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私には底しれぬパワーがある。目の前の二極が
2026-08-14 23:06

私には底しれぬパワーがある。目の前の二極が

#カルマヨガ #コンセンサス #スピリチュアル #精神性 #ヨガ #英語でヨガ #ニューヨーク #アシュラム #パワー #活かし方 #活用 #アナンディライフ
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00:06
やっほー!みなさんごきげんようアナンディでーす。
本日もニューヨークの森の奥、シバナンダヨガアシュラムランチよりお届けいたしまーす。
今日はね、8月の13日木曜日でございます。2026年ですね。
なんかさぁ、なんかいろいろ課題がやってきたなっていう感じを、先週から感じております。
なんかこう、なんだろうな。
まず1個思ったのは、私はものすごいパワーを持ち合わせてるなっていうふうに思っております。
なんかあのね、1個前の投稿で、サイキック能力がノンチョロコンチョロだっつったけど、
まあ点でおかしい案発しで、そうじゃないかもしれないなぁと思って言ってて恥ずかしくなって、
あの後ね。間違ってるかもと思って。
なので、なんかそれがあるにせよなしにしよう、別に私は何も変わらないから、
結局なんかいろんな能力とかを、才能もそうだよね。
あの目に見える見えない、みんなが見えないものが見えるとかそういうことも含めだけれども、
あとね、あの例えば手先が器用だとか、色彩能力が高いみたいな、なんていうのかな、センスがいいみたいなことも能力の一つじゃない?
でもそれをさ、持っててもやっぱり使わなかったら意味がないし、誰かにそれを還元できなかったらあんまりやっぱり意味がない。
持ってても意味ないというか、まあ自分が楽しんでればそれはそれでいいけれどもね。
でもなんかほら、そんなことも自分の才能だと気づかずに、私には何もないとかっていうことを言ってたら、それは悲しいなと思ってて。
で、そのサイキック能力もね、私の話は点でおかしな話だったかもしれないけれども、
なんかやっぱりこう、あるものをあるとちゃんと認識して、
日々意識して生きていくっていう、生かして生きていくっていうのが大事かなと思いました。
でね、今日はそれを気づいたのが、私にはなんかすごいパワーがあるなと思ったわけ。
これはなんかこう自慢とかじゃなくて、なんかね、ヨガクラスをしてるとさ、やっぱりその教えてる先生のエネルギーっていうものを私めちゃくちゃ感じるんだよ。
なんか外で掃除機をかけてるから、もしかしてウインウイン音が聞こえるかもしれないんだけれども。
なんかさ、なんていうのかな。
まあこれも私の変な能力の一つなんだと思うんだ。サイキックに限らず感じられるセンサーがあるみたいな。
でね、なんかそれがさ、そういう人のクラスをヨガとって、なんか心ここにあらずだなとかっていうことが、
これは多分みんなわかる、日本人ならわかるかもしれないんだけれども、和のソロだなみたいな、もしもしみたいな感じで聞きたくなっちゃうような先生も中にはいるわけよ。
で、なんかそういう人のクラスを取るとなんか自分が気持ちいいっていうか、なんかその、え?っていうところに気を取られちゃってて、
全然なんかこう、なんていうのかな、エネルギーを得たぞみたいな、エネルギーチャージしたぞみたいな感じにならないんだよね。
03:04
だからこそなんか私やりたいなっていう気持ちが出てきちゃってて、で今回それ前からフツフツと会ったわけよ。
で今回さ、英語の壁みたいなのを振り壊して、もう言えなくてもいいみたいな。
なんかやっぱりこう経験でしかないんだけれども、経験が需要してくるようになってきて、
今日もやったんですよ。結構楽しみで、今日6人かな、1,2,3,4,5,6、6か7人くらいいたんだけれども、
なんかやっぱりこう気持ちのいいクラスだったよね。私自身もそうだし、もちろん至らないね、なんかちょっとドモるみたいなこともあったかもしれないし、
もうちょっと説明加えればよかったかなーみたいな反省点はなきにしもあらずあるんだけれども、
だけどなんかこの終わった時の開放感というか、やっぱこのヨガの練習というかプラクティスというかクラスは、
いかに体が柔らかく動かせるかとかではなく、誰よりも大きく動かせるのかとか、誰よりも背中を反らせられるのかとか、
そういうことではなくて、どれだけ集中して瞑想状態に持っていけるかどうかっていうところが肝になってくるわけよね。
で、体を動かしているようで、呼吸も一緒に動かしてて、それも意識的に動かすからコントロールしてるんだよね。
で、交換神経も不交換神経もバランス整えて、みたいなのをずーっとやってって、
ヨガを知ってる人だったら聞いたことあるかもしれないけど、チャクラのそれぞれのパーツに刺激を与えてっていう、体にいいことしかしてないわけ。
でももちろん物理的には血流を良くしてたりとか、脳に頭を下げるポーズをするから脳に酸素の供給を促してたりとか、
もちろんこの体自身にいいことをいっぱいしてるんだけれども、それだけじゃない精神的なもの、ゾーンにもいい影響を与えてるわけよ。
チャクラってね、体の中にあるから体のものという風に認識してる人いるのかもしれないけど、これも目に見えないものの一つ。
アストラル体の中のものだから、
なんていうのかな、なんかそういう、それこそスピリチュアルなところに影響させるためのヨガなわけよね。
これがさ、ガイダンスとしてさ、
ね、私結構いけるんですわって思ったわけよ。
いけるんですわって、なんかこの、なんていうの、深いメディテーション状態に持っていくことができるっていう。
なんかそういうね、多分本当に強い意志っていうか、やっぱ強いパワーがないとそこまで持っていけなくて、各自勝手に行けばいいんだけれども、
やっぱりガイドする人によるじゃない。
あーあっちだったかな、こっちだったかなみたいな、多分こうみたいな感じで言われるよりは、
ここですみたいな風に言われた方が、こっちですって言われた方が、オッケーって安心してそこに向かえるわけじゃない。
ね、目的地に到着するのにナビゲーションがさ、多分右ですとか言われたらさ、はぁ?みたいな感じになるわけじゃん。
06:03
多分だけど、多分左じゃないと思うんで右だと思います、なんていうナビゲーションをさ、車運転してる時にされたらさ、ブチギレる案件じゃない。
ね、もう切れなくてもさ、え?ってなるわけでしょ。
なんかそういうガイドが上手なのか、なんかこう人を誘導するっていうのがすごい上手だなっていう風に自分で自観自賛します、これは。
で、なんかクラス出た人がね、何分こんな状態でいたわけ?みたいな。
あっ8分かな?みたいな感じで言ったら、ほぉーみたいな。
なんか起き上がりたくなかったとか、こうすごいエネルギーを得たクラスだったとか、
こうなんかこう、それぞれに各々ポロポロ言ってくるわけ。
でももちろん言わなくても私感じてたから、なんかね、言われたから羨まれても嬉しいんだけど、
言われなくても私めちゃくちゃ満足したクラスを今日提供したわけよね。
で、なんかふと思ったんだよ。やっぱりそういうゼロハートの人がクラスを教えるとか、
ね、多分だけどこっちとか、こうやっぱり経験の浅い人が教えるクラスと、
まぁ私ベテランって言っていいか分からないけれども、そんなね、体もフレキシブルじゃないし、
すごいポーズができるわけじゃないんだけれども、
そうそうじゃないのよ。
だけれども努力してきた部分っていうのがあるから、あるし、
やっぱり経験がこの10年間ね、途中途中途切れてるけれども、
ずーっとこうヨガを教えているっていうので、少しこうなんていうのかな、
その気の動かし方みたいなことが分かってきたというか、
まぁ自分の気持ちいいだけなんだけどさ、
なんかそういうのをパワーが持ってるなーっていう風に思ったの。
だからこそどっちの方向にもこのパワーを動かすことができるんだよね。
なんかこう人を呪い、呪い殺すじゃないけれども、
なんかそういうことにもできるし、
これ誰でもできると思うんだよね。
あのね呪いの、あのなんだっけ、
わら人形みたいなのがあるわけじゃない?昔から。
ね、あのなんか、
うち、丑三時に釘刺してみたいなやつあるでしょ。
なんかね、そんなの今じゃ聞かないけれども、
なんかそのくらい人の念みたいな、祈りみたいなものって、
強いパワーを持ってるんだと思うのね。
というわけで、
なんかその、私自分を自分でコントロールすることが本当に大事だなっていうのを、
今日感じて、今日この頃感じております。
なんかさ、そのー、
なんていうのかな?
ヨガではさ、ナティナティ、ネティネティって言うんだけど、
私はこれじゃない、私はこれじゃないっていう風にこう分けてくっていう作業をするわけね。
ね、私というこの体を持ち合わせてる私は、
あのー、例えば、
なんていうの?背の高くて足の長い人と比べちゃうと、
全然チンチクリンな足の長さなわけじゃない?みたいな。
なんかこの足は、なんかチンチクリンだけれども、
なんか、じゃあ例えば私が長くてもこの足が長い私っていうのが、
私じゃないわけじゃない。
確かに足の長い短いっていう差はあるけれども、
足自身が、長い足自身が短い足自身が私なわけではないじゃない?
09:02
で、なんか例えば爪の形が超綺麗とかだったとしても、
もうこの爪は私じゃないわけじゃん。
私の爪ではあるかもしれないけれども、私は爪じゃないじゃない?みたいな感じで、
じゃあこれは私じゃない、これは私じゃないっていうのをやっていくと、
体のどのパーツにも私っていうのがないんだよね。
ただただ、ただただ、ただただ、
あのー、付随してるものではあるんだけれども、
それ自身が私じゃないから、
なんかそういうのを、
なんでこの話をしてるのかわかんないんだけれども、
なんかすごく、
なんでこの話してるんだろうか。
わかんなくなっちゃった。
けれども、なんか、なんていうのかな?
なんの話?なんの話?なんでわけわかんなくなっちゃった。
なんでこの話してるんだっけ?
まあとりあえず私じゃないのよね、この体はね。
だけどなんかそのガイド?パワー?みたいなものは、
うちなるものから湧き出てくるから、
なんかヨガを教えるの面白いなとか思ったりでもするし、
いかにこのパワーを自分がコントロールするかって、
あ、ここの話に戻るんだ。
いかに自分でこのとてつもない感情とかムードみたいな気の流れの
をコントロールすることが大事なのかっていうのを
まざまざと感じております。
そしてこの思考?
マインドっていうふうに言ったほうがいいかなと思うんだけれども、
もう私じゃないわけよね。
で、マインドが私だと思ってるときは、
だいたい乗っ取られてるときで、
だいたいみんなそう思うんだけれども、
私はなんとかの先生ですとか、なんとかのプロフェッショナーですみたいな、
私はこういう風にこういうの専門家ですっていうのを、
もうやっぱり長前が欲しいからそういうのをくっつけて、
自分はそれだって思い込んでいろいろ活動してるわけじゃない。
別にそれはそれでいいのよ、誰かの助けになってるから。
だけれどももっと深いところに一歩行くと、
それでもないわけだよね。
っていうのを、
私自身が、この本当の私の方が、
マインドすらもコントロールするっていう、
マインドが私をコントロールするんじゃなくて、
私がマインドをテイクオーバー、
コントロールするっていうのを、
昔ちょっと前にすわみじが言ってて、
そうだよなと思って聞いてたんだけど、
今日またハッと思い返すことがありました。
そんな感じでございます。
私は本当にパワーみたいなのが、
強いのはね、意思が強いというか頑固だとか、
多分いろいろな言い方できると思うんだけども、
あるのかもしれないなと思った。こだわりが強いというか。
だからこそ多分いろんなことに悩んだりとかして、
ミーってなるわけよ。
昨日もキッチンのクリーンナップに入ったら、
一人がディスポーザーのついているシンクで、
食べ物を流し落としてたのね。
それは凄い処理が楽になるから、
それはそれでいいと思うの。
その人が次の人に食器類をパスしてて、
そしたらその次の人が石鹸で洗剤で洗うのかなと思って、
12:01
ちょろっと見てたら、洗わずに、
サニタイザーというレストランとかにある洗浄機に、
そのまま突っ込んでたわけよ。
で、なんかああーと思って。
私ね、それね、
謎が解けたと思ったわけよ。
私がクッキングに入るとき、ポットがめちゃくちゃ汚いんだよ。
なんか、上を向いて、
穴が開いている状態で、
ポットが机の下に置いてあるから、
机の上から物がポロンと落ちて、
中に入っちゃったりすることがたまにあるんだけれども、
そういう汚れ方じゃなくてこびりついてるわけよ。
なんかこう、アクみたいなやつとか、
食べ物のカスみたいなやつがくっついてて、
なんなのこれ?みたいな風に思うわけ。
使いたいのに洗うところから始めないといけないって超嫌じゃん。
しかも油を引いたりとかしなきゃいけないときなんて、
濡れたくないわけじゃん、鍋が。
なんだろうなーと思ってたんだけど、
みんな洗わないで、食洗機だと思って突っ込んでんのかと思って。
食洗機じゃないのよね、サニタイザーなのよ。
衛生面を保つための洗浄をしてるだけだから、
洗ってないんだよと思って。
なんで洗わないの?とか言って。
忘れてた?みたいな。忘れないでしょ、そこ!と思って。
だって彼が洗ってるし、石鹸どこにあんの?とか言って。
マジでブチ切れ寸前なの。
何やってんの?と思って。
誰これ言ってんの?みたいな風になって、
みーってなってるわけよ。
これはもう私の勝手なこだわりなのかもしれないけれども、
でもほら、そのポットを汚いポットで料理しないといけなくって、
それを食うのはお前らだぞって思うと気持ち悪いわけじゃん。
それしてるのは私だけだから、私だけが気持ち悪いと思ってるだけ。
知らない人は幸せだよね、知らないってね。
だけどそれ大丈夫?って感じじゃん。
掃除してるのに汚くしてるのと一緒だから、
掃除の意味なくない?みたいな。
サトピックじゃないよね?みたいな。気持ちよくないんですけど。
だからスプーとかフォークとかみんな洗わないで食洗機に突っ込んだりするから、
食べ物がくっついてるわけよ。超汚いと思って。
ういーってなるわけよね。
これはもう逐一言ってるんだけれども、難しいよね、みんなに伝えるってね。
なんか本当に難しいなって思います。
なんかね、動線が多分あんまり良くないんだよね。
難しい流れにしかないから、
ちょっといろんな人の誤解が生んでる形になっちゃうんだろうなとは思うんだけれども、
私はそれでヤキモキしちゃうわけよ。
イライラしてねーねーとかやってキッチンマネージャーに、
これちょっとどうにかしたいんだけどって言ったら、
僕が見た時は、
今日は最初に言ったのよ、あなたを責めてるわけじゃなくて、
そういうのを見ちゃって、
使う時にきったポットをよく見るんだけど、
なんと理由がわかったわーなんていう話をしてて、
15:00
あなたを責めてるんじゃないって最初に言ったから、
彼も冷静に聞いてくれて、
僕はそれを見たら注意してるんだけれどもね、みたいな。
そうすると、私じゃない彼じゃない時に、
事件が行われてるわけよね。
だいたい傾倒は続いてるんだけど、
その人もなんかもう私がリーダーなのよって言って、
しゃかり気になってやってるんだけど、
全然指示が間違ってるわけ。
綺麗というコンセプトが全然違うものを持ち合わせてるから、
擦り合わせるのが大変で、
なんかあーこれは大変だわーみたいな感じになってるわけよね。
私はそれにヤキモキしたりとかしててさ、
なんかこううまくいかないなーみたいな感じなわけ。
何にも無害ならいいけれども、
周りもあって私も目はこう向いてるんですけどみたいなさ、
ねーって感じです。
どうしようかなーって感じだけれども、
だからなんかこうちょっとプリプリしてる時があって、
しょうがないよね。
プリプリしてます。
ほんとプリプリしてます。
でなんかあのー今ね考えてることがあって、
なんか自分ができる範囲ってどこなんだろうなーとか。
でそれ以外のことを、
それ以外というかそれよりもできることっていうのもあったりとか、
なんて言えばいいのかな。
なんかわがままと前のトピックスもそうだったかもしれないけど、
わがままとなんか自己愛って違うんだよなみたいな。
わがままと自己愛が違うし、
なんかその自己愛があふれると、
人に同じように優しく接されるみたいな。
そこの境界線ってめちゃくちゃ難しいなっていう風に今考えて感じております。
なんか自分のヨガには4つの道があるって言ったじゃない?
カルマヨガ、バクティヨガ、ラジアヨガ、ニアナヨガって言って。
でカルマヨガがこうセルフレスサービスで一番大事で一番難しいところがあるわけよ。
それがさ、なんかどこが自分のキャパなのかなっていうのをすごい考えてるわけよ。
やりながらなんか感じてるというか。
成長するから、前はこれで難しかったのに今できるとかそういうのも十分にあるから、
なんかこう一定ではない、いつまでも一緒ではないんだね。
しかも体力も取れていくからさ、
やっぱりどうしてもこう限界っていうのが変わってくるわけよね。
でもね、うまくやったら経験が物多いってうまくできる時もあるし、
歳とっててもうまくいく時もあるし、
歳とってるからこそできなくなっちゃうこともあるかもしれないしみたいな感じになるし、
でね、それをやってると自分を犠牲にしてまでやろうとしてる人をちょっとなんかこうちょいちょい見かけるわけよ。
で、その人がバクティヨーガをこう愛のヨーガ、献身的なヨーガ、
もちろん神様に何かを捧げるっていうこともそうなんだけれども、
やっぱり自身が自身、自分自身を愛するように他人の人も愛しなさいっていう、
自分自身がされていいことは相手にもしなさい。
そうでないことは自分自身がされたら嫌なことは相手にしないということなんだけども、つまり。
なんかそういうのをこうもっともっとこうやっていくっていうのが、
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愛を広げるっていう行為につながっていくから、
カルマヨーガができないとバクティヨーガになっていかないんだなっていうのをすごく身に染みて感じております。
っていうのもね、なんかこう自己犠牲をしていくらでも相手に尽くして尽くして尽くして、
自分はどんどんどんどん消耗してって文句言うみたいに疲れちゃって、
もうなんかヒョロヒョロヒョロみたいになっちゃってるみたいなのをちょっと見かけたりとかすると、
なんかもう根本的に違うんだけどなみたいな。
相手のためをもってやることはめちゃくちゃ素晴らしいんだけれども、
同じように自分のことをケアしないといけない。だよね。
で、もっと面白いのが目の前に自分のことだけを愛してる人がいるわけよ。
で、その満たされた感を外に出そうとしてて、
で、もちろん普通に悪い感じはないんだけれども、
でも絶対的に全体が見えてないわけ。
今それじゃないっしょみたいなことを平気でやってくるわけ。
なぜなら自分がやりたいから。
そうすると自分が満足、サティスファイ、満足するから、
そしたらその満足の具合が愛として広がっていくでしょみたいな感じなのかなぁと思いながら見てるんだけれども、
なんかさ、その両極端を見させられてて、目の前でこう見てて、
多いのよそれがなんか、一人とかじゃなくって。
でなんかさ、面白いって思って、これは何の教訓なんだろうって今思っています。
何かわかってないんだよ私。
で、私はどっちかに触れてる可能性もあるわけよね。
で、人の行為を見てみーとか言ってるのも、なんかもしかしたら何かが引っかかってるのかもしれないしと思ってて、
今観察中でございます。
でもなんかそのね、自己愛が強すぎるというか、
言ってみればエゴが強いということなんだけれども、
ね、私の時間はこれとこれとこれとこれとこれをやらなくちゃいけなくて、
この時間は空いてるけど何かできる?みたいな。
でもさ、本当に手伝ってほしい、本当に助けのほしい時って、
そうこじゃない時が多いんだよね。
空いてる時間にそんなポンって来ないから。
でもなんかじゃあこの時間がいいとかっていうと、
それは私がもうブロックしてるからダメみたいな、
私のための時間だからダメとか、
なんか最近プラクティスができてないから無理ですみたいな風に平気で断るっていう、
なんかこれはわがままなのか?みたいな、
ちょっと学ぶことが多くて、
人の行動を見てね、自分を振り返っております。
なんかそれに気づけるし、
自分もそうなのかもしれないっていうことにも振り返るいいチャンスだなと思って、
人の行動を見ております。
自分の行動に集中しろよって話なんだけれども、
でもなんか面白いです。
両極端なサンプルが2人というか、
サンプルが2タイプ目の前に現れてて、
でさて私はどうするんだみたいな、
面白い人生って面白いなと思っております。
なんかほら、やっぱりアシュラムって一人で住んでないし、
やっぱりコンセンサスっていうか、
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みんなの了解というか、
同意というか、みんな同じ方向に行きたいわけだよね。
なんかそれをこう、
どうやって調和を図るんだろうかと思ってさ、
平和をみんながいいって思ってるわけでしょ?
思ってるわけでしょ?って私は思ってるんだよ。
戦争のない、争いのない世界が、
みんながみんなを認め合える世界ができたら、
本当にいいのになーっていう風に思ってるわけじゃない?
でもそれってやっぱり小さないざこざを解決していかないと、
睨み合いというか、
憎しみ合いに変わっていくだけだから、
やっぱりこういうちっちゃいことなんだよなーと思いながら、
微笑ましく思っております。
私なんかもう、ミーミーとか言って目くじら立てることも多々あるんですけれども、
でもなんかそれも含め、楽しんでおります。
ちょっと長く今日話してしまいましたけれども、
聞いてくださってありがとうございます。
今それが私の課題というか、
面白い観察ポイントでございます。
そして私には壮大なパワーがありそうな気がしております。
これはなんか、は?みたいな感じで思うのかもしれないんですけれども、
やっぱりあるものをあるって自覚してやらないと、
とんでもないところに持っていかれちゃうなこれはっていうのを、
常々感じています。
これはお金の面でもそうだし、才能もそうだし、
機会、オポチュニティっていう機会の方もそうだなと思ってる。
せっかくなチャンス目の前にいいですよっていう門が開いてるのに、
えーどうしようって言ってたらね、
そのチャンスを結局掴めないかもしれないわけじゃない?
だからなんか、なんていうか、
あるものはちゃんとあるっていうことを、
認識した上でどうするかっていうのを、
私たちには自由意志があるので、
選んでいきたいなと思っております。
さあ今日も聞いてくださってありがとうございます。
夏日和で、昨日もプールに行ってきてもう最高でございました。
というわけでありがとうございます。
ごきげんよう、アナンディでした。
23:06

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