1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #457 【レヴィナス雑談】弟の..
#457 【レヴィナス雑談】弟の悩み相談。哲学を伝えるとは?身体的な理解とは?
2026-09-13 1:00:54

#457 【レヴィナス雑談】弟の悩み相談。哲学を伝えるとは?身体的な理解とは?

▼「それ哲ラジオ」おたよりフォーム

ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!

https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7

▼「それ哲公園」とは?

それ哲フォーラム(掲示板)を中心に、それ哲カフェ(オンライン哲学カフェ)も開催しています。参加をお待ちしています!

https://www.soretetsu.com/

▼それ哲ラジオ 公式X

更新案内や、番組の周辺の話など。

https://x.com/soretetsu_radio

▼哲学事務所ルディクレア

https://ludicrea.jp/

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:11
はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、前回でレヴィナス編終了ということで、今回は雑談会やっていきたいと思います。
はい、今回もお疲れ様でした。 お疲れ様でした。面白かったね、レヴィナス。
そう言ってもらったらよかったですね。 結構最初どうなるかというか、難しすぎるんじゃないかって思ってたんだけれども。
本を読む中でどうしようみたいなのあったの? どうしようあったし、結構最後まで聞いていただいた方は、ちょっとすっきりしてくれたら嬉しいなと思うんだけれども、
やっぱりレヴィナスも3回ぐらいまではさ、「イリアってなんだ?」みたいなさ、「なんでそんなこと考えるんだ?」みたいな、結構兄貴も戸惑いながらついていってくれた感覚があったんだよね。
そうだね、話してることは理解できるつもりだけど、これは一体何になっていくんだ?みたいなのが、確かに3回とか4回とか結構長かったかもね、確かに。
その理解するための土台みたいな話がね。
ね。っていうのもあるし、僕の中ではやっぱり今回、事故と他者みたいな、ある種主観的な事故っていうものをどう扱いつつ、そこから他者とどう出会っていくかとか触れ合っていくかっていうふうなところを結構長くやった感覚があって。
それこそ文人とかさ、やったじゃない?
あれ多分6月ぐらいなんだけど、3ヶ月ぐらいフロイトとかメルロポンティとかルヴィナスとかさ、やってる時も結構自分の中で共通する事故とはとか、他者とはみたいな、そういうのを扱ってたっていう感覚があったんだよね。
なるほど、なるほど。
なので結構ね、自分の中で1個やり切ったじゃないけれども、ちゃんと1ターンやり終えたなみたいな、結構そういう感覚はあるんだよね。
ただやっぱり難しいのがルヴィナスのさ、今回もイリアとかさ、顔とかっていろんな話をしたと思うんですけれども、やっぱりそれって言葉とか説明で聞いて何とか自分に引き付けようとするけど、やっぱり想像できないとかさ、何言ってんだこれはみたいなことって多いじゃないですか、この哲学の話って。
いやーそうだね、だから何とか頭で分かってでもいいけど、じゃあそのもう一歩ではね、身体的にじゃあ例えば理解する、したいと思った時にね、みたいな、どこのハードルというか壁がもう1個あるよねみたいな感じかな。
03:15
そうね、壁がもう1個あるっていうか、それが多分本質的な理解に繋がる。
本当は。
これも僕時々言うけれども、言葉でしか言ってないんですよ。だからそういう人あったかもさ、そういう人はなんかハヤトさんはじゃあルヴィナスのことが身体的に分かってるんですねみたいに、もしかしたら思ってくださる方もいるかもしれないんだけど、当然分かってないわけよね。
ルヴィナスもハイデガーも、これまでやった人たちも全部ね、基本ね。
ただね、これ今日の雑談っていうか、ちょっと兄貴に相談したいみたいなことも正直あるんだけどさ。
まさに兄貴が言った身体的な理解って話あるじゃないですか。
これができないっていうことが、いろんな僕の人生の問題の根っこにあるかもなっていうのを最近ちょっと思ってるのよ。
いいですね。はいはい。
いいですか?ちょっと相談に乗ってほしいんですけど。
早いね。もう相談変だね。相談入るんだね。
長くなっちゃうよ、多分。それだけでもほんと1時間がかかっちゃうから。
行こうと思うんだけど。今回ルヴィナスの話もするとさ、自分の中でもルヴィナスは分かってないとはいえね。
とはいえ、やっぱり第2回とか3回で語ったような、存在の奥にある不気味さとかさ。
僕ら普段存在してる、生きてるっていうのは当たり前に捉えてるけれども、それを一個一個剥ぎ取っていくと、
存在してるというよりは存在させられているみたいなさ。
自分というものに包まれている限り、その存在というか逃れられないみたいな話をしたじゃないですか。
そのイリアの概念のところ。
イリアのところで。ルヴィナスでね。
それもさ、やっぱり読んだとき分からないわけよ、僕自身ね。
それをでもなんとかこういうことかなとか。
確かにその存在というものを消していたときにもう拭いきれないものがあったときに、自分自身が感じた、
やっぱなんで自分って生きてるんだとか、生きてること自体が不安だみたいな感覚っていうのが自分の中にもちょっとあるから、
それを取り出してきて、もしかしてこういうことを言ってるのかなって思って台本にしてるわけなんだよね。
そういう意味では、なんとか自分との接続を作ろうって最近は思ってるんだけれども、
06:04
結構さ、ソイデスラジオの初期の頃、ほんと3年前とか多分4年前って、
やっぱ自分自身がなかったから、やれなんとか東京大学のこの教授の論文を引っ張ってきましたとかさ、
ソクラテスはこういうことを言ってます。自分はそこにはちょっと関与してませんみたいなさ。
結構そんな感じで割と話してたなっていう記憶もあるんだよね。
まあまあ、こういう情報番組的な感じだったら正しいスタンスだとは思うけどね、ちゃんとソースを明示するのは。
そう、ていうときに哲学って情報なんですかっていう問題があるわけよ。
つまり、要はニュースだったらさ、どこどこでさ、最近大雨がひどくてとかってなったときに、
ある種それって事実、ニュースとして理解できるじゃない。
でもリビナスが例えばイリアというものを語りましたっていうことの、それだけだったら情報って、
多分100あるうちの1とか2なわけじゃん。
なるほどね。
昨日京都に雨が降りましたは多分、もちろんそれでどういう影響が出たかとかっていうのがつくと思うんだけど、
多分情報100のうちそれだけでも2、30ぐらいあると思うんだよ、雨が降ったという情報がね。
でもリビナスがイリアというものを見出したみたいなものって、
イリアってなんだよとか、それってどんな意味があるんだよとかっていうそっちがないと、
情報としての価値って1ぐらいだと思うのね。
だったときにやっぱり、もちろんその本を引っ張ってきてこういう風に伝えますとか、
こういう偉い先生がこういう風な解説をしていて、それを見つけてきましたっていうことも、
もちろん大事なことだなと思うんだけど、
哲学を伝えようとしているものとして、そこってじゃあお前がやる価値あるのとかさ、
それってハヤトさんである意味あるんでしたっけっていう、そこがやっぱりあるなっていうのはずっと思ってるんだよね。
わー面白いね。そっかそっか。哲学の情報の本質ってあえて本質って言っちゃうけど、
情報はどこにあるのって言ったときに、もちろんその情報にたどり着くためにいろんな先生だとか、
いろんな賢い人たちがいろんなことを書いてるんだけれども、それをそのまま紹介することが、
09:01
その紹介したい本質、情報を伝えることに哲学を前にめっちゃくちゃならないから、
だから、ハヤトがそこでそういったものは統合なりなり理解した上で、
少しでも情報レベルを1なのか10なのか、できれば20、30なのか、みたいなところに、
ハヤトの本来伝えるものとしての、哲学を伝えるものとしての価値がありたいみたいな話でね。
あ、そうそうそう。自分の役割としてそれを持ちたいっていうふうに思いますと。
はいはいはい。
っていうときに、やっぱりそのまさに身体的な理解。
やっぱり言葉としてイリアっていう3文字を伝えるとか、これってフランス語でねとかっていうことじゃなくって、
このイリアというものを見出したときのやっぱり不気味さとか、やっぱりどうしようもない足元が崩れる感覚とかっていうものがあったときに、
それを何とか伝えたいとか、そうしないとレビナスのことを伝える意味がないんじゃないかってやっぱり思うわけよね。
うんうんうんうん。
うん。だったときに、やっぱりその、なんだろうな、またその身体値とか身体勢の話に戻るんだけれども、
僕ってもともと、なんだろうな、これはいろんな人が言われるんだけれども、やっぱり思考優位というか、ちょっとやっぱり左脳寄り、右脳左脳で言ったらやっぱり左脳寄りなんだよね、たぶんね。
うんうんうん。
それ今でもそうだし、昔とかもほんとそうで、これ時々言ったかもしれないけど、なんか昔って、多分思春期ぐらいのときにさ、
どんどん欲求とか、それこそ性的なものとかもだし、時間も増えてくるからさ、自分がこうありたいとか、もっと自由に、
親の言うことじゃなくて、自分がこうありたいんだとかって、そういうのもどんどん出てくる時期じゃないですか。
うんうんうん。
っていうときに、それって自分の中では本能的なものは動物的なものだから、人間にはふさわしくないと思って抑圧してたみたいな、そういう時期があったわけよね。
確かあれだよね。しかも、例えば学校をサボるみたいなことがあったときに、ハヤトはもちろんサボらないし、
サボんない、うん。
あとちょっとこう、あれだよね、そういう警察的なところがあったというかさ、サボる人はダメだと思っていたみたいな話もあったよね、なんか。
ルール守らない人はダメだみたいな。
そうそうそうそう。
だからそこが、今から思うと、本当にルールを守らないことがダメだとかじゃなくて、
12:03
自分もこんなに我慢してるのに、ルールを守んない、我慢できないやつ、だから自制心足りないやつはダメだみたいな、
ルールを守らないことじゃなくて、自制心足りないやつ警察みたいな感じだったのかな、もしかすると。
それで言うとね、自制心とも思ってないんだよね。別に自分は我慢してないから。
我慢してないんだ、それ。
うん。兄貴はよくサボってたからさ、多分教室にいたのが苦痛だったと思うんだけど。
うん。
だから僕は別に苦痛でもなんでもないわけよ。
うん。
もちろんっていうと、授業は受けるものなんだろうな。学校のチャイムとチャイムの間は座ってるものみたいな。
うんうんうん。
今から考えたら、もちろんそれができない人とか、それはやりたくない人もいれば体質とか的にできない人がいるってももちろんわかるんだけれども。
そこにフィットしてたんだね。
フィットしてたから疑い必要もなかったっていうのが多分正しくて。
なるほど。
そう。で、疑い必要もないから自分がどんどん正しくなっていくじゃん。
そうだね。
うん。っていうと正しい側からお前らは間違っているとか、俺こそが正しいみたいな、やっぱりそういうよくわかんない正義感がどんどん。
で、しかもそれに対して役割として学級委員長とかさ、
うんうんうん。
そういうなんかちょっと大行な、学校の中ではちょっと大行な名称を与えられるわけじゃん。
あーはいはい。
で、そうするとなんかやっぱり俺こそが正しいみたいなさ。
うんうんうん。
うん。っていう風にやっぱりなっちゃうよね。
うんうん。そうね。
なっちゃうよね、てかなってたんだよね。
うん。だから今回のレビナスで言うところの自分の感覚でね。
で、理解してたってことだよね。わしづかみしてたって話だね。世界を。
そうそう。まさにもうわしづかみパーソンだよ。それは本当に。
うんうん。
相手のことなんて理解しようと思ってなかったし。
うん。
理解できるとももちろん思ってなかったよね。
うーん。っていう風に理解してたんだよね。
あ、そうそうそうそう。
する必要がないと思った方が正しいか。別にだってこっちは正しいんだからさ。
うんうんうんうん。
自分の感覚からすると自分が正しくてサボるやつが間違ってるわけだから。
うんうんうん。
間違ってるやつのことなんて理解する必要はもうないみたいな。
っていう風になるほど。他人だったり、世界ではね、この。
捉えてたって話だよね。
そうそうそう。捉えてた。
もちろんすごい視野が狭かったなって今からすると思うんだけれども。
うんうんうんうん。
やっぱ根本はあんま変わってないなとも同時に思うわけよね。
へー。
うん。
はいはい。
やっぱりどこかに正しさを求めたい自分がいる。
これだけ哲学っていうのは相対的、相対的か絶対の答えってないんですよとかさ。
15:05
うん。
真理っていうものがないってことに気づいてきましたとかって時々言ってるけれども。
うんうん。
やっぱどこかに正しさを求めてしまう自分とか。
うん。
やっぱりそれが自分で見つけた正しさじゃなくて、誰かが作った正解とか正しさとかルール。
あー。
っていうものにやっぱり寄りかかりたくなる自分とか。
そういうのはやっぱりまだまだ全然いるなーっていうのを最近すごい思うんですよ。
うんうんうんうん。
で、あ、そうそうでちょっとごめん話がバッとしたんだけど。
身体勢で話していくと、それは先週ぐらいかな。
ちょっとある友人というか、あの方と話した時に色々相談してて色々言われたって言ってくださったんだけど。
やっぱその時にやっぱかねとくんにはその身体勢が足りないんじゃないかみたいな。
おー。
やっぱり体を通じたその活動とか交流ってのはないっていうことがやっぱり君の限界だと思うよみたいなことを言ってくれて、
あ、なるほどね。
へー。
うんうんうん。
それって超えたらどうなるんですかって言ったら全然イメージわからないんですけどって言ったら。
うん。
なんかすごいやっぱこう、なんか喜びが溢れてくるんだよみたいな。
うんうんうん。
その生きてる喜びとか、やっぱり自分と相手というものがお互い存在したということに対する感謝とかそういうのが沸き上がってくるんだよねって言って。
ふーん。
わからんってやっぱ思ったんだよね。
わからん、なるほど。
うん。
へー。
そうそうそう。
その人って内膀なの?なんかあのー、なんだろう、前習の師匠みたいな感じなのかな?
全然そういう宗教的なことはないんだけれども、でも多分ね、心はそこまでいってる感覚もあって、
もともとはいわゆるこういい大学を出て、いわゆる大手企業に入って研究室が出ましたみたいな方なんだよね。
うんうんうん。
でもいろんな問題というか、何だろうな、本当に課題にぶち当たった時に、
自分がもっと人をケアするというか、そういうところでやっぱり自分の人生を使いたいんだってなって、
いわゆる障害者の方向けの施設で、障害者の方が何か物を作って販売して自活するみたいな、そういうふうな支援してるところがあるじゃない?
うんうんうん。
そういうところで今は働いてて、でも毎日障害者の方とか施設の運営の方とかするところで、
本当にいかにお金もない中でとか、施設の運営とかも厳しい中で、この人たちの生活とか守りながらみんなで生きていくかみたいな、そういうことをやってる方なんだよね。
18:02
はいはいはい。
だからそこに自ら飛び込んでいって、自分に信頼性がないっていうのを、その人ももともとない側で分かってたから、
飛び込んでそこで学んだ、ここ2,3年くらいから過ごしてるみたいな人なんだけど、
はいはいはい。
でもその人はね、やっぱり最初は地獄だったって言ってた。
最初っていうのはそれに気づいて動き出した時ってことかな?
全員で動き出して、障害者施設で働き始めた時に、やっぱり自分がこんなにも無力なのかとか、
こんなにも人と人との関わりって、やっぱりお互いに傷つくものなのかみたいな、その人は別に上手い人ではなかったから、もともと。
大企業の研究職で、人とそんな関わらなくても生きていけるというか。
もういわゆる研究者みたいな、善とした。
そうそうそうそう。
っていうところから一気に人と人のドロドロした関わりのところにグッと入り込んだから、
すごい罵倒もされるし、罵倒っていうのはできないことに対するいろんな声も浴びるし、
やっぱり容赦ない。
それは入居者の方ってよりは同じ施設運営の方から、なんでお前こんなこともできないんだとか、
そういうことも言われたし、やっぱり傷つくこともあったけれども、
でもそれも含めてやっぱり自分も途中からうるせえみたいな、そんなこと言うなよみたいなことも含めて、
やっぱり言えるようになったりとか自分も感じるようになって、
やっぱりまさに湧き上がるものに気付けようになったみたいな、そういうことをおっしゃってたんだよね。
やっぱりそれがわからないというか、話としてはそういうこともあるんですねとは僕は思うんだけど、
やっぱりそれこそ身体知化されてないんだよね、そういう感覚が。
っていうような人かな。
なるほどね。はいはい。
じゃあ話の説得力じゃないけどやっぱりあるね。なんかありそうだね。
やっぱりまさに体験したことから話してくださったなっていう感じなんだけど、
兄貴もそういうのってくくるのが難しいけどさ、
人と人なのか自分と人なのか自分と自然とか動物とか多分いろんなものあると思うんだけど、
そういう身体的なつながりがあるなとか、自分から湧き上がってくるものがあるなみたいなのってあったりするの?
すごい質問だね。
あなたは神秘体験があるんですか?ぐらい抽象的な質問だね、それはね。なるほどね。
21:02
聞きたいことを聞くと怖っちゃうんだよな。でもそうとしか言えないんだよな。
なるほど。どうなんだろうな。逆に質問ちょっと1個したいんだけど。
いいよ、もちろんもちろん。
それこそ哲学に興味を持ったとか、より深くハマるきっかけじゃないけども的な話でさ、
仕事始めたばかりの頃に全然コミュニケーションだったりとかうまくいかなくて、めちゃくちゃ挫折したみたいな経験があったと思うんだけど、
本来それってすごく身体的な経験だと思うんだよ。
ハヤトの言うところね、たぶん。
だから今ハヤトが例に出してくれたというか、話してくれた人もそうだけど、
一般的にはその挫折と呼ばれるものが、その人にとってその人の価値観が壊れたりとか、
ああ、新しくしなきゃみたいな。
で、それに伴って自己理解だよね、価値観。
世界の捉え方も自分の捉え方も変わるような身体的な経験になってるはずなんだけど、
それで言うとどうなの?
それで言うとね、たぶん僕はやっぱり弱い、傷つきたくない人だから、
若干逃避が出るんだよね。逃げちゃうんだよね。
はいはい、それどういうことだ?
例えば、前も言ったかもだけれども、最初に入った会社でね、
部長さんから話したときに、すっごい早口だったらしくて、今でも早いって言われるんだけど、
なんかお前は俺と話したくないのかって言われたのね。
早く会話終わらせて帰りたいって思ってんのかって言われて、
そんなこと思ってなかったから、あ、そう思われるんだって思ったんだけど、
そんなこと言ってくる人嫌だって思って、すいませんみたいな感じで、
すごいすごい引き返すわけよ。
なるほどなるほど、そこでそれってどういう意味ですか?とか、後からでもね。
じゃなくて、ちょっと心のシャッターこっちが閉じちゃうみたいなイメージがつくって。
だからそこに対して、それってまさにどういうことですか?とか、
むしろそんなこと言わないくださいよとか、例えば反発でもいいけどさ、
そういうことが確かになかったなって思う。
なるほど、じゃあ挫折というか、そこでコミュニケーションしづらさを感じたっていうのが、
もちろんハヤトとしては、そういうフィードバックを世界から受け取ってるんだけども、
24:07
ハヤトから何かフィードバックを返したとか、それに対して自分がこんにゃろこうするだったりとか、
これが俺なんだみたいな、そこが価値観めっちゃ変わったとかよりは、
その同じ価値観のまま、ただ離れたとか逃避したとか、そういうのに近いのかな?もしかして今考えると。
そうだね。だからまさに価値観は変わらずに、ちょっと捉え方とか考え方とか、
こういうふうに、要は自分と話したくないって思う人がいるってことを理解して、
それはないようにしようみたいな学びにしちゃってる。
一回壊してまた作るとか、むしろ壊されるみたいな。
これまでいった感覚はないんだよね。
なるほどね。
たぶん確かにいろんな人の話を聞いてると、やっぱりあるじゃない、
それが社会人か学生時代かはわかんないけれども、やっぱり一回自分が、
そういうことで鼻を折られるとかさ、価値観を壊されるとかさ、
そういう経験があるよっていう人もいるなと思う一方で、
自分はそこまでの、根本的に自分という人間が壊されるとか、
このままじゃダメだって思って作り直すみたいな経験とか感覚は、
確かにあんまないかもね。
なるほど。それは面白いね。そっかそっか。
だから今さっきそういう価値観、身体的な経験というか、
挫折みたいなものは、それを挫折って表現したんだけれども、
その挫折ってものが一体何なのかって捉えた時に、
そのありのままの自分が世界から認められないというか、
上手く自分が思ったフィードバックと違かったりとか、
意図しないフィードバックが帰ってきたってきついっていうのを、
挫折と表現するとそれは違うのかもしれないね。
だから今の話の流れだと。
そうだね。
今ありのままって言っちゃったんだけど、
ありのままの自分でいることか、いることに対してはそうなるのかもしれないね。
その上でもっと、ありのままどころか全力の自分を差し出す。
見てもらうじゃなくて差し出す。
はいはいはい。
だからただあることに対してのフィードバックじゃなくて、
27:02
全力で差し出したものに対するフィードバック。
で、そこの違いな気がしたな。
そっちの方を挫折と呼ぶのかもしれない。
だからありのままでいる。
自分がこれが当たり前だと思っているっていうこと。
ハヤトがルールを守るだとか、
それが自精神もいらない、
それが当たり前だと思っているとか、
喋るスピードはこれだっていうのは、
無意識で当たり前だと思っていることでやっていることに対して、
世の中がネガティブなフィードバックをしてくることは挫折ではない。
それはただの一現象である。
ただそれは挫折と同じくらい苦しいと感じる人もいるし、
実際多分すごい苦しいことだから、
混同しちゃうんだね。
あえて断定気味な漫画扱いでいいかけど。
だけど本当は、
ありのままの自分を差し出した時、
自分の信念だったりとか自分が考えたことを、
全部差し出したことに対して、
フィードバックが違かった時の方がきついはずなんだよ、本当は。
きつかったりとか。
そうすると、
差し出したものに対するフィードバックに対する自分のフィードバックがまた違うんだと思うよね。
ありのままの自分に対するただのフィードバックと、
差し出したものに対するフィードバックに対する自分の浮かび出てくる感情だったり、
その対応みたいなものは多分変わってくるはずで。
だからさっきハヤトが話してくれた、
自分は研究職じゃない。
で、新しい世界に飛び込む。
これは、かなり、結構差し出してるよね。
めちゃくちゃ多分、今まで工学歴でやってきた人が、
就労支援施設というか、どういうお仕事かわからないけど、
自分なりの信念を持って飛び込んだ時に、多分いろいろ素人すぎて、
思いと裏腹にできないことだったりとか、
自分って多分優秀だと。こんなに優秀な自分だから、
言っちゃうだけど、こういう場所なら、
俺もっとできるはずだ、みたいなのあるんだよね。
だけど、ままならないこととか、周りから見た時に、
全然十分じゃないことがあった時に、
そこで、そういうフィードバックが来る。
あんた全然ダメじゃん。何考えてんの?やる気あんの?みたいな。
30:03
そうなった時に、それはありのままだけじゃない、
もう信念を持って差し出してるよね。
全部捨てて、こっちに飛び込んだんだっていうものに対して、
そんなフィードバックが来るの?どうする?
戻る?やめる?進む?
それとも自分の価値観を修正する?みたいな。
そこで初めて、選択肢の項目が出てくる、ABCみたいな。
だから、その選択肢ABCが出ましたか?みたいな。
たぶん、前者だよね。
ありのままの、自分がこれが正解だとただ思ってる、生きている。
ことに対して世の中とぶつかったっていうフィードバックだと、
そういう選択肢が少ないとか、ちょっと薄いのかもしれないよね。
薄い、ないがたぶん近くて。
たぶん兄貴の自分を差し出すとか、
全力でぶつかるみたいな感覚で、大事だなと思ってて。
ちょっと後でまたちゃんと話すんだけど、
キーワード的には、求めると捧げるの違いみたいな話とか、
そこに対する信頼っていうものも、僕の身体性っていうものも周りにあるのね。
何かっていうと、求める、何か相手に求めるって、
僕からするとすごくハードルが高い行為なのね。
もしかしたらみなさんもそうかもしれないけれども、
何かをしてくださいとか、それが欲しいですとか、
自分のためにあなたの時間を使ってくださいっていうのって、
時間なりリソースを使ってくださいって、すごい不尊なことだなと思うのよ。
まあそりゃそうだ。
そう、そうなった時に、やっぱり求めることを当然拒絶される可能性も含むわけじゃない。
嫌ですって。
そうね。
そう、そう。
そうなった時にやっぱり自分は求めることが怖いし苦手だなってやっぱり思うのよ。
だからそうやってこなかった。
でも、たぶん求めるっていうことは自分を差し出すことでもある。
つまり、その判断を相手に委ねるわけだから。
で、それのさらに上位バージョンが捧げるだと思ってて。
要はその、もう自分を相手に明け渡しますと。
そうすると相手が好きにしてくださいって言うよね。
だから別にそれを受け取ってもいいし、捨ててもいいし、
それはあなたの自由なんだけど、あなたは私、私はあなたに捧げますっていうことも含めて、
それはやっぱりこう自分を、なんだろうな、まさにこう空にしていくことというかさ、
33:03
こっちに入れないっていうことだから、
それってすごいだと思うんだけど、やっぱりそれは僕は絶対できないなと思うのね。
で、しかもそれがたぶんその信頼にもつながるなと思ってて、
やっぱり信頼ってこう、与えると求めるっていうことを交互にコミュニケーションすることで生まれるものだなと思うのよ。
それは一方的に受け取ってるだけだとある種、搾取だし、
与えてるだけだと奉仕、奉仕なのかなんていうかもう本当にこう、まさに逆の搾取か、やっぱりなっちゃうから、
信頼関係ってやっぱり上下関係になっちゃうと思うのよ。
で、僕の場合はどっちかっていうと、やっぱり人に頼まれてやるとか、
困ってる人にやっぱり手を差し伸べるっていう方が楽じゃん。
関係性的にもさ、何をしていいかも分かりやすいから。
だから、さっきの楽器人との話もそうなんだけれども、
その役割でこのルールを守ってる、あるいは守らせることが、
あなたの役割ですって言われるとやっぱりすごい楽なんだよね。
自分がいなくても成立するから。
っていう意味で、やっぱり何かを求めるよりも求められるとか、
与えられた役割を担うっていう方が結構強い人生だったなと思うわけよ。
はいはいはいはい。
結果的に、やっぱりすごく信頼する人いますかって言うとあんまり思い浮かばないなとか、
自分が信頼する人ってどのくらいいますかとか、
あるいは自分のことを本当に理解してくれる人って何人くらいいますかって言われると、
ゼロかもみたいな。
そういうふうになっちゃうのよ、感覚的に。
なるほどね。はいはいはい。
これが、何回か言ったか分からないけど、
信頼貯金とか信頼残高ってことが本当に苦手とか嫌いなんだけど、
それは溜まってる気がしないからなんだよね。
なるほどね。自分にはね、それがね。
自分には見えないし分かんないって思ってしまうのよ。
常にもしかしてこの相手は自分のことを今すごい無価値だと思ってるんじゃないかとか、
やっぱり何か求められれば答えることはできるけど、
そこに対して、なんかもうかんちゃんはなんかないのとか、
ハネト君なんかもっとこういうことないのとかって言われると、
別にないんだけどなってやっぱりなってしまう。
36:02
っていうのが、なんかいろんなとこで起きてるなーって思うんだよね。
なるほどなるほど。
ごめんちょっとバラバラ話しちゃったけども。
そうだね、今の聞いた感じだと、
本当はたぶん元、根っこは一緒なんだけど、
二つに観点は分かれるのかな、みたいな感じを受けて、
一つが、その捧げるだよね。
捧げるとか与えるっていうときに、
ハネト君が捧げたいと思うことがないというか、相手がいないみたいな話した?
相手がいないって言われると、なんか相手のせいっぽく見えるけど。
そうそう、だから捧げるのは何でなのかってことを考えたときに、
今日はせっかくだから、さっき例に挙げてくれた方でいくけど、
捧げるためには捧げる対象が必要だよね。
捧げたいと思う対象で、何か誰かに捧げたいって思うっていう、
自分の能動的なところ、こと、考えでもいいや。
そこがあるっていうのが、たぶん捧げる人もすごい強いところで。
さっき、そういう対象があったとして捧げるっていう行為があったときに、
それだと一方的にどんどん摩擦手というか、なくなっていくんじゃないかみたいな話があったんだけれども、
さっきハヤトは、与えるっていうことと、もらうか受け取るっていうことは交互に発生するみたいな表現をしてたんだけれども、
これは交互じゃないんだよね。その瞬間同時進行で起こっていること。
だから与えようされば与えられんっていうのが、
まず与えたから順番として丸1があって丸に与えられるのだとか、
いう順番じゃなくて、与えた瞬間に与えられてるのだっていうようなイメージだよね、自分は。
イメージというか、そういうこともあるよねって思っていて。
だからそうすると、何かに与えるどころか捧げた瞬間に、
多分与えた以上のものをその瞬間に受け取ってるはずなのねっていう考え方もできる。
よく聞く。
よく聞く。
けど分かんねえなーって思うやつだ。もうちょっと聞かせて。
39:04
っていうのがまず一つの観点。
だから、そういう意味で捧げたい対象を見つけるとか選別するっていうのは、
一つの大事なポイントなのかなとは思うというところと。
それはほんとその通りだね。
ハヤトはその与えるよりも、求められてから与える方が楽だみたいな話をしたんだけども、
それはその通りだし、
たぶんハヤトもわかってるとは思うんだけど、
そのポジションって実はすごくずるいというか、
そしてたぶんサスティナブルじゃないんだよね。
持続性がないんだよね。
ほんとにそう。
例えば何かのルールがある場所とか、何かの役割がもらえる場所ある場所とか、
あと若いうちとか、
友達がたくさん集まって何かをする機会が多いとか、
そういう時は、自分そのものじゃないところ、
だからレビナスでいうところ、人が集まってルールができたみたいなさ、
そういう外側に役割だったりとか、ポジションみたいなものがあって、
そこにいること、もしくはそこにいる能力があることで、
与える立場になることはできるんだけど、
たぶん年齢が上がっていくとか、
いろいろ立場が変わっていくだとか、
もしくは自分がやりたいと思うことがあった時とかに、
そのポジションあるんだっけみたいな話になってくる。
だから本来誰かに捧げられるとか、
もしくは誰かから与えたいと思われる場所っていうのは、
それを持続的にしていくためには、
その優位な場所みたいな、ちょっとあえて言うけど、
保持していくためには、本当はそのポジションを維持するために、
捧げなきゃいけないものがあるはずなんだよね。
はいはいはい、そうね。
だからちょっと根本は一緒だみたいな話をしたのは、たぶんその辺りだと思うんだけど、
その捧げることをせずに、
自分が捧げられる、与えられると思われるポジションに、
一生居続けるっていうのが、そもそも矛盾していませんか?
42:00
ってことに今の話になると思うんだよね。
どうだろう?
で、ごめん、こう言ってほしとくね。
さっきハイトが捧げる相手が見つからないみたいな話をした時に、
よく聞く話で、なるほどなみたいな話をしてたけど、
その話もよくわかる人たちはわかる?
それがわかれば苦労しねえよとか、
その選ぶ先を間違えることで苦労してる人たちとか、
不幸になっている人たちもたくさんいるだろうから、
ここの話はもうちょっと深めたいところではあるかなとは思ったかな。
はいはいはい。ありがとうありがとう。
ずるいっていうのは、自分でも本当にそう思っていて、
だから多分方向性があると思っているのよ。
それこそ恋愛みたいな話においても、
やっぱり求められる恋愛って楽じゃないですか。
でも相手がこうしたいとか、
相手からありがたいことにあなたと一緒にいたいって言ってくれれば、
それに答えればいいわけで、
でもそれで捧げてるとか犠牲にしてるのは、
その恋愛の愛情なんだよね。
つまり僕はその相手のことを本当に愛しているから付き合ってますかって言うと、
いやわかんない、相手なんですかねとかってなっちゃうときに。
愛を捧げられたから捧げてますっていう言い訳ができちゃうわけね。
そうそうそうそう。
ってなってるから、やっぱり自分にどうしても優位性があるし、
相手は不安になるし、
でもその不安を使って自分と離れられないという関係を保つっていう、
そういう構造に自分が引き込んでるなってこともわかるわけよ。
だからそれは本当に何でもそうで、
兄貴が言ってくれた通り、やっぱりサシナブルじゃない。
当然そんな関係なんて長続きしないから、
相手が冷めていくこともあればこっちが無理だってなることもあるし、
そこも含めて関係性が繋がらないっていうのは本当にそうなんだよね。
本当だし、今の話、今ハヤトが言ってくれた構造で言うと、
全部外部依存だよね、それ。
そうそう。
ハヤトが得てる愛にせよ、何にせよ、
誰かが与えてくれる、頼ってくれるみたいなことがあったときに、
それも全部外部依存だよね。
いや本当そう、本当そう。
だからお人から言えばもう甘えてんじゃねーよみたいなさ、
誰にガキみたいなこと言ってんだよ、で終わることなんだけど、
終わることなんだけど、でも自分からすると、
まさにその捧げるみたいな話をするときに、
45:01
やっぱりその捧げるのが怖いというよりは、
そもそも捧げる相手が見つからない。
本当そうなんだよね。
それはやっぱり自分の恐怖っていうものもあるだろうし、
本当の意味で見つかってないのかもしれない。
それは多分どっちもあるんだよね。
出会いがない。
それは外の問題もあるし、自分の問題もあると思う。
ということも含めて、やっぱりその捧げる相手の見つけ方ってさ、
教えるものでも教わるものでもないじゃない?
まあ多分ね。
おそらくだけど、わかんない。
それをできる人はいるのかもしれないけれども、
例えばじゃあ、わかんない、
ハヤトさんにはこういう人がいいと思いますよとかって
繋げてくる人もいるかもしれないけど、
でもその人と本当に自分の波長があって
捧げるに値するかとか、
あるいは捧げてもいいと思っていただけるかっていうことは、
僕とその人の問題だから、
それも外部って言えば外部だからさ。
もちろん出会いを作ってくれるっていう意味では、
違うってことじゃない?
違うね。
あ、違うんだ。
紹介されてること自体じゃなくて、
正しいというか、
あるべき手順を踏んでれば、
むしろ誰かに紹介されて捧げたいというか、
信頼する相手にたどり着くっていうのは、
むしろよくあることだと思うね、むしろ。
あ、むしろある、なるほどね。
だから相手に、誰かに紹介されたっていうのは、
正しい手順、正しいというか、
あるべき手順を踏んでれば、
むしろ成功法だと思うみたいな。
まあまあまあ、なるほどね、そういうことか。
自分が何の仮説も立ててない段階で、
誰かに、この人合うんじゃない?とか紹介されて、
あ、合うのかな?それを確かめにいこう、みたいな順番だと、
たぶん100%ダメで。
はいはいはい、そういうことね。
自分の中の軸があった上で、
うーん、こういう人いないかな?
うーん、この人に出会いたいな?
出会うというかね、いないかな?って本気で思ってる中で、
しかもそうするとさ、やっぱり
友達とか紹介してくれるわけじゃん。
あ、それだったらこういう人いるよ!
っていう時に、そこで初めて
この人だ!いや、違う!
っていうのってすごい普通じゃん。
ああ、まあそう言われたらそうだ。
やっぱ先なんだよね、その軸をやっぱり
軸があるとか、
その自分の中でこういう人だっていう
ビジョンがあるとかが先だってことだよね。
それもまたちょっと違うと思ってる。
48:00
え、違うの?まじか。
それ多分よくハヤト自体、
ハヤト自身がこのラジオで言ってることだと思うんだけど、
軸があるとか、軸が出てからじゃあ
考えようとか、
まず軸作んないと、
例えばそういう、
誰に会えばいいかも分かんないよっていうのは
どう?問いとして
ループして、ループというか
同じことが起こる。
まあそうだよね、たしかにね。
誰に会えばいいか分かれば解決するのにと、
自分の軸ができれば解決するのにって
どう?
同じことだね、たしかに。
縦に並んでるさ、順番じゃないよね。
同じとこでたぶんつまずいてるんだよ、それって。
いやー、まあそうだよね、たしかに。
そうそう、っていう感じはするよね。
軸ができてからとか、考えがまとまってからとか、
自分が何者なのか分かってからとか、
やりたいことが分かってからとか、
お金が貯まってからとか、
時間ができてからとかっていうのと、
そうしたら、何だろう、
例えば何に投資すればいいのかとかさ、
誰に会えばいいのか、
何を習えばいいのか、
何をやればいいのかが分かるはずだっていうのは、
なんかあの、順番な気がするんだけど、
違うんだよね、みたいなね。
はいはいはいはいはい。
中池がさっき言ってくれた、
その与えると与えられてのが同時に起こるとか、
それって分けられないって話と同じだし、
同じだよ、同じ感じするね。
そうだよね。
たしかに僕が確かに哲学、
そういったラジオでも言っている、
いや分けられないんだよとか、
なんていうのかな、構造的にこうなんだよって言ってることと、
今自分がやってることのずれは、
言われたら本当そうだよな、
自分について、
自分ごと通し考えたこと、
急に順序とか、
先にこっちをやらなきゃとか、
こっちをやるのが正しいはずだ、みたいな、
それがすごい拭えない形で出てくる。
だから今のような考え方?
誰に会おうか、
信頼できる人が見つからない、分からないって言ってるのは、
全て信頼性とはかけ離れた考え方。
おっしゃる通りです。
だから本来どっちでもいいんだよね。
自分の軸分かんないまま、
誰かに誰か紹介してって言って、
とりあえず会ってみるっていうのは、
信頼性かもしれないし、
とにかく、
あそこ行ってみるか、あれ体験してみるか、
の信頼性かもしれないし、
51:02
みたいな。
それだけだともちろん困るんだけど、
そっちがない人はそっちがないと生まれてこない、
信頼性じゃない方の感覚ってないと思うから。
そうだよね。
本当おっしゃる通り。
ちょっと話飛ぶんだけどさ、
宮沢賢治っているじゃないですか。
宮沢賢治さんが生誕かな?130周年とかで、
いろんなイベントもやってらっしゃるようなんだけれども、
宮沢賢治がやってるところの中に、
本当の幸いって言葉があって、
銀河鉄道の夜とかでも振られてるらしいんだけれども、
本当の幸いってなんだろうねみたいな。
分かんないよねっていう風な、
でも本当の幸いを自分は求めているんだみたいなのを、
登場人物に語らせるみたいな話があるのよ。
この本当の幸い、まさに幸せとは何か。
そうだけれども、
これって絶対に頭で考えても出てこないことじゃない?
面白いね。
今日の話、今の話でいうと、
本当の幸いっていうものは分かったら、
本当の幸いを探しに行こうっていう言葉って、
すごくそれっぽいんだけど、
それって成り立ってるんでしたっけっていう話だよね。
そう、現実的な話。
本当に宮沢賢治の本をつぶさに読んで、
私、本当の幸いとはこれだ。
じゃあこれを実現しに行こうっていうのは、
無理というか、絶対ないはずなんだよね。
論理として多分破綻してるんだよね、本当は。
論理は通ってるんだよ。論理だけは通ってるんだけど、
面白いね。
現実に落とし込めてない。
論理は通ってるんだ。そっかそっか。
論理は通ってるんだって、本当の幸いとはAである。
ならばこのAを探しに行くってことは、
論理の世界では成り立つじゃない?
そう、ごめん、そっち弱いからさ。
逆にね。
ごめん、そっちしか強くないからさ。
そっか、それはいわゆる思考実験だったりとか、
言葉としては成り立ってるんだ、それは。
成り立ってる、成り立ってる。
どうやら宮沢賢治自体は、
本当の幸いとはこれこれであるとは言ってないらしいから、
そうなんだけど、
宮沢賢治はそれを書いてないということが、
本当の幸いの本質を表しているのである、
とかってことは言えそうじゃん?
でも言葉で言えそうだけど、そういった時点で、
また言語化して、本当の幸いというものを
何か語れるものっぽくしてるから、
それって本当は危険な操作だと思うんだよね。
54:00
そんなことよりも、
自分が感じた幸せをやっぱり振り返ってみるとか、
日々の中で、
本当に素敵な時間だなっていうものを積み重ねていくとかの方が、
絶対に大事なはず。
あるいは悲しみでもいいと思うんだけど。
っていうところから、
この悲しみをなくすためには、
生きていくことでしか、
本当にそうやって見つからないんだろうなっていうことを、
頭で理解した気になっている自分がいるのよ。
なるほど、確かにいいんだし、今のは面白いね。
この悲しみをなくしたいと思うっていうのは、
めちゃくちゃ身体的だからね。
世の中が平和になればいいとは全然、
やっぱり改造度じゃないか、言ってることが違うからね。
そうなんだよね。
っていうこともあって、
本当の幸い問題っていうのを自分の中で勝手に名付けてるんだけど。
はいはいはい。
これは、やっぱりどう頑張っても身体がいる。
頭では解けない問題なんだけど、
その解き方が分からないとか、
解き方を分かろうとしている視点で間違っているっていう、
そこですって感じ、今の自分は。
はいはい、なるほどね。
こっちも分かったような答えを返す人はいるけど、
適当にね、しゃべってるだけだから分かってると思う。
でもね、兄貴の中での経験とか、いろんな人と触れ合った中の話をしてくれてると思うから、
あれはね、僕のことを兄だったりとかね、パーソナリティ的な立場から見たときに、
きっとこうじゃないって言ってくれてるってことは、本当その通りだなって思うわけよ。
ずるいとかってのは本当そうだなって思うし。
それが、やっぱりいろんな物事の問題とか自分の限界になってるなってことに、
やっぱ最近すごい向き合ってますっていう感じ。
いやーいいですね。だから何も考えずにとりあえずやっていくしかないんじゃないんだって。
自分の軸だって、だって。
やっぱりこう、多分これはね、もうちょっと特性があるんだけど、
何も考えないっていうことがわからないとか、
そんなに考えなくていいのにってアドバイスが、
全く入ってこないみたいな感覚があるんだよね。
あれは?感じるは感じる。
感じるは頑張ったらできる。
考えると感じるは、多分違うでしょ?
だから感じる方のアンテナを何とか立てるみたいな。
まあまあそっちの方がやれそうな気がするかな、確かに。
まあまあそんな感じでね、今日もわーっと喋っちゃったんですけど、
57:01
今日はだいぶ聞いてる方からすると、
それは裏でやっとけよみたいな話もあるかもしれないけど、
これ自体はでも実は、そういったツアースジョーの活動にも手も付いてて、
やっぱりこう、いろんな哲学者のことをご紹介していくって話はずっとやっていきたいんだけれども、
それだけやってると結局、じゃあお前は何なの?みたいなね、その冒頭に言った。
いろんな人を紹介してるカノさんって何なの?ハヤトさんって何なの?とか、
ハヤトさんに哲学ってあるのないの?とかっていうことに、
このうち突き当てれそうだなって思ってるのよ。
おー、いいね。
いうことに対して自分でちゃんとそこに向き合っていきたいなっていう思いがあるので、
こういうモダモダした、何だろうな、ことを思ってますっていう感じかな。
なるほど、モダモダって初めて聞いたわ。
本当?モダモダするって言わない?
分かんない。
なんか、行き場も足踏みしてるみたいな、そういう感覚なんだけど。
はいはい、モタモタとはまたちょっと違う。
違う違う違う、モタモタじゃん、モダモダ。
モダモダ、へー。
という感じでございました。
次回、一旦雑談なんでこのぐらいにしてですね。
次回は、これまで時効とか他者を扱ったっていう時に、
ちょっとそれを目線を広げて東洋にって話をしたじゃないですか。
東洋と西洋って言っちゃうと、それも本当はない区別をつけてるっぽいなって気がしたから、
テーマ的には3回分ぐらいなんだけど、
非主観から見る他者みたいな言葉があるんだけど、
これまで主観から始まって、主観っていうものをどう捉えるかとかさ、
あるいは主観を超えた先の他者っていうものがあるんだみたいなさ、
そういう話を結構メロポンティでもレビナスでも、あるいはフロイトでもしてきたじゃない、してきたと思うんですよ。
デカールド的な、主観と客観を分けて主観から客観を捉えるとか、
実行から他者を押しつかめにするっていう風な図式でやってきたからそうなんだけど、
この主観っていうものをそもそも解体していくのが東洋的な発想としてあるし、
それはもちろん西洋にもあるんですよね。
なので、この非主観から見る他者みたいな、事故と他者かっていうところで、
ちょっと皆さん大好きだと思う、いわゆる仏教、
それこそ優位識とかもそうだし、
あとちょっと日本の人とかも触れながら、事故と他者っていうところの捉え方を広げたいなと思っているような感じですし、
1:00:06
やっぱり今日の話も繋がるんだけど、分けない、
要は行ったり来たりって別に時間的な順序じゃないよねとか、
そういうことも含めてやっぱり発想として馴染むのって、
やっぱりその非主観みたいな発想だなと思うので、
ちょっと今日の雑談の話も直接は繋がらないかもんだけど、根っこに置きながら話してみたいなと思ってますというふうな感じですね。
はいはい、分かりました。
じゃあ次回ですね、その非主観から見る自分ということでやっていきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
01:00:54

コメント

スクロール