年度末の慌ただしさと来年度への思い
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。 この番組では、Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ、私Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
今日は3月2日ですね。 1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言いますが、本当にあっという間に2月が終わってしまいました。
いよいよ年度末です。 明日からは学年末講座が始まりますし、その後は成績算出や各種事務処理、片付け等やることが山のように控えています。
講座が終わったと思ったら採点、採点が終わったと思ったら成績算出、成績算出が終わったと思ったら本当に次はもうあっという間に次年度と、行き着く暇もなく3月が過ぎていくんです。
この時期の教員は本当に休まる暇がないんです。 精神的にもこの時期は自分はダメですね。
そんな慌ただしい時期なのに、今日はあえて来年度の授業について考えているということをお話ししようと思います。
来年のことを言えば鬼が笑うと言いますけど、まだ学年末講座すら始まっていない段階での来年度の話をすると鬼も笑うどころか転げ回るかもしれないです。
でも年度始めになると学級開きや事務作業が怒涛のように押し寄せてくるんです。 気づいたら4月が終わっていたなんてことも毎年起こるので、今のうちに1年間の見通しを立てておきたいんです。
今回はAI時代だからこそ平和教育を次年度の授業でというテーマでお話をしていきます。
エージェント型AIが広がる時代にあって、なぜ今平和教育に向け合おうとしているのか、そのことについてお話ししていこうと思います。
平和教育に取り組む理由と世代間の認識の違い
さてここからが本題です。自分は基本的にコンテンツに基づいて授業を考えるということをほとんどやりません。
要するに定番教材にそんなにこだわりがないということですし、教科書の文章を解説して教えるということはほとんどやらないですね。
しかし今の社会や政治の状況を見ていく中で、一つだけコンテンツというかテーマとしてそのものに向き合わなければいけないなと思っていることがあります。
それが平和教育や戦争教材に関してですね。 正直なところ、就職をしてからこれまで平和教育や戦争教材に関しては、
通り一遍とのことしか扱ってこなかったという自覚があります。 言い方変えるなら、後ろめたさと言ってもいいかもしれないです。
ただ就職してからの10年間ぐらいに関しては、ある意味で戦争が起こるということは想像できないような時代でした。
もちろんその時々にいろいろな事件は起こってきましたが、ただ2026年の今のようにいよいよ力によって他国に対して主権を犯していくみたいなことが目の当たりになるような、
そういうことが起こるような気配というか予想というのができない時代でした。 まあ良くも悪くも世界情勢はある程度のところで安定していましたし、
グローバリズムの矛盾のようなことも顕在化しきっていないような時期でしたからね。 コロナ禍よりも前の時代にこんなに世界の中が悪くなるなんて全く想像もできなかったですね。
とはいえ、4年前にウクライナ侵攻が始まり、気な臭さを感じるようになりましたが、それでも事業で正面切って取り扱うべきと強く思ってこなかったというようなのが実情です。
しかし、2026年の今はもうそうではないだろうと思うんです。 本当に戦争や平和について考えなければいけない時代が来ているとそういうことを感じています。
いや、国語科の教員なので、本当はもっと言葉に集中していろいろ授業をするべきなのでしょう。
でも、ここまで切羽詰まってきたら、やはり教育者として何も言わないで済ませること自体が不作為、良くないことなんだろうと感じるんです。
ちょうど1年生の授業の一番最後の単元で、グローバリズムとナショナリズムについて生徒と一緒に取り組んできましたが、生徒たちもナショナリズムについて調べていく中で、
戦争と経済という問題に直面し、かなり今の危機的な状況について深く考えてくれている様子でした。
成果物を眺めていても、戦争や平和に対する向き合い方について色々な問題意識というのが現れているなというのを感じます。
話は変わりますが、実は自分の祖祖父は陸軍の比較的高い階級の職業軍人だったんですよ。
それこそ幼い祖父に軍からのお付きの人みたいな人がいたくらいみたいですから、相当偉かったんだと思いますね。
そのため私自身は、戦争に関して色々と話を聞いて育ってきたっていう、そういう背景を実は持っていたりします。
しかし、今の生徒たちの世代は、祖父母の世代であっても戦後生まれが多いわけです。
戦争を実体験した人のリアリティのある言葉を聞く機会が本当に減ってしまっているんです。
だからこそ、戦争やファシズム、強権的なリーダーに対する受け止め方が、やっぱり自分の世代とは何か違うなっていう感じ方をすることがあるんですね。
教員が世代論を言い出したらおしまいだと思っているので、あまり世代の違いというものは強調したいとは思わないのですが、
それでも戦争のリアリティに関しては本気で向き合わなければいけない状況にあるんじゃないかなというのを感じます。
だからこそ、今自分の考えていることとしては、1年間をかけて息の長い断言というか、まあ断続的にというか、通送低音として、
平和教育や戦争教材とどう向き合うかということを考えていかなければいけないかななんてことを考えて授業を考えているんです。
論理国語における平和教育の位置づけとデジタル・シティズンシップ
おそらく来年の授業に関しては、まだ勤務校の人事がさっぱりわからないので、今から考えても仕方ないんですけれど、
順当にいけば高校2年か3年を担当することになるだろうとは思っています。
勤務校の都合で急に小学校や中学校に移動する可能性もゼロではないんですけど、
基本的には高校生を教える前提で準備を今は考えている感じです。
自分の担当科目が現代の国語や論理国語であるため、どのような文脈で平和教材や戦争教材を準備し授業に組み込んでいくべきか、
学習指導要領との整合性を含めて検討することが必要かなとは思ってますね。
本来、ここにいない誰かだとか、自分とは異なる他者に対して想像力を働かせていくことは文学が持つ力です。
しかし、現代の国語や論理国語の中で文学教材を文学として読んでいくような扱い方は、
普段の自分の主張の通りそれは適切でないだろうと思っています。
勤務校に文学国語の設置がない以上、戦争との向き合い方についても、論理国語の中での向き合い方を正しく考えなければいけないなと思うわけです。
テクニカルな抜け穴を探すような方法で、無理やり論理国語の授業の中で文学的な文章を扱って戦争の教材を読ませるみたいなことではなくて、
もっとちゃんと論理国語の指導手法や目標の中にあること、例えば論理の力であるとか、少し拡大解釈して言うのであれば、
市民性、シティズンシップといった観点から、戦争というテーマに対してアプローチができるのではないかなというふうに思うんですね。
具体的に取り組むべき自分の仕事だろうと思っているのは、
AI との向き合い方も含めたデジタルシティズンシップ教育の体系的な実施なんだろうな、みたいなことを今考えています。
平和教育とデジタルシティズンシップを結びつけることで、論理国語の枠組みの中でも、戦争や平和についてアプローチすることができる授業というものができるんじゃないかなって思うんですね。
子どもたちが普段生きているデジタル空間というところを踏まえて考えていくと、必ずデジタルシティズンシップ教育は必要になると思いますし、
まさに今、戦争の引き金になる可能性があるのが、SNS、エコーチェンバーだとか、そういうものの影響であることを考えると、
デジタルシティズンシップというものを媒介にして、論理国語の中で戦争や平和について考えていく、そういう授業はあり得るんじゃないかなというのを今考えているところですね。
AI時代の授業づくりとプロセスの重要性
デジタルシティズンシップ教育なんですよね。やっぱり政治や社会を変えていくということを実装するならば、だから今回のテーマとして、生成AIというのを挙げているのは、それが理由の一つですね。
つまり、生成AIを無視して授業はできないですし、生徒も使っていくことで社会に何か影響を与えていくことになるんだろうなぁなんてことを考えているわけです。
でも、生徒より先に教員が社会をAIを通してどうするかという問いに向き合うことになるんだろうなと思うんですよね。
むしろ、社会をどうするのかというような問いと向き合わずに、AIについて授業するというのは、無責任になってしまうんじゃないかと考えています。
今、生成AIの界隈では、クロードコードのようなエージェント型のAIがかなり話題になってますよね。
これまでの生成AIは、プロンプトを打ち込んで回答を得るというような、アプリケーション的な使い方が主流でした。
しかし、エージェント型のAIは、自律的に情報を収集し、複数のステップを踏んで一つのタスクを完遂するようなことができるわけです。
学校現場にこのエージェント型のAIが直接入ってくるのは、おそらくまだもう少し先だろうとは思いますが、この流れは確実にやってくるだろうというふうに思います。
教員の仕事という文脈で考えると、エージェント型のAIを使えば、自分の既に集めてある資料を元にして、新しい授業案を作成するということもできますし、情報収集や授業のルーブリックを作るみたいなことももちろんできるわけです。
実際に研修会などで、生成AI未経験の先生方に、どんなことできますかというふうに聞かれたときには、自分はここまでのことができるんですよというようなエージェント型の生成AIの機能というのはちょっとお見せしたりしてるんですよね。
ただ、自分自身が考えている方向性としては、そういったAIの使い方に何も考えずに安易に飛びついてしまうのは、あまり良い方法ではないんじゃないかなと感じてるんです。
使うなって話じゃないですよ。この辺りの伝え方が難しいんですが、目的というか目指すべき理想なく自分の仕事をAIに投げるなっていう、そういう感覚ですね。
AIを使って、ただ時短ができればいいっていう考え方に対しては、自分は甚だ疑問です。
授業については、自分で授業資料を作り、一行一行確かめながら授業案を構成していくものじゃないですか。
その流れの中で、子どもたちの思考の動きや授業で起こるトラブル、生徒の反応といったものを想像する余地が生まれるんだと思います。
それが自分の理想や目指すべき社会の在り方と向き合うために必要な思考の過程だと思うんですね。
普段そこまで大行なことを考えていないとしても、一行一行考えていく過程の中には、そういう自分にとっての良い授業とは何かという、そういう振り返りがあると思うんですよ。
ある程度の下積みがあれば、そういう腹はもう決まっていることでしょうから、上手にAIを使って素早く良い授業を作れると思いますよ。
でも、自分の中にまだ軸がなく、AIを使って出力させるだけで、一体どのような社会の形成者を育てられるのか、自分はそこに問題意識があるんです。
授業案を作るということは、必ずしも案の通りに授業を進めることが目的ではないんです。
授業案を作るプロセスを通じて、子供の頭の中で何が起こっているのか、自分にとって、事業者にとって学びとは何かということを考えながら授業へ備えを整えていく。
そういうプロセスを省略しちゃいけないと思うんですよ。
だからこそ、平和教育のように繊細で重いテーマに取り組むときには、AIに活躍に作らせるということに関してはかなり警戒しておきたいと思っています。
もちろん、資料を集めたりするときには、AIの威力を十分に発揮してもらうのはいいと思います。
でも肝心の授業を考えるときには、やはり自分自身が教材と向き合い、生徒の反応を想像しながら授業を組み立てていくことが一層大切になるんじゃないかなと思っています。
NotebookLMを活用した振り返りの実践
まあ、こういう話をした一方で、AIの力を借りると面白い場面って確かにいっぱい今出てきています。
例えば、それがリフレクション、つまり振り返りの場面ですね。
これはボイシーでもお話ししましたが、ノートブックLMを使った振り返りがなかなか効果的で面白かったなって思ってるんです。
ボイシーを聞かれていない方のためにも簡単に説明しますと、
生徒が1年間かけて書いてきた振り返りシートを写真でノートブックLMにアップロードしてもらったんです、今回。
手書きのデータであってもノートブックLMが読み取って自動で分析してくれるので、
1年間で自分が成長したところを教えてと質問すると、生徒自身が気づいていない視点からの分析を提示してくれたりするんですよ。
そういう作業を通じると、やっぱり振り返りの質自体は例年よりもかなり良いものが出てきたなっていうふうに感じています。
特に面白かったのは、ジョハリの窓のフレームワークで聞いてごらんと生徒に話をしたときですね。
そういうふうに指示をすると、ノートブックLMはアップロードされたデータに基づいて、
生徒自身が自覚していなそうな部分を的確に指摘してくれたんですよ。
こういう良い使い方もあるかなと思うので、来年度に関しては計画段階からノートブックLMを使うことを前提に、
毎回の授業の記録を残すことを検討していきたいなぁとは思っています。
月ごと、学期ごと、年度末といった節目で振り返りを重ねることも、
ノートブックLMを使うとかなり強力にできるようになっていると考えると重要性は増しているなぁって思うんですが、
ただ振り返りって大きなものが回数増えるほどに形外化しやすいので、この辺りのバランスはまた難しいですね。
振り返りでAIから答えを出すのが目的になってしまって、
自分の中でどうなりたいかみたいなところの理想だとか目標がなく、
AIと対話し続けるというのはなかなか空虚な感じがしますからね。
そういうようなAIの使い方はしてはいけないと思っています。
データ分析への慎重な姿勢と中長期的な視点
AIを使えば、事業者も定量的なデータを取れるのは事実なんです。
ただ、定量的なデータの分析についてはちょっと慎重に扱いたいなと思っています。
というのも、自分で分析を行うと自分自身が満足する結果の方向へ事業を誘導してしまうようなそんな懸念があるんですね。
意識してそういうことをやるかというと別な話ですけれども、
ただやっぱり人間なので、出てきた数字を見てそれに振り回されてしまうところがあるんじゃないかなと思っています。
で、来年取り組みたいと考えているのが戦争教材、平和教材というものを中長期的にということなので、
そういうような時に自分の方向に誘導してしまうのは結構怖いなって思うんです。
なので定量的な分析をどうするかということに関しては今のところ保留かなというふうに思っています。
データは蓄積するとしても分析については自分の授業を歪めないためにも別の人に任せる方がもしかしたら良いのかもしれないななんてことを考えていたりします。
なんだか今日の配信はだいぶ取り留めのないことをお話ししてきましたね。
まだ人数も出てない状況なのでこんなこと考えていても全部空振りになる可能性はあるんですよね。
ただまあ自分の中の今の2026年3月の段階の問題意識としてここに記録として話しておこうと思いました。
迷いの中で実践者としての足場を築く
今回の配信はいかがだったでしょうか。
今回はいろいろな話題を詰め込みましたが、結局のところ内年度の授業について迷っている最中であるというのが正直なところですね。
平和教育への向き合い方、論理国語の中でどう位置づけるか、AIとの距離をどう取るか、どれも簡単に答えが出るものではないのですが、
この迷いの中で自分の授業の立ち位置というものを考えていくということが自分の事業者として実践者としての足場を作るという意味で大事なんだと思っています。
年度の切り替わりというのは自分にとってはやはり虚しさを感じる季節でもあります。
校内の仕事の役割が変わり、一緒に仕事をしてきた同僚との関係もまたシャッフルされてしまうわけですからね。
文章も変われば日常的に話す相手も変わるわけです。
そういう人間関係の変化に対してまあやりづらさを感じている自分がいます。
もちろん新しい体制での出会いというのがあるのは刺激としては大切なのですが、それでもやはり心配事は多いです。
ありがたいことに次年度の研修や講演の依頼も入り始めています。
生成AIや教育ICTの分野でお声掛けいただけることは本当にありがたいことです。
そうした場を通じて今日お話ししたような問題意識を共有していけたらいいなぁなんてことを思っています。
まあとりあえず年度が変わるまでの残り1ヶ月、まずは目の前にある校差や成績算出をしっかりやりきって、その上で4月からに備えていこうと思います。
番組の締めと今後の配信予定
本日のポッドキャストの裏話は私のボイシーで朝6時半頃に配信しています。
ボイシーでは毎日の教育実践の話やちょっとした雑談もしていますので、ぜひそちらもお聞きください。
ここまで聞いてくださりありがとうございました。
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この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。
ではまた。