サマリー
このエピソードでは、ヴァージニア・ウルフの代表作「灯台へ」について、コーノさんとポーさんが感想を語り合っています。まず、作品のあらすじが紹介されますが、その内容が非常にネタバレを含んでいることに驚き、あらすじを読む前に作品を読むことを推奨しています。過去に「ダロウェー夫人」を読んだ経験から、今回「灯台へ」を選んだ経緯や、前作と比較して「灯台へ」の方が読みやすかったという感想が述べられています。 作品の大きな特徴として、登場人物の心理描写の深さや、思考が目まぐるしく移り変わる流れるような文体が挙げられています。特に、誰が何を思っているのかが明確に示されないまま、会話や思考が展開していく様式について、翻訳の難しさにも触れつつ、読者としては面白かったと語られています。また、登場人物たちが多面的に描かれており、単純な善悪では割り切れない人間らしさが表現されている点も高く評価されています。 物語は第一部、第二部、第三部と大きく構成が変化し、特に第二部では10年という時間の経過や、登場人物たちの死といった衝撃的な展開が描かれます。第三部では、ラムジー夫人の死後、残された家族や関係者たちが再び灯台へ向かおうとする姿が描かれ、リリーという画家を中心に物語が進みます。最終的に灯台へは到達するものの、登る描写はなく、読者に様々な解釈を促す形で物語は幕を閉じます。全体を通して、ウルフの革新的な文学表現と、人間の感情の複雑さを深く掘り下げた作品であることが強調されています。
「灯台へ」の概要とあらすじ、前作との比較
じゃあ今回は、ヴァージニア・ウルフの灯台への話をしましょう。
新潮文庫版の、令和6年やからめっちゃ最近ですね。
そうですね、これはですね、最後の方に書いてますね。
一緒なのか。
2009年に、カバデから出た単行本が文庫化されて、新潮社の文庫に入ったテースですね。
翻訳者の人が、コーノス・ユキコさん。
じゃあこの灯台へ、灯台へっていう作品ですけど、灯台へのあらすじを文庫の裏を読みます。
いいですとも明日晴れるようならね、スコットランドの小島の別荘で、哲学者ラムジー氏の妻は末息子に約束した。
少年は、あの夢の塔に行けると胸を躍らせる。
2日間の出来事を綴ることによって、愛の力を描き出し、文学史を永遠に塗り替え、女性作家の持法も確立した。
イギリス文学の傑作っていうあらすじでした。
これめっちゃネタバレしてますね。
私、今初めてそのあらすじ聞きましたけど、すごいネタバレしてますね。
びっくりしたよ。
これ読まない方がいいですね、これあらすじは。
いいですね。
さっきに作品を読んでたんでよかったです。
バージニアルフは2作目で、前回にダロウェー夫人っていうのを読んで感想を喋りました。
結構前ですね、これは。3年前に。
そんなに前ですか。
その時は、公文社古典新薬で。
あれがすごい面白かったんですよね。
そうですね。
久しぶりにポッドキャストを聞き直してよかったなって。
話はそんな覚えてないけど、面白かったよなっていうのは分かるから。
それでまた久しぶりにバージニアルフ行ってみようということで、東大絵を選びました。
作品としては東大絵の方がちょっと後ですね、たぶん。
ダロウェー夫人の方が先に書かれた本で。
バージニアルフの中では一番有名なのかな、これは。
そうですよね。私はこの作品が一番最初に知りましたね。
代表作っていう感じですかね。
1927年の作品だそうで、来年は100年ですね。
ほんま?そっかそっか。
ってことは、この作品でも一応第一次大戦のことがちょっとだけ出てくるけど、それぐらいの時に書かれた。戦後とかに書かれた本ってことですよね。
ダロウェー夫人が1925年発行で、2年後に東大絵が出てます。
すごい飛躍してるな。
これダロウェー夫人の僕は感想をちょっともう一回聞き直したんですけど、
その時の喋ってる僕の感想の印象からして、今回の東大絵の方がめっちゃわかりやすくなってたなと思って。
読みやすい本になってたなと思いましたね。
もっと戸惑ってた。ダロウェー夫人読んでる時の方が。特に序盤とかは。
東大絵は結構読みやすかったな、私も思います。
文体がすごいって話はダロウェー夫人の時もしてるんですけど、それにちょっと戸惑っててわかってなかったところがあったけど、今回は文体今回もめっちゃすごいじゃないですか。
けど読みやすかったっていうのが両立してたなと思って。
今回は文体がすごいみたいなことで作品の感想が覆われずに、ちゃんと普通に読書として楽しかったから、バランスが高次元で出来上がってるなというか。
文体と心理描写の革新性
そうですね。文体はでもやっぱ最初っからすごかったですけどね。特に第一部。
第一部と第二部、第三部まで。ほとんどは第一部ですね。
3分くらいこの新骨頂って思ってましたね、文体は。この文体真似できる人絶対いいひんやろって読んでましたね。
流れるような文体やけど、ダロウェー夫人の時もちょっと喋ったんですけど、階層と現実としかも空想まで行ったり来たりする文体。
それも時系列がそのまんまで流れていく。これ主人公の第一部の主人公ですね。
ラムジエ夫人が中心に第一部が描かれてて、ラムジエ夫人が何かやりながらその頭ん中を全部文章にしてるみたいな。
これがすごいなと思って。
そうですね。
ちょっと言い方難しいんですけど、このあっちこっち思考が行く感じみたいな。
ちょっと何かやりながら忙しいから何かやりながら何か思い出して、その場で子供が何かしてるのを見てとか、その思考の忙しさみたいなのがそのまま文章になってるのがこれすごいなと思いましたね。
読んでて。さらにしかもすごいとこは人がコロコロ入れ替わるところでしたね。
そうですね。そこが面白かったですね。
ラムジエ夫人の自分の中の考えと空想が行ったり来たりだけじゃなくて、会話してる人の気持ちもそこに入ってきたり。面白かったですね。
なんかここでダロエ夫人よりもすごいなと思ったのが、今誰が何を思ってるのかが分かりやすかったっていう。
人が変わってんのすごいはっきり分かる。けど文章にはちゃんとなんか明示はされてないけど、読んでれば分かるぐらいの感じで。
これ今誰が喋ったみたいなのはね、言わないんですよねわざわざ。
なんか結構最後の役者と書きで、役者の人はその辺の翻訳すごい苦労したって書いてましたね。
いやこれは難しいでしょ。
なんか原文はもっと分かりづらいみたいで、訳すときはある程度もう少しはっきりさせないとうまくいかなくてその辺の塩梅が。
読者としての視点と訳すっていうのはある程度書き方の視点もあるからその辺の綱引きが苦労したみたいな書いてましたね。
文法で言うと自由間接話法っていうのがよく使われてて、鍵カッコがないんですよね。
セリフとかも。で何々と言ったっていう分かりやすいのじゃなくて、字の文の中にセリフだったり気持ちの表現が入ってるんで。
これをちょっと慣れないと難しいかなとは思うんですけど、今回のは私は読んでてそんなに誰が喋ってるのかが分からないっていうことにはならずに。
そうなんですね。
気持ちよく読めましたね。
今回のはあんまり読みにくいって思わなかったんですよね。その辺も。慣れてない文体やのに。
あとは全体的なところで言うと、人間の感情表現みたいなのが誰かに対する感情の愛憎を両方全部描くみたいなのをやってて、この人のこういうとこが嫌だけどこういうとこがいいみたいなのを人物を一面的に捉えないみたいなのを全員やってたなと思って。
そうですね。
これもなんか人間っぽいなと思って。あんまりキャラクターっぽくないと思ってそこがやっぱり。登場人物っていうよりは人間っぽいなっていうのはすごい思いましたね。
一番顕著なのがこのラムジーとラムジー夫人の関係かなと思いますけど、お互いにも奥さんが50歳だからそれなりに結婚生活長くて子供もいてちょっとお互いのことを冷めてるようなところもあれば仲のいい場面もありますよね。
すごい褒めるしすごいけなすんですよね。どっちも。
この辺がやっぱり単純なキャラクター造形じゃないところはかなりすごかったですね。
主要登場人物としてラムジー夫妻と子供と特に第三部で中心になるリリーっていう画家の人とその辺がよく出てくるのかな。
あとはチャールズ・タンズリーとかウィリアム・バンクスとかその辺は同居人というか友達とかその辺ですか。
ラムジー一家の別荘にみんなが招かれてやってきたっていうのが話の舞台ですね。
そうですね第一部のところで。その辺の人たちもリリー・ブリスコーとかはその視点も描かれるんでこの人もすごいやっぱり人物の良いとこ悪いとこ両方言うみたいなのをすごい描いてました。
リリーはラムジー夫人の旧世代の生き方みたいなものにちょっとこう自分は違うと思いながらもラムジー夫人を慕う気持ちもあったりして結構その辺が。
なんか多分性格的にあんまり合わへんやろなみたいなのがね読んでて思うんですよね。
憧れみたいなのがねすごい。だから読んでる時はすごい評価が移ろう、人物評価がすごい移ろうし、なんか言ってることが2点3点してるように思うんですけどなんかそれぞれの評価であって両立するんやなっていうのは思うんだから結局この人この人のこと嫌いなんかなとか思いながら読んでたらそういうわけじゃないんやみたいな。
そうですね。
なんかそういうのがね珍しいなと思いましたね。しかも短いところにすごい突っ込んでくるんですよねそれを。長いこと過ごしてて評価が変わるとかじゃなくてあっちもこっちもみたいなのがねすごい入れてくるんでね。
第一部なんて話で言ったら昼から夜にかけての本当に半日の話ですからね。
なんか紹介みたいな描かれ方も多いですからね。人物めっちゃ出てくるんで。
ほんまこの名前人物一覧を書かないと誰が誰か分からなくなってきましたからね。特に子供とかね。子供8人いるって言ってて。
8人出てこなかったですけど一応ジェームズっていうのが東大へ行きたいって言い出して。
まあ第三部にも出てくるんでその辺で結構描かれしたりとかはしますね。
ジェームズの父親に対する何というか抑えつけられていたことに対する恨みだったり父親嫌いみたいな気持ちがわりとそれがわかりやすくずっと出てましたけど。
最後の方その東大に行く最後のあたり。これはジェームズの気持ちじゃなくてキャムっていうもう一人の子供がジェームズの気持ちを勝手に想像している時にはそこまでジェームズも何というか父親に褒められて。
嬉しいというか一面的に父親をずっと軽蔑してるわけではないっていうような言い方をしてましたね。
この辺はすごいリアルでしたね。
なんかね親父と子供みたいな関係の。
ラムジの親父はほんまダメすぎるでしょ。
抑圧的すぎますよねこの人。
結構みんなから文句言われてるじゃないですか。
ラムジさんうっとしいみたいな感じの構ってほしいとか。
なんかすごいどの国にもこういう人いるのかなどの時代のどの国にもいるんやなって。
すごい嫌な人なんで息子にもそれは嫌われるやろみたいな。
まあ嫌われてるわけでもないですよねすごいなんか尊敬もされてるし。
まあ仕事はすごいできる哲学者で名を挙げてるし尊敬するところはあるけれどすごい抑圧的で。
なんか自分子供たちの足を車輪に引き潰すかのような態度みたいなのが書かれてましたね。
遠慮がないというか気遣いがない発言みたいなのがすごいんですよね。
結構序盤からそれをはっきり言うんですかね。
東大へ行きたいってジェームズが言ってるとこで天気悪いから行けへんみたいな。
それですごいジェームズが落ち込むけどラムジ夫人はちょっと励まそうとするんですよ。
もしかしたら天気良くなるかもしれないみたいな。
そういうなんか嘘をつくなみたいな。
そういう嘘が一番嫌いなんやみたいな。根拠のないなんか。
なんかメモした最初のあたりだとラムジの描写で自分の判断の精密、精度にひそやかな自負もあるし自分の言うことは正しい。
事実に反するものはとにかく認めないって。
そうですね。
奥さんに黙ってろとか言いますしね。
ラムジ夫人とかから見たら精神的に幼いとか特に女性から見てって感じですね。リリーとかも。
そうですね。
この人ちょっと自分勝手すぎるっていうかなんか精神的に幼い。子供とかもそう思ってるんですよね。それで。
偉そうな反面女性特にラムジ夫人には察してほしくて。
ずっと甘えてるっていうね。
それもすごい分かってるからラムジ夫人が抵抗する時もあるみたいな。
こういうなんかすごい偉そうででも甘えてる夫とそれを嫌がりながらもそれをちゃんと受け止めてあげる妻みたいな。よくあるのかなと思って。
昔とかはなんかありそうな感じですね。
このラムジは哲学で本を書いてたりとか大学で講演したりとかして尊敬する人がいっぱいいるんですよね。
そうですね。
学生だったりとかだからその辺はやっぱり認めてるというか奥さんもすごい尊敬してるみたいな。
リリー・ブリスコーのラムジ夫人に対する神聖史というかそれもなんか凄まじいじゃないですか。
そうですね。恋してるようなちょっと違うけどみたいな描写もあったし。
夫人だけじゃなくてそれを取り囲む一家全体に恋をしてるんじゃないかって。
文体とか人間の描く複雑さみたいなところとは別にシンプルに出てくる人物面白くて。
ハラル・タンズリーっていう若手の研究者がまだ世に自分の名はちゃんと出てなくてこれから自分は成り上がっていくっていう結構鼻息荒いキャラクターいるじゃないですか。
彼の私メモではタンズリーの生きりって書いてるんですけど。
自分はすごい奴なんだとか苦労はしてるんだとかその辺の自分を肯定しようとする過剰な描写が面白くて。
ちょっとこの人物はドストエフスキーとかにも出てきそうな。
出てきても自然な感じがしましたね。
165ページのところがもう最後の方がすごく面白くて。
みんなから質問された時に生まれてこの方船酔いしたことはありませんって答えるだけなんですけど。
本人の中ではこの一文の中にも弾薬のごとく。
じいさんは漁師だったんだぞ。
親父は薬屋だから僕は全くの独力でここまで這い上がってきた。
それを誇りに思っている。
僕は誰だろうチャールズタンズリーだと意味合いがぎっしりと込められていた。
すごいドストエフスキーに出てきそうな。
この自意識の強さだなと思って。
そうですね。
これ面白かったですね。
確かに地下室の主義っぽいですね。
あとラムジーの友達のリリーとくっつけられそうになってた。
ビリアムバンクス。
ビリアムバンクスも食事会で必死にラムジーが接待してるのに早く帰りたいとか。
絶対自分の部屋にいる方が楽しいみたいな。
その辺のチグハグな感じというか。
気持ちが全然通い合ってないところとか。
そういうところも面白かったですね。
これだから解説のところですごい書いてましたもんね。
コミュニケーションがうまくいってないみたいな。
お互い思ってることが全然違うっていうのがすごい面白いって言って。
そこで解説の人も書いてましたけど、
またタンズリーがラムジー夫人にめっちゃ自分の話してたのに、
ラムジー夫人がすごいいい景色になったらそこをスパッと落としちゃうところとかも面白かったし。
なんかチャールズ・タンズリーのちょっとそのめげない感じとかも面白かったよね。
ラムジー家の子供にチビのムシ農者って呼ばれてるとか。
全然尊敬されてないんですよね。
みんなからね。
また食事会でカーマイケルさんっているじゃないですか。
詩人の。
あの人がスープおかわりしたいって言ったらラムジーめっちゃ怒るでしょ。
そういうのすっごい嫌だみたいな。
分からないですよね。
むちゃくちゃやなと思って。
カーマイケルは途中で詩が売れてすごい有名になるけど、
その前は足引きずっててアヘン中毒で奥さんにいびられてるかわいそうな人みたいな感じだから、
それでスープをおかわりするのかみたいなそういう怒りで情けで呼んであげてるみたいな感じだったんですよね、食事会も。
やっぱりこういう出てきた人物の描写のこいつを好きだとかこいつすごい嫌いみたいな、
そういう感覚が私はプラスであるとすごいその作品のこと好きになるんで、東大屋私は好きになりましたね。
登場人物の多面性と人間関係
特に第一部読んでる時はすごい思ったのが、
すごいこの夫婦愛とか家族とか隣々のその嫌なところとかも描きつつ愛情がすごい描写されてるなと思って。
これを読んでて、その読んでる人がいろんな自分の身の回りとか家族とかに思いを馳せることもあるだろうなってすごい思いましたね。
カラムジ夫人はすごいこう釈放的で、子供はすごい8人いてみんな愛してて、すごい良い夫人でお母さんみたいなこと書いてますけど、
どっかでやっぱり孤独な時間を求めてたり、自分は人の感情を吸えるだけスポンジに過ぎないんじゃないかみたいなこと書いてるところとかもあって、
典型的なわかりやすい人物じゃない描き方は良かったですね。
子供のこと好きだし愛してるけど自分の時間は欲しいとかね。
ちょっとひどいこと言ったりするんでね、子供に対しても。
もうこのラムジ夫人が絶世の美女なんですよね。
50歳だけど周りの人がみんな美貌にすごいときめいてるというか。
そうですね。
だからその描かれ方とかも本当に魅力的な人物としてすごい描かれてるな。
現実の人間でもいるじゃないですか。
すごいかっこいい人やけどすごい庶民的なこと言ってると魅力が2倍になるみたいな。
すごい綺麗な人がすごいドジなことをやってたりとかしたら、より愛おしく思えるみたいな。
そういうのに近いかなと思って。
だからすごい初対峙見てるんですけど、でもその姿すら美しいみたいな感じで描かれてるんで。
構成の変化と衝撃的な展開
だからその灯台へ行きますっていうのは明日天気良かったら灯台へ行けるけど悪いから行けへんかなと思って。
夜が終わるっていうところで第1部が終わって、第2部の最初の方もちょっとその続きぐらいな感じなんですね。
ここからがらっと。
急に何これっていうのが始まるんですね。
分かりやすい語り手みたいなのが出てきて。
情景描写みたいなのがずっと始まるんですねこれ。
何が起こってんのかなと思って。
家っぽいなみたいな。
私も正直2章目始まってあんまり話が進まないというか飽きてきたなと思って。
ザーッとちょっと巻いて読んでたんですけど、途中から絵みたいなそんな感じってなって。
235ページの第4章の手前のところですよね。
これ一緒ですよね。
予期せず妻が救世した身とあっては。
ここでええと思ってもう一度ちゃんと読んだけどと思って。
びっくりしましたねこれ。
ラムジ夫人死んでるの?と思って。
いつの話?と思ったんですよこれで。
でなんかそっからまた家の話になるんですけど、家廃墟。
家なんか空き家になってるんですよ。
東大へ行こうとしてた家が空き家になってると思って。
おばあさんが出てきて荒れ果てた部屋を掃除しだすんですよね。
マクナムおばあさん。
かなりびっくりしましたね。
10年の時計がここで一気に流れてるんですよね。
東大に行く前の晩から急に10年経つんですよね。
だから本当に読んでる方としては何が起こった何が起こったみたいな感じで。
カッコ書きのとこだけで現実が描写されて。
結婚したん?とか娘。
プルーか。プルーっていう娘がいて長女かな。
一番綺麗って言われてて。
その子が結婚したん?みたいな話がちょっと出てくるっていう。
そういうとこばっかり気になってしまうんですよね。家の描写よりも。
このカッコのところですごいしれっとね。
どんどんどんどん革新的な話が出てくるから。
ぶっ飛ばしてくるんですよね。
241ページのプルーラムジーはこの5月父の腕に必死と捕まって結婚式を挙げた。
で242ページのカッコのところでプルーラムジーはこの夏産後の患いにより亡くなった。
でね次の243ページではまた息子のことを書いててみたいな。
すごいどんどん話が明かされててびっくりしましたね。
家が荒廃していくのと同時に子供たちが死んでいくみたいな。
戦争が起こってるみたいなね。
こういう説明というか状況が明かされていくって。
これ結構斬新じゃないですか。この構成。
第1部読んでたらじゃあ明日は東大行くのかみたいなことがやっぱり気になってるのに。
ようやく長い食事会のショーが終わったなと思って。
第1部も終わってと思ったら第2部はこれですからね。
第2部がすごい短いんですよね。30ページくらいで。
そうですね。なんか夫婦の愛の物語なのかなと思った。
もう奥さん死んでるし。
でもそれも第2部の終わりの方で急におばあさんが家を直してくれって言われて掃除し始めるっていうところが始まって。
家に人が帰ってくる廃墟で口当てかけてるんですよねほぼ。
壁にはないってネズミが出入りしてみたいな。
でもこれを直さなきゃみたいな感じで。この話続くんやと思って。
第3部入ったところで10年経ったっていうのが分かったかな。
年齢が出てきて。
そうですね。270ページとかに。
リリーが44歳、ジェームズが16歳、キャムが17歳。
これでもなんで集まったのか。ラムジ一家は分かりますけど。
リリーとかカーマイケルまで呼ばれたのってどういうあれなんですかね。
あんまりよく分からないですよね。招待されたとは書いてあったけど。
人選もよく分からないし。
もう全員が呼ばれてるわけじゃないんですよね。
カーマ来なかったか。
でもラムジ夫人がいないのにラムジが呼んだとも思えないし。
でもラムジが呼んだ以外はないと思うんですよね。
息子たち、子供たちに強制したのもラムジやし。
一人全然知らん夫人もいましたね。新しい人。
買いましたっけ?
全然重要な人じゃなかった。
これベックイズ夫人。
何ページですか。
心優しいベックイズ夫人の姿があるばかりだったって書いてあって。
270ページとかに出てくるんですけど。
ベックイズ夫人って誰?って思いながら、特に説明ないまま終わりましたね。
そっか。
なんかちょこちょこ出てきますよ。この人は。ベックイズ夫人。
セリフもあるし。
この第3部は住んでた人たちが何人か帰ってきて、今度こそ東大へ行こうってラムジが言い出すっていう。
それに嫌々、息子と娘、キャムとジェームズが付き合うっていう、そういう話でしたね。
それをリディー・ブリスコがずっと見てるっていう。
別荘がある崖なんですか?あれって。
船が遠くの方に見えるような高いところから船を見ながら絵を描くリリーと、実際船に乗って東大へ向かうラムジと息子、娘。
2つの場面が交差して第3話進んでいくって感じですね。
どっちかっていうとリリーの方が多いぐらいでしたね。
そうですね。東大に行く前の話もありますしね。
ラムジとリリーが話すシーンもあるし。
私は第3部がリリーが船が東大に向かっているのを遠くから見てるシーンの後に船に実際乗っているみたいなシーンが変わっていく。
その動きが第1部と全然違って、分かりやすく物語として進んでいく感じも対照的で、1つの小説の中で面白いなと思って見てましたね。
そうですね。第2部も全然違うし、第3部も。
たぶんその第1部的な形がずっと最後まで続いていたら、それは疲れると思うんですよ。読むのが。
この辺のバランスもすごい私は気に入りましたね。
そうなんですよ。ほんまでもどうなんのかと思いながらね、第3部をずっと読んでて、何が起こっているのかは分かるけど、何でなんかが分からないみたいな。
ラムジ夫人を失ったラムジ家が不安定なんやなみたいなのは伝わってくる。
そうですね。父親も甘えられる人がいなくて。
息子はグレてるわけじゃないけど、すごいやっぱ父親に対しての複雑な感情みたいなのを。
ずっと持ってますね。
あんまりうまくいってないんやなっていう。兄弟も2人死んでるし。
全員別荘に来てないっていうのもなんかちょっとね、そんなにみんながみんな仲良しでもないんだなとか。
まあ、とっついたりとかね、そんなんがもしかしたらあるんかも。
松の2人ですね、確か家庭を持ってたりして来てないとかもしかしたらあるんかもしれないですけど。
昔みたいに家族全員がもう揃ってるっていう、そういう分かりやすい時期は終わっちゃったんでしょうね。
で結構その話の中でちょこちょこ人が紹介されたり、ポールとミンタだけかな。
これも結構悲しくないですか。
第一部では結婚することが決まったぐらいの、未来明るい若い夫婦。
ナムジー夫人に外任されてというか、結婚しないよみたいなのがすごい言われるんですよね。
でもなんかね、もう全然うまくいってなくて。
でもなんか最終ちょっと落ち着いた。
最終落ち着きましたね。
なんかちょっと浮気してる時期があったけど。
そっかそっか。
そういう時期は乗り越えたみたいな。
この第3部はリリーの視点が多かったっていうのもあって、リリーにも結構注目しちゃいますけど。
リリーはかなり今読んでも現代的な価値観を持ってるなというか、今の時代にもすごい通じるものがある人物で描かれてるなと思って。
ウルフの分身でもあるのかなとか想像しながら読んでましたね。
絵描きっていうので、結構創作論みたいなのも悩んでるじゃないですか。
ちょっとこの辺読んでて難しかったですけど、ウルフの創作に対するスタンスと被るところもあるんだろうなと思って。
ナムジー夫人みたいに家庭を持ってっていうのが別にそんな幸せってそれだけじゃないみたいなところで。
人物の生き方を探そうとしてるところも今読んでも通じる部分もあるなと思いましたね。
すごいやっぱ芸術家全としてるんですよね。
絵描きっていうところで何かをずっと掴もうとしてるっていうのが、第1部からそれはずっと描かれてましたね。
アーティストとしての人物像みたいなのがすごい反映されてるかなと思いましたね。
解説でもビジョンを使っているところをフューチャーして言ってましたけど、最後の一部もそうですしね。
これはね、これぞ文学って感じでしたね。
僕はこういうのばっかりいろんなところで読んできたなと思って。
日の名残りのなんかあの桟橋みたいなところで座ってるシーンとか、
あと失われた時を求めての全てが繋がるシーンとか、これは芸術やと思ってる。
そうですね。これは結構すごいピークが最後に行きますね。
そうですね。なんか鳥肌ものですよね、この辺は。
みんなこれを小説なり何なり絵画なりで描こうとして頑張ってるのが芸術っていう感じでしたもんね。
なんかね、しかもすごい粘るんですよね。最後なかなかつかめないんですよね、それが。
しかもそれを体現してるのがラムジ夫人やったみたいな存在として。
なんか出会ったみたいになってますもんね。
原影みたいなやつでしょ。
なんかその序盤の第一部とかの文体とかも、人間同士の愛憎をすごい描くのとか、
芸術というか、人間をちょっと超越したものに対してどう辿り着くかみたいなとか、
いやこれはなんかほんま文学の究極やなと思って。
ほんまこれ同時代にこれ書かれたらみんなショック受けると思いましたよね、この本自体が。
すごいなと思って。東大へなんか評判良かったけど、いやさすがやなと思って。
なんかやっぱりこう名作って言われてても自分はピンとこなかったみたいなのありますけど、
これはなんか結構評判通りのすごい小説だなと思いましたね。
これ数年前にユリシーズが出てる時代だからすごい時代ですよね。
確かになんか意識の流れってよくそういう文学の用語で使われるけど、ユリシーズとは全然違うなと思ってて、
その辺の解説を書いてくれてたのは読み応えありましたね。
結構ほんま究極やなと思いましたね、今後は。
なんかあれですね、ダロウェー夫人もでしたけど、やっぱりこれバージニアウルフ2冊とも良かったですね。
別に舐めてたわけじゃないけど、ここまでかと思いましたね、東大絵については。
ダロウェー夫人の後に東大絵って流れの方って聞くと自然な感じしますね。
あれがあってからこっちに飛躍したとか。
極めたって感じですもんね。
389ページの役者後書きで、
芸術表現としての「灯台へ」
当たり前のことだがウルフはまず文体を冊身にしようとしたのではない。
小説における物の見方、捉え方を変えようとした結果、新しい文体が必然的に生まれてきたのだって書いてて、
確かに文体作ったろみたいな、そういう変な野心みたいなのは感じられなかったし、
これを書くのに最適なものを考えたんだろうなというか、
最初に文体開発したるみたいな、そういうエゴは感じられなかったですね。
研ぎ澄ませていったという感じですもんね。
もともとそういう文体だったっていうところが、ダロウェー夫人呼んでてもわかるじゃないですか。
それがどんどん完成していったっていう感じなんかなと思いました。
細かい物語のところに戻ると、東大に行く途中で、
ラムジがサンドイッチ食べるシーンあるじゃないですか。
漁師たちと一緒にチーズサンド頬張ってる。
それを息子が見て、親父も本当はこんな感じでのんびり過ごしたいんだろうなって、
なんとなく遠目で見てるシーン。
あれもラムジの人物がさらに豊かになったような気がして、
親父の仕事でもないし、家庭でもない、違う場面の親父を見た時の
息子のなんとも言えない気持ちみたいなのが出ていいなと思いましたね。
現代で言うとアウトドアを楽しんでるみたいな。
学者としてすごい悩んでるじゃないですか。
第一部の時からそうですけど。
でもこんなんじゃなくて、本当は趣味というか。
そういうこと考えずにね。
楽しんでるためにね。
親父もこんな一面があったんだなみたいなのを見る息子の目が良かったですね。
すごい普段嫌ってるだけにね。
キャムの方がちょっとやっぱり親父がかわいそうになってくるんですよね。
ジェームズほどは絶対に親父ないみたいなことじゃなかったですね。
ジェームズは本当に子供の時に差し殺してやろうかって思って。
なんかお母さん取られるみたいなもん、たぶん。
そのちっちゃい子供の感覚としてあったと思うんですけど。
第三部で言うと、僕は結局最後もそうなんですけど。
リリーからラムジ夫人を思い出すシーンっていうのがすごすぎて。
ミセスラムジっていう。
この辺は読んでて321ページから325ページまでずっと続くんですけど。
コーンさんが言ってたページのあたりって、リリーがラムジ夫人のことを考えてるところですけど。
326ページに2行だけ第6章が入るじゃないですか。
この小説ってこんな感じで1行2行3行ぐらいのすごい短い章が入る。
たまにありましたよね。
これも少なかったけど印象的で。
特にこの326ページの6章は特にそんなに話の中では全然なくてもいいはずの話なんですけど。
戻りますからねこれ。
なんでこれを入れたんだろうって思うんですけど。
結構このシーン先列で魚を釣って切るっていうシーンですけど。
これもなんかこう印象的な書き方するなと思って見てましたね。
絶対これ繋げて書いちゃいそうじゃないですか普通だったら。
そうですね。
しかもこの文ってそのカッコがついてる。
そうですね。
等書みたいなやつだし。
一方その頃みたいな。
なんかいいなと思いましたね。
この辺はほんまずっとね。
このリリーのところはずっとクライマックスが続いてるんで。
釣りのところに行くとちょっとやっぱじれったい感じになるんですよ。
なかなか何も進まへんみたいな。
ずっと船止まってたりとかするんですよ。
風がないでしまって。
ちゃんとこう完璧にみんなで灯台に登っていくって感じじゃなかったですね。
上陸してんのかなっていうぐらい。
そうですよね。
あんな船の揺れるところで飯食えへんやろうって思ったりしてましたけど。
もしかしてこれって結局灯台へって書きながら行かない系の話かと思ってて。
あり得るじゃないですか。
でも第3部でしっかり向かってるし。
行くんやと思って。
行くんやと思ったけど結局最後灯台登らんのやと思って。
何時間かかってんのっていうぐらい。
ほんま間近に見て岸まで着くぐらいまではやってるけど。
登ったりはしてない。
なんかその灯台森の子供にお土産を持っていくみたいなのをずっと言ったから。
そこまで描くんかなと思ったら描かへんかったりする。
そこは描かなかったですね。
灯台への船の道のりも結構険しい感じで。
子供の時これ行けへんのちゃうんかと思って。
5歳6歳ぐらいの時やったら。
危なそうですね。
あとは印象的な話ですけど。
その表紙の灯台描かれてるし。
灯台っていうキーワード自体も結構いいなと思いましたね。
象徴的だというか。
そうですね。
光が入ってくるシーンとかも結構描かれるんですよね。
家の中にその灯台の光がぐるっと回って。
そうですね。
で、いつかあそこにみたいなのがね。
いいですよね、そういう。
銀の塔みたいなの。
家から眺めたら。で、近寄ったらもっとしましま。
そうそうそう。
ちょっとがっかりするんですよね。
なんか汚い感じとか。
他でもあとは表現はすごいなって思ったとか。
ほんまにいっぱいありましたね、この本は。
例えばどんなのありますか?
47ページ最後の方かな。
さまざまな思いが舞踊の群れのように上へ下へと目まぐるしく踊っていた。
舞踊たちはバラバラでありながら身に見えない伸縮ネットの中で見事に統制された動きを見せ、
リリーの頭の中で上へ下へと踊り狂い、
しまいには梨の木の枝間に踊り込み、
あたりを飛び回り見ればその木の股には例の使い込まれたキッチンテーブルがラムジー氏の肖像として今も架かっていた。
これだけ読んだらもうほんまわけわからないですよね。
でもなんか情景が浮かぶんですよね。
自分のそのなんかもやもやした思いっていうのを舞踊に描くっていう感じとか。
これが表現としてすごいわかりやすいし珍しいんですけど、
してやったり感がないんですよね。
すごい表現してるぞっていう感じがあんまなくて。
全体と同じじゃないですか。
39:29
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