1. そっちゃその語学ラジオ
  2. #107 事実を幅広く認めること..
#107 事実を幅広く認めることが重要になる理由
2026-09-11 12:18

#107 事実を幅広く認めることが重要になる理由

頭の固い人、同じことしか言えない人、価値観をまったくアップデートできない人に共通している癖に、「新しい情報を認めることができない体質」があります。今回のエピソードでは、事実としての一次情報を可能な限り広く、時間的にも空間的にも幅広くとっていくことが大事になる、という話をしています。


【プロフィール】

そっちゃそ(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@trans_souta⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)。フリーランス産業翻訳者。東京工業大学(現:東京科学大学)大学院修了。2019年よりフリーランス産業翻訳者として開業し、現在に至る。専門は技術、IT全般。副業として語学指導や発音指導も手掛ける。ご意見・ご感想は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠公式HP⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠のお問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。ライオン君との共同ホストPodcast番組、『⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠円卓上のイエティ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠』にもレギュラー出演中。


【YouTube】

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.youtube.com/@trans_souta⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


【note】

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://note.com/trans_souta⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


【BGM】

フリーBGM「コーヒーブレイク」


英語発音講座の無料体験も常時受け付けています。今のところ大好評です:

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.souta-maruyama-trans.com/hatsuon⁠

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、「理解できる範囲」を時間的・空間的に広く持つことの重要性を説いています。視野が狭いと、物事を単純化し、都合の良い解釈に固執しがちですが、現実を広く捉えることで、自説を再評価し、より統一的で正確な理解へと導かれます。科学の世界では仮説の改変が奨励されるように、自身の考えを更新する勇気が成長には不可欠です。これは語学学習にも通じ、偏った情報ではなく、可能な限り幅広い事実情報を肯定的に受け入れることで、本質的な学習が可能になると強調しています。

はじめに:理解の幅を広げる重要性
こんにちは、そっちゃそです。この番組そっちゃその語学ラジオでは、語学学習というテーマを軸に、その本質やあり方について哲学的に考えていきます。
ここで扱うエピソードは、もともとYouTubeに公開した内容をもとに、音声コンテンツとして再編成したものです。
映像がなくても理解できるように設計していますので、通勤中や作業中など、長ら時間にぜひお楽しみください。
それでは今回のテーマに入っていきましょう。
こんにちは。今回もポッドキャストのエピソードを開始したいと思います。
今回は語学学習のネタにはならないのかなと思います。
またいつものように抽象的な話がメインになると思います。
今回は、理解できる範囲、理解可能な範囲というキーワードで話を始めたいと思います。
理解できる範囲というのは、要するに時間的な幅、物理的な幅、地理的な幅というのがいろいろあって、
それが狭いとか広いとかそういう話ですね。
基本的には当然広い方がいいんですよね。
なんで広い方がいいかというのをこのエピソードで順を追って説明したいと思います。
理解の幅の具体例:地理的・時間的視点
まず具体的に広いと狭いって何かというのを説明したいと思うんですけど、
例えば、地理的というのが一番わかりやすいと思うんですよね。
地理的というのは住んでいる場所、生活圏という話で、
これって生活圏が狭いと当然生活圏の中の常識とか価値観しか自分の目に入りませんよね。
これ最も典型的なのは、片田舎とかそういう価値観がものすごく固定された、
自分以外の周りの人もほとんど自分と同じような解釈や価値観や判断しかしないという状況が、
地理的に理解できる幅が狭いという話に相当します。
これは何かそういうのがよくありそうと理解できると思うんですよね。
逆に広いというのは、自分の周りの環境というか、自分が関与する環境が地理的に広いということを意味します。
例えば、田舎と都会というのがよくあるパターンですよね。
最も典型的というか、最も好ましいというか、よくあるパターン、良いパターンなのが、
田舎から都会に上京する人ってものすごく良いパターンなんですよ。
なぜかというと、田舎の価値観と都会の首都圏の価値観を同時に対比できるじゃないですか。
要するに多元的になるんですよ、それだけで。
だから、田舎で生まれ育って都会に上京しましたというのはものすごく有利なパターンで、
どちらも、片方をもう片方に対比して比較できるという、こういう多元的な感覚が得られるんですよね。
これが理解できる範囲が増えたというパターンのうち、よくある典型的なパターンの一つだと思います。
これは地理的ですよね。
時間的とか、時間も過去と今を比較する、過去と現在を比較する、もしくは今を将来の比較対象にするとかいろいろありますよね。
それが理解できる幅・範囲という話になります。
当然、これを広くした方がいいというのはわかりますよね。
狭い理解がもたらす問題と科学的思考
なんで広くした方がいいかというと、それをしないと言えることがすごく原点的なんですよね。
論理的とか言うじゃないですか、AだからBです、AならばBですってよく言いますよね。
それで当然、知っている内容を拡張しているのが論理ですよね。
○○ならば××というときに、その○○の前提が存在しないと何も言うことができないのがわかりますよね。
このときに、自分の理解している範囲が狭いほど実は物を言いやすくなってしまうんですよね。
例えば、支えがない物体は落下するって普通の名だじゃないですか。
支えがない、例えばリンゴが木から落ちると全く同じことを言うんですけど、
何者にも支えられていない、机とか手とかそういう支えがない物体は当然例外なく落下しますよね。
その一方で飛行機は落下しないですよね。星も落下しないですし、雲も落下しないです。太陽も落下してこないですよね。
これでどのように解釈すればいいですかって考えたときにどう思いますか。
それは例外です、おしまいで一発で解決してしまうこともあると思うんですけど、それは何か強引ですよね。
強引というかエゴですよね。
ではなくて、これってさっきのまさに理解の幅が広まったということですよね。
飛行機や雲や空の星を検討に入れた、つまり理解する幅を物理的に広くした結果、今まで言ってたことが言いにくくなったということに相当しますよね。
これが理解の幅を広げることによる効果の一つですよね。
つまり、現実を広く理解するほど、現実を広く解釈して総合的に判断すればするほど、今まで言っていたことが言いにくくなっちゃうんですよね。
自説が弱くなっちゃうんですよ。
支えのない物体が落下するという現実に対して、反対意見というか反撃を許してしまうんですよね。
これは困りますよね。困るんですけど、これっていいことで。
特に科学の世界とかそうですけど、もともと立てた仮説を改変して、改変して、書き換えて、新しく幅広い事物に対応できる、統一的に対応できる仮説に書き換えるということは、ある種関連になってるんですよね。
例えば、さっきの落下するの話だと、これって万有引力で説明できますよね。
万有引力で説明できますし、またもしくは、飛行機には揚力が働いてて、その分万有引力で引っ張られる力を打ち消すことができるとか、
星も、要するに周回運動をしてるから、その万有引力の影響は受けているものの、その周回運動でバランスをとっているとか、
雲もそうですよね。雲も、空気の抵抗とか空気の流れに抗えないほどに、重量や体積が小さくなっているからそうなっているって、統一的に説明できますよね。
全部、万有引力を絡めて説明すれば矛盾しませんよね。こういう説明の書き換えっていうのが、科学の世界では許されているんですよね。
それをできるようにするきっかけっていうのが、さっき言った幅広く理解すること、幅広く解釈することに相当しますよね。
視野の狭さと確証バイアス
これができないとどうしても、理屈はごもっともであるから、あまりにも視野が狭すぎる人になってしまうんですよね。
具体的には、例えば、SNSとかで何か起こっている人って毎日いるじゃないですか。
そういう人って、ものすごく解釈の幅が狭い、受け入れることができる情報量が狭いがゆえに、
自分にとって都合のいい解釈ばかりをして、何か勝手に起こりだすっていうのはすごくたくさんあるじゃないですか。
これってまさに、幅広くフラットに解釈するっていう話の対局で、それって逆にあまりにも狭く解釈して自節を問わせるっていうのは良くないパターンですよね。
理屈や論理は多分あっているんですよ。AならばBとかそういう話があっているんですけど、
そのAならばBのAの文に入る話があまりにも狭すぎるっていうのが、よくSNSで起こっている人の典型なんじゃないのかなって思います。
そういう時って、そうであってほしいっていう願いがやっぱ絡んでるんですよね。
需要できる情報の範囲が狭いって言ったんですけど、そもそも何で需要できる情報の範囲が狭い人がいるのかっていうと、
根源とか根底にあるのは、自分が解釈したいというか、自分が持っている自節にしがみつくたりとか、
こういう信念であってほしいっていう無根拠な妄想が根底にあるんだと思います。
それってすごく良くないですよね。確証バイアスの話と絡めてもいいと思います。
確証バイアスっていうのは、自分にとって都合の良い話ばかりを集めてしまう。
仮に自分にとって都合の悪い情報が目に入ったり耳にしたとしても、それを無かったりするとか例外にするとか、
あるいは逆に怒り出すとかそういう話をしてしまうというのは確証バイアスですよね。
考えを更新する勇気と成長
これって今も昔もこういうのたくさんありますよね。
であるがゆえに、さっき万有引力の話でした。書き換えという作業がすごく必要なんですよね。
今まで言っていたことを書き換えるというのは本当に別に咎められるような話ではないですし、
それは当然のようにやっていいことなんですよね。
それをしないと物事を広く統一的に解釈できなくなってしまって良くないというのがありますよね。
これは勇気とか行動力、行動力というのは勇気の問題だというふうにまとめてもいいと思います。
つまり今まで言っていたことを言い換えるとか、今までの考えを改定するというのはやっぱりちょっと勇気がいるはずなんですよね。
人間というのは一貫性を維持したい動物ですから、ずっと今まで言っていたことを言い換えるというのは勇気の問題なんですよ。
一貫性を維持するとやっぱりかっこいいと思ってしまいますから、それは確かにやることとしてはちょっとハードが高いんですけど、
それでもそれをしないと5年後、10年後、20年後になっても全く同じような話しかできないつまらない人になりますよね。
やっぱりそれは嫌じゃないですか。
それを変えるために最初に来るのは現実を広く確認すること。
注意的にも物理的にも空間的にも現実を広く確認することも、そしてもっと大事なこととして、
その広く確認した事実に関して例外を作ったりしないこと、
自分にとって都合のいい情報だけを集めないようにしないことっていうのはすごく大事になりそうだよねって話をしました。
語学学習への応用と現実とフィクションの区別
これはいつも言っている語学学習の話にも絡むことで、語学学習もお気に入りの人の話しか聞かないとか、
これは都合が悪いから見なかったことにするとか、ネイティブがいいからノンネイティブの話しか聞かないとか、
この人は推しの人だからこの人の言っていることを信じるとか、そういうのはしない方がいいって言うんですよね。
とにかく時間的、空間的に可能な限り幅広くリーチをとって、
それをすべて、それをすべてというか、その具体的な情報をすべて、事実情報を肯定した上で、
多分こんな感じになっているんじゃないのかなっていうざっくりしたパターン認識をするのが語学学習じゃないですか。
僕がいつも語学学習で一流情報を大事にしましょうねって言っている話の根拠というか、話の根源がここにあって、
それをしないと何も始まらないんですよ本当に。
フィクションやファンタジーと言って言ったら何が何でも分離する必要があるんですよね。
語学学習はフィクションやファンタジーじゃないですよね。
でもインフルエンサー的な人に目の目のになってしまうとか、
フィクションやファンタジーのように語学学習を扱ってしまうというのはやっぱりあるんですよね。
それをしない方がいいし、そこは隅々て別にどっちがいいとかどっちが悪いとかないんだけど、
今何をしているのか、今は現実の話をしているのか、
例えばファンタジーの話をしているのかというのは、かなり意識的に分けた方がいいなというふうに僕は考えています。
まとめと告知
今回の話は以上になります。
次回のエピソードもぜひよろしくお願いします。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
noteやKindleでもこのラジオで扱っている内容をより体系的に整理したコンテンツを発信しています。
さらに深く学びたい方は概要欄からぜひチェックしてみてください。
また、英語発音講座の無料体験を常時受け付けていますので、こちらもお見逃しなく。
詳細はエピソード説明欄、まつりのリンクからご確認ください。
オンライン完結ですのでご自身のペースで取り組むことができます。
それではまた次回お会いしましょう。
12:18

コメント

スクロール