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2026-10-14 19:02

第508回 黒岩賢太郎氏(株式会社グローバルイノベーションズ 代表取締役社長/CEO)【前編】

今回は、株式会社グローバルイノベーションズの黒岩賢太郎氏にお越し頂きました。

新規開拓営業や、広告業界に従事したのち、インドIT大手企業と合併会社を設立。会社を譲渡した後、グローバルイノベーションズを設立し、AI技術運用分野の最前線に入り込むお姿から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

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サマリー

株式会社グローバルイノベーションズの黒岩賢太郎氏が、幼少期のスポーツ経験から高校時代のアルバイト、営業職に至るまでの経歴を語ります。オフィス機器の新規開拓営業では、独学で電話営業を工夫し、短期間で成績上位になりました。広告制作会社では、埼玉西武ライオンズとナイキの新ユニフォーム発表イベントを担当し、30歳での独立を目指してデジタル領域へ進みます。インドIT大手企業との合弁会社では動画自動生成システムを開発しましたが、文化や契約上の認識の違いに苦労し、最終的には特許やソースコードなどを譲渡して負債を引き受けてもらう形で整理しました。

スポーツに熱中した少年時代
社長に聞くinWizBiz
本日の社長に聞くinWizBizは、株式会社グローバルイノベーションズ代表取締役社長、CEO 黒岩賢太郎様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
東京都中野区ご出身、高校卒業後、ご出席の営業会社で、新規開拓の営業に従事されました。
その後、大手広告代理店の主手を受けとなる広告製作プロダクションでプロデューサーをお務めになっていらっしゃいます。
大手企業の広告製作などの業務に従事されていらっしゃいます。
その後、インドIT大手企業と合弁会社を設立し、動画自動生成システムを開発、特許も取得なさっていらっしゃいます。
そして、その会社は上等し、今現在の株式会社グローバルイノベーションズ様を設立し、代表取締役を就任なさっていらっしゃいます。
上場企業から中小企業まで顧客の現場の最前線に入り込み、最新のAI技術や自社プログラム等を用いて、
課題発見から実装運用改善までの一期通貫で担っていらっしゃいます企業の社長様でいらっしゃいます。
黒岩社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身地は中野区ということで、小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
小学校の時はとにかくスポーツが好きで、小学校ですからバスケットボールにハマりつつみたいなところで、
友達と遊ぶときも野球やったりサッカーやったりバスケットボールしたり、とにかく活発ですかね。
あと空手もやってたんで、結構そういう体を動かすことは好きでしたよね。
じゃあ割とスポーツお得意なちょっとガキ大将的なそんな感じでいらっしゃいますか。
ガキ大将じゃないですけどね。どちらかというとスポーツでは負けたくないみたいな。
アルバイトと営業職で培った仕事観
勉強はあまりできなかったので、そっちのほうでしたね。
じゃあ運動神経のいいモテる男の子ってそんな感じでいらっしゃいますか。
わかんないですけど。
ありがとうございます。中学時代はどんな子としてすごい人になった思いでございますでしょうか。
中学時代はとにかくもうバスケットボールでしたね。部活ばっかりやってました。同じく。
小学校のときにバスケットボールにハマって、結局中学校の部活っていうのが本格的にスタートするので、そっちに神経になったって感じですかね。
相当上手だったんじゃないですか。
そうですね。小学校のときに結構やったので、中学校に入ったときには僕より一人上手い奴いたんですけど、その人よりと精査をたくましてやってましたね。
なるほど。ありがとうございます。
高校はどんな子として過ごされたなんて思いでございますか。
高校はですね、ちょっと若干やさぐれをして、バスケットボールは一年生で辞めてしまい、バイトに明け暮れ。
何でもバイクが欲しくてですね。基本的にはバスケットボールはちょっと辞めたんですけど、
部活は辞めたけど、区民体育館とかでやってる社会人とかが集まってやるところに行ったりしながら、バスケットボールはやってたんですけど。
バイクが欲しいって中学3年生ぐらいのときから思い出して、買うためにバイトばっかりしてたみたいなところですかね。
なるほど。どんなバイトをなさったんですか。
バイトはとにかくガソリンスタンドからコンビニから駆け持ったりしながらやってましたね。
やっぱり高校生で20万とか30万貯めるのになかなか大変だったんで、駆け持ちしてました。
なるほど。お仕事に対しての意識はその頃から芽生えたって感じはあられるんでしょうか。
そうですね。やっぱり働いてお金をもらうっていうところに関して。
やっぱりバイトとはいえ、ガソリンスタンドとかって結構社員並みに扱われるっていうか、やってることほとんど変わらないみたいな。
車整備みたいなのさすがにやらせてくれなかったんですけど、それ以外はやらなくちゃいけないので、そこらへんは結構仕事ちゃんとしなくちゃなみたいなところは学んだかなと。
なるほど。ありがとうございます。
その後、高校卒業後、押し付け機の営業会社にご入社なさってらっしゃるんですが、そちらを選ばれた理由というのは何かございましたでしょうか。
最初自動車整備校に入ったんですけど、すぐそこは辞めてしまって。
で、1ヶ月焼き鳥屋でバイトしながら、知人の知り合いのコンピュータプログラマーですかね、昔で言う。今も言うけど。
そのプログラマーの先輩から数学やったほうがいいとか、いろいろとプログラムを学んだほうがいいとかって言われながら勉強してたんですけど、
一回就職してみようかなと思って、システムエンジニア、システム屋さんの面接を50社ぐらい受けたんですけど、全部落ちまして。
当たり前ですよね、エンジニア行動もかけないしみたいなところで完全に落ちるんですけど、そこバカだなと思うんですけど。
その50社ぐらい当たったっていうところに拾ってくれた社長さんが、これだけ営業やってみないかみたいな話がありまして、
システム開発の営業するのかなと思ったらオフィス機器の別部署の営業の話だったので、そこからやってみたみたいなところですかね。
なるほど、ありがとうございます。オフィス機器ということはコピー機とかそんなのを売った感じでらっしゃるんですか?
その当時はカシオのラクイというのがあって、事務処理機みたいな、電表を機械地で打ちますみたいな。
今ではすごい機械地で300万ぐらいで売ってたんですけども。
毎日行ってれば150件、200件するみたいな、まあそういうザ営業会社ですよね。
なるほど、ありがとうございます。カシオさんもうちの会社はお付き合いがあってらっしゃるんですけども。
お気にして、懐かしいなところ。
懐かしいところでございます。
なるほど、ありがとうございます。
じゃあ新機械家庭営業はもうその頃ばっちりして覚えられたみたいな、そんな感じでございますよ。
そうですね、先輩たちはあまり教えてくれなかったんで、
自分で本読んだり、営業活動とは、営業とはみたいな本屋さん行って買って読んで、
毎日電話だったんで、電話でアポ取るのどうしたらいいんだろうみたいな、
一件一件結構電話しながら考えつつ、
闇雲に毎回電話するんじゃなくて結構考えながらやってたんで、
結構すぐ一番二番になれる感じではありましたね。
なるほど、ありがとうございます。何か思い出なんてございますでしょうか。
そうですね、結構その会社辞めるってなったときに、
残り1ヶ月ぐらい新人さんを研修するっていうところで、
18歳だったんですけど、19歳か、19歳だったんですけど、
大学生なんで、年上の大学生を教えるみたいな話があって、
1人は優秀な、どこだったか、4大でしたっけ、6大卒の学校名は言わないですけど、
1人は僕みたいに中間の高卒の人だったんですけどね。
宿題を出したんですけど、ちゃんとやってきたのは高卒の方でですね。
結局結果が出せていったのが、やっぱり高卒の頑張り屋さんみたいな人だったんで、
ちゃんと結果が出るんだなみたいなのを、自分じゃなくて、
教えた方でですね、感じ取れたのが非常に良かったなって感じですかね。
なるほど、ありがとうございます。
広告制作と独立への志向
その後、広告製作プロダクションにご入社なさってるんですが、
こちらの方に移られた理由というのは何かございましたでしょうか。
広告関係は、とにかく自分の父親がデザイン関係の仕事もしてたっていうのもあるんですけど、
当時20歳の時に、結局30歳までに独立したいなあみたいなのがあってですね。
事務機器とかっていろいろと考えたりとかしたんですけど、
知恵根商売じゃないのをやりたいなっていうのが、
知恵根じゃないや、在庫管理みたいな、在庫をして販売してみたいなのはやめようと思いまして、
もともとデザインとかそういうの好きでしたし、
そこで広告関係にたまたまご縁があって入っていったんですかね。
なるほど、ありがとうございます。
広告製作プロダクションって覚えてなんてございますでしょうか。
最初は物がないというか、売り物がこれだっていうのがないのを売るっていう、
難しさみたいなのがあってですね。
非常に最初はコマネーターというか、かなり大変だったんですけど、
結構頑張ったことによって、最後の方が一人前になれたんだとは思うんですけれども、
セーブライオンズとナイキのコラボの大きなイベント、
所沢のセーブライオンズの本拠地のところでやる新ユニフォーム発表会みたいな、
どれか数千万円のイベントを任せ、自分でやれたっていうところは非常に面白かったなっていうところで、
いろんな思い出はあるんですけど、それ一番自分で頑張ったなみたいな感じでしたね。
なるほど、ありがとうございます。
セーブファンの私からすると大変悔しいというですね。
ありがとうございます。
インド企業との動画自動生成システム開発
その後、インドIT大手企業とゴーベン会社が設立というふうにお教えいただいてるんですが、
直接広告制作プロダクションを辞めて独立みたいな感じでいらっしゃるんですか。
そうですね、ちょうど30歳になるところだったので、これはもう一発やってみようと思ってですね、
広告制作プロダクションの流れで自分の会社を作って、
最初のうちはやってたんですけど、Facebookとかがちょうど出てきたところで、
広告関係変わりそうだなみたいなんですね。
別に辞めるとかそういう話ではなくて、
そういうデジタルな領域の強みを作るときにどうしようかなと思って、
動画の自動生成システムなんかできたら面白いかななんつって、
結構インドとか調べてからやった方がいいよっていろんな人から言われたんですけど、
僕のボーコンみたいなところでとりあえずやってみるみたいなところがあるんで、
知人を介してそういうの作れるっていうことがわかったので、
とりあえず行ってみようと思ってですね、インドに行って、
僕は英語喋れないんですけど、物理学やっとってですね、
行ってって話してみたいな、それ13回ぐらい繰り返して、
大丈夫そうだなっていうのがわかって進めたみたいなところですかね。
割とその行動力をお聞きすると本当に企業家らしい企業家でらっしゃるんですね。
そうなんですかね。
結局小さい会社イコールの強みみたいなところが欲しかったっていうのもあって、
広告制作プロダクションってとにかくいろんな会社さんありますので、
しかも新山物みたいなところで、やっぱり目当たらしさっていうか、
あの会社そういうのやってるよねみたいなところが伝えられるようになりたいなみたいなのがあったんですよね。
ありがとうございます。動画自動生成システムに着目したのは何か理由はございましたでしょうか。
やっぱりその当時動画関係のプロの制作者とのつながりとかもあったので、
非常に長けてるデザイナーだったんですよね。デザイナーというか制作者だったんですけれども、
彼と仲間と考えた時に、
動画自動生成システムといっても、いろんな会社さんが今出されてますけれども、
ちょうど同じぐらいのタイミングでしたかね。
そういうテンプレート式のシステム、作成システムみたいなのが出てきたところだったんですけど、
クオリティ的には全然負けてなかったかなと思ってですね。
なので結構、やっぱり仲間が至るというところもそうですからね。
なるほど。ありがとうございます。
文化の違いと合弁会社の整理
このインドIT大手企業との合弁会社をやってる最中での一番の思い出なんて何かございましたでしょうか。
インドに飛ぶ飛行機というか空港か、空港で本を読んでてですね、
時間を待てる人種みたいな国別ランキングみたいなのがあってですね、
日本人が一番せっかちって書いてあってですね、
一番時間を待てるのがインド人って書いてあったんですよ。
その時に結構やばいなと思ってたんですけど、
とにかくそういうインド人との、やっぱり外国人とのやり取りみたいなのは、
やっぱり感覚が違いましたね。
日本人って意外と暗黙の了解、ここまでやってくれるよねみたいな、
なんでここまでやってくれないのみたいなのも結構あったりすると思うんですけれども、
それが先に読めるかどうかで営業の違いみたいなのもあったりするのかなと思いますが、
インド人だけじゃなく外国人全員そうなのかもしれませんが、
基本的に決まったことしかやってくれないというか、
ここまでやってくれるよねみたいなのはないっていうところがあって、
そういった文化の違いみたいなのは通説に感じましたよね。
その会社を譲渡された理由というか経緯というのは何かございましたでしょうか。
譲渡って言ってもきれいな譲渡ではなくてですね、
皆さんが言う今の絵とかそういう話ではなくて、
結局言うと失敗的なところが大きくて、ある意味インド人に若干騙されたというか、
さっきの一体言わない、ここまでやってくれるよねっていうところを言ったよねみたいなところとか、
向こうは謝らないみたいなところもあったりしながら、
じゃあベトナムに移すわみたいな話になって、
ソースコード引き上げた時に事件爆弾が仕込まれてましてですね、
何月何日に止まるみたいな、それがブラックボックス化されてて、
なかなかエンジニアの人たちも探し出せないっていう話があったり、
たまたま大手のシステムの方から開け方を教えてもらって開けられたんで、
事件爆弾があったというのが分かったんですけども、
そういうこともありながら、さてさてどうするみたいなのがあったときに、
ちょうど特許とかシステムソースコードとかいろいろあったので、
そこら辺を全部譲渡する代わりに借金、その際は負債ですね。
負債を全部肩代わりしてくれるみたいなところがあったので、
一応綺麗になったみたいなところですかね。
なので、うまくいったから、例えば何十億円で売りましたとかね。
今円満で盛んですけど、そういう話ではない感じですかね。
じゃあ少し苦労なさったみたいな、そんな感じじゃないですか。
そうですね、苦労ばっかりですかね。
なるほど、ありがとうございます。
経営ノートの案内
本日も社長に聞くインウィズウィズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズウィズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズではここまで。
また来週。
19:02

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