ブッダの教えと無我
今回も人生哲学雑談会になるんですが、早速ですね
原始仏教で諸法無我という言葉があって 今回もそんな難しい話じゃないんですけど
これ自体ね、もう 単純なことで
実体なんて存在しませんよということなんだけど 数学という学問で
もう 線と線が交わっている点
実は理論上存在するんだけど そんなものは存在しない。つまりゼロっていうのは
理論上あるけどもそんな実体はないということなんだけども この仏教でいう
実体 還元すると
人間の本質だったり 宗教によってはそれを魂と言うだろうし
自我とは対極であるもんですね まあまあ
自我は間違いなく存在するんだけど 自分と言い方してもいいと思います
でこの数学の もし共通しているものであるのであれば
そういったものを感じるんだけど クラキュアね 魂イコール
まあ言い換えると自分イコール
ゼロとも捉えられるわけであって これはちょっと無理がある理論、理屈かなとも思ったんだけど
でもこう考えてみると面白いですよね
なぜかというと 芸術家って
完全に何もないものから 何かを生み出せると信じてるんだけど
やっぱりゼロからは何も生まれない いろんなものを統合させたものでしかない
人間も
仏陀っていうのは仮の姿である
自分なんてものは存在しなくてこれは ただの集合体なんだと言うんだけど
芸術も全く新たなオリジナリティ溢れるものを生み出してるつもりでも実は
ただのいろんな過去に 集めた記憶の統合でしかない
という意味では今の考え どうでしょうかね面白いと思うんだけど
人間自体がゼロである
だから 自分の憶測にはね
魂があるとか 唯一無二は何かがあるとか
固定された何かがあると思ってるけど
仏教ではそれは実体なんてないって言われてますし 今の話で言うと
芸術家と同じことで
何かを寄せ集めたものでしかないということですね
もともと何かがあったというよりも
あとちょっと気づいたことがあって 商業物と商務がっていうのは
これお坊さん大抵の人が すごいとられてるんだけど実際はこの
物理空間全てのものを指して言うんですね だけど一切回復っていうのは
苦しみっていうのはね まあ動物みんなそうかもしれないけどでも苦しみって言い方するとまあ人間的な
苦しみだと思うんだけど この
言葉だけ人間に限定してるんですね
でもブッダはそんなことするかなと思うんですよ もっと普遍的なこと言ってるだろうし
そういう意味じゃない この苦しみって
不完全だという すべてのは不完全だということを言うために
だから苦しみイコール完全という 意味で言ってるんじゃないかっていうのがクラキの考えなんですよ
で実際数学でも不完全性定理で この物理空間のものはすべて不完全だと言ってるし
でブッダの考えとこの不完全性定理とは通ずるとこもありますし そんなことでもちょっと最近気づきました
あと仏教をね あというか ブッダの言ったことは真相真理だという人いるんだけど
これは間違いで
物事は すべて変化しているのであれば
真相真理なんかないんですよ ということはですよブッダの言うことって
真相真理じゃなくて事実なんですね 世の中の本当のことって
やっぱり冷たいわけですよ 何のぬくもりもないもう
冷め切った考えなわけですよ
大乗仏教とは違ってブッダの言うことを
都合良くではなくあるがままに 受け止めるってすごい大変なんだけど
それにしても都合の良く捉えすぎてる人 坊さんで多すぎな気がしますね
ブッダが言ってるのは 自分の中に実態を探し求めると
欲望と苦しみの本質
これが本質だみたいなものを探し求めると不幸になる っていうことだけどだから
ブッダの言ってることの中に真相真理を求めたり あとはブッダが言ってることを
より正しく理解しようとするのもそれも欲ですから
たとえ矛盾を感じても
そこで執着しちゃいけないんですね それがブッダとの向き合い方だと思うんですよ
一切過激ってのは深い言葉でそれはそうだけど 何か例えば食事でもね
好きなものを食べる量を増やしたら欲が出る かといって今までと同じ水準で
同じ程度に同じ量でってやったら今度は飽きる
ブッダが言うところの 絶食したりね
っていうのは何かを変化させることによって例えば食事をとる
っていうか
好きなものを 食べるようにしたとしましょう
したらより好きなものを食べたくなる増やしたくなる もっと別の好きなものを食べたくなる
欲が人間を苦しめるんだという考えだけど
じゃあ一定の量を同じものを毎日食べてたら まあそれもね仏教的に言うとお坊さんやってることだからそれは修行のために
だけどこれはこれで
ブッダがね絶食したように
そうやって食事をとること自体 どんなに同じものを食べてても
飽きますから これは苦しみになるっていうね
そういう矛盾というかジレンマというかありますね あと
仏教では ブッダはこんなこと言ってるかわかんないけど
断食という考え方あるけど
これもクラゲの経験中わかるけど 何かを
断食すると欲が出るんですね もっとよりミニマルに
していきたいですね その方が楽だからっていうどんどん欲が出てくるんですね
物を捨てることの快感ってもあるし
だからそういう意味じゃ 断食っていうのは
苦しみを遠ざける行為とは 同意ような気もするんですよ
ちなみにさっきゼロはね
ゼロという実体はないという話しましたが 実は1,2,3,4,5という数字も概念でしかないんですよね
そういう意味でいくとさっき言った自分は存在しないし
自分が思っている存在しているもの 他にも何か存在していない
実体なんてない 人の目には見えてるけど 存在しているように見えてるけど
なんてものも他にもあるかもしれません
とにかく ブッダの教え
原始仏教以外は別だけど ブッダの教えを理解しようとするときに
何か自分の中では理解できない部分があったり 矛盾を感じても
一番ダメなのが都合よくとられること 多分こういうことだろうと
それは真摯な向き合い方ではないですし
矛盾があっても 矛盾があるとあるがままに見る それが大事なんですね
それを無理に自分なりの理屈で押し通そうとしない 理解しようとしない
そして 自分なりの理解の仕方して これが真相真理なんだと
そうやって真相真理を求めようとしない ことが大事なんですね
あと一番大事なのが お坊さんの話で聞いてたものが
俗世間の常識と照らし合わそうとしない あとは生活に生かそうとしない
かといって生活に何も生かせないんじゃないか
と諦めてしまわないことが大事ですね それではしたっけ