うん。というふうな話なので、こうなると非対称性はちょっとやっぱり柔らかくなるんだよね。
少なくとも、いわゆる自由とか平等っていうのはそれこそ本当に19世紀とか、もうちょっと前から18世紀くらいからの概念だと思うんだけれども、
とはいえ、同じ国にいる人というような共通点とか、その中でこういう王様とか皇帝に奉仕している人みたいな、そういう共通項とかちょっとずつできていくじゃないですか、現実的にも。
あー、なるほどなるほど。おー。あ、面白い。そっかそっか。
うん。
非対称性が柔らぐっていうよりは、もともと非対称なんだけど、ちょっと対称なものというか、似てるもの、同じものがちょっとできてきたねみたいな。
そうそうそうそう。
あー、確かに。
そうすると、じゃあお前は同じ国の人間だから殺さないけど、お前は敵の国だから殺すとか、それの良し悪しっていうものがついてくる。
うんうんうん。
つまりこれがいわゆる国民とか市民の権利みたいなのになってくるんだよね。
うんうんうん。
なので、それがないと僕らはとにかく目の前の人にパンをあげますあげますつってあげて、それが一人増えた瞬間に崩壊するみたいな、でブチ切れるみたいな話になってるんだけど、
このいわゆる対称性っていうものを国とかっていうものが作ってくれたので、それによって僕らは今普段生きてるような道徳的な世界とか、これが正しくてこれは間違ってるっていうところを想定しながら動いてもまあまあなんとかなる。
そういうふうな生活を営むことができるようにっていうふうに考えるんだよね。
いやー面白いねー。
あくまでも根底にあるのはその二者間関係というか、その非対称性なんだけれども、人が増えたことによって成り立たなくなるところにルール、外部の仕組みっていうものを入れ込んで対称性に近づけますよっていう、
そういうふうな流れで考えると、ルビナスの国家観というか、国の役割というものは見えてくるかなって思うんだよね。
あーそうね、だし人間観みたいなものもちょっと見えてくる気がするね。
そうそうそうそう。
っていうところがあると、例えば兄貴がさっき言った顔を二人になったときに、例えばこの二人は一人は同じ国の同胞で、一人は全然知らん国の人ですわってなったときに、どういう発想・思想?
あー確かに50対50には何なそうだもんね。
そうそうそう。
えーと待って、その情報だけだとでもまだ難しいな。何をもとに50対50とか何をもとに9対90対10に分ければいいかな。
はい。
分かんないから難しいけど、もう一個対象性として、自分と同じぐらい食べるとか、もしくはこの顔を二人が同じぐらい食べるみたいなところまでアピールするのは90対10ぐらいでいいかなというね。
はいはいはい、確かにね。
今ちょっと意地悪な質問をしたんだけれども、要はその同じ国だからとか別のクエリティだからとかっていうのは、いわゆる排除の論理を含むじゃないですか。
これがいわゆる差別とか、やっぱりこうなんだろうな、悪い意味での同胞意識みたいなナショナリズムみたいなものに繋がっちゃったりもするんだよね。
そうだよね。だから本来レビナスの立場、ユダヤ人で迫害されたっていう立場からすると、どっちかというとその悪い意味でというか生きすぎたナショナリズムみたいなものは批判する立場ではあるんだもんね。
そうそうそう。なのでまさにそこがレビナスがついたことというか、あくまでも今の国家の流れっていう説明っていうものはレビナスのベースから話した国の流れなんだよね。
じゃあ実際の国はどうなってますかって話なんだけれども、やっぱり国家っていうものは非常にシステム的にはうまく運営されているように見えるんだけれども、どうしてもこの構造、こういった原理を持っているから避けることができない問題があるなっていうようなことを言うんですよ。
それがいわゆる暴力性というような話なんだけれども、いくつかあるんだけど一つ目は、これまで他者の顔っていうものをずっと想像してきたじゃないですか。何かわかんないけど、なんかそういう自分では把握できないとか絶対に理解すくせないもの、他者の顔っていうのをしてたんだけれども、
けれどもね、やっぱりこの顔のままでは国って運営できないんですよ。全国民が顔で誰かわからないとか理解すくせないってなった時に、その人たちの集団ってどうコントロールしていいか、そもそもコントロールできないんですよね。
まあそうだよね。 逆に言うと国という存在からすると、やっぱり全員が一定の理解できる存在とか、把握できる存在である必要があります。もっと言うと戸籍がない人ってやっぱり今の国は多分扱えないとか多分あるじゃないですか。
戸籍化するということは、その人をある種記号化するとか、わかったようにするって話なんだよね。どこどこさんのお子さんの誰々さんですねとか、ここに住んでいてこういうふうな税金を押さえてません押さえてませんねとかっていうことも含めて国が把握しますと。
そうすると把握されたので、あなたには日本国民というふうな国籍を与えますとか、あなたはこういうふうなことができる権利がありますよっていうふうにするんだけど、それって要はこの瞬間に国がさ、理解し尽くしちゃってるというかさ、把握しちゃったっていうのわかる?
わかる。やばいね。人間が必要なんだろう。レビナスの言うところのイリアだよね。そこで対照性がない状態の人間が作ったシステムによって人間がわしづかみされ始めてる感じだよね。
SFみたい。
でもそれがやっぱり暴力性って話なんだよね。
なので、もちろんそのわしづかみされることによって、というかもう気づいてないうちに生まれた瞬間から僕ら日本国民はさ、戸籍に登録されちゃうから、その瞬間に顔を剥ぎ取られてるわけですよ。
なるほど。まさにされちゃうってなんか被害者みたいな言い方してるけど、レビナス的な話からいくとそうだね。
そうそうそうそうそう。なのでやっぱりその対照性とか平等性っていうものは、こういった矛盾というか、物をやっぱりはらんでるんだということをやっぱりレビナスは言うんだよね。
わー。はいはい。
で、もう一個は、やっぱりこうどうしても、これは俺イメージ分けすぎて思うんだけれども、やっぱり全国民に最適な政策ってやっぱないわけよ。
うんうんうん。
日本もそうですけど、どの国もそうだけれども、特に大政党制とかであれば、割とその、いわゆるエリート層とかに寄った、いわゆるエリート層とかでは自由主義みたいな、発展とか革新性がいいっていう人もいれば、いわゆる伝統が大事だとかさ。
やっぱり古き良き、物を守れみたいな人もいて、そういった人たちがいろいろお互いの主張を合わせつつ、時には右に行ったり左に行ったりしながら運営されたりするわけじゃないですか。
そういう時に、やっぱりこの、それが別に日本人が多いかとかそういうことでもなく、たぶん本当は3人とかの国だったとしても、全員に本当に最適な国ってたぶんないんですよ。
そうだね。2人でもないよね。
2人でもないと思う。
2人だと国いらないのか。
まあそうだね、国にならないって感じかな。
ならないか。
3者関係になって、それぞれの非対称性が無理だった時に対称性が必要になるんだけど、その対称性の仕組みとして作られた国っていうものは、本当の意味で全員にとって最適なものになりません。
もっと言うと例えば、どんなに頑張って法律とか福祉とか作ったとしても、やっぱりそこから漏れる人って出てくる。
それは個別の痛みがあるんだけれども、やっぱり書類上とか戸籍上は別に一位ですみたいな。
っていう風に、ベルクソンの時も言ったと思うんだけれども、羊がいる時に100頭の羊って数に還元しちゃうと漏れるみたいな話をしたじゃないですか。
あったあった。
これ数ってやっぱり、まさにこの対称性とすごい近いと思うんだよね。
これレビアスが言ったわけじゃなくて、今ちょっと思いついたから言っちゃったんだけど、
例えばこの制度を作って、彼に1000人のうち999人が助かりますと。
やっぱり1人はどうしても助かりませんっていう時に、でも国の判断としてはでも999人できるならばいいじゃんみたいな感じでやっぱりなっちゃうんだよね。
そうすると、しかもそれは誰かを傷つけてやろうとか、1人をない場所にしてやろうって思ってるわけじゃなくて、
ある種の役人さんというか、これはレビアスが言ってるんだけど、役人っていうものはシステム、国家の合理性の中で適切な通常に基づいてそういった政策とか施策を進めていきますと。
でもその裏側とか、同時にその施策が進む中でやっぱり苦しんでいる人とか、救われない人とか、思ってると涙を流す、役人には見えない涙が存在するみたいな言葉がレビアスが言ってるらしいんだけど、
そういうシステムの側にいる人には見えない、個人個人の救われなさというか苦しさってものがあるよねってことに、やっぱりレビアスはちゃんと目を向けるんですよね。これまさにナディスの話もあると思うんだけどね。
だし、やっぱりレビアスの出発点から考えると面白いよね。じゃあその1万人全員救えよっていうのは、国があらゆる顔に対して無限責任を負うようなものだから、それは無理ですよねっていう話はもうしたよねみたいな。
そうそうそう、厳密的に無理だよね。 戻ってきたんだよね、2人だけだった時にね。 だから国できたんでしょっていう堂々めぐりじゃないけど、もうそこで結局はついてるんだもんね。
そうだね、そこにやっぱり戻れないって話だね。なのでやっぱり非対称性から対称性に少しずつ近づいていって、三者関係の中でこれが正しいよねと。
例えばね、大人の方が食べる量が多いから大人に多くパンを分けなさいっていうような正義もあるかもしれないし、さらに子供の方が育てばかりで栄養が必要だから子供にパンを分けなさいっていう正義どっちもあり得るんだけど、でもこの国とかこの集団においてはこっちが正義ですってことはやっぱり作んなきゃいけないわけだよね、どうしても。
いやーそうね。わー面白い。だからなんで学校に拘束なんてあるんだろうって思ってたけど、廊下走らないとかさ、階段の手すりを滑らないみたいな色々さ、それ拘束に書いてたかは知らんけど。
そうだね。
今日の話聞くと、もちろん張り取られた元顔の側としては、その対照性を理解できるとか、その対照性はちょっとっていうものは、いろいろあるにせよルールは必要だったんだなっていうところ。
はいはいはい。
そこを納得するみたいなところの感覚はちょっと初めてかもしれない。
それはでも結構面白いね。そっかそっか。だからどんなルールかはあるとしても、やっぱりルールって必要ですよねっていうところに目が向いたってこと?
そうそうそう。そこが、なんとなく必要だからとか、なんか人いっぱいいたらなんかごちゃごちゃになるからなんか必要だよねとかじゃなくて、
はいはい。
もう今順を追って、一人だとこう、二人だとこう、で三人だったらこうみたいな。それはそうだよねみたいなところで、それは確かにしゃあないというか必然だわみたいな。
うん。
そこはすごいなんか今、面白いなと思った。
うん。
だからこれはね結構ね、夫婦とかはそう思うんだけど、結婚してさ、二人であれば別にそれぞれがオッケーであれば良いというか、そんなルールとかっていらないかもしれないけど、例えば子供ができましたとかってなった時に、三者関係になるじゃん。
おー。
そうするとさ、家庭がぐちゃぐちゃになるわけ。もちろん子供という存在の特質もあるけれども、やっぱりこう、まさに今うちはそうなんだけど、子供が今8歳になって自我がだいぶ強いですねっていう時に、ちょっと今家庭ぐちゃぐちゃになるのよね。
おー。
なんかこう、やっぱルールがないというか、なんていうのかな、これまでのやり方だと上手くいかないねみたいな。
あー、面白いね。
うん。
だから、生まれたてだと顔っちゃ顔だし、もう無限石に近いんだけど、またちょっとこうなんだろう、もうちょっとこう死なせちゃダメだみたいな意味でのものはあるんだけど、
たぶん自我ができてきて自分の主張を起こし始めるのも、より殺さないでじゃないけど、また違うバランスになってくるのかな。
あー、あると思うし、今兄貴言ってくれてハッとしたのは、その無限責任っぽさ、無限ではもちろんないんだけれども、赤ん坊で無垢な存在がやっぱりこう自分、無垢な存在に対して奉仕するとか、その存在を保つっていう保ち方を、親の僕らの側が抜けられてないのかなって思った。
あー、そうなんだ。
だからその子供が今大きくなって自分でいろいろやれるようになるはずなのに、なんか言われたらやんなきゃいけないとか、なんか手助けしてあげなきゃいけないとか、こういう感覚が僕らの側が抜けたいのかもなーと思った。
なるほどなるほど、もうあれだね。だから2人の時みたいな感覚でいるんだけど、実際は今もう3人だから、そろそろルール必要かもねーみたいな段階に実は入ってたんだみたいな。
対象地を作らなきゃいけないのに、まだ非対象で、なんか子供のためにやってあげなきゃいけないとか。
はいはいはい。
そういう風な中にいるんじゃないかなっていうのがちょっと見えたね、今。
おー、面白いね。小離れ的な話にも近いのかもね。
そうそう、本当そういうことそういうこと。
なので、今のはちょっと僕の家庭の話だけども、やっぱりルールってその時だけ当然変わるべきだし、最低化されるべきなんだけれども、やっぱり国家みたいな仕組みになったらそれも大変じゃん、手続けもいろいろあるし。
だしね、単純に人数もね、やっぱり。
そうそうそう。
このルビナス的に言うとね、もう3人、4人、5人ってね、どんどん想定していっても面白いかなと思ったけど、
そうね。
国家だとね、もうそれをバーッてやって、何千人、何万人、何千万人っていう単位でやってるわけだからね。
そうそうそうそう。
なので、しかもやっぱり国家っていうものは一から作っていくものというよりも、やっぱり既に言って現実的にはあるものだから、その国家っていうものの中でどう生きるかってそういうふうな現実的な問いにはなるわけだよね。
そうだよね、実際はね。
今生きている国家というものをどうするかみたいな話だったりします。
うんうん。
いうとこなんだけれども、やっぱりね、今日の話一旦もう一回整理すると、やっぱりルビナスに言わせると国家っていうものはそういう対照性を作っていくような仕組みがあるんだけど、
その対照性の一つを仮に正義だとしたときに、そのルールとか制度が正しいってなればなるほど、やっぱりその陰でその正しさに狂われてる人とか、やっぱりそれを正しいと思えないけれどもそれに従わないといけないみたいな人が出てきて、
それがやっぱり涙を流すみたいな、そういう人がちゃんといるよねっていう、やっぱりそこがルビナスが暴いた国家とかそういった仕組みの暴力性っていう話なんだよね。
うーん、なるほど。だからこのルビナスさん言うとこの涙するっていうのは、さっき言ったルールの穴、網にかからなかった人が残念とかじゃなくて、もうちょっとそれこそユダヤ人迫害的な明確な意思を持って、国じゃないものに対して迫害し始める。
国の中で何かに漏れる人とかじゃなくて、もうその国が別の共同体を迫害し始めるとか、そういうとこも含んでる意味での涙って感じなのかな。
基本的には国家の中でいいと思うんだけども、そのシステムの中において、同じ共通性とか対照性を持っているはずなのに、まさに排除されるとか、救われないとか。
そうか、でもユダヤ人の場合だと当時の迫害で言うと、まさにそっちだもんね。ユダヤ人の国家があったわけじゃなくて、いろんなとこにいて、国にいたみたいな話だから、同じ国の中で漏れたみたいな感覚の方が近いのかなと思うね。
これまでの話からしても、やっぱり一社関係、二社、三社といって増えていって、国情報になりましたというときに、基本的にはその関係性が広がっていたわけじゃないの。
でもその広がっていた関係性の中で、やっぱり誰かがこぼれ落ちるとか、あるいはもしかしたら自分がこぼれ落ちるとか、そういうことが起きるから、あんまり他国の人とか他の基準の人よりは、やっぱりその繋がりが広がっていた中でも、対照性とか正義っていうものを作ると必然的に起きるんだっていう、そういう捉え方がいいかもしれないね。
なるほど、なるほど、はいはいはいはい。
というふうな中でいくと、要はレビナスは野税と国家って合理的ですと。なのでそういうふうな判断基準を作ってくれるんだけれども、ちょっとそれは冷たさというか、やっぱり誰にとってもいいものってわけではありませんね、というところがあるので、
じゃあその中で私たちはどうするっていうことをレビナスは考えてるんですよ。
いやー、ありがとうございます。ちゃんとそこまで言ってるんだ、ちゃんと。
言ってる、うん。
で、これはどういうことかっていうと、ちょっと距離を取りましょうっていう感じなんだよね。
つまり国家っていうものは、当然国民を管理するとか法律で縛るっていうものを持ってるんだけれども、だからそれに俺ら縛られないぜっていうのは、普通に法律違反だし、良くない態度ですと。
もちろんね、現実的には日本が嫌だから海外行けますかっていう人がいてもいいと思うんだけれども、レビナスが言ってるのはそういうことではなくて、やっぱりこう、
ない立ちから考えましょうと。僕らが今それを受けている法律とかルールっていうものは、無限責任が果たせないので、有限化したものですね。
有限の責任なんだけれども、その有限責任を果たすっていうのが、本当にそういったルールに従ってればいいやとか、法律っていうのを守ってれば何でもOKっていう風なことをやめるって話なんだよね。
それはさっきも言った通り、どこまで言ったら限界がある、その法律とかルールの中で泣いている人がいるっていう時に、やっぱりそれを気づかずに知らずに、ただただ法律に従ってとか国の決まりに従って生きてるのって、
結局他者の顔っていうものがない世界で生きてるっていう風に、また自分の主観ではないけど、国家の主観というか、国家が把握しつくした世界観で生きてるっていうことに、ちょっとまだそれが変わってるだけ、自分が変わってるだけじゃないかってことを言うんですよ。
おー、そうだね。
兄貴が自分軸から他人軸って言ってくれたけど、自分軸から国家軸というか、制度軸みたいな、これ法律に違反しないからいいですとか、これは禁止されてないからやっちゃいましたとかっていう、そういう風になるのも良くないよっていう話なんだよね。
なるほど、なるほど。
そうじゃなくて、もう一回ちゃんと他者の顔、つまり国家というシステムによって剥げ取られてしまった顔っていうものに出会いに行くっていう、それが大事なんだっていうことを言うんですよ。
おー、なかなかの旅だね、なるほどね。
そこであれだもんね、またイリアに戻りましょうっていうのはもう不可能だから。
うん。
一人でも二人でもないから。
そうそうそう。
だから、三人以上いるこの世界、既に国家だったルールがある世界で、もう一回その顔に戻るにはどうするかっていう風になるんだ。
そうそうそう。
なんだろう、完全には戻れないんだね。
そうだね、完全には戻れない。
あの時の一人二人にはっていう話ね。
そうそうそう、そういう社会できてるっていうことはもう事実あるんだけれども。
だからこそ、あくまでも今ある正義とかルールっていうものは、やっぱり暫定的なものとか、完璧ではないもの。
なので、やっぱりその今の法律とか正義っていうものが誰かをフェミニシティじゃないかとか、その顔っていうものを隠蔽してるっていうのはもうベースそうなんだけど、
その中でもちゃんとより良いものをやっているかとか、苦しんでる人がちゃんと知っているかとか、こういう風に更新し続けること?
そういう風にアップデートし続けるっていうことが、ある種この今回デリビーネスが言った倫理だよね、そのレイヤーの深い倫理っていうものに基づいて生きている人間としての在り方だよっていう風な、そういう風なことを語っていくわけなんですよ。
あー面白い。これってあれだね、イメージで言うと、さっきさ、三人以上になった世界で、
生まれてしまったシステムによって、自分たちの顔が剥がされてしまった。だから国家とかルールっていうものが、自分たちを嫌悪なく今度は対照性っていうものをどんどん付与していくと。
だからわしづかみしてきたぞってなったってことは、今度は自分たちが国家とかルールにとって顔にならなきゃいけないって話だよね。
そうだねそうだね。 だからその顔にあるっていうことが国家とかルールに対して、あれそのルールそれでいいんだっけとか、俺たちを殺さないでっていう風に国家とかルールに対して言っていくみたいな感じだなーってちょっと思った。
そうだね、そうだと思う。まさにこれはいいか悪いか置いといたとしても、例えば丸々の権利を守れとかさ、こういうことは反対だとかっていう風な市民活動とかってあると思うんだけれども、あれはまさにその顔の人たちがやっぱりここまでは黙っていられないって言って声を上げるっていう風な活動は一つだと思うんだよね。
なるほどなるほど。
それだけ非対称性を持って、自分とは違うんだけど、だからこそ自分はこの人に対する責任があるとか、この人の苦しさとか辛さに応答する責任がある、無限責任の方を、っていうものもちゃんと取り戻していくというか、うまく使っていく。
無限責任だけで生きていけなかったけれども、やっぱりそれを全部ゼロにして国家に預けちゃうっていうのもやっぱり人としてはおかしいよねっていうことなんだよね。
そうだね。
なのでその無限責任を完遂した頃の倫理とか、ベースにある他者への応答性、これっていうものをちゃんと使って、社会というものをより良くしようねっていう風な、そういうことがある種レビューナーズが考えた、個人というか他者との在り方と国家とか社会との接続だっていう風な話なんだよね。
めっちゃ面白い、めっちゃいいね。
いやー、レビナスすごいね。一応実務的にはというかさ、学校にせよ、会社にせよさ、党同体にせよさ、そういうルールのぶつかり合いとかあった時に、
そもそもこのルールって何であったんだっけとか、いつ誰が作ったんだっけみたいな話になることってあるよね。
あるよね。
それに近いのかなと思った。
まあそうだね、そのルールのほうが一人歩きしてるもそうだし、そのルールのもとで生きる人間ってのは何が示されているっていうところに対して、やっぱり誰がそれで困っているのかとか、その声が拾えているかどうかみたいな話はあるよね。
だから道化も走ってダメっていうルールに対して、道化も走っていいだろうみたいな話を、めっちゃ走りたい人たちが走ってもいいだろうみたいなさ、あそこ主役なんだろうみたいな話をめっちゃしてるのは正義と正義のぶつかり合いだけど、そもそも何でだってみたいな。
そこをお互いが一旦そこへ土俵を揃えた上で、じゃあどうするってゾロベースで考えるみたいな、だいぶ具体的になっちゃったけど、近いっちゃ近い?
近いし、ゾロベースで考えるというよりは、ちゃんと当事者をそこに連れてくるって話だと思う。
へーそうか。
考えるだとさ、やっぱり自分の頭の中でやっぱりなってるし、兄貴はそういう意図で言ったかどうかは別として、やっぱりそういう風なイメージだと思うんだよ。
でもやっぱりリビナスはあくまでも他者への応答、無限責任の応答だから、そのルールで本当に困ってる人っていないんでしたっけとか、廊下を走っちゃダメですって言われたことによって、すごく弱い立場に置かれてる人っていないんでしたっけっていう。
はいはいはい。
それを考える、それを考えるというかそれを見出すっていう感じかな。
面白い、そっか。だから、もしかしたら今現在いもしないというか、想定される弱者、廊下を走らないことによってこんなに体力落ちる人がいそうだぞみたいなことと、
あと、例えば学校側は、廊下を走るとぶつかって怪我したりとか骨折したりとかする人がいるかもしれないぞみたいな、やめようよと言う話だね。
そうそうそう。結局そこは当理者不在というか、だけど涙はないわけ。
どうなんだろう。
それを本気で心配している人たちだったらどうなんだろう。それは当事者なのかな。
これはすごく難しい問題で、例えば一時期話題だったのが、二次元のイラストみたいなものに対してひどいことをやめようとか、あるいはちょっといわゆる性的なことをやめようみたいな、非実在なんちゃらみたいな感じかな。
でもそれは、実在したいキャラクターというものの人権みたいな話もあれば、キャラクターを見て影響を受ける読者というものを想定してはいるんだけど、果たしてそれってどこにいるのみたいな話になってくるわけよね。
なった時に、それって結局は突き詰めると、まさにあなたがそう思っているというか、それって心配しすぎじゃないとか、あなたの正義を押し付けているんじゃないかということは神一人だとは思います。
なので、おそらく老後化を走ったらいけませんというルールの根底には、どこかの学校でやっぱりまさに怪我をしたとか困ったことになったとか、あるいはそういったことがあるから、
学校という共通性を持った場において同じルールが適用されているっていうのはたぶん正しいと思うんだよね。
なので、うちの学校では過去100年1人も老後化を走って怪我をした人がいませんだとしても、他の学校で起きてるから学校という場では起き得るねっていうことは確かに応用できると思うんだけど、
それをルールとして選ぶかどうか立てるかどうかっていうのは本来はその学校の人が決めるべきみたいな、そんな感じだと思うんだよね。
なるほど。立てる側もそのぐらいの責任を持って本来立てるべきだから、そのぐらいの感じで立ててないと、そもそも反対してる人たちと本当の意味でかみ合わないことが起きるかもねっていう感じが。
そうそうそうだし、かみ合わないんだけど、でもそれをやるのが微妙な責任で言うと役人だよねって話。別に役人の方はごめんなさい、別に役人の方はもし聞いたときに否定したわけじゃないんだけれども、
一定の秩序によって学校というのは学校という法律があり、そこにおいて一定の秩序というものを作らなきゃいけないから、別にそこまで思考を経ずとも、学校ではローカーを走ったらいけませんとか、男で騒いではいけませんというルールを立てることは、別に合理的な秩序を守る意味ではいいんだよね。いいというか、それって多分普通なんだよね。
面白い。確かに確かに、学校を一つ一つが決めるルールではないんだ、それは。
そう、法律というかそういった制度の下にある学校ならね。例えば私立で、私立がどこまで自由度があるかわかんないけれども、別にうちの学校に入る人はローカー走り放題ですっていうところが別にあってもいいと思うんだよね。
それは私立だから許されるのであって、国公律とかでそれはやっぱりできないよね。
あー、っていう風になっててもおかしくないというか、なってるだろうみたいな。
そういうこと。
確かに確かに。むずい。むずいよね。
むずいよ。
だから、土俵を合わせるっていうのがいかに難しかったりとか、もしくは無限責任の方から出発した上で、ちゃんと今のルールだったりとかを考えるってすごいことだね。
すごいやっぱ難しい。
だからさっきの話でも学校の先生にさ、「じゃあなんでこんなローカー走りできませんってルールがあるんですか?」とか聞いても、答えられる人ってほとんどいないし、答えてくれる人は多分良い先生と言われやすい性質の人だと思うんだよね。
つまりそこに向き合ってくれるとか。
でもね、それを自分でわしづかみした答えじゃなくて、もうマジで答えてくれる先生いるのか。
まあ、いるだろうけどね。
そんな先生に出会いたかったら。
それはやっぱコストが高すぎるよね。
そうだね。
なるから、やっぱり今回、今ちょっと話だけはそうだけど、やっぱりレビナスが言ってることは多分正しいというか、国民、やっぱり僕ら生きる一人一人が国家とか法律に対して本当にこれは応答責任を持てるっていうか、良い対象性から成り立っているかとか。
ということをもちろん考えたいんだけども、でもやっぱりそこに対して取れるというのはやっぱり選挙とか、公衛活動とかいろいろあるけれども、果たしてそれって本当に意味があるんだっけとか、どこまで影響があるんだっけとか考えだすともうやっぱり難しいし。
で、国の方は国の方で、それをいろんな声が、とにかくやっぱりいろんな、俺が顔だって言ってる人が何万人もいるわけよね。
自称顔と本物の顔がいろいろ混ざってるからね。
そうそうそうそう。っていう時に、どれを取るか取らないかとかっていう判断ももちろん難しいし、どうしても取れんのかみたいな。
っていうことがやっぱり難しいから、やっぱり国家の運営する側にはそれの難しさもある。
中で、でも国家というシステムは日々動いてるみたいな。そんな感じだよね。
確かに無くすわけにはいかないもんね。もう一回無限責任の世界に戻りたいんですか?みたいな話になるし戻れないし。
そうそうそうそう。
っていうふうなことがやっぱりリビナスが言ったことだとすると、やっぱり単純じゃないよね。
でもただやっぱりそれを考えるきっかけとか、一個の観点はやっぱりくれてるよね。っていうふうに思います。というふうな感じかな。
いやー、すごい話だな。ものすごい納得感のある人と社会の関係というか、成り立ちみたいなもので言うと。
このソルテツラジオで聞いた中で一番しっくりしたし、一番最近の話だからっていうのもあるのかね。
それはね、ベルクソンくらいからそういう話をずっとなんかしてるからだと思う。多分ベースとして。
やっぱりこれまでは結構人ごとに、まずニーチェやりましょうとかソクラテスやりましょうとかっていうふうに、それぞれの人をやっぱり説明するというかね。
有名な人をちゃんと取り上げて伝えたいって言われてたけど、やっぱ今年に関してはその20世紀とか19世紀くらいの繋がりっていうのを結構意識してます。あるから。
なんかよくも悪くも似たような話をずっとしているし、なんかわかりやすいかもしれないけど、なんかちょっと飽きてきたっていう人もいるかもしれないのよね。
そういったのもオッケーかなと思ってて。次回、東洋的な他者との関わり方とか、
ちょっとその視点、同じ自分とか他者との関係ってことでも少し視点をずらしつつ、そこからさらに国家みたいな話に行くから、
それはそれでまた全然違うこと言ってるねみたいな感じになるのか、それとも意外とやっぱり繋がってねっていうふうになるのか、ちょっとそこはまだ僕もわかんないんだけど。
はいはい、だってもうね、いいもん、このレビナスのでいいよ。
ね。って思うけど、やっぱりね、そうはいきません。そうはいきませんっていうか、いろんな人はいるわけなんだよね。
という感じでね、一旦今回レビナス編は以上なんですけれども、
ある種ストーリーで語った、多分これは僕が伝えたいストーリーで語った部分もあるから、
わかりやすいっていう、もし思った方もいたら、ぜひレビナスの解説本でもいいので出会えていただけると、
こんな全然違うこと言ってるんじゃないか、全然違うっていうか、全然ラジオで言ってないこと言ってるじゃないかとか、
そういうことはいくらでもあるので。
なるほどだし、それこそレビナス詳しいというか、好きな方とかと全然違うじゃんとか、
あったらね、ぜひそれもなんか教えてほしいよね。
そうね、ほんとそう。
自分はこう捉えたんだから、全然違うこと言ってんじゃねえみたいな。
そうね、それも本当にありがたいですしね、もちろん。
いろんな顔の人たちから、いろんな顔に出会いたいみたいなね。
まあね、それも大変だけどね、やっぱりね。
という感じでね、今回はやってみましたというところで、
次回に突然挟んで、またちょっと違う雰囲気のところにまたね、
次回以降、旅立っていく、旅立っていくなんだ?
そういうのも楽しんでいきたいと思ってますという感じですね。
はいはい、わかりました。
と言ったんで、レビナスは今回で終了ということで、次回ですね、また楽しんでいきたいと思います。
では、キズウキよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。