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#1-3|感想|『ニコマコス倫理学』第3巻
2026-11-06 39:03

#1-3|感想|『ニコマコス倫理学』第3巻

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記憶力の低さと話のまとまらなさだけが目立つ回です。

自発性と行為、選択、そして勇気や臆病さといった徳についての内容だったんですけど、2人とも読了からかなり時間が経ってることもあって、記憶が曖昧なまま対話を進めました。猛省します。
個人の実践の話から他者や社会に適用する時の危なさみたいな話もした気がする。

感想

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サマリー

アリストテレス『ニコマコス倫理学』第3巻について、読了から時間が空いた2人が、自発性、行為、選択、願望、徳と悪徳、勇気や臆病さを振り返る。特に、自発的な行為がそのまま責任に結びつくのか、無知や習慣まで自己責任と考えるのは厳しすぎないかが議論される。生活習慣や教育が人柄を作るという見方に対して、先天的な特徴や環境など、本人が制御できない要因もあるのではないかという疑問が示される。また、アリストテレスの基準を現代の他者にそのまま適用すると、怠惰や臆病さを簡単に非難する危険があると話す。個人の実践についての議論を、他者や社会全体に拡張して自己責任論へ結びつけない注意も確認される。最後に、次の第4巻は読み終わった直後に収録したいと話して締めくくる。

雑談:Netflix『愛の里』と小説の話
はい、杉本の知を垂れ流す。
アリストテルス編、ニコマコス倫理学編の第3巻の前の雑談コーナー。
あ、やばい。雑談の練習してない。
雑談って練習いらんねん。本来。
え? 本来雑談って練習いらんねん。
雑談って練習…雑談って特訓が必要だろ。
一番いらん。あらゆる話の中で一番いらんから。
むずいからな雑談って。
なんかある?
うーん、愛の里面白いです。
映画?
いや、恋愛リアリティショー。
へー。
ネットフリックスの愛の里。
もう俺恋愛リアリティショーほぼ見たことないから、なんもわからへん。
恋愛リアリティショーってガチでリアルなの?
リアル…わからん、それは。どんぐらいガチなのかわからんけど。
ガチってなに?
ガチで、台本とか無しでそこで恋愛が生まれていってる。
うーわ、番組やるんじゃない?
台本が全くないのはどうやろうな、なさそう。
ま、脚本がある程度ありそう。
でもその、セリフとか一個一個全部決まってますっていうのはないんじゃないかな?
脚本ってなに?こことここがくっつく、仲良くなるみたいな?
あ、そこまではないかも。こういうことをしてくださいっていうのはあるかも。
うーん。
いや、わかんない。作ったことないからわからん。
で、その、何だっけ?愛の花束。
うん。
愛の里。
愛の里はどっち系なの?
え、わからんな、どっち系とか。だって俺はシンプルにコンテンツとして楽しんでるだけやから。
どっちでもいいかな。
ヤンキー系?ヤンキー系かテラスハウス系か。
テラスハウス系でもヤンキー系でもなくて、ま、35歳以上かな?
の人たちが、人生最後の恋として最後のパートナーを見つけるためにやってきましたみたいな感じ。
35歳で?
35歳以降のやつ。
早くない?
やつやって、35歳より上の人が来る。
それじゃあ、55歳で恋愛しようとしてる人めっちゃプレッシャーやん。
え、俺もう遅すぎる?ってなるな、その番組見ると。
いや、61とかいるからな。
いるんや。マジで35以上やったらいいんや。
そうそうそうそう。60代もいる。35歳もたぶんいると思う。覚えてない。
じゃあ、35歳と61歳が恋愛関係になることもあるってこと?
まあ、ありえるんじゃない?その、年齢バラバラやから、まあ、30あるんじゃない?
うわー。ちょっと俺あんま見られへんかも。
そう、いろんな人が、やっぱさ、人間っていろんな人がいるんやなって思う。
面白そう、それ。それだけで。
そう、なんか、やっぱさ、恋愛リアリティショー他の見てないって言ったからあれやけどさ、他の恋愛リアリティショーって若い子たちがやっぱ多いやん。
うん。
だから、キラキラって感じの恋愛なんやけど、もう35歳以上やから、なんていうの、もう、いやーこれむずいな。表現がむずいけど。
きつい?見てて。
いや違う違う。ちゃんと人間が考えた行動をしてんねん。
当たり前じゃないのですか?
なんていうの、その、例えばもう夫を亡くした人が、その夫のお墓に一緒に入りたいから、結婚はしないけど、入籍はできないけど、今後の人生を共にするパートナーを探しに来たり、
まあ、子育てしながら新しいパートナーを見つけに来る人がいたり、
何人くらいいるの?
うーん、決まってない。たぶん、5人5人がマックスかな。
うーん。
で、もうその、佐藤、愛の佐藤なんやけど、佐藤を抜ける人がいたり、いたりっていうか、告白したら成功しようが失敗しようが、次の日はもう抜けないといけなくて、
成功したら相手と一緒に抜ける。失敗したら一人で抜ける。
えー、なるほど。
で、まあ、新しい人が入ってきたりみたいな。
あー、なるほどね。
その入れ替わり、立ち替わりがあるんや。佐藤、佐藤やから。
そうそう、佐藤やからね。
面白い。
うん。いうのがあって、まあ、ネットフリックスは面白いなと思ってます、最近は。
下手かも、俺、これ広げるの。レンリアの話、俺がね。
確かに。
関心を持つのが下手かも、俺。
関心のないものに関心を持つのが下手?
んー、なんか知らんすぎて。レンリアが。
じゃあ、レンリアじゃなかったら?
ど、どういうこと?
対象が。関心ないけど、関心持てるってこと?
いや、だから、知らないから持てないってこと。
それは、レンリアじゃなくても同じ?
たぶんね。
とっかかりなさすぎて。
普通に小説とか。
あー、おしまいかも、俺。
小説の話。
全然小説の話してくれへんもんな。
小説いつか、いつかの回で小説やりたいねんな。
あー、面白い。
俺の小説デビュー。
うん。
ハリーポッターとかがいいんじゃない?めっちゃおもろいし。
当たり前におもろいし、無難やし。読みやすいし。
なるほどね。
英語でってことでしょ?
二人とも。
まあ、もちろん。
二人とも英語の原著。
いいよ。
いいの?
頑張って。
多分俺よりしんどいで。
俺は日本語で読もう。
本読むの慣れてる人が日本語で。
日本語すら読まれへん人が英語で。
英語読める人よ。
読まれへん。
『ニコマコス倫理学』第3巻の概要
さて、こんなこんなで今日の本題です。
はい。
ニコマコス倫理学の第3巻ですね。
3巻は、実は読み終わったのが結構前なので、もう何も覚えています。
俺も何も覚えていない。
表題、表題というか3巻のタイトルが、
特、アレテイの観点から見た行為の構造及び勇気と節制のアレテイ。
うわー。
ですね。
で、まあどんな感じ、内容のすり合わせはちょっと今回飛ばして、
どんな感じかっていうと、
まあその自発性、行為の自発性って何だろうみたいな話をして、
で、そこからあらゆることって自発的。
あー言ってたね。
あらゆることじゃないなっていう。
全部自分の選択だろうみたいなこと言ってなかったことでしょ。
そうそうそうそう。
何をしようとしたかと何をしなかったかは、
自発的と言える選択に基づいた行為だよねっていう話をして、
で、そこから選択とは何かっていう話をして、
で、まあその選択という行為をしたときの手段の話と、
えーと、手段の次は第4章、これ何の話をしてたんだっけ。
そうか、願望の対象だ。
願望の対象の話をして、
で、
あ、悪徳、徳も悪徳も自発的っていう話から、
まあ10章ぐらいまで飛ばして、
自発的欲望は量の方によるものと、
個別的な欲望は種類の仕方の誤りが多いみたいな話して、
で、最後、放熱と臆病。
放熱さは臆病よりも自発的だっていうようなことを言ってたね。
自発性が高いみたいな表現だったかなっていう感じでした。
ありがとうございます。
はい。
自発性・選択・責任をどう捉えるか
うーんと、感想は?
感想は、
まあなんか俺、一個の感としてのまとまり、
あんま掴めてないけど、
まああんま面白くなかったかな。
なんか何回かもう寝て、
気づいたら本閉じてるみたいな。
前半らへんは面白かったかも。
その選択動向みたいな。
確かに確かに。ここらへんがピークではあったかな。
賢いと思ったね。
5章ぐらいまでかな、ピークはパーッと。
具体的な勇気?
何て言う?
勇敢?
勇敢な人?
勇敢な人と節制な人?
臆病?
放璃。
放璃な人ね。放璃な人と臆病な人。
のへんは、
あんまり言ってることただ追ってるだけで、
自分の感覚に照らしてというか、
体系的理解みたいなものはあんまできてる感覚がなかったかな。
うーん。
言ってることの一個一個は、
あ、そうだねそうだねって追っていけてたけど、
なんか自分の中の何かがこう、
変わるみたいな感覚はなかった。
えっと、じゃあこの自分との照らし合わせじゃなくて、
書かれてたこと自体でなんか学んだこととか、
整理できたこととか。
このへんで?
うん。このへんでっていうか3巻全般的でいうとある?
うーん。
質問がむずいか。じゃあ。
俺が思ったことは、
うんうんうん。
なんか全部自己責任論みたいなところに行き着いていたやん。
行きがちやったね。行きそうやったね。
うん。
全部そうやったかな。全部そうか。
なんか責任の書材は分けてたよね。
でも。
自発性に対しては、
自発性?自発性の基準みたいなところは、
結構まあそれ自発的だっていうことの範囲が多かったけど、
その自発性があるからといって、
責任に直結はしてなかったくない?
どこやろなこれ。
でも結構最初の方やったと思うで。
2章かな?
行動、行為の、
うん。
行為の、行為の何?
根本は自発性、自発的なものやけど、
そうしたからといって、
責任も全くその通りに伴うっていう感じじゃなかったと思う。
どこで責任と分けて書かれてたかは覚えていません。
責任の話って出てきたっけ?
うん、どっかで出てきたはず。
ここで責任って何?
自分の人生に対する責任?
っていうかその行為自体の、
えーとなんじゃ、
邪悪さじゃないけど、
善悪みたいな感じかな。
じゃあ結構自分にあるとされてなかった?
結構あるとされてたけど、
その自発性と責任は分けて捉えていた。
マジでどこに書いてあったか覚えてないんだけど。
読み返しても出てけへんんだけど。
どこでそう思ったかな?
ちょっと覚えてないけど。
その自己責任論的なところに修練はされてないか、
まとまっていくのがどう感じ?
それが現代的にどういうふうに感じた?
みたいなことを言おうとしたのかな?今。
うん。
俺の考えとちゃうなって思ったっていう。
そうね。
第1章、今後こういう。
故障かな?
故障ってめっちゃ、
その時コントロールできないことだとしても、
過去の自分のせいでそうなってるんだから、
それはもう自己責任でしょみたいな感じじゃなかったっけ?
得も悪く、得も自発的。
責任、そうやったっけ?
よう、そうなんやったっけ?
いや、よくないね、これ。
俺の記憶力。
全然違う理解やった気がする。
俺責任と自発性、
自発性、分けてたようには読まれへんかったな。
責任と自発性を分けてたのは多分1章やねんな。
1章で分けてて、その責任の細かさはどこで発明してたかな?
この辺かな?
それを成すことも成さないこともその人次第である。
従ってこのような種類の混合的な行為は自発的であるが、
限定抜きにはおそらく違反したものである。
実際誰もそのような行為をその次第のゆえに選ぼうとしないのである。
ところで混合的な行為は称賛されることもある。
それは偉大な事柄や美しい事柄の代償として、
何か醜いことや苦しいことを耐えるような場合である。
一方、逆の場合には非難される。
この非難され具合が同じ自発性を持ってても、
非難されるのとされないのがあるよっていう意味で、
いう文脈で責任の所在というか、
どう責任を伴うかっていう読み方をしている。
どこや?
と思う。俺がね。
どこをそれ?
1章。
160ページ、161ページぐらい。
混合的な行為って何?
無知や習慣まで自己責任なのか
他方、無知ゆえの行為は全て自発的ではないが、
その中なくてもここはちょっと違うね。
無知さやから。
でもここも無知でやってるから、
酔っぱらいや怒りによって人は無知ゆえでなく、
そうした酒や怒りのゆえなしているのであり、
ただし知りながらではなく無知でやってなしていると思われるからである。
さて一方では不良な人は誰であれ、
なすべき事柄と避けるべき事柄を知らない。
そうした言いにゃんしたものをわちゃわちゃ書いてて、
読み返したら、
そんなに明確に責任を独立して言ってはなかったです。
うーん、ぽい。
ただその、称賛か非難か、
称賛されるか非難されるかの土台として、
土台として自発性はあり、
その上で自発的だけど非難されるもの、
自発的だけど非難されないもの、
自発的だけど称賛されるもの、
自発的だけど称賛されないものに分けて考えてるっていう感じかな。
ただ無知によってやったものも、
その無知を作り出してるのが自分の選択って言ってたから、
うん。
なんかそれ言うならもう結局、
全部自分の選択って言ってるのとほぼ一緒だと思ったけどな。
まあ、そうそう。
選択における無知に反したものの原因ではないからね。
そう言ってるね。
厳しすぎひんって思ったな、俺はそれは。
そうだね。
うん。
厳しすぎひんって思ったか。
なるほどね。
思わへんかったな。
なんか厳しすぎひんって思うところとか、
残酷だよって思うところもあったけど、
まあその自己責任論的な文脈では思わへんかったけど、
思い出されへんけど、
どっかで障害かななんかで、
あ、もう抽象的な話しか思い出た。
ここを会議的に読めるなって思ったところも次のページで、
ちゃんと別のパターンでそれは考慮してて、
俺がここは残酷だなって思ったところも回収してたから、
厳しさは感じ、最終的に感じなかったな。
なんかあったな確かに。
どこいったっけ。
5章かな。
あ、あれや。
第1巻かな。
なんかその1巻でさ、
教育、良い教育とか環境に恵まれること自体が運やから、
運だよねって俺は思ってんな。
で、そこの回収もこの5章で多分されてるし、
あと、どっかで生まれた時の病気みたいな話、
生まれた瞬間の病気みたいなところも例外として考えるみたいなことを言っていた記憶がある。
覚えてないね。
ひどいな。
覚えてなさすぎて、ちょっと楽しくないな今日の収録。
ちゃんと読み終わってから、読み終わってすぐ撮らなきゃダメだね。
眠りつきや病気や打撲によって盲目となった人を非難する人は誰もおらず、むしろ気の毒には思うものであろうが、
飲酒や他の盲目によった人は誰からも非難されるであろう。
そこ。
うーん、そんなことないでしょ。
これはまあちょっと綺麗に話まとめすぎやな。
なるほどね。
環境と先天的要因が人柄に与える影響
さっきの俺の話に戻らせてもらうと、
俺がまずアリストテレスは無知であることにまで自己責任論を敷衍させたって捉えたんやけど、
俺はそうも言えるけど、
多分アリストテレスほどそこの確信なくて、
アリストテレスの立場は基本的に生活習慣がその人の人柄を作る、人柄、成功をね、作るって言ってる。
生活習慣?
うん、習慣がね。
で、それはそう思うんやけど、
なんかそれだけじゃなくてさ、
もっとこう、多分何層かのその人の人柄を作る要因みたいなものがさ、
多分もっと何層かに分かれてて、
一個目がその人の習慣、どういう経験を積むかっていうのが人柄に関わる。
人柄ができるのに関わるし、
もっとコントロールできないもの、
生まれつきに持ったセンスとか特徴みたいなものがもあって、
それって、それによって二人の人間がいたとして同じ経験をしたとして同じ人間になるわけじゃないと思うんだよね。
それぞれ学ぶセンスとかが違うから。
先天的な能力が違うみたいな話?
先天的か、あるいは全く画一的な人生を歩むことってできひんやん。
画一的な人生を歩ませる、画一的っていうのは同じような人それぞれに理想的な人生があるとして、
それと全く同じ経験をさせるっていうのはほぼ不可能やん。
絶対できないね。
その中で、このアリストテレスが話してるレベルの、
こういう風にこういう風な経験したらこういう風な良い人になるんだから、
それをやらないのは悪いでしょみたいなことを言えるレベルの自己責任論って、
やっぱそこまで広げられないんじゃないかなって思う。
アリストテレスはそういうセンスがあったわけやん。
あれを考えてそれを実行してみたいな。
センスと環境といろいろあった上で自分が当たり前のようにできることをできない人に対して、
それを怠惰だって批判するのは盲目的なことだと思う。
自分が当たり前のようにできたからってできない人のことを批判するのが盲目的って意味?
それを怠惰だっていうのは、完全に間違えてるわけじゃなくて、
現代から読むアリストテレスの限界
じゃあより良い人間っていうものをアリストテレスが定義して、
それになるために環境とか教育とかを考えて整えるみたいなのは大事。
だから無駄な話をしてるっていうことが言いたいわけじゃなくて、
それが全てだと思わない。
それっていうのはアリストテレスが言ってたことが全てだと思わないことも大事みたいな立場かな。
自分が生きる上でってことね。
アリストテレスの話を理解する上でじゃなくて、自分が現代を生きる上でってこと?
自分が現代社会を考える上でかな。
確かにね。
そこまで怪異的に読んでなかったけど、
切り捨ててる人が多いっていうか、前提として含まれてない人がめっちゃいるよね。
いるっていうか、アリストテレスが多分それは自覚的にやってるんやろうけど、
現代人から見たら切り捨ててる人が多いよね。
自由市民として、自由市民の中にいない人がいっぱいいるよね。確かに。
ずっとそれは言ってるけど、大体こうであるみたいなことを示すのが大事って言ってて、アリストテレスは。
だからその通りだと思うね。
確かにその人の環境とか日々の習慣みたいなものがその人の人柄を作っていくみたいなのはそうやと思うし、
じゃあこれが良くてこれがダメみたいな言ってる話も納得させられる内容やけど、
具体的にどういうことが漏れ落ちてるのかみたいなのも考えながら読むの意味あるなって思っている。
マジか。何が漏れ落ちてるか。まあ確かに意味はあるか。
この本に向き合う態度としてどうかっていうのはあるけど、倫理的に読むっていう意味やったら確かにそうやな。
でも別に批判的に読んでるわけでもない。
良い人になれない人もいるよねって書いてるのと一緒やもんな。
一緒ではないけど良い人になれないことが、良い人?良い人じゃないな。なんだ?幸福か。
アリストテレスに言うアリストテレスなりの幸福になれない人もいるっていう書き方だもんね。
ぐらいかな俺が思ったのは。
なるほど。
じゃあ話をずらすと、ずらすというか進めると、
おもろかったのは、2章にも出てきたかもしれんけど、
一度できてきた成功は戻りにくいよねみたいな。固定されちゃうよねみたいな話が面白かったね。
5章かなこれも。
これは2巻と繋がっていたところだったね。
5章が俺は付箋が多いな。
この違和感は、この本に対する違和感は倫理的な観点のせい?
ちょっと聞きたいことがわからんな。
誰の違和感?
現代人から見た、現代人の俺たちから見たこの本に対するアリストテレスの主張への違和感は、
時代の違いなのか、時代的な、倫理的なものなのか、
どの時代でも同じように怪異的に読めたのかどっちかな。
違和感って何?
ライターがさっき感じた怪異的なところとか、そういう全体的な違和感?
うーん。
まあ。
どう思うの?
でもアリストテレスって万学の層やん。
その一歩目ガーン進めた人、一歩目かどうかわからんけどさ、
ほぼ一歩目やん。
ソクラテサ、プラトン、アリストテレスって言って、
この哲学の、学問の一歩目?
学問全体の。
お勧めた人に、
現代から見て違和感があるのは当然だよなと思うな。
なんかその、全然基盤が違うやん、思考の差。
でそれが、具体的にどういう違和感があるのかわからんけど、
例えば俺のさっきの違和感は、
俺が、
今別の哲学とか社会学とかを学んだ上で、
思ってることやから、
うん。
それを別に自然かなっていう。
自然。
何か思うの。
当然ってことね。
うん。
だから、他の学問が進んで視野が広くなって、
考える対象が広くなってきてるから、
ってことやから、やっぱ時代的なものか。
だと思うな。
この当時、同じような感じで、
違和感を抱いてた人はそんなにいないってことか。
俺と同じ感覚でってこと?
うん。
どうなんやろな、もう天才すぎるからな。
俺が。
俺が天才すぎるから、たぶんそんな人はいなかったんじゃない?当時は。
それは確かにそうやな。
え?ツッコミゼロ?
ちょっと天才すぎるもん。
ツッコミゼロなやつ?やばい。
天才すぎるから。
追い込まれた。
ただ天才なだけじゃなくて。
追い込まれた。
味方みたいな顔して、追い込んできてるやん。
個人の徳を他者に適用する危険
あと、俺が4で違和感っていう意味ではないけど、
気をつけたいって思ったのは、
この、今まだ3巻までしか読んでないけど、
3巻までの基準を他者に向けたら危険やなって思ったね。
これたぶん自分の話やん。
あ、そうやね。マジでそう。確かに。
だからその、なんか放乱的な人を見て、
いやーよくに負けたなーとか感情的な人だなって思いそうになったら危険やなって思う。
これを読んだ人がそうなりがちやから、
いやからというか、なりそうで怖いなって思った。
別に具体的にその人を見たわけではないけど、
読んでそう感じる人いるんじゃないかなって思った。
確かにねー。
なんかそれって別にアリストテレスに関わらずあるよな。
個人の実践上の話をしてるのが、
社会レベルの自分以外にも適応できる話やと勘違いして、
容易に自己責任論にくっつけていったり。
いや、たぶんあると思うけどちょっともう一回言っていい?
ちょっとずれてるかも、俺が思ったことと。
もう一回言ってもらっていい?
もう一回言えません。
嘘?
もう一回は。
そうやんな、確かに。
言葉って一回だけやもんな。
もう一回は言えません。
ずれていると思いながら同じことを自信満々に言うことはできません。
確かにね。
なんですか?
えっと、社会全般に対応するっていうのはアナロジーとして、
個人から社会へっていう感じやったやん、今。
広がり方が。
ライターがね。
俺は個人から個人、個人から自分以外の個人っていう意味で言いました。
じゃあ一緒。
社会、他者っていう意味で言った。
社会という言葉を。
あ、言葉ってむず。
他者は他者っていう意味で言ってほしいし、社会のことは社会って言ってほしい。
社会と他者って一緒やろ。
あ、自分以外で。
自分以外が他者やろ。
じゃあ自分は?
自分は、自分はいったんないよ、そんなものは。
なるほど。
自分以外があって、自分以外との関係によって自分があるから。
うんって言った、今。
うんって言った。
うんって言われた。
そう思うなと思って。
第4巻に向けて
ということで大盛り上がりの第3巻、こんな感じでいいかな。
いいでしょう。
次、第4巻。
第4巻の予告。
頑張ります。
予告というか。
第4巻の内容。
読み終わったらすぐ撮ろう。
読み終わるスピードが違うからな。
だから、読み終わったら教えて。
あ、でもそしたらまたずれるか。
てかあれやで、おすすめはね、期日を守ること。
そうしよう。
そうしよう。
本当にそうしよう。
頑張ろう、それめがけて。
頑張る。
てか4少ないわ、4巻は。
はい、では。
はい。
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