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2026-10-15 16:48

「できない自分」を受け入れられる? アラフォーの学び直しと大人のかっこよさ

『アラフォー、ゆるっとウェルビーイング』は、多忙なアラフォー世代が「自分らしく、よく生きる」ためのヒントをゆるやかに探求するポッドキャスト番組です。睡眠不足の解消、運動の習慣化、人間関係の整理……。2人が実際に試して分かった「リアルな失敗と発見」をベースに、精神論ではない、具体的で持続可能なセルフケアを深掘りします。難しい話は一切なし。明日を少しだけ軽やかに生きるための考え方を、飾らない言葉で分かち合います。

💡今回のエピソード

今回のテーマは「『できない自分』を受け入れられる? 〜アラフォーの学び直しと大人のかっこよさ〜」

  • 経営者から「できない学生」へ: 仕事では怒られる機会がほとんどなくなっていたのに、海外大学院では英語がわからず、授業やワークについていけない。まるで自分の能力が半分になったような体験
  • 「できる自分」は環境のおかげ?: 日本語ならできることが、英語になるとできなくなる。自分の能力や自信は、どれくらい環境や周囲の人に支えられているのか
  • 大人になるほど難しい「教えて」の一言: 経験や肩書きが増えるほど、知らないことを認めづらくなる? できない自分を受け入れ、人から学び続けることと「老害」にならないことの関係
  • 肩書きがなくても堂々としている大人のかっこよさ: 何でもできることが本当の自信なのか。それとも、できないことがあっても自分の価値を見失わないことなのか
  • 結論:できない自分になれる場所を持っておく: 成長するためだけではなく、謙虚さや新鮮な気持ちを取り戻すために。アラフォーになった今、もう一度初心者になることにはどんな意味があるのだろう?

🎙️パーソナリティ: 飯野 希(https://x.com/nozomuiino)

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サマリー

飯野は、アラフォーになると仕事で怒られたり、初心者として教わったりする機会が減るため、意識的に「できない自分」になれる環境へ行く大切さを語る。35歳で海外大学院に進んだ際、英語で授業やワークについていけず、デザインやビジネスの経験まで含めて能力が半分になったように感じた。その経験から、自分の能力と環境の支えを切り分け、知らないことを認めて人に教わることが、傲慢さや「老害」化を防ぐと考えるようになった。さらに、28年続けたギターでジャズを習い始めた経験や、妻から編み物を習った経験を通じて、初心者として少しずつできることが増える楽しさを紹介する。AIとの対話だけでは世界が内向きになる可能性にも触れ、外側にある新しい経験へ踏み出すことを勧めている。

大人になって初心者になる意味
こんにちは、ビジネスデザイナーの飯野です。 このアラフォー、ゆるっとウェルビーイングは、多忙なアラフォー世代が、自分らしくよりよく生きるためのヒントを、ゆるっと探求する番組です。よろしくお願いします。
今回もですね、3回連続で1人回ということなんですけれども、次かな、次の次ぐらいかな、はいつも通り戻ってこれると思っております。
で、今日もですね、ちょっといろいろ僕の身に、えっと最近喋りたいことっていうのを考えてきたので、そちらを喋りたいなというふうに思っています。
で、今回はね、ちょっとだけパーソナルっぽい話もできればなというふうに思ってるんですけど、なんかやっぱアラフォーに近づく、アラフォーに近づく、40代に近づくにつれてですね、
誰かに怒られたりとか、自分が全然できないなって思うことって少なくなってきてるなというふうに思っているんです。
で、特に僕は20代はベンチャーにいて、そこで子会社を作って、経営というか執行役員をやるみたいなことをやってたので、
割と怒られることって、親会社の役員には怒られてましたけど、まあそんななかったんですよね。
で、仕事でうまくいかないことっていうのはもちろんあるんだけれども、誰かから違うよとか全然できてないよっていうのを指摘される機会っていうのはやっぱりどんどん減ってきてたなっていうふうには思っておりました。
で、そこでなんかやっぱり自分ができることばっかりやっちゃいがちなんですけれども、
基本的なところに戻って、なんか自分が初心者だと扱われる環境に行くっていうのがめちゃくちゃ大事だと思ってるんです。
で、それが僕が35の時ですかね、海外の大学院に学び直して行ったって時に本当にもうボコボコにされたんですけど、
割となんかいい経験だったなっていうふうに思っていて、そこから初心者に戻るってことは定期的にちゃんとやりたいなって意識的にやっています。
なんでその果たしとかはできればいいなっていうふうに思っておりますと。
で、なんかその大人の学び直しみたいな話もちょっとさせてもらったんですけど、
なんかそこら辺のデータもあって、OECDの調査だと年齢が上がるにつれて仕事に関係する学びに参加する割合がどんどん低くなっていくっていう傾向があるそうですと。
もちろん仕事とかね、家庭とかで忙しくなったりとかで時間が取れなかったりとか、なんかいろんな理由があるとは思うんだけれども、
なんか学ぶ時間があるかどうかとかだけじゃなくて、そもそも大人になるとやっぱり初心者になる機会っていうのがどんどん減っていくんじゃないかなというふうに思っております。
仕事でもある程度経験積むと、もちろん1回やったことっていうのを任されることが多いし、得意なこと任されるし、できること増えてきます。
それはね、やっぱりありがたいことだと思うんですけれども、逆に何もわかんない状態で誰かに教えてもらう経験ってかなり少なくなってくるなというふうには思っております。
やっぱり失敗したくないと思うんで、得意なことばっかりやることになると思うし、
普段あんまり怒られない中でこれ自分できませんって言うっていうのもなかなか難しくなってくるなというふうには思ってはいたんですけど、
なんかやっぱ新しいことを学ぶって単純に楽しいことだし、
他の人に突っ込まれないからって自分の能力が高いって勘違いしちゃうのもおかしいな話だなというふうに思って、
定期的にやっぱりボコボコにされる場っていうのは大事なんだろうなって勝手に思っています。
それでいくと、当時35から海外の大学院行き直してますけれども、
33とか34の時にこのまま暮らすと誰にも怒られなくて自分で調子乗っちゃいそうだなって急に直感的に思ったタイミングがあって、
海外大学院で英語に打ちのめされた経験
今まで一番苦手だったことっていうのはちょっとチャレンジしようかなっていうふうに思ったんですよね。
それが一つは英語だったんですけれども、
僕は大学の時に国際キリスト教大学っていうところで英語が強い大学にいたんです。
割と中高の英語の成績が良かったし、
高校の時の受験の英語っていうところでも受験のテストは解けた英語的には。
なので勝手に自分英語得意だなって思ってたんですけど、
実際国際キリスト教大学ICUに入ってから英語が得意とかそういうレベルじゃなく普通に英語を使える人ばっかりですごいくじかれたんですよね。
今までやってたことって全然無駄だったなというか、
やっぱり英語を分かるっていうのと英語が使えるっていう中のハードルっていうところにすごい距離を感じて、
そこから英語に全く興味なくなっちゃって、
逆に英語を使うような授業を避けたりとか、
海外の留学生とかとのコミュニケーションっていうのをなるべくしないようにしたりとか、
結構自分のコンプレックスとして英語ってものがもう深く刻まれちゃったんです。
なので大学出た後、大学院行っても特に英語の勉強とかしなかったし、
社会人になっても英語を使うっていう機会もなかったんですけど、
やっぱり振り返った時に、英語をやっぱり今ここで学び直した方がというか、
ボコボコにやっぱり一回された方がいいなって思って、
なんか無理して海外の大学院を行くみたいなことをちょっとやってみたんですけれども、
やっぱり英語を学ぶとそれなりにわかるようになるっていうところは、
初心者あるあるとしてあるんですけど、
それでこう海外行くんですよ。
そうすると、英語わかるとかいうレベルじゃなく、
普通に使えてる人ばっかりなんで、
これもう大学入った時と同じストーリーになっちゃいますけど、
もう全然ダメだって感じになっちゃったんですよ。
ただやっぱり英語でコミュニケーション取れなかったとしても、
デザインの分野だったりとか、
テクノロジーの分野だったりとか、
ビジネスの分野っていうところに関しては社会人経験があるんで、
他の人と話す時に、
こういうこと言いたいなとか、
ああいうこと言いたいなとか、
こういうふうに進められれば飯野になみたいなところは自分の中であったんですが、
やっぱりそれが伝わんないんで、
全部の能力が半分になるみたいな感覚だったんです。
これやっぱり結構しんどいなっていうふうに思っていて、
やっぱり自分が普段、
どれだけ自分ができるっていう環境の中で生きてるんだなってところを理解したっていう経験がその時にあります。
経験というか記憶というか。
自分が普段はできる人だってその時は思ってたんですけど、
どこまでが自分の能力で、
どこからが環境のおかげなんだろうなみたいなところを考えるきっかけにはなったかなというふうには思います。
あとやっぱり英語ができないっていうのは一つの理由でしかなくて、
英語ができないからといって他の人とコミュニケーションが全くできないわけでもないし、
ワークに参加できないわけでもないので、
そこのディスアドバンテージを背負った上で、
どうやったら他の人とコミュニケーション取れるかとか仲良くなれるかみたいなところはすごい大事だなというふうにその時思いました。
できないと認めて人に教わる
もう一つ考えたのが、
できないことをできるようにするためにはやっぱり自分ができないんだなって認めないといけないんですよね。
これは結構当たり前の話だなって思いながらも、
できないことを認めるとやっぱりできる人に教えてもらうっていう行動をしないといけないわけです。
これは結構僕はどんどん大人になるに従って難しくなってくることだなというふうに思っています。
最初にも述べたんですけど、
やっぱり仕事で経験積んだりとか立場上がったりしてくると、
なかなか教えてくれっていうのを言いづらいし、
周りも気を使って言わなくなってくるし、
そうすると自分がめちゃくちゃ違うことをしてても誰も指摘してくれないっていうふうになっちゃいがちだと思うんです。
あんまり良い言葉じゃないですけど、
老害っていう言葉があるんですけど、
あれって単純に年齢の問題じゃない気がするんですよね。
自分が知らないことを認められないとか、
他人の方が詳しいってことを受け入れられないっていうのが、
そういう状態になっちゃうっていうのが一つの要因なのかもなっていうふうには思っています。
なので、
僕が最近思ってるのは、
定期的に自分が全くできないことを経験してみるっていうことをやっていかないと、
どんどん傲慢になっちゃいそうだなっていう感覚はあります。
なので、なるべく新しいことをやってみるっていうのは定期的にやっていきたいなっていうふうに思うし、
逆に僕はチームメンバーと働くときに、
チームメンバーの方が経験あって、
僕が全くできないことっていうのをなるべく教わろうっていう形でしてるし、
そういったところからコミュニケーションできるようになったことも結構多いので、
そういったのは続けていきたいなっていうふうには思っています。
でもなかなかね、やっぱそれ教えてよって言えるかどうかって難しいし、
そこまでの人間関係ができてないと、
あっちも気遣って教えてくれないしっていうふうになると、
結局はこっちが寄り添っていってもあっちが寄り添えるかって話もあるんで、
なんかそこのバランスはすでにそういう聞くとか聞かないとかの関係性の前に決まってることになっちゃってるかもしれないなっていうふうにも思ったりするんですけどね。
肩書きに頼らない自信と大人のかっこよさ
で、最後にちょっと考えたいのが、
なんか自信って何なんだろうなーっていうのもちょっと最近思っているテーマではあります。
仕事で成果出したりとか何かできるようになったりすると自信ってついてくるとは思うんですけど、
それ自体はね僕は悪いことじゃないと思ってていいことだと思うんですけど、
なんかその仕事とかに肩書きがなくなった時に自分が自信を持ってられるのかみたいなところとかは、
なんか人によっては考えることがあるんじゃないかなというふうには思います。
例えば大学院に行った時に僕は経営者としてというかビジネスのトップとして意思決定をしてビジネスを伸ばしてきたっていう経験はあるわけなんですが、
なんか授業にもちろん関係ないわけですよそこら辺は英語の授業としてはね。
なので授業についていけないってことはあるわけですと。
でその時に自分の価値まで下がったように感じちゃうとすごく苦しいんじゃないかなというふうに思っているんです。
ただ逆にその自分が何かができなくたって知らないことがあったとしても、
なんか堂々としてられる人ってすごいかっこいいなというふうに思ってます。
で別になんか偉そうにするって話じゃないんですけど、
それってわかんないんですよね教えてよって普通に言える人っていうのがなんかやっぱかっこいい人だろうなというふうに思うし、
なんかそれができなくなってくるとやっぱりさっき言ったみたいになんか老害っぽくなってきちゃうのかなというふうに思ってます。
で特にあらほうって仕事でも家庭でもいろんな役割が増えてくる時期だと思いますし、
なんかそういう役割を全部外した時にどんな自分でいられるのかっていうのはなんか最近ちょっと考えたりすることが多いなというふうには思っています。
ジャズギターと編み物で初心者を楽しむ
で話がねちょっと戻すんですけど、
例えば僕はギターを28年とかかなやってるんですよ。
で今までロックとかを普通に弾いてきたわけなんですけど、
なんか新しいことやりたいなと思って最近、最近って言っても4ヶ月前ぐらいかな、
あのジャズギターを習い出したんです。
で近所にあのもともとギタリストで、ギタリストをやってたおじいちゃんみたいのがいて、
そのおじいちゃんの家に行ってギターを習うわけなんですけど、
その28年間本当に弾いてたんかっていうぐらい初心者になっちゃうわけなんですよ。
ジャズをやると全くわからんから。
全然使う脳みそも違うし、あっちが話してる言語も全然違う。
ただ自分の中では一応ギターずっとやってたしなっていうようななんていうんだろうプライドもちょっとだけある。
けどここはこういうことでわからないですとか、
なんかここのところは理解できないですとかいうのをちゃんと言わないと学べないんですよ。
そこに言ってる意味がない。
だからあっちも別にこっちを下に見てるわけでもちろんないから、聞いたらいろいろ教えてくれるんですけど、
なんか割と最初はその年上の人に出会ってもなんかちょっと聞くの抵抗あったなっていうふうには、
なんか自分の振り返るとそういうのはあったなっていうふうには思ってます。
ただなんかやっぱそこを取っ払って、なんか自分はやっぱジャズ聞けるようになりたいし、
新しい楽しみ方を知りたいなっていうところで、
でそのために必要なステップがあるとか、
今までジャズやってないからジャズ弾けないのは当たり前じゃんっていうようなマインドセットになると、
なんかそっからこうなんだろうな楽しくなってくるっていう感覚がちょっとありました。
それで去年の編み物とかもそうですね。
妻にならったりして、あれも楽しかったなっていうふうに思ってますし、
なんかちょっとずつ自分でできることが増えていくっていうのは、
なんかいくつになっても楽しいと感じてたいなっていうふうには思いました。
結局一人で話しててもなんかあっち行ったりこっち行ったりみたいな感じなんですけれども、
なんかできない自分を受け入れるとか、できない自分を積極的に経験していくみたいなところは、
結構なんだろうな、これからの年齢とか年を重ねていく上で、
すごい重要なスキルの一つになってくるんだろうなっていうふうに思ってます。
AI時代に外側の経験へ踏み出す
特にAIとかが発達していくと、
AIと会話してると自分がやっぱり頭良くなった感じがするし、
なかなかAIもね、あなた間違ってますとか言わないし、
自分が聞ける内容のことしか質問できないので、
なんかどんどんどんどん自分の世界に尖って、
内にこもっちゃうって感じになると思うんですよね。
ただ、そこを開いてくれる扉っていうのは絶対外側にあって、自分の。
で、その自分の外側にあるってことは自分がやったことないことのはずなんで、
いかにそこにアンテナを向けて新しい経験ができるかってところは、
これからいろいろなことを考える上でも重要なんだろうなっていうふうに思いますし、
それが自分の意思から始まることもあれば、
他の人との関係性の中で生まれるっていうこともあると思うので、
なんかやったことないを試してみるみたいなところに対しては、
常にフットワーク軽いな軽く痛いなっていうのは改めて最近思っているところです。
はい、なんか3回自分で喋ってるけど全然上手くなる気がしない。
これはただの準備不足なのかもしれないけれども、
こういうのも多分初めてで居心地悪さを感じながら勉強していくという感じなのかなというふうには思っております。
で、なんか皆さんも最近何かの初心者になったとか、
こういう居心地の悪さを感じたけど成長を感じられましたみたいな話があれば、
ぜひぜひ伺いたいなというふうには思っております。
はい、そんなことを考えてみるのも多分面白いですよね。
初心者、何かしらの初心者になってみるという感じかなと思います。
はい、じゃあこのアラフォーユルットウェルビングは毎週水曜日朝6時に公開しようと頑張っています。
この回は多分木曜日か金曜日になっちゃいます。
コメントとか各種プラットフォームで聞けますので、コメントとかいいねとかフォローとかお願いいたします。
それではまたよろしくお願いします。失礼します。
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