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なぜお盆は「15日」なのか?インドと中国の文化の融合
2026-08-08 13:20

なぜお盆は「15日」なのか?インドと中国の文化の融合

お盆が7月・8月にある理由や、その語源となった仏教行事「解夏」の物語を解説します。


【目次】

七月盆と八月盆の違い

お盆のルーツ

盂蘭盆経の物語

与えることの意味

与える人が成功するワケ


【出典】

解夏 さだまさし

盂蘭盆経

ギブアンドテイク アダム・グラント


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【大忍貫道プロフィール】

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派僧侶。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。

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サマリー

お盆が7月と8月の地域があるのは、明治時代の暦の変更が理由です。お盆の語源は、インドの雨季に修行僧に食事を施す習慣「解夏」と、それを説いた「盂蘭盆経」の物語に由来します。他者に与える「ダーナ」の行為は、仏教では幸福や成功につながるとされ、現代の心理学でも「ギバー」が最も成功すると論じられています。

七月盆と八月盆の違い
もうすぐお盆ですね。我々僧侶にとっては、一年で一番気合を入れないといけない季節になってくるんですけれども、
ここでちょっと皆さんに質問です。 なんで7月盆の地域と8月盆の地域があるんでしょうか。
もうこれ答え言ってしまいますね。これは明治時代に旧暦から新暦に変わったからです。
いわゆるグレゴリオ暦ですね。 もともと旧暦では7月の15日がお盆だったんですけれども、
そのまま新暦でも7月15日にしてしまうと、季節が約1ヶ月早まってしまうんです。
それで多くの地域では旧暦のお盆の季節感を残すために、新暦の8月15日にお盆を行うようになったんです。
これが8月盆、だから月遅れ盆というふうに呼んだりしますね。
一方、新暦の7月15日で行う地域、それはそのまま旧暦の日にちというものを重視したということですね。
これが7月盆として現在も残っているということです。 そういうことなのかと納得されるかなと思うんですけれども、
お盆のルーツと語源
ここで一つ大事な疑問が残りませんか。 そもそもなんでお盆は7月15日だったのかというところです。
実はその理由を知るとお盆の本質がわかるんです。 今回はお盆のルーツとお盆に込められた本当のテーマについて、
仏教の物語を通してお話ししたいと思います。 佐田雅史さんの小説にゲゲという作品がありまして、
これは大沢孝夫さんが主演で映画化もされたものになるんですけれども、 このゲゲという言葉、これは仏教に由来する言葉ってご存知ですか。
これどういう意味かというと、修行期間が空けることをゲゲというふうに言うんです。 これは仏陀の時代まで遡る話になるんですけれども、
インドっていうのはスコールがありますから、このスコールの季節になりますと当然のことながら草木が大変伸びるんです。
草木が伸びると、その草木の中に虫とかが潜むようになるんですね。
そういう上を歩いてしまうと、摂生を犯してしまうことになってしまう。 だからこの仏陀の時代にですね、このスコールの時期はお坊さんは遊行をしない。
遊行っていうのは出歩かないということですね。いろいろなところに修行しに行くってことをね、やってたんですけれども、それもせずに
一箇所に定住するっていうことをやるようになったんです。 この期間が空ける、これが大体3ヶ月ぐらいなんですけれども、この期間が空けることをゲゲというふうに呼ぶんです。
このゲゲの時になりますと、一つの習わしがありまして、それは仏教信者の人々がお寺に集まって、そしてお坊さんたちに食事とか衣とか日用品、
そういうものを寄進するという習慣です。 寄進する時ってやっぱり手渡しはダメなので、器に入れるわけですね。
この器を東アジアではボンというわけですね。 これがお盆という名所の由来なんです。
つまりお盆っていうのは、もともとはゲゲの時にお坊さんに信者の方々が食事とかを提供する、寄進する、そういう習慣だったということなんです。
盂蘭盆経の物語と中国文化
で、このお盆の習慣が仏教が中国に伝わりますと、その由来を説いたウラボン教というお経が中国では大人気になります。
これ簡単に言うと以下のようなストーリーになってまして、ブッダの弟子に神通力に巧みなモッカラーナ尊者という方がおられまして、
神通力っていうのは、現代の日本語で言うと超能力みたいな感じですね。 古代インドにおいては、
そういう我々日本人からするとファンタジーに見えるような世界観っていうのが、現実の世界と境目なく行ったり来たりするような、そういう世界観。
今もインドも多分近いんじゃないかなと思うんですけれどもね。 インド映画とか見ますとみんな空飛びますからね。そういう世界観がインドあります。
そういう中で神通力に巧みなお坊さんがブッダの弟子にいたんだと、それがモッカラーナ尊者なんだということです。
このモッカラーナ尊者が亡くなった自分のお母さんがどのような世界に生まれ変わったのかっていうのを、この神通力を使って覗き見るんです。
そうしますと亡くなったお母さんは、木が植えですね。植えに苦しむガキとなっていたと。植えた鬼と書いてガキと言うんですけど、そういう境遇があるんですね。
そういう存在となって生まれ変わっていたと。このことにモッカラーナ尊者は大変心を痛めます。
どうにかしてお母さんを救いたいと思ってブッダに相談しますと、ゲゲの日に大勢のお坊さんたちに食事を供養しなさいと。
そうすればあなたのお母さんは救われますよと。こう助言を受ける。
そしてその通りに実行したところ、無事にお母さんは飢餓の苦しみから逃れることができましたと。
中国は孝をときますね。親孝行の孝。だからものすごく受けたそうなんですね。
これが元で芝居になっていきまして、中国演劇の源流になったと。こんな風にも言われているそうなんですけれども。
この中国っていう土地では道教、道の教えと書いて道教ですね。こういう信仰がありまして、この中では忠言という時期に祖先が家に帰ってくるのでおもてなしをするという習わしがありまして、これがお忠言のルーツなんです。
今日本においてもですね、お忠言という風習残ってますね。これはもともとは先祖にお供えをする習慣から来ている。
構図的には尊敬する相手に贈り物をするということですね。これがお忠言というものになったんだと、現代のですね。
このお忠言の時期というのが7月15日前後なんです。これと仏教のお盆の習慣が混じり合って日本に伝えられたと考えられているんです。
与えることの重要性「ダーナ」
この2つの習慣って一見すると異なるもの、別々のもののように映るんですけれども、でも神話性があるから混ざり合っているんです。
じゃあその神話性、共通するものは何なのかっていうと、それは与えるという行為です。
この与えるという行為は仏教では取り分け重視されてまして、古代インド語の俗語、パーリ語ではダーナという風に言います。
これね、英語のドネーションとか、あとドナーという言葉と語源を共有してます。
このダーナという言葉が簡訳されますと、伏せと、お伏せとなるんですね。
だから伏せっていうのは謝礼とかね、そういう意味合いで現代の日本の方は使っておられますけれども、本来はそうじゃなくて、与える、贈与、寄付するっていう意味なんですね。
なんで仏教ではこの与えるということが重視されるのかと言いますと、それは与えることが人生を幸福にすると、こういう風に確信されてるからです。
ちょっと分かりづらいと思うんですけれども、一つ信仰の面から言うと、他者に与えるということによって、自分の来世の境遇が幸福なものになると、こう考えられてます。
これ現代でも仏教の信仰されてる地域だと、やっぱりそういう風に考えられてまして、東南アジアの仏教国とかに行きますと、やっぱり皆さんそれを常識として捉えておられます。
でも信仰の面だけではなくて、実際に他者にいろいろなものを与えることによって、そういう人たちが社会生活において成功しているというのを仏陀は見ておられるんです。
だから他者に与えるということを推奨されるんですね。そのことで実生活が豊かになりますよと。
よく知られるところですと、アナータ・ピンディカ長者という方がおられまして、この方本名はスダッタって言うんです。
なんでアナータ・ピンディカって呼ばれていたかと言いますと、この方のライフワークとして身寄りのない人に対して食事を施すということをされてたんですね。
現代で言うとホームレスの方々に炊き出しをするみたいな、こういうことを日々されているお金持ちの方だったと。
そのインド語ではですね、身寄りのない人に施しをするっていうのをアナータ・ピンディカって言うんです。
そのまんまですけれどもね、だからそれが一つのあだ名となって呼び名となっていったという、そういう貴族な方なんですね。
有名な擬音精舎っていうものがありますけれども、この擬音精舎を混流したのもこのアナータ・ピンディカ長者になっています。
この擬音精舎って正式名称がギジュ・ギッコ独演精舎というふうに言うんですけれども、このギッコ独っていうのがアナータ・ピンディカっていう名前を簡訳したものになっています。
ギバーが成功する理由
ではなぜ与える人は成功するのか。
それを行動科学の理論と実証研究により開設された本がありまして、これがギブアンドテイクという本になる。
すごくいいタイトル、わかりやすいですね。
著者の方がアダム・グラントという組織心理学の研究者になっています。
私もこの組織心理学っていうのはいまいち知らなかったんですけれども、組織における人間の行動を科学的に研究する学問なんだそうです。
この人間の思考と行動っていうのは3種類に分けられるんだと著者は言います。
一つはギバー、与える人。
次がテイカー、これはもうもっぱら受け取る人ですね。
あんまり与えない人ですね。受け取ってばかりの人。
そして3番目がマッチャー、これバランスを取る人。
与えられたらその分お返しをするという人ですね。
この3者の中で最も社会的に成功する人ってどの人だと思います?
これね、ギバーなんですよ。
なんでギバーが成功するかっていうと、これは多くの人はマッチャーだからです。
与えられたらお返ししようとする人が最も多いということなんですね。
だから物理的な話になりますけれども、与えるということをたくさんの人にしていけばそのうちの多くはマッチャーだからちゃんと返してくれるんです。
だから与える回数が多ければ多いほどその人はお返しをもらえる回数も増えるということなんですね。
もちろん注意しなきゃいけないこともあって、それはもう実際に本を読んでいただければと思うんですけれども、原理としてはこういうことになるということです。
先ほど例に挙げたアナータ・ピンディガ長者はこの天啓霊だったと思うんです。
彼に恩義を感じてお返しした人が大勢いたはずで、それによってさらに彼は豊かになっていたんですね。
こういう循環が与える人には生まれてくるんです。
それをブッダは実際に見ておられるんですね。
だから与えることに価値を置いて多くの人に推奨されたんだと思うんです。
実際にそういう目線で経典を見ていきますと、経典の中にはケチな人っていうのが結構出てくるんですけれども、
そういう人に対してブッダは絶対に与えることの美徳を説いて、そういう人たちを与える人にしていくんですね。
そのためにいろんな方言を使われるっていうのがお経の中で見られて、これ結構ユニークで面白かったりするんですけれども、
これはブッダの経験とか見識に裏打ちされた行為だったんだろうと思います。
仏教支援のお願い
今回もご視聴いただきありがとうございました。
話の中でもありましたように、お盆というのは下下の際に仏教徒の方々がお坊さんに寄信する、お伏せするという習慣に由来しています。
日本では残念ながら、下下の時にお伏せするという習慣はほぼどんどん失われたと言っていいかなと思うんですけれども、
でも仏教が持続していくためには、そういう一般の方々からの支援というのが欠かせません。
私はこの仏教を後世に残していくために、仏教を説く人、そしてそれを支える人、
そういう失われた関係というのをもう一度皆さんと構築したいと思っています。
そこで月額500円からご支援いただける仕組みをご用意しております。
私にコーヒーいっぱい差し入れするような気持ちでご支援いただけると幸いです。
ご支援いただいたものは番組の制作、そして資料の収集のために大切に使わせていただきます。
ご支援方法は概要欄にリンクを貼り付けておりますので、そちらをご参照いただければ幸いです。
それでは、良いお盆をお過ごしください。
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