1. デジタル時代の国語教育を語ろう
  2. #073 授業数がたりない!
2025-12-15 19:04

#073 授業数がたりない!

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第73回配信!
今回は高校の授業数問題について、国語科教員の視点からお話ししました。

「授業数が足りない」と感じる背景には、どんな構造的な問題があるのか?
全日制普通科のカリキュラムの仕組みを解説しています。

・卒業単位74単位と必履修科目(35〜40単位)
・1単位=年間35時間、週の総授業数は32〜34コマ
・履修制限と増単・減単のルール
・時間割がどの学校でもほぼ同じになる理由
・模擬試験による授業日程への影響
・ICT活用とカリキュラム・マネジメントの重要性

授業数を増やすことより、授業の方法や本質を見直すことが大切。
生成AIの力も借りながら、工夫できることはまだまだあるはずです。

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サマリー

授業数不足が教育現場の課題となっており、高校のカリキュラムや単位制度の影響が議論されています。特に国語科目における授業時間の制約や履修制限がもたらす影響が強調されており、ICTの活用が必要とされる場面が多く見受けられます。高校の授業数不足に関して、模擬試験の影響やカリキュラムの調整の難しさが掘り下げられています。また、授業方法や教育の本質についての考察も交えながら、授業数の確保に関する課題が共有されています。

授業数の不足と影響
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ、私Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
この配信は、2025年12月5日に配信される予定なわけですが、今年も残すところあと2週間ですね。
ついこの間に年末の特別配信をしていたような気がするのに、気づいたら2025年を終えましょうって、年々日々が過ぎていくのが早い感じがします。
通信制で情報の免許を取るぞと、8月の終わりにかなりの額を突っ込んだのはいいのですが、今のところ進捗はゼロです。
授業が忙しすぎて、勉強する暇が全くなかったです。
なぜ今年はこんなに忙しくて自分の時間取れないんだろうなぁと考えていると、原因は一つ思い当たって、それは何かっていうと、授業数が今年はとにかく苦しかったんですよ。
授業数が少なくなると授業の計画に緻密さが必要になりますし、授業の中でカバーできないことが増えてきてしまって、子どもたちへの課題の指示が難しくなりますし、
子どもたちが自宅学習をしてきたものをちゃんと指導しなければいけなくなるのでやることが増えるみたいな、なんだかそんな不順感にはまっている感じがします。
自分の担当する現代の国語という科目では、もともとそれほど授業数が潤沢な科目ではないんですけどね。
でもなんだか今年は授業不足に苦しみました。
そんなわけで、今回の配信では、高校の授業数やカリキュラムについてざっくりとお話ししてみたいなと思います。
高校の単位制度
意外と知ってるようで、知らない話をしようと思います。
なお、今回のお話はあくまで全日制の普通化を前提にお聞きください。
単位制や通信制だとかだと、また少し事情が変わってきます。
さて、ここからが本題です。
まず、高校の単位についての基本的な仕組みから紹介します。
高校の全日制普通化では、卒業するのに現在は74単位以上が必要です。
この74単位のうち、必ず履修しなさいというふうに定められている必履修科目というのがあって、
これが大体40単位ぐらいだというふうに考えてもらうといいかなと思います。
つまり卒業単位の半分近くがもう決められているわけですね。
ここで単位って何?という話なんですけれども、
ちょっと大学で言う単位とは違うところがあって、
高校の場合、1単位は年間で35時間の授業というふうに定められています。
つまり、週に1コマ授業を1年間続けると35回になるので1単位っていうそういう計算ですね。
高校の1コマの授業は基本的には50分というようなそういう感じです。
じゃあ1週間にどれくらい授業があるかというと、土曜日が授業あるかないかでも変わってくるところではありますが、
土曜日に授業をしないことを前提に考えると、週に5日間の登校です。
毎日6限で、週に2から3日だけ7限があるというのが一般的で、
週の総授業数は大体32から34コマぐらいが枠としてあるわけです。
だから裏を返した言い方をすると、1年間で取得できる、履修できる単位というのは32から34単位程度になるわけですね。
3年間でも96から100超えるぐらいの単位が上限になってくるわけです。
卒業に必要な74単位に対して、枠としては100単位弱ぐらいしかないということなんですね。
そこに筆理習科目が35から40単位くらい入ってくるわけですから、
残りの枠でどういう入れ方にするかというのは結構頭の痛い問題になって、各教科の取り合いになるというところが現実なんです。
国語科の筆理習科目としては、現代の国語が2単位と言語文化という科目が2単位の合計4単位です。
自分が担当している現代の国語は2単位なので、年間で70時間、つまり週に2コマしかないということなんです。
週に2コマということは、1年間で大体70回くらいの授業ですね。
この中で実用的な文章だとか、情報を整理して内容を認味するだとか、書いて発表してというような内容をこなさなければいけないというわけです。
さらに科目の運用が難しいところって何があるかというと、高校には履修制限というルールがあります。
これは何かというと、筆理習科目を履修してからじゃないと、その先の選択科目を履修できないというルールですね。
国語で言えば論理国語とか古典探究といった選択科目は、先に現代の国語と言語文化を履修していないと、学校としては設置できない形なんですね。
だから1年生の時のカリキュラムというのは、ほぼ筆理習科目で埋まってしまうという仕組みになっています。
ちなみに今の学習指導要領では、総合的な探究の時間が高校では置かれるんですが、これが3年間で3から6単位というような形で筆理習という風になっています。
だから多くの学校では、週に1から2コマというところが探究の授業に充てられるみたいな、そういう計算になっています。
筆理習科目の量が多いことや、履修制限があって順番に取らなければいけないことや、そして探究のコマもちゃんと確保しなければいけないことなどの縛りがあるので、高校のカリキュラムというのは結構カツカツなんですね。
ICT活用の重要性
現代の国語は週2コマの年間70図鑑で、1年生のうちにやり切らなければならないという、こういう制約の中で授業をやっていくというのは、なかなか慌ただしくなるというのはイメージしていただけるかなというふうに思います。
さて、今説明した枠組みの中で、今の学習指導要領が求めていることを考えると、正直どの科目も授業数は厳しいです。
実は筆理習科目と履修制限があるおかげで、全日制普通科の時間割って、1年生のうちはどの学校でも大体同じになっちゃうんですよね。
1年生は筆理習科目でカリキュラムが埋まってますし、2年生、3年生になると選択科目をどれを取るかというのが、その学校の進学の状況だとか、カリキュラムポリシーによって違いが出てくるんじゃないかなというような感じです。
裏を返せば、1年生の段階だと学校独自の特色を出せる余地というのが、あんまり大きくはないということはあるんです。
まあ、科目の中で何を教えているかというのは結構学校ごとの特色はありますけどね。
で、ここでもう一つ別の考え方として、増短減短という、要するに単位を増やしたりだとか減らしたりという考え方があるんですけど、実はこれもいろいろ制約があります。
各科目には標準単位数というのが学習指導要領で定められていて、例えばさっきから何回か言ってますが、現代の国語は2単位というのが標準単位です。
つまり、週に2時間ということですね。増短というのは、この標準単位数よりも授業数を増やすことを指します。
例えば、現代の国語を3単位にするとか、そういう感じですね。
これは学校の判断で、割と自由にできるイメージがあります。
ただし、週の総コマ数は限られているので、どこかの科目を増やせば、どこかの科目は割り送るみたいな形にはなるわけです。
逆に減短というのは標準単位数よりも授業数を減らすことなんですけれども、これはなかなか厳しいですね。
合理的な理由がないと簡単には減らせないですし、
筆離集科目の場合は2単位科目多いので、そもそも減らせない場合も多いです。
だから、この科目は入試に使わないし、他の教科の時間足りないから1単位に減らしちゃおうみたいな、そういう自分勝手なことはできないわけです。
2022年から始まった新しい学習指導要領では、主体的対話的で深い学びを実現しようというようなことを言われています。
ただ、世間一般だと主体的対話的な学びをやると授業数が足りなくなるという声をよく聞くんですよね。
グループで話し合いをしたら1コマ、調べて発表したら3、4時間みたいなそういう相場感があったりはしますけれども、
そういうふうに考えていると、数人2単位しかない科目なんかだと確かに時間は厳しいです。
ただ、でも自分はそこをあんまり気にしていなくて、やり方しないでどうにでもなるかななんてことは思っています。
現代の国語は数人2コマしかないんですけれども、その中で読んで調べて書いて発表してというのを自分は普段から回しているんですね。
ただ、みんながそれをやれるかと言われるとやっぱり厳しいなっていうのはわかります。
自分も回してますよというふうに偉そうに言いますけど、いつも授業数が少ないことに頭を抱えてどうしようどうしようというような形で、
授業の単元決まらないで授業の準備に苦戦しているのは事実です。
だからこそ今の学習指導要領がこれだけ盛りだくさんのことを求めるのであれば、ICTの活用は必須だと思いますね。
ICTを使って効率化できるところは効率化しないと、そもそも回らないようなカリキュラム設計になっているなという気がします。
例えば、文章をもうびっくり書いて全部手書きでやろうとしたら、そりゃ時間足りなくなるよねっていう気がします。
あともう一つポイントとしては、総合的な探求の時間もバラバラに存在しているというふうに考えてしまうと苦しいと思うんですね。
むしろ各教科の学びを深める機会として位置づけて、そういうカリキュラムマネジメントをちゃんとやっていこうみたいなことが学習指導要領の考え方ではあるはずです。
例えば、国語で学んだことが探求できる、探求で取り組んだことが国語に戻ってくるみたいな設計ができれば、
限られた時間でも深い学びというところにはずいぶん到達できるんじゃないかなみたいなことは思うわけです。
こういう話ってちゃんと学習指導要領を読み込んでいかないとわからないことではあるので、
学校の外側にはなかなか伝わらない話だと思いますし、学校の現場でも読んだからといってできるようになるわけではないので、
なかなかそういう理想論が実現できている学校は多くはないかなというふうに思います。
カリキュラムマネジメントって言葉だけが先行していて、実際に教科官の連携ができているかというと、なかなか難しいですよね。
自分も明治松陰の日本語学という雑誌があるのですが、
2025年の夏号に国語科の学びと探求の学びのカリキュラムマネジメントについての原稿を寄稿しているのですが、
それも書きながら思いましたけど、実現までのハードルはやっぱりかなり高いものがありますね。
カリキュラムマネジメント、そうやって探求との絡みで教えなければいけない指導図鑑に関してちゃんと教えていく、深めていくということは、
多分理論上できるとは思うんですけれども、そこで壁になってくるもの、
口さがなく言ってしまえば結構困らされるのが何かというと、模擬試験なんですよ。
高校では、新学校だと年に数回模擬試験があったりします。
ベネステだとかカワイ族だとか寸大だとか、そういうところの模擬試験ですね。
これを学校の授業時間内でやるというケースが多いので、模擬試験があると丸一日授業がつぶれたりします。
授業数の不足と模擬試験の影響
2年生以降だと理社も試験に入ってくるので、2日間丸々つぶれちゃいますね。
最初にも話した通り、今年はこの辺りに特に苦しみましたね。
授業計画を立てても、模擬試験で予定どおり授業ないんだねとか、行事で授業つぶれて授業数ないんだねみたいなことがあって、
気づいたら最初に予想していた授業数の7割6割ぐらいしか授業時間がないみたいなことが起こるんですよ。
模擬試験がなければいいのかというと、それもまあちょっと難しいところがありますね。
生徒にとっては自分の実力を客観的に見るということも大切になりますし、
保護者としても模擬試験ないと不安になっちゃうんですよね、今の仕組みだと。
ただ、模擬試験のたびに授業がガタガタになるのは毎年のことながらも、何とかならないかなというふうに思いますね。
模擬試験と例えば祝日なんかが重なっちゃうと、2週間とか3週間とか生徒に合わないタイミングができちゃったりするので、
なかなか難しいなというところは思います。
それに加えて、模擬試験の取材範囲と学校の進度のズレという問題も大きいわけです。
せっかくカリキュラムマネージメントをしていても、模擬試験の範囲と合わないみたいなことを言われちゃうと、もう頭抱えるしかないんですよ。
例えば、古典文法について言えば、今の学習指導要領では言語文化というようなところで教えることになっているんですけど、
前までの科目であった国語総語に比べると、古典に当てられる時間数が減っているので、古典文法の学習は遅れがちになるんです。
でも予備校の模試はそこを考慮してくれている感じは全くないですね。
これ愚痴なんですけど、ベネッセはまだマシですけど、2学期の模擬試験で結構な難易度の助動詞の問題や漢文の工法の問題を出してくるような模擬試験が存在するので、
それってどうなの?というふうに個人的には思っています。
模擬試験に合わせてカリキュラムを決めているのは学校の判断なので、予備校にその責任を負わせるつもりはないんですけど、
ただまあ、普通の学校が普通のカリキュラムで終わる範囲の問題をもっとちゃんとリサーチして作ってくれよというのが正直な本音です。
愚痴みたいになってしまいましたが、高校の授業数の問題って実は単純に回数があるなしということだけではなくて、
こういう要素も複合的に絡み合っているということを話したかったんですね。
よく自分の科目の授業数だけを増やせというふうに主張する方いるんですけど、
もうどの科目も乗っ引きならない状況にあるわけなんですよ。
だから授業数を増やすんじゃなくて、そもそも授業の方法や何を本質として考えるのか自体が変わらないと厳しいんだろうなというふうに自分なんかは思います。
生成AIの力を借りつつも工夫できることはまだまだあると思うので、授業が足りないというふうに個人的には騒ぎたくないなというふうには思っています。
教育の本質と授業の方法
今回の配信はいかがだったでしょうか。
科目の理想のことを考えるならば、授業数が足りないということは問題なので何とかどうにかするのですが、
無理やりに確保された授業のコマというのは使いづらいんだよなというのは授業者の実感としてはあります。
実は今のような交差後の休業までの時期って、授業数は確保されていても休みを挟むと話が飛んじゃうのと、
クラスによっては授業数にムラがあるから探検を進めるのがちょっとはばかられるところがあるんですよね。
あるクラスは年内に授業があって休みの後に授業をしてみたら内容をきれいさっぱり忘れているみたいなことがあったり、
一方で他のクラスは休み明けにまとめて授業ができるので内容をばっちり覚えているみたいなことになると定期テストが有利だ不利だみたいな話が出てきたりもして、
なんか話がややこしいんですね。
特に国語だと文章を読んで考えているので、文章を読んだのが休みの前の3週間前とかになっちゃうと授業数がずれるだけであんまり意味がないなみたいなことになりがちです。
自分は授業や探検をやるならば、ありばい的に授業数こなしたくはないんですよ。
ちゃんとそれぞれの探検で子どもたちがしっかりと考えて自分の理解を深めたという体験をしてほしいと願っているんです。
間に数週間も空いてしまっているのがわかっているのに、しかもそうなれクラスとそうならないクラスがわかっているのに授業を進めるという判断は自分はしないかなというふうに思います。
まあこのあたりは学校としてのいろんな事情もあるので一概に良い悪いとは言えないとは思いますけどね。
本日のポッドキャストの裏話は私のボーイスイで朝6時半に配信しています。
ボーイスイでは毎日の教育実践の話やちょっとした雑談もしていますのでぜひそちらもお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。
ではまた。
19:04

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