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「私」は琵琶のようなもの。ブッダの教え
2026-09-12 14:01

「私」は琵琶のようなもの。ブッダの教え

仏教の「無我」と「徳の香り」をテーマに、死の恐怖を乗り越える智慧を解説します。琵琶の比喩や五蘊の視点から、私たちは実体のない「現象」であり、良い影響力(徳)こそが時空を超えるというブッダの教えに迫ります。


【目次】

子どもの頃、怖かったもの

アーナンダ尊者の疑問

風に逆らう香り

ダンマパダ54偈

人間の個体存在とは

無我思想

人の存在を琵琶に喩える


【出典】

『ダンマパダ・アッタカター』及川真介訳

『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳


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【大忍貫道プロフィール】

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派僧侶。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは3千人を超える。

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サマリー

本エピソードでは、ブッダが説いた「無我」の教えと、死の恐怖を乗り越える智慧について解説します。弟子のアーナンダ尊者の疑問をきっかけに、香りの比喩を用いて、物理法則を超えた「徳のある人の香り」すなわち影響力が時空を超えることを示します。さらに、人間の個体存在は「五蘊」という5つの要素の集合体であり、中心となる実体(アートマン)はないと説き、琵琶の比喩を通して「無我」の思想を分かりやすく説明しています。この理解により、真の苦しみや恐れが消え去るとブッダは教えます。

子供の頃の恐怖とブッダの出家
子供の頃、怖かったものってありますか? 私は、死ぬということが大変怖かったです。
夜寝ようとすると、そのことが頭に浮かんできて、自分が消えてしまう。
まあ、怖いと思うことすらできなくなってしまうということ。 これがたまらなく恐ろしかったですね。
実は、2500年前、古代インドを生きたブッダも、出家の原因の一つは、死への恐怖だというふうに言われています。
今回は、弟子の疑問に対するブッダの回答を切り口に、ブッダが解かれた死の恐怖を克服する教えをご紹介したいと思います。
今回の物語の主人公は、ブッダの付き人であったアーナンダ尊者です。
アーナンダ尊者の疑問とブッダの教え
このアーナンダ尊者と言いますと、大変人柄が良くて、ブッダの教えを受けた、そういうお弟子さんとして知られています。
そんなアーナンダ尊者が、ある晩、瞑想にふけていると、次のような考えが浮かびました。
香水には3種類のものがある。
木の香水、根の香水、花の香水。
これらの香りは、風に従って香る。
しかし、風に逆らう香りは存在するのだろうか。
木の香水というのは、白断とか人工とか、ああいう鉱木から作られるものですね。
インドは自生している、大変ポピュラーな香水になっています。
根の香水というのもあるそうで、ススキによく似た植物にベジパーというのがあって、それの根から生育するものとかがある、そういう類のものですね。
花の香水というのは、これはジャスミンとか、インドでは代表的な香水のジャンルになるそうです。
このインドというのは、本当に昔からですね、インダス文明の頃から香りというものに馴染みが深くて、既にこの時期にお香が利用されていた、そういう形跡が残っているんだそうです。
そういう身近なものを、ここでアーナンダ尊者は考察をされたと。
いずれの香水も当たり前なんですけども、風に従って香りますね。
でも、アーナンダ尊者は、風向きに関係なく香るものがあるんじゃないかと。
いわば、物理法則を超えるものがあるんじゃないか、そういう思いを抱かれたんですね。
現代を生きる私たちであれば、今皆さんわからないこと、おそらくAIに質問されるかなと思うんですけれども、
ブッダの時代にはAIはありませんから。
じゃあ仏弟子、お坊さんたちは誰に質問するかっていうと、それはやっぱりブッダに質問するんですね。
アーナンダ尊者は、ブッダにこの疑問をぶつけますと、ブッダは風に関係なく香るものがあるよって言われるんですね。
じゃあどういうものが風に関係なく香るのかっていうと、要するに、これちょっと長いので要約しますけれども、
仏教徒として織り目正しく生活をすること、それによってその人の香りは周囲に、風に関係なく、あらゆる方向に香っていくんだと。
で、その言葉の後に次の詩を唱えられます。
花の香りは風に逆らっては進んでいかない。
千段も、たがらの花も、ジャスミンも、みなそうである。
しかし、徳のある人々の香りは風に逆らっても進んでいく。
徳のある人は、すべての方向に香る。
徳のある人の香りっていうのは、これは影響力のことです。
織り目正しく生きること、このことによって良い影響を周囲に与えることができる。
それは物理法則を超える香りなんだと、ブッダは言われてます。
さらにこの良い影響っていうのは、空間だけじゃなくて時間を超えていくなと思うんです。
すでに亡くなった人の教えであっても、いまだに影響力を持ち続けているもの、たくさんありますよね。
ガンジーの非暴力もそうですし、キング牧師もそうですね。
このブッダはその最たる霊の一つだと私は思っているんですけれども、
2500年前の人の影響力が、現代を生きる私たちにも及んでるんです。
影響力と人の存在
この人の体というのは寿命によって尽きるんですけれども、
この良い影響力っていうのは、これはなかなか尽きないんですね。
よく亡くなった人が亡くなったように思えない、感じない、
まだどこかに生きているような気がする、こういう時あるじゃないですか。
これは何でそう思うかというと、
人が肉体だけで生きているわけじゃないからだと思うんです。
私たちは体だけで生きているのではなくて、
その人の持つ影響力も込みで生きていると認識しているんだと思うんです。
個人的には冒頭に死の恐怖の話しましたけれども、
死の恐怖を取り除くのは、こういう考え方、思考が一つすごく有益になるんじゃないかなというふうに思います。
五蘊による人間の分析
私たちが思っている自分、私っていう認識、
これはおそらく誤っているんだろうと思うんですね。
ブッダもそのことを指摘されておられまして、
ブッダの場合は私よりももっと精緻に、細かく分析をされています。
人間の個体存在は、5つの要素の集合体なんだってブッダは言われているんです。
これを五運と言います。
5つのまとまりという意味です。
これを大きく分けますと、肉体と4つの心の働きになっています。
それぞれどういうものを言っているかと言いますと、
まず1つ目肉体、これは東アジアの仏教圏では色と書いて式と呼びます。
次2つ目が感受作用と、これどういう働きかというと、目とか耳とかこういう感覚器官がありますね。
これが外界の対象に触れたときに生じる原初的な感受作用です。
こういうふうに説明すると書いてわかりづらいと思うんですけども、
これ全然難しいこと言ってなくて、
暑いときに冷たい氷に触れたら心地よさを感じますよね。
逆に寒いときに冷たい氷に触れたら不快ですね。
こういう快不快っていう素朴な心の反応、これが感受作用です。
これを感受の受、受けるという字で受というふうに仏教では言います。
3つ目が外界の対象の特徴を捉えて、その印象、イメージを心に取り込む働きです。
これは私たちは外界の対象をそのまま認識しているわけではなくて、
一旦その対象のイメージを心に取り込むんです。
その取り込んだものを認識をしているんです。
これは現代の脳研究でも実際にそうだってもうわかってまして、
例えば私たちが目で形を認識するときって、
この視覚情報は処理される過程において、実際の形そのままを認識しているわけじゃないんです。
例えばテニスボールであれば、丸担当の神経細胞がそれを丸として情報を処理するんです。
三角のものでいうと、例えばおでんのこんにゃくとか、
このおでんのこんにゃくを見たときには三角担当の神経細胞が三角だって処理をしているんです。
だからそれぞれ特定の形に反応する神経細胞が私たちにはあるんですね。
で、見たものの形の特徴を単純化して、それぞれの神経細胞は処理をしていく。
だから本当はもっとその対象の臓器が細かいのに、私たちがそれを認識できないから、流度荒く捉えている可能性があるんです。
どんな形をどれだけ認識できるか、これは訓練によっても異なってくるってことがわかってまして、
生活環境とか職業によっても識別能力は変わっていくと考えられています。
だから文字通り同じ景色を見ても人によって見え方が違うということなんです。
このような原理をこの2500年前のブッダがわかっておられたとは思わないんですけれども、
ただ瞑想とかによってかなり細かく心の働きを観察されていたので、
外界の対象がそのまま認識できてないってことは、これはやっぱり本当にわかっておられたんだろうと思います。
ちょっと説明が脱線しましたけれども、外界の対象のイメージを心に取り込む働き、これを想と言います。想像力の想。
で、4番目が意思作用、ああしようこうしようというような心の働き。
この働きすごく仏教では重視されていて、この意思によって未来が築かれていくって考えるんです。
だからすごく大事なんですね。
この意思作用を行と言います。行くという字。行く返りの行く。
そして最後5番目、これが認識作用。心に取り込んだ外界の印象、イメージ、この情報を総合的に判断、認識する、そういう働きです。
これを認識の識という字で識と呼びます。
最初の色の識とは違って、肉体の場合はですね、色の識でしたけれども、ここの認識は認識の識ということになります。
以上の5つを連続して言うと、重僧行識というふうに言いまして、これは般若心経にも出てくるので、馴染みがある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
無我思想と琵琶の比喩
で、ここからが肝心なんです。ここからが仏教なんです。
この仏教以前のインド思想では、人間の個体存在には、それぞれ中心となるようなものがあると考えられていました。
ロボットのパイロットみたいな、ガンダムの操縦者みたいな、そういう存在が私たちの中にいるっていうふうに、古代インドの思想は考えてたんです。
これをアートマンと言います。このアートマン簡訳されますと、我と書いてがと表記されるんですけれども、
ブッダの教えの特徴っていうのは、そういうアートマン、我はないんだって説かれたところなんです。
ガンダムの操縦者、パイロットはいないんです。
これを仏教では、我がない、アートマンがないということで、無我というふうに言います。
ブッダがこの五運というものを説かれたのも、人間の個体存在を不分けして、そのいずれにも我がない、無我であるということを明らかにするためなんだって言われています。
だから自分の中心、コアになるようなものはないんですね。
それをわかりやすく例えるお経というものが残っていまして、これがソウブ教典という非常に古いお経の中に収録をされています。
この中で人の存在を楽器の琵琶、これに例えてブッダは説明されています。
あるところに王様がいて、朝早く起きたときに美しいピアノ音色を耳にする。
この音色に感銘を受けた王様は歌神に、これは一体何の音だ、こんな美しい音は初めて聞いたとこう語って、歌神からピアノ音でございますと教えられます。
大変興味を持った王様は、その琵琶をすぐに持ってこいということで目の前に持ってこさせます。
琵琶を目の前にした王様は、お前たち、琵琶はいいといらんと、美しい音だけを私のもとに持ってこいと命じます。
それを受けて歌神たちは、いえ、王様、琵琶というのはいろんな要素、部品によって構成されていて、それらが連動することで音がなる、そういう仕組みですと告げるんですけれども、
この王様は美しい音色がどこから発せられるのか、どこか原理となるものがあって、そこから音がなるんだろうと、こう考えて楽器を細かく分解させます。
しかし、どれだけ頑張っても、美しい音のもとになる原理、本体は見つかりませんでした。
その結果を受けた王様は、琵琶というものに原理実体はないと、そのようなものに人々は戯れ、夢中になっていると語りました。
で、この火をあげた上で、仏陀は人もそうですよ、というふうに言われるわけですね。
この美しい音色が、様々な要素が連動することで生じる現象であるように、人もいろんな要素、もっと言うと様々な条件、こういうものが整ったことによって現れている現象なんですよと。
そのどこにも原理、本体はありませんと。
この私っていう存在は、そういう実体のないものであって、この仏教を学んで実践していくと、それが理解されて目の当たりになると。
そうすれば、真の苦しみ、恐れは消え去っていく、こういうふうに仏教は考えます。
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