自己紹介と収録休止の理由
はい、どうもゆうとです。ちょっと収録が久しぶりになったんですけども、今回はアイデンティティについてつらつらとしゃべってみようかなと思います。
最近収録あんまりできてなかったのはですね、今ちょっと関わっている仕事の中で、メンタルヘルス関係の事業でちょっと大きな補助金取るっていうのがあって、
そこをですね、なんか大きく書くの任された部分があったんで、それのリサーチしたりとか、文章考えるのに結構忙しくてですね、なかなか収録できなかったんですけど、
一旦それが落ち着いてきたのもあって、そこで考えてたメンタルヘルスっていうところと、アイデンティティみたいなところもつながってきますし、
いろんな切り口でですね、最近これについて考える機会があったので、しゃべってみようかなという感じですね。
中年期とアイデンティティの揺らぎ
今現在でいくと、36歳で、今年37歳になる年で、年齢だけじゃなくて、自分ってどういう存在っていうか、これまでやってきたみたいな形でいくと、つらつらいろいろしゃべれることはあるんですけど、
最近中年危機とかミドルエイジークライシスとか、その辺の話聞いたりとか、ちょっと対話する機会もあったりして、徐々に自分も中年的な年代になっていくなーっていう予感はあるんですけど、
今のところですね、そういう年代になっても、そんなに崩れたりはしなさそうだなーとは思っているものの、どうなるかわかんないので、あらかじめ準備できることはして、楽しく過ごしていきたいなという感じなんですけど、
これまでのキャリアと自己認識
改めてこれまでの話をしてみると、ベースは理学療法士という資格をとって、アスレチックトレーナーというのもとっているので、スポーツ選手とか一般の方の体のコンディションによりかかる仕事をしてきましたし、
大学院で研究とかする中で、研究だけやってると社会があまり変わらないなというか、社会実装まではされないなっていうのもあって、自分で会社作って事業しているみたいな、そんな立場ですね。
なので、最初に切り出す話題として、自分って何?っていうと、こういう資格とか、勉強してきたこととか、今やってることみたいなところがベースにはなってくるんですけど、もちろん自分は別の切り口もあって、例えば子育てしてますとか、2人とか、それまでにやってきた趣味的なこともあったりしますし、
言葉で喋っていくと多分いろんな切り口があるんですけど、そこに固まりすぎると身動きが取れなくなって苦しくなることがあるんだろうなみたいな予感があるっていう感じですかね。
腰痛放浪期とアイデンティティの捉え直し
これもちょうどこの収録してる前日に腰痛放浪期、椅子が怖いっていう本の読書会があって、これも夏木静子さんという作家の方が重い腰痛に悩まされてたと。
そこからいろいろ病院にかかったりとか治療を試すけどよくならなくて、最終的には心身傷っていうような心がかかる、心理性のものなんじゃないかっていうところで絶食療法をしたりとか、最終的には作家、夏木静子っていうのを葬り去ろうみたいな、作家っていう存在からちょっと距離を取るってことですかね。
こういうことでアイデンティティを捉え直して腰痛を克服していくみたいなストーリーがあったりするんですけど、これもまさになんかちょっと中年危機ともつながりそうな感じで、自分の名前とか肩書きとかが先行して、自分の内側の声をちょっと消してしまうというか、だから外側に影響されてというかね。
そっちが中心になっちゃうとやっぱり心と体がバランスが取れて、だから心と体っていうよりはなんか外側と内側っていう感じがするんですけど、どっちかっていうと中年になると外側からの信頼とか言葉とか繋がりに引っ張られて、どんどん自分の内側の声っていうのはちょっと一回書き消すというか、押し込めておいて、でちょっと時間ができた時にですね、もう一回内側の声に立ち戻そうとすると、
なんか外側でやってることと自分の内側でやってることっていうののなんか乖離が見えてきて、なんか自分は何のためにこれやってるんだろうかみたいなところがなんか折り合いがつかないとなんか難しくなってくるんじゃないかなみたいな感じを思いましたね。
専門性と存在意義のジレンマ
でですね、今アドバンスドセラピストっていう音声配信をしてて、次の回で結構労働とかこの辺も喋ろうっていう感じでちょうど収録したところなんですけど、ここも結構面白いところで、やっぱり何ですかね、自分の理学療法士っていう資格も目の前で患者さんとかクライアントがいて、そこで即時的に変化が出るっていうのはやっぱり自分の存在意義を感じやすいし、やりがいも感じやすいし、
今の社会制度の中だとなかなか給料的には厳しくて、どんどん大きな仕事はやらざるを得ない感じになってきてはいるんですよね。自分としても理学療法士的なとかアスレチックトレーナー的な臨床の仕事は好きだしやりがい感じるんですけど、やっぱりそれだけやってると子育ての両立とかしづらいところもあって、
最近は研究とか事業とか教育的なこともやり始めてるみたいな感じなんですけど、やっぱり大きなところに関われば関わるほど、自分が手を加えたところで影響を及ぼせる範囲って小さくなってきて、本当に何か変化は起きたかもしれないけど、
自分の影響なのか、みたいなのがわかんなくなって、だんだん自分の存在意義を感じられなくなってくるみたいな予兆を感じるのもあるんで、だからこのまま行きすぎるとちょっと危ういなみたいな感じもあるんですよね。
だから特に中年以降、40代50代になって、仕事としては大きくなっていきやすいんだけど、ただ単に成長とか上を目指していくっていう風にしすぎると危ういなみたいな感じなんで、今後どうしようかなっていうことを考えてるって感じですね。
流動性知性と結晶性知性へのシフト
あともう一つ、今まだ30代って感じなんで、AIとか進化した新しいツール出てきたらちょっとパッと試すとかですね、こういうのも流動性、知性的にやってるところではあるんですけど、どっかでこれもですね、若い人よりスピード感が遅いとか学ぶ精度が落ちるとか、それは確実に起きるだろうなっていうのはあるんで、
もうちょっと世の中の細かい変化に敏感に察知してその都度動くっていうよりは、結晶性知性みたいな形で、哲学的な理解があるとか、深い歴史を知っているとか、自分の知識経験として溜まっているものを生かせるものっていうのにシフトしていけると、40代50代60代とか年重ねたからこそできることみたいな感じになってくるかなと思うんで、
この辺は重視しておいたらいいかなって感じですね。これまでやっぱり臨床とか研究とかの方が個人的には重視してきたんですけど、多分やっぱり教育みたいなことをやっていく方がいいんだろうな、その結晶的に自分に溜まっているものを次世代に伝えていくというか、こういうことをやれるといいのかなとは思ってるんですけど、
これも既存の枠組みの中で学校で授業をするとかですね、国家資格を取るためにとか、これのためにあんまり教育するというのは個人的にモチベーションが湧かなくて、大学院で研究するみたいなところも、ただ論文を出すために研究するみたいなところもあんまりモチベーションが高まらないところなので、自分なりの教育スタイルみたいなことも確立していきたいなと思うんですけどね。
これも音声配信しているみたいなのもちょっと一つのきっかけだったり、サブスタックとかで記事を書いていくというのもその活動の一環かなという感じですけど、ある程度信頼感も持ちつつ、そこまで大規模というよりは小規模中規模ぐらいで、教育に関しても多分やっぱり自分が関わったからすぐに効果が出るとかそういうものでもないですし、長くじっくり関わっていく中で、
あの時のあれが良かったのかなみたいなことが積み重なってくると、やっぱり意義を感じてくるかなと思いますし、だからやっぱり10年20年30年とか長くやっていった方が教育についてはいいかなと思うんで、やっぱり40代以降っていうのはこの辺を重視した方がいいのかなみたいな感じですね。
国際的な活動と専門外への広がり
あとはいろんな理由があって、日本だけじゃなくて海外とか国際的な活動みたいなことも見据えてるのはありますけど、これも将来的な長期的な教育みたいなところにも行けるでしょうし、まだ流動性知性的なことも働く期間ではあるんで、臨床的なこととか研究的なことでも日本だけじゃなくて国際的なこともやっていきたいなと。
そもそもセラビストとして活動する中で、いろんな方の健康に関することとか身体の悩みとかは解決していきたいなと思うんですけど、全然日本人だけじゃなくて世界全体での課題解決していけたらいいかなとは思ってるんで、この辺はやっていきたいなという感じですかね。
またその先を考えていくと、身体に関することとか、この辺は心理師の梁太郎さんと喋らせてもらった中でもあったんですけど、理学療法士とかセラピストとか身体とか、この辺は自分の専門性にひも付く近い領域だけど、本当にそれとは離れたものでも全然人間としては活動するのはありというか。
もともと小さい時だとゲーム好きだったりとか、ファッションとか好きな辞儀があるとか、スポーツとか遊びみたいなことも好きですし、アートとかデザインとかこの辺も好きだったりはするんで、直接身体とかセラピスト的な知見とはすぐ繋がるものではなかったとしても、この太郎裕人という人間にとっては好きなこととかあったりはするんで、そういう活動がじっくりじっくり入っていくと、
専門的なところにも生きるだろうし、別に専門的じゃないところでも楽しんで生きていけるみたいな感じになるかなとは思うんで、だから結晶性知性みたいなことを活かすみたいなところとか、長期的な教育にちょっと意識を向けていくとか、
専門性じゃないところの横の幅を広げるとか、この辺がちょっと今後は重要なんじゃないかなみたいな仮説ですね、今思っているところではあるので、そういう意味でアイデンティティみたいなテーマでいくと、
肩書きからの解放と名前の重要性
理学療法士の太郎ですみたいな感じとか、会社の株式会社ヒルコ代表の太郎ですとか、こういうのはいずれそこに縛られすぎないような形で、戦略的に今は出しておいた方がいいかなみたいな感じで出したりするんですけど、最終的には名前一つとか、松岡誠吾さんとか結構本読んだりするんですけど、
もう結構いろんな肩書きがあるかなと思うんですけど、名刺とかにはもう名前しか書いてないみたいなのが確かあったりした気がするんですけど、名前は名前で自分のアイデンティティとかこういうのものでそんなに変わんないかな、名前も別に改名しちゃったりとか、別にニックネームみたいなのつけたらあれですけど、
一つ名前みたいなことは大事にしてもいいかなと思うんで、将来的にはですねその肩書きなしで自分の名前一つで生きていくみたいなことができるといいのかなと思ったりはしますし、そのまた名前に縛られたりしたらまた変えたらいいかもしれないですね、そんな感じで何かに縛られすぎずに多少流動的になりつつも自分の核となるアイデンティティみたいなものは持ってみたいな感じでいけるといいのかなと思ったりするんで、
最近思っていることとしてはこんな感じですかね、こういう考え方がメンタルヘルスにどう生きるかみたいなことはまだちょっとはっきり繋がりきってはないですけど、個人的には今のところは心身ともにそれなりに健康に生きているかなと思うので、今後いろいろ出来事があると思いますけど、その都度考えていけたらなと思います。以上です。ありがとうございます。