第107回配信!
夏休みの登壇祭り、前半戦の最終日に配信しています。忙しすぎて今回はちょっと短めです。
前に「平和教育をやらなければ」と話した、その後の報告です。結論から言うと、今年も方法が分からないまま詰んでいます。先人の実践の前で立ちすくむこと、生徒の志望理由書と同じで自分に問いがないこと、自分の戦争の知識の出力のされ方が生成AIと変わらないこと。
▼朝日新聞「知る」シリーズ
https://digital.asahi.com/articles/ASV4H0SW2V4HTNIT001M.html
▼第3回 #教育系ポッドキャストの日
・開催期間:2026年8月24日(月)〜8月30日(日)
・共通テーマ:「宿題」
・参加方法:ハッシュタグ #教育系ポッドキャストの日 をつけて、Xで番組名と一緒に参加表明をポスト!
▼Voicy「デジタル時代の国語教育ラジオ」
https://r.voicy.jp/Rp9pGLnqmGP
▼お便り・感想はこちら(匿名OK・メールアドレス不要になりました)
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfJO7WWWd2GMDSHMkRSOxrYBHBWputpkdFdNGN66WShYY9-9w/viewform?usp=dialog
▼マシュマロ(匿名メッセージ)
https://marshmallow-qa.com/tm8bax36zofgzn4?t=Wmtrfk&utm_medium=url_text&utm_source=promotion
▼感想はメールでもお待ちしています!
📩 skasaharagfe@gmail.com
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6698777b366ee42128ad2540
夏休みの登壇祭り、前半戦の最終日に配信しています。忙しすぎて今回はちょっと短めです。
前に「平和教育をやらなければ」と話した、その後の報告です。結論から言うと、今年も方法が分からないまま詰んでいます。先人の実践の前で立ちすくむこと、生徒の志望理由書と同じで自分に問いがないこと、自分の戦争の知識の出力のされ方が生成AIと変わらないこと。
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感想
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サマリー
今回の配信では、教育者であるパーソナリティが、平和学習の単元を授業でどう扱うかについて、自身の悩みを率直に語っています。多くの資料や先行実践があるにも関わらず、生徒に何を考えさせ、どう行動してほしいのかという「出口」が見えず、単元を組み立てられない現状を吐露。自身の戦争に関する知識が生成AIのように表層的であることや、生徒の志望理由書作成支援で感じる「問いのなさ」と自身の状況が似ていることを指摘し、教育者としての覚悟や問いの重要性について深く考察しています。また、公害問題にも触れ、教育における負の遺産との向き合い方についても言及しています。
冒頭の挨拶と近況報告
この番組では、Google for Education認定イノベーター、コーチ、トレーナーのKasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
この配信が流れている今日が、自分の夏休みの登壇祭り、その前半戦の最終日ですね。 ただ、これを録音しているのは、その登壇ラッシュが始まる前なんですね。
なので、今日の自分がどんな体調で、どんな気分で生活しているかということに関しては、全く想像がつかないですね。
一応、この配信が流れている頃には、一度家に戻って、午後から六本木に行く予定なんですけどね。 生きてるかな?大丈夫かな?
ちなみに、今日の発表、登壇に関しては、通称記載と言います。 奇妙な祭りと書いて記載です。
以前にボイシーでしたっけ? どこかで話したと思うんですけど、一年間で一番尖った話をするのが、この記載なんですね。
8月6日の長瀬の教育セミナーの方でも、どうせなら他の人が話さないような悪ふざけを、いや悪ふざけなんて言ったらダメですね、お仕事なので。
なかなか挑発的な話をしたつもりなんですけど、いやまあ、収録時点だとするつもりというのが正確なんですけど、それでも、今日の記載の方がもっと突拍子もないことを言いますからね。
いやー楽しみですね。もし現地に行かれる方がいれば、ぜひ六本木でよろしくお願いします。
そんな1週間だったので、正直に言います。忙しすぎて多分今日の放送は短めです。すみません。
平和学習の単元立案の悩み
で、今日話したいなと思ってるのは何かというと、以前に4月の頃でしたっけ?
平和教育をやらなければいけないと思ってるという話をしましたけど、あの話がその後どうなったかということについて報告してみようかなと思ってます。
まあ結論から言うと済んでます。ということで、それでは今週のデジタル時代の国語教育を語ろうを始めていきましょう。
さてこの配信の頃はちょうどお盆の時期になりますね。そろそろ8月15日がやってきますね。
この時期になるとやっぱり日本の平和ということは色々と考えてしまいます。
だから今年こそはちゃんと平和学習をやらなければいけないと思ってるんですが、結論から言えばやっぱり方法がわからない状況です。
授業準備としては完全に積みの状態です。材料がないわけではないんですよ。
例えば朝日新聞が今年シルシリーズというようなかなりいい資料を出してくれてるんです。
概要欄にリンクを貼っておきますので興味ある方は見てください。
だから何かできそうな気はするんですよ。気はするんですけどそこから単元にならないんですね。
このシリーズがいいなと思うのは知るというようなたてつけになっていることですね。
教えるとか伝えるとかではなくて、まずは客観的なデータから知りましょうみたいなそういう書き方にもなってるんですね。
なのでこういう構成であれば自分も生徒と同じ側に立てるなって思ってはいるんです。
で後で話しますけれども、まあ自分は平和学習だとかに関しては少し教えるという言葉には色々思うところはあるわけなんです。
だから何でしょうね、方法がわからないというのが具体的に言うと単元の出口を決められないっていう感じなんです。
生徒に読ませるような材料というのはいくらでも集められます。
集めるのは今の時代なのでかなりハードル下がってますからね。
でも最後に生徒が何をするのか、何を考えるのかどうするのかというのが全然決まらないんです。
感想を書かせて終わりみたいなことは絶対にあり得ないですし、調べてまとめてスライドにしましたみたいなことをやるのも絶対違うじゃないですか。
かといって平和について自分の意見を論じなさいと投げたら、
多分生徒はどこかで見たことのある言葉を並べるでしょうし、そもそも平和はいらないっていうような生徒はいないですよ。
で、そういうような言葉の空想な空回りしているところに対して自分は何も言えなくなっちゃうわけですよ。
そんな空想な言葉を並べるような授業を作っちゃダメだろうって思うわけです。
だから出口が決まらないんですよね。
先行実践との比較と自身の課題
でもまあ出口が決まらないというのは、要するに何のためにやるのかが自分の中で全然腹が決まってないということなんですよね。
84回でAI時代だからこそ平和教育を次元どの授業でというようなところで話をして以来、
第92回では国連憲章や世界人権宣言を読む授業というような授業開きの単元の話もしました。
あれはあれでちゃんといろんなことを考えてやってくれたんですよ。
でもその後8月の今の現在になっても、戦争そのものに向き合う単元というのは未だに全然アイデア出てこないんですね。
まあ一つの理由というのは先人たちの平和学習の実例を見て、
これを見て自分がこんな感じでやっていいんだろうかっていう風に迷っちゃってるわけです。
例えば軽井沢の風越学園の甲斐理恵子先生がいらっしゃいますが、現役の国語科の先生の中では間違いなくトップレベルの実践者ですよね。
ああいう偉大な先輩がやっぱり平和学習取り組んで実践報告されてたりするんですけど、
そういうような実践報告を見ると、いや自分にはここまでやれる覚悟がないぞっていう風に思い知らされているわけなんです。
何を伝えたいのか、何を考えて欲しいのかというのが自分の覚悟で語れる気が全くしないんですね。
ああいう実践って教材や手順を示して真似をしても再現絶対できないんですよ。
その先生が何か問題意識を持って長い時間をかけて、
そのテーマと自分の人生のつながりみたいなところから考えてきた蓄積の上に成り立ってるから、
生徒にも教室で言葉が届くわけで、指導案だけ持ってきて同じ順番でやっても薄っぺらいものにしかならないなって、
そしてそれが借り物だってことは絶対生徒に伝わっちゃうんですよ。
前回の放送で自分の授業には再現性がないという話をしましたけど、まあ今日は逆の話ですね。
人の実践を自分が再現できないっていうことを痛感しているところなんです。
技術的な、授業技術の問題じゃないんですよ。教材の探し方がわからないとか時間が取れないだとか、語りが下手くそ、説明が下手くそとかいうそういう話ではなくて、
もっと根幹なところで、もっと本当に覚悟を決めなきゃいけないようなところで自分の腹が決まってないんだなっていうような気がします。
生徒の志望理由書と自身の「問いのなさ」
話はちょっと変わるんですが、この時期は生徒の死亡理由書の手伝いもたくさんしているわけです。
で、生徒の死亡理由書のスタートってだいたい問いがないんですよ。
やりたい、やりたい、やりたいって自分のやりたいことばっかり羅列して書いてきちゃうんですね。
じゃあ何を問題意識として問い続けて、大学で粘り強く考えてみたいのって聞くと、そこでまあ思考停止しちゃうわけです。
大学で何を学びたいのと聞けば、通りペンとの答えは返ってくるんですね。
でもそれを何で自分がやらなきゃいけないと感じるようになったのというふうに質問を重ねていくと、だんだんだんだん言葉が細くなっていって黙っちゃうんですね。
だからそこを一緒に掘り下げていくというのが、この時期の自分の仕事としてとても大切なんです。
で、実はこれ自分も全く同じなんですよ。
平和学習に対して結局自分が問いがないんです。
やらなきゃいけない、やりたいって自分も関係あるからやらなきゃいけない、ぜひ生徒に伝えたいとは思ってるんです。
でも自分の中にそもそも平和に対する問いだとか、さっきの戦争についてお前はどう思ってるんだよっていうような点で全然問題意識が足りてないわけなんです。
生徒に対して問いを立てろと言ってる人間が、自分の一番やらなきゃいけないなと思ってるテーマで問いを立てられないわけですから、これはなかなか情けないなぁと思うところですね。
生徒には偉そうに、まだ問いになってないよっていうふうに志望理由書見ながら添削返しちゃうんですよ。
それはもう他人のことだからオカメ初目じゃないですけど言えるわけですね。
でも自分のことになると、どこをどう掘ったらいいかというのがもうさっぱり今わからない状況ですね。
もちろん広島や長崎の話も一応これでもまだ国語化の教員なので、例えば原爆文学などを通じて色々と触れてはきてはいるんですよ。
知識と意味付けの欠如、生成AIとの比較
だから知識として持っているものがないわけではないです。
でも結局単発の事実の羅列なんですよ。
この作品にはこういう読みどころがあるという引き出しだとかはあります。
教材として扱ったものもあったりもしますね。
でもその一つ一つが自分の中でちゃんと意味付けとしてつながってないんです。
引き出しがたくさん並んでいるだけで、それを貫く軸がないんです。
戦争そのものについても、以前にどこかで話しましたけど、自分の祖祖父が陸軍でそれなりの立場だったんですね。
南方戦線の方で戦争しているので威骨もないんですよ。
だから色々と話だとかは聞いたことはあるんですけどね。
まあこの聞いているというのがなかなかやっぱりクセモノで、聞いた話として持っているだけなんですよ。
自分が引き受けた話になってない、威骨がないということの意味を、
例えば腰を据えてしっかりと考えたことがあるかというと、
まあ全くないですね。
話として知っていて、実際にお墓を回収する時に、その骨壺の中に石しか入ってないのを見ているんですけど、
いやー、その時にやっぱり何も考えてないんだなって、今になって思います。
だから自分にとっての戦争の知識って、もう生成AIと全く一緒なんですよ。
聞かれたら一通り答える。通り一遍等のことであれば、まあまあ答えられる。
でもそれだけなんですよ。
そこから先の自分の問いかけだとか、自分で何を目指すのか、
何を問題意識にするのかということが全く出てこないんです。
沖縄は好きで、個人的に定期的に行ったりするんですね。
で、その度に姫百合だとかは見学に行って、色々その都度考えたりはするんです。
でもそれでも自分が本当に問いたいことって何だろうというのが分からないでいるんですね。
ちゃんとやっぱり行くたびに胸は重くなるし、感情は動くんですよ。
でも帰ってきて何日か経つと日常の方の生活に戻ってしまうわけです。
動いて感情が問いに変わっていかないんです。
そのあたりがやっぱり自分の浅はかさとでも言うのかな?難しいところですね。
教育者としての葛藤と価値観
生成AIと同じだということをもう少し掘り下げて考えてみると、
生成AIって聞かれないと答えないじゃないですか。
自分から問いを立てて勝手に考え始めたりはしないわけです。
で、手元にあるデータをそれらしく並べて返しているだけです。
自分の戦争についての語りがまさにそれなんですよ。
聞かれたら知識はあるからそれっぽいことは答えられます。
生徒に説明だって聞かれればできます。
でも誰にも聞かれてないときに自分の中で戦争について、平和について考え続けているかというと、
やっぱりそうじゃないんだなってつくづく思いますね。
問いを持ってるというのは、たぶん聞かれてもいないのに考えてしまうような状態になっていることだと思うんです。
国語の授業のことや探求のことについては、
自分は聞かれてもいないのにもう年がら年中勝手に考えてますし、
頼まれてもいないのにこうやってポッドキャストの配信までやってるわけなんですよ。
でも平和についてはそうはならないんです。
だからたぶん授業もできないしかたれないんだなって思いますね。
だからまあ、自分はつくづく教員に向いてないなと思うのがこういうときなんですよね。
いや本気でそう思ってるんですよ。
自分の中に伝えたいことが全くないわけです。
むしろ人に何かを教えられると考えること自体が思い上がりなんじゃないかとすら思ってるんですよ。
そのせいでメッセージを伝えるということを授業でやるのに、
非常にやっぱり自分の中で抵抗があって苦手だなって思ってるんです。
何かを伝えるのであれば授業みたいな逃れる場所のない、逃げ場のない場所じゃなくて、
こういうポッドキャストだとかノートだとか自分のメディアでやればいいし、
そっちの方が筋だろうと思っている自分もいるわけです。
授業という生徒にとって逃げられない場所で自分の価値観を話していくということに抵抗があるんです。
メディアなら聞きたくない人は聞かなくてもいいわけです。
このポッドキャストだって途中で嫌になったら止められるし、そもそもアクセスしないわけじゃないですか。
でも授業は違いますよね。
生徒はそこに居続けなきゃいけないわけだし、その生徒に成績をつけるのも自分なんです。
その非対称性な関係の中に自分の価値観を押し付けるみたいな形で話していくというのは、
どう考えてもやっぱり暴力的な面があって、
そのことに関してキャンセルすることはできないけど積極的に振り回したいかというと、
そうでもないし、じゃあ平和教育みたいな話はどうしたらいいんだろうっていう形で堂々巡りになってしまうんですよ。
何も言わなければいいのかというと、平和というテーマに関してはそれも違うだろうとやっぱり思うんです。
何も言わないということ自体が一つの態度表明になってしまうと思ってます。
前回の放送でも少し触れましたが、基本的な自分の価値観というのは、生徒が自分で決められるようになってほしいということなんです。
ただ、そういうふうに思っている人間が平和というテーマの前だけには伝えなきゃいけないというふうに思っていて、
ここがやっぱり矛盾してるんだよな、ねじててるんだよなっていうふうに思うわけです。
だから多分、平和学習の単元がいつまでたってもうまく立てられないんだろうなというふうに見通すのくらいなって思ってるところなんです。
四大公害問題と地域探求
同じ現象が四大公害について考えている時にも起こるんですね。
これも授業のテーマとして扱ってちゃんと向き合いたいわけなんですよ。
少なくとも去年まで探求学習の担当で地域探求を頑張ってやっていた以上は、
自分のふるさと、その地域が資本主義の理屈でひどい目にあって失われたというような経験をした人たちが過去にいるということを授業でちゃんと向き合わないと、
何が地域探求だよっていうふうに思ってたんですよ。
地域探求をやっていると、地域の魅力を発見しようという方向にはなるんです。
まあ、それを目的にしますからね。
で、それは悪いことではないです。
でも一方で、自分の生まれ育った故郷・地域というものをないがしろにする理論が、
昔は平然とまかり通っていた時代もあったというような、
そういう歴史はちゃんと紹介していかないと、地域探求はどこか上滑りするんだよなぁなんてことは思っていたんです。
どうにかしたかったんですが、やっぱりそれも同じ理由で、
戦争の平和学習と同じ理由で、うまく授業にできていないんですよね。
ちなみに余談ですけれども、
ミナマタ病の公式確認から70年なんですよね、今年で。
そんな時期だからこそ、前にも言いましたが、
探求公害という言い方で、公害という言葉を軽々しく使う人たちには怒りが湧いてきますね。
探求のことをバカにされるのも腹が立ちますし、
それ以上に歴史のことを踏まえると余計に腹立たしいわけですよ。
公害って実際に人が死んで、家族もバラバラになって地域が引き裂かれて、
それでも何十年も認定を求めて戦い続けている人がいるわけじゃないですか。
そういう背景を持った言葉なんですよ。
それを外部との連携がうまくいっていない学校の取り組みを、
揶揄する、からかうぐらいのために使ってるって、その軽さはほんと嫌ですね。
でもそういう怒りを持たれているということ自体が想像できないような人だから、
多分平気で使っちゃうんだろうなと思うので、もう半分諦めと同感ですね。
教育における負の遺産との向き合い方
いやーだからこそ、自分の教室で平和学習や過去の負の遺産、公害みたいなことと
向き合って考える時間をちゃんと本当に持たないとダメだなと思うんですよ。
それこそ、教育でパターナリズムでいいから教えなきゃいけないなっていう気持ちも
最近はちょっと強くなってます。問いがないまま、それでもこんなことを考えているっていう感じなんですが、
結局今年もそれで止まってますね。
せめて来年の8月には同じことを言わないようにしたいんですけど、
うーん、なんかまた来年も言ってるような気がします。
それでも今年は自分に問いがないというところまでは、とりあえずこうやって自分の言葉で言えたので、
去年よりは少し進んだかなというふうに思うことにしておきます。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
告知と雑談
さてエンティングでまず告知なんですが、第3回教育系ポッドキャストの日が
8月24日の月曜日から30日の日曜日まで開催予定です。
共通テーマは宿題。誰かに提出するためだけではない、あなた自身の宿題を聞かせてくださいという形で今回は募集しています。
参加方法はハッシュタグ教育系ポッドキャストの日をつけて、Xで番組名と一緒に参加表明をポストしてください。
で、ここからは雑談なんですが、今日の発表が終わったら自分は北の方に旅立つ予定です。
なんで急に北なのかっていうと、JR東日本のどこかにビューンっていうサービスがあるんですが、それでチケットを取ったからなんですね。
行き先がランタムで決まって自分で選べないっていうようなそういうやつです。
先週全く家にいなかったくせにまたどこかに旅行に出るのかよと思われるかもしれませんが、
まあでももう自分のためだけに日常から離れて単に観光というか骨休めしたいんですよ。
いろいろなところに研修で呼ばれると旅行ができてるんじゃないですかと言われることあるんですが、
いやいやいやいや仕事ですからね。
その地域の美味しいものや景色は楽しめて役得なところがあるのは事実です。
でも実際は仕事で行くと荷物も多いし気持ちは張ってるし弾丸ツアーになるので、まあまあやっぱり余裕はないですよ。
だからちょっと北の方に読みたい本だけ抱えて遊びに行きます。
ホテルに入ってひたすら本を読んで気が向いたら大きなお風呂やサウナでリフレッシュして地域の店でちょっと料理楽しんだりとかそんな感じですね。
頭を空っぽにした方がいいんですよ。
普段ICTをいろいろと使ってるので身体の感覚を取り戻すようなことをしないといけないなと思っています。
そろそろお盆休みですね。
リスナーのあなたはどのような過ごし方をされていますか?
ぜひいろいろとコメントなどで教えてください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
感想はコメント欄やSNSでハッシュタグデジコク、デジはカタカナ、コクは国語のコクとつけてぜひお気軽にお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleホームに直接コメントをいただけても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
またVCでは毎日配信もしているのでぜひそちらもお聞きください。
それでは次回の配信でお会いしましょう。
ではまた。
22:14
コメント
ヒントになるかどうかわかりませんが、私は以前「平和を感じる時ってどんな時?」っていう問いにゲームをしている時って答えました。 理由は二つで、ゲームの中は大抵平和じゃないから、相対的に今が平和に見えるということ。 あとは、ここ最近のゲームはある程度以上のビッグタイトルになると、翻訳スタッフなどを含めて世界中の方々が関わっています。そういうゲームのスタッフロールなどを見ていると、このゲームは平和じゃなければ成り立たないんだということを思い知らされます。 戦争経験者も減っている中、どうしても生の意見を伝えるには限界がある。じゃあそんな中少しでも生っぽい意見を伝えるにはどうすればいいか というと、ゲームなのかななんて思ったりしてます。 実際国によってはThis War of Mineみたいな戦時下を舞台にしたゲームを教科書的に使ってる事例もあるらしいですしね。 このへんなにかヒントになったりしないかなあと思ったりしています。
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