ファミリーヒストリーの探求
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。早速、もう後編に行こうと思いますが、結局ですね、私のファミリーヒストリーで本当にすいません。
でも、まあまあ、とにかくうちの、だから、じいちゃんばあちゃん、そうやって出会ってですね、うちの母と母の妹の私のおばがね、生まれたっていう、まあそんな感じなんですよ。
だから、私の親の片っぽのヒストリーの、たかだかこれが、私から見てですね、母の代で祖父母の代なんで、まあだから2代遡るわけですね。
2代遡っただけでね、これほど面白いわけなんですよね。で、詳しくはね、私知らないんですけど、父はね、ちょこっと前お話ししたように、うちは両親が2歳で離婚してまして、
ただ、まあ父の家系もかなり個性的な家系なんじゃないかなと思うんですよね。で、うちは、まあこんな感じで、うちっていうか、だからうちの母方の家系はですね、こういうふうに非常にね、なんか、あのまあ、おじいちゃんは田舎で、で、うちのおばあはアメリカサンフランシスコ出身なんでね。
こんな調子なんですよ。だから、で、またさらにおじいちゃんの両親、それぞれね、父方と母方、で、まあだからどんどんどんどん枝分かれしていくわけでしょ。で、うちのおばあちゃんもそうですよね。うちのおばあちゃんは本当に謎が多いんで、うちのおばあちゃんこそね、ファミリーヒストリーでいろいろNHKにね、調べてもらったら、とんでもないいろんな出自が出てくるんじゃないかと思って、あの興味があるんですけれどね。
何も語ってくれなかったんでね、おばあちゃんはね。本当に分かっていることは一部しか分かってないんですよね。
まあでもこんな感じで、まあ、だからどんどんどんどん枝刃していくんでね。で、自分は、今の私っていうのはそのありとあらゆる遺伝子の集合体なんですよ。これロマンじゃないですか。
だから私あんまりよくわかってないですけど、父方の方もさ、おそらくすごくね、いろいろ面白い話がいっぱいあると思うんですよね。
うちの母方の血筋とは全然違う毛色で、違う系統の面白い話がいっぱいあると思うんですよね。
でも私はそれの集合体なんですよ。で、まあ遺伝子の話はちょっと去っておき、遺伝子のことはちょっと置いといて、
ただこういうふうにね、自分っていうのはこうやってね、代々生まれ育ってきた、自分の親の血を引いてるし、血を引いてなくてもね、美国蓮太郎のように、自分の、だから生物学上の父親じゃない、父親のでもいろいろ背負ってきたいろんな出自をね、美国蓮太郎は完全に背負って生きてた人なんですよね。
こんなふうに、いろんなね、自分が生まれ育ってきたヒストリーを背負ってるんですよ、人間っていうのはね。これを自覚単にしてるかしてないかっていうことだけでね、やっぱりその今自分が生きてる人生の実りというか豊かさがね、まるで違うなというふうに思ったんですよね。
だから確かにこの、どういうふうに言ったらいいんですかね、美国蓮太郎とか佐藤光一とか、この人たちの1万分の1とはいえ、私も人とはね、その当時私の周りにいる同級生たちとはだいぶ質字が違うということで苦労したんですよね。
私はうちのおばあちゃんと似ていて、アメリカ生まれで途中までアメリカでいて、日本語が喋れないまま母親が私を連れて日本に帰ってきてですね、日本の小学校に放り込まれて、そこからものすごく苦労する人生を送り始めるわけなんですけれども、
まあだからね、嫌でもね、嫌でも自分の質字に向き合うしかなかったんですよ。だって周りに自分と似た人が1人もいないんですもん。
私これもし皮膚の色が違ったりとか、美国蓮太郎とか、前言った草刈り正男とかみたいに明らかにハーフだったりね、大阪直美ちゃんとか、八村瑠衣君とか、嫌でもなんで自分は周りのこと違うんだろうということで、自覚せざるを得ないじゃないですか。
だから深く自分のルーツについて考えざるを得なかったんですよね。だからそれが私はすごく辛かったんですよ。なんで他の子と違うんだろうっていう。なんで他の子と同じように日本語が喋れないんだろう。なんでうちは他と違うんだろうっていうね。
だから私は逆コンプレックスで、サラリーマンのお父さんで専業主婦のお母さんの家が死ぬほど羨ましかったですね、ある時までは。でもそれと同時に、いやでもうちの家族って面白いなと思ってね。
母がねあんまり何度も再婚したりして家出て行ったり戻ってきたりするんでね。母のおかげでだいぶうちの家族はだから振り回されてきたもののね、それでもねすごく絆が固いところがやっぱりあってですね。
だからすごくコンプレックス、平凡であるっていうこと。右を向いても左を向いてもみんなが同じだっていう当時はね、そういう離婚家庭すらほとんどいなかったんですよね。
私の同級生で、保護者の名前が母親だっていう家は、私とあともう一人、それこそ中村くんっていう子がいたんですね。中村くん、厚彦じゃなくて中村なんとかくんっていう子がいて、私とその子しかね、母親が保護者のお家はいませんでした。
はい、なのでね、だからそんな感じなんで、いかにみんなが中傭であって、あの時代を懐かしむような風潮があるんですけれど、私はね、もってのほかだと思うんですよね。
あの私が育ってきた頃とか、高度経済成長があって、バブルがあってすごくみんなが一億総中流で、みんなが豊かだったあの時代が今と比べてね、良かったですよ、経済的にはね。空に困る人は確かに今と比べて少なかったですよ。
ほとんど中流の、だから本当に平凡なうちの子どもも、子どもたちを大学に行かせるお金があるうちがほとんどだったです。大学を行かせられないようなうちは少なかったと思います、私の世代の親はね。
だけれども、どれだけ大変だったかと思うんですよね。それは、みんながみんな同じであるっていう、ということはですね、ちょっとでも違っちゃダメな社会だったんですよ。だから親が片親だったらダメだし、一人っ子でもダメだったんですよ。一人っ子だっていうことだし、何回バカにされたかね。
あらー、親に大事にされたんですねーって。その都度ね、うち親が2歳で離婚してるんで、子ども作りはありませんよねって言ったら、ゼックしてましたけどね、みんなね。こういうこと言ってくるのって大抵、だからその同級生の親だったりするんですよ。お母さんね、悪いですけど。
あと父親からも、かんなちゃんかわいそうだったねーって、お父さんいなくて苦労したねっていうこともすっごい言われました。だけどうちは母親が2倍働いてたんで、経済的には豊かだったんですよね。おじいちゃん、おばあちゃんも大学の教授で、裕福だったんでね、そういう意味ではね。だから経済的には裕福だったんですけれども、世間が見る目っていうのは、そういう風になっちゃうんですよ。
だから本当に嫌でしたね、そういうのがね。人とね、少しでも違うっていうことは、当時悪だったんですよね。だからなるべく目立たないようにしましたし、なるべくね、実は英語が喋れるのに喋れないふりしてました。
ユニークな背景の重要性
中学から英語教育が、今はもっと早くから始まってるんでしょうけども、私たちの頃は中学に入ってから英語の教育が始まったんですが、わざとね、英語普通に喋ってたらね、えー、寸尺お前、RとLのちょっと発音やってーとかって言われるんで、もう超嫌だったんで、それが。わざと発音下手にしたりとかしてたんですよね。
だからね、すっごい嫌だったんですよ、いろんなことが。こういう風に育っちゃうと、嫌でもね、なんで自分は人と違うんだろうっていうことを考えざるを得なかったんですよね。それで私がこんなに映画が好きなのも、文学が好きなのも、それが理由なんですよ。
周り近所見ても、自分が模範となるような人とか、自分が共感できる人っていうのは一人もいないんですよ。自分と似た人が一人もいないんですよ。だからせめてね、私が、えーっとね、インターナショナルスクールとかね、そういうとこ掘り込んどいてくれたらよかったのにって、親にね、恨んだことあったんですよ。
だけどね、当時インターナショナルスクールって死ぬほど高かったらしくて、とてもじゃないけどね、駆け出しの音楽家だったうちの母親はね、後々成功するんですけど、その当時まだ全然ダメだったんでね、とてもじゃないけどそんな高いとこ入れれるわけねえだろうって言われて。
だから普通の、その辺の都立の学校に入ってたわけなんですよね。だからインターナショナルスクール行けばハーフの子なんかいくらでもいるし、金持ちもいっぱいいるんでね、多様性がそこにありますよね。
だけどそんなね、この1階の地方都市の小学校や中学校やね、そんなところにはその多様性なんてゼロなわけなんですよ。だからすっごい苦労したんで、だから三国レンタルもとかね、その草刈り正男ほどじゃないんですけれども、ものすごく気持ちがわかるわけなんですよ。
で、話をアイデンティティに戻すと、だからね、自分の質地とかルーツとかそういったことをね、コンプレックスが強い人っていうのは嫌でも向き合うんで、でもね、この苦労とか苦しみがね、結果後々やっぱり良かったのかなって、今50過ぎの私はそう思うんですよね。
で、今なんとなくそういう質地をわかってない人が多い。みんな一億総中流、みんな同じ。で、みんなそのなんていうのかな、戦後ね、高度経済成長で、どんどんその地方から都心に人口動態が移動してね、経済圏も人口圏も全部都市型に集中していき、
そこでもう元のね、自分のルーツからは切り離されて都市生活している中でですね、自分の故郷とか自分のルーツっていうのとは一旦離れて、ちょっと距離が空いてしまっているんですよね。で、各家族化して、年に1、2回しかあの故郷にね、それぞれ両親の田舎に帰らないみたいなね。田舎が都心の場合であってもですね、
そんなにまあその家族の絆みたいなものが深くなかったりするんでね。だからなんとなく自分の質地とかルーツっていうのをね、あんまりこう見てないっていう人が多いように思うんですよね。だからちょっと話が行ったり来たりして聞き取りづらいと思うんですが、私とかみたいにちょっと変わった質地じゃない人もね、一見。
これはね、わかんないんですよ。で、平凡だろうが平凡じゃなかろうが、三国連太郎ぐらいドラマチックじゃなかろうが、みんなね、それぞれユニークなファミリーヒストリーがあるはずなんですよね。
で、それはだからもしかして特に変わった遺伝子っていうかね、そんな違う民族が入ってないかもしれないしね、そんないろいろわかんないですけれども、でもさっき言ったみたいに2つ2つ2つで分かれていくんでね。自分には親が2人いるわけなんで、親の2人にも2人が合体して作らないと子供できないわけなんでね。
だからどんどんどんどん枝分かれしていってるんで、もう多種多様な人の遺伝子コードが自分の中に受け継がれていることを考えればですね、必ず変わったファミリーヒストリーっていうのはね、なんか多分あると思うんですよね。
だから、なんていうのかな、変わった質地の人じゃなくてもですね、私とは何者なのかっていうね、この問いかけっていうのはね、もう根源的な問いかけだと思うんですよ。
で、それはね、あまり自覚なくぼんやり生きていてもね、ある時突然ね、その問いかけっていうのに向き合わなきゃいけない時が来ると思うんですよね。
それがたまたま私の場合は、もう花からちょっと人と生まれ育ちが違ったために早く訪れただけなんですよね。
アイデンティティの探求
あと三国蓮太郎の場合はもっと早かったかもしれませんね。もう見た目が違うんでね。それこそ私が、あと好きな、最近この人もスポティファイかな、あのポッドキャストやられてますけど、三浦晃博師匠ですよね。
三浦晃博さんなんかも、あれ、あの、あんな美しい人があの当時いてね、で、しかもゲイで、ね、だからそれはもう自分の質地っていうのはものすごく向き合ってたと思うんですよ。
だけど、そんな人じゃなかったとしてもね、ある時突然、自分は何者なんだろうっていう根源的な問いかけにね、結局はね、ここはね、あの逃れられないんですよ。
だからね、あの、この問いかけにぶち当たった時にね、どこに答えを見出していいかわからなくて、迷ってしまって、何か怪しいね、信仰宗教にハマってしまったりとかね、するんじゃないかなと思ったりもするんですよね。
この最後にね、この番組の中で、関一郎君っていうね、この佐藤浩一と奥さんとの間にね、あのいる、今俳優を、俳優になっているこの三国蓮太郎から見たら、お孫さんがね、言っていたのがね、すごい象徴的な言葉だったんですよね。
家族は文化だって言ったんですよ。本当にそうだと思うんですよ。家族は文化なんですよ。
これは、だからね、これが人から誇れるような素晴らしい文化じゃなかったとしても、それこそ三国蓮太郎みたいに、世間一般から見たら、もう本当は恥で隠す人もいっぱいいると思うんです。
で実際ね、私はこのNHKのファミリーヒストリーっていうのは結構、まゆつばで見てるんですよ。あのちょっとビジレイク、それこそね、ビジレイクで覆い隠しているシリーズ、あの回もあるんですよね。
本当はあんた違うでしょっていう。だからそれこそ、世間から後ろ指さされるような職業の人とか、身分だった人とか、いろいろあるわけですよね。
ヤクザの人が家計にいたとかね、水商売とか、その売春してたとか、いろいろですよ。そういった質自を隠して、今成功している華やかな部分だけ映している人もね、実はいたりするんですよね。
だけどこの三国錬太郎と佐藤光一の場合は、そこも包み隠さず出しているのですごく好感が持てたんですよね。
だからね、とにかく、人から見てね、華やかだろうが華やかじゃなかろうが、確実に自分は脈々と繋がってきているルーツの中の経過点の1点に過ぎないんだって思うとね、私はすごく生きやすくなるんですよね。
どんなに反抗してもね、親とは真逆の人生を歩んでやると思っても、親に反抗しているという時点で、それはもう親の影響か、親というか自分の環境ですよね。
自分の生まれ育った環境に対して、反動で今のアクションに結びついているということなので、やはりね、自分の現在やっている行動とか思考回路とか価値観というのは、自分の生まれ育ちに全部起因があるということなんですよ。
だから、己を知ろうと思ったら自分のルーツを知るということは、とてもとても大事なプロセスなんだなということを改めて思ったんですよね。
うちはもうほんと平凡なね、もう何にももう取り柄のない家系ですからとかね、そんなことなくてですね、やはり自分の何かね、今問題を抱えてない人って多分一人もいないと思うんですよね。
何かトラウマがあったり、コンプレックスがあったり、生きづらさを感じてたりとかね、必ず私も含めてみんな持っていて、このでも根源的な原因っていうのはね、自分の生まれ育ちひいては自分の親とかね、その祖父母とかさらにその前とか、そこにね、脈々とつながっているっていうふうに考えられるんですよね。
それをね、ある程度理解するには、自分の親たちとかね、自分の両親の親たちも含めてね、だって自分が最も影響を受けているのは自分の親からだと思うんですよね。
この親のヒストリーを知るということは、うちの親のその悪いところとかね、なんでうちの親が私にこういう教育をしたのかとかね、どうしてこういうふうに育てたのかっていう問題の答えがそこにあるように思うわけなんですよ。
親には親の、またね、いろいろ自問自答があるはずなんでね。こうやってたどっていくと、なんとなくその自分のアイデンティティというものがね、もうちょっと明確になってくるんじゃないかなと思ってね。
非常にね、やっぱり勉強になったという話なんですよね。
日本人の信仰心が薄いですよね。日本人はね。一応、儒教とか仏教とかキリスト教とかありますけれども、本当に他の国に比べて、宗教を自分たちの生活の軸にしている人ってすごく少ない民族だと思うんですよね。
だからこそね、宗教がないがゆえに寄るべがないところがあるんですよね。宗教は私はものすごく否定的なんで、宗教なんかに頼らなくてもですね、自分のルーツをたどれば根源的な自分とは何者ぞっていうね、その哲学的な答えっていうのはある程度見出せるんじゃないかというふうに思っているので、
一度ね、自分の親が良い親か悪い親か、毒親か毒親じゃないかとか、自分の家は大した家じゃないとか、大した家だとかね、そういうこと一切関係なく、一度ね、やはり自分の執事っていうものに向き合ってみると、
今ね、自分が抱えているいろんな問題がね、見えてくるのかなと。見えていた方がですね、その後の生きやすさっていうことに関して、格段な改善が見られるんじゃないかなと思ったりね、したというお話でした。
家族と文化の関係
はい、というわけでね、これは家族主義を肯定しているということでは決してないんですよ。そういう意味じゃないんですけれども、それとは別に自分のルーツがどういうルーツなのかっていうことを知るっていうのはね、自分のその先の人生を生きていく上ですごく重要な羅針盤になるのかなということを、このファミリーヒストリーを見て思ったというお話でした。
はい、ではごきげんよう。