- ありがとうございます。
- じゃあ、ちょっと県家さん自身のことをお聞きしたくて、すごい気になってるんですけど、
- キャリアの始めって普通の会社で働かれてましたよね?
- そうですね。
- 何の会社でしたっけ?
- ここから来る前30分くらいのところにある造船所で働いてました。
- なるほど。その後、いくつか転職されてきましたよね?
- はい。
- それもマインドフェニスとか関係ない企業でしたよね?
- そうですね。そこら辺はもともと造船所に勤めて、最初のうちはビジネスマンとしてというか、
- マインドフェニスとは本当に全く関係なくて、ちゃんと一人前の人間として仕事ができるようになりたいなという思いが強くて、
- いろんな世界を経験したいなということで、いくつかの会社を巡っているうちにプライベートの中でマインドフェニスに出会って。
- どういうところで出会ったんですか?お茶飲んでください。
- ありがとうございます。
- 疲れちゃってたもんね。休みながら。いきなり出会わないじゃないですか、マインドフェニスに。
- そうですね。
- 突然ぶつかんないと思うんですけど、どうやって出会えたのかなと思いまして。
- もともと井上がずっとヨガの先生をやっていて、私が結婚したときぐらいからヨガも彼女に習ってということをやってたので、
ヨガは全く知らなかったわけではないんですけど、そんなに真面目に毎日練習するような感じではなくて、
なので、ちょっとそういうヨガとマインドフェニスは割と近いものだと思いますので、
そういったマインドフェニス的なものに、真剣感はあったと思うんですけど、
その中で自分がその仕事をしていく中で、かなりストレスを感じるような場面とかもかなりあって、
そのときに井上があるとき、イギリスでマインドフェニスのリトリートがあるので、それに行こうと。
- 2人で行こうと。
- 2人で行こうと誘われまして、で行きまして、それは7日間ぐらいあるサイレントリトリートというですね。
- 長いですね。そんなもんなんですか、だいたい。
- 5日から7日ぐらいとか、もうちょっと長いものもあるんですけど、そのリトリートに参加をして、
そのときに、そこのリトリートというのはずっと歩く瞑想と座る瞑想をずっと繰り返すようなものだったんですけど、
それをやっているときに、ある自分の中で、今この瞬間にあるというのはこういう感じなのかという、
将来のことを考えているわけでもない、過去のことを考えているわけでもない、
ただ今この瞬間に生きているという、そういう感覚があって、
で、マインドフルネスというのはすごく自分を見とって支えになるものだろうなというふうに思って、
で、それがですね、そのトレーニングというのが後からわかったんですけども、
MBCT、あの冒頭にご紹介した、MBCTの講習要請のトレーニングの一部の部分として行われたリトリートを、
一般の方にも参加できるようにされていたものだったんですね。
で、そこに参加をして、で、そこからちょっといろんな縁があって、そのMBCTのトレーニングというのを受けて、
で、そのときは普通に会社で仕事をしながら、そういうマインドフルネスのトレーニングも受けて。
そういった、あれ?それイギリスのトレーニング?イギリスまで行かれたやつでしたっけ?
そうですね。そのリトリートはイギリスまで実際に行って。
その、そうですよね。
2016年かな?
2016年か。はい。
国で行かれた最初のリトリートがあって、その後日本に戻られて、
で、日本国内でマインドフルネスを実践されていて、またイギリスに行かれたんですか?
そうですね。日本に戻って、そのリトリートは7日間だけなので戻ってきて、
普通に会社に行きながら自分で瞑想したりとかしているうちに、
そのMBCTのトレーニングというのが、
いくつかのコマを、たとえば3日か4日くらいのコマをいくつか、
何ヶ月かおきに取っていくみたいなスタイルのトレーニングで、
ちょうどそれが、私が1年か1年半くらいそのトレーニングを受けた時の後半はコロナになったので、
後半はオンラインだったんですけど、前半はその時はシンガポールにトレーニングに行って、
シンガポールでそのトレーニングを受けました。前半ですね。
後半はオンラインでという感じですね。
なるほど。なるほどですね。
で、それをコロナの最中だったので、日本にいらっしゃったですかね。
で、受けられて、その時はまだ働かれてたんですか。
そうですね。その時はですね、最初に勤めていた造船所が10年くらい勤めていて、
その後辞めて他の会社に行ったんですけど、また最初の造船所に戻ってきて、
2年間勤めてたんですけど、ちょうどそのくらいの時期ですね。
その会社を辞められたのはそのあたりなんですか。コロナが終わったあたり、最中とかなんですか。
最終的にその2年間の、造船会社にまた戻った2年間を辞めたのが2021年の3月です。
辞めたのはなぜ辞められたんですか。
それはですね、ちょうどその半年、1年くらい前からMBSRの講師養成のトレーニングというのを
ドイツのトレーニング機関と一緒に日本向けにやろうという話が出ていて、そっちの話がかなり動き出して、
会社に行きながら夜の時間とか土日とか休みの日にそこをちょっとやってたんですけど、
そっちのボリュームが大きくなりすぎてしまって。
日本の講師を育てるプログラムをやられてたんですね。
ハードですね。
そうですね、その時両方やってたので、もうちょっとボリュームが大きくなりすぎたので、造船会社のほうは辞めて、
こっちのマインドフルネスのほうにフルタイムで移ったという感じですね。
インターナショナルマインドフルネスセンタージャパンを作られたのもそのあたりってことですか。
そうですね、もともと長崎マインドフルネスセンターという野望でですね、
それがもっと前からやっぱり2016、17ぐらいからやっていたのかな。
で、そのMBAさんの交渉戦をトレーニングするぐらいのタイミングで2020年、
21年ぐらいにインターナショナルマインドフルネスセンタージャパンというものに変えて、
それまではほとんど対面でやってたんですけど、
そこからちょうどコロナでZoomをみんな使うようになったタイミングで、
オンラインで日本全国にお届けしだしたという感じですね。
なるほど、それまではMBCTだったり、
そういったものを公式に教える組織っていうのは日本になかったってことなんですか。
えっとですね、大都市東京とか大阪にはいらっしゃいましたね。
やってた先生が。
個人でやってる。
個人でやってました。
組織として公にやってるってことはなかったってことですね。
病院単位でやってるとか、また個人でやられてるとかってことですね。
なるほど、そういうのとここの違いは、
ドイツのその機関と連携しながら公の組織というか、そういった違いっていうことですか。
そうですね、一番大きかった違いは、
そうですね、ドイツのトレーニング機関からいろんなサポートをいただいて、
その中でMBSRとかMBCTというプログラムを、
外国人の先生を最初のうちはお招きをして通訳を入れて、
日本の方にというところからスタートして、
なんと日本人でも教えるような体制に移行していってと、そういう感じだったんですね。
組織化してだいぶ大きくなっていった。
そのタイの大学で仏教を学び始めたのはいつ頃からなんですか。
タイの大学はですね、
今2026年ですよね。
2024年の8月からですね。
どういうきっかけでそのタイまで、だいぶ遠いじゃないですか。
アジアですけど、タイの大学で仏教学を学ぶと、
そのマインドフィニスがすごい教えてる方でも、
そこまでする方あんまりいらっしゃらないんじゃないのかなと、
ちょっとわからないですけど、いるのかもしれないですけど、思ったんですけど、
なんでそこまで行っちゃったんですか、タイまで。
これはですね、偶然が結構積み重なってるんですけど、
うちの娘が今、高校3年生の年で、
小学校の時にですね、
ちょっと当時は九州で大きな地震がありまして、
その関係もあってですね、ちょっと学校になかなか行けなくなりまして、
いろんなその他にもいろんな理由があったんですが、
ちょっと海外のタイのチェンマイというところに、
その当時私たちもマインドフィニスというものはすごく興味を持って実践もしていたので、
その仏教的な理念で運営するインターナショナルスクールがあったんですよ。
なのでちょっとこう日本から環境を変えて、そういったところに行ってみようかということで、
その井上とうちの娘と一緒にそこに行って、
その当時私はまだ造船所で働いてたので、こっちに残ってたんですけど、
そこからタイのチェンマイに何年か行って、
私も2021年の3月に会社を辞めた後、秋ぐらいにチェンマイの方に合流して、
その時チェンマイにいたんですけど、その後ちょっといろんな事情があって、
今度はオーストラリアに移って、1年半ぐらいでまたその子供の学校の関係もあって、
今度はタイのバンコクに戻ったんですね。
井上がもともとその今行っている大学のことを元から知っていたみたいで、
そのタイのバンコクの近くにキャンパスがあるというので、せっかくバンコクに住んでいるので、
じゃあそこに行こうと。私も誘われて、じゃあせっかく行き会なんでと。
で、行き始めたと。
じゃあその井上さんとパートナーと2人で会話を始めた。
そうですね。学部はちょっと、どちらも修士課程なんですけど、
彼女が行っているところと私が行っているところは少し学科が違うんですけど、
2人で行っているということです。
このマインドフルネスって結構宗教要素を抜かれていると思うんですけど、
仏教瞑想、ど真ん中じゃないですか、おそらくタイのその仏教学って、
何が違いますか、一番の違いというのって。
仏教、宗教的な意味での仏教と、私たちがやっている世俗的なマインドフルネスの違いということでしょうか。
そうですね。
私が思うに一番いくつか違いがあると思うんですけど、大きな違いは、
仏教というのは人間というのは死ぬとまた生まれ変わってという、
輪廻という世界観があって、生きている限り自分の期待というのがあって、
それが満たされない現実というのがあるので、
例えばお腹が空いた時においしいものを食べたいと思って、
おいしいものを食べて満腹になる瞬間ありますけど、それずっと続かないので、
そうするとまたお腹が空いてという、そういった人間というのが生きていると、
自分のコントロールできないことがあり、その不満足さがずっと続くものである。
なのでその仏教の世界観、それが芽生えた古代のインドの世界観だと思いますけども、
そこではずっと繰り返し生まれ変わり続けるということが、とても苦しいことであると。
繰り返し生まれ変わり続けることが苦しいことであると。
生きていること自体がその期待をしてしまって叶えられなくて、
という苦しみの連続であるから、生き続けること、そして生まれ変わってまた生を得て、
その期待と叶わないことの苦しみの連鎖の中で生き続けるということは、
生き続けること自体が苦しみであるということですか?
そうです。今です。
で、仏教の瞑想というのは本来その苦しい生まれ変わりが続くことをストップさせる。
そのために瞑想することによって自分の中の執着を全部断ち切ってしまう。
それは煩悩を断ち切るとかというかたしますけど、それは下達とか悟りと言われるものですけども、
そうするとその生まれ変わりのエネルギーのようなものがなくなって、
もう苦しい生まれ変わりをしなくて済むという。
生まれ変わりをしなくて済む。生まれ変わりをしなくて済むって何でそうなるんですか?
下達すると生まれ変わりをしたくなるっていうことなんですか?
そうですね。
そういう風な流れというかあるわけですね、仏教の中で。
なので仏教というのはとにかくその世界観の下でそこから自由になるために、
とにかく一生かけて瞑想するんだというのが僧侶ですね、お坊さんたちですね。
それに対して現代的なマインドフルネスというのは、
やってることは修法としては同じように瞑想をやっていきますけども、
私たちはこう瞑想だけをやってずっと暮らすということは通常できませんから、
かつ私たちはその何か執着を完全に断ち切ってその輪廻から解放されるというような世界観の中では生きていないので、
どちらかというと何かストレスが強いとか不安がたくさんあるとか、
そういったものへの対処としては何かその煩悩、執着を完全に断ち切ろうというよりかは、
よりその思考や、そういった執着とかですね、不安とかそういったものがあるということを認めてあげて、
それによって少しメタ認知的に上手に距離を取ってだんだんとそれを弱めていくというので、
まあ十分だと思いますし、逆に執着とかを完全に断ち切ろうとすると、
やはりそこにはできているかできていないかという判断が現れてくると、
今度はできていないということでまあ自分を責めだすということが起こり得るので、
現代的なアプローチとしては、やってることは瞑想として自分の内側の思考・身体・感覚・感情を眺めているという意味では同じなんですが、
ただ目的のところは少しこう違うということじゃないかなと思います。
そうですね。けんやさんあのプチゲタツをしたってこの間おっしゃってたじゃないですか。
何でしたかね、プチゲタツは。
ちょっとそういうとこに私も入ったことがあるんですっておっしゃってて、
ゲタツ、我々人間、お坊さんみたいに何十人もやる方じゃない人はなかなかいけないけど、
なんかそういうとこにふと入れる瞬間があるとおっしゃってて、ちょっとお聞きしたいんですけど。
それは多分私だけじゃなくて、おそらく皆さんある瞬間になんて言うんでしょうかね、
執着のない状態、ただ例えば瞑想してる時とかでもですね、ただなんかちょっと心は静かで、
別に何かこれ以上足す必要もないし引く必要もないというような、
そんな瞬間というのは皆さん多分経験されることがあるんじゃないかと思うんですね。
何も足す必要もなければ引く必要もない、満足できてる状態ってことですか。
何かその快楽なるような満足ではないんですけど、何かが足りない状態ではないという意味での満足ですね。
どういう境地なんですかね、それは。その快楽による満足ではなくて、
何ですかね、それは瞑想をずっと続けていくオープンアウェアネスですかね、
特にを続けていくとそういった感覚を感じられるっていうことなんですか。
おそらくそうですね、皆さん日常の中で結構そういう瞬間って多分起きてるんだと思うんですけど。
これ以上足すことも引く必要。
例えばですけど、僕今日ここに来るまで車運転してきたんですけど、
さっきお話したこの長崎のワン、何ワンって言うんでしたっけ。
大村湾ですね。
大村湾です。大村湾をぐるっと長崎空港がぐるっと車に回ってきたんですけど、
めちゃくちゃ綺麗で運転しながら横目で見るとその大村湾の波というか海面が光に照らされて
すっごい反射して綺麗だったんですね。そのふっと見えたその瞬間は
なんかそんな気持ちなのかなって思ったんですけど、これは違いますかね。
そういう感じだと思います。そこに執着がなければですね、
そういったふとした時のあっていう感じですね。
なんか満たされたような、その瞬間の幸せみたいな感じだったんですけど、
そういう感じも近いですかね。
そうだと思います。もしくはここに来ていただいて、
先ほどこう瞑想センターの裏の森のところをちょっと歩いていただいたりしましたけど、
例えばそこで鳥の声が聞こえて、なんかすごい快楽な快感のわけでもないけど、
なんかこうあっていう、なんかそんな感じですね。
リラックスできてるよう、なんていうか満たされてるような。
これ言語化難しくないですか。これなんて言語化したいですかね。
難しいですね。それが先ほどのこう足す必要も引く必要もないみたいな感じなのかなという。
そうですね。
例えば夫婦関係においてそのパートナーに対して求める期待するものってあるじゃないですか。
でかいそれは叶わない現実もあるじゃないですか。そこで苦しみが生まれるじゃないですか。
この執着からどうやって解き放たれるんですか。
一つは執着と要求っていうのは表裏なんだと思うんですね。
なので例えばこうあってほしい。
例えばそのパートナーに自分に優しくしてほしいとか自分のことを認めてほしいとかっていうのはすごく自然なものなんだと思うんですね。
なのでそれはあの持っていていい健全な意味での欲求という意味ではですね。
でそれが今度はこうあってほしいがこうでなければならないということになると自分は尊敬されなければならないとかこういうふうに扱わなければならないとかってなると
やはりこれ自分を変えて苦しめることになっていくと思うんですね。
なので自分がそこをこうなければならないと思っているのかこうあってほしいとソフトに思っているのかというのはまず見ていただくのがまず一つ目なのかなという感じがします。
こうでなければならないとちょっと脅迫的な感じというかその多いなんか全然気持ち余裕ない感じですよね。
こうでなければならないとか何でこうなんだとか何でやってくれないんだとかおかしいどうなってんだみたいな感じってことですよね。
そうですね。
それがまあ執着なのかなっていうことですよね。
これもまたその瞑想を繰り返したりとかマインドフェンスだったりとか中でこう緩くなっていくものなんですかね。
そうですね。アプローチとしては執着を消そうとして頑張るというよりかは執着があるもしくは自分はそのこうでなければならないという考え方をしているということに何回も何回も気づいてあげるということだと思います。
でそれをこうそれと戦って急いで追い払おうとするというよりかはそれと軽やかに付き合っていくように繰り返し繰り返しそれと付き合って
今またこういうふうな思考が浮かんでいるなとかこういうふうなパターンで見てるなということを繰り返し眺めていってあげてその時にこういうふうな考え方をしている自分はけしからんみたいなことで自分を責めることはせずに
まあそういうふうに思うのもまあ人間だからそんなもんだよねというふうにそれも優しく受け入れてあげるということだと思います。
それはコンパッションであたるんですか?
そうですねそれはコンパッションと言っていいと思います。
けやさんはこのクールリトリートだったりとかIMCJだったりとかでコンパッションについてもこうネクチャーされたりとかするんですか?
そうですね私たちはオランダの先生のプログラムを主に皆さんにご提供していてそこにはセルフコンパッションであるとか
それこそポール・ギルバーツ先生のコンパッションフォーカスセラピーとかそういった要素が含め込まれたようなコンパッションのプログラムも提供しています。
それはなぜ必要だと思われたんですか?
そうですね。
マインドクーネスだけでは何かこう足りないと言いますか補完するようなものとして必要かなって感じだったんですか?
そうですね。コンパッションというのは先ほどのコンパッションというのはもともとは仏教的な概念から来ているんですけども
人間というのは生きていると先ほどの話ですけどやはりそこには思い通りにならない不満足さがあって
それって要は人間ってやっぱり不完全だということなんだと思うんですね。ある意味で。
人間って不完全である。
収着をつけてある意味でと強調しておきたいと思うんですけど
人間が不完全であると考える理由は期待をしちゃうから、執着をしちゃうからってことですか?
執着をすることもありますし、すべてのことをコントロールできるわけではないので
例えばですけど、人には優しくした方がいいって分かっていて、パートナーに優しくした方がいいよねって頭では分かっていても
そうできないような衝動が現れたりして、なんか優しくない態度を取ってしまうとか
例えばそういうことっていうのはやっぱり誰にでも起きることなんだと思うんですね。
そうですね。完璧ではないですもんね。
その完璧でなさというのはすべての人間が抱えていて
それによって完璧でないが故に自分自身も苦しんでるんだと思うんですね。
自分を責めてしまうというか、なんでそうなれないんだろうとかっていう
自責とかの気持ちとかですかね。
そうですね。
で、そうであればすべての人間がそういった不完全さを抱えていて
何かそういった不満足さというかちょっとした苦しさがあるのであれば
まあお互いせっかくなんでサポートし合いながら生きていった方が
みんなバラバラで知らん顔してやるよりいいよねっていう
そういったこう他の人に対する優しさであったり
もしくはその自分自身の抱えている生きていれば
逃れられないそういった難しさを抱えながら生きている自分自身に対する優しさがある方が
まあいいのかなと。それはコンパッションということなんだと思うんですね。
で、おそらくマインドフィニッシュをずっとこう継続していくと
自然とそういったものが見えてくるので
自然と例えば目の前で困っている人がいれば
5歳ぐらいの男の方がポテンと転んでたらですね
自然と手を貸して大丈夫っていう不自然だと思うんですね
マインドフィニッシュっていうのはそういう物事がクリアに見れば自然と手を差し伸べるという
コンパッションが自然と生まれてくるようなものだと思います
なるほどですね。それは仏教用語なのかもしれないですけど
明石さっていうのと繋がってるんですか?
そうですね。マインドフィニッシュによって明石さが生まれて
そうすると自然とそこにある痛みや苦しみに対して手を差し伸べたくなるという
コンパッションが生まれてくるということだと思います
自手づきになってるんですね。マインドフィニッシュとコンパッションっていうのは
そう思います。はい。
なるほど。それでこう教えられているってことだったんですね。
なるほど、なるほど、わかりました。了解です。ありがとうございます。
そうですね。だいぶお話お伺いして
あと何かお聞きしたいことがあったかな。仏教学をお聞きしたかったんですけど
どういうことを学ばれてるんですか?
いろいろたくさんあると思うんですけど
タイの大学で学ばれてることって
仏教学ってそもそも何なのかなっていうところからちょっと
だいぶ広いと思うんですけど
そうですね。仏教自体も
2500年前にゴーダマ・ダルダという人が
ある80年くらいの人生を生きて
その中で考えたり発見したことを
人に伝えて、そこの何十年か何百年か
その教えを引き継いだ人たちがいるという時代から
ある時、その教えの考え方に
例えばお金を、もともとの考え方というのは
お金はあふれずに貰い物だけで生活をするというのが基本的な
働かずにそういった貰い物だけで生活するというのが
基本的な考え方なので、そこからいやいやでもやっぱりお金に必要だよね
みたいな人たちが出てきたりして、いろんなそこから
別れ出ていって、今は大きくはテイラー和田仏教と呼ばれる
その釈迦の
スタイルをずっと大部分で継続していると言われる
グループと、これは東南アジアに多い人たちですね
で、あと日本、中国、韓国に伝わってきている大乗仏教というのは
例えば今日本だとお坊さんも結婚
して大丈夫ですということになってますけど、それはもともとの
仏教とはちょっと違うスタイルになっています
あとチベット仏教とかあるんですけど、今私が
もともと大学の方で勉強しているのは
初期仏教とかいう言い方はされますけど
御霊したんだからこういうことをやったんだよという
そこら辺の仏教の基本的なところですね
基本的なところで、私自身はテーマとして
仏教と現代的なマインドフェニス、例えば
MBSRというものがどういう風に繋がっているのか
という風に、私はそこは実続きになっているのかなと思っているんですけど
そこら辺を今研究をしているということです
それはやっぱり繋がっているんですかね
源流が仏教ですもんね、マインドフェニスも
そうですね、MBSRを開発したジョン・カバトジェンさんという方がいらっしゃるんですが
この方自身は仏教の瞑想から
いろんなことを学ばれて、それを現代的な形に
するとされていた経緯はあるんですけど、ただ彼自身は
マインドフェニスというのは仏教特有のものではなく
ユニバーサルなものである、なので様々な文化とか
宗教の中に同じようなものは見られるという言い方をされています
その中の一つが、いわばおそらくマインドフェニスという
地下の水脈みたいな、人間であれば誰でも
いわゆる注意深さのようなものというものがあって、それを
仏教という井戸から汲み上げるか、キリスト教という井戸から汲み上げるか
いろんな井戸から汲み上げられていると思うんですけど、たまたまジョン・カバトジェンさんが
仏教という井戸に出会い、そこから汲み上げているので、
メイソンスタイルとかも仏教的なものが現代のマインドフェニスの中には
取り入れられているということなのかなと思います
その経緯さんの研究から分かったことというのはどういったことがあるんですか
そうですね、今までいろんなことを言う方がいらっしゃって
例えば仏教とMBSRというのは同じだとか違うとか
MBSRは仏教から
盗まれたものであるとかですね、そういった批判とかもあったり
もしくは仏教の中の倫理的な部分が
現代的なマインドフェニスに含まれていないというような、そういった批判というのはあるんですけど
それによってマインドフェニスは仏教なのかそうでないか
みたいな議論もあるんですが、そういったことではなく
やはり歴史的な経緯を見ても、中でやっていることを見ても
やはり実績であるのは間違いないと思うんですね
その中で実際に例えばMBSRをクラスを担当する人によっても
MBSR寄りの人もいれば
若干仏教寄りの方も中にはいらっしゃるのかな
グラデーションのようなものだと思うんですね
私が今そこで研究しているのは、じゃあそのグラデーションの地図を1回も描いてしまって
その実践をMBSRの実践をする人が
自分で判断をしながら、完全に世俗的な部分と
もしかしたら興味を持ってもちょっと仏教的な方もやっていきたいのであれば
こういうところは共通しているし
こういうところは共通していないというのが分かるような地図があると
実践者にとってもとてもいいのかな、そういうところをちょっと整理をしているという感じですね
選びやすそうですね、教える人がその地図があれば
自分はじゃあこのスタイルでやろうかなというのが
選びやすそうですね そうですね、おっしゃっていただいたように教える側もですね
MBSRは基本的にもう世俗的なプログラムなので
本来仏教的な教え方というのはNGなんですけど
ただですね、やはりこうMBSRというのは
体験的に、トレーニングも結構体験的な部分も多いので
例えばMBSRの先生もですね
仏教のことを学んでいくとちょっとそれが混ざってくる危険性というのもあると思うんですね
なので先生側としても
この地図というものがあるとここは超えてはいけない
世俗的なプログラムとしては超えてはいけない一線だし
ここは少しこっちに寄っても大丈夫とかそういったところも分かるのかなと
これから先に何があるんですか こうやると
そうですね、超えてはいけない一線の話ですね
仏教側に寄り過ぎてしまう、その世俗的なマインドフィニスと
ガチガチの仏教、瞑想があったとして
このラインを超えて仏教側に行ってしまうと何が起こってくるんですか
瞑想の手法的にはそんなに
変わることはないのかなと思うんですが
一つは仏教
例えば先ほどの世界観の話であるとか
もしくはですね
何をもって宗教というかという話というのは
いろんな説みたいなものがあって
私がその中でこれが分かりやすいかなと思ったのがある方の説で
7つぐらいの基準で例えばその宗教の儀礼的なものがあるか
例えばですけど仏教の瞑想の場合は通常
仏陀の像に対して何回かお辞儀をして
そこから瞑想を始めるとかという儀礼的なものがあるんですけど
仏教っぽいですね
もしくはですね例えば何か神話的なものがあるとか
神話 神話
超自然現象みたいな神様が現れて生き返ったとか
例えばですねそういったものがあるかとかいくつかの基準があるんですけど
そこが仏教はそういった意味では
基本的には仏陀自身が
何かを信じるのではなくて自分がやってみて確かめてみなさい
というふうなことを言ったというふうに言われているのでそういった意味では
何かを妄信するということは起こりにくいということだと思うんですけども
ただそっちの方の何か決まっているから
自分がそれをやるというような方向に流れていくと
それでいい方はいいと思うんですけどそこはまあ分かった上で
それをやっていくのがいいのかな
宗教っぽくなっちゃっていくんですねだんだん儀式だったりとか
そういう要素がどんどんちょっと増えていっちゃう危険性があるみたいな
危険性があるか分からないですけども
そうですねそこがおしゃれによって危険というかというのは
見方によって変わるんですけども少なくとも
NBSアラートクタージョン・カバタジンさんという方の考え方としては
このプログラムは基本的に例えばどういった宗教の方でも
参加できるようにということでそこの方に寄りすぎ
寄りすぎると例えばですけど仏教的な
儀礼的なものを全部マインドフェンスのクラスが最初にやりましょうみたいな話になると
キリスト教の方とかイスラム教の方とかが参加しづらくなる
アプローチがアクセスが狭められるということでそこは
ちょっとそっちに寄りすぎないようにということだと思います
なるほど中にはそういう仏教要素がちょっと多めの方が
フィットするって人もいるわけですよね
そうですねそういう方がいらっしゃると思うのでそういった方は
それこそ分かった上で仏教的な瞑想会とかに
参加をしていただくとかですねそういったことをしていただくといいんだと思います
グラデーションすごいですね
科学的エビデンスが積み詰まれていったマインドフェンスがあり
像に向かって拝んだりする
仏教って感じのところまでこのグラデーションが
いくつも分かれながら実績になっているっていう感じなんですね
そうですねただですね仏教的な
もう完全にちゃんとブッダの像に拝んでそれから
瞑想をやっていくというスタイルの瞑想の中でも最近は
科学的な効果をそれこそ私たちの
大の大学の先生とかもですねそういった伝統的な仏教の
瞑想もでも前後でストレスレベルとかを測って
やっぱりそれでもそれでストレスの低減の効果が
出るとか生態的な唾液からコルチゾールとか
そういったものを計測して変化があるとかっていうのは
やっているので
伝統的な仏教瞑想とかそういったものも
科学的な調査というかアビニエンスがだんだん入ってきているんですね
そうですねそういったことをやられている先生方もいらっしゃいます
なるほど分かりました僕はそのケンヤさんの
マインドフルネス理論講座受けた時にも3本の足があって
そのうちの1つが確か仏教要素でしたよね
はいあれも意外だったんですよ
マインドフルネスってイメージできるものって
まさに宗教化が抜かれているエクササイズみたいな形だったので
それだけじゃなくてその仏教要素が入っているっていうのが
意外でありつつでもなんか理解しやすかったんですよね
特に
オープンモニタリングで自分の感情をこういう風に
眺めていってそこから執着をどんどん手放していって
下脱して二半に至るまではさすがにちょっといけないなと思いますけど
でもその一つ一つ
生きることの執着はまた一緒なわけじゃないですけど
妻に対しての過度な期待だったりとか
それが叶わないことによるショックだったりとか
そういった執着とか束縛から放たれることで
楽になれるなって思ったんですよ
それがこの道の先にあるのかなって僕はちょっと思ってまして
なので僕にとってはすごいフィットしたんですよね
三門橋の一つが仏教っていうのは
ケニアさんのスタイルとして得られているっていう感じなんですかね
結構ですね現代のマインドフルネスの中では仏教を
しっかりと取り上げるっていうのはオーソドックスな
スタイルだと思います例えば私たちがNBCTのトレーニングを受けた
オークソード大学の付属の
トレーニング機関のトレーニングの中でも仏教について
学ぶコマがありましたし
実際にやるときはそこは宗教的なところと説得的なところを分けるっていうことは
やるんですけどただ仏教的なところから影響を受けている
ということは認めてその内容をしっかり理解をするということは
通常やっています
分かりましたありがとうございますこれからケニアさん
自身はこの組織だったりとか
IMCJだったりとかクールリトリートをどのようにしていきたいな
というのってありますかそうですね
今ここに集中し続けるのみって感じですか
いやそうですね
これから先みたいなのってあったりするのかな
どうなのかなと思いまして
本当に一人でも多くの方の手にマインドフェンスが取っていただけるといいな
というのがあって最近ちょっと思ってたことがあるんですけど
私たちは例えば家族がいたり友達がいたりして
人と一緒にコミュニティの中で生きてはいるんですが
ただどこまで行っても一人なんだなと
思うんですね
自分の人生というのは自分で引き受けるしかなくて
最後もちろん死ぬ時というのは自分一人で家族に見送られて
死ねれば良い方で
そうでない人も結構いるでしょうし
もしくは見送られたとしてもやっぱり死んでいく時は自分
はもう自分一人でしかない
この世の中で何か得たものを持っていけるわけでもないし
そうするとちょっと私は
ちょっとした寂しさを感じることもあるんですけど
でもその時にマインドフルネスというのは
とてもやっぱり力になってくれるなと思っていて
それは先ほどの足す必要も引く必要もない
生きているということはもうそれだけがすでに
何て言うんですかねそれだけでもすでに成立していることであって
社会的なこういろんな
条件が社会的なんかやらないといけないことがあるので
それができているとかできていないとか税金納めてるとか納めてないとか
いろいろこう出てくるんですけどでも本来生きているということ自体は
その瞬間にただ生きているということが分かれば
それは先ほどの森の中へただ鳥の声を聞いて
あっていうようなそういうものなんだと思うんですね
でその
すべての人が持つであろう孤独感みたいなものを
すべての人が持っているのであれば
それをマインドフルネスとかコンパションというものに皆さんに触れていただいて
自分一人じゃないんだなとお互いにそれを
サポートし合えるようなそういった方向に
社会全体が行けばいいなという中で
それは例えば政治が何か命令してやる話でもないですし
それは何か本当に具体的な方その一つの具体的な方法が
一人でも多くの人がマインドフルネスで触れて実践をしていただくこと
なのではないかなというふうなことを考えています
なるほどありがとうございます
長時間なりましたけど本当に今日は長い間ありがとうございました
ありがとうございましたまた講義楽しみにしています
ありがとうございました
ということで今回も最後にありがとうございましたいかがでしたでしょうか
ぜひこれを聞いてどう感じたかというのを皆さんのご感想を聞きたいなと思っておりますので
ぜひお手紙フォームからお送りいただけると嬉しいです
最後にケイヤさんがおっしゃっていた
孤独を感じることがあるとおっしゃってましたよね
孤独感というのをどうしても感じると
僕もこれすごいわかるんですよね結局行き着いた先には
人は結局一人であるというところにたどり着くのかなと思っていて
だけどそれが孤立感であったりとか圧倒的な寂しさであったりとか
そういったところに帰結するものじゃないんじゃないのかなって思うんですよね
それは自由を感じられるちょっと清々しいものであったりとかもしますし
自分らしくいることができる
そんな希望を感じるものでもあるのかなって思ったりしています
だけどやっぱり時にはちょっと寂しくなったりするそんな気持ちも
なんかわかるような気がするんですよね
僕にとってもすごい大きな気づきを得られた長崎の旅でした
はいということで今回も最後までありがとうございました
この放送がいいなと思った方は番組のフォロー五つ星評価
夫婦関係悩む友人知事へのシェアをお願いします
また番組のお便り夫婦関係のお悩み番組のご感想
取り上げてほしいテーマもしくは番組のご出演希望など
ございましたら概要欄にありますお便りフォームからお気軽にお送りください
あと夫婦関係修復のために何をすればいいのか
わかるノードマップですねこちらプレゼント無料プレゼントしておりますので
概要欄のリンクからお受け取りください
ではまた次回お会いしましょうさようなら