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#109 ものごとをうまく進めるための「公理系」を意識しよう
2026-09-12 11:46

#109 ものごとをうまく進めるための「公理系」を意識しよう

公理系とは、証明なしに正しいとする命題の集まりのことです。今回のエピソードでは、数学などでよく取り上げられる公理系の構築はひとりの個人がすべきものでもあるし、それは役に立つ、という話をしています。


【プロフィール】

そっちゃそ(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@trans_souta⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)。フリーランス産業翻訳者。東京工業大学(現:東京科学大学)大学院修了。2019年よりフリーランス産業翻訳者として開業し、現在に至る。専門は技術、IT全般。副業として語学指導や発音指導も手掛ける。ご意見・ご感想は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠公式HP⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠のお問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。ライオン君との共同ホストPodcast番組、『⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠円卓上のイエティ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠』にもレギュラー出演中。


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サマリー

このエピソードでは、数学における「公理系」の概念を、個人の行動や語学学習に応用する重要性について語られています。公理系とは、証明なしに正しいとされる大元の前提であり、これを個人が持つことで、行動の指針が定まり、迷いを減らすことができると説明されています。特に、客観的な根拠に囚われず、自身の主観に基づいた公理系を確立することが、物事をうまく進める上で不可欠であると強調されています。

公理系とは何か
こんにちは、そっちゃそです。 この番組そっちゃその語学ラジオでは、語学学習というテーマを軸に、その本質やあり方について哲学的に考えていきます。
ここで扱うエピソードは、もともとYouTubeに公開した内容をもとに、 音声コンテンツとして再編成したものです。
映像がなくても理解できるように設計していますので、 通勤中や作業中など、長ら時間にぜひお楽しみください。
それでは今回のテーマに入っていきましょう。
こんにちは、今回のフォトキャストのエピソードを開始したいと思います。
今回は英語系、語学系の話にはならずに、またそれ以外の抽象的な話になると思います。
今回は、公理系という話をしたいと思います。
公理系、公理というのは一言で言うと、大元の前提になります。
大元の前提というのは、前提があって何かそこから誘導されて、 意見を作ったり、言説を作ったり、あるいは定理を作ったりするというのが、よくある論的手法のやり方です。
公理系というのは、大元になるのが公理系と言います。
これは数学的な説明で、例えば、数学って幾何学ありますよね。
幾何学って、中学とか高校で習う三角形を使ったり、四角形を使ったりして、円を作ったり、角度を求めたり、相似や誤同の条件を何たらかんたらしたり、多分ほとんどの人が経験があると思います。
それが幾何学なんですけど、それも公理系というのをゼとして、ゼとしてというのは公理系という大元の前提があって、
それを出発点にして、三平方の定理とか予言定理とか、中学校、高校でその名前を耳にしたことがあるような定理を演劇するわけですよね。
演劇というのは、前提をもとに、そこから個別の言えそうなことを適宜導き出していくというのが演劇ですよね。
公理系の特徴と日常への関連
何でいきなり今回のエピソードで公理系という話をし始めたかというと、これって数学とか学問の話のみならず、普通の生活でも重要になるはずなんですよ。
公理系の考え方が、いつも僕が説明している語学学習でも当然役に立ちますし、それがないと結構困るという話をしてみたいと思います。
さっき一番最初に言ったんですけど、公理系というのは要するに言い換えると基本的な前提、基本的な出発点なんですけど、これってそれを支える前提はないんですよね。
要するに自明、自明と言ってもいいと思います。自明というかもしくは明らかと言ってもいいと思います。
例えばまた幾何学の例で説明します。幾何学の公理って例えばある点があって、点っていうのは要するにポイントですよね。
ある大きさを持たない粒みたいなのがあって、それとまた別に点がもう一つありますよと。
その時に幾何学平面上で、空間でもいいんですけど、幾何学平面上でその二つの点を通る直線はユニークにただ一つにビシッと決まるというのが公理の一つにあります。
これは別にそんなに違和感はないですよね。それはそうだと思いますよね。
実際に紙切れに点を2個打って、そこの2つを通る直線を引けって言ったら、多分誰もがみんな同じ直線を引きそうじゃないですか。
と考えると、その公理って確かにそれは当たり前だよね、自明だよねって思いますけど、それが公理の一つなんですよね。
ただこれってそれ自体の証明はできないんですよね。
2点間を通る直線がただ一つに定まるという説自体の証明をしてくださいって言われたら困りますよね。
そりゃそうだ以外のことは言えないですよね。
これって1たす1が2であることの証明をしてくださいっていうのと似てて、1たす1が2っていうのは自明じゃないですか。
自明なことを証明するって結構難しいんですよね。
例えば整数×整数は整数ですとか、整数に整数を足したら整数ですとか、あるいは実数×実数は実数ですとか、全部自明ですけど、
じゃあそれを示してって言われたらちょっと困るんですよね。
これが公理系の要素になる公理の特徴になります。
つまり当然なんだけど、それの証明はできないっていうのが公理になります。
個人が公理系を持つ意義
ここからは数学の話とはちょっと離れるんですけど、
この公理っていうのは要するに何をするか、どのように進めるか、何を決定して何をおかしいと見やすかっていうのが全ての出発点になるんですよね。
これからは僕の意見なんですけど、これを個人が、個人っていうのは要するに特に有名でもない普通の人が公理系を所有すべきであるし、
その公理系を持って話を展開したり行動したりするのは当然であるし、
その公理系が例え別の人の公理系と被っていなくてもそれは変なことではないっていう話をしてみたいと思います。
まさにこれってポジショニングの話なんですよね。
私はこのような原理で、ミッションって言ってもいいのかな個人の場合は。
私はこのようなミッションを考え、ポリシーでやってますよっていうのを公に表明して、
そこに基づいて行動したり発言したりアクション起こしたりしていくというのが良いのではないかと思いますよね。
これってやっぱり数学の規格の公理から定理を導きする話とすごくアナロジーがあるように思いませんかね。
さっき言ったように個人のミッションもまたそれ自体は自明というか、それ自体はその人にとっては明らかで自明で揺るがない信念であるが、
あるがいえにそこから演劇される話とかもまた確かなものになっていくと。
もっと大事なこととして、それ自体公理を支える支えは何一つないのであるが、それは確かなものとして扱えるっていうのが似てますよね。
別に公理が本当に自明かどうかってのはあまりどうでもいいんですけど、
これって本人がどう思っているかという主観の話ですから、別に他人を説得するために私と同じ考えを持ちなさいという、
そういう説得をするために公理を持つわけないんですよね。
私はこう思いますという話は、あなたはこのように思っていませんという話と両立しますよね。
別にそこで周りの意見と自分の意見を調整する必要は全くないわけですよね。
これがよくあるというか、良いのではないかというふうに僕は考えています。
主観的決定と語学学習への応用
なぜこの抽象的な話をしたかというと、これ多分語学学習にも効くんですよね。
僕はよく主体的に主観で勝手にやりましょうというのも語学学習のよくある、よくあるというか理想的な姿だと言っているんですけど、それと同じなんですよね。
このようにするのが良いという話を、このようにするのが良い、このようにするのが良い、
良いと思っているという話をその客観の支えを使わずに主観で勝手に決めるというのはすごく大事なはずなんですよね。
それって前回でも言った主観と客観の話と絡んでくるんですけど、私はこのように思いますというのが、
私はこのように思いますという発言を表明しつつ、その根拠自体を客観に求めないというのが大事なんですよね。
別に主観で出てくる情報が別に客観の支えを要求するというのはマストではないですよね。
当然その場合もあるんですけど、私は思っているという事実を表明してそれを固めることにはすごく意味があります。
別にそれはおかしなことではないですよね。
その点と点を通る直線はただ一つに定まりますとしますというふうに、とりあえず固めることというのはその後の話を進めるために必要じゃないですか。
公理系が定まらないと影響は何もないですからね。
それは大元の支えを作らないとすごく困難なんですよね。
重要なこととしてやっぱり周りと自分で合わせる必要はない。
周りの景色と自分の主観を調整したり合わせたりマッチする必要は一切ないという感じですよね。
主観でやっていく、自分でやっていく、周りと連絡調整をしていい感じに噛み合うようにしないというのはすごく大事だと思います。
主観で物を言って何か批判されたとして、それに対して説明をしなければならないという変なルールはないわけですよね。
確かに説得力を増強させるという目的で客観的な情報を集める、事実の情報を集めて自分の言説を強くするというのはあるんですけど、
それは別に後回しでもいいんですよ。その後回しもすごく後回しでいいんですよ、時間的に。
なぜかというと、これも過去の歴史の事実を集めるとわかりますよね。
まずこのような仮説が出ましたというときに、それを実証するも反証するも別に即日でできるわけではないですよね。
場合によっては科学の世界で10年、数十年、あるいは何世紀もかかるというのがよくあります。
だからこのように考えてますという発言をしてから、それが実証または反証されるまでに100年ぐらいかかるというのは結構よくあるんですよね。
数学でも科学でも多分同じですよね。
それって技術が追いつくとか、観測できる技術が追いつくとか、リソースが足りないときに出てきた仮説だからすぐに検証できないとかいろいろそういう都合があるんですけど、
リセンセーをこのように思ってます、このように感じていますというのは早期に表明した方がいいはずなんですよね。
それって個人の動きとか個人が何をするかというのもすごく効いてくると思います。
同じことを言いますけど、演劇と言いましたけど、ここは行為がないと演劇ができないんですよ。
ミッションがないと演劇ができないんですよ。
ミッションをまず固めないと何をするか何をしないかというので永遠に迷ってしまいますよね。
よく僕は学習法を探して迷子になってしまう人、永遠に消耗してしまう人という話をよくするんですけど、
それと同じで、それもまさにミッションがない人、行為がない人という感じじゃないですかね。
客観の支えを求めてしまう、客観が全てだと思ってしまったらやっぱりちょっとまずくて、
私はこのように感じていて、私はこのようにしたいですという主観の確定をしないと、じゃあ何をすればよさそうかというのは決まらないんですよね。
正解不正解というのは基本的に存在しなくて、あるのは主観、本人が何をしたいと思っているか、本人が何を良いと思っているかというのが全てだと思います。
これってすごく語学学習でもすごく効いてくるんじゃないかなというふうに僕はいつも考えています。
まとめと番組情報
今回の話は以上になります。
次回のポッドキャストエピソードもぜひよろしくお願いします。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
noteやKindleでもこのラジオで扱っている内容をより体験的に整理したコンテンツを発信しています。
さらに深く学びたい方は概要欄からぜひチェックしてみてください。
また、英語発音講座の無料体験を常時受け付けていますので、こちらもお見逃しなく。
詳細はエピソード説明欄、まつりのリンクからご確認ください。
オンライン完結ですので、ご自身のペースで取り組むことができます。
それではまた次回お会いしましょう。
さようなら。
11:46

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