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2024-11-13 32:14

気になる本、最近読んでる本 2024.10

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今回話題に上がった作品は、

  • 蟹ブ店番日記
  • ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」
  • サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」
  • アガサ・クリスティー「春にして君を離れ」
  • 津村記久子「水車小屋のネネ」
  • レコード大好き小学生カケル
  • 〈悪の凡庸さ〉を問い直す

https://twitter.com/booksandsoon
#zattoh

サマリー

パーさんが新しい本『カニブ見せ場日記』を出版し、バージニア・ウルフの新訳文庫も登場します。また、夫妻間の理解不足を描いた小説への深い考察があり、結婚生活の現実とそれに伴う課題が語られています。このポッドキャストエピソードでは、最近の読書体験についてお話しします。アガサ・クリスティの小説や新たに発表された「水車小屋のネネ」、さらにはハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」についても触れ、文学や人間関係についての深い洞察が語られています。最近の研究では、アイヒマンの人物像に関して従来の「悪の凡庸さ」という概念とは異なる新たな解釈が提唱されています。このテーマに基づき、アーレントとアイヒマンに関する様々な意見が交わされる興味深いフォーラムが行われ、異なる立場からのアプローチが明らかになります。

新刊と文学作品
この間、知ったのが、パーさん、新しい本出してました。
そうですか。
あの、ジン。
えー、なんていうタイトルですか。
カニブ見せ場日記。
えー、あの、今、仕事してるカニブックスの。
そうですね。多分、それ、文学日まで並ぶと思います。
あ、それは、楽しみ。カニブですか。
カニブ、カニブックスのカニブ。
えー。
これ、ツイッターXで見かけました。
カニブに。
これ、多分、ほんま間違いなく並ぶと思いますけど。
本当ですか。
冬には。
これ、楽しみですね。
買うものできたっていう感じ。
私は、なんか、あ、そうだ。
バージニアウルフの東大絵っていうのが、新訳で文庫化されるんですって。
あー。
新訳って言っても、なんか、以前、川での世界文学全集で出てたものが、
本社変わって新調文庫で出るそうなんで。
同じ内容って。
そうですね。同じ人が。
まあ、多少変えてるかもしれないけど。
あの、文庫で新しい新訳が読めるから、東大絵読むんだったら手に取りやすいのが出たっていうのが。
小説のテーマ
しかもね、文庫一応シリーズとしては、スタークラシックスっていうシリーズで、
これ、以前あの、ワインズバーゴーハイをやった時と同じシリーズなんで、これがまた充実してくるっていうところです。
バージニアウルフはやっぱり東大絵読まんと、みたいなのがね、言われてますからね。
そう。
ちゃんと文庫で出ると、やっぱり手に取りやすいんで、これはちょっとつんどく入りますね。
で、あとスタークラシックスで言うと、サリンジャーのこのサンドイッチ、マヨネーズのやつ、あれも文庫化されるみたいですよ。
あれ新調でしたっけ、もともと。
そうですね、新調ですね。
あとは僕はその、前回、前回って言ってもだいぶ人理解が挟まってるんで、3回ぐらい前ですけど、
最近読んだ本って言って、紹介してもらったやつを読みましたっていう、僕も読みましたっていう。
これは多分奥さんが聞きたいと思うので、この話は。
僕は昨日読み終わったばっかりなんで、割と覚えてるんですけど、
ポーさんは2ヶ月ぐらい前に読んで。
そうですね、大体の流れは覚えてます。
結構僕はこの解説の文章とかにどう捉えたかみたいな、この作家の栗本薫っていう人が、この本どうやったかみたいなの書いてあって、
それも面白かったなと思って。
これちょっとあんまり覚えてない、どういうところが面白かったですか。
解説の人は、結構身近にそういう人がいて、春にして君を離れの主人公のお母さんみたいな人がいて、
この小説自体が恐ろしくて悲しいっていうふうに書いてあって、
恐ろしい理由がやっぱり身近にそういう人がいたから。
読んでこんな気持ちになった小説を始めてみたいな。
全然前向きじゃないし。
あと、旦那さんも読んで、旦那さんは夫のロドニーは嫌なやつだっていう感想だったんですよ。
で、その夫のことも結構書いてあって、ロドニーは本当にただ被害者面を知ってはいけないって言って、
ちゃんと彼女に向き合わなかったのはロドニーで、彼自身も密かに愛していた友人の妻があり、
己の人生に対して常に不誠実で、っていう、そういうふうに書いてあるんですよ。
怠惰でとか言って。
だからジョーンの罪がロドニーの罪でもあるって言って。
そういうふうに書いてましたね。
割とそういう目線もあるんやなと思って。
まあね、長年やっぱり夫婦してたら共犯関係に夫婦はなってるでしょうしね。
ロドニーだって、なんだかんだ言いながら奥さんにガミガミと言うか、言われることをある程度は心地いい面もあったと思うんですよ。
やっぱり、なんかそうやって。
それ全くわかんないです。
いや、なんか私はね、わかりますよ。
そういう、こうしなさいとか、こうしたらいいよみたいに言われるっていう鬱陶しい反面は決めてくれるし、ちょっとそこに安住してた面もあると思います。
無責任やなと思いますよね、そういう点では。
ロドニーがですか?
人の決定に従うだけで、みたいな。
自分の人生に。
そうですね、文句言うみたいなね。
俺は嫌なんだけどなーとか言って、まあでも言われたしなーとか言って、そういう自分の判断とか責任を回避していってる感じはないとは言えない。
だからなんか、誰は正しいとかっていうのはあんまないんやなっていうのは思いましたね、読んで。
なんかその奥さんに僕は言われたのが、これじゃあどうしたらよかったっていう話はなんか思いつくっていう。
で、自分はやっぱりそれが思いつかへんかったみたいなことを言ってて。
で、僕は結婚したんが間違いやって話をしてて、そんな言うんやったら、その相手じゃなくて結婚せへんかったらよかったやみたいな感じで普通に言ってたんですよ。
だから僕は結構これは破綻夫婦やと思ったんで、家庭って言ってもいいですけど。
まあでもよくある形でもあるなと思いつつ、みんなが分かり合って幸せみたいな感じではないから。
でもその原因はやっぱり一番お母さんがあると思うけど、それがこの本のテーマになってるんで、この家庭の生き違いみたいなのはなんで起こってるのかみたいなのは。
価値観と環境
でもそれこそガラスの靴じゃないですけど、結婚して分かることもあるじゃないですか。
恋愛から現実の結婚生活になった時に奥さんのそういう面が分かったっていうこともあるだろうから。
だからこれ時代が時代やったら別に離婚しててもおかしくないですよね。子供がいなかったりとか。
だからどうすればよかったかっていうと、分かった時点でちゃんと適当に流さずに、どこかでぶつかっておけば変わってたかもしれない。
ロドニーが。
もっと早い段階でそういうのはやめてほしいとか、僕はこういうことがしたいんだっていうのをやっぱりどこかでちゃんとぶつかっておかなかったことが、今までずっと尾を引いてきているんだろうなと思います。
もうその一番最初の弁護士辞めて農家になりたいっていう動画あったじゃないですか。
あそこでもう決定できあったじゃないですか。
引き返せないみたいな。
で、俺はこの道へ行くんだみたいな、その奥さんの言うことを聞いて、もうしょうがないって決定してるけど、でもあの段階でジョーンが農家になるロドニーっていうのをどう頑張っても支えられないじゃないですか。
で、ぶつかったとして、やっぱそこで別れるのかなって。子供がいるからなと思う。ロドって難しいなと思いました。
だからあそこ以上に決定的だったところっていうのがやっぱないんかなと思います。仕事を続けるのが辛い、弁護士の仕事を続けるのが辛いっていうのが分かったっていうところも含めて。
でもまあ弁護士はするけど、農家も実はすごいやりたくて、まあでも農家専門でいけないとしてもこれぐらいはさせてくれよみたいななんていうか交渉というか。
でも弁護士の仕事をしながら多分無理やっていうのは自分も思ったんじゃないですか。仕事忙しすぎてほとんど休んでへんみたいな感じだったじゃないですか。それはどっちかしかないって思ったんだなと思いましたね。
創造の話になりますけど、やっぱりそうなる前に忙しくそんなもう。
子供作る前にっていうのが僕は一番思うんですよ、やっぱり。
まあ離婚せずとも何かしらね、もうちょっと。
そうですね。
私はやっぱりそんなにまだ身近にないかったんで、結構フィクションとして、まあこういう人いる、わかるかもみたいので、ちょっと楽しく読んだし、
なんならあの列車、列車出る瞬間にロートニーがもうちょっとウキウキしてるのが漏れちゃってるじゃないですか。あそことか結構笑っちゃいましたけどね。
いやいやそれはめっちゃ面白いよ、全然笑うとこだと思うんですけど。
やっぱラストすごい、ラスト結構私なんていうか、ああやっぱそうかって。
うんうんうん。
あーちょっとそこは重かったですね。
最後どうなるっていうところで、ああなって。
僕これすごいラストのとこは、もうすごい岸感あるなって思って。
まあ自分とか身内とかっていう感じじゃなくて、なんかこういうのよくあるなっていうのすごい思って。
あのー特に海外行って目が覚めたとか、なんか違う経験して、海外じゃなくてもいいですけど日本の都会とか行って、考え方変わったとか言ってる人が地元に帰って元に戻るっていう。
あー世界観180度変わったわとか言ってて、戻ってきたらまた。
場所とかに結構依存する、自分の価値観やったりとか、なんか考え方とかって、環境にすごい依存するなっていうのはすごい思って。
だからその海外行った人がなんでこんな考え方してんの?みたいなのよくあるんで。
戻ってきた人に対して。
あ、そうですか。
あーあんな海外の体験してんのに、すっごい日本で別に日本人。
めっちゃ染まってるから、思考の回路というか、なんかもうちょっと別の発想とかっていうのがあるの知ってるはずやのに、
で、一時期は自分もそれができたのに、全然そこが元に戻ってしまってるとか、家に帰ったら元に戻るっていうのはその通りだと思うんで。
その都会に出てた人もなんか田舎に帰ったら、やっぱり田舎の生活に合わせなあかんのかっていうのがあるじゃないですか。
人とか環境とか。
だからそうなってくると元に戻らざるを得ないのかなとか。
リアルっちゃリアル。
その辺とすごい僕はかぶったんですよね。
みんなだから。
コノンさんはどうなんですか?海外よく行かれてたじゃないですか。
旅行とかで。
むしろあんまり海外って変わらなかったとかそういうことはないですか。
そうですね、あんまり変わらなかったですね。
てか何もその一緒やなと思ったんで海外行っても。
もうちょっと口上に話しちゃおうと。
なんていうんですかね、僕はその海外行ったらもっと日本と違うかなって思うことがあったんですけど、
でもあんま変わらへんなと思ったら、で帰ってきたって感じでした。
海外の人の考え方とか、あとなんていうんですかね、まあ生き方とか。
でもなんか人との距離の詰め方とか、時間に関する価値観みたいのは違うと思うんですけど、
合差ぐらいなんですかね、それは。
それはやっぱり人に関してはもう相手ありきなんで、やっぱ相手に合わせるじゃないですか。
だから日本の付き合い方と海外の付き合い方ってやっぱ全然変わってくるし、
日本に帰ってたらやっぱ日本人に合わせなあかんから元に戻るっていうのはありますし、
その時間とかに関しても一緒ですね。
生活スタイルが違うんで、海外の方がっていうか国にもよりますけど、
僕はそのゆったりしてた方が楽やったなんていうのもあったし、
で日本帰ってきてそれができるかっていうとやっぱりできないんですよね、実際に。
その踏ん刻みで動いてるじゃないけど、なんかそういうのが当たり前になってるんで、
自分だけこうそういうことやると浮くんで、
まあ一人で生活してるんやったら別にそれでもいいんですけど、なかなか難しかったですね。
だからそういう内面的なことっていうよりは外向けなことは戻らざるを得ない。
価値観ではないというか。
そうですね、どっちが好きかとかそんなのもありますけど、
こんな世界もあるんかみたいなのはずっと残ってると思うんで、自分の中で。
だからその価値観とかはあんまり変わらないし、むしろ海外の人もそんな変わらないんだって僕は思ったんで。
特にその、でもそのヨーロッパとかやったらやっぱり社会保障がとか革命がとか、
なんかやっぱ成り立ちが違うし環境が違うからってやっぱ環境に依存することが大きいんかなと思いましたね。
そのしっかり働かないとか時間にルーズとかっていうのも、やっぱりそれも環境があるからできることで、
アメリカはみんなめっちゃ必死で働くし、そういうのもやっぱり社会保障ないからとかするのが大きいから。
まあ結局環境。
でもなんかみんなやっぱり、僕はなんか、カナダ行った時すごい思ったのが、
やっぱみんなお金好きなんやなとか、金儲けのためにみんな頑張っていいんやとか、
あと見栄を張りたいんやなとか、全然日本人と変わらんやんと思ったのがすごい印象的でしたね。
なるほどね。
もっとこう、自分を着飾ったりしない、そのまんまの自分を出していくのかなとか思ったんで。
でも意外と欲望に忠実やったりとかしてたから、違うところももちろんいっぱいあるんですけど、
その砂漠でこの人は過ごしてたから自分と向き合えたっていうのがすごいあったし、
帰国後の感情
でもそういう日常に戻るとやっぱそんな気持ちの余裕もないしみたいな。
どうすればよかったのかな。
いや、なんかどうなんでしょうね。
どうすればよかったの。
常に違う見方もあるんじゃないみたいな、そんな会話ずっとやってれば少しずつ変わっていったかもしれないですよ。
そうですね、なんか強いて言えば、あと1ヶ月砂漠にいたら、もうちょっとその発見が染み付くかもしれないですね。
帰ってきてすぐには戻らないぐらいには染み付いていたかもしれない。
あとは僕はだって一番最初に思ったのが、ロンドンに帰国して真っ先に長女に会うじゃないですか。
旦那にも許しをこうとか、そのことばっかり考えると、まず長女に対して話したらいいのにって思ったけども、
それをやらなかった時点で無理だろうなって思いました。
そうですか。
なんかちょっと違うなって思われてたみたいなのがあったけど、それで終わってしまったんで、
旦那とさえ向き合えばいいみたいな思ってるのは。
でも今の時代はもうこれがちゃんと作品としてあるんで、現実的にそういう人がいたら、ちょっとこれ面白かったからって言ったら、
何冊かに紛れ込まして読んでもらったらいいんじゃないですか。
僕は読んでもわからないと思います。理解できないと思います。
こんなやついるんやみたいなこと言って終わっちゃうのかな。
てか何が悪いのかわからんみたいなのがあるんちゃうかな。
ピンとこない。
で、やっぱり違うとこはいっぱいあると思うんで、金持ちの女の人とかっていうのもあるし、
実際の家事は全然何もやってないとか、飯使いがいるから。
そういうとことか、そういう違いの方に目を取られて。
芯の部分まで届かない。
届かないと思うんでね。だから多分わからないと思うんですよ。
むしろそういう当事者よりも周りの人の方が読んで、これ誰かに似てるっていうふうに思うか。
なんかすごい話、結論というか。
あれですね、別に小説を役立たせる必要はないけど、本当に買いたいと思ってもそういう人には届かなくて、
周囲の人が、これこういうのわかるわみたいな感じで消費されていく。
周囲の人に向けてかなと思うんですよ、むしろ。やっぱりこの本自体が。本人には届かない。
結構ひどい話だなと思ったんで。
考えることから逃げ続けた愚かな少年の女性の愚かさを挙げつらう小説って書いてあるね。
そうですね、女性が書いてるし厳しいんじゃないですか、その視線が。
親子感であるんじゃないかなと思って。
もしかしたらサクレスティが娘の立場で経験したのかもしれない。
そうか、旦那さんのお母さんとか、そういう立場かなと思いますけどね。
女性なんで、夫ってことはないし。
僕は前回話し聞いたときに、家族間の愛情はあるけどその行き違いがあるみたいな、そういうふうに聞いてたんで。
僕はこれ読んでも家族間の愛情あると思えないんで。
そうですかね、私はまあなんだかんだ、それこそ共犯関係じゃないですけど、やっぱりお互いに、お互いっていうかロドニーもうんざりしつつも結構その関係に暗中しているところはあると思うんで、
そういう意味では愛情というか、関係は安定してて、暖をしてないのかな。
なんかそのロドニーに関しては、この奥さんを馬鹿にしすぎじゃないですか。
奥さんってリトルなんちゃらとか言われてませんでしたっけ。
フワーって言われてましたよ。
奥さんでありながらも子供みたいな、守るものみたいな感じの愛情は持ってたんじゃないですかね。
介護みたいな。
介護っていうよりかは子供みたいな、この子はちょっともう俺が守ってやらなきゃダメかなみたいな。
僕はもうなんか呆れてるのかなっていうのをずっと。
なんかそんな呆れただけで、そんな何年も夫婦っていうのは持つものなんですかね。
家族としての親密さはあるけど、妻としての愛はないように見て、女性としても。
そうなんじゃないですか。家族愛みたいなところで、それこそ子供に対するっていう気持ちもそうですけど。
あんまり愛情は感じなかったんですかね。まともに向き合ってないっていうのもあるけど。
だから、ちょっとひどいなっていうのは思いましたね。
最後のセリフというか、ジョーン君は一人ぼっちだ、僕がいてもって言ってるやつ。
そんなセリフあったでしたっけ。
ああ、だがどうか君が決してそのことを知ることがないようにって。
これ結構ひどいと思うんですよね。
もう自分の考え以外のところに目を向けられない妻を温かく見守る俺みたいな、そういう関係性にしちゃってるんですかね。
そう。で、俺は君のそばにいないよっていう話をしてる。
だから、この砂漠で起こったことも最初読んでた時、こんなんないやろって思ってて。
自分を振り返るみたいな。言えることがないからって言って。
私の感想とかも言ってましたね。
そうそうそう。思ったけど、確かにこういうのあるなっていう風に結局覆るっていう結末も含めて。
で、その海外に行ってとか目が開くみたいなのは、確かにあるかもしれないなっていうのはちょっと思いましたね。
だからそのままそこで暮らせばよかったんですよね、砂漠で。そういう感じが。
旅の魔法は帰ってきて解けたって。
最近の著作について
そうですね。
そういう感じでしたね。
僕が最近読んだのは、このアガサクリスティの春にして君は離れでした。
私もね小説また読んだんで、この人。
水車小屋のネネっていう小説読んだんですけど、去年の谷崎賞を受賞してて、かつ今年の本屋大賞の第2位っていう作品なんですよ。
結構ね、本屋さんって並んでるんで、見たことあるかもしれないんですけど、これ読んだんですけど、
でもその谷崎賞と本屋大賞って結構方向性違うじゃないですか。
そんな気がしますね。
その2つを取ってるって結構変わってるなと思って、すごく気になって読んだんですけどね。
結構変わってて、言っちゃいますけど、後から知ったんですけど、新聞連載の作品なんですよ。
今時あるんですね。あるかも。
あるんじゃないですか、そう。そっかーと思って、新聞連載なんですって。
それが書籍化されて、我が歯や猫みたいなもんですよね。
で、書籍化されたものが、だから新聞に載ってるというか、結構誰が読んでも面白い作品だったと思うんですよね。
だから本屋大賞も取れたし。
入り口が十分楽っていう感じじゃないっていうんですかね。
だから、でかつ谷崎賞取ってるし、私の読んだ漢字だとどっちかっていうと本屋大賞よりかなと思ったんですけど、
作者が津村輝子さんという方で、結構いろんな賞を取ってる純文学系の人なんで、
いろいろ実績も加味して、作品も考慮して谷崎賞取ったと思うんですけど、そういうきっかけで読みました。
結構写真が多くて、結構可愛い絵があって。
中にもあるんですか、これ。
そう、中にも結構あるんですよ。多分毎回連載分に1個あるぐらい。
結構ありますね、じゃあ。毎回だって毎日ってことですからね。
週1とかか。
いや、夕刊って書いてましたね。毎日じゃないですか。
絵めっちゃ出てくるじゃないですか。
すごい絵も多くて、谷崎賞っていうのでハードル上がるかと思うけど読みやすいんで、
文学的なものを読んでみたいなっていう人には割とおすすめできるかなと思います。
面白かったってことですかね。
面白かったですね。私は新聞連載とは知らなかったけど、朝ドラっぽいなって思ってて。
話としては、2人の姉妹が実家を離れて全く見ず知らずの土地で暮らすっていう話なんですけど、
姉妹の姉が18歳で、妹が小学5年生だったかな。
それぐらいでちょっと家族のトラブルで2人で暮らす必要が出てきたけど、
新しく行った町の人の優しさとか温かさになんとか支えられて暮らしていくっていうので、
30年月が経つんですよ。最初から。
確か1981年が舞台で、2011年までかな。
ピローグもコロナまで行くんですよ。結構な対策で。
でも人との関わりのノリが朝ドラっぽいピースフルな感じなんですよね。
同じ場所でってことですね。
同じ場所でずっと出会った人がもう年をとっておじいちゃんになってみたいな、
そういう時間軸も結構長いから読みごたえもあるし、人との触れ合いも温かい感じだから、
読んでてもなんかハラハラするとかっていうのはないけど、じんわり楽しめる話。
これはおすすめ。
最初の冒頭のところの話を聞いたら、幸せなホタルの墓みたいな話でした。
そうですね。そっちの世界線ですね。幸せな。
時代も違うし。
水車小屋のねねっていうキャラクターが、これはちょっと読むアイテムはないとこかな。
結構意外なキャラクターが出てきて、人間以外の。
それがずっと、そのキャラクターが割と効いてますね。
500ページぐらいあって結構分厚い、これぐらいのものだったけど結構面白かったです。
確かに明るいホタルの墓って感じですね。
ホタルみたいなのも出てくると。
そうですね、ホタル的な、ホタルではないけど、結構その象徴的なキャラクターも出てきて、
すごい読んでて温かく気持ちになれるいい小説でしたね。
これ最近2巻が出たんですけど。
悪の凡庸さの考察
大人大好き小学生書き。
これめっちゃレコードの入門書としてすごいいいです。
確かにどんな気もする。
すごい。でもギャグ漫画なんですよ、基本は。
レコードとかにも結構置いてるんですかね、こういうの。
どうなんすかね、分からないですけど。
なんか参考になった情報あります?
でも全然ありますよ、いっぱい読んでて。
知らんこともいっぱい書いてあるし、知ってることも書いてあるけど、
でも普通にギャグが面白いみたいな、そっちのほうが。
ギャグ漫画か。
全然子供向けじゃないよなと思うよな。
雑誌がそうなんですけど、ビームなんで。
目玉焼きの君とつぶすってなんか聞いたことありますね。
ドラマになったりとかしてた。
アニメか、アニメも。
音楽といえば、一人会の音楽のやつ面白かったですよ。
音楽のやつ?
カセットとかMDとか。
プレイヤーのやつ?
うん、結構意外だった。
よく型番とか覚えてますね。
型番は覚えて、調べたやつもあります。
調べるってことは、別に現物ないけど、何かしら当たればこれだなっていうのが見つかったってことですか。
そうですね。
親父からもらったやつは、岩のカセットテープで検索して、画像で見て、同じやつ見つけて、これの型番っていう。
写真見たら覚えてるんで。
覚えてるやつもありましたよね。
大体は検索してる。
私はカセットは全然通ってない。
車で親父使ってたぐらいで、私はCDから入ったし。
私ね、これちょっとまだ整理できてないんですけど、最近読んだ本で、悪の凡庸さを問い直すって本を読んだんですよ。
これは、悪の凡庸さって、ハンナ・アーレントが愛媛を形容した言葉で有名なんですけど、
愛媛ってエルサレムで裁かれた、ホロコーストを割と主導してたっていう人なんですけど、
悪の凡庸さって言葉は知ってます?
知らないです。
これなんか、エルサレムで愛媛が裁かれるときの裁判をずっとハンナ・アーレントが傍聴をしてたんですよ。
そのときに、なんでこういうふうな犯罪をすることができたんだみたいなのを分析したときに、出てきたキーワードで悪の凡庸さっていうのがあって、
一般的な理解だと、悪の凡庸さっていうのは、この愛媛が主張してたことでもあるんですけど、
自分はホロコーストは別に上から言われたからやったみたいなことを言うんですよね。
軍人である以上、上からの命令っていうのはやって当然だし、別に私は言われたからやったんですみたいな言い方をするんですけど、
そういう大きな悪っていうのは、みんなが考えるような大きな思想とか、こういうことやってやろうみたいな発想から生まれるんじゃなくて、
なんかこう、上の人からの命令にただただ従っていくみたいな連鎖で、すごい悪が生まれてしまったみたいな、
そういう結論で、悪の凡庸さって言葉を使ったんですよ。
っていうのが共通の理解なんですけど、でもその悪の凡庸さってそういう意味なのかとか、
アイヒマンの新たな理解
アイヒマンってそもそもそんな奴だったのかっていうのが研究されてきてて、
アイヒマンはそんな奴じゃなかったっていうような主張が最近、エルサレム以前のアイヒマンという本で発表されてたんですって。
エルサレムのアイヒマンという本がハンナ・アレンとか書いて、それに対応するような形でエルサレム以前のアイヒマンという本が出たらしいんですけど、
そもそもアイヒマンっていうのは、そんな命令に粛々と従っているだけの機械的な人間じゃなくて、
なんなら自分からいろいろ提案したり、上の人が望むようなことを忖度して結構積極的に動けた、ある意味有能な人物だったっていうことがわかってきたっていうような研究があって、
だからそもそも悪の凡庸さっていうのはアイヒマンの分析としてはあってないんじゃないかっていう意見が出てきたり、
そもそもそういう意味でアーレンと悪の凡庸さっていう言葉を使ったんじゃないんだよ、派も出てきたり、
いずれにせよ悪の凡庸さっていう言葉がこんなにみんなに使われるようになった現状がある上で、
その言葉をこう新たに変えた方がいいのかとか、
もう別にこの悪の凡庸さって概念自体はもうみんな知ってるし、その概念は概念で使えるから使っていけばいいんじゃないかとか、
それとももうこの言葉はやめた方がいいんじゃないかみたいな、
そういう意見をいろんな人が論文書いてまとめた本なんですよ。
アーレントの思想とフォーラム
論文と最後、講演か、なんかフォーラムみたいなの開いて、
喋ってるの半分ぐらいページあるんですけど、その2部構成で、
これは別に普通の人が読んでも読めると思います。
特に後半のフォーラムは面白かったですね。
何が特に面白かったかっていうと、書いてる人がいろんな立場の人が書いてて、
アーレント研究の思想研究の立場の人と、歴史研究の立場の人が大きく2つ分かれてて、
切り口が違うと考え方も違って、1つの事象だけど全然アプローチも違うし、
そもそも例えば歴史研究者だと、悪の凡庸さって言葉がもう機能してないんだったら、
その言葉もやめた方がいいんじゃないって言うけど、
アーレント研究の人は、そういう需要も込みで古くなってきたとしても、
そういう込みでアーレントっていう哲学者が考えてきたっていう経緯もあるから、
それも残したいとか、いろいろ相違があって、そのズレが私は面白かった。
本人の意見がないってことですか。
アーレントもその悪の凡庸さを結構厳密定義してなくて、
ポンと本に書いてるだけだから、
だからそもそもちょっと定義不足の言葉ではあるんですけど、
でもそのやっぱり悪の凡庸さっていう言葉が結構キャッチーだから、
それがすごい広まったし、たぶんアーレントも狙ってたんじゃないかみたいな。
どうなんですかね、どうなんですかね。
でもこれたぶんエルサレムのアイヒマンって最初ニューヨークからニューヨークタイムスだから、
なんかジャーナルに掲載されたんですよ、一般の人が読めるような。
だからそういういろんな人に受けるように書くっていうのも考えちゃうと思うんですよね。
だからそういうみんなに響く言葉っていうのも意識的だったと思う。
これなんとなく言ったのかなと思って。
なんか岩の話だったら。
なんかもうちょっと解説というか考えて言ったほうが良かったね。
でもなんかあれでしたね、確かに別の研究者との手紙の中で、
その手紙の相手が最初にポンって出した言葉だったみたいですね。
それにピンときたんじゃないですかね。
そういうのよくあるじゃないですか。
言葉だけが独り歩きするみたいな。
独り歩きしてる現状があるんだったら、それはそれで、それを変えるのも難しいし。
元の意味がどうとかっていうのがわからなくなってたりとか、間違ってたりとかしても訂正もされず。
研究者の立場が、分野の立場が違うことで何というか、
意見が合ってるところと合ってないところがくっきりするんで、そこが面白かったですね。
なんか普段お互いに割と敬意を持って距離を置いてるけど、
たまにこうやって会うと、それはそれで意味があるんじゃないかみたいな講演会で話してて、
なるほどなと思いました。
ちょっと付箋めっちゃ貼ってて、まだまともってないんですけど、
小説以外でおすすめ1個あったんで持ってきました。
人間の条件も読んでないですね。
私も通しては読んでないですね。エッセンスのとこだけを。
なんかアーレンにとって、私もこの人間条件の話で思い出しましたけど、
結構そういう定義がまだ、いろんな解釈がある言葉を結構使うというか、
概念を生み出すってそういうことだと思うんですけど、
やっぱりそういう言葉を作れる人だから、その言葉を巡っていろんな人の意見がまた出てきて、
っていうサイクルがあるんでしょうね。
発展途上というか、その段階で。
やっぱ思想って、やっぱりそういう資料を見つけて細かく分析するってよりかは、
結構大胆にこういうことなんじゃないかって飛躍することもあるじゃないですか。
そうですね。
だからできることもあるし、だからそれは本当にアプローチの仕方が違うってだけでどっちもありだと思うんですけど、
今すっごいエッセンスがあって話しましたけど、これはでも本当に読みやすいです。
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