ブッダの出身部族、釈迦族は、その傲慢さが一族の滅亡を招きました。
プライドや欲求を押し通した末に残る「虚しさ」を深掘りします。
【目次】
ブッダがお釈迦様と呼ばれる理由
釈迦族滅亡の物語
僧侶が行くべきではない家
ダンマパダ第47偈
【参考文献】
ダンマパダ・アッタカター
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【大忍貫道プロフィール】
1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派僧侶。
尾張妙興寺僧堂にて修行。
2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。
SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。
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サマリー
仏陀の出身部族である釈迦族は、その傲慢さゆえに滅亡の道を辿りました。本エピソードでは、釈迦族滅亡の物語を通して、仏陀が説く生と死、そして人間の持つ「欲求」と「虚しさ」について深く掘り下げます。支援者との関係や、敬意に基づいた布施のあり方、そしてプライドや欲求を押し通した末に残る空虚さについて、ダンマパダの言葉を引用しながら解説します。
仏陀がお釈迦様と呼ばれる理由と釈迦族の傲慢さ
仏陀がお釈迦様と呼ばれる理由をご存知でしょうか? それは、仏陀が釈迦族という王族の出身だからです。
しかし、釈迦族というのは気ぐらいが高くて、大変傲慢な部族であったというふうに言われています。 そしてその傲慢さ故に、仏陀が老年に差し掛かる頃に滅亡をしてしまいます。
今回は、釈迦族滅亡の物語から、仏陀が考える生と死についてお話ししたいと思います。
王と僧侶の関係:支援と信頼
日本では、支援者のことを谷町というふうに呼びますよね。 明治時代から大正時代にかけて、大阪谷町に住んでた裕福な司会の方が力士のファンでして、
彼らの怪我を無料で治療したりとか、また食事とかそういうものを支援してたと。 そういうところから呼ばれるようになった谷町と。
仏陀にも谷町のような支援者が数多くおられたんですけれども、 その中にコウサラという国の国王がおられまして、パセーナリーと言うんですけれども、
仏陀の同時代の同年代の人で、晩年まで仏陀と信仰を保ち続けました。 そんな王との信仰の始まりから今回の物語は始まります。
ある時、パセーナリー王は宮殿のテラスから通りを眺めていると、 数千人の仏教のお坊さんたちが歩いていく様子を目にします。
一体何をしているのだろうと。家臣に尋ねますと、 彼らには多くの支援者がおり、今から支援者に招かれて食事に向かうところですと。
このように聞いた王は、自分も支援者になりたいとお願いまして、 お坊さんたちを定期的に宮殿に招いて食事を提供したいと、この旨を仏陀に願い出て許可を得ます。
最初のうちは、王は自ら丁寧にお坊さんたちを接待しましたが、 次第に接待がおろそかになっていきます。
これはまあよくあることですね。最初は気合が入っているからやるんですけれども、 だんだんと慣れていくとその気持ち、熱意が失われていってしまう。
それによって次第にお坊さんたちの足が遠のくようになりまして、 やがて誰も来ないようになりました。
王はそのことを大変不満に思い、仏陀に抗議します。 すると仏陀は、あなたは私の弟子たちの信頼を失いました。
だからみんな宮殿に足を運ばないようになったのですと、こう述べられた。 そして次の条件に該当する家には、お坊さんは足を運ぶべきじゃないと、
9つの条件を挙げます。 1つ、
僧侶を心よく迎え入れない。 2つ、僧侶に敬礼しない。
3つ、僧侶を席に座らせない。
4つ、財産を隠す。 5つ、財産があるのに少ししか施さない。
6つ、上等なものがあるのに粗末なものしか与えない。 7つ、僧侶に無礼な態度で接する。
8つ、教えを聞くために近くに座らない。 9つ、
説法を聞こうとしない。 要するに敬意を持ってない家には、
行くべきじゃないと仏陀は言われてるんですね。 よく間違えられるんですけども、仏教のお坊さんっていうのは
物語じゃないんですね。お坊さんっていうのは、哀れに思われてお伏せをしてもらうんじゃなくて、尊敬をしてもらってるからお伏せをもらうっていう風な、
そういう原理があるんですね。 例えば、ノーベル賞を受賞された研究者の方に寄付するとき、
哀れに思って寄付しないですよね。 自分にできない、世の中のために素晴らしいことをやってるんだと、そういう敬意から寄付という行いに繋がっていきますよね。
それと同じで、仏陀もお伏せ、仏教に対する支援というのは、敬意から行われるものなんだと、こういう風に考えておられるんです。
だから、それを損なうような行いは自分たちもしちゃいけないし、許容もしないんだということ、これを強くここで宣言されてるんですね。
釈迦族の策略とビドゥーダバ王子の誕生
自尊心を損なう相手とは関わらない、誇り高くなきゃいけないんだよってことを仏陀は言われてるんです。
このような仏陀の主張を聞いた王は、どうしたら自分が仏陀たちの信頼を勝ち取ることができるだろうかと、
思案します。その結果、仏陀の親戚を妻に迎えることを思いつきます。
なんかね、そうはならないんじゃないかと。
いや、接待を怠ったから、信頼を損ねたんだから、接待をちゃんとすればいいんじゃないかっていうふうに思うんですけれども、そうならないんですね。
これは、種族とか血縁を重視する古代インド社会だと、そういう発想になるのかなとも思うんですけれども、王は早速使者を立てまして、釈迦族にお宅の一族の女性を妻に迎え入れたいんですけれども、そういう旨を伝えます。
それを受けて、釈迦族の人々は協議をします。
釈迦族っていうのは王族ではあるんですけど、絶対君主制じゃなくて、合議制、話し合いで決めるんです、物事を。
釈迦族にとって、このコウサラ国は敵国になるんですけど、自分たちより強いんですね。
だから断ったら自分たちが滅ぼされる恐れがあること、これもちゃんと自覚してます。
でも彼らは自分の家柄、すごく誇りに思ってまして、コウサラ国のパセナディ王よりも自分たちの家柄の方が上だと辞任をしていました。
あそこで、このブッダのいとこにマハーナーマという人がいるんですが、そのマハーナーマの奴隷の娘を王族の娘と、マハーナーマの娘と偽ってパセナディ王に訪かせるということにするんですね。
このあたりでも危ない橋を渡っている匂いがプンプンします。
無事にパセナディ王の下に奴隷の娘や訪きまして、二人の間にはビドゥーダバという名前の息子が生まれます。
王はブッダと同じ血縁にあたる息子の誕生を喜びまして、息子に王子の地位を与えます。
この息子以外にも王子たくさんいるんですね。妻がたくさんいますから。だから息子も王子もたくさんいるんですけれども、その中でちゃんと王位に就くような、そういう立場に置くんですね。
このビドゥーダバが7歳になった頃に、他の王子たちが祖父母から贈り物を受け取っているのを見て、なんで自分には母の実家から贈り物が来ないんだろうかと不審に思います。
それで母に尋ねますと、まあ母は言えないんですね。
釈迦族はビドゥーダバ王子のことを見下してますから、奴隷の息子だと思ってますから、贈り物とかしないんです。
お母さんそれをちゃんとわかってますから言えないではぐらかすんですけれども、それもやがて限界が訪れまして、
ついにビドゥーダバ王子は釈迦族のもとに訪問をすることになりました。
王子は釈迦族の地元に着きますと、会う人会う人に礼拝をしまして、定調に振る舞うんですけれども、でも気が付くと自分だけが礼拝をしてて、
釈迦族の人々は全然礼拝を自分に返してくれてない、そのことに気づくんですね。
礼拝をしたら礼拝で返す、これが王族同士の一般的なスタイルだったのかなと思うんですが、
ビドゥーダバ王子はそれされないから不可解に思うんですけれども、まあまあまあまあまあいいかということで釈迦族の人々のもとで数日間を過ごします。
そろそろ帰ろうかという時になってビドゥーダバ王子は一緒に来た家臣たちと起路に着くんですけれども、
家臣の一人が忘れ物をしまして釈迦族のもとに戻ります。
するとある奴隷の女性がビドゥーダバ王子が座ってた席を洗いながら、
ここは奴隷娘の息子ビドゥーダバが座ってた場所だと軽蔑した様子で呟いた、それを目撃します。
これによってついに釈迦族が王族の娘と偽って奴隷の娘を差し出していたことが発覚をします。
このことにビドゥーダバ王子は激しい怒りを覚えまして、
自分が王位についた時には釈迦族を滅亡させてやろうと決意します。
仏陀の説得と釈迦族の滅亡
そこから時が経ちましてビドゥーダバはついに王位につきます。
王位についたビドゥーダバは責念の恨みを果たすべく釈迦族を滅亡させるために大軍を率いて遠征します。
そのビドゥーダバの気持ちを知ったブッダは釈迦族の人々を守ろうと思って故郷に向かう。
そして故郷の目の前に生えている葉のまばらな木の木陰に腰を下ろします。
釈迦族を滅ぼすために遠征してきたビドゥーダバはブッダの姿を見て
孫子よと、今日未来に暑い日にどうしてこのような貧相な木の木陰に座っておられるのでしょうか。
もっと葉の茂った木の木陰にお座りください。
これ貧相な木というのは釈迦族のことです。
葉の茂った木というのはおそらく釈迦族でしょうね。
つまり釈迦族のような人たちにつくのはもうおやめくださいと。
私たちについてくださいよとこういうことをビドゥーダバは言っているんですね。
それに対してブッダは親族という木陰は涼しいものですと答えられます。
確かにあなたの言うように釈迦族は小さな部族で力もないと。
でもそんな親族であってもいる方が私の気持ちは涼しくなる軽やかになるんですよとこういうふうにブッダは言われるんですね。
このブッダの言葉を受け取ったビドゥーダバはああそうかと確かにブッダがそうおっしゃるんだったらそうだなということで
一旦復讐を思いとどまります。
でもこの気持ちを抑えられないんですね。
また復讐やっぱりしようと思って遠征する。
でまたブッダ止める。
でまた復讐しようと思う。
でまたブッダ止めると。
これを3回繰り返します。
そして4回目また遠征をする。
その時にはブッダももう諦めます。
これはもう無理だなと。
そしてビドゥーダバ王子は釈迦族に攻撃を仕掛ける。
その中でも義理とはいえども祖父にあたるマハーナーマの一族に限っては命を助けようということで助ける。
で捕虜になったマハーナーマにビドゥーダバはおじいさんと一緒に食事をしませんかというふうに提案します。
しかしマハーナーマはビドゥーダバが奴隷娘の息子であるということを嫌がりまして
奴隷の息子と一緒に食事はできないと嫌だと。
でもそれを嫌がれば命はないだろうと殺されてしまう。
殺されるくらいなら自分で命を断とうとそう決意しまして
ちょっと湖に食事の前に手を洗いに行かせてくれと言って
そこで入水自殺をしてしまいます。
その晩その土地には大雨が降りまして洪水が起こります。
残されたビドゥーダバとその軍隊はみんな洪水に巻き込まれてその犠牲になって亡くなってしまいました。
欲求を押し通す人生の虚しさ
人生には虚しさがあります。
みんなそれぞれ自分たちの欲求を満たしてそれを叶えるために癒やしくなり他人を傷つけて時には命を奪ってしまう。
でもそんなことをしていても結局は命は尽きてしまう。
それをブッダは次の詩で表現されています。
花を摘むのに夢中になっている人を死がさらっていくように眠っている村を洪水が押し流していくように。
結果を見てもらいたいんですけれどもそれぞれの欲求とかプライドとかそういうものを押し通そうと傷つけあって争った。
でもそれにもかかわらず何にもなってないんですね。
死という最後の時点から見たら誰も何も得てないんです。
じゃあ何をしてたのかと。何だったのかと。
欲求を押し通す人生の最後はそういう虚しさがあるんです。
だからブッダはもうおやめなさいよと。
自分の欲求を押し通そうとしても何も生み出しませんよということを最後に言われるわけですね。
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この話が少しでも皆さんのためになれば幸いでございます。
それではまた来週お会いしましょう。
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