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「先生、して!」心が通じた、あの一瞬 / 保育士の感動エピソード
2026-10-05 15:53

「先生、して!」心が通じた、あの一瞬 / 保育士の感動エピソード

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一つの出来事を通して、保育の現場にある温かさと専門性を物語として届けます。


【ほいくプラスについて】

ほいくプラスは、保育に関わる人が、自分らしい保育を続け、互いに学び合えるつながりを広げるための場です。

このポッドキャストでは、保育士の等身大の声を届けることで、保育者同士の縁を育み、保育に関心を持つ人との新しい接点をつくります。現場で頑張る保育士の魅力と、実践に込められた思いを、より多くの方へ届けていきます。

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先生、して。その言葉を聞いた瞬間のことを、私は今でも覚えています。笑顔で、まっすぐこちらを見て、はっきりとそう言ってくれた女の子がいました。その子は英語ちゃん。その一言は、とても短いものでした。特別な
言葉でも、長い会話でもありません。でも私には、ずっと閉じていた扉が、その瞬間にふっと開いたように感じられました。
先生、して。ただ手伝ってほしいというお願いだったのかもしれません。けれど、私には、それ以上のものに思えました。
出会ってから半年、話しかけても目を合わせてくれなかった英語ちゃんが、自分から私に頼ってくれた。そのことが嬉しくて、胸の奥が温かくなって、言葉にしにくいくもちがこみ上げてきました。
今日は、年長クラスの副担任として出会った英語ちゃんと、心が通じたと感じた瞬間についてお話しします。
私が入社して3年目の時、初めて年長クラスの副担任を受け持つことになりました。年長の子どもたちと過ごす毎日は、私にとって新しい経験でした。
クラスには、元気いっぱいに体を動かす子もいれば、じっくり考えてから行動する子もいます。友達との遊びを広げていく子もいれば、自分の思いを言葉にするのに時間がかかる子もいます。
その中にいたのが英語ちゃんでした。英語ちゃんは、よく先生の話を聞く子でした。活動にも意欲的に取り組み、スポーツも勉強も得意で、友達とも仲良く遊ぶことができる活発でしっかり者。周りから見れば、頼もしい
子にうつっていたと思います。
私も、初めはそうした姿を見ていました。けれど、一緒に過ごす中で、別の一面にも気づくようになりました。
給食の時に牛乳をこぼしてしまう。何かを間違えてしまう。自分が思っていた通りにいかない。そういう予想外のことが起こると、英語ちゃんは急に泣き出してしまうことがありました。
失敗したり、思うようにできなかったりした時、どうしたらいいのか、何を言えばいいのかがわからなくなってしまう。気持ちがいっぱいになって、自分の言葉を出すのが難しくなる。そんな様子がありました。
普段は、しっかりしているからこそ、困った時の姿は、私にとって大切なサインでした。
私にとって大切だったのは、牛乳をこぼしたという出来事だけを見ることではありませんでした。
こぼしたと気づいた後、英語ちゃんの気持ちがどう動いているのか、何に戸惑い、どんな手助けを必要としているのか、
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目の前の行動の奥にある思いを考えることも、子供と関わる上で大事なことだと思います。
大丈夫?何かお手伝いすることある?私はそんな風に声をかけていました。
でも、返ってくるのは、「うん。」と小さく頷くことや、「ありがとう。」という短い言葉でした。
声をかけてもなかなか言葉が続きません。目が合わないこともありました。
私の問いかけに英語ちゃんが答えてくれている。けれど、まだ少し距離がある。話しかけるたびにそんな感覚がありました。
返事が短いと、もう少し聞いた方がいいのかな、こちらから手を出した方がいいのかな、と迷うこともありました。
でも返事が短いことを、何も伝えてくれていないと受け取るのではなく、その時の英語ちゃんの表現として受け止めたいと思いました。
大人が距離を縮めたいと思っていても、子供の気持ちが追いつくとは限りません。
だからこちらの思いを急いで通そうとせず、その子が今どんな様子なのかを見ることを心に留めていました。
もちろん、目を合わせないから心を閉ざしていると決めつけられるわけではありません。
言葉が少ないから何も感じていないということでもありません。
子供がどんな風に人との距離を縮めていくかは、一人一人違います。
それでも私は、この子にとって私はどんな存在なんだろう、と考えることがありました。
こちらから何度も話しかければすぐに打ち解けるというものではありません。
手伝うとする気持ちがあっても、それを受け取るかどうかは子供自身が決めることです。
大人が仲良くなりたいと思うペースと、子供が安心して近づいてくるペースは同じとは限らないのだと思います。
だから私は無理に言葉を引き出そうとはしませんでした。
困っている様子があれば声をかける。返事が短くてもその子の反応として受け取る。
すぐに距離が近づかなくても目の前のA子ちゃんと過ごす。その繰り返しでした。
年長クラスで過ごす日々の中でマーチングに向けた準備がありました。
マーチングの衣装を着る場面でA子ちゃんはうまく衣装を着ることができませんでした。
普段なら自分でできることでも何かが思ったようにいかないと気持ちが大きく揺れてしまうことがあります。
A子ちゃんにとってその時も思い描いた通りにはいかなかったものだと思います。
私は衣装を着られずにいるA子ちゃんの様子に気づきました。
その時彼女は私にこう言いました。
先生、して。
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その言葉を笑顔で大きな声で私の目を見て伝えてくれたのです。
その場面で私の心に残っているのは、衣装を着ることができなかったという結果だけではありません。
困った時にA子ちゃんがどんな表情でどんな声で誰に向かって気持ちを伝えたのか、その姿に出会った頃とは違う変化を感じました。
助けを求めることは子どもにとって簡単なこととは限りません。
自分の困りごとに気づき、それを相手に伝え手伝ってもらう、その一つ一つにその子の力が現れているのだと思います。
私はその瞬間に驚きました。
それまで私から声をかけることはあっても、A子ちゃんの方からこんな風に自分の思いを伝えてくれたことはありませんでした。
困っている時に手伝ってと頼る、しかも笑顔で目を見てはっきりと伝える、その一つ一つが私の心に強く残りました。
先生して、と声をかけられた時、私はすぐに嬉しさがこみ上げました。
けれど、その嬉しさを自分の達成感に変えてしまわないようにも気をつけたいと思いました。
A子ちゃんが頼ってくれたことを自分の関わりの成果だと決めつけるのではなく、その子がその場で伝えてくれた事実として受け止める、子供が声にしてくれた気持ちをまずはそのまま大切にすること、それが私にできる
ことだと思いました。
先生して、その短い一言を聞いた時、私の中で何かがほどけたように感じました。
パッと明るくなったような気持ち、通じ合えたような感覚、胸の中に嬉しさが広がっていくのにどう表したらいいのかわからない、思わず、おお、と答えたくなるような温かい気持ちでした。
私は一生を手伝うことそのものも嬉しかったのですが、それ以上にA子ちゃんが自分から頼ってくれたことが心に残りました。
困った時にこの先生に言ってみよう、A子ちゃんがその場で何を考えていたかは本人にしかわかりません。
だから私を信頼してくれたんだと簡単に言い切ることはできません。
それでも私にはA子ちゃんが自分の気持ちをこちらに向けてくれたように感じられたのです。
出会った頃のA子ちゃんは話しかけても少しドキドキした雰囲気がありました。恥ずかしそうで照れているようで目を合わせることも少ない。
困っている時にこちらから声をかけても思いを言葉にすることが難しそうでした。
そのA子ちゃんが半年経ったある日、笑顔で先生してと伝えてくれた。その変化はとても小さなことに見えるかもしれません。
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誰かに助けを求める。自分の困りごとを伝える。保育の中では毎日のように起きていることかもしれません。
でもその子のこれまでの姿を知っていると、その一言の重みが違って聞こえることがあります。
いつもできることができない時、失敗したと感じる時、自分の気持ちがいっぱいになった時、
A子ちゃんは涙が出たり言葉が出にくくなったりすることがありました。
そんな彼女が困った場面で相手の目を見て、声にして頼ることができた。
私はその場面を通して子どもが表す小さな変化をこの子のこれまでの姿と一緒に見つめることの大切さを感じました。
話しかけてくれたという事実だけではなく、どんな子がどんな場面でどんな表情でその言葉を届けてくれたのか、
そこにその子との日々の関わりが重なっているように思えたからです。
保育をしていると子どもとの関係が深まったかどうかを目に見える形で確かめるのは難しいことがあります。
こちらから声をかけても返事が小さい、表情が変わらない、思っていたような反応がない。
そういう時、この関わりは届いているのかなと迷うことがあります。
私もA子ちゃんと過ごす中でそんな風に感じることがありました。
けれど、あの日の先生して思い出すと、関係は目に見える分かりやすい反応だけでできているのではないのかもしれないと思います。
子どもはすぐに言葉で返さなくてもこちらの存在を感じているかもしれません。
声をかけられた時にはうなずくだけでもやりとりがその子の中に残っているかもしれません。
大人にはわからないところで子どもなりに相手を知り、安心できるかどうかを確かめていることもあるのだと思います。
もちろん、私が何か特別なことをしたからA子ちゃんが心を開いてくれたのだとは思っていません。
私の言葉かけが正しかったからと言い切ることもできません。
ただ、毎日の中で声をかけ、様子を見て帰ってくる反応を受け止めていた。
A子ちゃんが困っている時には必要な手助けがあるか尋ねていた。
そうした日々の積み重ねの先にあの日の一言があったのかもしれない。今はそう感じています。
子どもの成長というと、できるようになったことに目が向きやすいと思います。
衣装を着ることができた、運動が上達した、文字が書けた、友達と遊べた、どれも大切な成長です。
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成長は外から見て分かりやすい、できただけで測れるものではないのかもしれません。
何度も練習してできるようになることもあれば、安心できる人に自分の思いを伝えられるようになることもあります。
A子ちゃんの姿を見て、私は子どもの変化を一つの物差しだけで見ないようにしたいと思いました。
本人にとってどんな一歩だったかを考えると、何気ない言葉の中にもその子らしい成長が見えてくることがあります。
でも、子どもの変化はそれだけではありません。
困った時に誰かを歌うこと、うまくいかない気持ちをほんの少しでも外に出してみること、手伝ってと伝えること、
そうした姿もその子が人とつながる力を育てている大切な一歩なのだと思います。
A子ちゃんは普段からしっかりしていて、いろいろなことに取り組める子でした。
だから私は、できることの多さだけでなく、困った時にどんな姿になるのかも見ていきたいと思いました。
しっかり者に見える子にも、失敗した時に不安になる気持ちがあります。
活発に見える子にも、重い言葉にするのに時間がかかる瞬間があります。
得意なことがたくさんある子にも、誰かに助けてほしい場面があります。
子どもの姿は、一つの言葉だけでは言い表せません。
しっかりしている子、活発な子、泣きやすい子、大人は子どもを説明するために言葉を使います。
でも、その言葉だけでわかったつもりになると、目の前にある別の姿を見落としてしまうことがあります。
A子ちゃんをしっかり者と見るだけでは、予想外のことが起こった時に気持ちが大きく揺れる姿は見えてきません。
困ると泣いてしまう子と見るだけでは、半年後、自分から笑顔で頼ってくれた姿は見えてきません。
一人の子どもの中には、いくつもの姿があります。
その全部を急いで一つにまとめず、その日その日の様子から知ろうとすること、
できたことだけでなく、その子がどんな思いで動いたかを考えること、
それが保育の中で子どもを見つめることなのかもしれません。
あの日の一言を思い出すと、子どもとの関係は、こちらができたと判断するものではないと感じます。
相手がどんなふうに近づいてくるか、何を伝えてくれるかは、そのことが決めることです。
私たちにできるのは、その子の様子を見て、必要な時に手を差し出せるようにいることなのだと思います。
先生、して。
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A子ちゃんが笑顔で私の目を見て伝えてくれたあの一瞬は、今も保育士としての思い出の引き出しに大切にしまってあります。
子どもと心が通じたと感じる瞬間はいつも大きな出来事とは限りません。
何気ない一言や、ふと見せてくれた表情の中に、そのことの日々が感じられることがあります。
あの日、衣装を着るのを手伝ったことよりも、A子ちゃんが自分から声をかけてくれたこと、
笑顔で目を合わせてくれたこと、その姿が私の心に残り続けています。
あなたの心には、どんな子どもの表情や言葉が残っていますか?
そして、その瞬間を思い出した時、あなたはその子のどんな姿を感じるでしょうか?
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