こんにちは。にじシバラジオ第114回です。MCのtomozoです。 小倉です。
にじシバラジオは、LGBTQ系サブカル・社会ネタを主に取り上げるポッドキャストです。
今回は小倉さんから作品の紹介というか。 そうですね。はい。今回取り上げたいのは、「ワールド イズ ダンシング」。
はい。 今年の2026年の夏アニメってやつですね。7月から9月までやったやつが、一応終わったと。あ、なるほど。はい。
いうところで、そんなに話題にもなっていなかったんだけど。 話題になっていない。
見たら、なんかそのなんだろうな、いいアニメでした。 単純にまず一つに簡単に言うと、見て損はない面白いアニメでしたけど、
やっぱりそのアニメーションを作るっていうことっていうことも含めて今の時代にね、これだけいっぱいあって、
なおかつ上手に絵もAIが描いて、なんちゃってのアニメーションがYouTubeの動画にガンガン上がるような時代になって、
いろいろ考えるかけにもなるかなって、そんなお勉強チックに言う必要もないんだけど、どういう話かっていうと、
ゼアミが主人公っていうね、農の話なんですよ。 1300年代だよね。
で、登場人物は、だからゼアミとお父ちゃんのカンアミと、それから犬王。
犬王っていうのは、当時それこそカンアミゼアミと並び称される農学というか詩だったんだけども、
それが今は逆に残ってないというね、人の話をね。
で、それと足利義満がメインで出てくる感じですね。
そんな話なので、南朝北朝の話がちょっとハイリーの、そういう戦争が絶えない時代の、
人がもう本当に死んでいて、飢えているっていうことがある時代の話です。
で、似てるなーって、似てるって言うとおかしいけど、影響は絶対受けてるなーと思うのは、かぐや姫の物語の描き方にはすごく似ていて、
あと、なぜかキャラデザと時代設定がリゲ・ジョーズの若気味ですね。
時代設定的にはこの作用の諸町の、
そうですね、もうちょっと後ですけど、なぜか主人公がかぶってるっていう感じが、なんかあの絵でね。
それから、あとまあ私見てないんだけど、ちょっと前にね、劇場映画で話題にもなったイヌ王。
もちろんイヌ王が出てくるので、つまりその農王そのままではやってない。
で、当時その農王の人じゃないですか、ゼアミって、で、その時代は伝学がメインだったんですよ。
そう、みたいですね。
で、その鏡は、農王というのを確立したというよりは、猿学士とされていく。
だから伝学がオーソリティ。で、猿学が当たってきたぞっていうところで、
で、ゼアミがまあ吉光に見出されて、それでお抱えになって、
それでその伝学との対決とかさ、まあそことしながらっていうすごいその少年漫画的な側面もありながら、彼がその踊りとは。
舞、舞ですかね。
そうですね、踊りじゃないですね、舞ですよね。ダンシング、でももっとすごいからね、ワールドイズダンシングって言ってるぐらいだから、もうなんか大丈夫?って思うんですけど、
舞をね、どう考えてどう作っていくか、体とはとか生きるとはとかっていうことと、
共に脳を生み出していく、まあでもそういう成長物語でもあるんですよね。
ただダンスの表現が、まあ一番言いたかったのはね、これダンスの表現がすごいんですよ。
私、もともとあの音楽アニメとか、まあダンスアニメというかは好きなので、やっぱりそれはどう表現していくかってことに対して、
今すごい試行錯誤されてるよね、それこそ人間の手足とかをね、つけてこう描いていくとか、ちょっともう3D的なというか、そういう作り方もしたりとかするので、そういうのすごいこうどうやって描いていくか、
しかも昔の歴史物をどう現代に翻案していくかっていう話じゃないですか、そんなのどうせさ、どう考えてたかって。
まあ私も、ずやみはちょっと文章残ってたりするから、私もですけど、もうどうやっても再現できないものをどう再現していくか、その当時の時代の空気感、人がこうやって死んでいく空気感とかっていうのをアニメーションの中でどう表現していくかみたいなところを決定的にやってる感じなんで、
本当に人は死ぬし身近な人も原力者によって殺されたり、病や貧困で死んでったりとかね、するっていう、そういうことが普通にある時代の話を、綺麗なその可愛らしいねキャラクターの中でどう描いていくか。
一番第一話だと思うけど、まず人間の形は舞に踊るようにはできていないっていうのは、ずやみが子供の時に感じていたことなわけよ。鳥は、蝶はこうやって飛ぶように体ができてるじゃん。人間はそうなってないじゃん。
で、それこそ親父のスパルタ君、本当に温蔵師として若さま、若さまと言われて、周りの住む学団子、学団子っていうのかなんていうのか、農じゃないから、山岳の学団子だよね。やっぱそういうちょうどいい感じだと思うんだけど、それこそこいつ本当は温蔵師だからと思ってみたいに思いながら育つわけじゃない。
でも、彼自身はそんなに関心がなくて、っていうところから始まって、それを目を開かせてくれたのが、白拍子の女性。
ちょっと一旦、この芸能の追跡をすると。
長くなるよね。
で、その白瓶氏の、本当はすごく腕があって偉い人の前で踊るっていうチャンスがあったにも関わらず、病気になってしまったばかりに一人でのたれじんでいるしかないっていう友情が苦しみの中で踊っている踊りを見てしまい、そこで静香禅は初めて踊りというのは、舞というのは人間が心から欲して行うものであるっていうところにいた。
っていうきっかけを作った白瓶氏の踊りっていうのがあるんだけど、これが全部それこそ筆絵みたいな感じで、まあでも色彩とかもついて、ちょっとものすごい表現になっていて、で、下敷きにあるのはもちろん白瓶氏の踊りではなく、人が狂ったように舞い狂うみたいな、舞踊るみたいな感じのやつは、ほとんどね、コンテンポラリーダンスっぽいなっていう感じが裏に。
だからその、もちろん途中に入ってくる芸能だったり、家庭の連絡とかと一緒にいろいろコラボやったりするようなやつとかは、現代の理解が可能な現代的な形で収めていくんだけど、だってね、今の人が見てるのは脳見て何かこうっていうのは難しいのでね、まあそういう現代の人も心をちょっと震わせる可能性があるぐらいの下敷きのところで踊りがつとついてくるんだけど、すごく脳についての造形は深くて、
多分脳の型とか、体の動かし方とか、その体重のかけ方とか、そういったところはアニメーションですごい丁寧に再現した感じ。だからやっぱすごい身体性とアニメーションってことに多分すごいこだわりを、どう表現していくかってことにこだわりを持って作ってるなーっていうふうに思うね、アニメで。
だからね、今の話を聞いて、さっき静か午前を紹介したんですけど、優女は舞踊に感銘を受けるっていうのは、たぶんその静か午前のエピソードを2人で気にしてるのかなっていうようなことをちょっと思うと思って、それはなぜかっていうと平家物語の中で、その静か午前のよりともとまさこの舞で舞ったときに、あまりにもすごい舞というか、吉瀬のことを思って舞うわけですよね。
でその有名な舞った和歌があるんですけど、しずやしずっていう、それを歌いながら舞うと。その舞があまりにもすごい思いにあふれたものだったので、平家物語の中にどう書いてあるかっていうと、どこで舞ったかっていうと鶴の丘八幡宮の舞殿というか、舞台があるんですけど、そこで舞った。
でそしたら、その舞殿の上に乗っかっていた埴の上の埴も落ちそうになる感じがする。
すごい表現だこと。
だから静かだけは除名してやろうみたいな感じになった。まあそういうエピソードなんで。まあそういうところもあって、やっぱりその踊りの力っていうか舞の力みたいなものっていうのは、たびたび古典読んでると、スタッフさんの書いてある。
そうですよね。中ではやっぱりその塩入りっていう作品、電楽の一応題目なんだろうけど、その題目のもちろんさ、その表現の仕方はすごい現代的なんだが、でも彼らはさ、そこにその情景をうかり合わせるために何が必要かって言ったときに、和歌を歌がいいって言って歌を作りましょうみたいな感じになるので。
だから本当にね、もちろん全然違う脳みそで違う時代を生きてるんだけど、彼らの苦悩とどうしたいかっていうことを自分の体ではやりきれない。一方で異能っていうのは天才の、本当にその人が踊ることで全てが変わるみたいな人なんだけど、逆にそれって続かないよねってとかしてるけど異能が死んでしまったら残らぬのではないかという。
俗人性が強い。
で、脳はそうではないっていうところに強い意味がかけていて、10歳残ってんじゃんっていうところも含めて、まあそれはね、たまたま現代のサイコロでしかないけど、伝学もそれこそ。
サルラクもね。
サルラクもっていうところの中で脳が残っていて今、それをねちょっと考えさせられるような12話でしたよ。
なくなった。
その12話でそこまで考えさせられるって。
脳って昔は今よりテンポが早かった説っていうのがある。
そうですそうです。まずいんですよ、そんな感じでしたね。
だからなんか今は聞いた話っていうか、読んだ話によると、その脳は室町に成立して、戦国時代に戦国武将に愛称されて、それで江戸時代に入る。
でもその天下大変になっちゃうと脳の需要も下がってくるっていうか、一方歌舞伎とかも台頭してきて、ちょうど戦国の頃にお国歌舞伎とかが台頭してきて、そっちの新しいエンターテインメントの方にみんな惹かれる。
そうすると脳と競合しちゃっていて、そうすると脳の方がどうなるかっていうと格式を高める方向に動いていった結果、
ゆっくりになった。
そうゆっくりになった説を読みました。
私が思ったのは、すでにその作品の中でゆっくりを選んでいくのよ。
その時にドルチェとかアンダンテとかいろいろ言った時にゆっくりっていうことにウェイトがあると、どんどん遅くなる。これ多分芸能がそっちへ進んでいくだろうなと思うんだけど、
もうすでにその段階で体の動きを最小限にしてっていう風になっていて、それこそ当時の遅さの話でも出てたくらいなので、
それはもうゼアミの意志であるっていうファーストの作り方になってましたね。
まあでもそれはどうだったか、どういうことか、私は生きていないのでわかりませんって感じなんだけど、
こういうアニメーションが出てきて、いろいろだから本当に試行錯誤アニメーションもね、やっぱり作っていての人たちも悩んでいるし、
苦しんでるし、その苦しみとちょうど脳が何か一つ人々に与える影響とか、訴えかけるものとか、平和とか、それこそ人の死とはとか、癒しとか、そういったことに対して働きかけようと思っているその当時のゼアミの思いとパラレルになるように自然と読んでしまう。
映画を見てしまうので、よくできてるなと思って見ました。
それではこれよりゆるクイア用語辞典のコーナーとなります。
このコーナーでは我々がクイアだと思う用語について、我々の解釈で説明してみますということで。
今回取り上げたいのはですね、ゼヤミの話をしてたので、ちょっと私がたまたま買っていた現代模薬風刺可憐の話をしたいなと思います。
ほんとに不思議。そんなのが出てるんだね。
そう、こんなの出てまして。
まあ風刺可憐っていうのはゼヤミが書いた秘伝の書みたいな感じで、教科書とかに扱われていて、脳の真髄が書かれてる。
で、だからちょっととっつきにくい印象があるというか。
そうですね。教科書で4文字見るだけだもんね。
そうそう。テストで書けるか書けないか。
そうそう。書けるよ。未だにだめだ。
じゃあどういう内容の本なのかっていうところで、現代語訳をするとどうなるのかっていうのが、この現代語訳風刺可憐なんですけど。
これ初めにの冒頭からちょっと飛ばしてまして。
読みたいね。読みたいですね。
やはり脳の前をダンスって表現するのであれば、舞台演劇というか、舞台芸術はパフォーミングアーツだと。
そうですね。
パフォーミングアーツという言葉は、一般的にはあまり聞かないことがあるものの、そういうふうに置き換えてみると、今との繋がりが持てる。
ちなみにこの現代語訳をされた方は、岡田俊樹さんでいいのかなという方でして、1973年横浜生まれで熊本在住の演劇作家、小説家、シルフィッチュの主催の人。
何ですかそれ。
演劇集団です。2010年代後半から10年代初頭ぐらいにかけて、結構評価が高かった。今でも高いのかも。あまり舞台を知らないことがない。話題を呼んだ演劇集団の方で、そんな感じの始まり始まるような。
それで全編にわたって、今の価値観に通じるような感じの音が書かれている。さっき和歌との繋がりというのもありましたけど、この中だとどう書いてあるかというと、これだけは言っておきたい。
猿幕の道を極めたいのであれば、猿学以外のことに移すを抜かしてはならない。ただし、歌を読むことはかまわない。若はみやびなたしなみであるからだ。そして、猿学同行、長生き効果を持つからだ。
冒頭からアンチエイジング効果みたいなのが出てきました。やっぱりこの長命とか長寿とか、そういうところがやっぱり、当時の平均寿命って多分40ぐらいじゃないですかね。
だから、舞とかを、和歌を読むことで、それが命を流れるように繋がる。神様に通じるのか、そうしたところがある。かつ、それでは私が若かりし頃からこれまでに見聞きしてきた稽古のやり方に関してのあれやこれを以下、書き留めていくことにしよう。
まず、飲む、打つ、買うの3つは絶対やめるように。先人の忌ましめである。そして、稽古に邁進するように。満身及びそれに由来する意固地に自分が座っていないかどうか、警戒を怠らないように。これはもうなんか普遍的な感じですね。
すごい現代ですね。
そう、現代です。その次の章が、ライフキャリアみたいな話なんですけど、生涯に渡る稽古、そのライフステージに即して行ったというのが家伝その1。能の稽古はだいたい7歳くらいからトレーニングを開始する。それで12、3歳ぐらいになると、声の調子が歌いの音程に合ってきて、能とは何たるかということも分かり始めてくる。
なるほど。それはつまり声変わり語ってことですよね。
そこは声変わりするかしないかというところですから。
なるほど、なるほど。
で、何と言ってもローティーンの愛らしい見た目なわけなので、何をやっても可憐な美しさがある。
声もいい感じになってくる。姿と声の2大要素が可愛いのだから、欠点は隠れていいところがますます入る。
だから若い頃は可愛さでやっていけちゃうんだけど、っていうのが割と風刺家伝のポイントであって、しかしながらその可愛さとか可憐さとか、それをちなみに花と呼んでいる。
それを花って言葉はアニメでも結構使ってましたよ。お前の花は何だとか言ってましたね。
ただこの若い頃の12、3歳の頃の花というのは誠の花ではないんですね。つかの間の自分の花にすぎない。
このつかの間の花の存在の上、稽古でも子供が踊っていると花があるかのように見えるんだけど、それは誠の花じゃないんだよっていうところに注意をさせる。
で、17、8歳というと、まず声代わりによって第一の花がうせる。体も成長し重心位置が変わって姿の美しさもうせる。
声も美しく見た目も華やかで何もやってもおさまになったローティーンの時期が過ぎ去り、いきなり勝手が変わってしまう。
だからやる気もうせる。観客から滑稽に思われている様子が感じ取れてしまうから恥ずかしくなる。そんなことで心が折れるのだと。
だからちょっと成長するにしても、特に男の場合は体もがっしりしてきて、髭とかも生えてきて、ちょっと可愛らしさが伏せられていってしまう。
17、8歳くらいまでアニメでも描いてましたけど、やっぱり体の中心が変わるんだね。そう言われてみたらそうですよね。そういったことが描かれているわけですね。
そうですね。そういうことが描かれている。で、24歳、5歳になるとこの時期から一生ものとなるテクニックが確立し始める。強めの訪れというわけである。
声変わりの問題も終わって体つきも完成したと。だからこの時期の芸はそれゆえに観客にとっても、すごいのが現れたと目を引くものになり、この仮染めの花のもの珍しさゆえにバトルに勝ってしまったりする。
だからこの時もそのもの珍しさがあるから、で、あとまだ体も若いからすごい花があるんだけど、これもまことの花じゃないんだよ。まだ若さに頼っている時期があるからみたいな。
で、それが過ぎ去って、34、5歳になるとこの時期の脳はその芸を絶頂にあると。ということでここで出てくる言葉が割と花に通じてくるみたいな。そういうことになってくるということですね。
はいはい。普通に紙の本で売っているんですよ。
あ、そうです。これは紙の本で書籍としてで、さらに40、 4、45?というところになってきて。今でこそ44歳、5歳いうのは、まだ若い中年代かな、中高年差しばかりみたいな。
人間の一番ど真ん中風な感じではありますよね。
そうですねでまぁもうどんどんどんどん動いていく まあ当時としてはどんどんどんどん動いていくばかりなんだけれども