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#115 コーチングを提供することが、どのようにコーチ自身の変化を導くか?
2026-10-05 35:15

#115 コーチングを提供することが、どのようにコーチ自身の変化を導くか?

ラジオをお聴きいただきながら、一緒にテーマについて考えを深める時間を過ごしてみませんか?


コーチングが気になっている方や勉強中の方、資格取得を目指されている方はぜひ聞いてみてくださいね。


CAM Japanは、2005年にアメリカにて設立され、3000人以上のプロコーチを輩出してきたICF認定コーチングスクールです。CAM Japanについて知りたい方は camjapan.jp で検索してみてください。

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サマリー

CAMラジオで、コーチングを提供することがコーチ自身をどう変えるかを、三つの観点から語る。コーチングが「できる」ことと、コーチングを生き方やあり方として体現する「コーチングになる」ことを区別し、他者への影響だけでなく自分自身の変容が重要だと説明する。変化の一つ目は、普段接点のない人々やコミュニティと対話することで、相手の背景や思いを想像し、身近に感じられるようになることだ。SNSなどで人をすぐに判断していた状態から、相手の過去や環境を考え、怒りを好奇心に変えて一度立ち止まれるようになった経験も語られる。二つ目は、自分の中に生まれた気づきを、そのまま相手へ押しつけず、対話を進める材料として扱う力である。ミーティングでも、意見を断定するのではなく「テーブルの真ん中に置く」ように問いかけ、相手が自由に思考できる場をつくることが大切だと話す。三つ目は責任範囲の変化で、一回のセッションの結果を自分の成功・失敗として過度に背負わず、クライアント本人が担う部分を尊重しながら、長期的な可能性を信じて関わるようになることだ。友人の愚痴にも、単に聞くのか、本人が望むなら一歩踏み込んで共に考えるのかという選択肢が生まれ、最終的に前へ進む責任は相手にあると捉えられるようになる。最後に、コーチングはビジネス上の技法にとどまらず、与える心やライフパーパスに馴染んだ自然な生き方として実践されるとまとめ、聴き手にも自身の変化を振り返るよう促す。

コーチングが導くコーチ自身の変化
皆さんのひとときにお邪魔します。 CAM ラジオの次男です。 CAM ラジオは、コーチングを軸にリーダーシップや組織開発、人間関係や生き方まで、さまざまなことについて考えていくラジオです。
本日は、CAM Japan スタッフのノリエルがお送りします。 そして、本日のゲストはですね、
最近、うちの娘がね、誕生日だったんですけども、 娘が大好きなものを覚えててもらっていたのか、
エルサなんですけども、エルサのレゴのブロックを プレゼントしてくれた方、そんな方をお招きしています。
もときさん、よろしくお願いします。 プチ情報、よろしくお願いします。
ちょうどCAMの6周年の当日が、ノリの娘さんの誕生日で、
もともとね、娘さんが来る予定だったけれども、ちょっと当日、
いろいろあって、これ無くなって、みたいので、ちょっと渡すのが遅れちゃったけど、
もともとアイデアは私というよりも妻で、 ノリさんの誕生日だなって言ったら、
じゃあ持ってこいよ、みたいなところで、 めちゃくちゃ余談なんですけど、
妻はもともと、そういうふうに人に渡すとか、あげるとか、 結構そういうのが得意な人とかいれば、
そうじゃない人、全然思いにも浮かばないし、 なんかわざわざいいよ、みたいな、
そういうタイプがいると思うんですけど、 妻は校舎の方で、全然人に何かをあげるとか渡すとかで、
喜びを感じるタイプではなかったんだけども、 妻の前職が保育士をしてた時に、
保育園の園長先生や運営ファミリーで運営されてたんですけど、 ファミリーの人たちはめちゃくちゃ与える心を持ってて、
ことあるごとに、なんかもてなしたり与えたり、 もちろん見返りとかも考えずにというか、
それが喜びの人たちで、 その人たち、3年間くらい働かせてもらって、
そこから人に何かを共有したりあげたりとかするのを、 すごく喜びにだんだんなっていって、
それが、彼女の中の変化があった上での、 パッと思いつきで、
面白いですね、そういう環境や周りの人とか、 関わる人の中で変わってくる。
ありがとうございます。
すごい、ずっとここ数日はそれで遊んでますね。
本当嬉しい。
他にもブロックあるんですけども、 エルサのパックに入ってたブロックでしか遊んでないです。
これ悩んだんだよ。 エルサは決まってた。エルサ関連みたいな。
でもやっぱりエルサ好きを知ってたからさ、 水筒とかありそうだなとか、
これハンカチとかありそう、ワンチャンあるかもなとか、
で、思った時に、遊べて同時に、 まだもしかしたら持ってないかもを狙ったらあれになった。
おっしゃる通り、水筒もあるし、 キックボードみたいなのもあるじゃないですか。
あれもエルサですし。
作戦がハマりましたね。
では本題に入っていけたらと思うんですけども、
今日は久々にCAM本国の方のブログから1個持ってきているんですけども、
タイトルだけちょっと私の方でお伝えしてしまうんですけども、
タイトルがですね、
コーチングを提供することがどのようにコーチ自身の変化を導くか、
というテーマで話していけたらと思います。
CAMっぽいですね。
確かにね、こういうこと書く記事ってあんまないですよね。
日本語にはあんまり見ないなっていう感じがしますね。
コーチングを学んだ人たち、学ぶ場所にもよるかもしれないけど、
でも一定学んだ人たちは提供している人たちはみんな同意するというか、
コーチングを学んでいって、コーチングを提供するようになって、
自分自身もこう変化したなみたいなことは、
どういう変化があったかを挙げつしていくときに共感したりとか、
そうそうそうって思うかなと思いつつ、
でもそれが一般にというか、価値として共有されていないのか、
コーチングを学ぼうと思うきっかけがほとんどの場合は、
自分が成長したいというよりは、
より周りの人たちとのコミュニケーションや部下の育成とか、
家族でのとか、より身につけて使うツールみたいな感じで、
レベルアップみたいな、他者へのインパクトにやっぱり意識が向きがちなので、
あんまり見ないなって思いつつ、
けっこうキャムはそこの部分の一貫性というか、
自分自身の変化や成長と対峙し続けつつ、
コーチングができるっていうことというよりは、
コーチングになるという表現をこちら使いますけど、
コーチングができることとコーチングになることは別で、
コーチングができることはそれがスキルを使ってフレームワークを使って、
人の変化を導くが一つだけども、
コーチングになるはより人としてコーチングの生き方、
あり方、一貫性、自分自身の変容、柔軟性、謙虚さ、
そんなものを身につけながら変化、変容を自分自身の内側から導いていくみたいな、
それを体験しつつ他者に対峙するみたいなことがあったりするので、
ここはキャムが大事にしていたらキャムらしさが現れる内容だなと思いながら、
それを本国からちょっと持ってきて話せるのが嬉しいなと思っています。
いいですね。キャムらしさが前回のエピソードですよね、ここね。
三つの変化:他者理解・気づき・責任
では、3つのポイントがあるので、そこを一緒に掘っていけたらなって思うんですけども、
ここからもときさんにお願いしてしまおうかな。
いいですよ。
最初3つのポイントだけちょっと共有させてもらいながら、
俺とのりの体験談を交えながらちょっと1回それを紐解いていくことができればなって思うんですけど、
順番に3つ1個ずつっていうよりは3つのポンポンポンと出しながら、
これあるなーみたいな感じでそれぞれしゃべっていく体験談から紐解くと。
皆さんも聞きながらコーチングを学びつつ提供しつつ、共感するなってことがあって、
確かにそう言われてみるとそうだなっていうのもあると思うし、
ちょっと一緒に味わいながら巡らしていければなと思いますが、
3つまずポイントを出すと、ブログで書いてくれていたのは、
コーチングを提供する中でコミュニティや人々に対する理解がまず変わっていくっていうのが1つ目ですね。
そして2つ目がコーチングを提供していく中で、
自分の中で起きている気づきをどのように管理するかが変わっていく。
そして3つ目ですね、コーチングを提供していく中で、
どのように自分自身の責任範囲をマネージするか管理するかが変わっていくみたいなことで、
ちょっとずつ触れていくと。
コミュニティに関しては、コーチングを提供していくと今まであまり対話したことがない人たちとか、
深く関わったことがない分野の人たちや状況のまたポジションの人たちと対話することが増える中で、
違う自分自身にとってはあの人たちとか、
自分の枠の外の人たちという印象から、
よりその中の人たちの思いを理解できたりとか、状況に共感することができたりとかすることで、
自分自身の元々の枠の範囲の外の人たちがもうちょっと身近に感じたり、
そのイメージが自分の中で変わっていったり、
コミュニティや人々と共に生きる、共に伴走するってどういうことなのか。
もっと言うのであれば、それを通してコーチとして自分がある中で、
人や社会とどう共に対峙し生きていくのかっていう概念がちょっと広がっていく、
そんなイメージがあるかなと。
2つ目の気づきの管理みたいなところに関しては、
人と対話していくときに誰かから相談を受けたりとか、
今までコーチングまだ前とかだと、
こうじゃない、ああじゃないみたいな風に、
これ思ったんだけどとか、
なんか普通にアドバイスしたり提供したり対話したりすることがあるけれども、
コーチングの中で気づきっていうものが、
いや自分の中で起きた気づきですね、
コーチが話を聞きながら、
その時にこれって言う必要があるのかなとか、
言う必要があるのであれば、誰がそう伝える必要があるんだろう、
どのようにこの気づきを共有する必要があるんだろうかとか、
どの相手の状況や状態を解釈しつつ、
その中でどのようにこの出し方や関わり方を変えていく必要があるんだろうか、
みたいな風に、こう思ったみたいなことをポンと出すというよりは、
それをどのように管理して対話で使っていくかとか、
そこのポイントが変わっていく。
最後ですね、責任に関しても、
このコーチの責任を考えていく時に、
もちろん目の前の人の変化、クライアントの変化、
またゴールの達成みたいなところに一定責任を共に追いつつですね、
追いつつ、でもどの部分の責任が自分が追うべきもので、
どの部分が本人がそれをしっかり追うことで、
本人の成長につながるんだろうかとか、
より本質的な対話につながっていくんだろうか、
相手にとって本当の意味ではベストなのかとか、
その責任の範囲と誰がどのように、みたいなことが変わっていったり、
この責任とか、そこと向き合う覚悟とかが必要になる時に、
どのように対話し扱っていく必要があるんだろうかとか、
その結果や成果を見ていく時に、
それって誰の責任から生まれた成果なのか、
相手が対峙したゆえに生まれたことなのか、
自分がコーチと優秀だから、
これは自分の成果であって称号だ、みたいな風に捉えてしまうのかとか、
その辺の責任の範囲や相手との関わり方の距離感みたいなところが
変わっていくみたいなことですね。
順番気にせずノリの中で聞きながら巡ること、感じること、
キーワードから拾ってもいいですけど。
気づきを押しつけず対話の材料にする
まずコーチングにすぐ影響したのは、
2番と言いますか、気づきをどのように管理していくかみたいなのは、
まず一番最初に自分を変えてくれたところだなっていうのはありますね。
自分はコミュニケーションの中で思いやりを持ちたいって思いながら、
ずっと過ごしてきたわけですけども、
思ったことに対してどう出せばいいんだろうみたいなところが、
今まで分からなかったのが結構あって、
分からないからこそストレートに言うしかないみたいな感じだったので、
そのストレートになるがゆえに、
やっぱちょっと雰囲気乱しちゃったなみたいなことだったりとか、
コーチングの中でもその直感をそのまま使っていくときに、
ちょっと強すぎたかなっていうふうに思うこともある中で、
ここはすごく磨かれているなっていう印象ですかね。
コーチングならではの独特な関わり方というか、
こんなこと今感じたんだけども聞いてみてどうですかみたいなことって、
それを相手に渡すというよりは、
テーブルの真ん中に置くみたいな表現を私たちは使ったりしますけど、
そのテーブル真ん中に置きつつ、それをどう思うか、
そのこと自体を相手は受け取るかどうかではなくて、
それを聞いてみて本人の中でどんな思考が巡ったりとか、
全然違う、それ聞いてみてもうちょっとこっちかも、ちょっと違うなとか、
それが刺激となって本人の中での思考が進む材料として、
自分の気づきを扱っていく。
相手に伝えるものというよりも、材料として相手の思考を促すきっかけを作るみたいな、
その関わり方が変わっていくとか、
その認識がその気づきを共有するということの意図がそういうふうに変わっていくと、
こっちもあまり傷つかないというか、別にこれを理解してほしいみたいなふうに頑張って伝えようとするんじゃなくて、
本人の中では今何が起きてて、
この自分の中で起きている気づきがどのように相手の思考を促していって、
それ故にどのような方向に対話が進んでいくかみたいなことをある意味観察する側に
コーチが向いていくみたいなのはすごくコーチングを学んでいく中で、
コーチの変化や成長を促していく。
それがコーチングの中だけじゃなくて、人と対戦するときに、
相手の中にあるものを尊重したり、相手のプロセスを尊重するみたいなふうに繋がって、
コミュニケーションしやすくなるというか、生きやすくなるというか、
そんな感じもありますよね。
そうですね。本当におっしゃる通りでコーチング以外でも、
ライブコミュニケーションが楽になったなという印象ですよね。
一例で言うと、どういうときにそれを感じます?
働いててもミーティングのときに思うこととかも、
なんですかね、一回出してみるみたいなのは。
僕は絶対やらなかったので、そういうの。
思っててもあんまり言わない方だったので、
そこが一回出してみて、それがどうなるか。
自分がどうっていうよりは場がどうなっていくかみたいな視点で
投げるようになったなというのは思いますね。
意見を言うというわけじゃないんですけども、
テーブルの真ん中に置く感じなんですけども、それこそ。
それによってミーティングの、
自分の向き合い方も変わったんじゃないかなとは思います。
それ聞いてて、ふと思い出したのが、
ちょうど昨日受講生からの質問であったのが、
コーチがコーチングを学んでる人がですね、
別にコーチングの文脈じゃなくて、
普通に仕事の文脈の中で、ミーティングの中でそれこそとかで、
コーチングを学んでるからこういうことを感じたんだけど聞いてみてどう?
みたいなふうになった時に、相手がその問いかけられ方とか
問いかけの意図を理解してないと、
気づきの共有ではなくて、それこそアドバイスとか、
鵜呑みにしてしまったりとか、これどう反応すればいいんだろうって、
違う方に思考が向いてしまったりとかしてしまうことがあって、
その辺、どのように関わっていくのがいいと思いますか?
みたいな、そんな質問をいただいたりしたんですけど、
今、ノリが出してくれた例もそうだけど、
こちら側がそれに慣れていくのもそうだし、
そのプロセスの中で、ちゃんと問いを受け取る側の、
教育っていうとすごく強く感じるけれども、
問いの受け取り方や、問いを投げかけられた時に
どのように思考を巡らすと、この問いが意図している
対話の形を作っていけるか、みたいな。
あれはコーチングの簡単な説明であったりとか、
また、これって別にアドバイスがそういうことをしてるわけじゃなくて、
心から、これ聞いてみて、あなたが今どんなことが巡るかを
そのまま出していいことなんだよとか、
それは刺激として使っているだけであって、
これについて本当にどう思う?って、
その問いに答える必要はなくて、
それ聞いてみて、こんなことも受かりました、
こんなことも受かりました、みたいな風に自由に話していいんだよ
っていうことがアグリメント取れていないと、
相手もちょっとわたわたしちゃったり、
逆にどうすればいいんだろう?みたいなのが生まれちゃうので、
でもそこもコーチとして成長していくときに、
自信を持ってそういうものを伝えていったり、
場を作っていったり、人がそのように対話していくことをサポートしたり、
みたいにできるようになっていくのはすごくあるなあ、
というのが思いますね。
そう思います。
枕言葉はすごく重要ですね、確かに。
めちゃくちゃ重要だよね。
同じ問いを投げても枕言葉次第で全然その問いの方が変わるみたいな。
逆に混乱させるみたいなね、ありますよね。
いいですね。
背景を理解し、判断を好奇心に変える
気づきの管理の仕方っていうのが一つ。
自分は結構コミュニティの理解、
コミュニティや他者の理解が深まるは、
もともとそれを目的にしていなかったけど、
それを通して自分がすごい成長したなって、
自分で言うのもなんだけど、すごく思うようになったかなあ。
そうなんですね。
やっぱり無意識の中で自分の知っている世界の範囲の中だけで
人をジャッジしたりとかしていくことってすごくしていて、
SNSなんかもそれの宝庫というか、
本当に相手のこと知らないのにめちゃくちゃディスったりとか、
ジャッジしたりとか、外から物言ったりとか。
言いたくなる気持ちも分かるっていうか、そう見えるよねとか。
でもコーチングでいろんな人と対話していくと、
でもこの人もそう言いたくて言ってるわけじゃないかもしれないしとか、
言い方が悪いだけで思いは純粋かもしれないしとか、
極論この人が今このような思考状態になっていることは、
この人の過去の経験とか出会ってきた人々であったりとか、
受けてきた仕打ちというか、影響によってこういう思考状態、
ロールモデルとか良い関わりを受けたことがない人が
それを提供するってことは難しかったりするので、
自分の体験したことのある最大の促進的安全、また豊かな関わりの最大しか
自分は提供できないみたいなことを前提に置くのであれば、
もちろんそれで人が傷ついたり、良くないことが起きていたら良くないけど、
同時に一概に全部この人が悪いとか、わけじゃなくて、
自分も同じ環境で育っていたら同じ状態になっていただろうなとも思うし、
その相手の立場に立ったらすごく自分もそれ以下になる可能性も全然あるし、
みたいなところがいろんな人と対話するときに想像できるようになったり、
受け止めることができる中で、自分の人生の中でも、
はぁ?って思うようなことが目の前で起きたり、そういうことを言われたとしても、
それにイラッとする、そのままイラッとするというよりは、
なんでこうだったんだろうなっていう好奇心にちょっと向くように。
もちろんはぁ?って思ったらはぁ?って思うけど、
なにこいつ、みたいな。思うことは全然あるけど、
でも、一度立ち止まって考えて巡らせるみたいなことは、
コーチングを提供するようになって、すごく変わったなって、
自分で言うのもなんですが、思いますね。
いや、意外ですね。
なんか、もともとそこ、なんすかね、もときさんは、
トレーニング、トレーニングって言い方なんですけど、向き合い続けて、
コーチング学ぶ前からそんなイメージがあったんですけど、
でもコーチングを通してだったりとか、
身がかり、学んでいったって感じなんですかね。
そうね。行って、もちろん大学時代、いろんな海外だったんで、
友達は中東の友達とか、ラテンの友達とか、
いろんな人たちともほぼ共同生活をしながら、
対話しながら、ぶつかりながらってしてたから、
多様な価値観の後ろにはそれぞれの文化や背景があって、
みたいなことは言ってあったものの、
でも同時に、やっぱりこれって諸刃の剣で、
自分の信念やビジョンや価値観や大切にしたいこと、
社会に伝えたいことが大きければ大きいほどというか、
強ければ強いほど、それに準じないというか、
枠に当てはまらない、また逆にその逆をしている、
自分がこれを社会に見たいと思っているものと逆をしている人を見ると、
やっぱ、ダメだなあいつみたいなのとか、
分かってねえなあみたいなふうにすぐジャッジしちゃう、
みたいなことが起きていくので、
そのバランスというか、その辺はすごく鍛えられたというか、
コーチング、さっき冒頭に触れたように、
いつも話さない人と話す機会があったり、
自分のサークルの外の人たちと話す機会が
結構多いので、
それはすごく自分自身の成長や学びにつながったなあというのは
めっちゃ思いますね。
確かに。
なるほど。
ですね。
コーチの責任範囲と長期的な視点
それが二つ目で、最後ですね。
責任の範囲、責任の扱い方、管理の仕方、みたいなこと。
どうです?
いやあ、ここは、なんすかねえ。
まずはコーチング、
まずは絶対に皆さん通ると思うんですけど、
このコーチングの時間何も埋めなかったみたいな、
そのコーチ側が勝手に責任を負ってしまうことってあると思うんですけども、
ダメだったなあとか。
そこがまずなくなっていきますよね。
もちろんね、振り返りは必要だと思うんですけども、
そこの責任っていうところは手放すことができるようになったのは、
もうまず変化としてやっぱりあるなあって思いますね。
確かに。
それ、俺の認識の違う表現を使うと、
なんかその状態に対して、いくつかあるなあ。
あの、その現在の状態に対してを見て、
その価値を判断するんじゃなくて、
もうちょっと中長期的な結果を信じる中で、
そのジャッジを一回保留することができるみたいな力が一つ。
なので、ワンセッションの中でどれくらい起きたかではなくて、
結構それって数ヶ月後とかどうなっていったかで、
あの価値が決まっているというか。
だからすぐになんかその1個を切り取って、
自分が良かったダメだったみたいなジャッジの仕方ではなくて、
それを一回保留して可能性を信じる心とともに、
また自分のベストを提供し続ける中で、
それを判断していくみたいな保留する力、
信じる力みたいなこともあれば、
もう1個思ったことあったかなあ。
ちょっと断片的に覚えてるのだけ言うと、
自分を過度にいじめないというか、
これその状況の中で、
自分の責任範囲がより明確、自分の中で言語化されていく中で、
それでネガティブに自分自身を捉えたりするというよりは、
その状況に対してどうより成長できるかとか、
変化できるかっていう前向きな視点で、
状況の解釈をよりできるようになっていくみたいなことは、
コーチングを学んでいくと1つできるようになることかなと思って。
なので自分をもちろん、
今言ってくれたように振り返り反省したりすることは一定大事ではあるとともに、
そこでとどまっちゃうんじゃなくて、
そこから切り替えて、
じゃあ今回の学びはどのように自分の成長につなげられたのか、
ここからどのように相手に関わり続けることができるだろうかという形で、
前を向いてそこに対する、そこからの学び。
なので失敗を敗北としないというか、
失敗ゆえに自分が失敗者になる、
ダメ、自分がダメなやつだ、なるんじゃなくて、
その失敗は失敗、だけどもそれを糧にして自分が成長していく、
また相手への関わり方のヒントに次につなげていくみたいな思考になっていくみたいな。
そんなことが巡るかな。
友人との対話に生まれる選択肢
そうですね、今聞きつつ巡ったのは、
結局本当の意味でクライアントさんに向き合ったり、
その関係性の質に意識を向けれるのは、
その状態になってからじゃないと向けられないなと思ってて、
その前まではもう自分しか目が向いてない、
コーチとしての自分みたいな。
それは今聞いてて感じましたね。
そういうステップも確かにあるなっていうのは今思いましたね。
この責任ってところで思うと、
自分の中ではコーチングを学んだことでまた提供するようになったことで、
責任を追う範囲やその質の選択肢が増えた感じが自分の中ではあって、
なので例えば日常会話で友達と話をしてて、
こういうこと悩んでるんだよな、
それを普通に聞きながら対話してて、
ああでもない、こうでもない、
言ってるような状況。
それは全然聞き手は責任を追ってなくて、
普通に聞き手としてそこにいて、
でもそこから相手が選択して求めるのであれば、
何気ない雑談や愚痴大会から本当に相手が変わりたいんだったら、
でもそれを本当に真剣に考えたかったら一緒に考えるよ、みたいな。
それが自分もやったことあるし、コーチングもできるし、選択肢があるみたいな形で、
相手が持ってるその課題や痛み、責任やストレスみたいなものを
一緒に追う選択肢を持つことができて、
それを一歩踏み込むっていう選択肢ができて、
なので本当にそれを向けたかったら一緒に向き合うし、
一緒に考えることができるし、
友達なんだからみたいなところで。
それで一緒に考えるっていうプロセスに
アップデートというかレベルアップなのか分からないけど、
よりセッティングを変えていった時に
一緒にある意味責任を追いながら
共にそれを向き合い対峙し、
自分ごとに捉えながらどうできるかをまた
コーチングや対話、問いかけを通して促していく。
でも最終的にそれを自分が追い過ぎないっていうことを
学ぶんだと思って、
相手の葛藤を自分で追い過ぎる人もいるというか、
共感や痛みを感じすぎちゃうゆえに
自分も苦しくなるみたいなことにもならず、
ここまでは一緒に進める。
一緒に考えられる。
でも結局向き合うのはその人であって、
その人の意思やその人のキャパや
その人の状況に合わせて
その人が前に進むことをサポートすることまでが
自分の責任であるみたいなことで、
そこの責任範囲を追い過ぎないっていう選択肢というか、
関わり方もできるようになるので、
何気ない愚痴大会を聞きながら
なんかモヤモヤしちゃって終わるみたいなことは
結構何も解決せずというか、
別に相手が解決したいと思ってることじゃなくて
愚痴聞いてほしいだけならそれが正解だけども、
本当に向き合いたいのならば
友人や周りの人、職場の人に対して
一歩踏み込むという選択肢が生まれる
みたいなことは結構自分の中では
コーチング提供するようになっての成長変化かな。
それは深いっすね。
深いかな。
深いというか、やっぱライフスタイルですよね。
そこまで行って初めて自然とできる。
これ伝わるのかな。
そこにいない状態での会話は
なんか多分噛み合わない。
ちょっと変な聞き方になっちゃう。
選択肢じゃなくて
選択肢を一緒に考えるというよりは
ちょっといびつな感じはしちゃいますね。
このライフスタイル的に。
馴染んでないと。
そんな感じ。
コーチングを生き方として馴染ませる
ちょっと違う表現を使うとしたら
コーチとしてビジネスを確立させようと思いすぎてると
友人をクライアントにどうするかみたいな話になっちゃう。
有料なの?無料なの?みたいな話。
自分の中でもよく言ったり。
でもライフスタイルという生き方を
目の前の人はお金どうこうというよりは
そういう関わり方、還元の仕方を
大切にしているみたいな
与える心みたいなところとか
与えるとも思っていない状態?
伏線返しになりましたね。
エルサの話から。
そういう生き方であったり
自分のライフパーパスみたいなところまで
そのコーチングという関わり方が馴染んでいると
それがよりナチュラルにできるようになる。
っていうのはあるかなっていうのは
思ったかも。
それです。言いたかったこと。
それだった?よかった。
はい。いかがでしたでしょうか。
コーチングを提供することが
どのようにコーチ自身の変化を導くかっていうテーマで
ここまで話して3つのポイントですね。
話してきましたが。
皆さんもこれを聞きつつ
どんな変化がご自身の中であったかだったりとか
この3つのポイントで考えていただくのも
良い内省の時間になっていくのかなという風に思いますし
という感じですかね。
はい。では
今日はこんな感じで終えていけたらと思います。
ありがとうございました。また次のエピソードでお会いしましょう。
CAMは2005年にアメリカにて設立され
3000人以上のプロコーチを輩出してきた
ICFにてコーチングスクールです。
CAMやその日本支部であるCAM JAPANについて知りたい方は
camjapan.jpで検索ください。
それではまた次回お会いしましょう。
35:15

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