劇場に回します。
不景気になってきたら、もうプリント3本みたいな状態で、
みんな順番待ちしながら、長い期間かけて上映していく。
プリントの空きが必要だから、
上映時期が短くなっていたりしてましたね。
なるほど。
全然知らない話。
どうでもいいでしょ。あんまり興味ないと思うけど。
いろんなことが一気に映画史の話になってるもんね。
大事なことで言っておくと、
ニューシネマパラダイスって映画がすごく流行ったの。
これは何が違ったかって言ったら、
それまで映画館で描かれる映画って、
トラさんとか、日本の人気俳優が出てる、
ユメラ監督が作ってる映画とか、
アメリカ、ハリウッドの大作映画とか、
全世界でヒットしてる。
みたいなのが全国、ちょっと順番はあったとしても、
一律ドカッと公開されますと。
みんなが同じ映画見てるみたいな。
それが理想だったのが、80年代後半に、
ニューシネマパラダイスはイタリアの映画なんだけど、
アメリカじゃない。イギリスじゃない。日本でもない。
非英語圏のマイナーな映画を買い付ける配給会社が出てきたのよ。
ヨーロッパのちょっと文化的なアクションとか、
ロマンスじゃない、そういう映画を買ってきて、
で、ちっちゃな映画館で勝ててみるっていうのが、
ミニシアターの始まりで。
それが爆発的にニューシネマパラダイスで大ヒットして、
これは商売になるぞっていうので。
なるほど。そういう流れがあったんですね。
細かく言うと多分もっと違うんだろうけど、ざっくり言うとね。
ざっくり言うとそうですね。
80年代以降、定期的にそういう映画があったのよ。
ニューシネマパラダイスもめちゃくちゃ流行ったし、
90年代はボン・カワイの恋する惑星が香港映画。
それまでマニアックな人しか見てなかった香港映画っていうのが、
これめちゃくちゃオシャレやん、かっこいいやんっていうので、
ドカッとブームになったりとか、
持ってくるまで分からへんのね、流行るかどうかなんて。
さっき後世さんの話と一緒で、新しいのを持ってきたら、
すっごい流行ったっていう。
ゼロ年代もアメリオね。
それは聞いたことありますね。
っていうのがざっくりとミニシアターの流れであって。
けど話を後世さんの幼少期に戻しまして。
そうです。
現代圏が映画の話するけど、キングコングやん。
それ分かるなんとなく。それは完全体験よね。
体験体験。
作品として、中学生ぐらいになったら映画は映画って分かってくるじゃん。
これは一個一個の作品だっていうのも分かるよ。
10代でハマった映画ってあるんですか?
それはヒッチコックです。
最初はね。
リアルタイムじゃないよね、でも。
それはね、日常映画劇場でヒッチコック特集って何週かやってたよね。
それ毎週見るうちに。
それがね、ちょっと好きな人が痺れるような、例えばヒッチコックっていう監督がいるんですけどね。
映画にちらっと仮面を出演してたりとかね。
そういうなんか知ってたら嬉しいみたいな。
映画ファンだから分かるみたいな。
目配が。
自分だけ、自分これ知ってるわって分かるような目配のある作品が多かったんで。
でも面白い、それ時代よね。
現体験は映画館やけど、ハマったり言ったらマニアックにハマりだしたのは、やっぱりテレビっていうかさ。
テレビ、テレビです。完全にテレビ。
それ時代よね。70年代映画ファンのハマり方よね。
絶対そうやと思う。
周辺の情報みたいなやつはどうやって掘ってたんですか?
多分映画雑誌をね、買い出したんだと思う。
ロードショー?
私はね、スクリーン派やったんで。
ロードションとスクリーンっていう、あれA4系よりちょっと大きかったかね。
昔の映画パンフレットと同じサイズやからね。
そのね、月に1回、映画スターについて教えてくれる、押し勝の入り口みたいな雑誌があったんですよ。
今月の表紙、リバーフェニックスやなみたいなね。
こいつの写真やねみたいなやつとかね。
若い人はスクリーンかロードショーかで。
どっちで?
コロコロか、ボンボンかみたいな。
で、ガチの映画ファンは、おじさんとかはキネマ旬報を読んでるっていう。
読んでたんかもしれないね。
高山からは全然私はそっちにはいかなかったんで。
スクリーンの方がちょっとだけ後派よね、ロードショーより。
ちょっと後派なの。
ロードショーの方がちょっとアイドル主的な感じやね。
ちょっとエロティックな映画の情報もロードショーには載ってて。
ボンボン派みたいな感じですかね。
そうやね、スクリーンはボンボン派。
いや、ボンボン派はボンボン派。
友達いない人はみんなボンボン派。
自動的にボンボン派じゃない。
私もボンボン派やから。
ボンボン派って何?
コロコロコミックとコミックボンボンっていう。
小学生の男のコミック雑誌がある。
コロコロはミニ四駆とかハイパーヨーヨーとかちょっとその。
キャッチーなおもちゃとか。
メジャーな。
ドラえもんとかね。
なるほどなるほど。
ボンボンはもうあれ。
聞いたことなかった。
ガンダムとか。
あとちょっと。
ガンダムはそっちに流行るの?
昔はそうよ。
面白いね。
まあまあまあ。
そうなんですよ。
そんな感じで雑誌でちょっと読んだりしてましたね。
中高とかはどこ行くんですか?
中高。
学校は地元の?
川向こうでね、くすみ中学っていう中学校ができたばっかりの2年目やったんですよ。
進行住宅地ができたから一気に人口増えたからできた時?
どうなんやろうね。
何クラスだった?
いや私たちの年代はね、私の2つ下がマックスの人口ゾーンだったところなんで、
だんだん人口が増えて学校を増やさなあかんっていう小学校をいっぱい作ったんで、
その流れが中学に及んだ時期なんじゃないかな。
何クラスだったんですか?
中2クラス。
8クラスやったかな。
すごい。
4とか5の世界じゃないもんね。
8クラスやったな。
その当時の中学生とかでどういう感じなんですか?
積み木崩しっていうテレビが流行ったんですけど、
その噂は聞いたことあります。
そうだよね。
実際積み木は崩されてたの?
いや、くすみはそんなことなくて、復古中学の学校やったところが半分くすみ中学に来たんですよ。
復古はどうやったかわからんけど、
でもできたての学校って今思うと張り切った先生方が配属されてたかなと。
やる気はあるもんね。
そうそう。
すごい平和でした。
積み木もちゃんと建てるよね。
積み木も建てる。
崩れそうになったし、まだ。
崩れず。
途中間、じゅんがになってくるけどさ。
かもしれないね。
平和やったかな。
山の上でみんな登っていくのは今も大変そうだなと思うけど、
健康にとってはいいかな。
若い時は体作るのが一番やと思うからね。
ちょっと歩いて通うっていうのはいいかもしれない。
学校生活はどうやってたんですか?
勉強とか部活とか。
ソフトボール部に入ってたんで。
それチームスポーツっていうか。
そう、だからそういうのも苦手やなっていうのに気づいて。
入って気づいた?
いや、その時自分が個人スポーツが苦手とか気づいてなかったから、
なんでやろなみたいな感じやったからね。
3年やった?
3年やりました。
時代的に部活は絶対みたいな時代というか。
そんなことなかったと思う。
でもないの?
うん。
楽しかったの?
普通に楽しかったけど、別に友達ができたわけでもなくて。
もっと強くなりたかった、もっと上手くなりたかったなと思うけど。
でも、ピアノ教室っていうか、ピアノも習ってたから。
月曜日したら休んだりして、
なかなか無茶な組み合わせやったなっていう感じかな。
で、高校はどこ行くんですか?
高校は紅葉高校に。
おー、賢い。
和歌山の中心やもんね、紅葉は場所的にも言ったらさ。
どうやろう。
和歌山駅からチャリアロ?
そう、だから川越えて一線橋っていうのが昔あって。
一線橋?
はい、車1台しか通れないから、信号でお互いをせき止めて、
川の向こうからの青信号が終わったら、
こっちから川向こうへの車が渡るっていう一線橋っていう橋があって。
渋滞しそう。
そう、渋滞もしたけど。
渋滞前提なんかな。
そこを自転車がギリギリ走れるかなみたいな、
車バンバンって当たられながら、それに通れば。
でも映画館に近づいたからね、高校になって。
初めて川向こうに毎日来るっていう、川こっちにか。
高校さん、初めて一人で行った家が覚えてるんですか?
覚えてないよな。
一人で映画館に行き出したのは高校ぐらい?中学?
中学の時からバスに乗って行ってた。
一人で行ってた。
全振りしてた。お小遣いなり、空き時間を。
映画に全振りしてたほぼね。
高校生活どうでした?
高校生活は楽しかった。
割とファンキーな学校で、高校って。
そうなんですか?
自由だった、とてもね。
党員は、院やから、高校は養やからってよく言われたけど。
ほっといてくれるアナーギーな空気もあったし。
イメージちょっとあるよね。
ある?
あんまり知らんけど。
党員の方が、政党派の真面目な。
それは思うね。
高校の方が、他に対して自信が広がってるみたいなイメージを。
私としてはすごく過ごしやすくて。
一緒にお昼食べる友達がいないと、
あの子変わってるみたいな空気は全くなくて。
みんなほっといてくれるし、
程よく付き合える感じも、割と心地よくて。
あとはちょっとクレイジーな音楽ファンの女の子がいたりして、
キャラ立ってるような子が、
ほんまに楽しそうに自分の人生を生きてる感じとかはすごく好きだったかな。
いいですね。
良かったですよ。
ちょうどハンシン・タイガースがバースとか架け風とかが中心。
いつの間に?
1995年まで行く?
行く行く。
私が1年生の時に、ハンシンが22年ぶりに優勝したんですよね。
高一の時。
高一の時。
その時に、部位ってもう悲観狩りにしてくる先輩がおるみたいな感じで、
楽しいなって思いながら通ってましたね。
総都市だって、わし生まれてるもん。
そうか。
でも、私は早々に東京に行きたいと思ってたから、
別に高校生活で満喫しようとかじゃなくて、
とにかく東京に早く行きたいっていう我慢の限界を迎えてた。
それは映画とか音楽とかでも、この街には何もねえみたいな感じ?
そうそう。
実際そうやったんですか、かかってる映画とかも?
かかってる映画はミニシアターどころか、まだシネコンもないからね。
東宝系、小築系、東映系と、
あと国際劇場がその他の大きなフォックスとかの映画をやってくれて、
そっからこぼれたやつを和歌山駅前にあったニューバレスがやってくれて、みたいな感じやったかな。
当時は自分は気づいてなかったけど、どの劇場がどうとか。
その時はメジャーな映画しかかからなかった。
メジャーな映画しかかからなかった。
ヨーロッパとかアジアのちょっとマニュアルな映画とかすること、古い映画を見ようと思ったら東京に行くしかないっていう。
そうそう、映画雑誌の後ろの方にすごく小さな紹介枠になったところに、
いわゆる島田さんとかはよく知ってる、ストレンジャーアダンパラダイスっていう映画すごい、みたいな感じとか。
ミツバチのささやきがすごいとか。
話だけが入ってくるんだよね、ヨーロッパで。
こんなすごい監督が出てきて、先生が新しい映画を作ってるらしいぞ、みたいなのが。
写真が何点かついててね、そこを200万回ぐらい読むようになったんですよ。
だから見てないけど。
90年代後半も一緒やったよ。
そうでしょ。
見てない映画への愛が溢れて、まだ見てない。
一番好きな映画はタイトルだけ見て、想像だけを膨らませた、まだ見てない映画が一番面白い映画だと思う。
期待値が上がりすぎてるから、最初見たときがっかりするよね。
すごくがっかりするんだよね。
こんなにすごいと思ったのに、初めてあれおかしいぞ、退屈だぞ、みたいなのだと。
なるよね。夢が膨らみすぎてて、実際に。
でもそれはね、やっぱり積み上げがなかったから、いきなりニューヨークのインディーズ映画を見る前に、もうちょっとアメリカのニューシネマを系統立てて見てたりとか。
文化全部そうやもんね。流れてる音楽とかでも。
いきなりヒップホップ聴かされても、ルーツがないからわからんけど、
でも音楽とかその当時のニューヨークのミュージシャンとか知ってたら、
あ、こんなミュージシャンが出てるんやとか、この楽曲ってあのミュージシャン提供してるよねとか楽しめたのが、
すべてがいきなり新しいものが入ってきても、
わからなかった。
だから東京に行って衝撃を受けたのは、鹿児島とかね、
例えば仙台から来たとかいう人たちがね、
私は見たことないけど、スクリーンで読んだことのある映画をめちゃめちゃ見てたんよね。
仙台は高いやからってこと?
やっぱりね、それはそういう映画を描けよってミニシアターをやってた人がいたってこと。
これは見とかなあかんって、それぞれの都市にその映画を見せてくれる人が一人ずついた。
ところから来た人の、映画の偏差値の高さっていうか経験値の高さを今思い出してやってるかもしれない。話してて思うけれど。
そういう存在に、そういう存在でありたいみたいな。
ありたいって自分はね、自分が何したいっていうのは全くないんですよ。
私はもうなんか今バトンを渡してるだけやから、そういうシーンを作れるとかはないんだけれども、
シネマ203に目標があるとすれば、ここで住むしかない人が、どっかで新しい映画に出会った時に、その時間が役立つというか、その楽しみを増幅するようになることかなと思っているから。
今これ見てる間も楽しければいいなとは思いますけれども、どっちかというと栄養になるタイプの上映作品もあるから。
ちなみに中学はヒッチコックじゃん。
ヒッチコック。
高校は?
ウディアレン。
でも素地はできてるね。東京に行ってミニシアター系の作品を見る。
そうかもね。大事なことは好きになったのは俳優じゃなくて監督やったっていうことでした。
どういうことですか?
映画スターじゃなくて、映画監督の方で見るみたいな。
監督出てこないからね、映画にはね。
昔の映画ファンは基本的にスターなのやっぱり。
厚見清志が見たいからトラさんに行くのであって、山田耀司の演出が見たいから行ってるわけではない。
でも見てるのはもちろん山田耀司の演出やから、意識はしてないけど本当はみんな監督で好き期待があったはずなんだけど、
目立ったりテレビに出たりするのはスターだから。
でも香水さんは監督に目覚めてしまう。
どのタイミングで目覚めるんですか?
たぶんね、深夜放送をビデオデッキで録画して、
当時はね、どこかでも話したけれども録画予約っていうのができなかったんで、その場にいて録画を押さなきゃ。
中学生には深夜なんですよね、11時から始まるとか。
我慢して起きて録画ボタンを押して、このテープの尺で入るはずっていうのを確認して、
それで録画できているかどうかは、翌日学校から走って帰ってきて再生するまでわからない。
3倍録画?
でもどうやったかな、ベータやったかな。
ベータか。
ベータやった最初。
香水家はベータやったんじゃない?
香水家はね、父親の映画好きが応じて。
昔ベータの方が注目されてたよね。
そうそう、ソニーだったしね。
映画好きはベータなんですか?
最初ね、ベータが出たんですよ。
で、ソニーが出してたから。
ソニー裏切ったんよ。
で、そっちが主流になるやろうと思ってて。
で、ベータの方がなんかちょっと画質も良かったんかな、多分。
それでビクターのVHSに企画統一された時に、みんなそれがパーになったっていう苦い、全体的な。
ベータで録画してた時代の人なんや。
そうそう。
貴重な。
そうです。
で、その時代、中学から高校時代で、私たちの世代に一番大きな影響を与えたのはMTVの到来です。
MTVっていう音楽番組、アメリカの音楽番組。
MTVどうやって見ると?ケーブルテレビを?
うん。あのね、どっかの局で遅れてやってたんよ。
そういう。
深夜とかに。
深夜にやってた。
しかも日本のMTVじゃなくて、向こうのMTVの番組を。
そのままやってた。
買ってきて流してた。
そうそう。
どっかでなんか評判が良くて民放が勝ったんやったと思うけれど。
で、それもあれは3倍録画やったな。画像が悪かったから3倍録画してましたね。
あの、マドンナとかマイケルジャクソンとかが大きかった。
メジャーのところで言うとね。
ウディ・アレンはでもちゃんと若いもの映画館でかかってたん?
映画館で見たことなかった。
やっぱりそうね。それはビデオ。
ビデオとかテレビ録画とか。
深夜放送とかでやってたってこと?
そうそうそう。で、見てた。
レンタルビデオ店はね、和歌山で借りたことなかったぐらいの年やった。
そうやね、88年やったら。
ちょうどそっか地下店がなくなったあたりからやもんね。
ほんと?
なんで島田さんそんな昔のことしてるんですか。
石川だからって。
あと会長だから。
友の会長なんで。
そうそう。
同世代のはず。
なるほど。あれ?なんで監督派になったかみたいなことって。
あ、そうそう。だからその。
最初はでもね、ジェームス・シュアートかっこいいなとかね。
アスター、それはアスター。
ジェームス・シュアートはもううちの両親世代の頃の。
昔の映画を遡って見ていくうちに好きになったりはしてはいましたけど。
なんでやろな。
まあでもヒッチコックもまとめて見てるときは監督意識してるもんね。
そう、でも監督特集をたまたま見たからっていうので、
同じ人がやってるものを見比べるっていう経験のせいかもしれないなと思いますね。
で、おいでやれば新作が上映されるたびに、
割と大きめにその映画雑誌で特集される監督やったから、
まだ見てないのに過去はこんな映画撮ってきたみたいなのが。
知識としては全然入ってくる。
そうそう、そこでちゃんとまとめてくれてるから、
この映画見てみたいなみたいになっていって。
じゃあテレビも雑誌もキュレーションがナイスな感じやったんですかね。
もちろんそうです、はい。
みんなやっぱりアーカイブの意識のある人たちがやってたなっていうのは、
当時の文化を思い出して思うことですね。
なるほど。
そう、だから今この時代に流行ってるこれが素敵って気づく以前に、
その分野についての基礎的な教養を持ってる人らがやってたっていうことと、
もう一つすごく今欲しいなと思うのは、
何かのジャンルで専門家の人、
例えば音楽、ヒップホップってジャンルで専門家の人とか、
他は何やろう、小説を書くとか、出版のことで専門の人とか、
あるいはヘアスタイルのことで専門の人とか、
いろんな専門家がそれぞれのジャンルについてアンテナ張り巡らせて、
全員がその時代のこれについて知っているっていう、
すごく層の重なり合ったカルチャーだったんですよ。
今は細分化されててね、言葉では聞きますけど、
映画しか見ないファンとかいうのは全然いなくて、
音楽好きな人もこの映画は絶対見るとか、
映画好きな人もこの音楽は絶対知っているとか、
共有している、共用がその時代の感覚みたいなのがすごくあったんで、
主に自分の専門以外のことについて、
これはいいよって意識的に進めている、
オピニオンリーダーと呼ばれるような人たちが大勢いたなって思いますね。
その世界のことだけ喋っているのではわからない、
その時代の空気みたいなの。
ジェンデレーションがあったよね。
あったと思う。
80年代カルチャーって言ったら、そこには映画も含まれるし、
ファッションも含まれるし。
そうそう、全部が絡み合ってましたね。
それぞれの専門家はそれぞれの世界で、
ほんまに専門家なんですよ。
トップの人らっていうのが重要で。
でもそこで閉じてないっていう。
全く閉じてない。
そういう人は開かれてないとトップになれないと思うし、
だからなんとか博士ってそのジャンルだけみたいな
オピニオンリーダーはいなかったと思いますね。
教養とかいう意味ではなくね、たぶん。
そして大学の話ですか、東京編。