10月25日、日曜日。おはようございます、こんにちは、こんばんは。 現役キャスターさおりんのゆるっと話し方tips。
はい、ということで、日曜日の朝を迎えております。 東京は曇り空ですが、雨は降っていないのかな?ちょっと外を見てみよう。
今ね、座っていたんですけれども、ちょっと立ち上がって外を見ています。 雨は降っていないですね。
うっすらとね、青空も見られます。そんな景色が広がっています。
で、今ね、街路樹が見えているんですけれども、街路樹も結構色づいてきましたね。 まだまだ緑の木もありますが、半分ぐらい、黄色とかオレンジとかに色づいてきて、秋だなという風に感じています。
皆さんところでは、いかがでしょうか。 さて、今日はですね、日曜日ということで、日曜日は雑談をお届けしています。
ゆるっと雑談をお届けしています。 ただ今日はね、ちょっとゆるっとというよりはね、しっかりめにお話ししていきますね。
タイトルにもありますけれども、50社以上落ち続けた私がアナウンサー試験に合格できた、突破できた、たった一つの理由ということです。
タイトル長くなっちゃいましたね。そうでね、この話、自慢とかでは決してないんですよ。
そもそも20年くらい前の話なので、そんなね、昔の話を自慢するなって話なんですよね。
で、本当に自慢とかではなくて、私がすごかったって話では決してないんですね。
で、むしろ本当にね、別に私学生の頃すごくなかったんですよ。
で、アナウンサーになる方って、やっぱり美人が多いんですよね。
美人が多いし、高学歴の方も非常に多いです。
かつ、学生時代に何かしらの活躍をされていた方、例えばミスコンで優勝経験があるとか、
もうすでに芸能活動をされていたとか、モデルをやっていたとかね、そんな方がものすごく多いんですね。
そんな中、私は本当に普通の女子大生でした。
で、私、名古屋の大学に通っていたので、全国的に有名な大学ってわけでもなかったんですよね。
決して美人でもないし、本当に普通の、その辺にいる、のんだくれの女子大生だったわけですよ。
だからこそ、50試合以上アナウンサー試験を落ち続けたんですけれども、
それでも最終的に、自分が行きたかったNHKの地方局に内定をいただくことができました。
今回この話は、就活に限った話ではありません。
どんな状況にも通ずる話だと思ってお話をさせてもらいます。
なので、これを聞いていただきたい方は、今何かうまくいかなくて停滞しているなぁと感じている方、
また、うまくいかないことで焦りを感じてしまっている方、
あとは、どうしても周りと比べてしまう方。
これね、まさに今の私自身でもあるんですね。
なので、今のちょっと苦しい私自身が、過去の私のエピソードに力をもらおうという企画でもあるんですよ。
そんな今言ったような状況の方も、もしいらっしゃったら、この配信が何かの役に立てば嬉しいなというふうに思っています。
私はですね、大学を卒業したタイミングで、NHKの技法総局のキャスター試験に合格しました。
NHKの場合はですね、職員のアナウンサーのことをアナウンサーと呼んで、
1年ごとの地方局との契約の人のことをキャスターというふうに呼ぶんですね。
たまにね、アナウンサーとキャスター何が違うのって聞かれるんですけれども、
NHKの場合はそういった違いです。
あとNHKの場合は、例えば政治部の記者とか、政治部に限らないんですけれども、
アナウンサーではなくて、記者の方がニュース番組のMCとかをやるときもキャスターというふうに言ったりしていますね。
とにかくNHKでアナウンサーというふうに呼ばれる人たちは、職員のNHKでアナウンス部に採用された人というふうになっています。
ただキャスターもやっていることとしてはアナウンサーとほぼ同じです。
なので今回は便宜上アナウンサー試験というふうな言い方をさせてもらっています。
ちなみになんですけれども、地方局の場合は民放でも結構実は契約のアナウンサーという方はいらっしゃいますね。
全員が全員社員というわけではないです。
アナウンサー試験の基本的な流れに沿ってお話をさせてもらいたいと思います。
これはあくまでももう20年くらい前の話なので、今とはスケジュールとか全然違うというふうに考えてください。
私が受けた当時のアナウンサー試験というのは、3年生の夏ぐらいから始まっていました。
夏ぐらいにインターンがあるんですね。本試験の前にインターンがありました。
各局いろんな呼び方がありますけれども、アナウンサーセミナーとかいうふうに言っていたところが多かったかな。
そこで要はね、局側もお互いと言っていいのかわからないけれども、目をつけるんだと思います。
そこに参加してくれた人たちの中で、ちょっとこの子いいな、受けてほしいな、みたいな目をつける場だと思います。
私は全く縁がなかったのであくまでも噂ですけれども、そこのインターンでいいなって思われた子は上級編みたいなのに呼ばれるみたいな噂も聞いたことがあります。
今度12月頃になると、大阪の準キー局の試験が始まります。
朝日放送、よみうるテレビ、関西テレビ、MBS毎日放送、そのあたりの曲が始まるんですね。
大阪の局はほぼ書類審査は突破できたと思います。
でもやっぱり知事でダメですね。
でもこの頃もね、そこまで焦ってなかったんですよ。
まあさすがに東京、大阪は受からないだろうと。
私ね、名古屋の大学だったっていうのもあってね、そんな有名大学でもないし全国的には。
そうだからそんな東京、大阪には呼んでもらえないだろう。本命は名古屋だというふうに思ってたんですね。
年が明けて3年生の1月、2月ぐらいにいよいよ本命の名古屋とか札幌とか福岡っていう、いわゆる地方都市の試験が始まってきます。
最初は京都から始まって、次に大阪、次に大きな地方都市っていう流れなんですね。
そうだからね、名古屋を受ける段階でも結構レベルの高い人たちがね、残っているんですよ。
そんなこともね、いまいちわかっていなかった私は、とにかく名古屋頑張ろうと思ってね、行くわけですよ。
でも残念ながら名古屋の局もご縁はなく、別に最終まで残るってこともなく、1時、2時くらいまでかな、までは行けるんですけれども、そこで落とされてしまう。
ここでね、最初の挫折が来ました。名古屋行きたかったんですよね、地元の局だから。
あー、ダメだったかーってね。そう、ここで初めてめちゃくちゃ落ち込むという経験をしました。
ただね、そんなことは言っていられないので、他の局もどんどん募集が始まってくるんですよ。
3月以降ね、より地方の局の募集が始まります。
で、そういったところもね、応募書類を出して。
で、まあだいたい書類は受かるところが多かったかな。
なのでその地方まで行ってね、いろんなところに行きましたね。
中にはね、あまりにも遠い、九州の局とかは東京で試験が受け入れられたので、
とはいえね、私、名古屋とか愛知県に当時住んでいたから、東京にいつも行って、東京に行くことがとにかく多かったです。
しょっちゅう東京に行っていた気がしますね。
あとは、東京で試験がないところも当然あるので、そこはもうその現地に行って、はい、行きましたね。
北陸とか結構いろいろ行ったな、長野とかも行ったし、岡山とか広島とかそっちの方も行きましたね。
いろんな局に行きました。
ただ、どこもね、ご縁はなく進んでいくわけなんですね。
で、そうするとね、4年生の5月、6月ぐらいになると、いよいよね、もう受けるところがなくなってくるんですよ。
各局も試験が終わってしまってね、内定が出てしまってくるんですね。
で、一応アナウンサー試験以外のところも受けて、内定もいただいていたんですよ。
ただ、やっぱりアナウンサーになりたいというのがどうしても気持ちが素敵でなくて、そこの内定を決まった後にお断りをするという、今思うと大変失礼なこともしていました。
で、じゃあどうするかというと、もうね、4年生の夏以降は2週目に入るんですよ。
で、2週目ってどういうことかというと、一つ下の学年の人と一緒に受けるんですね。
そう、3年生と一緒に私は4年生だけど受けるんですよ。
そういうのはね、結構あります。
で、なので4年生の夏も紀伊局のインターンから参加して、秋ごろまた紀伊局、年末には大阪、年明けには名古屋、札幌、福岡みたいなところをね、もう2回目なんですけれども受けていくんですね。
そうすると3年生の時に比べると、だんだんね、こう受かるところ増えてくるんですけれども、それでも内定には至らないわけです。
そうなるとね、いよいよ精神的にきつくなってくるんですよね。
で、何がきついかというと、私アナウンススクールに通っていたんですね。
アナウンススクールでは発声とか発音とか、アナウンス試験の対策とか、情報交換とかできるんですけれども、そういったアナウンススクールの動機が続々とね、地方局に決まっていくんですよ。
で、あと大学の友達はアナウンサーを受けてるって人はほとんどいないので、アナウンサー以外の企業に続々と内定が決まっていくんですね。
私がね、就職した年は結構売り手市場、学生の売り手市場と言われていた年で、もう誰もが知るような大手企業に友達がどんどん決まっていくんです。
うちの大学からは、名古屋の大学の中では、自分で言うのもなんですけれども、比較的偏差値が良いところなので、
大手企業の名古屋採用とか、あとは名古屋の大きなメーカー、トヨタ系とかね、銀行とかもいろんな大きな企業、名古屋ってありますので、そういったところにね、もうバンバンバンバン決まっていくんですね。
中には3つ4つ内定取れたよ、みたいな話も聞くわけですよ。そんな中、私はね、1つも内定がない状態なんですよね。内定がない方が珍しかったんです。
だから、仲良い友達はね、おさおりはアナウンス試験受けてるからって知ってるんだけれども、知らない友達からすると、なんで内定1つもないの?って言われるわけなんですよ。
そう、それがね、めちゃくちゃ精神的にきつかったですね。すごく惨めな気持ちになりました。
自分としては夢を追いかけてるだけなんですけれども、周りからすると無能って思われるわけじゃないですか。
本当に惨めだったなぁっていうのはね、覚えています。
ただ、そんな中ね、落ち込んでばかりも仕方ないので、とにかく行動をしていましたね。
最初はアナウンススクール1つだけ通っていたんですけれども、そこを3つに増やしたりしていました。
で、その3つ行っているアナウンススクールのうち1つは東京まで通っていて、
ただ、東京までね、名古屋から毎回通うの大変なので、当時珍しかったね、オンラインで講義を受けたりしていました。
今みたいにZoomとかTeamsとかは別にないので、
こう、ウェブカメラを物理的につけて、東京の先生と繋いでレッスンを受けたりとかしていたんですね。
そんなこんな続けているうちに、4年生も1月になって、いよいよ周りも卒業モードに入っていくんですよ。
卒業旅行に行ったりとかね、内定者との交流があったりとかね、そんなモードに入っていくわけです。
その頃からですね、NHKの地方局の試験というのが始まるんですね。
これね、すごく遅いというかギリギリなんですよ。
その4年生の12月から2月ぐらいに試験があって、その年の春から来てくださいっていう、NHKだけそういった試験なんですね。
NHKの職員のアナウンサーの試験は、4年生の4月ぐらいかなにあるんですけれども、
契約のアナウンサー、契約のキャスターの試験に関しては、4年生の年末から年明けぐらいにかけてあるんですね。
全ての県で募集が出るわけではないんですけれども、募集があったところはね、ほぼ応募して、
最終的に5、6局、実際にその局に試験に受けに行きました。
この頃になるとですね、ある問題が発生するんですね。
それが、卒業するかどうかっていうところなんですよ。
私、普通にね、卒業すると思って単位をちゃんと取ってきたので、もうね、残すところ、あと1つぐらいしか単位残ってなかったんですよ。
ただ、その単位をちゃんと取って卒業してしまうと、今度、新卒のアナウンサー試験に限らず、新卒の就職試験が受け入れられないんですね。
なぜかというと、卒業見込みで受けなきゃいけないってことが、ところが多かったので。
そうだから、5年生になる、留年して5年生になってもう一度就活するっていう選択肢を取らなきゃいけないんですよ。
もちろん、先ほど言ったね、NHKの地方局の試験に受かれば、そのまま卒業すればいいんですけど、受からなかった場合、留年をしなきゃいけないんですね。
親とたくさん相談して、親も納得してくれて、留年してね、また就活するんだったら、今度はアナウンサー試験にこだわらず、いろんなところちゃんと行きなさいという条件付きで、
大学5年生になってもいいよというふうに言ってもらえたんですね。
もちろんね、最後のNHK議法数局もそこそこの倍率はありましたよ。
そういった地方局でも少なくとも100倍とか200倍とかの倍率はあるということなので、決して倍率がものすごく下がったっていうかね、もう余裕になったってわけでは決してないんですけれども、
それでもね、どんどんどんどんね、周りがね、最初に比べるとね、諦めていくんですよ。脱落していくんですよ。
そこで、ただ私は諦めが悪かったってだけなんですよね。
これね、先日の井原氏カリンさんの配信でもね、同じことを話されていました。
井原氏カリンさんってね、今スタイフでは知らない人はいないんじゃないかっていうぐらい有名人ですし、スタイフの音声配信に関する御著書も出されていて、
スタイフ公式とのイベントも開催されるような、本当に音声配信の有名人となられています。
ただ、カリンさんもおっしゃっていたのが、周りが勝手に辞めていった。だから私が残っているっていうふうにおっしゃっているんですね。
私からするとね、カリンさんの魅力ってすごくあるので、別に諦めただけではなくて、カリンさんだからこそっていうのもあるんじゃないと思うんですけど、
でもご自身の実感としては、たぶん本当に私と同じなんですよね。
周りが勝手に落ちていった。諦めていった。だから私が残っただけっていう話なんですよ。
アナウンサー事件も本当に同じです。周りが勝手に諦めていくんです。だから諦めないということが大事なんですよね。
ただね、耐えしのぶだけっていうのは結構しんどいんですよ。
なので私が何をしていたかというと、ひたすら何かしら行動をしていました。不安を感じるときほど、とにかく何かしら行動しようということで行動していました。
行動もね、やみくもりがむしらにするというよりは、ちゃんとプロというか先人の教えに従おうということで、アナウンススクールにいくつか通っていました。
最終的に通ったのは3つですけれども、体験とかを含むと5つ、6つぐらいは体験していますね。
いろんなところに顔を出して、いろんな指導を受けました。
そうするとね、やっぱりアナウンススクールの先生によってアドバイスが全然違うんですよね。
違った視点からアドバイスをいただくことができるんですよ。
もともと通っていたアナウンススクールは、結構その時点でおじいちゃんというか60代ぐらいの方がやられていたので、
なのでアナウンスのスキル、発声とか発音とか、そういうところに関してはすごくしっかり教えてもらってたんですけれども、
男性だし年配の方だっていうのもあって、見た目の指導とか全然なかったんですよ。
だけれども、東京にあってオンラインでレッスンを受けていたアナウンススクールは、
女性の方がね、しかもまだ当時20代の女性の方が先生をやられていたので、
結構見た目に対するアドバイスとかもあって、こういうスーツの方が似合うんじゃないとか、
こういう髪型の方がいいんじゃないとか、メイクのこととかアドバイスもしてもらえたりして、
そういった違いとかもあったので、いろんなところでプロの教えをこういうことができてよかったなというふうに思っています。
それもだから一つの学びでしたね。
ひたすらやっぱり行動する。がむしゃらに行動するんじゃなくて、ちゃんと誰かに導いてもらうっていうのを、
学生の時からね、できてたんだなというふうに思いますね、改めてね。
自分の力だけじゃ絶対無理ってことを当時から分かっていたなというふうには思っています。
この話がね、今話していて自分でもあの時ほどね、メンタルやられることってそんなにないと思うので、
よくやったなと思うし、自分でも話していて自分に励まされました。
皆さんにとって何かね、今の話が力になったら嬉しいなというふうに思っています。
ということで、30分近くに話し続けてしまいました。
本当に最後までお聞きいただきましてありがとうございました。
ということで最後にお知らせです。
ユーデミーという動画の学習プラットフォームで、今動画教材をリリースしています。
私はね、話す前に必ずメモを使ってね、話す準備をしているんですけれども、
そのメモの作り方、あとは話し方のね、Tipsっていうのもいくつか入れた講座を販売しております。
こちらの概要欄にURLも後で付けておこうかなと思いますので、
気になった方いらっしゃいましたら、ぜひレターでお寄せください。
無料クーポンを来月まで発行していますので、ぜひこの機会にお願いします。
はい、ということでね、明日以降の平日はまた話し方のTipsについてお伝えしていこうと思っております。
今日のね、この配信の感想とか、あと話し方について気になることとか、
何かありましたらぜひコメントを寄せていただけたら嬉しいです。
はい、ということでね、今日もいい一日になりますことを祈っています。
ではまた明日の配信でお会いしましょう。バイバイ。