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#110 うまくいった話が、できなくなってきた
2026-08-31 25:37

#110 うまくいった話が、できなくなってきた

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第110回配信!
明日から二学期という学校も多いと思います。自分も一ヶ月ぶりの出勤です。この夏は外部での発表が続きまして、なかでも8月6日の夏の教育セミナー(大阪会場)が今年いちばんの山場でした。今回は、そこでお話しした内容をかいつまんで紹介します。
※単元名や実践の具体的な中身については、主催者への配慮から今回は伏せています。力点と輪郭だけの紹介です。


▼タイムスタンプ
オープニング
大阪セミナー「今、改めて国語をする」から
入試対応と教科の目的は別物という視点
桝井論文「弱いまま生きるための言葉」
読みの違いを持ち寄る授業と生成AI
ポッドキャスト実践とAIと共に書く単元
授業設計の余白と「自分の言葉」再考
エンディング


▼参考文献
桝井英人「弱いまま生きるためのことば」『月刊国語教育研究』648号(日本国語教育学会/2026年4月)
桝井英人『「国語力」観の変遷』(渓水社)
https://www.amazon.co.jp/dp/4874409148
※本編で紹介した問題提起は、笠原が同論考を読んで受け取った要約です。原文の言い回しとは異なります。
※本編で触れた高校生のAI活用に関する全国調査は、国立青少年教育振興機構(2025)の報告によります。


▼第3回 #教育系ポッドキャストの日
共通テーマ「宿題」への参加、ありがとうございました。参加番組のプレイリストは準備中です。これから配信される方も追加しますので、お気軽にご連絡ください。


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サマリー

本放送では、教育セミナーで発表された内容を基に、「主体的な生徒を育てる」という言葉の持つ意味合いや、生成AIの登場による国語教育の変化について考察する。入試対応と教科の目的は別物であるという視点から、生徒が「弱いまま」教室に参加し、言葉を表現できる場としての国語教室のあり方を提案。また、生成AIとの共存や、評価における完成度ではなく判断の足跡を重視する授業設計の重要性についても言及し、変化する時代の中でも変わらない「自分の言葉」で教室を作る意義を語る。

オープニングとセミナーの概要
この番組では、Google for Education認定イノベーター、コーチ、トレーナーのKasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
今日は、主体的な生徒を育てるという言い方が、無条件にいいことなのだろうかということについて話をしていきます。
言い方を変えると、主体的であるという要求そのものが、なかなか折り合いをつけられないでいる生徒を教室から占め出すことにつながっていないかという、そういうややこしい話をします。
この配信が流れているのが、8月31日ですから、いよいよ明日から2学期ですね。
久しぶりに生徒が教室に戻ってきて、授業が動き出すわけです。
夏休みの間に、2学期はこうしてみようだとか考えていたことを、早速試すことになる時期でもありますよね。
だからこそ、主体性の話を考えてみたいなぁと思うわけですよ。
と言いつつ、自分は1ヶ月ぶりぐらいに今日出勤なんですけどね。
1ヶ月も学校に行っていないというと、ずいぶん遊んでのんびりしていたように聞こえるかもしれませんけど、
別に遊んでいたわけでも実はないんですね。
この夏は外部での発表がいろいろ重なりまして、あちこちに出かけてました。
今年一番大きかったのが、8月6日の教育セミナーですね。大阪まで行きました。
後から伺った話だと、アーカイブ配信まで含めるとかなりの人数の方にご覧いただいていたようで、ありがたい話です。
で、さっきの主体的であれという話は、そのセミナーで一番時間をかけて話したことなんですよ。
2学期の授業をどう始めているか考えているこの時期に持ち出すにはちょうどいい話であるので、
今日はセミナーでどんな話をしてきたのかということをかいつまんで紹介をします。
それでは今週のデジタル時代の国語教育を語ろうを始めていきましょう。
まず最初にお断りしておくと、細かい単元名とか実践の具体的な中身まではお話はできないです。
それはセミナーの主催者への配慮もありますし、そもそも1時間お話しさせていただいているので、
その1時間分の話を話したらもうそれは別の配信になっちゃいますからね。
なので今日は輪郭というか、どういうところに力点を置いて話したのかというところだけをお話しします。
もしかするとちょっといつもよりも短めの今日は配信になるかもしれないですね。
今回のセミナーなんですが、自由に話していいということだったので、
「今、改めて国語をする」というテーマ設定
今改めて国語をするというタイトルでお話をさせていただきました。
会場で一番最初に先生方に投げたのは、
現代の国語と論理国語の授業に困っていませんかという問いでした。
今の高校国語、特に現代の国語や論理国語の困りごとって、
だいたい3つぐらいに分かれているような気がするんですよね。
まず、実用的な文章みたいな新しい素材をどう扱ったらいいかわからない。
それから、どうしても読むことに時間が取られて、話す、聞く核が痩せていくということ。
あとは、生成AIが出てきたことで、そもそも国語科で何を学ぶんだっけというところが揺さぶられてしまっているという、
だいたいこの辺なんですよね。
ポッドキャストを、この番組をよく聞いてくださっている方ならよくわかると思うのですが、
自分はこれらのお題に対して、別に明確な答えを持っているわけではないです。
成功談ではなくて、日頃の試行錯誤の記録を話しますと、
まあそういう形でお話しさせていただきました。
うまくいった実践をきれいに並べて、
明日からどうぞ真似してくださいと渡すやり方も世の中にはあるんですが、
自分はそれはもう、なんかあんまりうまくできないなって感じがしますね。
第106回で、世間の高校の国語から自分が外れていく感覚があるみたいな、
後ろ向きな話をしましたけど、
あの時の感覚を、まあそのまま壇上に上がって、
ぜひ話を聞いて一緒に考えましょうという気分で話はしたんですよ。
で、まあ106回のポッドキャストに関しても、
結局このセミナーの準備をしている時に思いついたままに話しているので、
あんな感じの話になったんですね。
で、最初の山場に置いたのが、
入試対応と教科の目的の分離
高校国語の受験のためというような原石通を問い合わせてみませんかということです。
ここで自分は、似ているけれども全然違うことを聞いてみたんですよ。
それが何かというと、
一つが入試に対応するということ、
もう一つが入試から学校教育の目的を決めるということって、
これ全然違いますよねっていう問いかけをしてみました。
前者は生徒や保護者の進路希望に応じて、
切実なニーズに応えるということです。
これはまあ当然やりますよね。
やらないと生徒が困ってしまいますし、
まあシビアな話をすれば、
やれないとついてきてくれない場合もあるわけです。
でも後者は入試問題から逆算して、
国語科の授業の目的そのものを決めてしまうということなんですよ。
全然この2つって同じじゃないですよね。
言い換えると、教科の目標や目的を、
外部の評価に丸ごと委ねてしまっていないかという、
そういう投げかけになっています。
だから国語科の教員の授業者の主体性というものは、
入所を無視することでも、
入所に盲目的に追従することでもないんだろうなというのが、
自分の今の立場です。
入所を踏めた生徒や保護者からのいくつものニーズを、
目の前の生徒の言語性格に照らして、
ちゃんともう一度丁寧に整理してみるところから、
授業づくり始めてみませんかというお話をしたんですよ。
桝井論文「弱いまま生きるための言葉」
その上で可視化できるものは誠実に測りましょうという話もしました。
模擬試験とかですね。
点数で見えるものから逃げるつもりはないんです。
ただそこの数字を追いかけることに一生懸命になってしまって、
可視化しにくいものを存在しないことにして授業を作らないかという、
そういうような自戒を込めた考え方を紹介しています。
まあこんな感じの話をすると、
何を言ってんだこいつらみたいな感じにはなりやすいのですが、
今回の講演のキーセンテンスとしては、
一つ論文を引っ張ってきて、
その内容で考えてみましょうという形でアンカーは作ったんですね。
それが何かというと、
増井先生という先生がいらっしゃるんですけど、
月刊国語教育研究の648号、
2026年の4月号に書かれていた、
弱いまま生きるための言葉という文章です。
増井さんはご自身の国語力感の変遷というような本を書かれていて、
その内容を踏まえて、
今回のこちらの論文、紹介した論文は書かれているので、
興味ある方はそちらも併せて読んでいただけるといいんじゃないかなと思います。
概要欄にリンクこれあったかな、見つけたら貼っておきますので、
ぜひご覧ください。
この論考の問題提起をざっくりと要約して紹介すると、
主体的であるという要求そのものが、
発言できないもの、参加できないもの、選択できないものを排除していないかという、
そういう問いかけですね。
これを読んだ時に、まさにこういうことを大切にしないといけないよなぁと、
世の中の今の議論の流れを見ていても思っていたんですよ。
自分たちは普段、主体的という言葉を割と無邪気に使っている気がするんです。
主体的に学ぶとか、主体的に取り組むとか、
悪いことのはずがないという顔をして使ってるんですよね。
自分もまあよく言ってる気がします。
でも、主体的という状態を一つの形でしかイメージしていないとすると、
その形に乗れない生徒は、
いつまでも主体性のない生徒という扱いになってしまうわけですよね。
どうしても単元学習的なことをやっていると、
生徒に手引きを渡して、
生徒自身に頑張ってやってもらうことが多いんですが、
それに上手く乗れない生徒を、
自分がやる気がないとか、
勝手に決めつけていないかという警戒をしないよなぁと思っています。
ちなみに大村浜は、
40人いたら40通りの題材を準備するのだ、みたいな逸話を
見たか聞いたかしたことあるんですが、
自分にはそこまで超人的な準備はできないので、
どうしたものかなということにはなりますね。
なので、実際のセミナーの本番では、
増井先生の論考を引きながら、
国語教室は弱さを克服させてから参加させる場所ではなくて、
弱いまま、揺れたまま教室に参加して、
言葉を表現できる場所であってほしいですよね、
というそういう話をしてきました。
まあ、自分の最近の興味関心がそういうところにあるんですよね。
読みの違いを持ち寄る授業と生成AI
強かったり、容量が良かったり、競争したりだとかズルをしたりということには、
ほとほと今の自分が疲れてしまってるんですね。
で、実際の授業の例もいくつか出しました。
先生方にも一つ、こんな授業の工夫してますよというのを体験してもらいましたね。
ここでは内容をぼかしますけど、
ざっくり言うと、読むことと言うこと自体を考える授業を提案してみました。
もちろん、現代の国語や論理国語の文脈ですね。
短い文章を読んでもらって、その後にいくつかの問いに答えてもらって、
その問いに関して会場で皆さんで話し合ってみてくださいみたいな感じの流れですね。
まあ、これだけ聞くと全然何が工夫になるかわからない感じになっちゃってますね。
元ネタとしては何かというと、有名なローゼンブラッドの実験として、
認知スキーマによって読解がどう変わるのかみたいなものがあるんですよ。
それを実際にやってもらったんですね。
要するに、同じ文章を読むのに前提とする知識の差があると、
それによって読み方が全然変わるわけなんですが、
そういう違いが出るものはお互いに持ち寄って自然と話したくなりませんかという、
そういう提案ですね。
だから、他読みをする子もいれば表面的に読む子もいるだろうし、
でもその差って悪いものじゃないですよね。
お互いにどういう前提に立っているからその読みが出てくるんだろうという投げかけをしてあげるだけで、
面白くお互いの言葉に対して色々なセンサーが働くようになるんじゃないかなって思うんですね。
で、そこに例えば同じ問いを生成AIにもいくつか投げて答えを並べてみたんですよ。
先生方にも読んでもらった文章をAIに投げかけて、
そのAIの出力がどうなったかみたいなことをまとめてみてもらったんですね。
AIの答えは毎回変わるので、どれが正解ということでは全然ないんですが、
どの答えが出てきたとしても確かめることは同じなんですよね。
本文に根拠があるのか、それとも何かが補われるのかな、みたいなことを考えてみましょうということを話したんです。
で、こうやって授業を組み立てていくと、読解の授業というのが答え合わせの時間じゃなくなるんですよ。
自分の読みがどう作られていたかを振り返るという、そういう時間になります。
指導要領の言葉に寄せて言うなら、事実と推論を分けて根拠を示して読む覚悟をするみたいな、
この辺りのメタ認知はまさに現代の国語や論議国語で目指すことですよね、みたいな話をしたんです。
こういう形ならば、生成AIに例えば問いを丸投げして答えが出てきたところで、
その答えの価値というものにはあんまり意味がなくて、
生徒自身がその出力された言葉について考えるところに力点があるから、生徒の考えるチャンスを減らさないわけなんです。
むしろお互いの読みが違うことの方が面白くなるチャンスにもなるわけです。
また、生成AIの話に関しても軽く触れてきましたね。今回メインでは話してないですね。
生成AIと生徒の言語活動の変化
で、どんな話をしたかというと、自分の勤務校で見ていて感じるようなことですね。
なので、エビデンスとしてはちょっと弱い話はしました、正直。
ただまあ、長く使ってる実感はあるので、その実感は共有して考えてもらえればいいかなというようなつもりで話をしています。
自分が勤務校で見ていて感じることとしては、生成AIが高校生活の途中で入ってきたかどうかによって、
生徒の言語活動の順序だとかやり方が変わってきてるなーっていうことなんですよ。
例えば、生成AIが広まる前から高校生やっていた世代は、まずは自分で書いてから調べるみたいなことの方が人数としては多かったんですね。
AIの便利さだとか使い方に関して、あまりやっぱりピンってきてなかったことがあるので、調べ物だとかに関してもGoogle検索からやっていくっていう感じですね。
ところが最近の高校1年生の段階から普通にAI使えるような世代は、書く前からとりあえずAIを使ってみる感じなんですよ。
調べ物もAIが先というか、こっちが呼ばなくても勝手にGoogleとかであればAIモードを起動するような環境で育ってるわけです。
ただ、ここで一つ思い込みとして外しておきたいことがあるんですが、生徒はみんなAIを積極的に使いたがってるかというと、そういうわけでもなさそうなんだなっていうのは、いろんなデータを見るとわかります。
あまり積極的に使いたがらない生徒も実は珍しくないんですよ。
高校生のAI活用が慎重な傾向は、国立青少年教育振興機構が2025年に出している全国調査でも報告されている傾向なんですよね。
だから禁止でも放任でもなくて、授業の中で出会う設計というのを丁寧に考える必要がありますよねという話をしました。
それに関して勤務校で取ったデータもちょっと示してお話はしました。
ちょっと詳しくは言えないです。
なぜかというと、統計の取り方として怪しいところがあるので、あくまで参考値というようなざっくりとした話なんですけれども、
ちゃんと時間をとって単発ではなく、継続的に指導した方が生徒のいろいろな面でプラスが出るよねというような仮説が立ちそうだというデータを紹介してみました。
で、あと、授業の実際に生徒とやったものとしてはどんなものがあるのかというような実践の話も一応してきました。
ポッドキャスト実践とAIと共に書く単元
どんな話をしたかというと、一つはいつものやつです。
声に出して届けるという方向の実践です。
これはいつも話しているポッドキャストの実践ですね。
自分はポッドキャストを国語科の教科書に載せたいという野望があるので、だからこのポッドキャストをやっているので、こういうセミナーで話すのはもう一種の不況活動です。
ただポッドキャストって、読んで考えて構成して取って聞き手に届けるという単元としては読むことなんですけど、実際の活動は領域を横断してやってきます。
この話は確か104回だったかな、でも話しているので興味があればそちらもぜひお聞きください。
もう一つAIとともに書くという方向の実践ですね。
生成AIとやり取りをしながら、最後は人間の言葉を引用して自分のレポートとしてまとめるというような、そういう立て付けの単元の構成の工夫の仕方についての話でしたね。
これについては全国大学国語教育学会などでもお話をしているので、ここでは繰り返しませんが、細かくいろいろなフェーズごとにAIを使いながら使い方を工夫していきましょうというお話をしました。
もし興味のある方は個別にGoogleホームなどからお尋ねください。
詳しい話はちょっと難しいので、その代わり2つの実践紹介した意図というか、共通して話した力点だけここでお話ししておきます。
それが何かというと、一つ目が評価に関してです。評価で見るのは完成度じゃないんですよという、そういう話ですね。
どうしても評価するときに発声発話の上手さだとか、完成品の巧みさだとか、そういう見栄えするところに目が行き来がちなんですけど、まあそれはそれで褒めてあげたとしても、評価としては切り離しましょうということです。
見るのは誰に向けて話すつもりだったのかとか、なぜその言葉を選んだのかということ。
AIを使う単元ならば、AIの出力をなぜ採用してなぜ捨てたのか、その判断の足跡の方を見ていきましょうみたいなことを話しています。
だからそうなってくると手元に残していくデータなどが変わってきますよね。
構成メモとか、台本の遂行の後だとか、書講と解講とか、聞き合った時のコメントだとか、そういうところを大切にしましょうって話をしたんです。
ちなみにそうやってずっくりと書く単元1年間やってきた生徒が、振り返りにこんなことを書いてくれてたんですよ。原文のまま紹介しますね。
書くにずっくりと長時間向き合うことで、言葉に重みを持たせることができると気づけた後、まあこういうコメントくれると嬉しいですよね。
AIは入り口に使ったとしても、出口には人間に向かわなければいけないというのが自分の基本的なスタンスです。
使うかどうかを決めて、その結果に責任を持つのはいつも書いた本人ですから。
だとするとその判断ができるくらい、読む力と書く力を鍛えておく責任が高校の国語にはあるんじゃないのかという、そういう話をしてみました。
授業設計の余白と「自分の言葉」の再考
終盤で話したのが授業設計の話です。
まあ要するに、学ぶ環境として幅を持たせられるような設計ができると良いですよねという提案をしました。
学習剤だとか、他者との対話のタイミングであるとか、AIの活用だとか、選択できる課題だとか、そういうものの可能性に関して話をしました。
ただ可能性があっても、入り口が見えなければ生徒はそこに入れないんですよね。
中心になる問いを示すとか、比べる観点を渡すとか、AIなら使っていい範囲を先に決めておくとか、
その手がかりを用意するところが、授業者の専門性なんだろうなぁなんてことを思っています。
そう考えると、主体的にさせるという言い方は、やっぱりちょっと乱暴なんだよなという最初の問いに戻ってくるわけです。
させるものじゃなくて、学べる可能性を開いておいて、入り口をここだよって示してあげて、
そこに入るかどうかの余地は残しておけるような、余白を準備しておくことが授業設計の仕事なんじゃないかなと、そういう話をしてきました。
自分に向けた問いとしては、一つの参加の仕方だけを主体性と呼んでいないかということと、
生徒の判断の足跡はどこに残るのかということですね。
この2つをしつこく確認して、普段の授業は生徒と接するようにしているわけです。
で、最後に自分の言葉とは何かという話を投げかけてみました。
国語でよく言う自分の言葉で書きなさい。
あれって他者の言葉やAIの言葉を全部排除した混じり気のない言葉を指してるんでしょうか。
実は自分はあんまりそうも思ってないんですよね。
強固で揺るがない時効から出てくる言葉だけが自分の言葉なんだっていうことにすると、
揺れ動いている生徒の言葉は全部偽物の言葉になっちゃうじゃないですか。
いや、そんなことないですよね。
そうじゃなくて、他者と教材を媒介にして揺れたり迷ったりしながら、
それでも自分の表現として試してみたい、選び続けている言葉というもの、
そういうものを自分の言葉として国語の教室だと表現してほしいなと思うわけですね。
題材も技術もこれからもどんどん変わってきます。
高校現場だと実用的な文章があからさまに入ってきて、そして生成AIが入ってきて、
これから先も何かが入ってくる度にどんどん変わるわけです。
それでも自分の言葉を通じて子どもたちと教室を作るということは変わらないですよねという、
そういう話をしたんですよ。
だから副題を変わる国語か変わらない国語かっていう形にしたんですね。
エンディングと教育系ポッドキャストの日
こんな感じで取り留めもない話を5時間ちょっとかけて話をしてきました。
こうやってまとめると全然やっぱりまとまってないなっていう感じはしますね。
まあポッドキャストで振り返って話してこんな感じだと当日はもっとグダグダだったんだろうなーなんてことを今反省します。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
第3回教育系ポッドキャストの機にご参加いただきありがとうございました。
共通テーマは宿題でしたね。
夏休みの宿題終わりましたか。
いろいろな番組の宿題の話が聞けて主催しておいてなんですがやっぱり楽しかったですね。
一つお詫びと言いますがお知らせがありまして、
先週末も出張していた関係で参加してくださった配信をまとめる作業がものすごく遅れてます。
そのうちちゃんとプレイリストの形で並べますのでしばらくお待ちください。
だからこれから配信するという方も全然間に合いますから後から出た方も自分にご連絡いただければ全然プレイリストに入れますので遠慮なくご連絡ください。
期間中に撮れなかったっていう方もぜひぜひご参加いただければと思います。
ちなみに9月の教育系ポッドキャストの日に関してはどなたかホストやってくれたら嬉しいんですけどどなたかやってくれませんかね。
やってくれる方見つからないようだと来月も自分が何かテーマ提示していきます。
さて明日9月1日から2学期という学校がかなり多いと思います。
ボイスの方でもお話ししたんですが2学期の最初特に今週くらいはあまり無茶をしないでいきましょう。
飛ばさない詰め込まないむしろやりすぎないで丁寧にやるくらいがちょうどいいと思っています。
生徒の方もまだ夏休みの体のままで学校来ますからね。
こちらが先に飛ばしすぎると置いていくいうことになっちゃいます。
さて自分も1ヶ月ぶりに学校に行ってきます。
多分いろんなことが溜まっていても考えるだけで嫌になりますね。考えないようにしています。
本当は今日のポッドキャストの気分としては魔法少女マドカマギカのワルプルギリスの回転に関して3時間ぐらい永遠と話したいところなんですが
公式からネタバレNGが出ているのと話してると泣き出しそうになるのでやめておきます。
この話はまたいずれどこかでしましょう。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
感想はコメント欄やSNSでハッシュタグで時刻とつけてぜひお気軽にお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleホームに直接コメントをいただけても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
またボイスでは毎日配信もしているのでぜひそちらもお聞きください。
それでは次回の配信でお会いしましょう。
ではまた。
25:37

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