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2026-02-21 17:23

【仏滅後の仏教編#1】なぜ仏教は分かれたのか?「仏滅後」から始まる仏教組織の物語

▼今週のトピック


新連載ブッダなきあとの仏教始動/


仏式葬儀のルーツはブッダの供養/


弟子を待って火がついた火葬の謎/


ブッダの後継者はマハーカッサパ?/


寿司のシャリの語源はブッダの骨/


聖遺物を奪い合う、王たちの争奪戦/


名古屋・日泰寺に眠る本物の仏舎利/


108発の花火!仏舎利来日の興奮/


仏教が生き物を供えない深い理由/


修行中もやめられない、僧侶の音楽愛


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▼パーソナリティ:大忍貫道

1987年生まれ。福岡県出身。花園大学文学部卒。尾張妙興寺僧堂にて修行。現在は九州内の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

サマリー

本シリーズでは、仏陀亡き後の仏教組織がどのように形成されていったのかを紐解きます。仏陀の葬儀は現代の仏式葬儀の起源となり、遺骨を巡る争奪戦を経て八つに分骨されました。その一部は日本にもたらされ、熱狂的な歓迎を受けました。また、葬儀で用いられる香、花、楽器についても、仏教の教えや歴史的背景を踏まえて解説します。仏教が生き物でないものを供え物とする理由や、僧侶と音楽の関係性についても触れます。

仏滅後の仏教組織の多様性とその起源
かんどう和尚のはじめての仏教.今回から新シリーズ、仏陀無き後の仏教組織がどのようになっていったのかを語る
仏滅後の仏教をお送りしていきます。 現代の日本の仏教を眺めても、一口に仏教と言いますけど、いろんな宗派がありますよね。
浄土神宗さんに、浄土宗さんもありますね。 われわれ禅宗系だと、私が所属している臨済宗であったり、
また、曹洞宗さんもありますね。 さらには、これは禅宗ではないですけれども、密教系で神言宗があったり、また天台宗さんもありますね。
言い出したらキリがないので、ここでやめるんですけれども、本当に多くの宗派が存在をしています。 なんでこんなふうにたくさんの宗派、もう一つの仏教って言いながらも、いろんなグループに分かれているのか、
それが今回のシリーズをお聞きいただければ、お分かりいただけるようになると思います。
仏陀の葬儀と現代仏式葬儀のルーツ
前回のシリーズでは、ブッダが亡くなるところまでお話ししました。 ブッダが亡くなるときっていうのは、最後は月人であったアーナンダ尊者に加えて、
アヌルッタ尊者というお坊さんも一緒におられたんですけれども、このアヌルッタさんについては、以前アフタートークでお話ししたことがありますね。
修行のやりすぎで目が不自由になったという方です。 この二人がブッダを最後見取られました。
夜が明けますとアーナンダ尊者は、クシナーラーに住むマンラ族と、このクシナーラーという土地で亡くなってますね。
そこの仏族であるマンラ族という人たちに、ブッダがお亡くなりになられましたよということを告げに行きます。
そしてブッダの死を知ったマンラ族の人々は、ブッダのためにお香と花輪、フラワーの輪ですね、それと楽器を集めて供養をします。
これ現在でも仏式の葬儀において使われてますよね。
実はこのブッダの葬儀こそが、私たちの現代の仏式の葬儀の由来、オリジンになっています。
マハーカッサパと火葬の謎
このようにマンラ族の人々は、ブッダの遺体を6日間に渡って供養をして、7日目にようやくダビニフス、火葬することにします。
しかし全く火がつかないんですね。
ちょうどそのタイミングで、マハアカッサバ長老という、この方はブッダの獣大弟子の一人に数えられるんですけれども、この人はまた別の場所にいたんです。
串縄に至る道の途中で休憩をしてたんだと。
その時に、串縄の方から一輪の花を持った男性が歩いてくるのを目にします。
それでこの男性に、私の師匠ってブッダって言うんですけど、知ってますかって尋ねると、この男性が、知ってますよって。
でもブッダは先般亡くなりましたよって。
私はそこのお葬式亡くなった場所に行って、この花をもらいましたと。
こういうふうに答えられたことで、初めてマハアカッサバ長老は、あ、ブッダはもう亡くなってしまったんだって知るんですね。
そこから串縄のところに行くんですけれども、さっきちょっと言い忘れましたけど、マハアカッサバ長老って実は禅宗系ではすごく有名なんですよ。
なんで有名かというと、この禅宗ではマハアカッサバ長老はブッダの後継ぎなんだっていうふうに伝承されてるんですね。
ただこれは初期の仏典にはそういう話に載ってないんですよ。
しかもブッダ自身、これ前回のシリーズの最後でも言いましたけども、自分が亡くなった後は法と、法っていうのはブッダの教えですね。
そして律、これはブッダが定めた規則、これを師匠としなさいと、自分の代わりにしなさいっていうふうに伝えられているので、
だからマハアカッサバ長老に後を託しますよとかは、少なくとも初期の仏典では言ってないんですね。
ただ言ってないんですけれども、この後ブッダの弟子たちの中では彼がリーダー格になって話を進めていくことになるので、このマハアカッサバ長老はすごく大事なキーパーソンになります。
このブッダの師を知ったマハアカッサバ長老は急いでブッダの元に向かって到着すると、うやうやしくブッダの遺体の前で来拝をします。
するとそれまで一向に火がつかなかった遺体に火がついて、ブッダは無事に火葬されました。
まるでマハアカッサバ長老を待ってたかのようなんですけれども、このあたりは何か後世の意図を感じるところもありますね。
仏舎利(お骨)の争奪戦とその意味
ブッダの遺体は火葬されると当然ですけど、お骨が残りました。
このお骨の言葉を古代インド語の一つパーリ語っていう言語ではサリーラっていうふうに言います。
前のシリーズの5話目でも少し触れましたね。
古代インド語ってたくさんあるんですよ。
また今のインド語もたくさんあるんですけれども、その中で仏教に名残が一番深いのがパーリ語と、あともう一つがサンスクリット語って言います。
このサンスクリット語ではサリーラっていうのはシャリーラっていうふうに言うんですね。
だからブッダのお骨のことをブッシャリっていうふうに呼ぶんです。
これはブッダのシャリーラだからブッシャリなんですね。
ちなみにお寿司のご飯のことをシャリって言いますね。
これもここに由来しています。
このブッシャリをめぐってブッダにゆかりのある部族が所有権を主張して争いに発展をします。
なんで争いになるのかっていうと、一つはブッダを尊敬していたからです。
これもすごく大きな理由ですね。
でももう一つはこちらの方が理由としては大きいのかなと思うんですけれども、以前もお話ししたことありますけど、
ブッダのお骨ってただのお骨じゃないんですね。
この古代インドにおいては、悟った人のお骨っていうのは信仰対象なんです。
それを拝んだり供養することによって、自分の未来に対して好ましい加法がもたらされるって信仰されてたんですね。
だからブッダ自身も自分が亡くなった後はお骨を埋葬して、その上に建造物、ストーパーって言いますけれども、これを建てなさいって言われてるんですね。
だからそういうものを自分たちの住んでるところに建てたいっていう思いをそれぞれの部族の人たちは思ってるんです。
必ず自分の未来に好ましい加法がもたらされるわけです。供養すれば。
だからこれは未来への投資なんですね。
元本保証されてたらもうすごくいいですけど、それ以上100%利益の上げられる投資なんですね。
しかもその投資はやればやる分利益が大きくなるわけなので、そうなると自分たちの近くにあったほうがいいわけですよ。
それでみんな自分たちの近くに、自分たちの地元にこれを混流したいと思って争いが始まるということなんですね。
ここに集まった所有権を主張した人たちっていうのは、ただの一般庶民ではなくて各地の王様とか部族の長たちなんですね。
そういう人たちが自分の場所に欲しがっているわけですから、これ現代に置き換えると地方の自治体がカジノの誘致でちょっと一時期やりましたよね。
いろいろどこに誘致するかって。あれはやっぱりそういうのを自分たちの場所に誘致すると潤うわけですよ。
その地元が。そういう思いでみんな誘致してるんですけれども、それと一緒ですね。
ブッダのおこすを自分たちの自分とに誘致することによって自分たちの住んでいる人たちが裕福になるんだって、こういうふうに思っているので欲しがったっていうことなんです。
どの部族も譲りません。それで一触即発の状態に陥ったらしいんですけれども、それを見兼ねたどうなっていうバラモン。
シャリ八分と日本への仏舎利伝来
これは司祭階級の人、仏教徒ではないらしいんですけれども、この人が仲裁に入ってくれて、もう一つのおこすだったら争っちゃうから、これ分けたらいいやないかってことで、
八等分、八つに分けましょうってことで話がつきます。これをおこつ、シャリーラを八つに分けたってことで、シャリ八分というふうに我々は呼んでいます。
実はこの時に分けられたおこつの一部って日本に今あるんですよ。その場所が名古屋市にある格王山日大寺というところです。ここに収められています。
なんで日大寺に収められているか、これ余談になるんですけど、せっかくなのでちょっとお話ししますね。
話はブッダが亡くなった時まで遡るんですけども、ブッダの遺骨はブッダの出身の仏族であったシャーギャ族という仏族にも分けられるんです。
ただ、やがてインドの地においては仏教は滅亡してしまうので、近代になるまでブッダのおこつがどこに埋められているか、そしてそのシャーギャ族っていうのはどこにいたのか、住んでたのか、その所在地も分からなくなっていました。
しかしインドにイギリス人をはじめとするヨーロッパの人々が進出するようになってから、ブッダの存在が脚光を浴びるようになります。
そして次々にブッダゆかりの場所が発掘をされるんですね。
そういう経緯の中で、19世紀の末にピプラーバーという地において、イギリス人入植者であったウィリアムペッペっていう人が、このシャリ八分の一つとみられるシャーギャ族が埋葬した遺骨を発掘をするんですね。
その遺骨はその後、タイの王室、仏教国ということでタイ王室に与えられたんですけれども、そのタイ王室に与えられたものの一部を、当時のインド皇子であった日本人の稲垣万次郎という人が王室に掛け合いましてもらうんですね。
それを日本に持ってきたっていう話なんです。
ただ話はこんなにシンプルではなくて、なんでシンプルじゃないかというと、冒頭で私が申し上げたように、
仏舎利来日と熱狂的な歓迎
日本の仏教って実に多くの宗派が存在しますよね。
これで揉めるんです。
どこに暗示するのかという問題ですね。
各宗派の代表が集まって会議をするんですね。
既存の宗派のお寺に作るってなると、これはもう不公平だろうと、もうどこかの宗派のものってなっちゃうだろうと。
だからどこの宗派でもない、新たに超宗派のお寺を作って、そこに埋葬しようという計画が立つんです。
そういう計画を立てているうちに、ぶっしゃりが日本に到着しちゃうんですね。
まだ決まってないのに話が。
着いた場所っていうのは長崎です。
長崎の港はですね、このお骨が船で着くわけですけれども、大熱狂で迎えられるんですね、お骨が。
出迎えの人が数千人に登って、みんなで合唱して、この仏陀のお骨をお迎えしたというふうに言われています。
そこから特別列車で長崎から京都に遺骨は向かうんです。
この沿道は大雨だったらしいんですけれども、群衆であふれかえって、誰もがこの仏陀のお骨を見たいと。
見えないけれども、仏陀のお骨が乗っている電車というものを拝みたいということで、人がもうあふれるんですね。
中にはお祭銭を投げる人とかもたくさんいたというふうに言われています。
京都にはですね、すぐに直行ではなくて、一旦大阪に泊まるんですね。
なんで大阪かというと、大阪には四天王寺がありますね。
四天王寺というのは聖徳太子が婚留したお寺になっています。
この聖徳太子は日本の仏教にとっては日本仏教の父にあたる人なので、そこで四天王寺で聖徳太子に対して仏陀のお骨が日本に到着しましたよということをお知らせする、そういうお務めをやるんです。
それが終わって、また電車に乗って京都に向かいます。
京都駅到着した時にはすごいんですよ。
108発の花火が上がるんですね。
よく序谷の神で108発つきますけれども、序谷の神じゃなくて花火がここで上がるんです。
そして京都中のお寺が一斉に鐘をつくんですね。
すごい景色だったと思いますよ。
これちょっとその場で見てみたかったですね。
そしてここからどこに仏舎利を安置するかということで瞑想が始まるんですね。
このドタバタ劇はちょっと今回は話に関係がないので割愛するんですけれども、なんとか収束して現在の名古屋市の格王山日帯寺に収められるんですね。
これ今でも見れます。
拝めます。
ちょっと近くには寄れないんですけれどもね、ただ拝むことができますので、ぜひ皆さん機会があったらお参りいただきたいなというふうに思います。
葬儀で用いられる香、花、楽器の由来
これで大パリニッパーナ教はおしまいになるんですけれども、実はこの続きとなる物語が別の書物で描かれるんですね。
そしてそこでアーナンダ尊者がマハアカッサバ長老に叱責をされるんです。
次回はそのお話をご紹介したいと思います。
ここからはアフタートークです。
今回はいい機会になるので、お葬式に使われてたお香と花輪と楽器について深掘りしたいと思います。
まずお香ですね。
お香っていうのは元々はインドに進出したアーリア人の種族であったって言われてて、最初は体臭を消す臭いですね。
体の臭いを消す目的で用途で使われてたって考えられています。
アーリア人というのは今から3500年ほど前にインドに進出してきた集団のことですね。
詳細は仏教誕生前編の第1話でお話ししていますので、お聞きいただければなと思うんですけれども、
そのように使われ出したお香がだんだんと使い方が転用されていく、違う使い方をされていくようになるんですね。
他者に対して良い香りを捧げることで自分のその人への敬意を表すっていう使い方をされるんです。
今でもインドの地方においてはお客さんを家に招くと、その家の一番良い香水を振りかけて歓迎の意を示すっていうところがあるそうです。
このブッダのご遺体に対してお香を用いたっていうのはそういうところなんですね。
私たちが亡くなった方にお線香をあげたり、香香をするっていうのもそういうふうに自分の敬意を表すためなんです。
次に花はですね、フラワー。
仏教のお供え物って花とか果物とか、あと精進料理のお膳とか、それぞれ種類の違うものに見えて統一感がないようにも映るんですけど、実は一つだけ共通点があるんです。
それは生き物ではないものを使っているってところなんですね。
いや、花は生き物じゃないかって言われるかもしれませんけど、古代インドの仏教では花は生き物ではないって判断をしてました。
では、なぜ生き物じゃないものをお供えするのかっていうと、それはブッダのポリシーだからです。
実際に仏殿に出てくるんですけれども、ブッダの時代のインドっていうのは、現代のヒンズー教の源流になっているバラモン教っていうのがマジョリティなんです。
このバラモン教では神様にお供えをするために、多くの動物を殺してお供えをしていたって言われています。
数はですね、数百とか数千頭にも昇るっていうふうに仏殿には書いてあるんですけれども、
屠殺する日になったら、殺される動物たちの悲鳴が町中に響き渡って、そしてもうそれやっぱり聞くの嫌ですよね。
住民たちは恐怖してたって言うんですね。
それを目にしたブッダは、いやそれはおかしいだろうって、仏教ではこういう生き物じゃないものをお供えしようよっていうふうになるんですね。
これが仏教が今でも生き物じゃないものをお供えするっていう根拠になっています。
3つ目が楽器ですね。
これはちょっとね、楽器というか音楽って話になってくると、仏教では扱いが難しくて、もともと仏教は原則として歌とか音楽とか演劇も干渉するっていうことはお坊さんは禁じられてたんですね。
仏教自体でも正直推奨されてないんです。
なんで推奨されてないかっていうと、これ瞑想とか座禅とかしている方はお分かりいただけるかなと思うんですけど、
音楽ってね、やっぱりすごく印象的なので出てくるんです。
頭に浮かんじゃうんです、メロディーとかが。
加えてエモーショナルでしょ。
だから心が動いちゃうんですね。
ブレてしまう。これはやっぱり仏教的にはあんまり好ましくないことですよね。
それでも仏教は音楽っていうものに近づくんですね。
日本の画学も、もともとは仏教の法要で用いられたものがルーツって言われますし、
今でもお寺とかでは護衛歌って言って歌をあげますね。
あとは節をつけてお経を読むっていう称名、これ護衛歌のルーツになってますけれども、
こういうもの、これはもともとバラモン教でやってたっていうものを仏教が取り入れたって言われてるんですね。
面白いのが古代インドの僧院では、この称名の練習をお坊さんたちが熱心にやってたらしいんですけど、
それをちょっと見るに見かねた信者の方から、いつからお寺は音楽室になったんですかって
クレームを入れられているんですね。
それでも辞めるってならないんですよ。
こっそりやりましょうって言って、人目につかないところでやったっていうふうなことが書いてあるんです。
そういうところからわかるように、音楽っていうのは仏教とかの話以前に人間と相性がいいんだと思うんですね。
これがお坊と花輪と楽器についての仏教にまつわるお話でございました。
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それではまた次回お会いしましょう。
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