サマリー
このエピソードでは、コーノさんとポーさんがアーネスト・ヘミングウェイの遺作である「移動祝祭日」について語り合っています。当初は小説だと思っていなかったというポーさんは、エッセイのような形式で書かれていることに触れ、事実とフィクションの境界線について考察します。特に、ヘミングウェイが最初の妻との貧しいながらも幸せだったパリでの生活を回想する場面や、後に離婚した事実を知ってから読むと感慨深いものがあると語ります。 物語の後半で大きく取り上げられるのは、作家F・スコット・フィッツジェラルドとその妻ゼルダです。二人の破天荒なエピソードや、ヘミングウェイがフィッツジェラルドの代表作「グレート・ギャツビー」を読んだ際の深い感銘について語られ、ゴシップ的な面白さと文学的な考察が交錯します。また、当時のパリにはヘミングウェイやフィッツジェラルドをはじめ、ジョイス、ガートルード・スタイン、シャーウッド・アンダーソンなど多くの芸術家が集まっていたことに触れ、当時の芸術シーンの活況についても言及しています。 さらに、ヘミングウェイの文章スタイルや、村上春樹との類似性についても議論が及びます。特に、下ネタの挿入の仕方や比喩表現に共通点を見出し、ヘミングウェイが作家としての試行錯誤や文学的野心を抱いていた様子が描かれている点も高く評価しています。全体を通して、作品の多層的な面白さと、読者がどのように作品と向き合えるかについて、様々な視点から語られた回となりました。
「移動祝祭日」の概要と第一印象
じゃあ今日は、ヘミングウェイの、これ読み方間違ってましたね。移動祝祭日ですね、これとも。
そうなんですか。
祝日、祭日。これなんか、遺作っぽいですね、多分。
ですね。亡くなってから発表されたってことですか。
そうですね。なんか編集の途中みたいな動きやったと思うんで、これを読んだ感想をしゃべります。
今日は慎重文庫の版ですね。
そうですね。じゃああらすじから、文庫の裏側のあらすじから行きます。
1920年代パリ、未来の文豪は、ささやかなアパートメントとカフェを行き来し、執筆に励んでいた。
創作の暗く、副業との決別、ロストジェネレーションと呼ばれる友人たちとの交友と圧力、そして愛する妻の失態によってこうむった時期。
30年余りを経て回想する青春の日々は痛ましくも麗しい。
死後に発表され、世界中で論議の渦を巻き起こした事実上の遺作。
万を持して新訳で復活ということです。
新訳って言っても結構前の訳ですね、多分。
平成21年って書いてあるから、10年ちょっと前。
この文庫本の裏のあらすじ読まずに本文読んでて。
そう、僕もそうですね。
なんか遺作ってことも知らなかったし、なんなら小説だと思ってたんで、全然内容を頭に入れずに読み始めて、途中からそういうことが分かってきました。
そうですね、一応最初の方にエッセイみたいな感じっていうのが書いてあったんで、覚え書きとかのところで。
だから、あ、小説ちゃうんやっていうのがすぐ。
一応、事実がどこまでかみたいなことは言ってますけど、かといって全部そのまま事実かといえば、そうじゃないというか。
ダザイオサムの話ばっかり出てくるんですけど、ダザイオサムの富岳百景とか、あの辺とかも自分が旅行したエッセイっぽい話やけど、創作っていう、そういう内容なんで。
小説って言ってもいろんな形があるんで、津軽とかもそうですね、一応あれ小説ですけど、主人公、作家の旅行記みたいな感じなんですね、中身は。
でもなんかフィクション交えてるっていう、そういう本もあるんで、そこまでフィクションじゃないかもしれないですけど。
でもこれその、亡くなる前に書いた本で、書いた1920年代って40年ぐらい前の話を書いてるから、思い出すにせよかなりね、時が経ってるから物語っていうかフィクションが入るのは全然あり得ますし。
一応エッセイとして出してるわけじゃないですよね、これ。小説として出してますよね、確か。
解説にもそんなようなこと書いてたかな。8ページの始めにで、ヘミングウェイはこの本はフィクションと見なしてもらっても構わないと書いてます。
特にそういう、あとは後書きやったかな、にもちょっと書いてあったんですけど、やっぱ覚えてないから、奥さんに電話して聞いたりとかしてましたもんね。
そうですね。
フィッツジェラルド夫妻との交流と作品への影響
その、4回結婚してるんですか。
なんかね、複数回してますよね。
最初の奥さんとの話が結構出てくるんですね、ここは。この移動祝祭日は。
それも途中の、中で知ったんですよね。
そうですね、僕も一緒ですよね。
だから、奥さんとの日々が実はもう離婚しててっていうことを知ってから読むとちょっと、なんというか、読み方が変わるというか、
なんかすごい幸せそうな描写多かったけど、もう別れちゃったんだよなーっていうのが、なんとかのチェロつきましたね。
サブテキスト的な注釈が結構多いんで、この本文だけ読んでたら分からないこととかが多いから、
まあ、中で読んで補足するみたいなのがないと読めないとこが多いですね。
人物とかもそうですし、時代のこととかも。
だから、それで知らんって読んでてもだんだん分かっていくっていう。
ネタバレじゃないけど、後日のことが分かっていくっていうのが書き方されてましたね。
なんかだから、このヘミングウェイって僕、老人トーメンしか読んでないんですよ。
だから、どういう人かっていうのも全然知らんし、なんとなくしか知らんし、そのノーベル賞を取ってるとか、
あとその、マッチョ的な作家やけど、なんかそういう。
戦場に行ってみたいなね。
そうですね。
縦断記者かな。
そうですね。
なんかこの間、映像の世紀にもちょっとだけ出てきてて、ロバートキャパとかと一緒に戦場を回ってたらしいです。
ロバートキャパってどういう方?
ロバートキャパ写真家、報道カメラマンで多分世界一有名な人なんですね。
えー。
マグナムとかを立ち上げた人。
マグナムフォトっていう報道写真家の団体があるんですけど、崩れ落ちる兵士とかが多分一番有名な写真で。
日本のなんかそういう戦場カメラマンとかも、ほぼ全員ロバートキャパに憧れて最初、戦場カメラマンになるみたいな、そういうこういう写真、知らないですか。
知らないですね。
でそのロバートキャパは写真を撮る人やったけど、多分ヘビングウェイは普通に報道、文章を書いたりしてたんでしょうね、記事とかを。
うんうんうん。
僕でもこれ、最初の方は普通にエッセイかなと思ってずっと読んでるじゃないですか。
パリの暮らしですよね、これ。パリで過ごした若い時のエッセイ調に綴った本で、基本的にはやっぱこういう関係とか、パリでのこういう関係とか、あとお店とか、レストラン、レストランだったりとか、カフェがメインですね。
であと、夫婦生活、最初に結婚した奥さんとの貧しい暮らしみたいな感じの、パリで作家として頑張ってつつましく生きるみたいな、なんかスキ行ったりとか、そういうのとか、あと競馬、競馬の序盤だけでしたけど、競馬の話とか出てくるけど、これ最後まで読んだら、実質フィッツ・ジェラルド主役じゃないですか、これ。
これね、フィッツ・ジェラルド、いくつか見出しがついたエッセイみたいな形だけど、スカッとフィッツ・ジェラルドっていうタイトルのついた話が一番長いし、結構強烈なキャラでしたね。
これ一番やっぱり、読んでてみんな、これ、ここってハイライトになるのって、やっぱフィッツ・ジェラルドじゃないですか。フィッツ・ジェラルド、やっぱ有名やし、文豪同士でこういう関係があって、どんな人やったんやろうみたいなのがすごいわかる文章やったんで、
その、ヘミングウェイ視点ではあるけど、ゴシップ的な面白さがある。
フィッツ・ジェラルドの話が結構終盤ですよね。
そうですね、かなり終盤で、2章か3章ぐらいしか盛れてないんですけど。
スカッとフィッツ・ジェラルドと次のタカは与えないと、サイズの問題か。
そうそう、ゼルダの話も結構出てくるんですよね。ゼルダってフィッツ・ジェラルドを読んでる人は名前だけ知ってるし、フィッツ・ジェラルドの奥さんでちょっと破天荒やったぐらいのことは知ってる人は多いと思うんですけど、実際なんかどんな感じやったんかみたいな雰囲気がすごいわかる。
すごいキャラ立ってて、この本本当に食っちゃってるというかね、読んだ後一番記憶に残るのはフィッツ・ジェラルド夫妻ですよ。
最後やからっていうのもあるし、一番知名度高いっていうのもあるし、序盤から中盤にかけて短い章が結構ポツポツと続くから、なんの気なしに読んでて、普通に日記本読むような感じでエッセイを読むっていうルーティンかな。
一つ10ページぐらいですもんね。
しかも知らん名前とか知らん地名とか、当時の話がいっぱい出てくるから、あんまわからんかっても普通に読み進めるみたいな感じで、結構穏やかに読んでいくじゃないですか。
終盤になって、すごいピッチが上がるというか、山場がすごい現れてくるんで。
フィッツ・ジェラルドはだって50ページぐらいありますから、一番長い。
しかもなんかエピソードがでかい、強いというか、ヘミングウェイと旅行する話とか、あと僕これ、ほんまなんかこの本の一番ハイライトで、もうちょっとネタバレに近いんですけど、
グレートギャツビー賞のとこ、あそこ一番山場じゃないですか。
フィッツ・ジェラルドに対して厳密してて、ヘミングウェイは印象よくなかったけど、グレートギャツビー読んだ時のなんか、
だから多分ずっとこの本はそこで引き継がれてるんじゃないかっていうぐらい、引きが強かったんで。
これもうほんま最後の最後になるんですけど、250ページのところにこんな良い感想あるかっていう感想を書いてるんですよね。
ここね。
最後まで読み終わった時、私は悟ったのだ。スコットが何をしようと、どんな振る舞いをしようと、それは一種の病気のようなものと心得て、できる限り彼の役に立ち、彼の良き友になるように心がけねばならない。
やっぱり作家同士のつながりだから、作品が良いっていうのは何よりの魅力なんでしょうね。
そうですよね。こんだけのものが書けるんやったら、グレートギャツビーのような傑作が書けるのは、前後の緩急というか、盛り上がり。
このね、ここに来るまでの振りみたいになってますもんね。どんどん遅刻されたり、なんか体調悪くなって、体温計絶対欲しいみたいなんでね、振りますけど。
旅行終わった後なんですよね、この本渡されるのが。グレートギャツビーの後の功績みたいのを僕らは知ってるじゃないですか。
だから余計ここで、やっぱこの人はこの時点でわかってたんやみたいなのがね。
そうですね。
全然売れなかったらしいんだよね、この本によると出た時。で本人もそれをすごい気にしてて、なんか売れない、長編めっちゃ頑張って書いたけど売れへんかったみたいな。
そうですね。
なんかいろんな人出てくるけど、やっぱりフィッツ・ジェラルド一番、この本では光ってたなと。
あの幻滅するヘミングへの描写は結構面白かったですよ。
そう、なんかブチギレるんすよね、まだ来てないっていう。
そうそう、なんかそもそもスコット・フィッツ・ジェラルドがなんかちょっと別の場所に車を残したままパリに来ちゃったから、一緒に車を引き上げるついでに旅に旅行しようぜっていうね、誘ってきたけど、汽車に乗ってこない。
なんかそこで一人で切れるけど、なんかこれはまあ抑えて後でまた旅行があるから、すごい我慢するんですよね。そっからずっともうずっと我慢するんですよね。
そうですね、結構ヘミングへはなんというか穏やかな優しい人みたいになってますけど。
フィッツ・ジェラルドとの旅行のとこを順番にメモでとってたんですけど、まず最初フィッツ・ジェラルドと旅行に行くって言った当日、フィッツ・ジェラルドが電車に乗り遅れる、ヘミングへ起こる、車にまで着いたけど車に屋根がないっていうことを知る。
で、雨に濡れるって。それでフィッツ・ジェラルド酒を飲みすぎて体調崩すって。ヘミングへうんざりって。どっかで止まるんですよね、もうしんどいからと言って。
で、フィッツ・ジェラルド体温計欲しがる、風呂の温度計しかないって。
そう。きっちゃこねるんですよね。
で、平日だとわかると元気になって酒を飲むフィッツ・ジェラルドとね。ずっとそれがね、続くんですね。すごいうんざりする。帰ってきてからちょっとゼルダが嫉妬するんですよね。旅行を2人で楽しみやがってみたいな感じで。でも全然そんな楽しい旅行じゃなかったみたいな。
あとね、私が面白かったのはね、フィッツ・ジェラルドがホテルに一泊して、で、まあ次の日、いよいよ車をピックアップして帰ろうときになって、ピクニックランチをホテルで作ってもらおうって言い出して、それもなんかもう感情払い終わって、もう行こうぜって段になってから、いやもう絶対作ってもらおうみたいな。
チキンがうまいって言ってたよみたいな。
で、1時間近く失われたとか言って。
5倍ぐらいの値段やったって。
そうそうそうそう。じゃあね、ゼルダに振り回されているフィッツ・ジェラルド自身も結構人を振り回すタイプ。
ああ、まあそうですね。
ヘビング映画もその最初の遅刻した時点で、フィッツ・ジェラルドのことをスコットからフィッツ・ジェラルドに格下げしたって感じで。
呼び方がね。
もう下の名前じゃなくてもう。
距離ができますね、人と親しみの。
そう、これがちょっと笑っちゃいましたね。
当時のパリの芸術シーンと著名人
多分こういうが結構しっかりあったからなんでしょうけど、ちょいちょいやっぱ著名な人はジョイスとかちょっと出てくるじゃないですか。
でもジョイスのエピソードは全然ないんですよね。
そうですね。
一緒にカフェで。
やっぱり世代が同じっていうのもあって、ジョイスはほぼ喋ってないですもんね。
そうですね、ちょっとだけ181ページにちょっと出てきますね。
なんかエピソードでも出てくるけど、本人が出てくるのはこの辺ぐらいかな。
あーこれか。
ジョイスとばったり会ったみたいで。
そんな深い話じゃないですもんね。
ジョイスの話自体はちょこちょこ出てくるんですね、その前から。
そうですね、あるレストランでよく彼が家族とご飯食べてるのを見かけたとか。
うん、まあすでになんか有名な人やったからみたいな。
そのシルビアビーチっていう図書室兼本屋さん、あそこがユリシス出したんとかですね、確か。
そうですね、シェイクスピア書店ね。
私このシェイクスピア書店の本も読んだことあるんですよ。
シルビアビーチがこの本屋さんを作った経緯みたいな。
それも結構面白かったし。
これずっと気になってたんですけどね、この辺のアメリカ人とかイギリス人とかとの交流が多いじゃないですか。
これずっと英語やったのかなとかね。
そうですね。
なんかね、私この本読み終わった後に映画のミッドナイトインパリ見たんですよ。
知ってます?
見ました、前に。
あれに現代の脚本家が1920年代のパリにタイムスリップするっていう話で、フィッツジェラルドとかヘミングウェイが出てくる。
そうですね。
来てましたけど、確か脚本家はアメリカ人なんで、その人とは英語で喋りながら、店の人とは英語以外の言葉で喋ってたから、
多分あれはフランス語なんじゃないかな。どっちも喋ってたんじゃないですかね。
ヘミングウェイも結構長いことを進んでたから、ちゃんと勉強してたんですけどね。
ウディー・アレンですね。
そうそう、ウディー・アレンの90分ぐらいの映画だったんで、見やすかったですね。
ちゃんとガートルード・スタインが出てるんですよね。
そうそう。ウィキペディアで見た風貌とめっちゃ似てましたね。
移動祝祭日の序盤が結構ガートルード・スタイン、ミス・スタインの話が続くんで。
詩人かつサロンをしてる女性ですね。
この辺をね、知ってたらもうちょっと楽しめるかなと思いますね。
当時のこととか、その人のこととか。
イズラ・パウンドとかも、ちゃんと有名やった人みたいなんで。
中未来とか私もちょっとわからなかったけど。
ミッドナイト・イン・パリも知ってる人が出てくるから、なんかすごい場所や、みたいなのはわかるけど、
知らんかったら、いまいちわからんかったりするんで。
この本に出てくる、我々の知ってる有名人と言った、シャア・ウッド・アンダソン。
ワインズバーグ・オハイオの。
最初の方に、そうですね、ちょっと。
45ページか。会話に出てくるぐらいですけど。
そのサロンにいたみたいな感じですよね、確か。スタインの。
なんか本当にその時代の、なんていうか、芸術家が集まってたんだなって感じですよね。
日本で言うと、なんか文壇みたいな感じですけど、その文学以外もいろんな分野の人が交流があったような。
小説家と画家と詩人と。
映画と結構、ほんまに合わせて。
よかったですよ、後で見たら。
いるとかいいと思いますね。
ヘミングウェイの文体と村上春樹との類似性
僕はなんか、もともと映画見てたから、この本読んで、ミッドナイト・イン・パリ思い出しました。
こんな感じだったよな、みたいな。
あと、僕はほんま、些細なことを結構いろいろメモしてるんですけど。
やたら下ネタ多いのは、ちょっとムラクエ・メラルキっぽいなとか。
下ネタってそんな多かったですか。
割と序盤の方にもあったし。
ミス・スタインとの会話ですかね。
女性絡みの話が割と出てくるじゃないですか。
ミス・スタインとの話もあったし、あとなんか、ほんまに軽いギャグみたいな。
あー。
ギリシャ式とかだったかなって。
はいはいはい。
そうですね、なんか友達と軽口叩いてる時にそんな話してましたね。
なんかその辺の、あんまり英米文学というかアメリカの作家で、そういう感じで書いてる人の本あんま読んでこなかったんで。
うーん。
なんか村上春樹っぽい下ネタの差し挟み方をすごい感じましたね。
村上春樹っぽいっていうのは、私は比喩でも感じましたね。
あー。
村上春樹は影響を受けたんだろうなと思いました。
16ページの後ろから3行目あたりから始まる美しい女性が現れたシーンなんですけど。
はいはいはい。
女性を形容する時に、もし雨に洗われた滑らかな肌の肉体からコインを鋳造できるものなら、まさしく鋳造したてのコインのような若々しい顔立ちをしていた。
村上春樹が書きそうな自由だなとか思いましたね。
なんかその日っこい感じがね、ちょっと近いなと思ったね。
なんか私がそんなに下ネタを感じなかったのは、多分奥さんとの描写って、すごいこう、なんていうんでしょう、すごいキラキラしてません?
うーん。
なんかこう若い二人が知らない国で、なんかこう貧しいながら生活していくっていうところで。
特に奥さんがすごいこの本では美しく描かれてたから、その二人の生活にはあまり下ネタとかは出てこなかったし、なんかそこの印象が結構私の中では強かったですね。
僕はでも奥さんとのやりとりでも、やたらとベッドで愛し合ったって書いてるのが、それわざわざ。
それはね、それはいいんじゃないですか。
何回も出てくるんです、それが。
なんかそれ、わざわざ入れるとこがね、ちょっとぽいなと思って。
やっぱちょくちょくありまして、なんかそのカフェで会う年上のおっさんが女二人連れてるみたいになったじゃないですか。
ありましたね。
ああいうとこでなんか電話番号渡されるとか。
はい、ありましたね。
なんか行くに決まってるやんみたいな。
言ってると、そういうのを入れたりとか。
この辺はだから、創作っぽくない内容やから余計そう思うかもしれないですけど。
だからフィッツ・ジェラウドの作品とか、あとサリンジャーの作品とか、僕はアメリカの文学やったら同世代やったら読んでるけど、全くないんで、そういうの。
うん、まあ確かに。
雰囲気というか。
サリンジャーなんて特にそうですしね。
そうですね。大人の男女が出てくる作品やけど、そういうねちっこさというか、いやらしさみたいなのを全然感じないんで。
このヘミングへからすごい出てきたなと思って。
それこそシャーウッド・アンダーソンをね、ワインズ・バーゴ・ハイオーもそんなのなかったし。
雰囲気として、あとは特徴やなと思いましたね。村上春樹っぽさ。
全然村上春樹の方が後ですけど。
妻との関係と作品の解釈
なんかその、さっきも言ったそのスコット・フィッツ・ジェラウドの印象が最後もめちゃ強くなりますけど、
冒頭、最初の方、中盤は結構奥さんとの生活のみずみずしさとか、なんか幸せな描写がすごい出てきたから、
ここは結構読んでて美しいなと思ったし、でもそれをこれ書いたのがもう晩年で、実はもう別れていたっていうふうに。
分かってからそれ読むと、何て言うの、思い出を美しく描きたかったのかなとか、
やっぱり振り返るからこれだけ綺麗に描けたのかなとか、こんなふうに思いましたね。
ちょっとね、奥さんいい人すぎるんだよね、この本の中で出てくる。全肯定じゃないですかね。
奥すぎるというかね。これはかなり本当に晩年思い出しながら書いてるなっていうのは思いますね。
それもあるし、ほんまに多分いい人やったんやろうなっていうのが、不倫した後も全然、別れんと途中までついてきてくれてたじゃないですか。
不倫相手と一緒に住んだりとか。
なんか多分奥さんの方がずっと我慢してたというか、日がなかったんやろうなっていうのがわかるじゃないですか、なんとなく。
そうですね。だってヘミングへ行ってこの日は渡上の印税を全部奥さんに渡してたって聞くし、奥さんはひどいことはせずに、どっちかというとヘミングへの方が一方的だったんでしょうね。
このだって本での書かれ方とかもそうやし、思い出の振り返り方自体も、やっぱりその後ろめたさというか罪悪感みたいなのが感じます。
後悔とまではいかへんけど、なんか悪いことしたなみたいな感じはすごいありますもんね。しかもなんか最後の最後にちょっと人のせいにしてたりとかね。
なんか近寄ってきた女となんかそそのかしたやつがいたみたいな。なんかその分断のなんかそういう悪に乗せられたみたいなやり方してるんで。
それはね、解説には結構書いて。
都合良すぎるみたいな。解説は面白かったですね。
解説は面白かったです。
客観的な事実との照らし合わせて、これがどこまでこう間に受けていいものかみたいなのをね、ちゃんと検証してるっていうのもね。
そうそう。
だからまあそういうなんか不倫の話とか、離婚とかそういう話はこの本で全然出てこないんですけど、本文の方では。
作家としての試行錯誤と創作論
注釈で解説があって、後書きでちょっと書かれてる。役者の後書きで書かれてる。だから僕はやっぱこれ通して読んで、やっぱひびわまたのオールは読まなきゃいけないのだって思いましたね。
登場人物とかもすごいモデルになった人が出てくるっていうのが解説、注釈で書いてあったんで。
確かに。私はね、学生の時に読んだけども、さっぱり忘れてるから読んだ方がいいな。
直後とかはほんまにいいかもしれないですね。
あとはまあ、ほんまひびわまたのオールさっき読んでた方が面白いかもしれないですけど、逆の順番でも全然楽しめると思います。
誰が誰のモデルみたいなのは。
結構書いてますね。
照らし合わせてみると面白いかもしれないですね。
でも僕はそんなとこですね。
私はあと何かな。自分、ヘミングウェイの自分の文学を立ち上げるみたいな、そういう文学的野心もすごいいっぱい書かれてて、そこも結構よかったですね。
無駄な比喩とか描写をそぎ落とした簡潔な文章がいいみたいな、そういうところに自分がどういう風にしてやっていけばいいんだろうみたいな、その辺の試行錯誤だったり、
それが世間に受け入れられるかっていう迷いだったり、結構いろんなところに書いてて、これはかなり面白かったな。
これだから、パリに渡ったのが確か22歳とかそんなんですか。
そうですね。
で、途中で25歳って言ってるところがあったりとか、ほんまその20代の最初の方に、なんかこんだけ切磋琢磨してるみたいな。
で、最初はそういう記事を書いたりっていう副業をしながらも、なんかそれをやらんでいいようになるまで。
そうですね。副業との欠別っていう章と、その前後で偽りの春と空腹は良き修行っていうところが特に多かったですね。
役者の跡書きで、結構その辺のネタバレじゃないけど種明かしみたいな感じで、最初の奥さんはめっちゃ金持ちやったっていう。
実は貧乏生活はちょっと狙ってやってたっていう。
修行のためみたいな。
ちょっとずこってしましてけど。
だから奥さんは実質そんな困ってはなかったし、本人もいざという時に困るかって言うと、そういうお金はあったみたいな。
ただまあ質素に暮らしてただけっていう。で、なんかそのフランスはすごいブックが安かったとか当時。
そうですね。
で、そういうアーティストが集まってて、なんかそういう時代あったなっていう。
創作論で、でもなんかちょっとやっぱり僕は村上春樹近いなっていうのが、24ページの最後のところの一回書くのはやめたら書き始めるまでその副品のことは考えないとか。
なんかそういうのはほんまに今村上春樹がやってる書き方っぽいんだなと思って。
朝に書いて、で午後からはなんか全然違うことやるみたいな。毎日やるみたいなのを言ってたんで。
で、その仕事のことは仕事の時間以外にはなるべく考えずずっと溜めとくみたいな。
そうですね。
これ、だからこっから学んだんちゃうかなっていうぐらい似てるんで。
毎日机に向かうとかね、決まった時間、なんか夜中とかじゃなくて。
「偽りの春」と「空腹は良き修行」の章
偽りの春っていう章70ページから始まるとこですけど、
最後の84ページの最後の2行目からですけど、
これヘミングウェーと奥さんが1日楽しいデートが終わって、ご飯も食べ終わって、あと寝るだけっていうそういう場面なんですけど、
素晴らしい食事を味わったけれども、食事を終えてすきっ腹が満たされても橋の上で抱いた空腹感のようなものが残っていたっていうのがあるんですね。
で、なんか眠るときもずっとその空腹の問題が気になっていたっていう。
ここはずっと最初読んだときわからなかったんですよ。
はい。
ここってなんか引っかかりました?そもそも。
えー、これはあんまり何やろうな。ちょっと僕はそのあんま覚えてないね。細かいところを。
なんとなくお腹が空いたから食べないって言って食べて、美味しかった、楽しかった、でもなんかあの空腹って肉体的なものだったのかなっていう疑問をヘミングウェーが抱えてるんですよ。
で、私なんかこの話すごい楽しそうな1日を描いてたのに、なんか最後にヘミングウェーもやもやして寝るっていう、ちょっとこう消化不良な描写で終わってて、
これ何なのかなと思って、1回よくわからなかったから何回か読んで。
え、じゃあこの偽りの春っていうタイトルは何なんですか。
これ多分ね、私がノクターンの感想ですけど、なんかそのお腹空いたからご飯食べに行こうぜって言って食べたレストランが、なんかジョイスがよく家族連れで来てたところなんですよね。
で、ヘミングウェーはそんなにお腹空いてないけど楽しいしご飯食べてっていう感じで、なんかこう普通に楽しんでたと思うんですよ、デート。
このショーの前の空腹の修行かな、ニコアとか空腹は良き修行っていう話もある通り、なんか空腹って結構文化、作家として大事だみたいなことをこの人書いてるんですよね。
空腹状態にあるときに研ぎ澄まされて、良いものを書けるみたいな、そうやって空腹であるべき自分の調節家としての姿勢がここでちょっと崩れて、
なんか別にお腹空いてないけど、なんとなく食べて、今一日楽しかったみたいな、なんか作家としてなんか自分が抜けてるというか、ちょっと緊張感なくしてんのかなっていうふうにヘミングウェーは思ったのかなと思ったんですよ。
それはジョイスが使ってたレストランっていうことから、なんかジョイスみたいな立派な人がいるっていうのが頭にちらついて、
でも自分はジョイスほどまだ作家としては確立してないのに、なんかまた肉体的にお腹が空いてるわけじゃないのに、なんかご飯食べてデートして楽しかったみたいな、
それってジョイスと比較したときに、自分まだ作家としてダメなんじゃないみたいな、なんかそういうモヤモヤを抱いたのかなって思ったんです。
これが最初はすぐにわかんなかったから、何回か読んで、今言ったような仮説を立てたんですよ。
で、タイトルが偽りの春って書いてるから、なんか楽しかった春だけど、でもこれってまだ自分が作家としては確立してないし、まだ本当の春じゃないっていう意味を込めてんのかなとか。
あーなるほど。あんまり内容を覚えてないですけど。
ページも少ないから、かなり想像で今話しましたけど、最後の終わり方は唐突だったから、ここがね気になったんでしょう最後。
そうですね、この時期はね、まだトロントの新聞の仕事をやってますからね。
この偽りの春以降の発服行との決別、空腹は良き修行のこの3つ結構、小説家としてどうやっていこうとかを考えてる、読みごたえのある小説家ね。
その他の章とヘミングウェイの人物像
この本もほんまに序盤の流れって感じですね、この辺は。
なんかその後のマドックス・フォードと悪魔の使徒っていうのと、その次の新しい文学の誕生ってめっちゃ会話の多い章なんですけど、これもね短いんでぜひ読んでほしいんですけど、これ聞いてる人に。
これも結構面白かったな。なんか黙殺してやったぜ、みたいな。
こういうですね。
新しい文学の誕生はちょっとヘミング絵が結構口汚く、お前なんで来てんみたいな、俺が気に入ってるカフェで仕事してんのにあっち行けよみたいな、なんかその会話のテンポが読んでて面白かったですね。
まあでもそういうのはですね、この辺はほんまにパリで出会った嫌な人みたいな、そういうのばっかりでしたもんね。
まあそれぐらい。
これよくわからんなと思ったんですけど、このミス・スタインとの決別の流れもいまいちよくわからないんですか。
確かここは詳しく経緯が書かれてないですよね。
なんか何が嫌で、でもなんかいろんな人と付き合いがあって、でもみんな離れていくみたいな、書いてて十分もそうなったっていうその経緯を書いてるけど、その経緯のとこはいまいちよくわからなかった。
結局ミス・スタインとヘミング絵はずっと仲が良かったわけではないのかな。
なんか途中からインタビューとか雑誌とか、なんかそういうので批判されて怒ったみたいなのが書いてありましたね。
ヘミング絵はね、やっぱりこう、偏屈な人やなっていうのは読んでてわかるんで。
老人富の時からもそれは雰囲気はずっと出てたんで。
なんかスコット・フィッツ・ジェラルドとの旅だけ読むと常識人みたいな、ちょっとこうフリーバーサル役になって。
それは相手が相手やからみたいな、あるんじゃないですかね。
結構でもすぐ怒る人やし、確かサリンジャーがちょっとヘミング絵はマッチョすぎて嫌やみたいな感じで、あんまり付き合いがなかった。
戦争行った時期が一緒やったから関わりもあったけど、なんかそういう感じで言ってたんで。
ザ・アメリカ人みたいな感じじゃないですか。
あのね、解説だったかな。なんかヘミング絵はマッチョなイメージ持たれてるけど、実はボクシング弱かったみたいな。
それを誰かに書かれてめっちゃ怒ったみたいな、解説だったかな。
ありましたね。
そういうなんか自分のセルフブランディングになってるイメージと、ちょっとそこのズレみたいなのを言われたら怒るみたいな。
自己評価が高いって書いてあったかな。
作品全体の感想と今後の展望
なんかまあそういう有名な本はね、いっぱいあるんですけど、全然通ってないんで。
この本結構私気に入りましたね。
なんか一個一個短いからパラパラっと読むのにも適してるし、その若い夫婦の楽しい日々とか、作家としての試行錯誤とか。
でもフィッツ・ジェラルドとの旅行記も楽しかったし、なんかすごいいろんな面白がり方ができたんで、またこうパラパラっと読みたいなと思いますね。
僕はやっぱりひわまたのボールぐらいは読んだかなっていうのは思いましたね、これ読んで。
次ひわまたのボールでもいいですよ。
そうですね。
それぐらいが一番わかるかもしれないですね。
じゃあそんなとこにしておきます。
はい。ありがとうございました。
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