1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #385 【働くことと哲学 その..
2026-01-04 45:59

#385 【働くことと哲学 その1】人間にとって仕事は〇〇だった?

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サマリー

このエピソードでは、働くことと哲学の関係を探ります。特に、20世紀の政治哲学者であるハンナ・アーレントの視点から、仕事の本質や歴史的変遷について考察されています。アーレントの哲学を基に、労働、仕事、活動の違いが探求されます。労働は消費の繰り返しであるのに対し、仕事はものを作り出す行為であり、活動は目的を持たない自由な表現を強調しています。また、歴史における労働の概念についても探求されます。古代ギリシャのプラトンの思想を交えながら、仕事は本質的に奴隷のものであり、近代に至るまでの労働に対する価値観の変化が議論されます。さらに、現代の仕事や労働についての哲学的な視点が考察され、古代ギリシャや中世の労働観に焦点が当てられています。

働くことの哲学的考察
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の環野翔介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。さあ、今回はやっと身近なテーマをきっかけに、哲学をやってみたいな感じ?
そうですね。2022年以来、やっと始めてくれるかもしれないですけれども、テーマとしてはですね、働くことと哲学みたいな感じにしたいなと思ってます。
今日が配信日、1月3日、2026年初めての哲学ラジオですけれども、人によってはね、年末年始も働いたよって人もいれば、休んで、そろそろお仕事だよと。
あるいはね、もう仕事してないよ、してるよみたいな、いろんな方がいらっしゃるかなとは思うんですけれども、
やっぱり仕事って結構本当に身近なテーマかなとは思うんですよね。
でも、仕事とか働くって言った時に、「じゃあ仕事ってなんだ?」みたいな話とか、よくあるね、そもそも論的なことって、意外と考えることないんじゃないかなと思うんですよね。
そうね。
やっぱりそれもですね、哲学の対象になっているんですよ。
もっと言うと、やっぱり普段過ごしてる中でも、「なんでこんな仕事って頑張らなきゃいけないんだろう?」とか、
逆に、「仕事楽しすぎて他のことやれないよ。」みたいな人もいたりするし、
あるいはね、過去仕事やってきて今はやってないとしても、自分ができた仕事ってなんだろうって思いを馳せるみたいな、
そういうことって人によって、それぞれではあると思うんですけど、あるとは思うんですよね。
あるいはね、最近で言うと、常にAIで仕事がなくなるんじゃないかとかさ、
特に若い人とかだと、自分が20年30年後、何をやっていれば働き続けられるんだろうとか、生きていけるんだろうとか、
そういう不安を持ったりする人もいるかなと思っていて、
自分自身が本業では、いわゆるキャリアアドバイザーっていう、まさに転職とかキャリアの支援をするっていう人もやっているし、
あと、年末ちょっと雑談会でもお伝えしましたけど、このスライドディスラジオっていうものをくくりながら、
ルディクレアっていう自分の個人事業にしました。要は仕事にしましたって感じだよね。
っていう時に、そもそも仕事にする必要はあるんだっけとかも結構考えてたんですよね。
へー、そうなんだ。わざわざ哲学事務所と名乗る意味があるのかっていうね、それこそ。
そうそうそう。そうした時に、仕事ってやっぱ何だとか思ったわけですよ。
なんとかっていう自分のいろんな考えもあったりとか、
あとはスライドディスカフェでやっぱり働くとか仕事っていうの大事じゃないかって結構いろんな議論が出たりもあったので、
今年1本目はこの働くとか仕事っていうことを軸にテーマとして取り上げてお届けしようと思ってますと。
ハンナ・アーレントの視点
ちょっと導入が長くなっちゃったんですけれども、そういった流れですね。
そうなんだ。だから、いわゆるこの働くをテーマに哲学してる、いわゆる哲学者みたいな人がいるんだね、ちゃんと。
そうだね。いろいろ考えはつくんだよ。
例えば今日ご紹介しようと思ってるのがハンナ・アーレントっていう人なんですけど、
この人は20世紀の政治哲学者っていうことが多いんだよね。
政治哲学者?
そう、政治哲学。つまり社会とか政治っていうものがどういうふうにやりたっているのかとか、
どういうふうに捉えるといいのかっていうことに関心があったみたいな人なんだけれども、
そういう領域の中で働くとか仕事とかみたいなことを考えたりしてる人はいるんだよね。
なるほど。
なので、その仕事っていうものを哲学的な観点から捉えていこうというのは、今回第5回分ぐらいでやろうと思っているんですけれども、
やっぱり仕事みたいな話って、人によってすごくいろんな係り方があるとは思ってます。
ただ、よく言われるのが、例えばAIが仕事を奪うかもとかっていったときに、
奪われる不安もあるけど、全部AIがやってくれて、人は自由に好きなことができますとかっていう、
若干ユートピアっぽい話もあったりするじゃないですか。
それって、めっちゃいいじゃん、自分たちは働かなくていいじゃんっていう話もあれば、
でもじゃあ結局そのときに何するんだ、俺たちは。
そういう二重三重の不安とか見えなさがあると思うんですよね。
っていうときに、もちろん未来のことを考えるのもそうなんだけれども、
そもそもこれまで人類の歴史がある中で、人にとって仕事ってどういうものだったんだっけとか、
当然時代によっても全然違うんですね、その捉え方が。
哲学なので結構西洋寄りの話が多いんですけれども、
例えば中国ではとか日本ではとかってこともあったりするので、
それぞれの過去を振り返りながら、仕事ってこんな風に捉えられてきたんだねとか、
人間と仕事とか働くことってこんな風な右右曲折があったんだよねっていうところを踏まえつつ、
じゃあ現代の我々ってどういうふうに考えたらいいのかねみたいな、
仕事の分類とその意義
そんなことができるといいなと思ってますっていう感じなんだよね。
意外とわかんないでしょ。仕事が1000年前にどう扱われてましたかとかって、
いきなり聞かれてもすごいぼんやりしてない?
そうだね、確かに。それこそ考えたこともないし、
だから身近なテーマで働くを、テーマに哲学してくださいみたいな話になると、
やっぱり自分の本当に身近な、今この現代で自分が働くってどういうことだってみたいな、
どこに焦点が当たっちゃうなって思ったんだけど、
今のハヤトの話聞くとやっぱそうだよね、そもそも働くってなんだろうって、
やっぱり哲学をラジオでやるからにはそうなっちゃうよねって思った。
そうならざるを得ないよねっていうね。
もちろん働くことに対していろんな価値観があるからそれをみんなで共有しましょうっていう、
現代の横の広がりでもいいんだけど、
せっかくだから縦の歴史的な広がりがあった方が奥行きも出るし深みも出ると思うから、
逆に言うと自分たちが持っている働くこととか仕事っていうものへの固定観念だよね。
そういったものを炙り出してみましょうぜっていう話でございますよと。
というところで早速やっていくんですけれども、
第一回は歴史的な話よりは、さっきおっしゃったハンナ・アーレントさんという人が、
働くこととかそういった活動を密地に分類してみませんかっていうことを結構立ててる人がいるんですよね。
それが頭にあるとすごく話がわかりやすいかなと思うので、
今日はそのあたりの話をしようと思っております。
ちょっとだけハンナ・アーレントさんの話をするとですね、
彼女は1906年にドイツに生まれております。今から100年ちょっと前の人ですね。
亡くなったのが1975年なので、ほぼ近現代の活躍された人でございますよ。
この方がドイツに生まれてるんだけれども、いわゆるユダヤ系の人なんだよね。
どうしてもいわゆるナチズムの迫害に遭いまして、そこから結構いろんな大変な思いもしながらも、
逮捕とかもされてるらしいんだけれども、そこからアメリカに亡命して、
哲学の教授として活躍されましたみたいな、そんな人なんですよね。
もちろんいろんな面白い本を書いているんですけれども、
人間の条件っていう本があって、これもすごいタイトルじゃない?
人間はじゃあもともと人間じゃないのかみたいなさ、条件ってなんだみたいな。
っていうのがあるんだけれども、その中にいわゆる人間の生き方みたいな話で、
それを2つに分類して、そこから働くみたいなことを3つに分類したみたいな、
そういう話があるんですよ。
どういうことかっていうと、この辺はちょっとさらっといくんですけれども、
人間の生き方を2つに分けましたよっていうのが、1個目が感傷的生活っていう話と感傷。
2つ目が活動的生活っていうのがあって、
感傷っていわゆるプラトンとかの哲学的な人生なんだけど、
要は体を動かすんじゃなくて、いわゆる頭だよね。
理性を使って永遠の真理を探求しましょうとか、
あるいはもっと中性で、神の世界にいたりは神の世界につながりましょうみたいな、
そういうことを最高、一番良いとするような生き方があります。
感傷っていうのは何かを見るってこと?
見るが、感傷っていうのは観察の観に照らすっていう文字を書いて感傷っていうんだけども、
これは古代イギリシャで特にプラトンが重視したテオリアっていう言葉があって、
つまりイディア界って僕らは普段は見えない、
僕らはもちろん接続できないんだけれども、
そういうイディア界の真理みたいなものを見る態度とか、
そういうのを知りに行く態度っていうのをこの感傷っていう言葉で言ってるんですよね。
なるほど。じゃあ一応哲学用語なんだね。
ガッツリ哲学用語。
ガッツリ、はいはい。
アーレントさんはこの哲学的な態度、要は真理を見に行くとか、
やっぱりこの世界じゃないところの価値を見に行くっていうことはある種批判したいんだよね。
ああ、そうなんだ。
なのでプラトンから続くそういった哲学的な伝統っていうものを
感傷的性っていう言葉にして、一個にしていますよと。
それに対して活動的性っていうのが、ある種アーレントさんが言いたいことなんだけれども、
人間のある種現実の生活とか、人との関わりとかってもらったときに、
そっちにこそ、やっぱり我々の人生の本質というか重要なものがあるよねっていうふうな考え方をするんだよね。
その中で、どんな活動がありますかっていうのを三つに分けているんだけれども、
一個が労働って話で。
まず三つ言うと、労働と仕事と活動っていう三つの手本に分けるんですよ。
そもそも労働と仕事って違うんかみたいな話もあるじゃない。
これは一般的な話っていうよりは、あくまでもアーレントさんが分けましたっていう話なんだけれども、
ある種労働っていうのは、生きるために必要なことですと。
例えば、食べるとか寝るとか、そういう生きるために必要最小限、最低限のサイクルのことを言うんだよね。
食べることとかも労働なの?
労働。
へー、そうなんだ。
活動って言うと、生きてる間に行うことの中で、生命維持のために必要な活動ってあるわけじゃないですか。
それを彼女は労働って言ったんだよね。
へー、はいはいはい。
なので、食べるために何か木並みを取ってきましょうとか、畑を耕しましょうとか、そういうことも含めて労働ですと。
じゃあ、寝るための布団を作るとかも、準備するとかも労働。
自分の布団だけだったらそれは労働だね。
っていうことだね、はいはいはい。
その、一個を作るみたいなものが、なんだろうな、それがちゃんと残って使い続けるみたいな、そういう風になると、実は次の仕事の枠に入る可能性がありますと。
ほう、なるほど。
どういうことかって言うと、この労働の大事な基準として、要は何も残らないとか、すぐに消費されるっていう考え方があるのね。
やっぱり食べたものって、すぐそれでなくなってもおしまいじゃない?
布団とかも、例えば何か藁を敷いてそこに寝ますぐらいだったら、何も残らないとか、次の日は別の場所にできるかもしれないじゃん。
っていう意味で、あそこに残らないっていうのが労働の大事な前提条件なんだよね。
そうなんだ、はいはいはい。
労働と仕事の違い
で、こういう風に、いわゆる消費してはまた取ってきて、また消費してっていうのを続けてることが労働ですと。
これのサイクルに囲われてる人をまるして労働する動物みたいな感じで、人間としての尊厳とかっていうものがあれば、どっちかっていうと動物に近いみたいな、そういう風な発想があるんですよね。
はいはいはい。
で、次にその仕事って何かっていう話でいくと、この仕事っていうのは、ある種何かが作り出すとか、何かをその世界を構築していく、そういう風な働きを仕事っていう風に呼びますと。
例えばさっきみたいに、じゃあベッドを作りましょう、で木を切ってきて組み合わせて、寝れる場所を作りましたみたいなのと、これは仕事と捉えられますねと。
この違いわかるかな、同じ寝るっていうことに対しても、ただ藁を敷くのと、ちゃんとベッドを作って寝る場所を作るっていうところの違いってイメージ湧くかな。
いや、まだこの違いがピンときてないかな。
本当?どのあたりだろうな。
どのあたりというか、自分であれは労働ですか、あれは仕事ですかって言われたときに、ちゃんと説明できないだろうなっていう感覚がまだあるって感じ。
なるほどね。イメージだと労働の方がやっぱり原始的というか、何だろうな。
本当にいわゆるその日暮らしで暮らしてる人たちが従事してるものみたいな感じかなと思います。
で、仕事になると何かを作り出す、加工するとか、そういうことが出てきて、
要は作ったものを後のために取っておくとか、あるいはこれ芸術品とかも含むんだけれども、作ったものそのものに価値を見出していくみたいな、そういうふうな段階に来るんだよね、仕事になると。
なるほど。
あんまりまだピンとこないか。
これってまだ賃金労働の話は考慮しない?
もう賃金とか考えちゃダメだよ。
違うんだ。関係ないんだ。
そういうことか。オッケーオッケー。ありがとう。
おそらく、そっか、今回その仕事とか働くことについて話しますよって言ったから、あくまでも何だろうな、
いわゆる例えば会社で働くとか、何かを作って取引をして、賃金を得るみたいな、そういういろんなものが混ざっている中で今確かに話が進んじゃってるなと思いましたと。
そうね。
一回、新年でまだあってもクリアにしてほしいんですけれども、これから人間っていうものがどういうふうに生きてるかを考えていきますっていう、また初期状態をだいぶ下げてほしいのね。
だから、現代云々とかじゃなくて、ゼロベースでまた考えましょうっていう。
そうそう、ゼロベースで人間というものがいたときに、生き方というものを考出していきましょうと。
ああ、なるほどね。なんかこのハンナ・アーレントさん、20世紀かの人だからさ、全然賃金とかありきに考えてたんだけど、やっぱ哲学だから、そもそものそもそものそもそもねみたいな話で、
ゼロベースの話をしてるってことね。そもそも人はね、みたいな話を、このハンナ・アーレントさんもしてるってことね。
そうです。なので、感傷的性と既存的性があるよって言ったのも、人間というのはその2つのタイプで生き方が分けられますよねっていう前提条件から話せたのを、確かにそこを共有しなかったなって今思いました。
以前やった、ホップ集が、そもそも人間はね、みたいなやつだ。万人の闘争状態になるのだ、みたいなとか。それと同じ話を、同じようなレベル感でしてるってことね。そもそもねの話。
そうね。そっちから入った方がわかりやすいと思うっていう感じかな。
OKです。OKです。ごめんごめん。全然違う次元で想像しようとしてた。
OK。どうしても現実を見るといろんな人がいるから、これは労働で暮らしようとかってカテゴライズしようと思うと、これはどっちだとかってなりやすいんだけど、
一回そのゼロベースから考えたほうが多分わかりやすいと思ってて。
それだけは多分大丈夫だと思う。
この活動どっちに入りますかとかっていうのは、もうちょっと先。要は過去の歴史の話とかをした後で、実際どうかなって最後にやりたいなと思っているので、ごめん。
もうちょっと前提の土台作りのところを一緒に頑張ってほしいなと思ってます。
OKです。OKです。今の土台作りしてるの気づかなかった。
そこがやっぱり大事だ。
もう一回ちょっと繰り返して言うと、人間の生き方というものを仮に2つに分けるとしたら、
ハンナアルトさんは感傷的性っていう、真理とかを思い出しましょうっていう話と、
この活動的性っていうより現実的な日々の暮らしとか活動とかっていう方に重きを置きましょうというふうに分けられますねっていうふうな話をしました。
この活動的性っていうものをアーレントさんは大事にしたいんだけれども、
3つあるよねっていうふうに、まさにカテゴリをどんどん作っていくのね。
それがさっき言った労働っていう、消費して取ってきて消費して取ってきてっていう何も残らないっていうふうなスイクルっていうのが労働です。
仕事っていうのは何かを作り出したりとか、後に使えるように残しておくとか。
もっと言うと、いわゆる自然界ない人工物を作りますみたいな話。
もしかすると、例えば猿とかも道具を使って虫を取ったりとか割ったりしますとかっていうときに、ただ石をぶつけて何かをするってだけでは労働、
石をぶつけて壊すとかっていうだけではたぶん仕事にはならないんだけど、
例えば木をちょっと傷で尖らせますみたいなことをしたときに、それは仕事と言えるかもね、みたいな。
かつそれを後にも使おうと思って取っておくみたいなこともしてたらっていう感じかな。
あー、オッケーオッケー。
よくこういう話をしたときに想像するのがマイクラの世界なんだけど、まず何も持たずにフィールドに生まれるじゃん。
最初は何もないからさ、最初夜が来たらゾンビに倒されちゃうから、1日目からなかなか大きい家を作るの難しいから、
例えば穴掘って夜を凌ぐかみたいな、お腹空いたからとりあえず牛倒して肉食っとくかみたいな、これはまだ労働ってことだね。
まだ労働です、はい。
そこから何日か経って、アイテムが揃ってきて、家を作って、ベッドを作って、かまどを作って、肉を焼いてみたいな。
弓矢作ってみたいなことをし始めると、その弓矢作ってるとかはもう仕事になってるよね、みたいな感じが。
その通りです。
まさにマイクロの話は知らない方も多いと思うんだけど、またちょっと丁寧に話すんですけど、この労働と仕事と次、喫道っていうのが3つだと思うんですけど、
全部含まれてるっていう意味で、たぶんめちゃめちゃこんだけやっぱり広がってるというか、面白いって思う人が多いんだろうなと思ってるよね。
ゲームのシステムとしてね。
システムとしてとか思想として。
喫道って最後何?って話なんだけれども、これがいわゆる人間が自由であるっていう状態なんですよ。
どういうことかっていうと、さっきの仕事もそうなんだけれども、
例えば、もちろん何かを残しておくとか、快適に寝るためにベッドを作るとかって感じなんだけれども、
あくまで目的ありきの話なので、結局それに縛られてるよねっていうふうな発想があるんだよね。
ほいほいほい。
喫道っていうのはそうじゃなくて、もっと唯一、自由に、
それこそ物っていうよりは、もっと言葉とか行為みたいな話だったり、それこそダンスするとかさ。
何か詩を読むとかでもいいんだけれども、
僕らの現代でも精神性の高そうなとか芸術っぽい活動とかって言われたりすると思うんだけれども、
そういったものを何かを目的とせずに、他者と繋がる中でやっていくこと。
そういうことを活動っていうふうにアーレントさんは呼んでるんだよね。
へー、そうなんだ。さっきの仕事の中に、例えば芸術品を作るみたいなものもあったんだけど、そことは違うんだ。この活動っていうのは。
あくまでも、例えば芸術品を作ってそれを売るとか、何かを偉い人に献上するとかってなると、それが目的になってるじゃない。
あーはいはいはい。
でも結局そのために作ってるってことで、やっぱり自由っていうよりは結構それをやらなきゃいけないとか、そういう必然的な活動になっちゃうんだよね。
なるほど。目的ありきの手段ってことね、この仕事は。
そうそう。手段なので仕事ですと。
これ難しいんだけど、本当に自由にしてダンスをしましたときに、周りの人と仲良くするためとか、募集するためっていうのは目的っていうのも目的じゃない。
まあまあまあ、それがあればね。結果的にそうなったってこともあるかもしれないし。
そうそう。なので、この芸術的な仕事と活動の区分って結構難しいんだけれども、
そこを分けることで、より解き放たれたとか、もっと言うと労働ってさ、完全にしなきゃいけないことだけしてたじゃないですか。
生きるために食べる、飲む、寝るみたいな。っていうところとは全然違うレイヤーの、人間のまさに営みがあるよねっていう、それを際立てようっていうふうな感じの区分なんだよね。
活動の意味
なるほど、はいはい。だから仕事は目的があるし、さっきの芸術心についても、中世とかはね、それこそは貴族とか王様からのクライアントワークだったわけで。
そうそうそう、本当にね。
自分の創造性の発揮っていうよりは、あるいは職人的な話だったもんね。
そうそうそう。画家もさ、やっぱり肖像が開かなきゃいけないとかっていうのも、いやいや書いてたみたいな話をしたと思うんだけど。
それがやっぱり仕事になっちゃうよね。
でいうとさ、この活動の中にさ、このそもそもの感傷と活動に分かれますってあったんだけど、この活動の中に感傷っていうのは入ってこないのかな?
えっと、あれだよね、心理を埋めるとかって話だよね。
そうそうそう、最初の話。
そこに関しては目線が、いわゆるイディア的な掲示上のほうに向いてるのか、原理世界の掲示下に向いてるのか、それによって変わってます。
へー、その辺も論じられてるんだね。
そうそうそう。なので、この活動の中で例えば悟りを目指しましょうとか、心理を目指しましょうとかってなると、それはもう感傷的生活のほうに行っちゃうんで。
あくまでも活動的性っていうカテゴリーとは違うっていう感じなんだよね。
へー、そこで分けてるんだ。
歴史と哲学の繋がり
そうそうそう。っていうのがあるので、ピンとこないというか、さっき何期みたいに、3つって話、労働と仕事と活動って分けたのはわかるけど、
結局これが何が分けること、いいことがあるのか、それぞれどんな活動が生まれたか、ちょっとイメージで分けにくいと思うんですよね。
もう30分くらいになると30分何期かされてるんだろうって思い始めてる人いるかもしれないよ。
いきなりこの3つの話をひたすら。ごめんね、自分がちゃんと理解できなかったから、一回説明させたってのもあるんだけどさ。そろそろ繋がってほしいね。
そうね。雑誌に書いてるのが時間移行になっちゃうかもしれないんだけど。労働と仕事と活動っていう発想を持った上で、歴史の編成を見ていくと、たぶん入りやすいよねって思って、最初に説明しましょうって感じなのよね。
あーなるほど。だって過去からやっていきましょうって言ってるのにさ、結構20世紀から始まってるから、結構最近から始まってるねみたいな。
なぜかっていうと、大まかな見取り図がないと、逆に過去の話をしても、古代ギリシャこうでしたって言われても、結局それが現在と繋がってこないじゃないですか。
今よりも繋がらない感覚になっちゃうよねってことね。
そうそうそうそう。流れがわかんなくなっちゃうので、最初にこの3つの労働と仕事と活動って話をさせていただきましょうと。
次回以降どういうことをやるかっていう見取り図も少しお話ししていくんだけれども。
まずね、大前提をお伝えしたいとか、僕もいろいろ本を読んでて、なるほどって思ったのが、
基本この仕事とか働くっていうものは、人類の歴史において基本的には詐欺すまわり続けてきましたって話なんだよね。
へー、ほうほうほうほう。
要は仕事なんてしてるやつは良くないみたいな、これはもう西洋の発想なんだけれども、そういうふうなものがあったのね。
どういうことかっていうと、プラトンとかの時代って、いわゆる仕事って基本的には奴隷のものでしたと。
うーん、そうだよね。
奴隷がやって、我々アテネ市民っていうものはそんなことに関わらずに政治をするんだとか、劣悪的なことをするんだっていうふうな世界だったわけだよね。
あとは戦争とかね。
そうそう、戦争もまさに市民の義務なわけだけども、それで負けたところを引っ張ってきて、
まじで植民地化して、それは奴隷としてやっていくみたいな。
それが当たり前というか、それ以外の世界なんてないよねっていうのが、当時のギリシャか、時代でしたよと。
だからさっき言ったように、自分が賃金労働は?みたいなふうに自然に与えたらお金をもらえるシステムになってる?
っていうふうに想像したように、当時の古代リーチの人たちは普通に、いわゆる労働は別の人にやってもらって、
自分は干渉的なことをやったりとか、政治をやったりとかっていうのを自然に考えてたって話だよね。
そうです、そういうことです。
それが義務でしょ?人間のね、みたいなね。
そうそう、当たり前でしょ?っていうのは感じだったわけだよね。
で、仕事っていうのは自分がやるものではない。
政治は仕事かみたいな話になってくるとあるんだけれども、さっきのより労働に近いかな。
要は生きるためにやること。
へー、そうなんだ。
うん、労働っていうのは奴隷のもので、
仕事として自分が当ててというものをよくしていくとか、
そのために自分の能力を発揮するっていうことがやるよ、みたいな。
そういうふうなイメージだね。
で、それがですね、時代が下って、いわゆるキリスト教の時代になっていくと、
今度はね、この労働、いわゆるアーレントという労働を生きるためにやることっていうのは、
いわゆる楽園を追放されたアダムとかイブの罪ですっていうふうになっちゃうんだよね。
へー、ほうほうほうほう。
そう、つまりエデンの園には別にもう食べ物が十分あって、
別になんか労働、生きるために何かを頑張るという人はないんだけれども、
楽園を追放された結果、自分で生かしてパンを作ってやらなきゃいけないと。
うんうんうん。
それによって、ある種、追放された、やっぱり責め苦を受けてるわけだよね。
なるほどなるほど、はいはいはい。
労働っていうのは苦行ですというような価値観が今度出てくるわけよ。
ふんふんふんふん。
さっきの古代芸術とは違うけれども、ここでやっぱり労働っていうのは、
苦しみとか神から与えられた罰だみたいな、そういうふうな話になってくるんだよね。
っていう時代が続きます。
これが変わったっていうのは近代の話で、
時々名前出すのがマックス・ウェーバーがいるじゃないですか。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神かな。
これを書いた人がマックス・ウェーバーですけど、
この人が出てくるのは1860年生まれなので、本当に1900年くらいなんですよね。
わーはいはいはい。
もちろんその前にもカルバン派とかがいて、
富を蓄積するのはもちろん良いことですよとかさ。
もちろん働いて稼ぐっていうことが、
神から恩を与えてっていうふうなことなんですよっていう話もあったりするんだけれども、
本当の意味で労働っていうものが、むしろ尊いものになり得るみたいな、
そういう話っていうのは本当に1900年くらいにやっと出てきた考え方なんだよね。
はいはいはい。
それ前のプラトンからいくと本当に2400年くらいというものは、
労働っていうことは罪であり苦行であり奴隷が得るものかみたいな、
そういうふうな時代でしたと。
しかもそこで、マックス・ウェーバーが出てきたとしても、
いわゆるまだ信仰とうまく接続できたよねって話だから、
今の感覚とは全然違う感じがしそうだね。
そうそう、やっぱり全然違う。
そこと並行して働くっていうものの価値は、高畑さんはマルクスなんですよね。
へー、なるほど。
彼は1800年代にしたので、ちょっとマックス・ウェーバーよりも少し手前ですけれども、
やっぱり働くことで人間が成り立っていくんだとか、
人間と働くっていうことはある種分けられないよねみたいな、
そういう価値観っていうのはこの時代ぐらいから出てくるんですよ。
例えば今のは西洋の話だけれども、
例えば日本とかでも、やはり江戸時代ですよね。
こうなってくると、いわゆる働く、もっと言うと、
日々の生活を清めていくことが、
まあまあ修行である、仏像修行であるみたいな、
これはまあ全的な発想だけれども、
例えば朝起きて庭を剥くとか、雑巾掛けをするとか、
そういうことも含めて修行だみたいな、
発想っていうところがやっぱり江戸時代ぐらいから出てくるんだよね。
つまり、やっぱり修行としての労働、仕事とか、
あるいは西洋でいうと救いとして神と繋がるための労働とか、
そういうふうな発想に基づいて、
何か働くって大事かみたいなことがむにゃむにゃ出てきて。
逆に言うとそんなに嫌だったのかな。
まあ嫌っていうかね、
次回以降またちょっと言っていくんだけれども、
やっぱり今の僕らの現代日本の仕事って、
もちろん大変じゃないですか。仕事大変だなと思うと思うんですけど、
やっぱり100年前の労働環境に比べたら明らかに良くなったりするわけよね。
要は24時間、24時間ないかもしれないけど18時間働けとかさ、
大人も子どもも関係ないとか、病気になっても手当もないみたいな。
そういう世界がやっぱり100年前ぐらいのまだ労働環境なわけですよ。
さらにその前とかでいくと、そもそも生きるか死ぬかとか、
いわゆる社会保障とかもない中で働いていかなきゃいけない。
本当に生きることに精一杯なわけよね。
そうだね。いわゆる名文化されてるとかは別にしても、
いわゆる身分的な話だよね。もうあの家に売られてたみたいな話だよね。
そうそう。っていうところでいくと、本当に働かざるを得ないとか、
別に自由なんてないわけだよね。
なるほど。もう働く、労働するために生まれた人とか、
そのために売られてきた人みたいになっちゃうから。
そうそうそうそう。
そうだよね。うん、なるほどね。
当然ね、職業選択の自由なんてないわけで。
人権とは何ぞやみたいな話になっちゃう。
そうそうそう。でいくと、やっぱりアーレンという労働で、
いかに明らかに自由がないとか、とにかくそれをやり続けるしかない。
自分の手元にも残らないわけだよね。
お金もらったとしてもその日ぐらいだし、
別にスキルがあったとしても何か活かせるわけじゃないから、
自分に残らないままただ働き続けるみたいな。
やっぱりそういう状況って結構苦しいわけだよね。
っていうのがあるので、本当に今から100とか150年前ぐらいまでも全然そういった時代でした。
今はどうかっていうと、たぶん本当にここはいろんな方があるとは思うんだけれども、
やっぱり何かしか、これは本に書いてあったんだけど共通すると、
やっぱりそういう、働くっていうことを通じて何かしか自分のアイデンティティーが
維持され得るみたいな、そういう感覚ってやっぱりいってやると思うんですよね。
はいはいはい。
逆に、例えばうちの奥さんとかもそうなんだけれども、
例えば何か子供を産むときとか身体を壊してしまったときに、
やっぱり働けなくなるときに、何か自分が社会と繋がってないんじゃないかとか、
働かないということで自分っていうものが何か定義されにくくなるんじゃないかみたいな、
そういう逆の話もあるわけだよね。
おー、はいはいはい。
そのぐらい、やっぱり働くみたいなことって、
何か我々の生きている中ですごく大事な位置を占めているんじゃないかみたいな、
そういう、何かよくわかんないけど、やっぱりそういうふうな常識というか無意識的な発想ってあると思うんですよ。
まあまあ、そうはね。そういう今、社会になってるみたいな感じはあるよね。
それもあくまでも、やっぱり今がただ育ってるだけで、
昔はそんなことなかったですよっていうような話はまずはしたいのよね。
っていうのが、今日お伝えした労働とか仕事とか活動っていう話だし、
労働っていうのは常に進まれてきていた。
なるべくならやりたくないものとか、今でもそうかもしれないけど、
ある種、プラトンに言わせると、いわゆる市民がやるべきではないものっていうふうに受け取られた時代がずっと長く続いてたんですよっていうような感じなんだよね。
労働の価値観の変化
はいはいはい。
本当に今の感覚の方が、この2千何百年、このプラトンあたりから考えたとしても本当に短いって話なんだね。
本当にこの数十年、百十年ぐらいの話でしかないですよと。
あと時になんだけど、
なあさんは例えばさっき、冒頭か、AIで自分の仕事がなくなるんじゃないかって話があったと思うんだけど、
仕事が奪われたら困る。要は自分の表現手段としての仕事とか、何か他のものを未来を快適にするための仕事が奪われたらちょっと困るけど、
いわゆる今日の言うところの労働だよね。生きるために絶対やらなきゃいけないこととか、嫌だけどやらなきゃいけないことがあったとした時に、
それは全部AIにやってもらったらいいじゃんっていう、そういう発想はあると思うんだよね。
うんうん、そうね。
で、じゃあ例えば追跡仕事もそうだし、いわゆる命の危険がある仕事。やっぱりどうしても工場とかだと機械に人が巻き込まれてしまう事件ってやっぱりあったりするじゃない。
で、モノマンも全部AIとかね、いわゆるフィジカルAI、ロボットがやってもらえば、ハッピーじゃんとかっていうことも言えるんだけれども、
どうかねっていうことなんだよね。
へー、はいはいはい。どうかねって言うんだ。
つまりそんな風に簡単に、確かに確かにじゃあ労働ってことは全部AIにやってもらおうみたいな、そんな簡単にいきそう?兄貴の中で。
んー、まあ、いいんじゃない?楽そうじゃない?朝起きたベッドがさ、勝手に上がって勝手に着替えさせてくれて、口に入っていけみたいなのあったじゃん。いいじゃん。
そうそうそう。まあね、いいじゃんってなった時に、果たして本当にそれがいいんですかどうですかっていうのをもうちょっと深く考えてみようよっていうのが今回やりたいことなんだよね。
未来の労働とAI
へー、はいはいはい。
はい。で、そのために次回以降、もうちょっとそれこそ古代のギリシャならギリシャのとか、
キリスト教ならキリスト教の時代のっていうところの労働感というかその実態っていうものを捉えていって、それをやっていく中で改めて今の問いだよね。
そもそも仮にじゃあ現代AIがこの労働とか仕事を肩借りしてくれるっていう時に、そもそもいい悪いっていう話で言えることなのか、なんかもうちょっと違う捉え方もできるのかねみたいな。
そんなことをちょっと今回皆さんと一緒に考えてみたいと思ってますっていう感じなんですよね。
おー、なるほど。はいはい。じゃあ本当にあれだね、今回一応古代ギリシャ側とか中世側みたいな話をしたけれども、
今回は本当に概略みたいな感じで、次回以降は割とその辺を細かくというか見ていくみたいなイメージなの?
そうですそうです。次回は古代ギリシャはどんな感じだったかということを1回分使ってお届けします。
その次は、中世のギリシャだよとか、もうちょっと近代だよとかいう話をちゃんとしていくというイメージだね。
あー、そうなんだ。はいはいはい。なるほど。この前だったら様式学的な感じで、今回と次回ぐらいでさせていくのかと思ったんだけど、結構ガチなんだね、今回。
今回は5回分ぐらいでやります、ちゃんと。あー、なるほどなるほど。
なんでごめん。そういう意味で第1回がふわっとしちゃった感じもあるかもしれないんだけれども。
今回は導入というか、こういう流れになりますよっていう。
そのための感傷と活動があって、労働、仕事、活動だねっていう定義をちゃんと頭に入れときながら、次回の話を聞くとみんな共通の土台の上で理解が進むよねっていう。
前半早いと言ってたけど、まさにそういう回だったって話なんだね、今回は。
それ通りです。よかった。それが伝わってよかったです。
最後に伝わった。
でも一応ね、今日聞いていただいたら、ある種お皿とか器ができてれば、もう今日はゴールというか。
オッケーですオッケーです。今一生懸命さ、AIがなくなったらどうするんだ、みたいなことをちゃんと答え出さなきゃいけないのかって、一瞬思ったけど、何も材料ないぞと思ってさ。
はいはいはい。まだお皿だけなんで、こっちは盛り付けてくんで、トマトとかレタスとかちゃんとやってくんで。
今回はまさに導入会という感じで第1回やったんですけれども、次回以降、働くとはとか、今回の言うところの労働とは、仕事とは、みたいなところをちゃんとやっていこうと思ってるので。
ぜひね、2026年第1回のテーマとしての働くことと哲学みたいな形で一緒に楽しんで、ちょっと考えてみていただけたら嬉しいなと思っております。というふうな感じですね。
わかりました。では次回以降ですね、この働くことについてより深く見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
45:59

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