オープニングと記事の紹介
この番組では、Google for Education認定イノベーター、コーチ、トレーナーのKasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
偏差値ってリスナーのあなたはご存知でしょうか? まあ、おそらく皆さんご存知ですよね。
今日は、日経新聞の記事に、さよなら偏差値という、なかなか刺激的なタイトルが出ていたので、この記事を入り口に話をしていこうと思います。
2050年には、2人に1人が国公立か、南韓市立に入れるという試算が出ているということを紹介している記事なんですけど、
高校の現場にいる人間として読むと、偏差値が力を失うより先に、学校の方が、高校の方が持たなくなるんじゃないですかね、というような感想の方がまず強かったんですよ。
その感想を今日は、まあずっと話していこうかなーなんてことを思っています。
正直に言うと、大学教育のことであるとか、大学入試については、高校の教員という立場からは話しづらいところがあります。
自分の勤務校の生徒が受ける先の話ですし、どの大学がどうこうという話は、言い方一つ間違えると過度が立ちますし、デマになっちゃいますからね。
だから今日は、大学がどうあるべきかみたいな話はしないつもりです。
記事に出てくる話題について、高校側から見えている景色はこうですということに焦点絞っていこうと思います。
ちなみに入試制度そのものは、最近ボイシーの方でダラダラと話を続けています。
総合型選抜について、ああでもない、こうでもないと言い続けている回があるので、気になる方はぜひそちらをお聞きください。
今日のポッドキャストはもう少し俯瞰した話になりますね。
9月に入って2学期も2週目ですね。自分の勤務校は始業式が9月1日でしたから、そろそろ生徒の調子も戻ってくるかなという時期ですね。
この時期に大学の進路の話をするのはちょっと気が早い気もするんですけど、
2学期は進路の話が一気に押し寄せてくる時期でもあるので話してみようかなと思います。
それでは今週のデジタル時代の国語教育をお語ろうを始めていきましょう。
まず先に今日お話ししようと思った元になった記事を紹介していきます。
記事の内容に関して今日の話と関係するところだけ短く拾って紹介していきます。
リンクは概要欄などに貼っておくのでぜひ参考にしてみてください。
日経新聞のさよなら偏差値2050年の受験2人に1人が国公立南韓市立大学へという記事ですね。
文部科学省の推計では2025年におよそ65万人でピークだった大学進学者が
2050年には3割減の42万人になる。一方で南韓とされる師大軍と国公立大学の入学定員は
合わせて21万人程度ある。だから定員の規模が変わらなければ
2050年には2人に1人が南韓市立が国公立に在籍することになるというそういうお話が書いてありましたね。
そういう見通しの中で大学側では系列校を新しく作って中学高校の段階から学生を集める動きが目立ち始めているという話が続きます。
記事には法政大学や明治大学が系列校を新設した例が上がっていました。背景にあるのは師大の経営環境の悪化で資金ショートのリスクが高い師大が2040年度に
現在の5倍に増えるという文部科学省の試算も紹介されています。でまぁこんな感じの記事で他にもいくつか論点はあったんですけれども
今日ポッドキャストで話すことに関係するのはこの辺りの話ですかね。 興味ある方は実際の記事を読みください。
大学入試の変化と高校現場の視点
でここから先は自分が高校の教員として考えたことを話していきます。 この記事を読んでいて最初に思ったのが
2050年という未来形で書かれているけれど、高校から見える大学受験の倍率というものは現在の段階でも相当下がり続けているよなぁということです。
もちろんいわゆる南韓高と呼ばれるような大学が過労死で偏差値を維持している面はありますね。
数字の上では去年と今年でそんなに大きく変わらないように見えます。 ただよく見ていると入試制度が変わることによって表面的な数字は動いていなくても
入学してくる学生の学力層の方には変化が起きてるんだろうなというふうに感じさせられるケースがあるんです。
同じ大学同じ学部でもどの入り口から入るかによって全然もうニュースの仕方であるとか その先の伸び方の違いというところがあるんですね。
それは決して総合型選抜のように学力試験が必ずしも課せられない、そういうニュースで入った学生が成績が悪いとかいう話ではなくて、
むしろ一般受験でいわゆるペーパーの学力が高かったとしても大学との相性が悪かったりすると、あまり大学入学後にいい感じの成長が見られないなぁみたいなことも感じてたりします。
だから偏差値という数字だけを見ていると変化を見落とすことになるんだろうなぁなんてことは思います。
数字は末置きでも中身の方がかなり入れ替わってるなぁという印象があります。
で、卒業生の様子を見ていてはっきり差が出ているなぁと思うところがあるんですね。
総合型選抜で自分のキャリア設計をきちんと評価されて進学した生徒は、大学に入ってからの伸びはやっぱり目覚ましいものあるなっていうのは感じますね。
会うたびに何かやっていて話を聞いてもすごい面白いことを話してくれる学生が多いですね。
逆にあまり良くないなぁというのが、入れるところに安易に入るパターンというのは結構やっぱり厳しいんですよ。
大学入学までは順調に見えるんですけど、入った後が結構厳しい状況になります。
何しに来たのか自分の中で決まってないまま4年間が始まってしまうと、そこから立て直すのなかなかしんどいんですね。
例えば気の合う友達を見つけることができたりだとか、自分が打ち込むことができるものを見つけることができれば全然それはそれで大丈夫なんですけど、
何も目的意識が生まれない、友達もできないとなると結構やっぱり難しいことになってますね。
文庫が広くなるというのは進路指導をする側から見ると入れる可能性が増えるという話でもあるんですけど、
同時に入った後で困る生徒も増えうるんじゃないかなという話でもあるわけです。
倍率が下がって入りやすくなること自体は生徒にとって悪い話じゃないです。
ただ選ばなくても入れてしまう状況で、それでも選ばせるという仕事は多分高校の責任として残るんですよね。
で、あと記事に出てきた系列校の新設みたいな動きに関しては、高校現場としてはまあ思うところがないわけではないです。
まあ新しく新設の系列校を作るというのは、高校中学で募集活動しなければいけないので、それは事情動力だとは思うんですが、
どこの大学とは言わないですけど、いろいろと抜け道を探って実質的なただの囲い込みというか、
青たがりのような試験をやっているような大学が出てきてしまうと、やっぱり高校の授業だとか高校生活圧迫されるんですよ実際。
早い時期に生徒を拘束する仕組みが増えると、その分教室で全員揃って何かをやったりだとか、高校生活で落ち着いて何かをするという時間が削られていくわけなんですよね。
まあとにかく試験が早期化すると、とにかく生徒がずっと1年中ソワソワすることになってしまうので、あんまり望ましいことではないよなぁとすごい感じますね。
高校3年生の思い出が、受験勉強しかないって、そういう高校生活を送らせていいのかっていうのはすごい疑問ですね。
授業が圧迫されるのもどうなんですかね。 ここでは授業という言い方をしておきますけれども、実際はもっといろんな面で思うところはありますね。
まあちょっと過度も立つので、この先は言わないで、今回はおこうと思います。 主学の経営の厳しさは、自分自身が主学勤めなので、まあよくわかるところもあるし、内部事情的なところもわかるんですよ。
わかるんですけれども、それでもまあ、ブランドの位置だとか、優秀な学生の囲い込みだとか、そういう言葉で今起こっていることを説明されてしまうと、げんなりするというか、まあそういうところありますよね。
囲い込まれる側にいるのは、こちらの教室にいる生徒なので、生徒振り回してほしくはないなと感じますね。
まあ大学も生き残りがかかっているわけですから、攻める気にはならないんですけどね。 ただ生き残り競争の一部が、高校の授業時間を削るだとか、行事に影響するという形で進んでいくのは、あまり気持ちの良いものではないですね。
少子化の影響と高校の存続危機
と、まあここまで大学への話をしてきましたけど、忘れちゃいけないのが、少子化にぶつかる順番なんですよ。
子供の数が減り続けていることはもう確定していて、急に子供の数が増えるということは絶対に起こり得ないです。
だから記事にあった敬遠の話の通りで、この先大学は減っていくことになるのはほぼ確定なんですよ。
厳しい時代ですよね、とは思いますが、高校としては大学よりも先にこの少子化にぶつかることになるので、全く一言じゃないんですよ。
18歳人口が減るということは、その3年前に15歳人口が減るっていうことですからね。
特に私学に勤めていると、毎年都県の中学校3年生の人口の数は気になりますよね。
来年どの中学校3年生が全体で何人ぐらいいるのかと、で、うちの地域の子供がどのぐらい残っているのかみたいな、そういうことは生徒募集に直結するので、やはりかなり気になる季節というのは毎年あります。
高校、特に普通化がこれから厳しい立場になっていくということは、多分もう共通認識になりつつあって、次期学習指導要領の改定に関わる議論を追いかけていても、
人口減を念頭に置いた普通化の構造改革的な話というのが、いろいろなところに出てきていますよね。
ただ、高校の現場にいると、それほど気にしなくてもよいよな、みたいなそんな空気感は感じますね。
目の前の生徒は今年も来ているし、時間割も回っているので、だから議論が進んでいること自体は何となく知っていても、自分の学校の話としては受け取っていない感じがあります。
自分もどうかと言われると、まあ日々の生活でそこまで考えると言われると自信ないですね。
記事の見出しは、さよなら偏差値っていう日経新聞の記事でしたけど、偏差値にさよならを言う前に、学校の方がもたなくなるんじゃないかなという、そういう状況が静かに進行している気がします。
学校と社会をつなぐ調査と学びの重要性
年々生徒のできることのレベルが下がってるみたいなことを福井家に話す人っていますよね。
ああいう物言いはあまり乗りたくはないんですけど、仮にそういう変化があるとして、子供の数が減っていたり、学習環境そのものが変わったりする中で、今まで通りのことを繰り返すだけで対応できるんですかね。
同じことを続けるのは、ズレが広がっていくだけなんじゃないかなーなんてことは思ったりします。
で、もう一つこの記事を読みながら思い出したことがあります。
それが何かというと、川井塾グループが京都大学と共同でやっていた、学校と社会をつなぐ調査というものです。
高校と社会の接続、あるいはキャリアについて同じ人を追いかけて調べていくという、結構大がかりな大規模な調査ですね。
概要欄にリンクを貼っておきます。
先に断っておくと、これから話すのは調査結果を読んで自分が受け取った理解であって、調査主体の公式な結論とはちょっと言い方変わると思います。
ちょっとピックアップして話すので、なので数字だとか具体的なものも混乱したので出さないようにはします。
気になった方はぜひ原点を自分の目で確かめていただければなと思います。
自分が受け取った傾向としては、印象としては、高校できちんと学んでいない生徒が大学生になって自然と何か成長するかというと、
まあ厳しいよねという、そういう結論、結構身も蓋もないこと言ってるなという印象は受けています。
高校で何をどのように学んだのかということがその後に聞いてくるんですよ。
言われてみれば当たり前なんですけれども、進路指導の場面ではこういう観点は結構忘れがちなんですよね。
とりあえず入れる大学に入っておけば、あとは大学で何とかしてくれると思って卒業させて入学させてみたいなことになってしまっている。
そういう働き方をしている人がいないわけではないよなぁとは思いますね。
さっき話した入った後が続かない生徒の学生の話も多分同じところにつながってくるんでしょうねというそんな感じがします。
人の数が減って出口である大学の方も構造転換があって、しかも大学以外の就職環境についても生成AIだとか人手不足の影響でかなり状況変わっています。
そう考えると高校の責任、もっとちゃんとどのように学ぶのか、何を学ぶのかみたいなところに関する責任は大きいんだろうと思います。
門戸が広くなるほど高校でやっていることの中身が影響してくるんです。
入りやすくなるからこそ入る前に何をやったかというところで差がついてくるという皮肉な話なんですけど、多分そういう見方は必要なんだろうと思います。
教員の専門性向上のための時間確保の課題
でここからが今日一番言いたいことというか、言いたいけれどまだあんまりうまくまとまってない話です。
人が減っていく時代だからこそ教員の専門性というのはますます重要になるだろうと自分は思ってます。
生徒の数が減って学校の数も減ってそれでも学校を選んでもらうとしたら最後に残るのは授業がどうなっているかということや
学級運営がどうなっているのかというようなことだとか、生徒とどう大人が関わっているのかということなんだろうなと思います。
ところがその専門性を磨くだけの時間が現状のシステムだとなかなか取れないわけです。だから今すごいきついわけなんですよね。
新しいことを勉強しようと思っても目の前のコームがあって用図があって部活があって書類があって気づくと1年が終わってるみたいな
研修に行く時間を取ること自体が結構な交渉ごとになりますからね。 自分は外に出る回数は多いですけれども、それはもう相当無理はしているところはありますから
あんまり褒められたやり方だとは自分も思ってないです。 根本的に自分が思ってるのは必要な仕事だとしても割り切って手放さなければいけない時が来るんだろうということです。
全部やる前提で、そういう前提でいる限り絶対に時間は生まれないと思います。 ただその割り切りが難しいというのが現場なんですよ。目の前に子供いますからね。
目の前の生徒に関わるということは大体全部必要な仕事に見えます。 手放すというのは誰かに対して手を抜くように感じられてしまうので、だから何をやめるか
ということを決めるのが難しいんだろうと思います。 それでも手放して空いた時間で何を学ぶのかということに関しては、自分としては授業や学級経営のような
子供を目の前にして対応するために必要になるところをきちんと専門性磨いた方がいいと思います。 学習心理学だとか学習法略だとか教育工学だとか
その辺りの知見を学べると良いなぁと思っています。 授業の中で実際に影響もしやすいところかなぁと思うので、そういう知見はぜひもっと
科学して学んでいっていいんじゃないかなと思います。 とまぁここまで話してきて結論なしものは全然できないです。
大学が減る、高校が減る、専門性の重要性は増える、でも時間はないというような身も蓋もない話を並べただけになっちゃいましたね。
ただ、記事を読んで2050年かまだ先だなぁで終わらせない方がいいなぁというのが自分の立場ですね。
2050年だと自分ももうほとんど定年退職間近になってきてますからね。 そんな先の話をしてもと思うかもしれないですけど、教育って後から時間の経過は取り戻せないですからね。
15歳人口の減り方は見ていれば、高校にとっても全然無関係とは言えない話なんだろうなぁと思っています。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
休校対応とICT活用
今日は勤務校が休校ですね。大雨の影響でそれに対応した形です。 勤務校は土地が低い地域なので、登校や通勤ができたとしてもその後に無事に帰れる保証が全くないんですよ。
だから早めの休校は妥当だと思います。 判断が今回は早かったですね。実際この後どのぐらい雨降るかわからないんですけど、空振りでいいじゃないですかとは思います。
こういう時に早く行動が取れるかどうかはICTの整備状況だとかにも左右されるので、日常の準備が圧倒的に大切ですね。
連絡が一斉に届く仕組みがあるカーだとか、生徒が家で何をするのか示せるとか、普段から使っていないものはいざという時には動きません。
しかも端末があってもやっておけようで終わりになってしまうような筋だとまあうまくいかないんですよ。
何をどこまでやるのか、どこに出すのかわからないまま生徒の1日が終わっていきます。
第109回で宿題の話をしたときに触れたところとまあ似てる話です。
もちろん基本的には教室に集まってそういう授業ができればいいなと思います。
その場の授業に参加するという身体性が持つメリットはやっぱり生成AIの時代だからこそ大いにありますよね。
ただ警報が出るような命や安全に関わるときにはICTで幅広く対応できるような選択肢が持てるような学校でありたいですよね。
教育系ポッドキャストのホスト募集とエンディング
さて話は変わりますが一つお願いがあります。
9月の教育系ポッドキャストの日をそろそろ募集しようと思っているんですけど、ぜひどなたかホストをしてくださいませんかね。
毎回自分が言い出しっぺで主催はしているんですけれども、別に自分がやらなければいけない決まりはないんですよ。
むしろいろいろな方で回してもらって盛り上げていけたらいいなと思っています。
共通テーマを決めて参加表明を集めて後は並べるぐらいの仕事ですね。
まあいなければ自分でやりますけど、ぜひやってくださる方がいれば手を挙げていただけると嬉しいです。
興味がある方はXのDMでも概要欄のGoogleフォームでもどこからでも声をかけてください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
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それでは次回の配信でお会いしましょう。
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