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やっほー!みなさんごきげんようアナンディでーす。
本日もニューヨークの森の南下シバナンダヨガアシュラムランチからお届けいたします。
8月の14日金曜日でございますね。
10時の9分を回ったところでございます。
あのー、すず虫の音が、飼えるかなこれは?
え、混ざってるね。が鳴いててすごく気持ちいいでございます。
窓も全開にしてるから、涼しい風が中に入ってきて、心地よいでございます。
なんかさ、あのー、一つ大きなことに気づいたなぁと思っています。
あのヨガには4つの道があるよっていうのを、なんかちょこちょこ言ってると思うんだけれども、
これはもう古典的な考え方だから、ヨガといえばエクササイズでしょ、みたいな。
痩せるんでしょ、みたいな。柔らかくなるんでしょ、みたいな風に思ってる多分多くいると思うし、
これを聞いてる人も、そういう人もいるかもしれないし、
いない、聞いてないかそういえば。まあいいや。
とにかく古典的なヨガ、この世の真実というか本質を伝えているヨガからすると、
私がたまたまね、出会ったシバナンダヨガっていうのが4つの道がありますよって言ってて、
それがカルマヨガとバクティヨガとラジオヨガとニャンナヨガですよっていう風に言われてるわけ。
ニャンナヨガが山を登るっていうのを考えたりとかすると、
あのすごく一番険しい道を登っていく。けれども真実というかゴールに一番近くなる、
最短距離で険しい岩とかね、おうかけとかを登っていく道がある。
としたらカルマヨガっていうのは緩やかで誰でもこう登れますよーみたいな。
ただその崖とか通らないからなんかアイクかかりますよーみたいな風に表現されたりするわけよ。
でそのバクティヨガもラジオヨガもその中間にあるんだけれどもそれぞれ。
でやっぱりカルマヨガが一番大事ですよーっていう風に言われてるわけよね。
でさ、でそのカルマヨガを私はずーっとやってるわけよ。
なんかあの人生が変わったTTCっていうティーチャートレーニングコースを経て、
なんかすごい最初は抵抗してたんだけれどもなんかいい気がするみたいな。
なんかもう一回戻りたいみたいな気持ちになっちゃって、
また翌年インドのアシュラムに戻ったりとか、
その翌年も戻ってるんだよね。
なんかことあるごとにじゃないんだけれども、
なんかこう時間を見つけては、時間を作ってはって感じかな?
見つけるって言われて、見つけて作って、
これなら行けるみたいな感じでまた行くみたいな感じのことをやってて、
ニューヨークのアシュラムに来たりバハマに行ったりとかっていうのをやってるわけよね。
でもう本当に英語しかねえなって思うこともいっぱいあるんだけれども、
なんかね、あのそうやって長年やってて、
今の3年ぐらいのサイクルは年の半分以上をカルマヨガに通夜してるわけよね。
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だから結構やってるっちゃやってるわけよ。
でももちろんこのここに在住っていうの?
住んでいる人の方がもちろんね、どこにも行かないんだから長くなってくるんだけれども、
なんか私はバランスよくそうやって出たり入ったりとかしてる感じなのね。
でもさ、それをやっててハッと気づいちゃったわけよね。
なんかさ、カルマヨガのことについて話します。
カルマヨガってセルフレスサービス、無視の奉仕っていう風に言われるわけよね。
そうでなんか英語だとこのセルフっていう事故っていう、
まあ無視で言うと私になるよね。
己って言った方がいいかな?
がレスだからないっていう風に、私がない、無視のサービス、だから奉仕っていう風に訳されるわけよ。
でさ、これさ、なんかさ、
まああの言葉としてはわかるじゃない?無視の奉仕って、こうボランティア精神っていうね。
ほらでもボランティアって聞くとさ、なんかやっぱ自己犠牲が出てくるんだよね、私の頭の中にね。
でさ、このセルフレスサービスって何かな?って思っていたっていうか、
なんか言いながらこうやってずっとね、こうやって1年の半分以上そういう時間に費やしてて、
なんかようやくわかったんだけれども、このカルマヨガを通して私はすごい自分を知ったなと思ったわけよ。
例えばだけれども、私には料理を作るっていう才能があったりとか、
私にはキッチンでのあれやってこれやってっていう、
祭拝する目があるとか、なんかなんだろうな、
あとはそういうのができるなっていうキャパシティっていうかな、こういうことができるっていうこと?
能力を確認させてもらえたりとか、ここまではできるけどここまではできないっていうね、
この今年の冬でずっとバウンダリーっていう境界線、
ここからはできるけどここからは今は無理っていうのをちゃんと見極めるっていうのを今すごいやってたわけよね。
でさ、これをやった上で何がわかるのかな?と思ってたらファッと来たのがこれよ。
セルフレスサービスをしていると、この無視の奉仕って言われてる、
なんか純粋にね、助けたいっていう気持ちからいろんな職業にみんなついてると思うんだけれども、
やっぱりさ、どうしてもやらなきゃいけない使命感とか、やってあげたいっていう気持ちからやりすぎちゃって、
自分が疲れるっていうことがよくあるじゃないか。
土曜日がね、もう寝てないと無理みたいな。遊びに行く力もないぜみたいなぐらいやっぱりやりすぎちゃったりとか、
なんかね、やりすぎて私は頭にきてたわけよね。
なんでこんなにやってるのにお金くれないんだみたいな感じで、なんか調子のいいことばっかり言ってたりとかしてたし、
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なんかそのカルマヨガを通して自分がどこまでできるのか、どこまでができないのか、今はね、今の状態では。
1年前と10年前とではやっぱりできるキャパシティが全然変わってきてることもわかるし、それが成長っていうところでもあるわけだし、
でさ、やっぱり自分のコンディションを見極めるっていうことがすごい大事。
で、だから、あとはなんかどういう能力とかどういうポテンシャルがあるのかっていうのもやっぱり試されてるわけだよね。
キッチンでいいのか、ハウスキーピングに回して掃除が丁寧にできる人なのかみたいな。
やっぱりなんかこう人に合った、なんて言うのかな、その人に合った才能?って言っていいと思うんだよね。
やっぱり嫌なできないことをさ、すっごいできないことを我慢してやるよりも、パッてできる人って絶対いるからその人がやった方がいいわけじゃない?
なんかカバーするっていうか。だからコミュニティでみんな生きてるわけだし、コミュニティの最小単元ってやっぱり家族だから、
そういうので助け合ったりとかバランス取ったりとかするわけじゃんか。
だからね、なんかカルマヨガを通してね、あ、己を知ることだなっていうのもわかったわけよ。
で己を知らないと、どこからがレスっていうか無視って言っていいのかな?自分がなくなるのかわかんないじゃん。
で結局わかんないから無理しちゃって、体調自分の壊しちゃったりとか文句いっぱい言っちゃったりとか、ストレスでタバコ吸ったりとかアルコールに恥じったりとか、
なんかね、わちゃわちゃしちゃうわけじゃない?
お買い物しないとやったけないぜみたいな感じになっちゃったりとかするわけだから、やっぱりこの自分を知るっていうことをさせてたんだなと思って。
それで自分が知れば、ここのくらいだったらできるし、ちょっと今日はこっちもうちょっとやってみようみたいな。
あ、なんだできたわってなったらまた次もそれもやればいいし、なんかこうチャレンジさせてくれる場所を与えられてるんだよね。
これ多分アシュラムにいなくたって、実生活だっていくらでもできるんだと思うんだよね。
まあただいろんなことが起こりすぎて、自分の頭も冷静じゃないことが多いから、
なんかその気づくスピードって言ったらちょっともしかしてこっちにいた方が、私の中では早かったなっていう風に。
なんかそういうのを気づかされるために、気づかせるために私はここに来てるんだと思うんだから、思うわけよ。
人のことはちょっとわからないけれども、私はそれで、あ、自分を知るっていうね。
なんか自分の体調、アトピー体質で、なんか肌が荒れちゃってみたいなのもあるし、
なんかそれもね自分を知ることだし、自分のこんなに性格がどうのこうのっていう話だったりとか、
怒りやすいとか、感情的だとかこういろいろあるんだけれども、そういうのも知ることの一個だけれども、
やっぱり自分がやってきたこととか、やりたいこととか、できることとか、できないこととかがわかるっていうのは、
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すごく周りにとっても良くって、それでできることでちょっと頑張れることを没頭できたりとかしたら、
どんどん自分がなくなってくるわけだよね。
初めて自分を知れるからこそのセルフレスサービスなんだっていうのに気づきまして、気づいたわけですよ。
日本人はさ、特にさ、やっぱりこうなんかこうしてあげたいっていう優しい気持ちの持ってる人がすごいいっぱいあるんだよね。
特にこう医療関係者とかって、やっぱり自己犠牲みたいな、
ボランティアって言うとさ、なんか大変なのに頑張ってるわねみたいな、そんななんかね、
みたいな自己犠牲してるような感じに捉えられちゃってるぐらいだから、
まあそういうふうに思っちゃうわけだよね。
なんて言えばいいのかな、これは。
だからなんかこう、愛を与える人とかっていうふうに社会人になってやってる人も、
なんかこう認められてないとか、嬉しい言葉が返ってこないとか、
なんでこんなにやってるんだろうみたいな疑問とか、
なんかどこまでこれを苦しめば気が済むんだろうかみたいな、
なんかねそういうふうなね苦しい文章を読んでた時に、あれ?って思ったわけだよね。
あれ?これはもう既に自分の中の愛の泉が枯れてるんじゃないかなみたいな。
で私さ、なんか前好きなYouTuberにさ、なんか呪いのご飯を作るなっていうふうに言ってる人がいて、
え、乗り越とうと思ってたら、今日本当にご飯作ってくないみたいな日あるじゃん、やっぱり。
まあこれは自分自身そうかもしれないし、家族を持ってる人だったらお母さんの立場だから、
本当はご飯作んなきゃいけないんだけど、もう無理みたいな。
もう無理ってなった時に、無理か無理だって言えるのかどうかっていうさ。
でもしょうがないから私しか作る人いないし、どうせ頼んだってやってくれないしと思って、
えいやーっつって作ると、やっぱりさこのえいやーっていうさ、
この野郎っていうエネルギーがそこに入ってるから、それを食べさせられた人も、
なんかお腹は満たされるかもしれないけれども、気持ちは満たされないから呪いだって言って、
それはもう本当に呪いのご飯だって。
でもしそんなことがあるんだったら、もうデリバリーしちゃえみたいな。
外食しちゃえみたいなことを言ってるわけよ。
そうしたらどんな自分が楽なのかみたいな。
ただ楽しく食べられるじゃんみたいな。
なんかこれエネルギーの話ね、栄養と喉の効能とかいう話じゃなくて、気分の話です。
でもなんかそれはね、すごい納得してて、納得してるっていうか、その通りだよなと思うわけよね。
だからそれって自分をちゃんと知って、ちゃんと自分を表現できることっていうのがものすごく大事になってくるわけじゃん。
それがさ、そのストレスがないことがさ、この、なんていうのかな、自分が没頭できるようになってくって、
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それこそがカルマヨガになるし、自分の泉が枯れていかないわけじゃん。
この野郎ってやったらさ、もうなんかこう、なんていうの、どんどんどんどん水がさ、枯れてってさ、誰からも与えられないからさ、潤されることもなくて、みたいな。
枯渇してっちゃうわけじゃない。
それってもう愛がないわけだから、もう全然バクティヨガって言った愛のヨガにも繋がらないくなっちゃうわけよね。
循環がなくなっちゃうから。
なんかさ、それがさ、すっごくさ、ほーっと思って、なんか勝手に腑に落ちたところです。
なんかこれは自分を知ることでしか、無視っていうね、自分をなくすっていうことが、
だって、そもそも自分が分かんなかったらそれなんかなくせないわけじゃん。
そう思わない?そうだよね。何に例えたらいいんだろうか。
じゃあ例えばなんかでっかいニキビが鼻の頭にできました?ってなって、
まあ絶対気づくと思うんだけれども、そんなね、鼻の頭とかだったらさ。
なんだけどさ、気づかなかったとしたらさ、なんか撮ろうとかさ、病院に行こうとかさ、
薬を塗ろうなんていうことにはならないわけじゃん。
もしかしてずーっとついてるかもしれないじゃん、みたいな。
え、これ全然例えになってないな。
まあでもそういうことなんだよね。
存在を認識してなかったら、それはないこととなるわけだから、
無視ではなくて、あ、無視ではなくなっちゃうのか。なんだろうなこれは。
ちゃんと己を知ることが先で、その己がなくなるから無視の方針なわけよ。
最初から己を知らなければ、自分はできるできるできるできるできる。
やれるやれるやれるって言って、無理しちゃって爆発しちゃうっていう話です。
なんか、あ、カルパ良かった、そういうことなんだと思って。
なんかね、いろんな機会を与えてくださって感謝してたわけ、私は。
なんかあれもやってり、これもやったり、これはできるな、これは楽しいなとかさ、
こういうのは好きだなとか、こういうのあるわけよね、やっぱりやってて。
で、私はわがままな人とずっと働いてるのも嫌だから、それは無理とか思ってたりとかするんだよね。
でもほらさ、やっぱりそれもチャレンジでさ、いかに自分の気持ちを冷静に保てるのかみたいなことなわけじゃん。
なんか全てはチャレンジだし、全てはおのれを知ることにつながっていくし、
それがおのれをなくすことにもつながってて、自然とね、自然とというか無理なくできるようになって、
ほんでもってそれが無理してないから愛に変わっていくわけだよね、と思ったら。
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あ、素晴らしいじゃんって素晴らしい循環がグルグルしてる感じになって、
あ、これはいいなみたいなふうに今思っております。
なんかね、今ようやくそんなことを思っています。
やっぱり自分を知ることって本当に大事だなっていうのを感じております。
だからなんか可愛い子には旅をさせろじゃないけれども、いっぱい経験させた方がいいよって言われてるのはその通りだし、
そうだねって思っております。
これなんかね、話、たとえば下手くそだったからどこまであれなのかわかんないんだけど、
今日はそんなことに気づいちゃって、おーって一人でなっております。
あ、そういうことなんだみたいなね。
さあ聞いてくださってありがとうございます。
ニューヨークの森の中からアナンディーがお届けしました。
皆さんは自分を知っていますでしょうか?
それではごきげんよう。