はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今日はハンナ・アーレント第2回ということでやっていきたいと思います。
はい、今回からですね、実際のこのハンナ・アーレントさんの思想というか哲学ですね、見ていくんですけれども、
台本作ったらなんかすごい長くなっちゃって、早速やっていこうと思いますよ。
なぜかっていうのをちょっと話すと、いろいろ伝えたいことと、これまでの個人から始まった話とつなげたいっていう僕の思いがいろいろ
こもった結果、なんかすごいこうハンナ・アーレントさんで伝えたいことを並べたら、なんかめちゃめちゃ多くなっちゃった。
あー、そもそもシリーズ全体として。 そうそうそう、ハンナ・アーレントシリーズとして。
でもハンナ・アーレントさんはその社会っていうものを今一人目って言い続けてるから、これで9回とかやっちゃうとなんかちょっと長くなりすぎると思って。
一旦削ってちょっとキュッとして、お話、大事なところをかりつまんで伝えようみたいな、今そんな気持ちなんでございます。
なるほどなるほど、はいはいはい。
なので、今回とかに関しては割と情報をお伝えするというか、ハンナ・アーレントさんこんなこと考えたんだよ、こういう土台があったんだよって話が多くなるかなと思うんですけど、
結構ね、それ自体が面白いかなと思うんで、ぜひ一緒にお話聞いていただきつつ、また多いお兄さんもこれ何とか、割とこういうことかとかがあればね、ぜひ言ってもらえたらと思っておりますというふうな感じなんですよね。
はいはい、わかりました。
では早速いくんですけれども、ハンナ・アーレントさんでもちろんその社会とか、そういった前回お伝えしたユダヤみたいな話も含めた、
第2次世界大戦以降の分析とかはしてるわけなんですけれども、
哲学者としてのキャリアというか、白紙論文っていうのは、前回お伝えしたアーグスティネスっていう人の話をしてるんですよね。
この人誰やねんっていう話をちょっと一回するんですけれども、
アーグスティネスさんは年代的には、紀元後の400年前後。
だいぶ昔だね。
だいぶ昔です。
今からだと1600年前とかなんかなっていう人なので、歴史的には本当に過去の人なんだけれども、
この人はいわゆるキリスト教の教義ってあるじゃないですか、それこそ三味一体とかさ。
あってるかな、三味一体アーグスティネス。
父と子と精霊かなっていうのが一つ。
ちょっと僕もその辺あんま詳しくわかんないんだけれども、
そういう話をなんとなく聞いたことがあるとしたら、これはアーグスティネスさんが結構まとめたものですと。
まとめた、そうなんだ。
っていうぐらい、後のカトリックはもちろんだけれども、中世の進学とか、
周りはでも取り上げてるルターとかカルバンとかプロテスタントとかいたじゃないですか。
果てはデカウとかカントみたいなそういう人まで、
そのぐらいに繋がるような思想のフレームワークというか、
考え方を作ったようなどえらい人なんですよね。
なるほど、そっか、あれだもんね。
キリスト教って、キリストが自分で何か残してないから、
その弟子とか周りの人が何か残したみたいな系だよね。
そうだね、時代的に400年くらいなので、キリストが本当に起源ゼロだとすると、
400年くらい経ってるわけですよ。
なので、いわゆる最初にまとめるって意味では、
パウロとかペテロとか福音書みたいなものがあると思うんだけども、
そういったものから本当に数百年たって、
当時のローマ帝国とかが衰退とか崩壊に向かうような、
結構そういうカオスな時期なんですよ。
そういう時に神の教えというか、
キリスト教というものをもう一回ちゃんと万卓にしましょうみたいな、
そういうところで活躍した知識人というか、
そういうふうな人がアルグステニスっていう感じなんですよね。
これの人は別にローマの皇帝とか偉い人とかではなく、
いわゆる教職者というか、そっち系の人?
そうだね、教父、いわゆる宗教家みたいな感じだね。
なんかあの人と、自生録書いた人と混ざっちゃうんだよね。
マルクサレース・アンティニス。
混同しちゃうんだよな。
あっちはストア派で時代も全然違うけど、
カタカナの名前わかりにくいよね。
みたいな感じで、
1000年、1500年以上前のすごい思想家ですよというふうに思ってもらえばいいんだけれども、西洋のね。
これに対してハンナ・アーレントさんは、
このアルグステニスさんの愛の概念というものを取り上げて白紙論文にするんですよね。
すごいわかりやすく、アーレントさんの話をするためだけに言うと、
大きくアルグステニスさんは、愛には2つあるというふうに言います。
これ多分わかりやすいというかイメージつきやすいと思うんだけれども、
1個はいわゆる世俗的な愛みたいなもので、
ちょっと欲望っぽい感じもあるんだけれども、
いわゆるこの世で生きている中での財産、お金とか、
地位とか名誉とか、
あと人間関係みたいなものも含めて、
いわゆる形あるものを愛するということもしますよね。
ちょっとこれも仏教の執着みたいな感じなんですけどさ、
そういう地上のものって儚いよねと。
いつかはなくなったりするし、絶頂のすごい財産が増えてもいつかはなくなるしとかも含めて、
そういった移り変わりがありますねと。
なのでこういった世俗的な愛に支配されちゃうと、
人間ってそれを失う恐怖とか、まさに執着だよねというものにやられてしまって、
もう全然心の平安がありませんみたいな。
さっき言った通り当時のローマ帝国、特に西ローマかな、
がすごく崩壊の危機みたいな感じなので、
国がなくなるとか、千年続いた都が崩壊するような時代なんですよ。
でいくと世俗的な愛では、やっぱり我々は何もできないというか、
やっぱり不安で不安でしょうがないと。
なので2つ目の愛として、いわゆる神への愛みたいな、
そういったものがあるよねっていうことを言うんですよね。
当然神様っていうものは滅べることがないとか、
いわゆる永遠の象徴だったりするので、
神様っていうものをちゃんと愛すれば、
永遠なものに対する愛っていうものなので、
それを失うことがないとか、
仮に自分が死んだとしても、
その神様とか、その神様を愛したってことが残るよねみたいな、
そういうことを考えるんですよ。
これ自体は多分今でも理解しやすいというか、
そういうね、永遠なものとか大いなるものへの愛と、
地上的なものへの愛ってやっぱりなんかちょっと違うよねみたいな感じがあると思うんですよね。
そうね、これはちゃんとわかるよね、話として。
うん、ね。
そんな話なんだけれども、
ここでですね、当時23歳、大学院生のアーレントさんは考えるわけです。
つまり神への愛ね、
これって大事だよねってことは言えるんだけれども、
これを追求しすぎるというか、
こっちはやっぱり大事だよっていうのがこれまでの西洋の流れなんだけれども、
その時、私たちが生きているこの世界とか、
いわゆる隣にいる人とか、一緒に暮らしているペットでも植物でもいいんだけれども、
それってどうなっちゃうの?と。
つまり神への愛とか永遠のものへの愛っていう境地に立つと、
この世っていわゆる不完全な、いわゆる仮初めの世界みたいな感じで、
価値が下がっちゃうじゃないですか。
確かになんか条例関係みたいなもの生まれちゃってるね、確かに。
そうそうそう、で、
何時の臨時を愛せよみたいな話になっても、
そうすることで神の世界に至れるとかって言われちゃうと、
で、その隣にいる人が目的じゃなくて手段化しちゃうみたいな。
とか、隣の人を愛してるのも神に愛されたいからだみたいな、
よくわからんごちゃごちゃしたものは出ちゃったりするんじゃない?
まあ、そうなるよね。
さっき上下っていうのは優劣だね。
優劣だね、そうそうそう。
神への愛の方が優れていて、地上の愛は劣ってるみたいな。
になっちゃうよね。
なった時に、そうそうそう。
やっぱこれっておかしいよねっていうか、こうなっちゃうよねということを考えるんですよね。
そうだね。おかしいというよりは構造として、さっき言ったさ、
神への愛を貫き通すために隣人を殺すみたいなことが、
なんか言っちゃうんじゃない?みたいなね。
そうそうそう。
それこそ仏教とかもそうだと思うけれども、
来世で救われればいいからって言って、現世はもうどうでもいいとかさ。
ああ、なんかそういう修行材料なんかあるよね。
早いと言ってたんだっけ?
でもそれはダメだよみたいな。
自分で身を投げちゃうみたいなさ。
うん、自殺はダメだよみたいなさ。
一般の人は苦しくてじゃなくてさ、
普通に悟りを目指している僧侶もそういうことをしちゃうみたいなさ。
そうそうそう。
っていうのがあるから、やっぱりこの神への愛と地上の愛みたいな、
これを分けるっていうこと自体はあってもいいかもしれないんだけれども、
この2つだとどうにもならんというか、
要は今生きているこの世界っていうものは、
劣っている不安しかないものだと。
それを捨てて、やっぱり神の国に行きましょうみたいな、
やっぱりそういう風になっちゃうんだよね。
前回の導入の話?
アーレントが経験したことを踏まえて、
これを聞くと、なかなか考え深いというか、
ですよねーってなるね。
ね。
っていう風な話があるので、
この2つの愛じゃなくて、やっぱり別のものが必要だと。
というのでちょっと出てくるキーワード。
そしてこれは、
ちょっと後でまた説明するんですけれども、
いわゆる世界への愛みたいな形で、
ちゃんとこの私たちが生きている世界、
獲物を愛するんだと。
この世界っていうのは、この後またやってくるんだけれども、
それこそ全体主義、
ナシスみたいな形でユダヤ人を虐殺に追い込んだようなことも起こる、
やっぱり苦しい厳しい世界です。
でもそういった中で、いかに世界への愛を取り戻すかというか、
本当に世界を愛することができるのか、
これがやっぱりすごく大きな手山になってくるんだよね。
これまでが一旦前提です。
でね、
ここからがちょっと、
反ノアレントのより哲学的な話になっていくんだけれども、
前回ととおり、ナシスドイツに捕まって何とか逃げて、
で、パリからアメリカに亡命しますと。
で、アメリカでいろんな作品を発表していくんだけれども、
大きな一個に全体主義の起源っていう本があるんですよ。
これなんかめちゃめちゃ分厚い本らしいんですけれども、
この全体主義っていうことはもう、
わかるようでちょっとわからんのですよね。
わかるんですよねっていうのもあれなんだけれども。
そして言葉として習っちゃってるからね。
そんな言葉あるなって。
なんとなくって感じなんだけれども。
全体主義っていうと、
なんとなくイメージとしては、
独裁者というか、
それが一人ってよりは、
政権とかでもいいんだけれども、
そういう人たちがいて、
民衆を弾圧するとか、
それこそ自由を奪って、
国のために尽くせとか、
一個のイデオロギーを守れ、
それを守れないやつは粛清だみたいなさ。
すごい今、
荒いイメージで喋ってるけれども、
そんな感じだと思うんですよ。
でもそうだね、
思想統制的な、
さっきね、
今ハイトが言った、
これをやってくぞみたいな感じがするもんね。
そういう感じなんだけれども、
やっぱりこの、
まさに何か言ったら、
思想統制みたいな話っていうのも、
よくよく考えてみると、
それって本来というか、
これまでの歴史にはなかったんですよ、
みたいな話をアーレンとは言うんですよね。
どういうことかっていうと、
いわゆる暴君、
例えばネロとかさ、
ちょっとわからないけど、
そういう名前出てくる人っているじゃん。
多分中国とかもいると思うんだけどさ。
なんかいた時に、
いわゆる支配者が権力を駆使して、
人の命を奪うとかさ、
財産を奪うとかっていうものは、
全然ありましたね。
でもどんなにひどい暴君とか、
そういった政府であったとしても、
人々が一定その自分の部屋にこもりとか、
逃げるとかってなった時には、
一定その、
まあ何だろうな、
それが侵されることがあったとしても、
その家庭とか家とか、
あるいは自分の心、
みたいなものは、
やっぱり自分のものだったわけなんですよ。
で、それが奪われるから大変だって話もあるんだけれども、
アーレンとかが見入らせた全体主義っていうのは、
まさにさっきヤニケ言ってくれた通りで、
いわゆる人間の内面とか、
家族の在り方とかも含めて、
そういったものも全て、
国というか全体の方に明け渡すっていうふうな、
そういうふうな仕組みがあるんだっていうことを、
アーレンと暴くんですよね。
仕組み。
つまりイデオロギーとさっき言ったんだけれども、
何かその共振者とかカルトンみたいな感じで、
特性の思想を大事にしましょうとか、
そういう思想的とか心情的な傾向がある人が集まるとかじゃなくて、
その国、集団員全員がある種常識とか正しいこととして、
それこそユダヤ人というものは排除すればならぬとか、
我々民族、当時で言うとアーリア人というものは優れた民族であるとか、
そういったものを全員が共通するような社会というものがありますねと。
これって考えてるとおかしくて、
全員が全体的に日本人はすごく優れた優秀な民族だとかってなった時に、
普通だったら別に俺そんな優秀じゃないしなとかさ、
それって本当かなって思えるはずじゃない?
そうだね。
思えないと怖いって普通の科学としては思うんだけれども、
でもそれこそ教育とか、それこそプロパガンダとか、
マスコミュニケーションとかで、
日本人というものは素晴らしい民族なんです、世界一優れた民族なんですっていうふうに、
生まれた時から死ぬまでずっと言われたら一体そう思うはずなんだよね。
そうだね。
この思想的な統制とか、それを前提にした社会が成り立ってるってこと?
これが全体主義だっていうふうに言うんですよ。
思想統制であるってこと?それとも思想統制とは違うってこと?
思想統制っていうと、いわゆるこれを信じろとか、
上から結構押し付けられるっていう印象が、これは僕にはあるんですよ。
統制だからね。
そうじゃなくて、そもそも、
いわゆる全体主義を目指す側、権力者の側からすると、
そもそも一人一人個人に自由なとか多様な思想とか信条は要りませんねと。
だから思想統制でもいいのか。
だからこそこういうふうな考え方を常識にしましょうとか、
こういうふうな振る舞いっていうものを当たり前にしましょうっていうような形にして、
ある種人間っていうものを本当に機械だよね。パブロフの犬みたいなさ。
本当にバンザイって言ったら全員バンザイって言っちゃうみたいな、
そういうふうなある種操り人形に変えてしまおうみたいな。
なるほど。
だから国で言うと、そこに住んでる人たちの反応というか振る舞いの違いみたいな感じか。
思想統制で、さっきハイトが言ったけどまず思い浮かぶのは、
虐げられる人民みたいなね。
いやいや、そうしないと警察が来て捕まっちゃうから、
自分は違うんだけど、怯えながら自分の思いは隠して生きていくみたいなのを思想統制として言うのか、
それとも校舎、さっきハイトが言った生まれた時から雰囲気を育していれば、
本人たちは無意識にこれが正しいんだとか、
常識的に判断したらこうなるよね、みたいなのを統治したい方が思ってる方を常識と思い込んで生きていくので、
全然支配されてるとか強制されてるとは感じないっていうイメージの違いってことはね。
そうそうそう、そういうこと。
だから統治する側を守護にすると、多分思想統制の手段の違いでしかないんだけど、
そこに住んでる人たちを守護にすると、全然やられてることというか、その感覚は違うよねって感じか。
そうです、そうです。起きてることが違うよね。
なのでやっぱりハンナ・アレントに、言い忘れというか見たところで言うと、
国の目的がやっぱり違うねと。
それまでの暴政とか暴君っていうのは、自分がやっぱり得をするとか、
データが欲望あるし満たすみたいな話なんだけれども、
その目的、自分の目的ってよりは、国家全体ってものを自分が操れたように操るというか、
その中にいる国民とかっていうものは、
本当に人間性がない方があれなんだけれども、
本当にそういうふうなことをやり尽くすっていうものが全体主義だっていう話を考えるんですよね。
言い方違ったな。
いいよ、もう一回。
もう一回いい?
うん、よしよし。
なので、ハンナ・アレントがやっぱり見たところによると、
過去の暴君とか暴政みたいなものっていうのは、ある種国民から奪うというか。
資源というか資産みたいなものを自分のものにするという話なんだけれども、
アレントが定義した全体主義っていうのは、
国民が国民のままいるんだけれども、
そこに人間性がありませんとか、人間性を認めませんみたいな話かな。
自分で考えるとか、
何か批判的に施行するとかっていうことをある種奪い去って、
ある種本当に一個のイデオロギーじゃない、しかもやっぱりわかりやすいもの。
それこそ何々は敵だとか、誰々は素晴らしいとか、
そういうある種割と善と悪みたいなものを分けて、
それがもう疑いようのない正義なんだというか、
優しくなんだみたいな。
ということを植え付けていくことによって、
その人間性というものをある種奪っていくような、
そういうふうな社会構造というものとしての全体主義っていうのがあるんだよと、
いうふうなことをアレントは見出すんです。
なるほど。
さっき機械のようにって言ったけれども、
まあ機械っちゃ機械なのかな。
本人たちはたぶん自分が自由に考えて、
自由にやりたいことを展開させるというか、
はずだよね、たぶん。
そこに生きてる人たちが。
受けて、生きてる人たちがね。
だけども、実際のところは接する情報が全てコントロールされてるので、
その土俵の上でしか考えられてないっていうことを俯瞰してみると、
このアーレントの言うところの、とんでもねえ統治されてるんだこれみたいな、
いうふうになっちゃうってことがね。
そうです。
でなんかね、この全体主義っていう話なんだけども。
あ、そうか、これが全体主義か。
この話の内容を聞いてて、
集中しちゃって、これが全体主義ね。
そうそう、こういった話が全体主義ですね。
ごめん繋がらないとこあった、危ない危ない。
で、反論アレントさんがやっぱり踏み込んで考えたいのは、
なんでこの全体主義っていうのが人間の歴史の中に生まれてしまったのか?
まあ、象徴的にはもちろん夏ドイツなんだけれども、
それっていわゆる突然変異みたいな感じで、
なんか知らんけどその当時のドイツにヒトラーという人が生まれたからできたんですか?
っていうと、当然そうではないっていうふうに考えるわけなんだよね。
そうすると、もしそうだとしたら、ヒトラーさえいなければってなるんだけれども、
やっぱり人間って単純でもないし、
一人の天才なのかわかんないけれども、
そういう人のことでやっぱり世界が全部変わるってことは基本ないわけですよ。
なると、やっぱり全体主義っていうのは起源がある。
これがまず本のタイトルの全体主義の起源っていう話なんだけれども、
どこから来たのっていう話を考えたときに、
実はこれっていうのは西洋の近代文明そのものからある種生まれたんだっていう、
それをバーレントさんは見出してるんですよ。
へー、そうなんだ。
つまり、アメリカでそういう本を書くんだけど、
ドイツが当時、敗戦国になって大変だっていうときに、
他の国はドイツだったとか、ドイツを封じた戦争国だってなってるわけだよね。
どの時代だ?
第二次世界大戦後?
第二次世界大戦後。
5年、はい。
当然フランスとかイギリスとかも勝った勝ったってなってたと思うんだけれども、
そこに対してバーレントさんは、
いやいやと、これってドイツの問題じゃなくて、ヨーロッパ全部の問題だよってことを突きつけるんですよ。
これすごいことで、要は人ってさやっぱりね、自分は相手とは違うとかさ、
俺はそんなことしないって思ってるわけじゃん。
まあだから戦ったってのもあるしねっていうね。
そうそうそう。
っていう中で、いやいやあなたたちみんな、あなたたちっていうか私たち、
バーレントさんも含めて、私たちみんなそうだよっていうことを言うんですよ。
実はその起源が何かっていうと、これがいわゆる帝国主義だっていうふうに言うんですよね。
帝国主義。
帝国主義、はいはい。
うん。これはいわゆるイギリスとか、その前だったらオランダとかもそうだと思うんだけども、
より植民地化だよね。船でいろんなとこに行って、アフリカとかアジアとかっていうものを植民地化しましたよとか。
これは帝国主義と言いますとかっていうのは、歴史のことで学んだこともあるかと思うんですけども。
これまで、ジョン・スチャート・ミルとかさ、
あとその前もルターとかもそうだけど、ルソーか。
いわゆる西洋の近代化に伴って、やっぱり自由っていうものが広がってきましたとかさ。
いわゆる権利っていうものが広がっていて、それを国民が貸し取ってきましたみたいな、そういう話をしてたじゃないですか。
その時代でいうと、人間っていうものは解放されて自由になって、より民主化されてみたいな。
それがいいことだというふうな発想になってるんですよね。
でもね、そういった裏で、さっき言ったいわゆる植民地化だった時に、
要は金と芸術の力で他の地域っていうものをバンバン征服したわけですよ。
本国で、国では法のもとの平等だとかさ、基本的人権がとかって言ってはいるんだけれども、
植民地に行くと法律とか無視して、いわゆる原住民とか行って殺しまくるとかさ。
流行的なITを騙して貴重なものを全部奪い去るとかさ。
そういうことをやってるわけなんですよね。
どう考えてもおかしいだろってなるわけですよ。
その時に、なんでそんなことが起きたのかとか、それを個人の問題じゃなくて、
仕組みの問題で考えていきたいんだけれども。
2つあって、行政命令、いわゆる官僚制みたいなものと、あと人種主義なんですよ。
これどういうことかっていうと、当時あんまり肌の色とか、
白人がとか黒人がとか、黄色人種がとかっていう括りも良くないとは思うんだけれども、
あえて今回言うと、当時のヨーロッパの支配層、いわゆる白人層でいくと、
基本的には自分たちは優れた人種だと。
原住民、原地人っていうのは、ある意味で言うと自分たちとは違う、劣った存在であるっていうふうな、
そういうふうな目で見てたでしょうっていうことがベルトに残ってるわけなんだよね。
はいはいはい。
なので、優秀な白人層である我々は、劣った存在である原地人から、
特権的な地位を持っているとか、
ある種何をしても良いみたいなものが医療ロギー化されていきます。
そうなった時に、いわゆる法的なルールとかじゃなくて、
まさに特権的な行政命令、今この場ではこうして良いとか、
今この瞬間私が法律だみたいな、そういうことがどんどん起きちゃうわけですよ。
そうなんだ、行政命令ってそういう感じ?
行政命令を出すと、例えば現地の責任者がこれからは、
例えばこれまで有効に接するよってなってたけど、これから略奪して良いって言ったら、
その部下の人たちとかは略奪して良いっていうものが命令として降りてきたら、
それを遂行できちゃうわけなんだよね。
それが行政命令ってこと。
それは、いわゆる本国?
本国っていうよりは、いろんなところに船で行った先々の現場での話ってこと?
そう、現場での話。
行政命令っていうのは。
なるほど、この言葉の意味が行政だから、なんか国の決まりとかそういう感じなのかなと思ったけど。
はいはいはい。
なるほど。
いわゆる思いつきですじゃなくて、
引き続きというか、
すみません、仕組みだよね。
一応国の業務、いわゆる官僚というか、今で言ってイメージ的には官僚だと思うんだけども、
官僚性があったときに、この部署はこういうことをしてくださいと、
この省庁はこういう担当ですとかってことが当然降りてくるわけじゃない?
うんうんうん。
っていうときに、それをちゃんと乗っ取った形で、
今この場において略奪とかっていうのはOKだみたいな、
そういうことが現場レベルでどんどんどんどん進んでしまうというか、
正当なものとして降りていくっていう感じだよね。
なるほどなるほど。
だから現場に行く、その船に乗ってる、あれだろ、国営事業だもんね。
国営事業として船に乗っていきますっていうところの船の監督者は、
そういう権威を、ちゃんともう上からすでに移譲されてるから、
そこから現場で、例えばどっかの島とかどっかの国というか、
場所に行ったときに、ある程度裁量を持って、よしここではこれやってよしとか、
お前ら今はこれはダメだよとか、それやるなら明後日からねみたいな、
そういうことが現場で行われてて、それが行く先々での行政命令っていう、
思いつきとかその場の雰囲気で、
一兵士とかがやってるとかじゃなくて、
ちゃんと実は仕組み化されてやってるよっていうイメージってことね。
そうそうそう、そういうこと。
はい、なるほど。
なので普通に言ったら、やっぱり人が人を殺すみたいなことは当たり前じゃないわけですよ。
普通で言ったらね。
でもその行政命令っていう中での、これをやるべしっていうふうな、いわゆる仕事と、
あとはその人種差別っていう、私たちとアーサーたちは違うっていう、
この二つがやっぱり掛け合わさったときに、
そういった自由とか言ってるんだけれども、それは我々白人のものであって、
いわゆる普遍的な人間っていうような考え方ではないっていうところから、
やっぱりそういった虐殺とか、迫害みたいなものとかっていうのが起きてたんだと。
そういうことをアーレントさんは見るんですよ。
なるほどね。だったりとか、それこそね、現地の人を連れて行ったりとかもせたわけですね。
そうそうそう、奴隷とかだったときに。
この、いわゆる帝国主義時代に行われていた、
そういった行政命令と、それを遂行するっていういわゆる官僚制みたいなものが、
いつの間にかその植民地から、本国ヨーロッパの方に逆輸入されて、
その仕組みがナチスのホロコーストを準備したんだっていうふうな、
そういうことを考えたんですよね。
なるほど、逆輸入か。
そっかそっか、現場ではそういう価値観でやってたよねっていうのが、
本国でもそういう価値観でやると、確かに同じこと起こるよねみたいなね。
起こってもおかしくないよねと。
おかしくない。やり玉になってしまったのが、いわゆるユデラジンだったというふうな話。
なんだけど、やっぱこれだけだと足りないというか、
全体主義に至るにはもう一歩足りてない、欠けてるピースがあるっていうようなことも考えるんですよ。
これが何かっていうと、言葉で言うと、孤独な大衆とかって言われるんだけども、
これどういうことかっていうと、近代資本主義の話をいろいろしてきたと思うんですけれども、
これまで個人とはとか、個人がどういうふうに社会とつながっていくのかっていう話をしたときに、
考えるということは、個人っていうものが由来でいるとか、
人とのつながりっていうものが危機に落ちているっていう、
そういう時代だからこそ思想とか哲学が発展するっていうのもあると思うんですよね。
なるほど。
そういうときに、マルクスカイとかでもやったと思うんだけれども、
結構資本主義が発展していくと、仕事っていうものが工場とかになったときに、
それまでのもっと身近なつながりだったような市場みたいなものから、いわゆる市場だよね。
お金だけでやり取りされるとか、人とのつながりがない、
海の民と山の民みたいな話をしたと思うんだけど、
本当はもっと人間的な効果みたいなものでつながっているところから、
お金だけになっちゃって、あるいは数字だけになっちゃって、
全然つながりなくなりますねって。
どこでいくと、もちろん仕事っていうコミュニティもそうだし、
あるいは地域コミュニティとかも含めて、
現代もそうだよね、隣に住んでる人誰かわかりませんとか、
やったときに、やっぱり人と人のつながりっていうものが薄れていきます。
そうすると人間どうなるかっていうと、やっぱり孤独になっていくんだよね。
まあそうだね、確かに。
この孤独って単純に人付き合いがないっていうことじゃなくて、
果たして本当に自分はこの世界に必要とされているのかとか、
必要とされないにしても、いわゆる居場所ってあるんだっていうみたいな、
やっぱりそういう虚無感みたいなもので、
襲われる瞬間ってあると思うんですよ。
わあ、すごいね。
そっか、もう自分は無いものなんだろうみたいなのはもう、
この時から始まってたんだね、もうね。
そう、あるんだよね。
だからこそやっぱり個人とはとか人間とはっていうことがやっぱり大事になってくるんだけれども、
そんなことを考えられて突き詰める人たちはやっぱり一流は哲学者ぐらいなもので、
やっぱり普通の人間からするとなんか苦しいみたいな、
なんか繋がりがないみたいな。
とかなんかイライラするとか、なんか眠れないとかでしょ。
そうそうそう。
そういう感情がぐちゃぐちゃになっちゃうわけだよね。
で、本来これアーレンと言わせるとだけれども、
なんだろうな、人っていうものはやっぱり人と交わるというか、
他者と交流することによって、
現実のリアリティというか、あるいは自分の感覚っていうものも得ることができます。
もっと言うと、本当に一人しかいなかったらさ、
人間がこの世に一人、自分しかいなかったら、
そもそも人間という概念もないみたいなことってあると思うんだけど、
そんな感じで、やっぱり深い孤独、孤立になってしまうと、
現実感がなくなってしまって、
どこかに繋がりを求めたいとか、
なんとかして自分の居場所を作りたいとか、
そういうふうなものが湧き上がってくるんですよね。
っていうのをアンダーレンとは考えてるってことだよね、当時。
これをね。
これをね。
ってなった時に、今言った孤独、
しかもそれが大量にいます。
孤独を抱えた人たちが大衆って言われるぐらいの人がいます。
ということと、あとはさっき言った帝国主義的な、
いわゆる行政的な命令と人種差別、
これがガチャッと繋がった時にどうなりますかっていうと、
恐ろしいことになるんですっていう話で、
どうなると思う?
帝国主義的なやつと繋がりがない孤独だっていう、
大量の国民がいた時に。
もしかして、行政命令的な、
行政命令の内容が、
その孤独な大衆の孤独を埋めるとか、
生き甲斐みたいなものを、
それを刺激した時に何かこう、
怖いことが起こるのかな?もしかして。
いいですね。
今日の話を流れていくと、
これが全体主義なんだって話なんですよ。
そうなんだ、ごめん、全然わからなかった。
なるほど、イコール全体主義。
そっか、その3つを足すと、
全体主義、煮込むと、
全体主義が。
煮込んで、できましたってなると、
全体主義というものが誕生しますっていうふうに言うんだよね。
そうなんだ。
なんでかって言うと、要は、
つまりさっき言った医療ロギーって主義なんだけども、
これさっきさ、シンプルであればあるほどいいって言ってたじゃないですか。
善と悪とか、自分たちは優れてて、相手は劣っているとか。
あえて思想統制って言うけど、
その時の内容があってこと?提示する内容が。
そうそうそう。
その時に、この孤独な群衆は当然思うわけですよ。
自分は優秀なほうの存在でありたいとか、
自分も、やっぱりその善のほうにいたいとか。
そうすると、その善っていうもので繋がれるわけだよね。
その時の善っていうものは、当時で言うと、
いわゆる人種差別なので、
自分たちは生まれた時点で、この民族として優れている。
繋がりがある。
それはなぜかというと、
劣った人たちっていうものを、
ある種自由にする特権とか、
そういうものを持っていることによって証明できるっていう、
そういう最悪の現実が生まれちゃうわけですよ。
しかも、それは思想だけならいいんだけれども、
さっき言った行政命令だよね。
つまり植民地であったような人を、ある種効率的に、
殺してしまうとか、排除してしまうとか、
ノウハウがあるので、
それがあることによって、
思想と行動と人っていうものが揃っちゃうんですよ。
ってなると、国を挙げて、
ユダヤ人っていうものを迫害しようとか、
虐殺しようとか、
実現できる状態になっちゃうんだよね。
これって本当に恐ろしいというか、
喋っててもありえないと思うし、
ユダヤ人の方、本当ごめんなさいって思いながらずっと喋ってるんだけど、
あとドイツ人の方は、別にドイツ人が悪いわけじゃないとももちろん思っているから、
別にあくまでも今、事実とか過去のこととして喋ってはいるんだけど、
そういうふうになった時に、
孤独な群衆の方からすると、
要は自分の繋がりが欲しいわけじゃん。
自分たちは優秀である。
その優秀さっていうものが、
劣った存在っていうものを排除することによって、
強化されるっていうループになっちゃうと、
それをやることに対して、もちろん何の疑問も持たないし、
当たり前というか、それをやらないと自分の居場所がなくなって、
孤独になるっていうような状態に置かれてるわけなんですよね。
当然支配層はそういったこともわかってるわけで、
そういった人間の心理っていうものもある種扱いながら、
淡々と仕事というか業務として、
そういったホロコースというものを遂行していくっていう形になっていきます。
ということがあるので、
この全体主義っていうもの、
今日言った、いわゆる人間性っていうものを失わせていくとか、
本当に人間っていうものを考えさせる力をなくして、
行動させていくっていうのが、今言ったような人の孤独っていうものと、
あとはその実行能力だよね。
いわゆる官僚性的に業務として遂行していくっていうものと、
あとは敵を作るという意味の人種差別、人種主義。
この3つがガチッと重ね合ったことによって、
ドイツに生まれたんだけど、
でもこれってドイツの問題じゃないぜっていうのが今の話でわかるじゃないですか。
そうだね。
どこでも起き得る。
そうそう、どこでも起き得る。
その一部、全体主義っていう料理ができたかは知らんけど、
その素材はだいぶ揃ってたんじゃない?みたいな話はね。
そうそうそう。
あとはもう素材はあるからそれを煮込むかとか、
料理したけどうまくいっちゃダメなんだけど、
できたかできなかったかみたいな、本当そういう話なんですよってことなんだよね。
おー、はいはいはい。
ってな感じで、ある種アーレントさんが自分が側面したナチスとドイツに対して、
ナチスを恨むとかドイツがおかしいってことを言うんじゃなくて、
これはヨーロッパ全体の問題なんだと。
というと、その当時の西洋社会に対して、勝った負けとか言ってるわけじゃなくて、
これは本当に人類ではないね。アフリカとかアジアとか別の人種の人たちもいるから、
人たちが別にこういう考えを持ってないし、こういう実行力もないとした時に、
だからヨーロッパのやつら本当にまずいよ、みたいなことを言うわけなんですよね。
おー。
で、ここまでいくと絶望しちゃいそうじゃん。人類終わったみたいなやつ。
ヨーロッパはダメなんだよ。
人類終わってないよ。
人類終わってない。
逆のことは起きるかもね。ヨーロッパのやつらなんて頭が悪いんだとかで、逆にそういうことが起きちゃいそうで。
そんな話なんだけれども、やっぱりアーレントさんは書き直しとかもしてるらしいんだけれども、
ちょっと感動的だと思うんだけど、この本の最後にさっき言ったアルグステンさんがいたじゃないですか。
彼の言葉を引いて締めてるらしいんだけれども、その言葉は始まりが存在性がために人間を扱えたって言葉なんですよ。
この始まりって何かっていうと、要はさっき言ったように全体主義っていうものは人間性というものを剥奪して人を機械にします。
もっと言うと個性がない取り替え可能な部品にしちゃうんだよね、やっぱり人間というものを。
ちょっとモダンタイムスっぽいけどさ。
まさにそうだよね、でも。
そうじゃなくて、人間というものが何かをちゃんと新しく始めるとか、やっぱり世界を新しくする。
そのためにある種神様が作ったかけがえのない存在だっていうことをアーグステンさんは言ってるわけなんですよ。
ああ、アーグステンスが、はいはいはい。
そう、アーグステンスと言葉として。
やっぱり一人一人の人間の可能性とか、生まれた意味とか、そういったものを絶対に無くしちゃいけないというか大事にしなきゃいけない。
それをこの全体主義っていうものを分析して、こういうメカニズムがあるっていう本を書いた、その最後にアーレンタさんは載っけてるんですよね。
やっぱり人間というものは希望とか、そういったものを失わずにやっぱりこれをやってるっていうことのすごさというか。
なるほど。
大きさがあるんじゃないかっていうような話なんですよ。
はいはいはい、そうだね。確かにすごい暗い終わりになってもいいもんね。
そうそうそう、もう西洋文明は失敗でしたと。
この近代化っていうものは、本当に人間を悪夢に染めただけです以上、みたいなことでも別に言えるわけなんだよね。
ここまでの洞察というかね、分析できる人は言わなそうだけどね。
やみおちしてもさ、でもおかしくないじゃん。ここまで見えちゃった時にね。
確かに、そっかそっか。それは分析できるっていうことと、自分がそれをどう受け止めたりとか、受け止められるかみたいなのは違うもんね、確かに。
いや、ほんとそう。
そっかそっか。ごめんなさい。それは確かに本当に、そういうのを考えられる人とかの苦しみなのかもしれないね。それはわかんなかったわ。
今日ね、ちょっと長くなったよって言ったんだけれども、どうしてもアーグセイスの話を言いたかったのが、
やっぱり彼女、アルカさんのベースに愛があるっていうことがすごいことだと僕は思ってて、
さっき世界への愛とかって言ったけれども、正直僕自身は愛が何かってまだ全然分かんないわけですよ。
神への愛とか世界への愛とか言われても、なんとなくは分かるけど、それを本当に感じることがありますかっていうと、
ある種特定の神様を信じたこともないし、世界ってものは本当に素晴らしいとか、
もちろんお金欲しいなとか、キャラクターのグッズ欲しいなとかってぐらいはあるけど、
それって愛なのかって言われたら別にそんな気もしないなみたいな。
っていう時に、やっぱりアレントさんはその白紙論文でアーグセイスの愛っていうものをこらえて、
数十年後、自分が経験して見聞きしたこのホロコースとナイスドイツ共に対して分析をした後に、
もう一回アーグセイスの話を聞いて、人間の可能性っていうものをそこに置いたっていう。
これ自体、アレントさんも拝みたくなるというか。
いやー、そうだね。
本当にすごい人なんだなみたいな。
そうね、そういう感じなんですよね。
はいはいはい。
いい感じでね、もうアレントさん終わりかって思われるかもしれないんですけど。
もう全部分かったわ。
分かってないんだよ、まだまだこれからなんですよ。
っていう風な中で言った時に、今日は全体主義の起源ということで、
そこにある種準備してしまった帝国主義っていうものと、
アレントさんの哲学的な土台にある、あるいは人間的と言ってもいいと思うんだけど、
その土台にあるアーグセイスの愛みたいなものを話したんですけど、
じゃあねと、当然ここから全体主義みたいな話を考えた時に、
その中で生きる人間ってどういう風な存在なのか、
どういう風な全体主義っていう仕組みの中で、
人間ってものがマジで人間を取り戻すかみたいなことがやっぱりテーマになってくるわけなんですよね。
はいはい、その辺も論じてる?
うん、そうそうそう。
おー。
そういうのがあるので、人間がいて社会があるじゃなくて、
その社会である全体主義とか、そういうことを用意したことに陥りかえられない社会があった時に、
そこで人間はどういう風に生きていきますか?
人間を取り戻すって話だよね。
いやー、確かに確かにそうだね。
人間、今日の全体主義の話の思想統制の部分でいくと、
やっぱ社会があって人間があるっていう10万の確率もあるよねっていう世界ガチャみたいな話でさ、
そこに生まれたら私人間だってみたいなさ、
なっちゃうもんね。
その時代その場所ね。
そう、だし別に今の日本がね、ある程度の言語の自由とかももちろんあると思うけれども、
それが本当に全国民とかさ、日本にいる全部が一緒に当たられてるかっていうと、そうじゃなかったりもするわけじゃない?
ん?どういうことだ?
やっぱりそれこそ日本人と外国人っていうのは括りとか、
基本的人権っていうものの届く範囲とかって当然決まってるわけじゃん。
だから僕らは日本人として日本っていうものを享受してるけれども、
そうじゃない人もいっぱいいるわけだよね、外国の方とかも含めて。
っていう時に、やっぱそれを今僕らは当たり前のように、当時のドイツとかヨーロッパひどかったよね。
イコール日本は違うけどねって思ってるけど、果たしてそうなのかってことも当然言えるわけですよ。
まあまあそうですね。
あと日本の教育だったりとかさ、いろんなものが果たしてどうなってるかっていう話にもなるよね、この全体主義の話を聞いちゃうとね。
そういうこともあるので、やっぱり昔の全体主義っていう悲劇のことを話してるというよりも、
やっぱり今僕らが生きてるこの世界とか社会っていうものにもすごく通じるというか、むしろそこに刺さる話だと思うんで。
そうだね。
そういったことも感じながら次回行きますというような感じですね。
わかりました。
次回はそんなハンナ、アーレントさんの続き見ていくというところで楽しみにしていきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回もありがとうございました。