石井智宏の経歴紹介
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、モビルス株式会社代表取締役社長 石井智宏様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1998年、早稲田大学卒業。2009年、ペンシルベニア大学ウォートンMBA取得。
ソニー株式会社に入って11年、ラテンアメリカ市場に向けるセールスマーケティングに従事。
その後、コンタムリープ株式会社とエグゼフティブパートナーで多数の日本企業の海外出産を実行した。
そして、2014年はモビルス社に参画。そして、2021年には東証グロース証に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
石井社長様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
出身は千葉の市川ですね。
なるほど。市川の小学校時代はどんなお子さんでいらっしゃったんですか。
小学校は市川にはいなかったんですけども、親の仕事の関係でずっと海外の方に行ってまして、
ドイツのデュセルドルフという日本にすごいいっぱいいるところがあるんですけど、そこに小中学校をどんどん過ごした感じですね。
なるほど。じゃあドイツの小学校をいただいてらっしゃった。
その頃はどんなふうに過ごしたお子さんだったのか覚えていますか。
日本人学校だったので、日本人のコミュニティーの中にいたんですけども、
ドイツだけあってサッカーがみんな盛んだったので、サッカーよくやってましたね。
じゃあサッカー少年って感じですね。
そうですね。
中学時代はどんなことを過ごしたのか覚えてございますでしょうか。
中学もドイツが中心だったんですけども、サッカーはずっとやってたのと、
やっぱりちょっと混ぜてたというか、海外にいるのでみんな聞いてる音楽も洋楽ロックだったりとか、
それぞれ好きなバンドがいて、それの大きいワッペンをじいちゃんに貼って学校に行くみたいな、
ちょっと混ぜてたかもしれないですね。
なるほど。ありがとうございます。
高校はドイツですか日本ですか。
高校は日本に帰ってきて。
高校はどちらの方にお勧めだったんでしょうか。
僕は千葉の公立の千葉校、県立千葉校という地味な学校ですね。
いや、あの、トップ校だと思うんですけど。地域では。
そうですね。進学という観点では結構当時は東大進学率みたいのは結構高いと言われてましたね。
今はだいぶ下がっちゃったみたいですけど。
でもトップ校だと思うんですけども、千葉高校時代はどんなことをして過ごしたのかお思いでございますでしょうか。
そうですね。千葉も千葉校と言いながら千葉にはないんですよ。千葉駅じゃないんですよ。
千葉からまた一駅奥に行ったようなところに何にもなくて本当に地味で。
その分高速とかもすごくゆるいというか、制服も一応学乱ではあるんですけどみんな結構好きな服着たりとか。
結構自由な工夫で。
そうですね。高校時代の思い出というと、私は途中で一回休学して、
アメリカの交換留学みたいなホームステイ一年間まるまる行ったきりみたいなやつを
二年生の夏に行って、一年間行って帰ってきて、当時そのまま同じ学年に戻ることもできたんですけど、
受験の問題とかいろいろあったので一年降りたんですね。
なので、二学年通えたというか、友達ができたというのは結構私として大きかったかもしれないですね。
なるほど。じゃあアメリカのホームステイのときはどんなことして過ごしたのか?
いやもう本当最初は英語もそこまでしゃべれないので無我夢中というか、
アメリカでの留学経験
あと思ってたよりもすごい田舎だったんですよ。
サウスカロライナっていう南部のほうの本当にどん田舎の町にいたんですね。
なので結構チヤホヤされると思ってたんですけど、誰も声かけてこないっていう学校にいて、
これはまずいなっていうので、とりあえず自分の存在を英語もよくしゃべれないけど
とりあえず大きな声を出して目立つみたいな、そこからスタートした記憶がありますね。
でもそういうのを聞くと割と積極的なお子様でらっしゃったんですかね?
いや無理してたっていう感じですかね。せっかく来て、アメリカには憧れがあったんですね。
ずっと小中学校とかドイツだったときにアメリカっていつか行ってみたい、かっこいいな、
ロックとかも聴いてたっていうのがあってアメリカに行ったんですけども、
イメージと全く違うどいなかで、誰も寄ってこないし、
というところでせっかく来たんだからこれは目立たなきゃいけないっていう、
結構無理してやったのがおそらく自分の性格を変えたのかもしれないですね。
なるほど、ありがとう。ロックはどんなバンドを大ききになっていましたか?
当時は流行ってて、ハードロックっていう部類になるんですけども、
例えばトリークルーとかですね、すごく嬉しさのボンジョビとか、
そういったワンヘーレンとかですね、そんな時代ですね。
私の世代のちょっとしたグラフィック、ガンズとかも。
ガンズもできましたね。
すみません余計なことを聞いてしまいましたが、戻りまして、
大学は早稲田大学ということで学部はどちらでらっしゃったんですか?
学部は政治経済学部ですね。
やっぱり頭はよろしかったんですね。
受験は得意なんですよ。
この一発で何とか短期集中で結果を出すっていうのは結構得意なので、
受験得意でした。
なるほど、大変素晴らしい社長様だったり、
頭のいい社長様だったりがよく分かりますが、
早稲田大学時代はどんなことをしてすごい人なんか思い出ございますか?
もう授業に行った記憶がないぐらい遊びほけて、
スキューバダイビングのサークルに入ってほとんどそこの活動と、
あと結構ダイビングをやっているサービス、私は三宅島のほうが多かったんですけど、
サービスでも住み込みバイトみたいな、
夏はずっと行ったきりですし、
普通の週末も金曜日は船に乗って月曜日まで帰ってこないと、
そんな感じで遊びほけていた学生時代ですね。
じゃあ、インストラクターに近いとかアドバンスとか、
ああいう仕事を持っていたという感じですね。
そうですね、インストラクターは一回取って、
ただ今はもう執行しちゃいましたけれども。
私も三宅島でスキューバの免許を取っていますので、
そうなんですね。
ちょっと横見てどうでもいいですが、
私のバイト先はスキューバダイビングのインストラクター養成講座を持っているところでバイトを、
あ、そうなんですね。
スミニインストラクターをやっていたので、三宅島は大変懐かしい感じで。
ああ、もうずっと行き続けましたね、三宅島は。
じゃあ年間の本数なんて何百本と戻るんですか?
そうですね、もう学生の時で600本とか700本、
もう最後の方数えるのもめんどくさくないのでやらなかったぐらいですけど。
もうちょいかもしれないぐらいですけどね。
そうですね、はい。
ちょっとすごいなって思いましたが。
大学卒業後はどうなさったんでしょうか?
大学の中で3年生になる時にゼミを選ぶんですよね。
私の行っていた学部はゼミは必須ではなかったんですよ。
ただみんなゼミぐらいちゃんとやるっていうことで申し込むんですけども、
申し込みの日に寝坊したか何かで遅れてですね、ゼミを届け出ができなくて、
何だかんだでゼミを取らない状態に入っちゃう、ゼミなしっこって言うんですけど、
それでも卒業はできるんですけど、ただ少し恥ずかしくて、
かつ本当に遊びほうけていたので、このまま3年生が終わり就職活動をして
社会人になっていいんだろうかってはたと気づいたというか怖くなってですね。
ちょうど親がその時にアメリカに駐在していたこともあって、
1年間休学をさせてもらってアメリカの大学に通ったっていう、
その時はこれは自慢じゃないですけど結構勉強したんですよ。
すごい小さいコミュニティカリッジね、名もないところだったんですけども、
セールスの授業とか小さいスモールビジネスマネジメントとかやって
企業をするにはどうするのかとか結構実践的な授業が多くて、
ただ英語で全てテキストも分厚いのを読んできてディスカッションせよみたいな、
結構要求量が高かったので大変だったんですけども、
そこでとりあえず3年間遊び続けた自分をまず粛清してですね、
大学かアメリカの大学の最高峰にはUVAっていうのがあるんだっていうのをそこで知って、
いつかUVAっていうのはチャレンジしたいなっていうのがそこで芽生えたっていう感じになりますね。
戻ってきて就職活直して大学卒業してからソニーに進卒として入ったと、そんな感じになります。
なるほど。アメリカのコミュニティ大学ではどんなことをし過ごしたとか思い出とかございませんでしょうか。
本当、毎日3時間寝れるかどうかで授業に行って、金曜日フラフラになって土曜日半日寝てるみたいなのを結構繰り返したんですよね。
なので、自分でもよくやったなっていうか、いう記憶がありますね。
コミュニティ大学、コミュニティカレッジで学んだことは起業に関することもということに先ほどおっしゃいましたけれども、その辺は今の起業にもつながってきたりはしますか。
どうですかね。学んだことっていうのは全然覚えてないですけれども、やっぱりアメリカで起業することが別にそれほど特殊なことでないっていう世界で、
しかも年も別に若い人が起業するだけではない、結構50代60代も起業するようなのが、当時から普通に、それが通常の起業であったりとかお店であったりとかいろいろパターンはあると思うんですけれども、
そういったものに触れたのはちょっと影響があったかもしれないですね。
なるほど。ありがとうございます。ソニーにご入社なさっていらっしゃいますが、ソニーを選んだ理由というのは何かございますか。
私もともと商社に行こうと思ってたんですよ。商社中心に受けていって、内定もいただけてほとんど決めてたんですけれども、そこでソニーからも内定が出て、
父親が家電メーカー、投資家なんですけど、というような影響があって、ソニーも面白いのかなと思って、
ちょっとソニーさんのほうに、商社に行こうと思ってたんだけどっていう話をしたら、すごく冷たくというか素っ気なくですね、行けばいいじゃないかという形で言われて、
ただそこで言われたのが、ひいくんは入ったらおそらく海外向けのところからキャリアスタートだねというような話があったんですね。
一方で商社のほうは、受かるとOBがご飯とか連れてってくれるんですよね。月に1回ぐらい声がかかってみたいな形で、
やはり出てくるOBが、みなさん食品系あったんですよ。
ふと自分を面接のときに何を話してたかと思うと、食品がやりたいってすごくアピールしてた自分がありまして、
自分は食品部門に入るんだな、行くんだなっていうのを思って、商社に行っている先輩とかの話を聞いていると、
やっぱり食品に行くとずっと食品ですと、その分野のスペシャリストになっていくっていう意味で、
例えばタコイカ化っていうのが本当にあって、タコイカ化に入るとずっとタコイカだっていう、タコとイカを扱うっていう、
そういう世界なんだなと思いまして、
だったらもしかしたらソニーで海外の方に行く方が幅が広い道があるんじゃないかなとふと思ったというのが、
最終的にはもうええいやで決めたんですけど、記憶に残っているところで行くとそこで判断した感じですね。
なるほど、ありがとうございます。ソニーでのどんなことを過ごしたなんて思いではございませんでしょうか。
ソニーは当時景気が良かったこともあって、すごい今思えば乱暴ですけども、
入社して半年ぐらいで、とりあえず日本にいてもしょうがないから出張に行ってこいと。
私、配属先が中南米かっていうわかりやすい中南米を担当しているかに配属して、
担当している販売会社、国がパナマ、ソニーパナマ、ベネズエラというところと、
要は中米の上の方ですね。中米と南米の上の方を担当してまして、
販売会社の日本側の窓口みたいな部門だったんですね。
なのでそこの課長さんから部長さんも、皆さん駐在院をずっと経験している人が、
一旦日本に休憩する場みたいな形でいらっしゃって、またすぐ出ていくっていう、
そういうセクションだったので、彼らからはもう日本に至って何も勉強しないし、
とりあえず行ってこいって言うので、もう1年間の半分ぐらい、
最初から出張でコロンビアに2ヶ月行って、ミッションがあって帰ってくるとか、
パナマに4ヶ月行って帰ってくるとかですね、そういうのを最初からやらせてもらって、
2年目が終わる前にパナマに駐在だと。
なので当時26歳ぐらいですかね。いきなり駐在をするっていう、結構乱暴ですよね。
もう修行の場というか、ソニーパナマに行ったんですけども、
自分の部というか部門が与えられて、最初20人ぐらいですかね。
パナマでのマネジメント経験
部下全員年上で、私の前任者は私よりも6歳、7歳、年上の先輩がやってたので、
この若造家っていうようなスタートを切って、結構ノイローゼになるかなっていうぐらい痛めつけられたんですけども、
そこの経験が結構生きてるかもしれないですね。
パナマの時の思い出なんて何かございますか?
最初、マネジメントなんて何もわからない。まだ26歳、7歳がチームを率いなきゃいけないっていう。
なので、何でも自分はパーフェクトじゃなきゃいけないし、正しくなきゃいけないっていう思い込みがあったりとか、
それでですね、ボロボロ人が辞めていくんですよね。
パナマ人の同僚から、お前大丈夫なのかと、あいつダメなんじゃないかっていうふうに横槍が入りますし、
もう寝ても覚めても仕事の夢見てるっていうような感じで、結構辛いは辛かったのかもしれないですね。
ただ、呼んでいただいたパナマの社長さんとか、今でも頭が張らないですけども、
結構懐の深い方が多かったので、とりあえず失敗してみるからやれというような環境で、
長い目で見ていただいて、何とかパナマには3年いたんですけども、
やっぱり最後のほうになってくると、自分の部門のメンバーがもっと俺に任せてくれっていうことを
直接言ってきてくれて、実際にその人にやってもらったほうが自分よりパフォーマンス良かったりとか、
そういうのを本当に教えられたというか、そこはすごい良い経験になったと思いますね。
MBA取得の決意
なるほど。ありがとうございます。
ソニーにいらっしゃるときにMBAを取得なさっていらっしゃると思うんですけど、
MBAはどこかでどうしても取ろうという決意があられた感じで。
会社を選ぶときに、先ほどのソニーなのか、商社なのか、
そもそも就職活動の条件というか、行く会社の条件としてMBAの派遣制度があるというのが条件で就職活動をしていたので、
そういった意味ではソニーも当時はあったと。
ただ私がパナマにいるときに人事の方が出張で来て、制度をなくしたから、みんな辞めちゃうんで、
辞めましたというのを宣言されて。
でも、そこはすごいなと思ったんですけど、就職の新卒面接のときに私がMBAに行くというのを
ちゃんと条件にしていたことは記録が残っていて、なのであなたは活かしてあげると。
ただ2年ものはダメだと。
なので1年制のMBAで、ヨーロッパは1年のものがあるので、
そっちだったらいいですよという話になったんですけど、
どうしてもやっぱりアメリカの本家というか2年もののMBAに行きたかったので、
そこは慈悲で行くという決断を最後にしたんですけども。
なるほど。ありがとうございます。
そのMBA取得後、国内の投資ファンドの方に大釣りになっていらっしゃるんですが、
これは転職の機会というか、
基本的にMBAに行った、全員とはもちろん言わないですし、
会社派遣の方は会社に戻る方も日本人の場合は多くいらっしゃいますけども、
基本的にはキャリアを作りにMBAに行っているんですよね。
私が行った学校はファイナンス校と呼ばれている学校で、
金融に強くて、大体用途は投資銀行かコンサルに行く人が多いと。
あとファンドとか。
で、私も次のステップどうしようかなと。
そういうに戻る機会は正直あまりなかったので、次を模索したんですけども、
まず投資銀行は合わないなというのがありましたと。
で、じゃあコンサルかなと思っていたんですけども、
インターンを夏に2社ほどやらせていただいて、結構合わないなと思ってですね。
道がMBAまで来てしまって、しかも慈悲で行って、どうしようという中で、
相上東進での挑戦
一瞬で気づいたんですけど、
クラスメイトに、ソニーに戻ろうかなと思っていると言ったらですね、
まあ、アメリカ人だったと思うんですけど、お前はばかかと。
何しにここに来たんだと。
なにソニーに戻ってきたのか、ソニーに戻るかどうかって思っていたんですけど、
その後、コンサルのメインからオフィスに行くという。
と思っていると言ったらですね アメリカ人だと思うんですけどお前はバカかと
何しにここに来たかと何ソニーに戻ったらどういう役職でどういうポジションでどう 仕事するのって聞かれまして
いやなんか課長になるのにあと5年ぐらいって言われたって言ったら本当にお前はバカかと 言われまして
あそうだよなとここはやっぱりチャレンジするために ここまで来てるのだからやはり今までとは違う
私はマネジメントというものを追求したいと思ってたので
クラスメイトに私が行った相上東進という会社さんなんですけれども 創業メンバーの人間が私のクラスメイトに行って
ここから相上東進という会社 相上さんという創業者の方がまだその当時はいらっしゃって
その要は社長の会社というところから次のステップに行きたいから その次のステップを作るところを一緒にやらないかというような声かけをいただいて
70人ぐらいですかね当時70人ぐらいの会社に飛び込んだっていうような 流れになりますね
相上東進大変有名なファンドでいらっしゃいますので リーさんの皆さん方もご存知の方が多いかもしれませんが
相上東進ではどんなことをしたらと思うのでございます
これは相上さんから最初に言われたことだったんですけども 社長を譲るからその仕組みを作れっていうのが私のミッションと認識をして
スタートをしたんですね 相上さんも神みたいな存在なので
みんな相上さんを見て仕事をしているというところをどう そうじゃない次の社長さんは神にはなれない
神にはない方がやらなきゃいけないのでそれをどう作るのかっていうのが私が与えた ミッションだなと思ったんですけども
やっぱり創業者の方は当たり前ですけど右に左に触れまくるわけですね その右に左に触れる中で私がそこに来た
目的というかミッションというのはどう果たすかっていうところはこれをどう 折り合いをつけながら実現するのかっていうのは
結構難易度が高かったなというふうに思いますね ただそこは一時でもここは絶対実現しようみたいなところとか
あとは相上さんも譲るというところは結構最後はやはり元にちゃんと譲ろうとされてたので
それをどうスムーズに仕組みとして作っていくかっていうようなところで 明確な何て言うんですかねよくある区分線って難しいんですけども
広報もやりましたしマーケティングもやりましたし 経営企画的なところもやりましたし
あと今にちょっと繋がるんですけどもコンタクトセンターみたいなところ お客様からの受発を受けるとかですね
そういった部分もあって そこを例えばその
電話がかかってくると普通に電話が鳴るんですね システムとか入ってなかったので
で一斉にパーンって誰が一番先に取るかみたいな世界で でもすごくやられてる方も疲弊してその例えばトイレにも行けないみたいな状態で
じゃあここはちゃんとシステム入れないといけないよねと 要は電話かかってきても取れなかった利益も残ってないみたいな
まあそういうところに例えばシステムを入れていくようなところもやるとか
なんか何でもやった記憶がありますね
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞き下さり誠にありがとうございました この番組は2017年1月から毎週配信を続けております
これまでにたくさんの生光社長生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました その内容はすべてテキスト化いたしまして私どもウィズビズが運営するウェブサイト
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております 音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして サイトの方にもさせていただいています
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき 経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております
本日の社長に行くインウィズビズはここまで また来週