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#21 演劇人2名と語る、教育×アートの現在地とこれから(ゲスト:菅本千尋&加茂慶太郎)
2026-03-29 52:52

#21 演劇人2名と語る、教育×アートの現在地とこれから(ゲスト:菅本千尋&加茂慶太郎)

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今回も豪華ゲストコラボ回!

パーソナリティのかわむーを「演劇」の世界に引き込んでくれた大恩人であり、アートコレクティブとして活動する菅本千尋(めい)さんと、「演劇の再開発」を掲げ、演劇作家や俳優など多岐にわたり活動する加茂慶太郎(けーも)さんをお迎えしました。

※冒頭でお二人を大学の同期と説明していますが、正しくは先輩後輩の関係です。

(※実は個性が爆発しすぎて1本目の収録がお蔵入りになるというハプニングが発生!今回は気を取り直して収録した2本目の後半戦をお届けします笑)


話題は、かわむーの「教育に正解はなく、あくまで一つの解釈に過ぎない」という教員としての葛藤に対し、演劇における「単なる啓蒙や思想の押し付けではなく、観客に解釈を委ねる」という作品づくりの態度が交差するところからスタート。

さらに、AIやデジタルツールが進化する現代において、「オフラインの場(劇場や学校)に人が集まり、空間を共有する意味」や、人間ならではの「身体性」の価値についてトークは白熱。


アーティストが劇場や展示室を飛び出して社会に介入していく面白さから、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻(誰もがアーティストのように生きる)」という概念まで、教育とアートの境界線が溶け合うような濃密な対話をお届けします!


【今回のハイライト】

・盛り上がりすぎて幻となった1本目の収録(笑)

・歴史教員の葛藤と、演劇における「啓蒙しない・解釈を委ねる」という作品づくりの態度

・授業も演劇も「絶対の正解」ではなく、一つの選択肢の提示である

・AI時代だからこそ問われる「学校や劇場に集う意味」と「身体性」の価値

・アーティストが劇場を飛び出し、社会や教育現場と出会う可能性

・ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」。誰もがアーティストのように生きる社会へ


【ゲストプロフィール】

菅本千尋(めい)

広島出身。福岡在住。九州大学文学部人文学科美学・美術史研究室卒業。同大学院芸術工学府芸術工学専攻修了。2022年、建築家の原良輔と共に、空間演出のアートコレクティブとして「演劇空間ロッカクナット」を結成。「他者との出会い」の体験としての鑑賞体験に関心があり、地域も領域も横断した企画制作を行う。舞台照明家としても福岡県内外の演劇公演に参加。近年はアーティストが企業や学校のなかで活躍する場を増やすべく、ワークショップの場づくりにも取り組む。WSD修了生。

・litlink:https://lit.link/sugamotochihiro

・特集記事①:https://artne.jp/interview/2332

・特集記事②:https://note.com/ntgn/n/n811ec610d6f8


加茂慶太郎(けーも)

1996年生まれ。神奈川県川崎市出身、福岡県福岡市在住。2015年より演劇に関わり、出演・劇作・演出・舞台監督・チラシデザインなど様々に携わる。近頃は「演劇の再開発」をキーワードに、極めて少ない演出からなる原初的な演劇を活用。他アーティストと協働しつつ、現代において演劇のもつ潜在的な可能性を最大限有効化する手だてを模索している。関わる人々にとって安全かつ創造的な時間であることを願い、その実現を目指す。2023年より「ブルーエゴナク」メンバー。

・公式サイト:https://sites.google.com/view/kamokeitaro/top

・X (Twitter):https://sites.google.com/view/kamokeitaro/top



#好奇心のたまり場 #ポッドキャスト #教育 #探究 #演劇 #アート #対話型鑑賞 #VTS #教育とは何か #ティム・インゴルド #社会彫刻 #ヨーゼフボイス #AI時代 #身体性 #ワークショップ #場づくり #演劇空間ロッカクナット #ブルーエゴナク #福岡演劇 #高校教員 #歴史教育 #WSD

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▼「好奇心のたまり場」とは?

福岡の現役高校教員のかわむーが日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやモヤモヤをリスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わう番組。

みんなんで好奇心を持ち寄り、日常を少しだけ豊かにする「知の冒険」に出かけましょう。

お便りや感想は「#好奇心のたまり場」で!

また、下記URLからリスナーの皆さんの感想や質問、たまり場で一緒に話したい好奇心をドシドシお寄せください!📻

【お便りフォーム】https://forms.gle/mjzxRifffZfSj7RK6

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00:03
はい、始まりました。好奇心のたまり場。この番組は、福岡の現役高校教員が、教育現場のリアルや探求、キャリアなど、日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやもやもやを、リスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わうポッドキャストです。
パーソナリティを詰めます。川村こと川村周平です。 はい、ということで今回はゲストをお呼びしてのコラボ会となっております。
実はですね、先週のポッドキャストでも話をしたんですけれども、私がですね、ここ最近ずっとあの演劇という側面から探求をしているんですけれども、
まあその中で、あの演劇に関わられている、例えばその演劇をやられる役者の方だったりとか、劇作家の方、あるいはキュレーターとして場を作られている方だったりとかと非常に仲良くさせていただく機会が増えてきましたので、
今回はそういった演劇に関わっている方ということで、2名をお呼びしてのコラボ会となっております。
で実はですね、あの1本目を収録をしたんですけれども、まあそうですね、やっぱりもう個性の塊っていうのもあって、あまりにもですね、みんな喋りたいことを喋りまくって、
ちょっとあの、とっ散らかってるから、ちょっとこれ収録し終わって、もうボツにしようかっていう話になって、あの結果一旦お蔵入りということになっておりますので、
ちょっと2回収録をしたので、その後半部分だけはこのまま今回お届けをしようかなと思うんですけれども、
初回の部分はちょっとカットということで、はい、なので簡単にお二人の紹介だけ私の方からさせていただくと、まず女性の方、菅本千尋さんですね、
えっと、あだ名はメイさんと呼ばれています。学生時代の時からあの照明をやられてたということで、照明の名でメイさんと呼ばれているようです。
はい、で、あの彼女は私をありがたいことに演劇の世界にいろんなところでつなげてくださっている、はい、そういった存在でして、
まああの、私のポッドキャストの好奇心のたまりまも全部聞いてくださっているという、好奇心のたまりまのヘビーリスナーということで、今回ご登場いただいております。
はい、で、続いて男性の方が慶茂さんこと鴨慶太郎さんです。
彼もかなり長いこと演劇の世界に関わっておりまして、特に現在はあの劇作家としても活躍中の方です。
で、メイさんと慶茂さんは大学時代の演劇の同期ということで、ずっと長く一緒にやってこられたということで、まあ今回もお二人をお招きして、
まあそういった演劇の話だったりとか、まあアートの話をできたらなというふうなことでゲストとして登場していただいております。
はい、まあもともとメイさんがやっていたパクパクサロンっていう、一緒にご飯を作って対話をするというそういったイベントで、メイさんもそうですけど、慶茂さんも一緒になったので、
で、お二人が今後ポッドキャストをやっていくということだったので、ぜひじゃあお試しに出てくださいということで、今回登場いただいてます。
はい、で、本当にお二人ともめちゃくちゃ面白い方なので、本当は1回目の放送もぜひ聞いて欲しいところではあるんですけれども、まあまたちょこちょこコラボすると思いますので、
03:07
ぜひ今回はこの2回目の後半の部分だけお届けできればなというふうに思っております。
はい、それではお聞きいただければと思います。
はい、ということで前回に引き続き、演劇に関わられている慶茂さんとメイさんをお呼びしてのゲスト会となっております。
じゃあお二人今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ということで前回は演劇の話から始まり、最終的に小説を読もうという、
脱線しまくって。
脱線しまくって、まあでもなんかみんな喋りたいことを喋るという、すごく、それはそれでいい回になったのではないかと個人的には思っていますけど。
最後まで聞いてくれてた人とは本当仲良くしたいなと。
マイペースすぎる。
ちょっとマイペース。
全員マイペースだということが伝わったかと思うので、今回は一つちょっとね軸を据えて話ができたらなと思うんですけども、まあ僕が教育の人間なので学校の教員として、お二人がずっと演劇に関わられているということで、
僕演劇と教育の関わりみたいなのをすごく探求したいなと思っているし、何ならアートと教育、
僕めちゃくちゃ大事だと思っているんで、なんか今日はそのアートの価値というか、教育的価値というか、なんかそのあたりをちょっと3人で喋れたらなというふうに思っているんですけれども。
なんかその前提みたいなところで、
僕のポッドキャストでも探求というワードが出てきている印象がほんのりありまして、探求っていうフレーズは多分教員をされているから身近なワードなのかなと思う。
そうですね。
僕は日常で探求というワードが近くにないので、探求というワードのことをもうちょっと知りたいなと思います。
なるほど、なるほど。僕、探求っていうのが、そもそも今の学校現場の話でいうと、総合的な探求の時間っていう、なんかその探求する時間があるんですよ。
僕らの時にはなかったやつ。
そう、でもギリあったのかな。総合的な学習の時間っていうのは。
総合という授業があった。
そうそうそう、今その総合的な探求の時間というものになって、なんか要はその探求学習っていうものが、昔ながらのインプットだけで知識を得て、
例えばその一問一答的な四択の問題、センター試験のような四択の問題に答える。それが果たしてどういう価値があるのかみたいな話が最近ずっとあって、ここ数十年ぐらいで。
もっと自分一人一人が、例えばその問いを持ったりだとか、課題感を持って何かを調べて、で発表したりだとかっていう風なそういうなんか探求のサイクルと呼ばれるものを文科省は出していて、
そういう学び方をしていこうじゃない、ただ単に何かを覚えるだけっていうのは、ちょっと違うんじゃないかっていうのが言われて、今その探求っていうものが言われているので、
06:06
例えば昔だったら日本史とか世界史っていうものも、今は日本史探求、世界史探求っていうふうに科目が変わってるんですよ。
へー、そうなんだ。
そうなんです。
そう、地理も地理探求っていう風に、だから授業スタイルとかも結構変わってきてて。
特に社会科がその影響を受けてるんですね。
そうですね、社会科は結構大きい。特に暗記科目と呼ばれてたようなものは、
だから子供たちに考えさせたりだとか、調べさせて発表したりだとかっていう時間はかなり増えてる中で、
だから何事も問いを持ってというか、自分なりに好奇心を持って世の中と関わっていきましょうみたいなのが割と最近の学校現場で多くて。
それを鑑むはご自身のライフスタイルの中にも探求の態度を取り入れているっていう。
そうですね、そういうことを大事にしてる企業家の方とかも最近いらっしゃってて。
僕自身なんだろうな、今時の先生って探求学習とかやってないから分かんないんですよね。
だから自分がやってないことってできないし、伴奏できないから。
まず大人がそういう探求的なキャリアデザインっていう風に生活を変えていって、
その中で子供たちともそういうふうな関わり方をすれば自ずと子供たちも楽しく生きれるんじゃないかなっていう課題感で僕はよく探求って言ってますね。
なるほど、僕が所属している劇団で、12月に福島のいわき市のちょっと上にある広野町っていう学術が滞在して、そこで作品を作って上演したんですけど、
ここには一個私立で新しくできた学校があって、そこでは探求の授業。
そこはちなみに平田織座とかも演劇教授とかもやってる、ふたわ未来学園っていう。
もう有名なやつですね。
震災で高校が閉校したものが統合されて新しくできたところの探求の時間っていうのが結構すごい力が入れられてるんでしょうね。
で、町に出て行って、その町の人のいろいろ話聞いて、ルートのマップ作ったりとかすごいそういうので、
土地の人と生徒が結構交流しながら学びを深めてるみたいなものが起こっているんだなっていうのは直近結構ほんと最近知ったことだったんです。
そんなことを思い浮かべながら聞いてて。
ああ、なるほど。そうなんですよ。で、なんかそのアートの文脈で言うと、やっぱりそのなんか探求学習の中で結局、なんだろうな、子どもたちがどう表現するかみたいなものもすごく大事にされているので、
例えばその演劇をその探求の時間にやったりだとか、なんかそのアートの時間、コラージュとかもそうですけど、やったりだとか、なんかそういうふうな自己表現の時間もすごく大事にされてるんで、
09:06
なんかそういった意味で、なんかアートはすごく今、教育の中でも大事だなというふうに思ったりはしてるんですよ。
大平 なんかさっきの回の時に、公民の授業で対話型鑑賞をしているっていうのをもうちょっと詳しく知りたい。
ああ、なるほど。そうなんです。
大平 ビジュアルシンキングストラテジーをやってるんですか?
僕はそのカタカナはわからんぞ。
大平 あ、ごめんなさい。ビジュアルシンキングストラテジーは、MOMAが開発した鑑賞教育のプログラムなんですよ。
それは日本にも入ってきて、全然やられてるんですけど、鑑賞の段階っていうのが決まっていて、それに合わせた作品を見せるみたいな。
メソッドが結構しっかりあって、質問も割とあるんですよ。まず何を聞いてみたいな。
それと一方で、日本の教育の方では対話型鑑賞っていう、ビジュアルシンキングストラテジーとちょっと違う作法の手法もあって、
それが結構混同されている。ビジュアルシンキングストラテジー、VTSって略するんですけど、
VTSの対話型鑑賞って結構ごちゃごちゃになって、どっちのことをやってるんだろうという気持ち、どういうことをやってるんだろうというのを知りたいな。
でも全然僕、ビジュアルシンキングストラテジーみたいな手順とか全然踏んでなくて、単純に1枚の絵を出して、純粋に感じたこととか、自分が問いに思ったことみたいなのを書き出して、それをもとに近くの人と対話したりだとか、別に作品名とか出さないし、どう感じたかみたいなところをお互いに擦り合わせていくみたいなことをやったり。
感情を聞いてるんですか?
感情、どう見えるかみたいなところを。単純に事実として。
何を想像するかとか。
そうですね。それを公共の時間にやってて、僕が授業で大事にしてることもそうなんだけど、別に答えを教えたくて公共やってるわけじゃないから、一人一人が。
公民じゃないんだ、公共?
そうそう。これもややこいんですけど、昔現代社会ってやってたやつが、今名前が変わって公共っていう。公民家の中の公共っていうのがあって。
どんな絵を見せるんですか?現代社会的な絵を見せるんですか?
全然時々だけど、普通に牛乳を注ぐ女とか見せたりするけど。
へー。
そうそう。
そうなんだ。
あ、じゃあそこから公共の授業の話の前段としてやってるとかではなくて、やってるってことですよね?
12:04
あれは前段っていうか、導入みたいなところではやってますね。
でもそこから話し始める。この絵は実はみたいなことではなくて。
そうそう。別に絵の話をしたいわけではなくて。単純に授業において、ちゃんと一人一人が試行してほしいし、何か正解を与えたくて俺がやってるわけじゃないから、
ちゃんと自分なりの考えというか感じたものはちゃんと残してほしいし、それを別に誰が正しいとかではなくて、
ちゃんと隣の人が感じたことも認めてほしいし、それを聞いて自分の考えが変容するのも全然いいし、
そういう時間を作りたいんだみたいな話を、僕は公共の時間は割と最初の頃にやりますね。
子どもによっては、子どもによっては、生徒によっては、これの時間何の意味があるんだとか、
もっと用語をちゃんと教えてくれとか、これはテストに出るのかみたいな、そういうことを聞いてくる子もいるんだけど、
そうじゃなくてみたいな、正解のないものに対して試行することとか、そういうネガティブ・ケイバリティ的な、
もやっとしてることにも向き合ってみるみたいな、そういうことを大事にするぞみたいなことでやります。
他の人の見方を聞けるっていうのが、たぶんすごく重要な。
やっぱりすごい自分が見ること、こう見えるとかっていうことに、演劇でセリフを言うことに集中しちゃう。
ああいう人がどう見たかみたいなことが自然と擦り合わされるというか、そういうのを聞く時間になるっていうところにすごい含みがあるというか、
そこに意義があるんだろうなとか僕は思うんですけど。
そうなんです、そんなのやってます。
ちょっとこの話題が始まった段階で思ったのは、つまり見ること、アートと教育ってなったときに、
自分がそれを受け取るっていうことと、自分が表現する、やる側になるっていうことが、どっちの方が大事だと思っていますか?みたいな話を思ってたんですね。
アートと教育、要はアートを見て受け取る力みたいなことが、教育的に重要なんじゃないかとか。
それとも例えば演劇ならば演劇に出ること、自分の何かを表現するっていうのが大事なんじゃないかっていう仮説なのかな。
どっちの方が大事だと思ってますか?みたいな質問が僕最初湧いたんですけど。
へえ、なるほど。
でもこれって見るっていう話題だったじゃないですか。絵を見ててっていうときに。
要は絵を見て、自分はこう思ったみたいなことを言葉で表現するか、それとも演劇の場合は体で表現するかみたいな。
結局どっちも自分の中にあるものを出すという工程ではあるのか。
自問自答した。
答え出てた。
答えっていうか、っていう認識で今話が僕の中で変遷あったんですけど、どう思います?っていう感じかな。
15:06
そうね。でも実際にそうだと思います。
別に答えを教えるために教育、答えっていうか答え分ないんだけど、
こちら側が意図せずとも、それは子どもたちは答えとして受け取ってしまいかねない状況にこの学校現場の構造ってすごくあるから、
そういった意味でも別にこっち側が何かを覚えてほしいとか、これをこれとして受け取ってほしいというか、そういうわけじゃないから、
自分なりの感じてることとか考えを出すというか、その場に出してみるというか、
それを許容して周りの人の考えにも触れてみたいな、そういうのって多分オンラインだとなかなかできないというか、
オフラインで学校に集まるからこそ価値があるっていう、そういった時間を大切にしようと思ったら、
引き続きやっぱりアートってすごく重要な媒介になるというか、すごく大事な要素だなって個人的に思うんで。
媒介っていうワードすごいしっくりきました。繋いでるんだなと思いました。
アートをどこにしてその交流が生まれるっていう場所になり得るっていうことなんだなと思って。
だからアートが正解がないからそれを担えるっていう。
なんかそんな感じで僕は触れてますね。日頃。
めいさんどうですか?
めいさん そうですね。どういう話したらいいんだろう。
教育か、なんかでも対話型鑑賞、この前子供向けで作ったんですよ。
30分で8歳から参加できるようにしたけど、結局6歳くらいから参加してくれる感じでやった時に、
改めて思ったのが、教育ってカルティベートするという啓蒙的に考えると、
こちらが教え与えていて、育ててあげるというニュアンスで、やっぱり教育という言葉はすごい取られちゃうんですけど、
対話型鑑賞を子供たちにやった時に、逆にめちゃくちゃ教わってる感覚があるというか、
その時は最初に見せる絵を決めていて、
ディスクリプションって美術ではいいんですけど、この絵の中に何が書いてありますかっていうのを一人一つずつ言ってもらうっていうのを前提に、
これを会社の中でやる時もやるようにしてて、
絵って漠然と見てると、見てるようで見えてないので、ここに何が書いてあるっていうのを一個一個指摘していくっていうのは、
18:04
これは私が学部の時に実際そういう授業あったんですけど、それをやってるんです。
で、それをやった上で、この絵の中で何が起こっていると思う?みたいなことを聞くんですけど、
私が見せたディスクリプションした絵の中に地球が書いてあって、ある子が猫がいるって言ったんですよ。
地球の大陸の模様が猫に見える。猫がここにいるよって言って、確かにみたいな。猫だと思ったら、これ猫だなみたいな。
月がウサギだとして地球が猫。
これ猫だね、みたいな。すごいこと言うね、みたいなことを本当に思って。
あとタコっぽいものが書いてあるんですけど、タコということを人でっていう子がいたり、
アスパラガス、私はアスパラガスだと思ったけど、一定数つくしっていう子がいるなとか、
そういうのは単純に一人で見てると、私がタコだったし、つくしだったし、地球だったものが人でになって、つくしになって、猫がいるよって言うのはすごい面白いなと思って。
やってる側も、子供だからとか、ちっちゃい子だからとか、ではなく1対1の他人として、他者の視点として交換してもらってるんだな、みたいなことを子供向けにやったのは初めてだったんですけど、
すごい思って、ありがとうってなりました。
それ聞いててすごい思ったのが、僕、教育とは何かっていうイギリスの人類学者のティム・インゴルドっていう人がいるんですけど、教育とは何かっていう本があるんですけど、
教育って応答することが教育なんだって言ってて、何かを伝達する行為は別に教育では呼ばなくて、その人が今までに蓄積したものとか、何かの中で感じたものを踏まえて応答するっていう行為が教育なんだ。
だから、自分の中の今までの経験だったりとか、感じてきたもの、見てきたものを踏まえて応答する行為がないと教育とは言わないから、まさにでもそれって教育だなって思ってて。
双方向性のあるイギリスだね。
そう、そうです。双方向性だから、教育する側っていうか、こっち側もそれによって学ぶ姿勢というか、変わっていく姿勢みたいなものを持たないと、それは教育とは呼べなくなってしまうみたいなことがあって、何か学ばせてもらったっていうのは、すげえそれだってちょっと思いました。
21:09
そう、ほんとすごかった。子供たちの。
あれだね、教育って来るっていうよりは結構減少にしかない。教育が起こってたんだね。
はいはいはい。本当にそう。本当にそう。
これ演劇もそうですよ。演劇も見せるものじゃなくて、やっぱり場に起こるものだと思う。
なるほど。
演劇に発生するものだと僕は結構常々思っているので、演劇と教育ってなんかシンパシー今感じました。
聞きたいことがよくあって、アートと教育ってワードになった時には、そのアートって何だろう、その射程にはどういうものが含まれるというか、メインってやっぱ絵なんですか?
ああ、それ僕の解釈でいいですか?
全然そうです。
ああ、そうね。確かにこれ結構今、何だろうな、結構ざっくりアートって言っちゃったけど、何なんだろうね、アート。
よくなんかセンスが大事だとかいうふうなこともよく言われるけれども、アートそうね、絵だったりとか。
例えば絵だったら授業の時に見せてみたいな感じで、教育現場に活用しやすいなみたいなこと。
演劇も教育との共同作業ってすごい最近は特に活発に起こってますけど、そっちはでもなんかこう、実際にアーティストと連絡を取ってというレジェンドが大変だったりするじゃないですか。
だから実際に頼んでやれば、なんか場は起こるなみたいなことは想像つく。
ただ一方なんかこう、それ以外のっていうか、インスタレーションはどう関われるんだろうみたいなこととか、結局形として関わるというよりはその過程?
ワークショップ的なことだったり、そのアートが生成される過程っていうものが結構有用に働いていることが多いっていう印象はぼんやりあります。
絵化物が関われるのは結構絵がやっぱ強いのかな。
なんか今ちょっとふと思って、なんかそのアート、絵っていうアウトプットもそうなんだけど、よく最近アート志向みたいなことも言われてて。
必ずしもアートをしないといけないというよりも、一人のアーティストじゃないけど、自分起点で何かことを起こすというか、新しい価値を生み出すみたいなところがアート志向だけど、アートなのかなっていうふうなことを思ってて。
必ずしもその美術的なものではなくても。
僕好きなのが、ジョージ・ボイスっていうやつがいるんですけど、よく社会彫刻っていうことを言ってて、なんか全員が。
木を植えた人でしょ。
あ、かな。
木を植える人だと多分。
全員がアーティストであるべきだっていうようなことを地球上の全員がね。
その社会というものを、アートなんていうか、生み出してるというか。
24:05
なんかそれすごいいいなと思ってて。
一人一人がアーティストというか、自分起点で何かの社会作りに関わってるんだみたいな思考がすごい好きなので、僕は極論言うと生徒にはそういうふうな思考であってほしいというか。
自分の中に軸を持って、何かを社会を作る一人の制作者として関わってほしいというか。
なんかそんな、ざっくりとね。
めっちゃわかりますよ。
わかんないけど、クリエイティビティのある人っていうかね。
うんうん。
なんかそんなことちょっと思ったりしてました。
なるほど。
ちなみになんですけど、これはまじ素人質問ですよ。
その、要はアート思考を持った人になってほしいなっていうふうな気持ちがあるわけじゃないですか。
で、それが育めるようにっていうプログラムとか授業を組んで、影響するその場を設けるっていうこと。
自体は、その古い概念でいうところの教育、つまりは教えるみたいな形には、とはまた別物だと僕はなんとなく裸感覚で思うんだけど。
すごいこう、表裏一体というか、いつでもそうなりうるなと思ってて。
つまり、こう生きていくことが正しいんだよって教える行為になりかねないみたいなこととかっていうのって。
教師としてはなんか脳裏にあったりとかする?
大平 めっちゃ踏み込むやん。めっちゃそれぞれこと聞く。
俺これ気になってて、教育っての山たぶん触れてきてないからなのかなと思うんだけど。
僕はすごい演技を作るときにすごい思うんですよ。
言いたいことだけ言ってたらダメとか、教育啓蒙思想で作るようなものでは別にないみたいなことを思うっていうのは別に前提としてあるけど。
それは別に授業作りでもそうじゃないですか。
一つの授業の中ではそれを正解を教えるっていう態度はあると思うんですけど。
ただ教育の現場になるともう一個乗っちゃうなと思って。
その態度でいること自体が何かを教えてるみたいな姿勢になっているのかな。
めちゃくちゃ鋭いなそれ確かにね。
でも何かなんだろうな。
本当こんなこと言っていいかわかんないけど、僕はあんまり自信を持って何かを教えてる感覚はマジじゃなくて。
一応一人の一教員が何か言ってますけどみたいなスタンスなんですよ僕は。
別にあなたたちがどう感じるかとかどう捉えるかは任せるし、
別に何か俺が言ってることは正解じゃない。
特に歴史の教員やってるとすごい強くて。
ごめんけどもう何だろうな。
そもそも歴史の教科書も何かの残されたものとか資料とかから人間がただ単に解釈をしたある一定の現段階での一応暫定のものを今教科書として残しているわけで。
27:13
それをまず仮にそれをもとに僕が授業を作ったとしてそれは完全に僕の解釈もあるだろうし、とても正解とは言えない。
一定のただの資料というか解釈をもとにまた俺が解釈をして解釈するという感じになるから何が正解かちょっとわかんないけど一応一つの
何て言ったらいいんだろうな。
一つの材料としてぐらいの選択肢というか材料というかなんかそれぐらいのスタンスでいてねみたいな話はちょこちょこします。
でもそれがいいのかわかんない。
学校で。
僕はすごいいいなと思った。
高校時代に先生にそういうこと言われてたらちょっと考え方変わってたと思う。
でも本当になんか今もういろんな情報だったりとかいろんなものがある中でとても自分が言ってることが正しいとなんか絶対に言えない。
それはそうですよね。
あくまで個人的な考えだけどって卑怯だけどよく言っちゃうかも。
結局僕は演劇やってるから演劇に引き付けて話しちゃうんですけど。
全然いいです。
演劇はやっぱりその作家が見せたいものを見せてくれるっていう価値観で席に座ることって多々あるというか。
すごいなんかその今の教育の話とかリンクするというか見せる側もこれを見せるんだと思って見せるっていう態度が一般的だと思うんですけど。
一般的に僕は違うぞって言いたいわけじゃないけど僕は結構その僕はその解釈の余地みたいなものを舞台上に置こうとしている。
だからなんかすごいその態度すごいなんかシンパシー。
だからかつてはねプロパガンダに演劇がよく利用されたことは結構そういうやっぱ教育とか洗脳みたいなものに演劇ってすごくやっぱ近いところにあるなっていう風に思うので。
その持ち簡単に持ってしまう暴力性みたいなところとか。
今更別に特に意識しなくても別にいいことではあるけどただ企画としては持っておくべき話題だよなというふうに思います。
確かにその暴力性ってめちゃくちゃ大事だと思う。
それを意識しているかどうかって本当に無自覚のうちに。
本当にワークショップとかそうです。
いやそうそう本当に今言われてマジでハッとしました。
確かに暴力的な側面マジである。
そうですね確かに。
まあでも本当にあんまり自信ないって言うとあれだけどね。
なんかそんなスタンスで僕は割と授業してるかもなーってちょっと思ったりしました。
なんかアートと教育っていう話題だとアーティストからすると正直ちょっと食い口が増えうるかもみたいな。
嬉しいニュースだったりもするっていうか。
ここはまああるんですね。
30:01
今後ますますやっぱりもっと活発になっていくのもんなんですかね。
たださえ何年か前よりはだいぶ一般的な感じになってきつつあるのかなと。
いやでも増えてくると思いますけどね。
なんかそれこそ今は本当にAIの活用とかデジタルツールの活用がICTがっていうのがやっぱりここ数十年ぐらいずっと言われてるんで。
まあまあそれが多いんですけど。
多分結局多分生成AIとか云々が出てきて。
多分そのじゃあオフラインで学校に来る意味って何だろうとか。
AIに代替されないどうのこうのとか。
じゃあ人間らしいって何だろうみたいな結局その問いになってて。
多分もう今そうなってますけど結局なんか身体性。
僕も同じようなこと言っちゃってるけど身体性がとかアートだとか答えがないものだとかっていう風な流れの中で。
多分そういうムーブメントというか流れは多分ここからもっと大きくなるだろうなって個人的には思いますね。
でも多分これって何かその時々の良しとされるものって結局これも時代によって変わるから今だけ。
トレンドっていう。
トレンドって言ってしまったら本当にトレンドかなって思ったりはする。
でもそれで言うと人が減っていってるじゃないですか。
人が減っていって日本人っていう今までだったら博多駅に住んでいる人とかこととかこの学歴をたどった人ってある程度想像できたけど
今はもういろんな人がいるいろんなバックボーンを持っていろんなルーツの人が当然のようにいるみたいなこととか
なんか一般化して共通認識みたいなものをすごい作りにくいというか。
私は演劇はすごく有効だなっていうのは思ってて、世代とかもそうなんですけど。
世代の壁を越えるとかバックボーンを越えるようなコミュニケーションをするとかは演劇がすごい得意とし得る部分だし
何でもかんでもARに聞いたら答えてくれる時にあなたがどう思ってるのか知りたいっていうことがやっぱりアートは得意なわけじゃないですか。
アート思考がやるのはそういうところでみたいな。
だとなんか全然めちゃくちゃ必要とされるんじゃないかな。
行き詰まると思うというかこのまま行くと。
その時代感覚はすごいわかって。
でもその時にもうちょっとしゃべりたいんですけど、道具主義っていう言い方をするんですけど。
プラグマティズムみたいな。
33:00
そうそうそう。
なんかアートとか演劇とか芸術がコミュニケーションツールになってそれは違うって思うんですよね。
アーティストは便利な魔法使いではなくて。
やっぱり私は作品は作られるべきなんじゃないかなって。
面白い作品見たいなって思うし。
道具主義に陥らないようなリスペクトを持ち自分自身が楽しむみたいな言葉。
結構言葉すごい軽いけどすごい重要な気がしますね。
いうことまでしゃべりたかったんですよ。
なるほど。
けいもさんどうですかそのあたり。
その態度は本当そうだなと思っていて。
メイが喋ってくれていたジェネレーションとかいろんなルーツのギャップを超えて交流が生まれるっていうことなんだな。
それには演劇のどの要素なのかなと思って。
同じ作品を見ることがそれを発生させる。
それは結構難しくて。
やっぱり行動行為をしないといけない気がしますね。
作品を見て話しましょうは絵画の方が全然得意。
長いから演劇は見るのが。
演劇をコミュニケーションとか組織改善で活用したいのであれば。
やっぱり体を動かすみたいな。
一緒にやるっていうところってこと?
演劇はしなくていいんですけど、コミュニケーションシアターゲームにはそういう可能性あると思います。
演劇を作る必要はそんなにないと思う。
演劇を作ってるんだけど、いわゆるドラマ演劇というか上映を行う必要はそんなにないんじゃないとは思うけど。
上映をするっていうこと、舞台に上がるっていうことはとんでもないハードルなので。
そういう感じかな。
確かにか。
ただ、これはまだ全然僕の方がだいぶ3人の中で一番底の分野の知識というかあれは浅いと思うんだけど。
全然全然。
演劇要はそれって演劇がもちろん得意なところではあるが、
演劇そのものというよりは僕の感覚からすると演劇を媒介としたコミュニケーションを促進させている。
演劇がコミュニケーションを促進させているだけなのかなと思って。
要はコミュニケーションの時間が起こっていることで。
36:00
それはそんなに演劇だけが得意なことでもないというか。
演劇…
今すごいそこの部分を演劇が担うような潮流が進んでいるんじゃないかと思うんですよ。
演劇の手法を使ったワークショップでコミュニケーション授業みたいなのってあると思うんだけど。
演劇はそこにあぐらかいてちゃいけないなというか。
演劇の専門分野だぜみたいな感じになりかけやすいんじゃないかと思うんだけど。
他のアートでも全然されうるんだろうなとか思うんだけど。
それの危機感はあんまりよくわからないけど。
でも…なんていうんですかね。
やっぱり見てるものが全然違うんです。
アートワークショップ、美術のワークショップをするときと対話型鑑賞をするときと演劇のワークショップをするときは
作業してるポイントが結構違うと思ってるんですよね。
ちょっと長くしゃべっちゃうかもしれないけど。
社員研修で演劇のワークショップをやってるんですよ。
内定者研修で言われて演劇のワークショップをよくやってるんですけど。
そのときにすごいいいなって思うのが、演劇って人と人との関係性の中で、
河村さんも参加してもらった有方さんのワークショップでしたけど、
人と人が一緒に何かをしましょうねみたいな、この場所でやりましょうねっていうことをやるじゃないですか。
それってもちろんお相手をすごい見るじゃないですか。
とか、ここにどういう人たちがいてみたいな、人に割とフォーカスがいくじゃないですか。
美術のワークショップはやっぱり作品にフォーカスがいくんで、
そういう意味ではすごい違うんですよね。
対話型鑑賞はちょっと間っちゃ間だけど、でも視線は基本的には絵画を向いてるわけですよ。
っていうのと、私はその演劇、劇場を作ってる感覚を最近得たんですけど、
演劇のワークショップをするっていうことは、それはどういうことかというと、会議室で演劇のワークショップをするわけですよ。
とか、教室で演劇のワークショップをするっていうときに、普段の人間関係がそこにはあるわけじゃないですか。
普段の人間関係があって、普段の自分の振る舞い方があって、
普段のTPOがある場所に演劇が訪れるっていうときは、もちろん人を見つめる時間を作ってるっていうこともあるんだけど、
それだけじゃなくて、空間を多層的にしてるとすごい思っていて、
全体、あんまうまく喋れなかったんですけど、
39:02
例えば普段会議をしている場所で、やったことのない動きをしたとか、
同期の意外な一面を知った、みたいな、
人の記憶みたいな関係性が生じたということが会議をしている場所で起こるっていうのは、
その場所がそのためだけじゃなくなる。会議をしているためだけの場所じゃなくなるっていうことは、
結構、演劇的って言っていいんじゃないかなって思っているっていうか、
っていう感じ。
相槌打ちぬくい話しちゃった。
結局またポッドキャストであるということを忘れて始めている。
でもその場の意味みたいなのがどんどん変わる感じみたいなのはありますよね、演劇って。
でも今日のいろいろお話ししている中で、やっぱり演劇ってただに劇場に行って見るっていうだけじゃないところに、
すごいいろんなところで演劇って起こってるというか、あるんだなみたいなことをやっぱ思うというか、
覚えて演じるとかだけじゃない演劇ってみたいなことではあるんだなみたいなことはすごく感じますし、
さっき本の紹介をしてくれたときに、
純文が好きでって言ってたじゃないですか。
純文学ってことだよね、それってつまり。
それなんかわかるじゃないですか。小説の中でも純文学が好きでって言われたら、なるほどなみたいな。
この適切なワードの無さに関して演劇はすごく悩んでると僕はすごく思っていて。
演劇やってますって言ったときに、どういうタイプの演劇してるかマジでわかんない。
そこにフレーズがない。名前のジャンルがない。音楽で言ったらなんかハウスなどいっぱいあるみたいな。
演劇って言われたら、演劇って言ったときに、演劇やってますって出会っても話が食い違うみたいなことが多々ある。
あーなるほど。
今日我々が話してるような、なんとなくたっ飛んでいるようなジャンルは近いんじゃないかと思いながら今日お話をしているんですけど、
それらを中心に置いている演劇を表すワードが僕は存在していないと思っていて。
なるほど、確かに。
じゃあ、かわむんさんが生徒に、じゃあ今日は演劇のワークショップの時間だよって言うときは何と説明するんですか?
激ムズ。それなんだろう。子供たちに演劇って言ってしまうと、今の生徒たちは本当に固く身構えるんじゃないけど、
舞台を想像するんですよ本当に。僕は違うと思ってるし、そう思ってほしいわけで演劇って使うわけじゃないけど、
42:00
だからあんまり言いたくないけど、ちょっと砕けるときとかはロールプレイっていう表現するときもあります。
そうすると子供たちというか、生徒がちょっとハードルが下がるというか、
それを演じてみるみたいな風に捉えてもらえればなと思うんで、
演劇っていうワードは結構ね、生徒に難しいなって。
分かりました分かりました。すごい距離を生みかねない。
私も演劇って言わない方がいいんじゃないかって思う。
そうそう。なんかそれはめちゃくちゃ思うんですよね。
変なバイアスを生むだけというか、逆に伝わらなくなっちゃう。
そうそう。本当にそうなんですよ。だからその伝え方というかワードは結構悩む。
今けいもさんが言われたのはすげえ分かる。どう伝えていいか分かんなくなっちゃう。
僕もきっと演劇って名乗んない方が上手くいったコミュニケーションもたくさんあるんだろうなとか。
演劇だと期待して見に来た人がみんななんかなんだよこれって思って帰ったって。
なるほどね。確かに。
実際言われたこともある。それは演劇だと思ってみたらなんか違ったって。
演劇じゃなかったって。
そうか。なるほどね。
難しいね。確かにね。
怪しさとかもありますよね。普通に。なんか自分がやるの嫌とかじゃなくて。
演劇って言われたときもなんか怪しいっすね。演劇やっててとか言われたときになんかろくでもなさそうな感じとかないですかね。
分からんでもないな。
確かに。確かにね。
だいぶクローズな感じはやっぱりどうしようもするし。
かといって僕が自分でアーティストって名乗ることにやっぱり抵抗感がありますね。
やっぱりアーティストではないかなとか。
あ、そうなんだ。
講義で言ったらアーティストだし、アーティストって文脈がそれを名乗るんだけど。
じゃあ型書き、名刺に何て書きますかって言われてアーティストとは書かない。
それはそうか。
だけど、きっとさっきの今日の話題とかに演劇はやっぱりワークショップでそういう出て行き方があるんだってなったときに。
今も既に多分進行してるんですけど、演劇の界隈の中では作品は作ってなくて、そういうワークショップばかりの現場が多い。
ワークショップの現場の仕事が大半でみたいな人とかも結構多いんですよ。
そういう出て行き方をされてる方も多いから、そういう意味では作品とかを作るタイプの演劇人と、
そういうワークショッパーとしての演劇人とみたいなものは既に存在し始めている。
遠くの前からいるかなという。
面白い、そうなんだ。
やっぱ全員がワークショップ向きかっていうとそういうわけじゃないし、ワークショップやりたいかっていうことももちろんそう。
確かにめいさん前言ってましたよね。
そうです。これは私の考え方だけど、ワークショップをやるという行為がそのアーティストにとって、
45:08
アーティストの活動を発展させることに寄与してほしいっていう。
アーティスト側にお金じゃないもので還元される刺激がないと、
やっぱりその人と一緒にワークショップはする必要はないんじゃないかなって思うというか。
こんな感じですね。
糧にしてほしいみたいな。
それは全然普通に個人的な、面白い作品をたくさん見たいっていう欲望によっているのかもしれないんですけど、
作っているというか、出演しているとか作品作っている人とやっぱりいたいなって思いますね。
なるほど。
なるほど。えっとことは何?ワークショップ専門でやってる人よりはっていう意味?
ワークショップ専門でやってる人はでもなんか私は今んとこ。
専門って人はいないよな。声かかったら出演するとかっていう。
変なセリフしちゃったけど。
いやいやいや。
こういう人、作品作る人とワークショップメインでやってる人は考えてること、普段考えてることも全然違うと思います。
ワークショップやってる人の方が演劇をかなりコミュニケーションが発生する場と捉えてる。
何かが生成される時間であると捉えてたりとか。
結構作品作る人はどうしても作品市場主義になりがちだったりする。
はいはいはい。
そこら辺結構だいぶ考えてる。見てるところが違うんじゃないかな。
同じ演劇のジャンルにいても、とは思う。
そうか。
最近演劇に関わり出した自分にとってはすごい。
その感じ、その分類というか、その感覚がすごい面白いですね。
そうですか。
ワークショップメインでやってる人の感覚がそこと、作品をやってる人の感覚の違いがあるみたいな、そういうところは面白いなと感じますけど。
みんな何世演劇やってる人だから、その使い分けはきっと上手だから別に両党使い。
なるほどね。はいはいはい。いやいや面白いですね。
今回も結局50分くらい喋ってるわけなんですけど。
そんな長くなったんだ。
また次回にいろいろ回せたらなと思うんですけど、最後に一言ずつアートと教育についてどうかというのをいただいてから終わりにしたいと思うんですけども。
なるほど。どうか?
48:02
今日話してみてどう感じたかというか、どう思ったかみたいな話をちょっと最後まとめていただけたらなと思うんですけど。
僕はアート側にいるので、教育側が結構アートに光を見出してくださってるみたいな気持ちはあるんですけど、すごい嬉しいなと思っているし、
特に今日カンワンマが途中で言ってたトレンドの話じゃないですか。
デジタルのトレンドとか言ってばわかるとかじゃなくて、自分で考えていく創造性が必要なんじゃないかというトレンドで、僕すごいそれはそうだと思っていて。
教育の現場がそこにこう、僕は結構敏感に察知してると思うというか、別に世の中の人全員が今それを思っているわけではないんじゃないかと思うんですけど、
教育の現場にいる人がそういうことに真っ先に察知をして、それが早速教育に取り込まれてるっていうのはすごい明るい話だなと思っています。
そういうのが起こっているのはすごい、今日僕にとっては新情報なので、嬉しいニュースだなと思って聞いています。
なるほど。嬉しいのがそう言っていただいて。
ありがとうございます。めいさんどうですか?
いやーまとめ方難しいですね。
まとまらなくていいか。
どうしようかな。
思ったことか。
でもなんか、教育という文明でアートだったり、演劇が語られるとか、
劇場の外、展覧会室の外に作品というかアーティストが出かけていけるっていう社会の方が絶対に面白くなるとは思っているんですよね。
でもこれは全然、私は増えていくと思っているけど、全然まだまだ少なくて、
やっぱり言葉を尽くしてもなかなかね、この面白さって分かってもらえないなみたいな日々、
何て言えばいいんだろうねって思ってるんですけど、
まあでも、河村さんとやられてよかったなって思いました。
そこまで言ってくれる?
なんかだってね、全くやったことがある、でも見たことがある、でもないのに、
なんか出演までして、いやすごいなって思いました。本当にすごいですよね。
本当に。
でもそうね、ありがたいですね。
でもさっき最初チラってたけどね、あのJoseph Voiceっていう、
さっきも言ったけど社会彫刻みたいな考え方があって、
51:00
僕やっぱり一人一人がアーティストっぽい生き方をしてほしいなっていうのは結構最近やっぱり探求する中で思ってて、
なんか自分の考えを書き残すとか、一行文章を書くでも、
僕なんかそれアートだなって個人的には思ってて、
そこになんかその自分らしさとかこだわりだったりとか、
なんかその、何て言うんだろうな、こう何かを残した気持ち良さっていうなんだろうな、
心地良さみたいなものをなんか人類全員が持てたらなとか、
ちょっと最近なんか大きなこと思ったりするんで。
あー排出したくなっちゃった。
俺もううちゃんじゃべっちゃったもん。
そうそう、だからさっきね、めいさんが言われたみたいに、
なんかアーティストがどんどん外に出ていって、
その感覚をなんかいろんな人と分かち合うみたいなのは、
それに繋がっていく感じがするんで、
なんかもっともっと広がってほしいな、
もっともっと社会が面白くなるなってちょっと思いました。
はい。
以上です。
はい。
まぁちょっとお後がよろしいということで、
この辺りでちょっとこの回は終わりたいなというふうに思っております。
はい。ということで、
好奇心のたまり場、ここまでお聞きいただきありがとうございました。
この番組ではリスナーの皆さんからのメッセージをお待ちしております。
番組概要欄にフォームをご用意しておりますので、
皆様の日々の好奇心やワクワク、もやもやを気軽にお寄せください。
また番組の感想は、Xでハッシュタグ、
好奇心のたまり場をつけて投稿してもらえると嬉しいです。
あなたの気になるが誰かの面白いなる好奇心のたまり場、
パーソナリティは河村こと河村周平と、
けいもこと河村圭太郎と、
めいこと須賀本千尋でした。
はい。それでは今週もありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
52:52

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