今回は、株式会社コンサルズの横澤和人氏にお越し頂きました。
大学卒業後、人材派遣や採用関連の企業を経験し、求人広告の代理店の顧問をするために独立。顧問業を辞した後に会社を設立し、業績を伸ばすお姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。
なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。
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サマリー
株式会社コンサルズの代表取締役である横澤和人氏が、自身の幼少期から大学、そして最初の就職先であるスタッフサービスでの経験について語る前編。幼少期のエピソードや中学時代のポーカー、高校での簿記や陸上、大学での国際交流など、ユニークな学生時代を振り返る。特に、リーマンショック後のスタッフサービスでの困難な経験と、そこから退職を決意するまでの経緯が語られる。
自己紹介と幼少期のエピソード
社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社コンサルズ代表取締役 横澤和人様でらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
大学卒業後、株式会社スタッフサービス、株式会社リクルート、株式会社メーテックなどを得て、その後独立なさっていらっしゃいます。
その後、株式会社スレープに同設立、そして株式会社コンサルズを設立し、代表取締役になっていらっしゃいます。
現在は、一般社団本陣全国採用支援協会の代表理事も勤めていらっしゃいまして、採用に関するプロでらっしゃいます。横澤社長様でらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでらっしゃいますでしょうか。
はいありがとうございます。私は群馬県出身、群馬県の高崎市ですね。
小学校も高崎でよろしかったでしょうか。
小学校も高崎です。
小学校時代はどんなお子様でらっしゃいましたでしょうか。
小学校時代ですか。小学校というよりは、私ちょっとその遡って幼稚園とかの話になるとですね。
少し聞いていただくとわかるかなと思うんですけれども、私はですね、例えば幼稚園のお遊戯会ってございましたね。
最近だとちょっとこう主人公がたくさんいたりとかするんですけれども、当時は好きな主人公を選んで、それをお遊戯するっていうのがありまして。
日本昔話の、例えば浦島太郎とか金太郎とか桃太郎というキャラクターを演じるということで、子供たちに好きなキャラを選ばせてたんですけれども、
その時私が何で日本昔話のキャラをやらなきゃいけないんだと。
ということで、なぜかですね、その時に私、エリマキトカゲなんか多分時代で流行ったのかもしれないですけど、
動物のエリマキトカゲが大好きで、私はエリマキトカゲがやりたいということですね。
私だけ他の子と違ってエリマキトカゲの役を演じたということですね。
舞台に出るんですけれども、他の子は桃太郎だったら鬼と一緒に出るとか、鬼をやる子と桃太郎をやる子が出るとかなんですけど、
エリマキトカゲをやる子は一人しかいないんで、どこにも置く場所がないんで、私だけセンターでエリマキトカゲをやったと。
そんな変わった幼少期でございます。
なんとなく私のイメージはきますかね。
なるほど。ストーリーがあられるじゃないですか。
エリマキトカゲでそのストーリーに無理やり入れちゃう感じで。
無理やり入れちゃった感じですね。
なるほど。割と社長らしい、ちょっと勝手な感じでいらっしゃいますかね。
はい。
なるほど。ありがとうございます。
苦労されたと思います。周りの方。
ちょっとご苦労された感じでいらっしゃいますね。
中学・高校時代の経験
なるほど。小学校時代もそんな感じで、ガキ大将的な感じでいらっしゃいますか。
ガキ大将というか、いわゆる学校でいうスクールカーストじゃないですけど、
それが上にいるかというとそうでもなくてですね、ちょっと変わっていて、あまりどこにも属さないようなですね、そんな子供だったと思います。
なるほど。でもいろんなグループと一緒に遊んでみたいなそんな感じですか。
そうですね。いろんなグループに遊びに行くんですけど、固有でこの子としか遊ばないみたいな友達がいるわけではなかったということですね。
じゃあ割と誰とでも仲良くなさるお子様という、そんな感じですか。
そうですね。どちらかというと人もそうなんですけど、興味があるところにふらふらふらっと行く、そんな子供でしたね。
なるほど。社長らしい社長でいらっしゃいますね。
そうですかね。今でもそんなに変わらないと思いますけどね。
ありがとうございます。中学時代はどんな子として過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
中学はですね、これはちょっとカットされるかもしれないんですけども、
時効ということですね。実はポーカーというのを好きでですね、ポーカーをやっていたんですけども、
お金をそんなにかけるというわけにはいかないので、何かものとかですね、自分たちが好きなものをかけてやるということをやってたんですけど、
主催をしてまして、参加するのに何か私がもらえたら、私は負けてももらえるんだということですね。
参加費じゃないんですけど、参加するために何かをもらって私が運営するという、
今でいうと道元のようなことをやっていて、これがやっぱり道元って損しないんだなというのを学んだのがですね、中学で。
それが見つかって非常に先生方に怒られたという、そんな経験があります。そんな中学生です。
ある意味、イベント業も中学生でやってたってことですよね。
イベントやってましたね。うちの会社以外の事業でもイベントやってますけど、
その走りではないですけど、イベントを開催するのは結構好きなタイプですかね。
なるほど、ありがとうございます。高校も群馬県の高校でらっしゃいますか?
高校もですね、群馬県の商業なんですけども、高校は実は私、中学が一番頭が良かったというところですね。
中学、実は結構、いわゆる偏差的にもそこそこ実は高くて、特に見えないかもしれませんが、実は理数が結構高くてですね。
もともと理系に行きたいということで、高崎市内の理系で一番高いところに入りたかったんです。
入ろうとしてですね、中学受験で、いわゆる私立の滑り止めを受けて、このくらいだったら滑り止めとしてはいいだろうというところ。
実は全部落ちまして、私立の試験が効率と少し違うっていうのもあるんですけど、見えないかもしれないですけど、意外と緊張するタイプだったんですよね。
試験全部落ちまして、さすがに効率の一番高いところは無理だろうということで、いわゆる偏差値で言うとどうですかね、62、3とかを受けようとしてたんですけども、
何をしまうったか、そこに行かないんだったら普通校に行きたくないということですね。
商業、私高崎商業に行きまして、だったら簿記とか、その時経済と、それからちょうど出始めのパソコンですね。
プログラミングという、いわゆるプログラミングの当時はベーシックとかコボルっていう言語がありまして、
そのプログラムも学びたい、じゃあ簿記も学びたい、経済も学びたい、だったら商業だということですね。
偏差値という言い方があるんですけど、二重いくつ落として商業に行くと、周りからはやめろという話をされながらですね。
でも商業に、ちょっととてつもない不良行に行きましたと。
なるほど、ありがとうございます。やっぱり社長らしい社長だなと思うんですが、高校時代はどんなことをして過ごしたのかお思いでございますでしょうか。
高校はですね、部活を結構しっかりやっていて、陸上が私好きだったというか、結構走って体を鍛えるということがすごく好きだったので、
陸上をやりつつですね、ただ1年生の時から実は簿記をやりたかったという、手に職もそうなんですけど、数字がわかるビジネスマンになりたいなっていうのはありまして、
簿記を勉強して、実は高校1年生で日書簿記の2級を取ったんですよ。
1級も勉強しつつ、実は将来は会計士を目指したいなと思っていて、勉強していたということなんで、結構簿記も勉強して、部活もやってということだったんですけど、3年間で成績がどんどん落ちてくるという。
実は入学の時は私、入学生代表の挨拶をしたんで、実は成績一番上だったんですけど、だいぶ落としましたんで。でも卒業の時はそんなことなかったですね。
なるほど。ありがとうございます。部活は陸上とおっしゃいましたが、どんな競技をなさっていらっしゃったんでしょうか。
特に200メートル、400メートルの短距離ですね。
なるほど。割と成績もよろしかったんですか。
県大会8位っていう微妙なところです。
でも素晴らしいですね、8位だとね。
決勝に残って、Bっていうところですね。
インターファイは行けないけど、決勝に残ってという感じでした。
そうです。
でも素晴らしいですね、本当に。ありがとうございます。
大学生活と最初の就職
その後、大学はどちらへお住みになっていらっしゃいますでしょうか。
大学はですね、実は宅職大学というところに行きまして、いくつかちょっと大学は推薦があったんですけれども、
これもちょっと性格を表してしまうかもしれないんですけど、宅職大学は面接5分で終わると言われまして、
じゃあそこでっていうふうに決めてですね。
もともと会計をやりたかったんで、会計コースがある宅職大学を選んだんですけども、
他にも日大とか千秋とかも候補にあって、推薦枠もあったんですけど、
一番短い面接だったってことですね。宅大を選びました。
宅職大学時代の思い出は何かございますでしょうか。
そうですね、まず会計が私に合ってなかったというのはですね、入学して3ヶ月ぐらいでわかりまして、
これは募金ではないということです。宅職大学は実は結構国際学部が多くて、
友達が私なぜか東南アジア系の人種にすごく好かれるんですよね。
毎日東南アジア系の友人たちと何かをすると。
大学生なんでよく飲みに行くとかですね、遊びに行くっていうのがほぼほぼ東南アジア系。
中国人もいましたし、そんなことが多かったんで。
意外と日本人と遊んでる時間もそんなに多くなかったです。
外国人の方々とはどんな遊びをなさっていらっしゃったんですか。
言えるところ、言えないところで言うと、友人の家でカレーを作るとかですね。
本場のカレーなので、
例えば牛の、いわゆる一般的にスーパーで売ってる牛の肉とか、いわゆる牛肉とかではなくて、
骨髄の部分とかを買ってくるんですよ。
それで煮込んでカレーを作るとかですね。
あんまり大学生らしくない遊び方かもしれないです。
変わってらっしゃる経験でございますね。
日本国内で経験する経験ではあまりないと思いますね。
なるほど、ありがとうございます。
その後、新卒でスタッフサービスでよろしかったでしょうか。
そうですね、そうです。
スタッフサービスでのキャリアとリーマンショック
スタッフサービスを選ばれた理由は何かございましたでしょうか。
実はその時私、5者しか受けなかったんですね。
本来私の時って就職氷河期の本当に終わりの頃だったので、
とにかくたくさん受けて内定をもらえということだったんですけれども、
性格上たくさん受けるのが向いてなかったというか、
めんどくさくなっちゃったんでしょうね。
5者しか受けなくて、その5者は実は、
例えばわかりやすいところで言うと、
わたみさんとかですね。
ファーストリテイリングさん、当時の。
いわゆるとにかく伸びている会社がいいというふうにですね。
ちょっと何をちまよったか、
伸びている会社は自分も伸ばせるんじゃないかと言ってですね。
スタッフサービスの当時は、
大神寺大神寺ってCMをやってですね、
ものすごい売上が伸びているということで、
スタッフサービスを選んだということだったんですけど、
ブラック企業でしたね、やっぱりね。
はい。
スタッフサービスへの思い出は何かございますでしょうか。
思い出ですね。
ブラック企業という言い方があれですけれども、
結構やっぱりイケイケの会社なんで、
同期が私も150人同期が入って、
3ヶ月ぐらいで40人ぐらいいなくなるみたいなんですね。
そんな会社ではあったので、
非常に定着率があまりよろしくないというところだったんですけど、
結構そこで私も頑張りまして、
早めに副支店長、それから支店長マネージャーという形で、
3年目にはもうマネージャーをやっていたかなというところなんですけれども、
実は現場からいろいろ移動がたくさんありまして、
移動先でちょっと私も頑張っていたので、
ある程度数字が上がると評価されて、
じゃあ次に次にということですね。
一番経験をさせてもらったのは、
全国、例えば本当に大手さん、金融大手さんとか、
通信系大手さんというと大体限られちゃいますけど、
そういったところの法人包括契約をするような部門におりまして、
全国の営業と一緒に同行して、
いわゆる全国のその法人の横のガバナンスを利かせていくとか、
ガバナンス統括とか、それからブランディングであったりとか、
あとは営業の動き方とかですね。
派遣がメインだったので、派遣法に合わせて会社の体質を変えていくとか、
もしくは我々の対応、営業の対応を変えていくとかですね。
そんな本社包括部門にいたというのがありまして、
そこまでは実は非常にいいストーリーではあったんですけれども、
リーマンショックがありまして、
リーマンショックの後に私退職したんですけれども、
そこが一番の出来事というかですね、
将来を決めるような非常に大きな出来事がありまして、
もともとスタッフサービスという会社が当時は5,800人従業員がいまして、
やっぱりリーマンショックで社員数を減らさなきゃいけないということで、
2,900人減らすというお話が出たんですね。
いわゆる早期退職。
当時で言うと退職勧奨という言い方をしましたけれども、
退職勧奨をするということで半分にします。
ほぼ2人に1人が退職勧奨を受けると。
ということだったんです。
で、私のいた本部も、
本部機能は特にいらないよねということで、
3分の1ぐらいの規模にするのでほぼ解散状態になったんですけれども、
そこで私は退職勧奨されたかというと、実はされずにですね、
どんなポジションになったかというと、
全国2,900人の退職勧奨を受けて、
どうしてもその退職勧奨を受け入れずに残るといった、
全国19人のメンバーをメンバーとして預かって、
お前の部署で辞めさせろっていう仕事をさせられたんですね。
精神的に辛い仕事ですね。
精神的にかなり厳しい仕事で、
残った方々というのが、
例えばお子さん、もう第三子が生まれたんで、
ちょっと今辞めると言ったら、
もう奥さんと喧嘩になるから無理ですとかですね。
もう結婚を間近にしていて、
今退職は無理だとかですね。
年齢も結構上の方がいて、
もう今転職したらもう次がないんで、
いやここはしがみつかせてくださいっていう方ばかりが集まった19人の部署です。
私はそこでマネージャーとして、
私のミッションは裏側では、
早くこの19人を辞めさせてください。
退職勧奨をされると、
1年間のいわゆる補償をしますというのが、
どこの会社もそうだと思うんですけど、
1年間のいわゆる年収補償、
それから後はプラスアルファで例えば有給とかですね、
いろんなことを補償するよというところだったんですけれども、
1年間補償されるんですけれども、
例えば半年経って辞めたら、
残り半年しか補償しないよと。
なので早く辞めた方が得だよということを言いなさいというですね。
でも数字は残るんだったら数字は上げなさい。
あなたたちは19人プラス私と、
もうその直続がいたんですけど、
その21人の部署でいるんだったら数字を上げなさい。
新規部署です。
エリアが分かれているので、
他のエリアにかぶらない部分で新規をやりなさいという、
まず謎のですね、命令がきまして。
その部署もですね、
これはもう今言っていいのかわからないですけど、
窓がない部屋なんですよ。
もともと倉庫として使っていた部屋で、
ここでやりなさいということで、
そんなの私、先ほど新大社長がおっしゃられたように、
私もそこでやりたくないので、
あ、だったら私辞めます。
誰かと代わって、
私、退職勧奨のいわゆる早期退職手当てをもらって辞めますんで、
私にしてください、誰かと交代しますと言ったらですね、
横沢、お前は退職勧奨の対象じゃないから自主退職だって言われまして、
これは辞められないし、ということですね。
そこが一番この、
最初の新卒の手入った会社、スタッフサービスで一番厳しかったですかね。
その19人の方々はちゃんと辞めてたものですか?
実はリーマンショックって結構世の中的に回復が早かったので、
退職、いわゆる本当に人を整理した会社もすぐにまた人が欲しくなるっていう状態だったので、
実は半年で、お二人残念ながらちょっとお辞めになってしまったんですけど、
19人が17人になりまして、
17人は半年後にその部署が開催になって、足りない部署にまた再配属されるってことですね。
皆さん良かったなと、
いうことだったんで、
そこで辞めさせないように私もしたかったので、
できる限りのことはやりましたが、
そこで最後に私も、
じゃあお前はどうするって言われたんで、
辞めるに決まってるでしょと。
ということで退職をしましたというのが一社目ですね。
なるほど、ありがとうございます。
番組紹介と次回予告
本日も社長に聞くインウィズウィズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズウィズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズではここまで。また来週。
22:54
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