1. 子育てのラジオ「Teacher Teacher」
  2. 尊重と放任の線引き〜3つの事..
2025-11-18 52:49

尊重と放任の線引き〜3つの事例から考える〜本編102

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台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンのお母様の本を手がかりに「尊重」と「放任」の違いをじっくり考えてみました。


【本日の内容】

事例①:朝起きられない・遅刻する / 生活習慣に大人が介入する意味 / 事例②:罪悪感から「なんでもさせてしまう」 / 事例③:優秀・プライド人の高さからくる人間関係のつまずき


【本日のお悩み】

近年、子供の主体性を育てるために子供の意思を尊重すると言いますが、子供がやりたいことを何でもやらせるわけにはいきません。 子供が何々したいと言った時にどこまで尊重すべきかわからないので、教えてほしいです。


参考書籍

オードリー・タンの母が語る「自主学習のすすめ」


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【番組概要】

世界を回る先生はるかと、ラジオ番組プロデューサーひとしが子育てについて納得するまで考える番組、子育てのラジオ「Teacher Teacher」。第5回 JAPAN PODCAST AWARDS 大賞&教養部門最優秀賞をW受賞。⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠毎週火曜日朝に配信。Xで#ティーチャーティーチャーをつけて感想・コメントをお願いします!


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【ひとしの編集後記】

・福岡に引っ越すと周囲の建物が低い影響なのか、歩いていると空がめちゃくちゃ広く見えます。心穏やかになります。

サマリー

このエピソードでは、子育てにおける「尊重」と「放任」の線引きについて、台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンの母、リー・ヤーチン氏の著書を参考に深く考察しています。番組では、子供の主体性を尊重することの重要性が叫ばれる一方で、どこまで介入すべきかという親の悩みに焦点を当て、3つの具体的な事例を通してその違いを明らかにしました。 一つ目の事例では、遅刻を繰り返す子供に対し、親が「生理的ニーズの尊重」を盾に学校に反論するケースが紹介され、これは「偽りの尊重」であり「残酷な放任」であると指摘されました。二つ目の事例では、親の罪悪感から子供の望むものを何でも与え、生活習慣が乱れた子供に対し、教師が「小学校1年生レベルでの伴走」を提案。親は反発するものの、最終的に実践することで子供が改善したことから、親自身の罪悪感解消のための「残酷な尊重」が問題視されました。三つ目の事例は、優秀で自立しているように見えるが、実際は心の脆い子供に対し、両親が「もう大丈夫」と関わる時間を減らしていたケースです。これに対し著者は「愛情は空っぽ」であり、「寄り添いと共有する時間の投資が足りない」と警鐘を鳴らしました。 これらの事例から、真の尊重とは、子供が選んだ道を親がそばで見守り、困った時には相談に乗ったり、失敗した時に一緒に振り返ったりする「粘り強い伴走」であることを強調しています。特に、生活習慣の形成や、自分の弱さを直視し受け入れる機会を設けることには、大人の積極的な介入と時間投資が不可欠であると結論付けられました。一見「泥臭い」と感じられる関わりこそが、子供の健全な成長と自己肯定感の育成に繋がるというメッセージが込められています。

はじめに:尊重と放任の線引き
はるか
はい、こんにちは。 こんにちは。
ひとし
ここはリアルの場所で録っておりますね。
in天神。 あ、inね。
はるか
in福岡。in天神。
福岡のど真ん中で収録してます。
ひとし
ビデオを一応回してて、これを公開するかわからないですが、
ビデオポッドキャストやるぞと思ったけど、これ。
はるか
ただiPhoneで撮ってるだけっていう。
ひとし
かなりのクオリティの伸びしろがある状態になっておりますので、
いずれ公開するかもね。
今回はどう、できるかわかんないんで。
はるか
やっていきましょう。
ひとし
始まりました。ティーチャーティーチャー!!
はるか
よっ!
ひとしです。 はるかです。
ひとし
この番組は世界中を回った先生のはるかと、
ポッドキャスト番組のプロデューサーのひとしの2人で、
子育てのお悩みを納得するまで考えていくポッドキャスト番組です。
はるか
よろしくお願いします。
今日の回、楽しいよ。面白い。
ひとし
なんて言ったっけ?
はるか
今日のテーマは、ずばり、
「尊重と放任の違いを考えましょう」という回ですね。
ひとし
いわゆるあれよね。子どもの意思、尊重するっていうものと、
はるか
そうそうそうそう。
尊重と放任の違いを考えていきましょうということで、
めっちゃ多いんよ、これ。
ひとし
なにが?
はるか
自分も悩むことが多かったし、
親御さんから、
子どものやりたいっていうのをどこまで尊重するべきかわからないっていう。
やっぱ近年ね、子どもの主体性を尊重しましょうっていう話がある中で、
どこまで尊重したらいいんだっけっていう。
ひとし
ゲームしたいとかもそうだね。
はるか
そうね、ゲームしたいもそうやし、朝起きてこないとか。
オードリー・タンの母の著書と「尊重と放任」の問い
はるか
ちょっと一回お悩み紹介してほしくて。
お悩みを紹介してほしくて。
ひとし
こちらですね。文章紹介。
じゃあいきたいと思います。
「近年、子どもの主体性を育てるために、子どもの意思を尊重するといいますが、
子どもがやりたいことを何でもやらせるわけにはいきません。」
そうですよね。
「子どもが何々したいと言ったときに、
どこまで尊重すべきかわからないんで、教えてほしいです。」
はるか
うん。
ひとし
ということやね。
はるか
いや本当、やっぱさ、これ自分でもけっこうメッセージとして発信するんよ。
子どもの主体性尊重しましょうとか、
大事なのは主体性ですとかって言うんやけど、
難しい。
例えばさ、わかりやすいのは、
例えば、公共の場所で暴れるとか大声出すとか。
これに関しては、人が巻き込まれてるから注意するとか、
叱るとかあるかもしれないんだけど、
子どもが主語の場合、
ひとし
うん。
はるか
むずい。
ひとし
どういうの?
はるか
例えば、朝起きてきません。
起こすべきですか?
ひとし
もっと寝たい。
はるか
うん。もっと寝たいって言ってます。
子どもの例えば、子ども主語のことだから、
子どもに任せようってなった場合、朝起きてこない。
朝起きてこなかったら遅刻するのが嫌だから、
学校行きたくないとかってなるかもしれない。
子どもの主語の場合難しいなっていうのがあって、
ほかには、例えば朝ごはん食べたくないとかもそうで。
ひとし
あ、食べたくない。
はるか
やっぱ食べたほうが、いろいろ身体的にも、
ひとし
栄養が満点やからね。
はるか
脳の働き的にもいいとか、
データで食べたほうが学力が向上するとかっていうのはあったりするやん。
だけどそれは大人は知ってるから食べたほうがいいと思ってるけど、
子どもが主語のことだから、
どこまで干渉したらいいのかわからないとか、
めっちゃあると思うんよね。
で、関西国際学園さんにね、
講演行ったときもそんな質問があったんやけど、
子どものルーティン化に関して、
どこまで親が介入するべきかわからないみたいな話があって。
こんなのってさ、
ちょっと前やったら迷うことなかった気がするん。
ひとし
従わせようみたいなことが多かったっていうイメージ。
はるか
てかもう、問答無用で朝起きなさいやったし、
問答無用で食べなさいやったと思うんやけど、
やっぱなんかね難しくなったなかで、
この本に出会ったんですね、今日。
ひとし
すごい付箋が、またたっぷりの。
『オードリー・タンの母が語る「自主学習のすすめ」』。
はるか
はい。オードリー・タンのお母さんですね。
『リー・ヤーチン』さんが書いた本をたまたま見て、
自主学習。
自習みたいなイメージじゃなくて、
自分で、やることも学び方も全部決めていきますよみたいなことなんやけど、
この本をたまたま読んでるときに、
ドキッ!とグサッ!とやられたことが
めちゃくちゃあって、それが今日まさに話したい、
このなかでね、「尊重と放任は明確に区別しなければなりません。」と。
ひとし
その、なにをもって区別するかを知れるってことか。
はるか
今日考えたいなって思ってる。
なんか俺がね、尊重と思ってたことも、
それは残酷な放任ですよとかっていう話があったりとかして、
自分のことを振り返ることが多すぎて。
ひとし
ありそう。
はるか
いままでのTeacher Teacherのメッセージでも、
「うわ、これ、こんなふうに捉えてたら、
このオードリ・タンのお母さん、リー・ヤーチンさんから怒られるわ」みたいな。
ひとし
でも主体性が育つと思って、
ここは任せようとしている振る舞いが、
それ放任ですよ、っていうことよね。
はるか
お叱りを受けるかもしれないということで、
それを対話できるような材料を今日お渡しできればなって思ってて。
今日、この中に答えがあるわけじゃありません。
いっしょに沼に入ります。
いっしょに沼に入るんだけど、
でも俺の中ではそうとう整理されたので、
ひとしにも批判的に聞いてもらいながら、
リスナーさんにもこう思いますっていうのを、
いっぱい、Teacher Teacher村でも、
『X』でもお便りでも、お話してほしいなと思っています。
でね、この本を取り上げたのが、
もう皆さんご存知だと思うんだけど、
『オードリー・タン』さんは台湾の前デジタル大臣で、
オードリー・タンさんは学校に行ってなかったんよ。
いわゆる日本でいうと不登校と呼ばれる時代を過ごしていて、
そのなかで、このお母さんが自主学習というスタイルを確立したんよ。
で、学校に行かないっていうのは日本で不登校とよばれてるんだけど、
台湾ではもはや、自主学習してるっていう新たな選択肢になってるらしい。
で、日本でもホームスクーリングでやってるとかっていうんだけど、
まさにホームスクリーングのやり方であるっていうのを確立してるなっていうふうに思ってて、
その時に、自主学習っていうのはギフテッドだからできたんでしょうとかっていう声とか、
もともと頭が良かったから成り立ったんじゃないみたいな話があると思うんだけど、
このリー・ヤーチンさん、学校作ってるんよ。
自主学習をする。
みんなが自主学習をする。
ひとし
じゃあホームスクーリングじゃないんやね、全然。
はるか
そう、ホームスクーリングの方にも適用できるし、
ホームスクリーングじゃなくても、学校に来たときにも、
全部、自主的に自分で学ぶ内容もやり方も決めるっていうスタイルで、
子どもたちをめちゃくちゃ見てきた結果、
相当悩んで相当試行錯誤した結果、確立されて、
さらに台湾の国の正式な学習指導要領みたいなのにも自主学習が入って、
みんな学ぶようになっているみたいなところまでいってると。
かなりエビデンスも強いし、相当自主学習について示唆深かった。
本当はね、子どもたちが主体性を獲得するために、
自主学習ってどうやってやったらいいのっていう、
この理論と方法までお話ししたかったんだけど、
あまりにもちょっとインパクトが強すぎて、
これを聞いて自主学習しようって踏みきる方が、
もしかしたら出てくるかもしれないと思ったんよ、相当。
だったら俺は本当に現場見て、
しかもこの人の深いところまで話聞いて、
自分が実感しないと語れんと思ったから、
一応この翻訳者に連絡してみてはいて。あの「話、聞かせてください」と。
ひとし
自主学習については別に、今回はそんなに。
はるか
今回は、そう。
でも自主学習を進めている人が、
たくさん子どもを見てきた中で、
尊重と放任をこういうふうに区別しなきゃいけないっていう事例を出してくれてるから、
相当示唆深かった。
なんかさ、厳しい人が書いた尊重と放任の本やったら、
はるか
Teacher Teacherの方、あんまマッチしないかと思った。
けっこう正論が強めに入ってきて叱られるみたいな感じだったらあれなんだけど、
これ自主学習側なんよ。
ひとし
はいはいはい。
はるか
いったらみんなに任せましょうスタイルの人が書いた本だったから、
新しい角度やなと思って。
で、めっちゃ厳しかった。
ひとし
へー。
はるか
内容がめっちゃ厳しくて、自分を相当振り返る機会になったので、
今日は3つの事例をお話ししたいと思っています。
偽りの尊重と操作的関わり:3つの事例への導入
はるか
で、3つの事例はあるんよ。
これは放任ですという事例が。
ひとし
これは放任ですという事例が。
はるか
放任ですという事例が3つあるんだけど、
その後にじゃあどうしたらいいのとか、
なにが尊重なのかは明確に書いてないんよ。
だからそれも自主学習してくださいってことだと思う。
これが尊重だよみたいな明確な答えを、
安易に投げないんだろうなって思った。
で、この人の覚悟がすごいから。
なぜかっていうと、たぶんN=1の成功体験を書いたんじゃなくて、
たぶん、いろんな人の人生を預かっとるんよね。
そのときに、好きにやらせましょうって言って、
その結果、将来萎んでしまうリスクってやっぱあって。
この中にも何回も書いてるんだけど。
このリスクを回避するためにめちゃくちゃ試行錯誤したっていうのが伝わって、
相当な覚悟がある。
だから厳しいことを書いてるんだろうなってことがわかったという事です。
ひとし
いきましょう、エピソード。3事例。
はるか
いきましょう、ということで。流れとしては、3事例話します。
1事例ごとにひとしとはるかで、これが放任でこれが尊重なんじゃないかとか、
尊重ってのはこういうのを意味するんじゃないかっていうのを考察していきます。
最後には具体的な行動レベルでリスナーさんと「尊重はこうだよね」とか、
「子どもにはここまで任せるけど、ここは大人が責任を取るべきだよね」とか、
「ここはいっしょに対話するべきだよね」みたいなところがみえてくると、
嬉しいなと思います。
ひとし
みえてくるかはわかんない。
嬉しいなと。
はるか
みえたら嬉しいなと。
ひとし
みえたら嬉しいなと。
はるか
でも俺の中で、持ってる。
ひとし
あるんやね、一応。
はるか
いろいろ持ってるというところです。結論もあります。
さて、前提です。
さっきも言ったように、公共の場で騒ぐ子どもをほったらかしにするとか、
その場のルールを無視するとか、公共のものを大切にしないとか、
これは尊重じゃもう、明確にないですと。
ひとし
他者がいるから。
はるか
そう。他者に対して、他者の自由を損害するようなものを許しているというのは、もうこれは放任ですというのは明確に言っています。
だからこれは大人がきちんと責任を取って、
親とは言いません。
保護者が責任を持って、みんなでそこは子どもと対話し、
子どもを止めるべきだというふうに思っていますし、ここにもそういうふうに書いています。
ひとし
それはわかりました。
はるか
本当に問題だと思っているのは、著者が。
偽りの尊重という名の実質的な放任であったりとか、
操作的な関わりですと。
これは現代では非常に起きやすい。
しかも、自主学習というものに関して非常に起こりやすいんだという話をしている。
だって自主学習って子どもに任せましょうというスタンスだから起きやすい。
今後、これ日本においてもめっちゃ起きると思う。
教育業界もそうなっている。
学校現場も。
福岡市も特にそうなんだけど、自由進度学習というのが、いわゆる。
ひとし
子どもが自分で目標を決めて学ぶみたいな。
はるか
先生が主導で教えるじゃなくて、
みんなが自分で学ぶ進度を決められるようになってきて、
ぜんぜん違うことを同時にやっていく、みたいな方針になってきている。
それの良さもあればリスクもあるよね、とかっていうところで、
学校現場がそういうふうにどんどんどんどん子ども任せになっていっているなかで、
どこを尊重するかという話をしていきたいです。
事例1:遅刻と偽りの尊重〜現実感が麻痺した親子関係〜
はるか
はい。で、事例を話していきたいと思います。
一つ目。事例1。
「偽りの尊重による、現実感が麻痺した親子関係」というエピソードを話していきます。
シャオルーさんという賢くて容姿丹麗な一人っ子の女の子がいます。
両親はシャオルーが少しでも苦しむことに耐えられません。
シャオルーが幸せならそれでいいという価値観です。
そして学校によく遅刻してきます。
学校に遅刻しても母親は「わたしが悪いんです。
シャオルーが昨日寝るのが遅かったから起こせなかったんです」と、
母が謝っています。
翌日もその翌日も同じことが続き、
学校側が三者面談をしましょうという話をしました。
そしたら両親が学校に対して
「ここって自主学習の場所ですよね。
なぜ子どもの生理的なニーズを尊重して遅刻を許さないんですか?」
というふうに尊重というものを盾に学校に反論したということがありました。
これに対してこの著者は
「この子どもは覚悟があるけど決心がない。
決心があるけど意思がない状態だ」というふうに話をしていて、
「この状態だったら全ての方法が効力を失います」というふうに書いています。
親御さんに向けてかなり厳しい発言をしているんだけど、
「あなたは子どもを放任しているだけでなく、
偽りの尊重という名の下で子どもを貧弱にしています。
このままだと子どもは永遠に独立できなくなります。
シャオルーを永遠に依存させたいのが
あなたたちの本当の願いなのですか?」ということで話をしているというところです。
事例1の考察:生活習慣への介入と他者への配慮
はるか
この、いまのエピソードを見て、
なにが放任で、
なにを尊重とするのかっていうのを考えたいっていうところです。
ひとし
そうね。
はるか
要点をまとめようかね。
親は尊重しましょうということを掲げて、
遅刻と欠席を許し続けています、と。
生理的なニーズ、朝起きる寝るとかっていうニーズは尊重すべきとして、
学校のルールに反発しています。
シャオルーは、頑張りたい気持ちはあるんだけど、
それが続かないという状態です。
このエピソードに対して、
著者はこれを放任だと位置づけているわけなんよね。
はるか
で、この罠から抜け出してほしいというような話をしています。
ここから考えられることは何だろう?
ひとし
考えることは何だろうというね。
そうね。
はるか
でもなんか、いわんとしていることはわかるよね。
朝、子どもが起きなかったから、
子どもが選んでるんですっていう主張もできる気はしてて、
そういう主張もけっこう聞くよね。
ひとし
俺、近い状況で、
ご飯食べたあと、どうしても眠くなる人はおるやん。
はるか
わかるわかる。
大人になったらなおさらね。
ひとし
そうなのかな?
はるか
この間、理学療法士の方が言ってて、
子どもはそうなりにくいらしい。
まあそれは余談やけど。
ひとし
そうなったときに、子どもに「授業中、寝るな」って、
無理矢理起こそうとするのってむずくね?とも思うんよ。
でも「寝ていいよ」っていうのも違和感あるんやん。
みたいなのが近いなと思ったんやけど。
はるか
めっちゃわかる。
俺も学生時代、ずっと授業寝とったんよ。
ひとし
ずっと授業、寝とったん?
はるか
けっこうな確率寝とった。
前も話したけど、
人の話を聞いて学ぶっていうのがどうしてもできんくて、
人の話を聞いてたら、
ふわふわふわってイメージが湧いちゃって、
そっちのイメージにいってたら寝てるってことをずっとしてて。
でも10分くらい寝たら復活するの。
ひとし
わかる。
はるか
わかるよね。だから10分寝かしてよって思っとったんよ。
10分寝たらすっきりして頑張れるかなって思ったけど、
俺がこうやってカクカクなってるときに起こされるもんやから、
結局1時間ずっとその状態、みたいな。
ひとし
そうよね。
やけ俺それは、「どうしても眠いんで、10分寝させてもらっていいですか」って言って、
ひとし
その後巻き返すとかっていう建設的な提案を
子どもができるようにするっていうのは
意思尊重なんかなと。
はるか
なるほどね。
ひとし
次には、いま生理現象に負けることはしょうがないとして、
その後どう行動するかをいっしょに考えれるみたいなのがいいんかな。
はるか
なるほどね。
つまりその、授業を一生懸命してる先生がいるのに、
これ生理的なニーズ尊重してくださいっていうふうに
当たり前に寝るっていうよりは、
生理的なニーズはあるんだけど、
一生懸命やってくれてる人に一言断って、
相手が不快に思わないように振る舞うっていうのは大事にしたい、と。
なるほどね。
ひとし
俺そこまで考えてなかったけど、いま言語化してもらった。
はるか
あとめっちゃ大事な視点やね。
だから自分のニーズに対して、
相手への影響まで考えた振る舞いをしつつ、
相手も自分も尊重できるポイント。
ひとし
かつ、自分にとっても、いま集中して寝た方が
その後のパフォーマンス高いみたいなときに、
ちょっと一回、ここ朝どうしても起きれんから
15分遅れてくるけど、
15分後からこういう感じで進めるんで、みたいな。
そっちだったら僕めっちゃ頑張れるんでみたいなことを
言えるようにする。
はるか
めっちゃ腑に落ちてます、僕は。
皆さん、リスナーさんどうでしょうか。
例えばさ、「寝た方が効率いいんだから
寝かしてよ」っていう主張は、ちょっとだけモヤっとポイントがある。
ひとし
なるほどね。
はるか
俺そう思ってたんだけど、学生時代。
だけど、教員になって同じ立場になったら
やっぱ寝られると悲しいんよ。
ひとし
悲しいよね。
はるか
寝た方がそりゃすっきりすると思いつつもやっぱ悲しくて。
両面経験したからこそ
いまひとしの話はめっちゃ腑に落ちてる。
だからいまのポイントは、相手への影響も踏まえたうえで
自分のニーズを尊重するっていうのは
一つあるのかなと思ったから、
大人側の振る舞いとしては
そういう相手への影響っていうのまで
ちゃんと視点として与えるのがすごく重要なのかなっていうふうに思った。
めっちゃいいなっていう感じで。
俺がここで思ったのはね、
この本の中で、前の章にあったんだけど
尊重と放任の違いの前の章にあった話として
境界線を大事にしましょうって書いてある。
ひとし
自分と相手?
はるか
そう。大人と子どもの境界線。
大人が決めるべきことと
子どもが決めるべきことの境界線を決めようっていう。
これが明確であるのがいいっていうふうに言ってた。
そのときに、これはどこで大人が責任を取るのか。
大人が介入するべきポイントっていうのは
ここのなかから見ると、
やっぱり生活習慣とか
習慣作りとかに関しては
まだ子どもは未熟な部分があるというところだから、
大人が介入するべきところなんじゃないかな
っていうふうに思ったんよね。
だからこの本のなかでいうと
子どもの意思を尊重するという名目で
子どもの未熟さをそのまま放置するってことが危険だ
っていうふうに主張されていたから、
子どもがどこが自分ができるポイントなのか、
大人から見てどこが
この社会を生きていくうえでまだ未熟なのかっていうのを見極めて、
その時に一つは、生活習慣を形成するということにおいては
積極的に大人が介入しないといけないんじゃないかな
っていうふうに思ったわけだよね。
コンコンでも、まず生活習慣にフォーカスしましょう
っていうのはやっぱりそこ。
ひとし
わかりやすい。
はるか
だから境界線を明確にするときに
大人が責任を取るべき部分は、
やっぱり生活習慣のところはひとつ、
介入してでもしなきゃいけないなというふうに思って。
これね、話聞いている方、ちょっと正論すぎてきついと思うんですけど、
これ、あとでちょっといろいろ
どうしたらいいかっていうのを話していきたいんだけど。
やっぱね、子どもは朝起こしても、眠いんよ。
だらだらするの、ずっと。
そのときにヨイ出しとか、
朝に喜び作ったりとかして
気持ちよく起きれればそれがもちろんいいんよ。
うまくできれば。
だけどそううまくいかないとき、めっちゃあるんよね。
そこで、
そんな子どもを無理矢理起こしてうんぬんとか、
子どもが嫌そうですとか言われても
しょうがないんよ、起こさんと。
起こさんと、もっと困ることになるから。
だから、子どもが困っていようと
子どもがきつそうであろうと、
粘り強く介入して起こすっていうのは
大事になるんじゃないかなっていうふうに思ってるし、
俺は子どもの頃、それにめっちゃ助けられたしね。
めちゃくちゃしつこく起こされて、
もうマジだるいってとか言いながら
助けられた記憶はあるけん。
そこはもう対立しちゃう。
対立しちゃうんだけど、
もう粘り強くやり続けるしかないんやなって思ったのが
学びやった。
ひとし
俺さ、冬にさ、
起きんときにさ、
布団取られよったんよ。
もうあれもうほんと嫌だったー 。
はるか
きついね。
ひとし
寒いもん。
はるか
工夫のしようはあると思う。
『さちえ』さんが言ってたみたいに、
タイマーしてさ、
明かりがつくようにするとかさ。
あと温かい状況に、
起きる前1時間前ぐらいから
暖房つけておくとかさ、
そんなふうな工夫のしようはあるんだけど、
とはいえうまくいかないことはある。
それをうまくやろうとできない部分もあるなと思って、
ここに関しては、なんかもう粘り強く
『成田奈緒子』さんの本でもさ、
もう折に触れて伝え続けるしかないんです、って。
朝の起きる重要性を。
そういう泥臭い部分なのかなっていうふうに思った。
ひとし
ちなみに俺、嫌やったって言いながら
それ楽しいと思っとうけんね。
いい思い出やったなって思いながら言っとうけんね。
別にいいと思いますよ。
はるか
確かにね。
俺もさ、
じいちゃん家泊まりに行ったときに
じいちゃんがずーっと、歌で起こしてくるんよ。
「朝だよー。
シャキッとせーよー」みたいな、
歌で起こしてくるん。
マジじいちゃんのこと嫌いになりそうでさ。
冬でめちゃくちゃ寝たいのに
ご機嫌な歌で起こしてこようとする。
あのときめっちゃ嫌やったけど
いまとなっては、なんかいい思い出やな。
ひとし
いい思い出。
どういう話?
はるか
なんの話?みたいな。
ひとし
いい思い出になることもあるんでね。
シビアになりすぎずでいいと思います。
はるか
正論できつい部分はあるなと思いつつ、
そこは大事だよなっていうのが
身が引き締まったというか、
身が引き締まったであってる?
ひとし
まぁ、理解はできた。
生活習慣部分はね
子どもが自分の意思じゃできない部分っていう。
はるか
でもこれ、あとでも話すんだけど
一人じゃ厳しい、これは。
親御さんが一人でやるのは厳しいと思ってます。
それは、あとで出てくるんだけど、
あとで出てこないわ。
この本の中に書いてあったのが、
「子どもを育てるために
重要な二つの軸があります」と。
「一個が、無条件で受容する、
愛情を注ぐっていう
母性的な存在と、
社会規範をしっかり教える
父性的な存在がいる」と。
母であるとか父である必要はない。
ここはそういうふうに表現してるんだけど、
誰かが無条件に受け止め、
誰かが社会的規範を教える
っていう役割が必要であるってことがあって、
これ二つね、
一人で担うっていうのは相当難しいと思う。
いまの正論できついと思った方は
やっぱり本当に
助け合いながらしなきゃ難しいっていうのは
思ってほしいし、
一人で担ってる方に対して
周りは難しいんだなっていう目線を
どうか持ってほしいし、
協力しようって、自分がなにができるかっていう
協力的な視点を持ってほしいなと思っています。
二つ目。
事例2:罪悪感が生む残酷な尊重〜親の償いと子供の自立〜
はるか
「罪悪感が生む
残酷な尊重」
これ背景として、
両親がもともと結婚した当時から
不仲でした、と。
父親が不機嫌だったと。
貧しくて物質的にも
満たされない環境が
ありました。
離婚しました、と。
母親がユエンハーっていう男の子を
引き取り、必死に働きました。
ここでそもそも罪悪感を持っちゃっている
という状態です。
ひとし
母親が?
はるか
はい。なぜかっていうと、物理的に
満たしてあげられなかったっていうようなこととか、
あとから子育て本を読んで
「自分はなんてひどい
母親だったんだ」って。
体罰もしちゃってたりとか、
厳しい言葉で
子どもを叱りつけ続けたっていうところで、
なんてひどい母親だったんだ
って思い込んじゃったっていうのが、
もう、罪悪感がめちゃくちゃ生まれちゃった。
そこから、
ユエンハーの望むものを
なんでも買い与えるようになった。
罪悪感があるから。
ひとし
何歳ぐらいの時ときから?は、書いてないんかな。
はるか
は、書いてなかったね。小学生なんだと思うんだけど、
ユエンハーの状態としては、
1日中ゴロゴロして
宿題もしないし、ゲーム漬けになっている。
で、自主学習学校に
入るんだけど、
努力が最初だけで、あと続かないみたいな、
やり遂げられないっていうような状態があって。
そこでまた教師からの
提案として、
「彼には習慣を立て直す支えが
必要です」と。
あ、これ中学校3年生だった。16歳、高校生だ。
だけど、
「小学校1年生に接するように
生活全体を伴走してあげてください」
っていうふうに提案されたんだって。
例えば朝起こすところから。
朝いっしょに運動するところから。
朝食もいっしょに食べてください。
学校にも送ってください。
宿題のそばで本をいっしょに読んでください。
夜はいっしょに寝てください。
けっこう無茶な
提案だなと思いつつ、
提案をされました。
母親の反応としては
「16歳の息子を
6歳の子どもみたいに扱うなんて無理です」と。
「尊重しないと
息子は怒る」というふうに
反発したんだけど、
著者はそれを
「残酷な尊重」と
表現しています。
で、これはちょっともう、伝えたメッセージをそのまま
読みたいんだけど、
「その母親を見て、私は心が疼きました。
耐え切れずに
彼女の肩を抱きながら
ゆっくりこう伝えました。
『彼に申し訳ないと思っているんですよね。
彼のためになりたいと思っているけれど、
彼が怒るのが怖いし
自分が子どもを変えられると
信じていないのかもしれない。
でもこの世界で一番彼のことを
思っているのはあなただと
気づかなければなりません。
あなたは結婚生活が大変なときでも、
ユエンハーのことを
見放したりはしなかったでしょう。
家計が苦しくて食べるものに困っていたとき、
自分の空腹を我慢してでも
ユエンハーに食べさせたでしょう?
幼かった頃の彼を
叩いたことがあるのは、
どうやって子どもを躾ければいいのか分からなかったから。
もう力を使い果たしてしまったんですよね。
でも、
いまのユエンハーには、前に進むために
誰か寄りかかれる人が必要です。
もしあなたが彼に
まだ借りがあると思っていて、
彼をまっすぐ見つめられなかったり
なにも要求することができないのなら、
いつか彼は
自分自身に麻痺してしまうことでしょう。
そうしたらあなたは一生彼に
申し訳なく思うことになりますよ。
わたしたち学校も
ユエンハーに自覚を持ってもらうよう
啓発することはできますが、
意思の鍛錬には基礎が必要です。
彼には習慣を立て直す
必要があります。
それは彼を尊重しないということでは
ないんですよ』」
というふうに伝えて、
母は泣きながら腹をくくり、
さっき言われた朝起こす、いっしょに
運動、朝食いっしょに食べる、学校に送る、
宿題をいっしょにやる、
夜はいっしょに寝るを実践し、
ユエンハーは劇的に改善していく、
というような
話がありましたと。
事例2の考察:罪悪感からの解放と伴走の重要性
ひとし
生活習慣を
いっしょに整えた、という話に
聞こえて。
はるか
そうね、そこは共通していて。
ひとし
それ以外の
視点を
まだ俺は見えていない。
はるか
スタートが、罪悪感を抱えていて、
ひとし
親がね。
はるか
償うというような
事例なんだって。
これ、けっこうあるんだと思うんよね。
うちもそうだけど、
両親が小さい頃に
離婚して、
それがもしかしたら影響を与えちゃってるんじゃないか
というふうに考えて、
だから
せめて物を与えるとか
彼がやりたいことをやれるようにしよう
というような、
罪悪感から生まれる尊重
なのかなというふうに
思っているんよね。
これに対して、
「その尊重は少し残酷です」
というような話をしていて、
親自身の罪悪感を
うわ、ちょっとこれ言うのも心苦しいけど
「親自身の
罪悪感を解消するための
尊重になっていませんか?」って。
ひとし
うわ~…いやでも
そんなこと言われても。
はるか
けっこう厳しいね、やっぱり。
厳しいけど
学ぶことはやっぱりあって。
だからその
罪悪感を解消することと、
その子を
いわゆる放任、
なんでも好きなようにさせるってことは
切り離して考えなきゃならないんだな
ってことを。
めちゃくちゃ
学び深いなって
思うよね。
どっかで子どもに対して罪悪感を持つことあると思うんよ。
俺、めっちゃあった。小学校教員時代に、
理不尽に
怒鳴り散らかしてしまったりしたときに、
そのあと、なんかで解消しようとするんよ。
それを相手の機嫌を取る
みたいな感じで解消しようとしてしまう
自分もやっぱいて、
それは尊重するんじゃなくて
自分の、もしかしたら弱みだったのかもしれない
っていうふうに。
ひとし
自分が許されたいみたいな感じ。
いやー、むずいな、でも。
はるか
だから、これはもう
いわゆる
健康に生きるために必要な、
朝起きるとか、
活動。
その、認知の活動するとか、
夜眠るとかご飯食べるとか
やることやるとか。
そういう基本的なことを
今できていない状態が16歳であると。
これっていうのは本当だったら
小学校1年生の段階から
形成していく
習慣で、
これはできていない状態なんだから
小学校1年生に伴走するのと
同じレベルで伴走しましょう
っていうようなアプローチだと思うんよね。
ひとし
でも、具体的にそのいま
放任と尊重の
区別みたいな話でいうと、
子どもが自分で
整えられない、
いまだと生活習慣って言ってるけど、
とかは介入した方がいいよね
っていう話よね。
はるか
その介入についてが、
いっしょにやりましょうっていうことを
してるよね。いっしょにご飯食べてください、
いっしょに話をしてください、
もし宿題してるときはいっしょに横で本読んでください、
とかっていうふうに、
やらせるとかっていうよりも
いっしょにやる。
だからどんだけそこに時間を注げるか
っていうところなんだと思うんよね。
これも本当に
正論だけで非常に難しい
ところだなと思うけん。
でもこれが必要だってことは
何百人って子どもたちが見てきた
この人が言ってるから、要素として
必要なのは間違いないと思う。
これを親がしましょうっていう話じゃなくて
Teacher Teacherとしては、
どうみんなでそれを実現できるかとか、
親がするためにどう
その親を支える社会であるかとかっていうのは
やっぱり考え続けていきたいし。
うちの会社、
Teacher Teacherの会社にも子育てしながらさ、
働いてる親御さんいるやん。
その方がどう
子どもに時間を捧げられるかって、働きながら。
っていうのは社会の仕組みとして
考え続けていきたいなっていうのは
あります。だからこれは
親を責めるみたいなふうに絶対なってほしくないなっていうのは
あるというところが
念押ししたいところです。
はい。
じゃあ最後です。
これもドキッとしました。
事例3。
事例3:高い期待ゆえの早すぎる手放し〜優秀な子の心の脆さ〜
はるか
「高い期待。ゆえに
早すぎる手放し」
はるか
背景として、シャオチャンです。
両親は高学歴で高収入です。
シャオチャンは
素質が高く、自分への要求が
非常に高い。
ひとし
あー、子ども自身がね。
はるか
だから、
言葉を…語弊があるかもしれんけど
プライドが高いです。
ひとし
100点取るのが当たり前みたいなイメージ?
はるか
というよりは、
例えばカードゲームで
自分が負けることは許されない、とかね。
ちょっと具体例を言うと、
できない現実を受け入れられません。
例えばトランプで負けると
「俺、トランプ好きじゃないんよね」
とか。
何かしら負けると
「昨日、眠れんかったんよね」っていうふうに
言い訳をする。
弱さを直視できないっていうところなんよね。
ここでめっちゃ語りたいけど、
まず弱さを直視できないところがあります。
家庭環境としては、
この子はもう
自分で使えるクレジットカードを
持ってたりとか、
他の子に奢れるようにしたりとか。
はるか
でも現実、
友達はどんどん離れていって
しまう。
両親の解釈としては、
息子は立派だと。
だけどこんな息子を仲間ハズレにするのは
他の子の問題だというふうに
考えていると
はるか
いうところ。
こんな現状がありました。
それに対してまた教師が
提案しにいきます。
「毎日30分でいいから
話を聞いてあげてください」と。
ひとし
子どもの話を、親が。
はるか
とにかくいっしょに
週末過ごしてください。
時間をいっしょに過ごしてほしいということを
提案した。
そしたら両親は、
「必要ありません」と。
「もううちの子は立派に自立しています。」
シャオチャンも
「もう自分は
自立しているので必要ありません」というふうに
言いました。
で、この著者の主張としては、
愛情はあります、と。
愛情はあるんだけど
寄り添いと共有する時間の
投資が足りていません。
厳しい言葉で
言うと「この種の愛情は
空っぽです」と。「子どもの心は
脆いです。大人の寄り添い
なしに自信をつけることは
本当にできません」ということを
書いていました。
最後の例ですね。
ひとし
これからなにが読み取れるんだ?
はるか
これをエピソードにまとめると、
素質が高いシャオチャンは
弱さを認められません。
虚勢とか言い訳で自分を守っています。
そんな息子に対して、両親は
自立しているとか
問題は他の子にあるって言って
関わらない、関わる時間を最小限にしていた。
だけど実際には
心が脆くて人間関係にも困っている、
というところ
なんだよね。
事例3の考察:弱さの受容と客観的指標の活用
はるか
ここから何か
学べることってある?
ひとし
ここから学べることは。
はるか
ちょっとイメージして。
めっちゃ優秀なんよ。
実際、現に優秀でプライドも高くて
自立しているように見える。
そんな子は
もう大丈夫だろうと思って
あんまり時間をともにする
っていうのを減らしたんだって。
だけど
教師から見ると心はすごく
脆くて人間関係もうまくいっていない。
これは尊重じゃなくて
放任だというところなんだよね。
ひとし
なんかね、低学年やったら
その優秀とかあんま関係なく
寄り添うんじゃない?
と思ったけど、
確かに中学生とか
高学年イメージしたら、
なんかあんまり時間取らなくなる
イメージも湧いて、
だいぶ湧くなー
って感じ。
はるか
だからここで思ったのは、
上手くいってるように見えるし。
ひとし
自立してるように。
はるか
客観的に見ると
優秀だっていう子も、
やっぱり
保護者と
共に過ごす時間は大事で、
たくさん話を聞いてもらう時間は
大事
っていうのが、ひとつわかったっていうのと、
やっぱね、
弱さ。
自分の弱みを
直視できるっていうのは
大事やと思うんよね。
ここでも
あるんだけど、
また別の章なんだけど、
自主学習で起きやすいリスクとして
万能感っていうのが生まれやすいらしい。
自分は何でもできるんだと。
例えば好きなことだけ
やり続けて、
できないってことはもうほっておいて
できるとこだけに目を向けていくと、
自分は何でもできるんだ
っていうふうに思いやすいんだって。
これはかなり、のちのち
自信をくじくリスクになっていくんだ
っていうことであって。
前も話したけど、
本当の自己肯定感っていうのは
自分ができる存在だとか
自分すごいと思うんじゃなくて、
自分の弱さを直視できたりとか、
それを受け止めて
そんな自分でもまあいいよねって思えること
だと思うって話をした
と思うんだけど、
これを直視できる時間がやっぱり
足りないっていうことがあって。
ひとし
確かにね。
自己肯定感側が育ちづらい。
はるか
そう。だから、
できない彼を見て
「じゃあ、友達いないんだったらクレジットカード
渡してできるようになろう」とか、
そういう
なんかできない状況を見て
なんかこうできるようにしていく
とかって、
歪んだサポートだな
っていうふうに俺は思ったんよね。
人間関係うまくいかない
本質は、お金を持って
できるようにすることじゃなくて、
そこのうまくいかない
困り感のポイントをいっしょに探すことだったり
とかだと思うんだけど、
その弱さっていうところに目を向けて
そこに向き合う時間も
ひとつ、
子どものことを尊重するうえでは
大事なんじゃないかなっていうふうに
思った。
で、一個ね、この自分の万能感を、
いったら勘違いね。
勘違いを解くために
できることとして、
客観的なデータを
取りに行くっていうのが大事だって
話をしてて。例えば
コンテストを受けるのもそうだし、
資格を受けるのもそうだし、
いわゆる…
ひとし
指標がなんかあるようなね。
はるか
外に実際にそういうのを
客観的指標があるものに
受けに行く、それにチャレンジする
っていうのは、ひとつ自分の万能感
っていうのが勘違いであることを
学ぶうえですごく重要だって話をしていて。
で、それで
できなかったときに、それを
変にクリアさせる
っていうよりは、できないことを
見つめて、次どうしたらいいだろう
ねっていう、地に足つけて
じっくりいっしょに過ごして
対話する時間が大事なんだなってことが
わかった。
ひとし
学校時代の高校の時、
模試でさ、
校内の定期テストはめっちゃ
できるけどさ、全国模試
難しいやん。
はるか
うわー。
ひとし
それでさ、英語の先生がさ、
「いくら学校の勉強できても
全国の人たちと比べたら
こんなんなんぞ」
って言われて、ドキッ。
ドキッってことがあって、
あれ大事やったな
と思った。
はるか
いったら定期テストって
ハックすればできるやん。
ひとし
覚えればできる。
はるか
そう。でも本当に地に足つけて
ちゃんと理解しようとしてる
人ってさ、
全国模試も
良かったりする。
本質をちゃんと
学びにいってる人って。
俺とか表面でさ、
ドリルめちゃくちゃ解きまくって
計算の方法を覚えて
点数取ってたようなやつは、
全国模試で点数落ちるわけよ。
その時にやっぱ、現実を
つきつけられて、
この方法じゃまずいと思って
ちゃんと先生の話
聞かないけんと思ったりとかもあったし、
大事やね。
客観的な指標にたまに触れるっていうのはね。
ひとし
たまに触れ、
その弱さもいっしょに
考えよう、っていうスタンスでね。
はるか
ここの核心のメッセージは
「いっしょに時間過ごしてください」だったのが
良いなって思った。
「自立してるからもういいんです」じゃなくて
「いっしょにいっぱい、
30分でいいんで話聞いてください」とか
すごく良いなって
思ったね。
尊重と放任の最終的な定義と対話の文化
はるか
なんかもう一貫して泥臭い。
で泥臭い
けど、
ここは泥臭くいくべきだなって。
上手くできんでも、子どもの表情が
もし曇ったとしても、
一見なんかギスギスしたとしても、
いまいったような3つの
事例から学んだことは
泥臭くても
やっていきたいなって
思ったね。
皆さんどう思ったやろ?これ聴いて。
ひとし
俺、3つの事例を聞いて、
尊重と放任の判断、
完璧に
できるようになったんよ。
はるか
客観的な指標が欲しい。
現実に目を向けて
いきましょう。
ということで、ちょっとまとめていきたいと思います。
ひとし
最初は生活習慣とか
子どもが自分じゃ
乗り越えられないところには、
はるか
未熟さがありますと。
ひとし
ガイドが必要っていうのはけっこう前提にあって、
その時の接し方が
いろんなバリエーションがあったのかな?
はるか
なんかね、話し合いが、
この尊重と放任の区別の
章のテーマが、
「話し合いの文化を
家庭に築きましょう」っていうような内容だったんだよね。
その時に、
右足は子ども、
左足は大人。
両足
どっちも欠かせませんと。
大人はちゃんと自分の経験をもとに
自分の意見を言って、
対話することが必要ですっていう話をしていたよね。
で、
まあこれ、
いまこの章にはなかった、
でも俺がこの本全般を見て
思ったことなんだけど、
子ども目線でね、
放任されている状態っていうのは
まずどうしていいか
わからない状況だと思うんよね。
ひとし
お子さんが?
はるか
だし、
大人は助けてくれないかもしれない
って思ってる状態だし、
自由なんだけど
その先が怖いっていう
見通しのもてなさだったりとか、
あと失敗も放置されるっていうような
印象があったんよね。
朝起きれなくて遅刻するのも、
尊重っていう名のもとで
放置されている状態とか、
そんなふうに失敗も放置されている
状態が
放任なのかなって思って。
逆に尊重されている状態っていうのは、
子どもが選ぶんだけど
保護者はそばにいる。
で、困ったら相談していい
って思える状態だし、
失敗したらいっしょに振り返ってくれる。
ひとし
うん。
はるか
そんな状態が尊重なのかな
って思って。
頑張りたいって気持ちとか、
これをしたいって気持ちは尊重するんだけど、
それができなかった時に
いっしょに
相談に乗ってくれたりとか、
いっしょに振り返りをしてくれたりとかってのを
粘り強くやってくれる存在が
尊重なんじゃないかな
って。
ひとし
なるほどね。
はるか
だね。
ひとし
自分の身の振る舞いを
考え直せるな。
はるか
考え直すよ。
ひとし
対人関係全般、そうやけど。
はるか
全般そう。
ひとし
寄り添うだけというより
失敗したときも
次の一歩いっしょに考えれるとかね。
はるか
大事やと思う。
これをするって決めること自体は尊重するんだけど、
それを達成するために
二人三脚で
やっていくみたいな姿は
この方から
学んだ。
これは相当覚悟を持って
情熱注いでやってることだから、
これを家庭で
全員しましょうっていう話ではないんだろうけど、
なんかこう
自分が子どものことを
考えるうえでは、
大事にしたい視点やったなっていうふうに
思いましたね。
リスナーからの声:デジタルゲームとの付き合い方
ひとし
ありがとうございました。
はるか
尊重と放任の違い、
皆さんどう思ったでしょうか。
ひとし
ぜひポストお願いします。
はるか
お願いします。
僕は刺さりました。
自分の行動に対して刺さりました。
人を見てどうだとかじゃなくて、
自分が子どもに対して
関わり方を、
コンコンの運営方針でもそうだけど。
なんかね
失敗を放置しない。
失敗を
いっしょに振り返れるような
大人でありたいし、
いっしょにどうするってところを
考えられる存在でありたい
っていうのはある。
何々させる、とかじゃなくて。
ひとし
「失敗は宝だ」って、相当初期に
言ってたやん。
あのときはさ、
漢字間違ったら間違ったのは
できるようになるから、ぐらいの
解像度やったんやけどさ、
いまはさ、やっぱ失敗した時に
そこに向き合ったら
自己肯定感上がるチャンスだったりする
とかさ、
マジいろんな「失敗は宝だ」の
例あるなって思って。
はるか
できない自分を直視して
ちゃんと受け入れて。きついけど。
それでも自分を受け止める練習。
解像度上がるね。
ということで、最後お便り。
ひとし
こちら。はい、お便り読ませていただきます。
お便り、
『まんまる』さん、からですね。
はるか
ありがとうございます。
ひとし
「毎週火曜日の配信をとても楽しみにしています。
書籍も購入して試行錯誤したいと思います。」
ありがとうございます。
「デジタルゲームとの付き合い方の
反省回を拝聴しました。」
はるか
ありましたね。
僕らが反省した回でした。
ひとし
「Teacher Teacherの配信の中で
この内容が最も
実践が難しかったです。
多くの知識の裏付けがあり、
できたらいい方向に向かうのはわかっているのですが、
ゲームの刺激が強くて
それを解決することは
容易くはなかったというのが
本心です。
デジタル機器を使用制限したとしても
子どもが突破してしまい、
いたちごっことなりました。」
はるか
ほんと、突破するけね。
ひとし
「ルールで難しいのは
親子で対立関係を生みやすい点にあると思います。」
そう思います、ほんと。
「ルールを決めたら、
守ってなかったら親が注意するという
事態になり、
親子で上下関係ができやすくなります。
子どもが納得するルールを作ることを
目的としても、
子どもの本心はいくらでもやりたいと思っていた場合、
形だけのルールなら
運用は難しいです。」
納得すると思っていても、
ゲーム1時間といっても、
それはしたいですよ。
「私もリアルを大事にしたいと思うので
デジタルゲームだけでなく
広い世界を見て欲しいという気持ちがあります。
ただ
不登校の子どもには
家にいて楽しめる世界であり、
友達や先生と繋がれるツールで
救われる部分もあります。
線引きが課題かなと感じております。
工夫という考えは素敵ですね。」
はるか
ありがとうございます。
ひとし
「いつも真摯に親の悩みに
答えてくださり感謝しています。
デジタルゲームの課題は大きいけれど
そこで悩むご家庭も多いと思うので
引き続き取り上げていただきたいテーマです。」と。
まんまるさん、ありがとうございます。
はるか
この工夫という言葉もね、
Teacher Teacher村で
『juneboku』さんが使っていた言葉だけど、
やっぱこうやってフィードバックがあったり
うまくいかない現実を
話してもらうことで
Teacher Teacherもアップデート
しているなと思っているので。
ひとし
ちょっとね、最近
僕らの中でも熱いんですよ。
デジタルゲームとの付き合い方を
なんとかして
家庭でうまくルールづくりできるような
啓発活動ができないか
っていう。
Teacher Teacherは
それの一つであるんですけど。
けっこうはるかが
いろんな講演会回っても
絶対出てくる。
はるか
出てくるお悩みだもんね。
でももう
Teacher Teacherの方針としては、
それをどう制限するかというより
どう豊かに付き合っていくかっていうところ
やけん、
いっぱい豊かな事例を
増やしていきたいね。
あれからいっぱいさ、
デジタルでいっしょに
家族でゲームするようになりましたとかっていう話も
むしろ聞いたし。
いっしょに豊かな時間を過ごそうということで。
で、いっしょに離れる時間を
取ったみたいな話もよく聞いて。
いっしょにボードゲームするようになりましたとか。
ひとし
うん。
はるか
いう話も聞いたし、いっしょに
運動するようになりましたも聞いたし。
なんかそれがね、
どんだけ
振り返った時に
親子のいい思い出になるかって思うと。
ひとし
そうやね。
はるか
増やしていきたいね。
ひとし
なんかこれを
増やせるきっかけを作ろうと
模索中ですので。
はい。また、
お話させてもらいます。
はるか
話して思ったのが、親御さんが
スマホから離れられる
きっかけになってよかったって。
言ってた言ってた。
ひとし
そもそもね。
はるか
みんなそう。
ひとし
スマホ持っちゃった人は
ほぼそう。
はるか
あえて離れる時間を取ることで
加速する社会に一回ね、
ストップして内省する時間が
欲しいなって思ってる感じで。
ひとし
うん、そうね。
はい、そんなところです。
今後の展望:台湾の自主学習とフリースクールへの支援
はるか
今日のお話、ぜひぜひご感想を
お願いしたいです。
尊重と放任については
今後、たぶん僕らも探求し続ける
気がしてるので。
もし、
ここの翻訳してる
『近藤弥生子』さんから連絡が返ってきて…
近藤さん、返信お願いします!
お話聞けて、
なおかつ、この方台湾にいるからさ、
自主学習の学校に見学に行きたい。
ひとし
あ、行きたいね。
はるか
なぜかというと、この自主学習の学校、
学習の方法論を
子どもたちに教えるらしい。
学び方を
子どもが学習する時間があるらしい。
どういう特性だったら
どういう学び方がいいのか
子どもが学ぶんだって。
ひとし
そこを学んだら自主学習が
はかどるっていう感じか。
はるか
はかどるし、もっというと自分はなにが得意、なにが好きだとか
明らかにするための問いとかも
あって、
まさに主体的に生きるための
レッスンをずっと
子どもの頃からできると思うと
現場を見たい。
なんとしてでも行って、
見に行って、その感想を伝えたい。
なぜかというと、台湾で
起きてるやろ?不登校っていうのが
自主学習に変わりましたっていう
このムーブメントは、絶対日本にも来ると思う。
絶対日本にも来ると思うから、
先に見て、話を
したいです。
ひとし
僕らが起こすぐらいのつもりで
やっていきたいと思いますので。
ありがとうございました。
それでは『X』のポストや
お便りぜひお待ちしておりますので
お願いします。
そして僕らが運営する無料のフリースクール
コンコンを
応援してくださる方は、
月額1100円からスポンサーになることができまして、
オンラインコミュニティも
招待させていただいております。
ぜひお願いいたします。
はるか
あと700人で目標達成しますので。
ひとし
ちょっとそれ、ちゃんと言っていこうか。
はるか
あと650人か。
ひとし
あと650人を目標に。
はるか
累計、いま450人。
サポートしてくださって本当にありがとうございます。
ぜひぜひ、これからもまだまだ
無料のフリースクールを持続可能なものにするためには
足りてないので、よろしくお願いします。
ひとし
それでは、
また。
52:49

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