1. わたなべ夫婦のふたりごと
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2025-02-16 30:20

#628 自分へのこだわりを手放すと無敵になる。東洋哲学の世界

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自分とか、ないから。教養としての東洋哲学
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【放送のもくじ】
『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』
ブッダと無我「自分は無い」
龍樹と空「この世はフィクション」
自分にこだわりすぎてしんどい人へ
レター:おすすめシャンプー

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#夫婦 #レター返信 #心理カウンセラー #お悩み相談 #潜在意識 #東洋哲学 #ブッダ #無我 #空 #自分探し
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サマリー

このエピソードでは、薄毛の悩みに対する向き合い方や、東洋哲学の教えを通じて自己理解を深める重要性が語られています。特に、ブッダを始めとする東洋の思想家たちが提唱した「無我」の概念が、自分自身の存在についての新たな視点を提供します。自分とは何かについての哲学的な考察が行われ、ブッダやリュウジュの教えを通して、自我を手放すことの重要性が強調されます。また、現実をフィクションとして捉え、自分と他者、自然とのつながりを理解することで、苦しみから解放される可能性も示唆されています。自分へのこだわりを手放すことが、東洋哲学の空や無我の境地とつながり、心の自由を得ることに役立つと解説されています。フィクションとしての自分を楽しみながら、生き方を考える重要性も語られています。

薄毛の悩みへの向き合い
わたなべ夫婦のふたりごと。
みなさんこんにちは、わたなべ大輝です。
このチャンネルでは、自分を満たして自分らしく生きるテーマに心が安らぐメッセージをゆるりとお届けしています。
今日もね、みなさんからいただいたレターにお答えしていきます。
一応予定しているのが、40代男性の方からの薄毛の悩みについてのご相談。
薄毛をどうするかというよりは、薄毛が進行してきた自分とどう向き合えばいいかというご相談をいただいているので、一緒に考えたいと思います。
あと時間あれば、シャンプーとかのヘアケアグッズのご質問をきているので、お答えしたいと思っています。
でですよ、冒頭ね、ちょっとお話ししたいんですけど、この前、第624回の放送で、とある本をね、なべともさん、リスナーさんからご紹介いただいたんですけど、
ジェントルさんというね、なべともネームの方から、自分とかないから教養としての東洋哲学というね、新名Pさんというね、ペンネームの方の著者、著作の本をご紹介いただいたんですよね。
東洋哲学について、面白おかしくとても噛み砕いた表現で解説している本ですと。
で、この配信のね、伝えているメッセージともリンクしていて、面白かったですということでね、紹介いただいてて、僕もね、すごい気になってたんですよ。
気になってたし、なんかこういうね、東洋哲学とかね、なんか好きなんですよね。
昔から哲学とかそういう、学問としても好きやし、そういう問いをね、深めていくのって結構好きなんで。
で、僕の最近のいろんな、何?気づきというか、関心にもすごくリンクしてて、今度ね、ちょっと古事記の話しようと思ってます。
予告しときます。
ちょっと、もうちょっと勉強して、勉強してるから、本をね、今注文してるんですけど、それ読んでから、古事記日本書記って歴史の授業に習いましたよね。
その古事記がめちゃくちゃおもろいやんけっていうのを最近ちょっと知って、みんなにもぜひ紹介したいなと思ってるので、また今度紹介します。
っていう感じで、東洋哲学、そのブッダとかね、空海とか、そういう話ですよ。
そういう話と古事記はまた別の、別物なんですけど、なんかそういう神話の世界とか、なんか哲学の世界とか、
なんか昔のなんかそういう、昔から伝えられてきた、ほにゃほにゃという考え方みたいなね、なんかそういう話題が最近、僕の目に興味関心になんかヒットしてて。
で、まぁ紹介いただいてて面白そうやなと思ってて、これね、図書館とかで検索してもね、もうなんか結構待ってたりするんですよ、予約待ち。
すごい人気なんやなとか思いながら、別の本とかもね、読んでたんで、なんか読むタイミングね、いつにしようかなとか思ってたんですけど、この前本屋さんで見かけて、
あ、もう今買おうと思ってね、買ってきました。で、昨日のなんか夕方買ってパラッと見て面白そうやな、面白そうやなってか、面白いなと思って。
ほんで今日の朝からまた読み始めたんですけど、もう一気読みして、1日というか、え、2時間ぐらいで全部読んだんかな?
無我の概念の理解
2時間いすぎか、3時間ぐらい?わかんないっす。まぁでもそれぐらい、あっという間にね、読み終わりました。
で、まぁやっぱ面白かったので、その読み終わったテンションで喋ろうかなと。
まぁだからあの、内容整理したりとか、これこれ伝えようっていうのは全く考えてないんですけど、
この読み終わったテンションのまま、ちょっとこの話もね、したいなと思って収録してみました。
はい、まぁこの本自体ね、すごい紙砕いて書いてるし、なんかもう文字めちゃくちゃデカなったり太字になったり、
なんか話言葉のように砕けたね、書き方してて、イラストやら写真やらめちゃくちゃいっぱい載ってるので、
結構本が苦手な人でも読みやすいと思うので、ぜひね本としても、本を読む、
まぁ僕はね、この本の内容全部紹介はさすがにできないんで、
ぜひ本を読んで、なんか面白いなと思ったら本を読んでね、この世界観を体感してみてほしいなーって思いますので、
はい、おすすめしておきます。
で、まぁ何の話やということなんですけど、東洋哲学っていうのが、
あのこの本では、ブッダ、ブッダってなんか聞いたことありますよね、ブッダ。
ブッダから始まり、リュウジュウという人、僕はリュウジュウって知らなかったんですけど、リュウジュウという人であったり、
ロウシとソウシ、これは聞いたことありますけどね、ロウシとソウシ。
あとダルマ、ダルマ大使っていうその禅の人がいるんですけど、
あのダルマさんあるじゃないですか、ダルマのお土産もんとか、あのモデルの人ですよ、ダルマさん。
とかシンラン、シンランってこれ日本の人ですけど、授業で習いましたね、シンラン。
あとクーカイ、クーカイもなんか聞いたことがある。
という6人かな、6人の人物を、まぁ六小字立てにして書かれてるんですよね、東洋哲学なんで、東洋っていうと日本だったり、
まぁ日本中国インドかな、出てくる人物にゆかりがあるのは。
日本中国インドの超昔の人たちがどんな教えをしてたのかみたいな、
どんな考えをしてたのか、どんな修行してたのかみたいな、そんな話で、
そもそもね、ブッダって人間なんですよ。
これ、これご存知ですか?
僕はね、言うてでも最近知ったかな、ここ、何年か前はブッダと仏と菩薩と如来とって全然区別ついてなくてですね、
未だに怪しいんですけど、ブッダってそもそもね、人間なんですよ。
まずこっからね、こっから理解しましょう。
インド人なんですよ、ブッダって。
なんかこう、神様、仏様みたいな、なんかそんなイメージあるんですけど、人間でしたと。
そう、だから人間なので、ちゃんとお母さんから生まれてきたし、
インド人なんで、たぶんカレー食べてたと。
これは、これあの本の表現なんですけど、
まぁインドってね、いつからカレー食べてたのか知らないですけど、
人間である以上、生まれてきたわけやし、飲み食いしてるし、
思考もするし、言葉も喋るし、寒かったら服も着てたでしょうね。
そう、人間なんですよ。
で、そんなブッダは虚無感を抱えてたんですって。
虚無感。
ね、人間らしいですね。
ただブッダってとんでもなく恵まれてたらしくて、
実家が王子?
王子ってどういう?
王家?
王家のお家で、だから王子なんですよ。
おそらく収入もあって、豊かな資産のある家庭なのかな?とか。
そんな、いわゆる恵まれた境遇にいたような王子だったわけなんですけど、
虚無感を抱えて苦しんでたわけなんですよね。
これ現代でも通じますよね。
いくらお金があったりとか何かが持ってたりとか才能があったりしてるように見えても、
その人は実は虚無感とか悩みを抱えてたりとかして、
まあ人間って昔から変わらんねえなって思いますけど、
そんな虚無感を抱えてて、無職で。
時間もめちゃくちゃあったと。
で、閉じこもってましたと。
そんな中、人生ね、どうしたらええんやと、何の意味があるんだと、
本当の自分って何なのかしらと。
いうね、悩みを考えすぎて、旅に出ましたと。
もう家でして。
もう一人で自分探しの旅。
自分探しの旅の一番太鼓がブッダなんでしょうね。
わかんないですけど、これはまあ僕は適当に言ってますけど、
そんな時期から自分探ししてて、
自分探しとか言って、ワードとして流行ったりとか注目されたり、
そんな本が書店に並んだりとかするじゃないですか。
でもその自分探しってブッダやってたんやみたいな。
で、もうホームレスになって旅してね、修行してたわけですよ。
で、その過程はぜひ本読んでほしいんですけど、
その時悟りましたとブッダさん。ついに悟ってしまいました。
あ、自分なんてないわと。
これを無我と言うんですけど。
ないにわれと書いて無我ですよね。
われない、自分がないと。
自分ってなんやろうと自分探しって思ってたけど、
そもそも自分ないやんけっていう境地にたどり着いてしまったわけなんですよね。
自分ないってどういうこと?ってね。
いやこれ今ね、こうしてみんながどういう体勢でこの配信を聞いてるかわかんないですけど、
今ここに手はあって足があって体があってこれ自分やんって話なんですけど、
でもよく考えたら自分ってなんなんでしょうね。
っていうのも、例えばじゃあ自分ね、
今手に触ってこれ自分やんって思うかもしんないですけど、
その自分の体っていうのは、
例えば細かく見てたら細胞レベルまで小さくなりますよね。
その細胞レベルまで小さくなるわけなんですけど、
実はその細胞って入れ替わってるわけですよ。
詳しくは知らないですけど、
その体の部位によって入れ替わる周期が早かったり遅かったりとかね、
あると思うんですけど、
せいぜい数ヶ月とかじゃないんですか。
だから数ヶ月前の自分の体を構成してた物質たちは、
今の体にはもうないとも言えるわけですよね。
医学的に正しくない言い方なのかもしんないですけど、
細胞が入れ替わってるっていうのはそういう解釈もできそうですよね。
だから例えば昔の写真を見返してみて、
何年前の自分ここでこんなピースして写ってるなっていう自分の写真の、
その自分の体は今ここにはもうないというか。
なんなら細胞って別にある日突然変わりますパーンって変わるわけじゃなくて、
日々あるいは1秒1秒生きてて更新されていってるわけなんで、
今の体あるいは10秒前の体と今の体が同じと言えるだろうかとかね。
そんなこと考えだしたらちょっと怖くないですか。
でもまあそうなのかなとか思ったり。
あるいは自分の体、人間の体っていうのは70%だか何%だかが水分でできてるって言いますよね。
そうだから自分やと思ってるものってほぼ水やったりするんですよ。
その水はどっから来てるかっていうと水道の水だったり、
僕らはブリタっていう浄水器で水飲んでますけど、ブリタの水やったり。
なので自分イコール70%はブリタの水なんとかね。
ってことは今目の前に置いてるこのブリタの水は自分と言えるのだろうか。
自我とその克服
あるいは体の中に入れたら自分になるのかなとか。
じゃあどっからが自分でどっからがブリタの水なんとかね。
でそのブリタの水ですらブリタに入れる前は水道水なわけで、
じゃあその水道水はどっから来てるのっていうと海であったり雲であったり、
雨であったり、川であったり、地下水だったり、あるいは浄水場の水だったりして。
で今目の前のコップに注がれてるわけなんですけど、
ってことはこの水は海とも呼べるのかなとか。
雲とも呼べる?雨とも呼べる?
海とも呼べるんやったら地球とも呼べるかもしれないですよねもはや。
この目の前の水は地球であるみたいな。
ってことは地球を体内に入れてるのかとかね。
地球ってことはそれは太陽の恵みなのかっていうと、
じゃあ私は今太陽を飲んでるのかしらとかね。
そんなちょっとぶっ飛んでるかもしれないですけど、
そんな捉え方もできるかもしれない。
そうすべては変化しているし、すべてはつながっているとも言える。
そんな世界でこれが私ですみたいな、私らしくみたいなね。
自分とは何かみたいなのをかっこたる、変わらない、
これが私ですみたいなのを求めると、
そりゃしんどいかもしれないですよね。
だってそもそも自分ってなんなんていうと、
水であり太陽であり、すべてとも言える捉え方によってはね。
そんな中で自分なんて果たしてあるんだろうか。
ないものを求めるとしんどいよねみたいな。
そんなこと、自分や、みたいな。
そういう、ブッダの言葉これ、本に書いてあるんですけど、
俺がいるのだという満身を抑えよ。
これこそ最上の安楽である。めっちゃ気持ちいいであると書いてる。
そういう言葉が残ってるらしいんですけど。
自分捨てたらめっちゃ気持ちいいですよみたいな。
そういうことらしい。
リュウジュの教え
すごいですね。すごい境地ですね。
こういうことをブッダが悟って、
教えとして広まっていったわけなんですけど、
そのブッダの教えをさらにブラッシュアップというか、
わかりやすい形でシンプルにしたのが、
リュウジュという人らしいです。
リュウジュというのも人間でインド人なんですって、
僕は初めて聞いたんですけどね、そんな人がいるんですね。
自分の愛ってどういうことやねんってうーちゃーってなってた、
仏教の世界をシンプルに支配った人らしくて、
リュウジュはこの世はフィクションやというふうに位置づけたらしい。
フィクション。
あのフィクションですよ。
僕らがフィクションって聞くと、
映画の世界とかアニメの世界とか、
ゲームの世界、小説の世界、
この物語はフィクションです。
作り物です。幻です。実際にはありません。
そんな意味でフィクションって使うと思うんですけど、
この今現実やと思っている世界も実はフィクションなんですよっていうのが、
このリュウジュの解釈で、
これを空と呼びました。
空と書いて空ですね。
空ですって。
またなんか危険な香りがしますね。
フィクションってどういうこと?ってことなんですけど、
要するに全ての認識、認識?認識次第なんですよ。
そう設定するから、
そうなるというか、
つまり、
この本で書いてて、
分かりやすいんでちょっと紹介すると、
ファミチキが例に出されてるんですよ。ファミチキ。
みんなもイメージしてください。ファミチキ。
鳥さんがフライドチキンって言うんですか?
味付けされて、フライされて、
紙のパックに入ってて、半分ピリピリピリって破って、
下半分で手に持って、
そのまま手が汚れずにサクッと食べれる。
あのファミチキですよ。
あれはファミチキとか言ってるとすごい美味しそうやし、
なんかね、
想像してて食べたなった人もいるかもしれないですけど、
結局鳥の死体なんですよね、あれ。
鳥の死体って言うとめちゃくちゃ食べる気なくなると思うんですけど、
でもそうじゃないですか。
それをなんかファミチキっていう形でパッケージして、
食べ物ですよ、美味しいですよってするから、
僕らはそれを求めるわけですよね。
だから、ある意味フィクションなんですよ。
鳥の死体を喜んで食べてる。
それがファミチキという魔法なんですよね。
あるいはね、今スティーブ・ジョブズが顔に浮かんだんで、
それで例えるんですけど、
スティーブ・ジョブズっているというかね、
もうなくなりましたけど、
偉大な人じゃないですか。
あれ偉大な人やと思ってるから偉大な人やと思うわけですよ。
めちゃくちゃ金持ってそうにも思えるし。
それをスティーブ・ジョブズっていう認識を外したときには、
ただのメガネかけた黒いTシャツ着てジーパン履いたおっさんになるわけじゃないですか。
あるいはスティーブ・ジョブズですら、
iPhoneの新作の発表のプレゼンの場ではスティーブ・ジョブズとして登場してるけど、
家ではただのおっさんやったりするときもあるし、
昔からの知り合いやったら、
わからん、スティーブ・ジョブズのことをクズ野郎って認識してる人もいるかもしれんし、
結局これがスティーブ・ジョブズですっていうのはなくて、
人によっても捉え方違うし、
その時その場面でのスティーブ・ジョブズって違うし、
変わらないものってやっぱここでもないんですよね。
それをフィクションと呼んでるわけですよ。
あるいはバット、野球バットがあるとするじゃないですか。
それを野球グラウンドで持ってたら野球をするための道具になりますよね。
でもチンピラが持ってたら威嚇するための道具ですよね。
あるいはウォーキングデッドで野球バットが出てきたら、
それはウォーカーを倒す武器ですよね。
あるいはアーティストが活用するとアート作品に変わっていくかもしれないし、
普通の家庭に転がってたのやとしたら布団叩きとかになってるかもしれないし、
まあわかんないですけど、
これがバットですっていうのはやっぱないんですよね。
どう見るか、どう使うか。
そんなもので、いかようにバットというものすら変化していく。
だから全部フィクションですと。
これ、これですみたいなカッコたるものっていうのはなくて、
つながりの理解
空なんですよと。
そんな話になってるわけですよね。
空になって、自分とかないからみたいなそんな世界になると、
じゃあこの世は何もないんですかっていうと、そうではなくて、
全部つながっているっていう解釈になるんですよね。
全部つながってる。
例えばちょっと前にブリターのお水の話したと思うんですけど、
お水を取り込んでその水が自分になるんやったら、
水は自分とも言えるやろうし、
その水が海とか雲とか川から来たとしたら、
水は海とも呼べるし、
だから極論言うと海と僕はつながってるんですよね。
全く別じゃなくて。
あるいはもっと具体的に言うと、
これはね本に書かれてる例でもあるんですけど、
国境。国境ってありますよね。
でも例えばヨーロッパやったら陸続きで、
こっからここがドイツです、
こっからここがフランスですってやってるから国境はあるけど、
でも実際はつながってますよね。
ただそう認識してるフィクションで設定してるだけなわけですよ。
じゃあ日本はっていうと海で周り囲まれてるから、
境界がはっきりしてますよね。
でもそれは海があるからそう見えるだけで、
海の水全部抜いてみましたってなるとどうかっていうと、
地球という一つの星というか、
陸でつながってるわけです。
日本とアメリカですら。
太平洋っていうのが間にボーンとあるけど、
海底というのはあるわけで、
陸続きでつながってるわけですよ。
そんなわけでそもそも、
やっぱりこういう解釈でも自分っていうのはないわけなんですよね。
もうみんなとつながってる。
水であったり、地球であったり、太陽であったり、
あるいは宇宙であったり、すべてとつながってるってことは、
自分と誰かともつながってるし、
みんなも今日何かしら水分、
水の例えばかりで申し訳ないですけど水飲みましたよね。
その水と僕の目の前にある水が別と言えますかね。
同じとこから来てるかもしれないですよね。
そんな同じ水を飲んだ僕とあなたは、
完全に違うと呼べるでしょうかみたいな。
そもそも空気吸って呼吸して生きてますけど、
この空気を共有してる僕らは、
僕らの境界って一体どこなんでしょうみたいな。
自分なんてないんですよと。
例えばお金がないなとか仕事がないなとか、
ほにゃほにゃができないなとかね、
そういうふうに悩んだりするわけなんですけど、
そもそもお金がないとか仕事がないとか、
そんなものすらないと。
なぜなら、お金がないってことは、
あるからないじゃないですか。
ないものはないというか、ないとすら認識できない。
ある想定があるから、
いくら稼いでないととか、
あの人はこんだけ貯金があるとか、
昔の自分はこんだけ持ってたとか、
そういうあるという前提があるからないも生まれるし、
そこで苦しむわけですよね。
でもそもそもそのあるという想定、
あるべきとかあるはずだみたいなのって、
もうフィクションなんですよ。
逆に言うと、ないと思ってることすらフィクション。
全部フィクションで遊んでるだけなんですよね。
遊んでるっていうのは僕の表現なんですけど、
みんなつながってて、
みんなつながってて、
空と無我の重要性
これが自分ですなんてものはそもそもないのに、
自分を作ろうとしてる。
これが多い、少ないなど。
できる、できないなど。
そういうのを勝手に想定して、
幻を作って生きている。
だからそんなもの全部ないよっていうのが、
この空という思想。
結構ざっくり。
詳しくは本を読んでほしいんで、
本も割とわーって面白おかしく書いてるんで、
みんななりにいろいろ解釈できるかなと思うので、
読んでほしいんですけど、
とにかく自分にこだわりすぎて、
自分ってなんやろうとか、自分はこうあるべきとか、
もっとこうしなくちゃってしんどくなってるんやとしたら、
この東洋哲学の空とか無我の境地っていうのは、
楽になるヒントにもなるかもなーっていうことですね。
自分ってそもそもなかったんやと。
常に変化してるし、
これが私ですなんてものは、
結局のところフィクションでしかなかったんやと。
自分にとってのフィクションってこと。
フィクションってことは、
自分で作り上げられるはずなので、
なんやろう、せっかくやったら自分が望む物語を自分で作って、
そんな自分の作ったフィクションの世界で、
楽しく生きたいなーなんて思ったりします。
ブッダとかからしたら、
そもそもそんな楽しいとかいらんよみたいなね。
そんなことかもしんないですけど。
僕的にはそういう感じかな。
自分無いとか空の境地っていうのはすごいわかる。
それが大前提にあった上で、
ただ僕らは別に木の下でずっと瞑想して過ごしたいわけではない。
そういう人もいるかもしんないですけど。
僕はずっとそれしてたいわけじゃないので、
とはいえ人間として生きている自分っていうのも認識して生きている。
だからフィクションなんですよ。
そのフィクションをいかに楽しむかというか、
そこが自分らしいっていうことになるのかなって。
常に変わらないものなんてないし、常に変わるし、
自分と世界の境界線なんて曖昧やしもはやない。
自分イコール宇宙みたいな。
そんな世界の中でフィクションとしてどう生きるかみたいな。
そこが問われてるのかなっていう気がしますね。
自分とか無いからっていうね、教養としての東洋哲学っていう本。
面白かったのでぜひ読んでみていただければと思います。
自分を楽しむ
僕は1章と2章あたりをなんとなく喋ってみたんですけど、
6章までありますし、
本としてもぜひいろいろはしょったり、
僕なりの言葉で伝えた部分もあるんで、
しかも思いつくままに喋ったので、
あんまり正確じゃない部分もあったかもしれないので。
よかったら読んでいただければと思います。
またなんかこう、
何?いろいろ気づきというか。
この話ってちょうど第…
何回あったかな。
624回か。
伊勢神宮で流れるプールが…流れるプールじゃなくて、
川の流れって言った方がよかったって思ってたんですけど。
その話ともなんか通じる気もしてて。
やっぱなんか今の自分になんか届かせたいものがあるんやろうなと。
だからこうして手に取ったんやろうなって紹介もしてもらえたんやろうなって思ってます。
ありがとうございます。
はい、というわけで。
ちょっと結構長くなっちゃったんで、
最後質問だけお答えしたいと思います。
おすすめシャンプーですね。
だいぶ話変わりますけど。
こんにちは。いつも楽しく聞かせてもらってます。
25歳女です。ありがとうございます。ということで。
最近使われているものはまたお二人のおすすめ。
シャンプー、コンディショナー、またプラスアルファのヘアケアなどありますか?ということでね。
ご相談いただいてますので、お答えしたいんですけど。
これはね、最近無印のセットをよく使ってるんですよ。
ここ1年以上はもうそうなのかな。
無印良品のダメージケアシャンプーの張り越しっていうね。
シリーズがあるんですけど。
それのシャンプーとコンディショナーを使ってて。
で、あと僕は無印のヘアセラム、ヘアオイルをお風呂上がりに塗ってます。
ユミは序盤にフリズビーゴーンヘアセラムっていう、
無印のヘアセラムより、ヘアセラムっていう言い方もちょっと馴染まないですけど、
ヘアオイルよりもちょっとAやつ使ってたりするんですけど。
その3点かな。3点というか3.4点かな。
僕は無印ってね、結構天然系とか香りとかも天然系多かったりするし、
買いやすいしね、その店舗でね。
なので結構好きなんですけど。
最近は無印のシリーズをよく使うようになってます。
参考になれば幸いです。
はい、というわけで今回は以上です。最後までお聞きいただきありがとうございました。
このチャンネルへのレターお便りですね、引き続き募集しております。
ご相談ご質問なんでも大丈夫ですのでお気軽にお寄せください。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。ほな。
30:20

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