前回、そのようなことを言ったんですけど、 今回はなぜそもそも、もっとメタ的な視点に立って、
なぜそもそも、隙間時間を使わせたがるのかという話をしたいと思います。
例えば、語学学習で困っている人がいて、 学習をしたいけど時間がなくて困っているんですとか、
もしくは他にもやることがあって手が回らないんですとか、 そういう悩みを持つ人たぶんたくさんいますよね。
そういう人に対して言えそうなことって、 十中八九というか9割型の人は、
時間がないなりに細切れの隙間時間を見つけて、 できることから始めましょうとか、
単語を一個でも多く覚えましょうとか、 音源を一つでも多く聞きましょうとか、
そういうことを言うと思うんですよね。
これが今回の話の種になります。
また隙間時間に怪奇的な立場なんですけど、 今回はこの話なんですけど、
じゃあ、なぜその隙間時間を使わせたがるんだと思いますか。
隙間時間で頑張りましょうねっていう人、 何を考えていると思いますか。
それってたぶんですけど、 目的がすり替わっている感じがしませんかね。
語学学習は当然の当たり前のことを言うんですけど、 語学学習って何をするかっていうと、
語学の知識を身につけたりもっと言うと、 喋れるようになるとか話せるようになるとか、
もしくは聞き取れるようになるとか、
そういう技能の習熟、技能の完成っていうのを 当然目指してますよね。
それが当然目的であって、 今更確認するまで当たり前の話なんですよね。
それが目的ですと。
ただ、その隙間時間で頑張りましょうねっていう人って、
それを意識してますかって言ったら、 ちょっと疑問じゃないですか。
隙間時間で頑張らせようとする人って、 頑張ること自体が目的になってませんかね。
英語学習をすること、英語学習を毎日やること自体を 目的にさせようとしている感じがしませんかね。
ここにすごく違和感を感じるんですよね。
英語学習をさせている気分を与えたいっていう人がいるんですよ。
そうするとピンとくるものがありませんかね。
例えば英語アプリとかもそうですよね。
英語アプリって英語学習をしている気分を与える サービスというかアプリってそういうのって
管理はしませんかね。
具体的にはプッシュ通知で、 毎日習慣化して頑張っている気分にさせるとか、
もしくはリマインダーで煽ったりして、
今、習慣が途絶えてしまいますよって 謎に煽ったりするアプリってあるじゃないですか。
そういうのと同じで、
これも一形態で何が言いたいかというと、
英語学習をしている気分にさせたい人たちがいるんですよ。
なぜかというとアプリの例でまた言うと、
アプリって要するに単純接触効果的なやつで、
毎日毎日接してくれた方がいいんですよね。
接触回数が増えれば増えるほど、
そのアプリに対して愛着を持つじゃないですか。
そうすると好意を抱いたりして、
マーケティング的にも有利ですよね。
好意を抱くってことは他人に紹介したり、
シェアしてお勧めしたりする機会が増えそうじゃないですか。
これマーケティング側の観点なんですけど、
英語学習者の技能の習熟を目指すっていう方向ではなくて、
英語学習をしている気分にさせることにフォーカスが入ってしまうんですよね。
それがスキマ時間にも同様に当てはまると思います。
スキマ時間で頑張りましょうねっていう人って、
スキマ時間で頑張っている気分に浸らせようとしているわけですよね。
それが大きな疑問点の一つです。
今回はそれに加えてもう一つ言いたいんですけど、
さっきスキマ時間でなんとかなんとかっていうときに、
できることから始めましょうねってさっきボソッと言ったんですけど、
これって言い換えると、
できないことは後回しにしましょうねって言ったのが等価ですよね。
できること、できないことって二分をするとして、
できることを先にやりましょうって答えをするに言い換えると、
できないことは後回しにしましょうって言っているのが等価じゃないですか。
これって別にそんなに変ではないと思うんですけど、
そこに意識の問題としてまず疑問がいくつか出てくるはずなんです。
例えば、できないことが後回しにするとして、
じゃあそれはいつするんですか?
そもそもそれはしないといけないんですか?
もっと言うと、できないことって具体的に何ですか?
そういう疑問が出てくるはずなんですよね。
そもそもその人はできないことが存在することを把握しているんですか?
そういう疑問が出てくるはずなんですよね。
さっきの話で言うと、単語を覚えましょうとか、
一個でも単語を覚えましょう、一個でも音源を聞きましょう、
それが手っ取り早くできることであることは間違いないんですけど、
じゃあそれじゃない方ができないことって何ですか?
多分ほとんどの人は回答できないと思うんですよね。
困るじゃないですか。
全体像を把握できないというのは致命的ですから、
別に語学学習に限った話じゃないんですけど、
目に見えるもの、単語を覚えるだの音源を聞くだのって、
目に見えるもの、わかりやすいものをすぐに着手して、
なおかつ重要というか最も言いたいこととして、
英語学習をしている気分に浸れるものに対して優先的に飛びついて、
じゃない方にフォーカスが入らないというのがまずいですよね。
で、じゃない方ってじゃあ何かっていうと、
普通に英語を使う、実践する、
自分がプレイヤーとして英語を使っていくっていうのは、
いわゆる後回しにされちゃう方じゃないですか。
これって世の中の景色を見るとすごくわかることで、
東一区一遍、東英研一遍とやっている人って、
一見ものすごい長時間、長期間、コツコツ頑張っているように見えるんですけど、
肝心の普通に英語を実践で使うというのがすごくオルトになるんですよね。
極端な話だと、例えば発音の学習をしている人で、
私は発音の学習をしています、発音の勉強をしていますっていう人でも、
何年何十年しても自分の口で発音をしないという人も多分いるはずなんですよね。
それってすごく滑稽じゃないですか。
自分で口を動かして発音をしない発音学習者ってすごく変ですよね。
ただそれって結構あるんですよね。
当たり前の事実として、英語を話したことがない人は英語を話せるようになれるわけがないんですよね。
英語を話せるようになれば英語を話さないといけないですし、それはマストなんですよ。
そこを外してはいけないわけですよね。
ただこれが普通に使っていくっていう部分がさっき言ったところの、
できないことを暗示的に後回しにされちゃう部分なんですよね。
それがすごくまずいのではないでしょうかというふうに僕は考えています。
メタ視点ってさっき言ったんですけど、それと同じですよね。
メタ視点の話はこのpodcastipsの第24話でもやってるんですけど、
これなんですよね。
手っ取り早くできるところから飛びつくとか、
なんとなくこれに飛びつくとかじゃなくて、
まず初手の初手で全体像を把握して、
こんな感じの景色なんだろうなっていうのを把握してから、
優先順位や課題設定能力を駆使して、
じゃあここを抑えた方がいいよねっていうのをまず、
初手っていうのは要するに初めのフェーズで決めるべきなんですよね。
それをしないとどうでもいい部分に無限に時間を消耗するわけじゃないですか。
さっき英語アプリを使うっていうのは一つの例で挙げたんですけど、
それもそうですよね。
英語アプリを使うことが目的かして、
英語アプリを設計するマーケターのいいように振り回されて終わっちゃったら嫌じゃないですか。
それと同じですよね。
じゃあその課題設定で重要になる部分って何かっていうと、
これは人による意見なんですけど、
一つの象徴的な例を挙げるとさっき言った、
普通にプレイヤーとして英語を使っていくっていうそれがあります。
英語を使わないと英語を使えるようにならないっていうのは大原則大前提ですから、
これは多分当然万人に当てはまるはずです。
英語学習をしているのに英語を使ったことがありませんっていうのは、
もうこれノンフォープなわけですよね。
そういう話ですよね。
できることからやるって隙間時間の話で、
できることからコツコツやりましょうっていうのが論点のずれ方が多分わかると思うんですよね。
隙間時間でやれることを今そこでイージーですぐにできることからやりましょうっていうのは、
なんかすごく一見ごもっともな気がするんですけど、
ここに重大な欠陥があって、
それは論点の課題設定が絶望的なまでにできていないと、
本人が何が重要になりそうかっていうのを把握できていない、
メタの視点から把握できていないとかが問題なのかなって思います。
だから似たようなことの繰り返しなんですけど、
隙間がありました。であるがゆえに何かそれっぽいことを詰め込みます。
そうしまえば消耗するじゃないですか。
この隙間時間学習法の構造上の欠陥については前回の隙間時間のエピソード73で説明したんですけど、
それと全く同じことを言うんですけど、
隙間時間というのはいずれ必ず消耗する結果破綻するんですよね。
何でかというと作業に作業を詰め込んでいるから、
作業に作業を詰め込んだらしんどいのは当たり前なんですけど、
なかなかそこに気づけないんですよね。
本人が何をしようとしているのかが本当に全てだと思います。
英語学習をしている気分になるだけではあんまり良くないねって言ったんですけど、
それも本人次第ですよね。
英語学習をファッションのように捉えて、
英語学習をしている自分でかっこいいというふうに思いたいのであれば、
別にそれはもうアプリだろうが何だろうがいいと思うんですけど、
もし本人が英語学習をして喋れるようになりたいとか、
使えるようになりたいと思うんだったら、
その道はちょっとずれてるなって思いませんかね。
そういう感じなんですよね、今回言いたかったところは。
今回の話は以上になります。
隙間時間でやっていくことの限界についてという、
続編的な位置づけでやったんですけど、
一番言いたかったところは、
やれることからやる、できることからやる、
イージーなところから手を付けていくっていうのは、
もしですよ、もしそれが全体像を見据えた上での初手だったら別にいいんですけど、
近視眼的に目に見えること、分かりやすいこと、
イージーなこと、すぐに把握できることばかりに手を出していると、
それって定時のレイヤーでもがいているだけで無限に消耗するじゃないですか。
いつか必ず報われる、量をこなせば必ず成果が出るというのは、
これはもうただの宗教みたいなものですから、
それはあまり期待しない方がいいと思います。
とにかく全体像を把握するというのが本当に全てだと思います。
今回のエピソードの話は以上になります。