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あなたと他人は異なる世界を生きている
2026-09-05 13:21

あなたと他人は異なる世界を生きている

親の資産を隠して、貧しい暮らしをした古代インドの青年クンバゴーサカの物語を通して、他者と調和して生きる秘訣を探ります。


【目次】

オープニング

クンバゴーサカの物語

他者の視点を考えるクンバゴーサカ

クンバゴーサカを称えたブッダの詩『ダンマパダ24偈』

認識が世界をつくる

『スッタニパータ796偈』


【出典】

『ダンマパダ・アッタカター』及川真介訳

『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳



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【大忍貫道プロフィール】

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派僧侶。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは3千人を超える。

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サマリー

古代インドの青年クンバゴーサカの物語を通して、他者と調和して生きる秘訣を探ります。ペストで両親を亡くしたクンバゴーサカは、遺産を隠し、貧しい暮らしをしながらも、周囲の視点を考慮して慎重に行動しました。彼の賢明さは王の目に留まり、長者に任命されます。ブッダは、認識がそれぞれ異なる世界を構築するという教えを説き、自分の見解を絶対視せず、他者の視点を理解することの重要性を強調しました。

オープニングとクンバゴーサカの物語
自分と他人が同じ世界に生きているって思い込んでませんか? もし本当に同じ世界に生きているんであれば、
なんで人はそれぞれ価値観が違うんでしょうか? なんで意見はすれ違うんでしょうか?
今回は、古代インドを生きたある青年の物語を通して他者と協調して生きるとはどういうことなのか、
仏教的な知見にのっとってお話ししてみたいと思います。 今回の物語の主人公は、クンバゴーサカという資産家の息子です。
彼はラージャガハという古代インドの都に住んでおりまして、お父さんお母さんと3人で生活をしておりました。
しかし、ある時ラージャガハの都でペストが流行してしまいまして、お父さんお母さんが相次いで感染してしまう。
当時の人々はペストがどのように感染するのか、そのメカニズムはもちろん分かってなかったようなんですけれども、
でも経験則として物理的に距離が近いと感染する、これは分かってたようなんです。 だからペストが発生をすると、その場所から遠くに逃げることで生き延びることができると言われていました。
そこで感染したお父さんとお母さんは息子に涙を流しながら、あなたも知っているようにこの病気が発生をすると、すぐに遠くに逃げるものだけが生き延びることができます。
だから今すぐ逃げなさい。 私たちの資産はここの場所に埋めておきますから、生き延びて帰ってきたらその資産を掘り起こして生活をしなさい。
この両親の言葉を受けまして、クンバゴーサカは涙を流しながら故郷を後にします。
クンバゴーサカはこの後両親の言葉を守りまして、ある森に身を潜めて12年もの間その場所で生活をします。
そして故郷のペストが収束をしたのを見計らいまして故郷に12年ぶりに帰ってくる。
逃げ出した時には彼はまだ少年だったそうなんですけれども、12年も月日が経ちますともう大人です。
近所の人々はクンバゴーサカを見ても彼がクンバゴーサカであると気づきませんでした。
クンバゴーサカは両親の遺産を遺言の通りに掘り起こしまして手に入れるんですけれども、彼大変利口な人物なんですね。
街の人々は私がクンバゴーサカであると認識していない。
もしもその状態で遺産を使って生活をすれば、人々は貧しい男が資産を盗んだと思って私を捕らえるかもしれない。
そうならないために私は仕事をしてつつましい生活を送ろうと。
普通はこんなふうには考えられないと思うんです。
ほとんどの人はこれは両親が残してくれた遺産なんだから、自分が受け継いでそれで生活するのは当たり前だと考えます。
もし周囲から疑われたら、いや自分は間違ってませんよ、正当性を主張してそれが認められないと相手が悪いと不満を抱く。
でもクンバゴーサカはそうじゃなかったんですね。
もちろん彼は自分に正当な権利があることも知ってました。
でも自分に正当性があるというその視点だけで物事を見なかったんですね。
一歩引いて周囲の人から見れば、自分が突然資産を持っているのは不自然に移るんじゃなかろうか、ちゃんと考えられたんですね。
自分の立場だけじゃなくて人の立場からも状況を見つめることができた。
この客観性こそが彼の最大の利点なんです。
クンバゴーサカの仕事と王の調査
この後クンバゴーサカは質素な服を着まして仕事を探します。
古代インドの仕事って現代にはないような仕事がたくさんあったと思うんですけれども、その中の一つに眠っている人を朝になって起こすという仕事があったそうなんです。
現代の私たちは目覚まし時計とか、もっと言うともう携帯スマホで目覚ましができますから、そういうものを代用しながら朝起きるということを私たちはやっています。
でも古代インドはなかったので人力で朝人を起こすということをやってた。
これ私も実はやったことがありまして、前週の修行道場って目覚まし時計使わないんですね。
だから朝人を起こす担当の人がいましたよね。その人が毎朝4時ぐらいですけれども、
やりましたらこのお寺中を歩いて、練り歩きましてお坊さんたちを起こすという、そういう仕事がありました。
このクンバゴーサカはですね、ちゃんと仕事に就いた後は真面目にやりまして働いていくんですけれども、ある時このクンバゴーサカの声をラーチャカハの都を治めていた王様が耳にします。
王様は声を聞くだけでその人の立場とか地位がわかったっていうんですね。
このあたりはインドの特有の信仰みたいなものが入ってまして、王様っていうものも普通ではない人だから王様になれるんだっていう考え方があるんですね。
だから普通はですね、声聞くだけでその人相手のことがわかるってことはないんですけれども、
でも王様になるとそういう能力を備えているんだっていうこと、だからここではこういうことが言われています。
この王様はですね、クンバゴーサカの声聞きますとすぐに、この声は大富豪の声だと思いまして、すぐに使者を使わせてクンバゴーサカの調査をします。
でもクンバゴーサカの身なりとか生活、仕事を見てもどう考えてもどう見ても大富豪じゃないんですね。
貧しい様子なんです。
使者はその様子を何度も王様に報告するんですけれども、いやそんなわけがないって言って繰り返し調査をさせます。
でもやっぱりどれだけ調査をしてもクンバゴーサカは貧しい様子なんです。
そこで最終手段として王様は自分に仕えていた女性をスパイにしましてクンバゴーサカのもとに送り込みます。
なんでここまでやるのかっていうのは後でわかります。
女性はクンバゴーサカのところにスパイに入るんですけれども、いろんなやり方でクンバゴーサカの資産を調べようとしますが、なかなかクンバゴーサカは隙を見せないんです。
なので最終的には自分の娘をクンバゴーサカに訪かせまして、クンバゴーサカが油断をしている隙に周辺を調査して、ついに彼が資産を隠し持っているということを突き止めます。
突き止めたスパイの女性はそれを王様に報告しまして、王様はすぐにクンバゴーサカを宮殿に召喚します。
王様はクンバゴーサカを問い詰めるんですけれども、もうクンバゴーサカはこれ以上隠せませんから、自分が資産家の息子であるということをここで白状します。
なんであなたは資産家の息子なのにそれを隠して貧しい生活していたんですかって尋ねますと、その理由は先ほど言った通りですね、これ聞いて王様は感銘を受けるんですね。
この人はものすごく優秀じゃないかと思うんです。
そこでクンバゴーサカをセッティー、これ長者というふうに簡訳されるんですけれども、このセッティーの立場に任命をします。
この日本で長者って言ったらただのお金持ちみたいな、そういう意味合いですけれども、古代インドでは社会的な地位、一種の役職みたいな感じだったらしいんですね。
当時の古代インドっていうのは、すごく経済が発展をしている時期でして、その経済の発展に資産家が欠かせないってことは、王様たちは認識をちゃんと持ってたらしいんです。
だから国同士で資産家を融通し合うみたいなことがあったっていうのが経典にも載ってるんですけれども、そういうふうにですね、ちゃんと重要視をしているのでクンバゴーサカをちゃんと取り立てて、
セッティーの立場に置くってことをやったわけです。これが王様がクンバゴーサカをしつこく調査をしたわけなんですね。国のために経済のために彼が必要だったんです。
ブッダの教え:認識が世界を作る
王様はそんなクンバゴーサカをブッダに紹介をしまして、彼のこれまでの経緯を話して、いかにクンバゴーサカが優秀で慎重な男であるかを語ります。
ブッダはそんなクンバゴーサカを褒めまして、次の詩を唱えられました。
心は古いたち、思いつつましく、行いは清く、気をつけて行動し、自ら生し、法に従って生き、勤め励む人は名声が高まる。
認識が私の世界を作る。
ブッダはこういうふうに考えられました。
認識というのは、私たちの目や耳をはじめとする感覚器官が外界からの情報を受け取ることで生じます。
わかりやすく言うと、目が花、フラワーですね、これを捉えることで花という認識が生じる。
耳が鳥の声を捉えることで鳥という認識が生じる。
こういう認識を積み重ねることで私の世界が作られると。
そのように考えるのであれば、私たちが経験している世界は一人一人異なるということです。
例えば感覚器官の能力、視力は人によって様々ですね。
だから見えるものの鮮明さとか色が異なります。
住んでいる場所によってもそうですね、生じる認識異なっていきます。
日本に住んでいる私たちとブラジルに住んでいる人とでは、
普段から目にするニュースであったりとか日々起こる出来事が違いますね。
だから生じる認識が異なります。
さらには同じところに住んでいたとしても、交流する人々によって得られる情報、生じる認識は異なっていきます。
だからたとえ家族であってもそうで、
同じ家で暮らしている家族であっても、やっぱりそれぞれコミュニティ属しているものがありますから、
会社であるとか学校であるとか様々に違いますから、どうやっても得る情報はそれぞれ異なるんです。
だから条件の違いによって私たちが得る情報、生じる認識、これには大きな個人差が生じるということなんです。
よく自己統制に陥っている人を見て、自分の世界に入り込んでいると、こういうふうに揶揄することがありますけれども、
でもブッダに言わせると、私たちはみんなそれぞれの認識を通して、自分の世界を構築して、その中で生きているんです。
だからみんな自分の世界の中に浸って生きているんです。
ところが普段の私たち、ほとんどそのことを自覚していないですね。
おそらく多くの場面では頭から抜けています。
自分が見ているもの、自分が聞いたこと、自分が経験したこと、そういうものを元に構築した世界、
その構築した世界の価値観に基づいて私たちは判断を下しているんですけれども、でもそれを絶対視してしまうんです。
もうこの時点で他者の視点は変えてしまっているんですね。
百歩譲って自分が正しかったとしても、同じ前提とか価値観を共有していない人に、それを押し付けることでうまくいくことがあるんでしょうか。
他者を理解するための教え
仏教の最古の聖典の一つとされるスッタニパータっていうものに、ブッダの言葉として次のような教えが説かれています。
人はそれぞれの見解をこれこそが正しさ、真理だと固執して、他人の説を不完全だと見下す。
しかし、その正しさへの執着こそが争いを生むのである。
自分が正しいという思いを一旦脇に置いてみる、それは自分の考えを捨てるってわけじゃないんです。
自分の見ている世界がみんなと一緒じゃないってことをちゃんと理解することです。
その一歩が他者を理解するための余白を生んで、私たちが人とちゃんと足並みを揃えて生きていく、
大切な肝になってきます。
エンディングと支援のお願い
今回もご視聴いただきありがとうございました。
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それではまた来週お会いしましょう。
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