1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #400 純粋な人ほど要注意?ニ..
2026-02-25 52:29

#400 純粋な人ほど要注意?ニーチェの虚無主義(ニヒリズム)の本質

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サマリー

今回の「それ哲ラジオ」では、哲学者ニーチェの「神は死んだ」という言葉の本質と、それに伴うニヒリズム(虚無主義)について深掘りします。単に科学の発展で神への信仰が失われたというだけでなく、神を信じようと純粋に追求した結果、信じることができなくなるという逆説的な構造を解説します。自然科学の発展や、カトリックからプロテスタントへの宗教の変化が、個人が神と直接繋がろうとする試みを生み、その過程で自己の努力や解釈が重視されるようになり、結果的に神の絶対性が揺らいでしまったと指摘します。 この「神は死んだ」状態、すなわち絶対的な価値や理想が失われた状態がニヒリズムであり、それは単なる悲観主義や無気力ではなく、むしろ人間が自らの手で生きる意味を創造する可能性を秘めているとニーチェは考えました。しかし、その過程で既存の価値観を破壊し、新たな価値を創造していく必要性を説きます。次回は、このニーチェの思想の核心に迫るため、ルサンチマン(嫉妬)や道徳の解体といったテーマに触れていく予定です。

ニーチェ編の再開と「神は死んだ」の導入
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回から久々のニーチェ編ということでやってきたんですけれども、今回2回目やっていきたいと思います。
はい、今回からですね、本格的にニーチェのことを入っていくんですけれども、前回はですね、そのヘイゲルっていうものが、まあ本当はモノじゃんけど、
ヘイゲルの哲学っていうものが、当時の哲学界を石鹸しちゃって、生きている間はヘイゲル様みたいな感じだったんだけれども、
亡くなった後にね、いやいやそうじゃないよって批判する人とかもちゃんと出てきて、
で、フォイエルバッハさんとか、あと前回やったショーペンハワーさんとかみたいに、やっぱりこう、世界ってそんな理想に向かっていくものじゃないよねとか、
なんだったら神様っていうのも人間が作ったというか、人間の良いところを反映させたっていうだけで、
なんかそういう絶対的な存在があるわけじゃないよね、みたいな、そういうふうなことをちょっとお伝えしたと思うんですよね。
そうね。
はい。で、そういう流れもある中で、今回はニーチェっていう感じなんですけれども、
やっぱりニーチェといえば、神は死んだですよね、みたいなところもあって。
そうね、もうそれしかないね。
それしかそうだよね、そのキーワード的にね。
そうそうそう。で、この言葉をちゃんと理解していきましょうよと。
ほうほうほう。
神は死んだっていう言葉だけだと、何を、なんでそんなこと言ったんだとかさ、それってどういうことを意味してんのってやっぱりイメージが湧きにくいと思うので、
この言葉はやっぱりこの言葉ですごいキーワードではあるんですよね。
はいはいはい。
うん。なのでちょっとそれを解きほぐしながら、結局ニーチェって何を見たのかとか何を考えたのかとか、
どういうことを言ったのかっていうことを今回お伝えしていきたいなと思ってるんですよっていう感じなんですよね。
過去のニーチェ回との違いとリスナーへの配慮
なるほど。ちなみにさ、第62回から、もう何年も前だけど1回ニーチェやってるじゃん。
やってる。
なんかそれを聞いた方だったりとか、タイトルがある程度覚えてる内容でいいんだけども、今回したことと違くないそうだなみたいなところもあるの?
もしくはおさらいみたいな感じももちろん含むと思うんだけど。
わからん。
わからんって。
ただね、その意味で言うと、めちゃめちゃ違うことを言うかっていうとちょっとわかんないですと。
ほうほうほう。
同じ形で同じ人で同じテーマで扱ってるからっていう感じなんだけれども、ヘーゲルの時もそうだけど、同じヘーゲルで扱ってもやっぱりそれまでの蓄積とか流れとか、
それこそ関東、フィフティ、シェリングでやった後のヘーゲルと、なんとなく関東から飛んでやったヘーゲルとって違ったんじゃないかなと思うんだよね。
今回のニーチェも、もしかしたら近寄りのことを言うかもしれないけれども、やっぱり切り口とか視点とか、あるいはそこにつながってくる話っていうのは変わってくるかなと思うし、
あと受け手のほうだよね、多分僕だけじゃなくて聞いてくださってる方も、もちろん今回初めて最新回で聞いてるっていう方もいらっしゃれば、
第1回から聞いてるよみたいな、あるいは好きな人をつまみ食いしてるよっていろんな方がいると思うんだけど、
その人のいろんな文脈の中で、同じ本読んでもさ、やっぱり時によって受け取り方が違うみたいなのってあるじゃん。
それがお互いに起きてると思う。僕も多分同じことを言うけど違うふうに言うし、
受けてる方も、もしかしたら同じ神は死んだっていう言葉についてこれから聞いていただいても、全然違うことを感じるかもしれないし。
なので、普通に手を抜いてるわけじゃなくて、もう一回、前回62回から300回分ぐらい経た観音が、観音ハヤトが改めて任意地を取り上げてますよっていうような感じで思ってもらえるとうれしいですね。
はいはい、なるほどなるほど。確かにそうだね。このラジオに限らずさ、一回で聞いて覚えられるものなんてないから。
そうそうそう。普通に言ってるけど、21回やりました、じゃあこれ21回完璧ですよねって絶対にならないから。
だから、21話ラジオ作らなきゃダメじゃんみたいなね。それでも終わんないよっていうね。
そうそうそう。いつも言ってるけど、だって21話の研究を何十年と死ぬまでやってる人が何人もいるっていう世界なわけなんだから。
この2000年代も、21話の新しい論文がどんどん出てて、まだ議論が起こってるっていう世界だから。
なるほどなるほど。確かにね。高々に2回シリーズやったぐらいで、どこまで語れるかだったりとか、しかも周りに素人がやってるってことも含めてみたいな。
そうそうそうそう。っていう感じで楽しんでいただけると嬉しいですし、たぶんまた2、3年ぐらいに21回やってると思うんだけど、その時はその時はたちが21回になってるんじゃないかなって思います。
いやーなるほど。愚問でした。すみません。
いや、とんでもない。
前回の21は覚えてもいないのに、前回と何が違うんですかみたいな。違いを言われてもたぶん間違い探し2点ぐらいだと思う。
確かに全然見つけられない。チェイゼリアの間違い探しみたいなね。難しすぎるみたいな。
全然ね。わからん。
確かに。
そうですね。なので、そこも含めて楽しんでもらえればという感じでもあるんですけれども、なんでこの言葉がっていうと、
「神は死んだ」の言葉の意味とニヒリズムへの繋がり
1、わかりやすいからっていう話と、やっぱりさっきも言った通り、この言葉にもすごいいろんな兄ちゃんの考えが含まれてるんですよね。
もう神が死んだね。
僕らは聞くと、そうだよね。要はキリスト教的な世界観から変わっていって、神っていうのは信じられなくなったんですよね。
科学が発展して、神っていうものがなくても、世の中のことを理解できるようになったんですよね、みたいな感覚もあると思うんですよね。
それはそれでもちろん正しいというか、そうなんだけれども、その奥にもっといろんなメカニズムだったりとか、
こういう捉え方があるよねっていうことを言ってるから、やっぱ兄ちゃんすげえなとか、兄ちゃん確かに言ってることなんか聞く価値あるかもな、みたいなふうになるわけなんですよね。
なるほど。はいはいはい。
一つは神が死んだっていうことと、あとこれも兄ちゃんにつながると思うんですけど、ニヒリズムだよね。
よく虚無主義とかって言われますけれども、神が死ぬこととニヒリズムになるっていう構造って、ちゃんとつながってるんですよね。
なのでこの2つっていうものをちゃんと理解できると、兄ちゃんってなんとなく言葉だけ知ってるけど、そういうことを考えてたのね、みたいな感じが伝えるかなと思うんで、
そこをお伝えしていこうと思ってますって感じなんですよね。
ニーチェへの個人的な思いと「神は死んだ」の引用
はいはい。そうね、改めてね。確かあれだもんね、早いとこう、結構それ哲学者を始めた時に、このニーチャーをやりたかったんだぐらいの感じだったもんね、確か最初のニーチャー。
そうそうそうそう。
そんぐらい好きというか、印象に残る哲学者ではあったんだろうね。
そうだね。なんか前も言ったかもんだけど、やっぱり一番最初にちゃんと読み通した哲学者の本がこのニーチャーの哲学者だったりとか、
あとやっぱり若い時、20代の時ではね、やっぱり世の中つってるとか、なんか俺は違うんだとかって思いがもっと強かった。
ちょっとかずいてた時は、やっぱりそのニーチャーの世の中に切り込んでいくみたいな感じとか、
お前らもっと頑張れよ、なんか俺はこんなにやってるんだぞみたいな、ちょっとそういう暑さがすごいはまった時期があって。
あーなるほどなるほど。
今もうちょっと自分も落ち着いたから、ニーチャーさんもうちょっと落ち着いていいっすよっていう感覚なんだけれども、やっぱりそこに火を灯してもらった感覚もあるから。
あーなるほどね。そういう時代って結構相性がいい哲学者でもあるのか。
そう思うね。
熱量みたいな。
そうそう熱量はすごい高い。どんなふうに高いかみたいな話でいくと、もっと言うと、この神は死んだってなんじゃいと、ニーチャーがそう言ったんですかみたいな話でいくと、近いことを言ってはいるんだよね。
よくあるじゃん、この人の言葉ですとかタッチフレーズですって言いながら実は言ってませんでしたみたいなやつあると思うんだけど、
ニーチャーは実際そういうことを言っていて、実際どんな感じかっていうと、喜ばしき知恵ってこれも本のタイトルがあるんですけど、哲学書なんだけど論理立ってるっていうよりは、いろんなアホリズムとかって言うんだけど、そういうちょっと詩っぽい言葉、短い言葉がわーって書いてるのが本なんだよね。
そんなふうに書いてるものがあって、神は死んだってどういうことかっていうと、どんなふうに書いてるかっていうと、真っ昼間にね、当時明かりを灯して市場を駆け回っているんですよ、人がね。
その人が、私は神を探しているって叫び続けてる狂人がいますと。神を探しているってね。
そう、昼間なのに明かりを持って探してると。
そうそう、狂ってそうでしょ。神はどこへ行ったのだと彼は叫んだと。それに対して、神はどこへ行ったのだと彼は叫んだ。
お前たちに教えてやろう。お前たちと私が神を殺したのは、お前たちと私が神を殺したのだ。我々全員が神殺しなのだ。
っていうふうな言葉があるんですよね。
これ哲学書にての本の言葉です。
強いね。
強いでしょ。
これ20代とか10代の思春期に読んだら、結構当てられそうな気しない?
当てられ方によっては危ないよな。
そうそう、危ない危ない。そうなんだよね。
「神」の概念と「神は死んだ」の真意
もちろんこれは神を実際に殺したってことじゃないのは、皆さんもわかるとは思うんですけれども、神っていうのも宗教的な、キリスト教の神がいなくなっただけじゃないんだよね。
そうなんだ。
ここでいう神っていうのは、前回のホイール爆破の時にも話したと思うんだけれども、人間の崇高さとか、愛とか、平和を求める心とか、そういうものが良いものだとした時に、
それの究極形とか真理とか、何ならもともとイデアだったりもするんだけど、そういうような、やっぱり人間とは違う世界にあってそれを求めるべしと言われているもの。
あるいは世界の目的とかもそうだよね。平気を言うところの、世界はこういうふうに発展していくんだっていう究極形っていう、こういうものを神として象徴してるわけなんですよね。
っていう時に、僕ら生きる中でこれを信じれば大丈夫とか、こういうふうに歴史は進んでいくんだっていう、そういうものがなくなりましたっていう話をしてるんですよ。
今の時代にも、それこそ大きな物語がないとか、共通で信じられる、それこそワブルだったら、どんどん日本は豊かになって株価も上がってハッピーなんだみたいな物語があったとか、
そういう全員が共通、国民として一定の人が共通化できる物語があった時代ではもうないよね、みたいなことってよくよく言われたりするんだけれども、そういったものを象徴して神っていうふうに呼んでるわけなんだよね。
おー、なるほどなるほど。なんとなくキリスト教の神様って想像しちゃうんだけど、そうじゃないんだね。
そうそうそう。それにまつわる僕らが正しいと思っていることとか、目指すべき価値観っていうものが全部殺された、無意味化されているっていう話なんだよね。
おー、はいはいはい。
じゃあなんでって話なんですよ、これが。
神を信じようとした結果、神を殺してしまった構造(科学)
まあそうだね。
そうそうそう。現状分析で確かにみんな何か信じたよねとか、物語なくなっちゃったよねっていうことじゃなくて、それの本質がどこにあるのかっていうことをやっぱり兄ちゃんは考えていくんですよ。
で、それは何かっていうと、もちろんいろんな話はあるんだけれども、今日ね、一個取り上げたいのが、神様を殺したっていうのは、実は神様への、特にキリスト教だけど、そういう神様に誠実であるとか、それを信じきるっていうことが実は神様を殺したんだっていうふうな話があるんですよ。
おー、そうなんだ。
あー、いらなくなったとか、信じられなくなった。その、犠牲が増えて信じられなくなったとかじゃないんだ。
そうそう、じゃなくて、要は疑ったからじゃなくて、信じ尽くそうとした結果信じられないことが見えてしまったって感じなんだね。
どういうことかっていうと、これもいろんな話があるからとりあえず2つ話すんだけど、やっぱり1つは科学ですよね。
自然科学とかの話って、ニュートンとかさ、いろんな話があると思うんだけれども、少なくとも、彼らってやっぱり世界の本質を解き明かすっていうときに、それが神の説理につながっているとか、神が作った世界を信じたいっていう動機があったみたいな話ってあるじゃないですか。
あー、もともとね。
そうそう、もともと。
っていうときに、やっぱり彼らはこの世界が本来完璧であるはずだとか、それを自分が証明してみたいっていうところから、どんどん理性を働かせて世界を分析していくんだけれども、そうするとなんか違うとか、なんかおかしい。
それは例えば神様、要は聖書とか教会が言ってることと違うみたいなこともあるだろうし、なんかどこまで頑張ってもずれがあって美しくないとか、っていうときに、要は神様が強い時代ほど、これは人間がおかしいんだ。
本当は世界は深淵の綺麗な世界なはずなのに、なんか歪んで動いてるとか、そういうことを考えていて、やっぱり人間がおかしいんだっていうふうに思ってるわけなんですよね。
でも、それはじゃあおかしいんだからもっと頑張らなきゃ、もっと頑張らなきゃって突き詰めていった結果、これどこまでやっても正しいはずなのに、ばんまりにならないぞと。
もしかしてこの世界ってまんまるじゃなくない?っていうことになってるわけなんだよね。
うわー、そうか、そういう構造か。すごいね。
この美しい神の世界をちゃんと理解したいっていう目的から、自然科学みたいなものを突き詰めていったときに、それの強ければ強いほど、そうじゃないことに気づいてしまうっていう恐ろしい状況で、その純粋さが有意義っていうね。
そうなんだよね。
わー、はいはいはい。
ただ、今リケーターさんがさっき言ってくれた通り、理性が発達して疑って神なんかいなかったんだじゃなくて、神を信じるために理性というかそういったものを働かせ続けた結果、やっぱり信じられないというかちょっとズレがあるんだけど、果たしてこれはどっちを信じたらいいの?っていうところに行っちゃうんだよね。
神を信じようとした結果、神を殺してしまった構造(宗教)
わー、すごいね。そっかそっか。なんかさ、もう生まれた瞬間、その理性っていう概念がね。
はいはい。
理性っていう概念が生まれた瞬間から、信仰とか神と対立する概念として捉えちゃった気がするんだけど。
はいはいはい。
これ面白いね。
そうなんだよね。つまり理性っていうのは、以前カントとかの時言ったかな?デカルトもそうなんだけど、基本的には啓蒙の光なので、より適切に世界を見通す、イコール神様と繋がるためのやっぱり働きなんだよね。
おー、はいはいはい。
だからデカルトもさ、その会議主義とは言いながらも、我を思う上に我ありって思うところから始めて、最初に神の証明をするんですよね。
いやー、知ってた。
存在証明。
最近は忘れたけど知ってたよね。
これ多分デカルト会の時にやったんですけど、つまりこの人間の理性でもって神の存在を証明したということは、神様っていうものがやっぱりいたんだっていう、そういう世界観を空虎にしたいわけなんだよね。
だから僕らは単純に理性とか人間がいろんなことを知り始めたから神様を疑ったんだよねっていうことじゃなくって、
神様がいるはずだ、いるはずだ、いるはずだってずっとやってたのに、なんかいないのかもみたいな。
これは人間の理性を疑うべきなのか、神の実際を疑うべきなのかっていう、そこまで追いやられちゃうっていうか、自分で行き着いちゃうんだよね。
はいはいはい。とんでもない結果しか出ないぞっていう、何回やっても。
そうそう、そうなんだよ。これがいわゆるさっきの引用した、俺とお前たちが神を殺したんだと。
つまり、神様を信じない人が増えてきたってことじゃなくって、神様を信じれば信じるこそ、神を殺すってことに期待をしたんだっていう、そういうことを兄ちゃんは言うんだよね。
わー、すごいね、それは。
結構さ、呼ばれた方からしたらさ、うってくるよね、これね。
まあ、そうね、実際にその実践というか、やってる人からすればするほど否定できないよね。
そうそうそうね。というのがあるんで、神を殺したっていうのはそういうことなんだと。
要は神様に向き合いたい、本当に神様のことを誠実に捉えたいと思えば思うほど、そういうふうになってしまったっていうのが一個あるのと。
プロテスタント化による個人の努力と神の価値の相対化
あともう一個は、宗教側の変化があって、カトリックからプロテスタントみたいな流れを言うじゃないですか。
要は、神・教会・人っていう三相構造。
神様とつながってるのは教会だけで、人は教会の教えを聞くしかありませんっていうふうな世界から、
神と人、個人が直接つながりますっていう世界への変化なわけなんだよね。
そうだね。いわゆる聖書も自分で読めるようになったし、むしろ読みなさいっていうふうになった感じだよね。
そうですそうです。出版技術が発展してとかっていうふうな感じなんだけど。
もちろんこれも単純化しすぎてるかもしれないけれども。
これも前回やったの、キルケゴールさんっていう人、覚えてるかな。
名前にはほとんど覚えてないようです。
人名として。
彼もまさにこの1800年代の人なんだけれども、彼が問題にしたのは、神と自分がどうつながるのか。
要は神と人間は断裂されてるはずなんだけれども、なんとかつながって、本当に神の秩序とかそういうものでいきたいと。
その中で現在とかっていうものでつながってるとかって話をした記憶があるんですけれども。
はいはい、現在の人か。
これはやっぱり面白くて、
本来なら神の御徴を僕らが受け取るとか、
それをクオーカイが橋渡ししてくれるって言うと、
しかも死体は神じゃないですか。
神様のお墓示しで我々はその光を少しでも受け取らせていただいてるって感じなんだけど、
神と自分がつながるって言ってしまうと、努力を押し出すじゃないですか。
その御徴をもらう努力ってこと?
もらう努力とか、どうしたら神とつながれるのかとか、
どうしたら神様の本当の言葉、要は聖書を読みますと。
でも、聖書の奥に神様の本当の意思というか、それが表現されてるわけじゃん。
でもそれを正しく理解できない自分とか、
それをどう解釈していいか迷う自分とか出てくるわけだよね。
そうなのか。
教会で僧侶がいれば僧侶の人に聞いて、これはこういう解釈ですよとか、
こういうふうに理解しなさいって言われて、はいわかりましたでよかったのに。
自分で伝わるとすると、やっぱり解釈したくなったりとか、
どうしても世の中一般の理解と自分の理解が違うとか、
あるいはこんなにも神を信じてるのに、なんかうまくいかないとか。
そういうことがいっぱい出てくるわけですよね。
なるほどだし、今話したいと思ったのが、
ぜひキンスト教は、本に書いてるか知らないけど、
その教会とかの扱いとか、プロテスタントはいろいろあると思うんだけど、
教会があるのかないのかとかさ。
なるほどね。
そこわかんないからさ、プロテスタントでもなんとなく日曜日に行って、
ボクシーさんも、その名前も確か違うじゃん。
はいはい、そうね。シンプルさんとボクシーさんとの違いみたいなね。
そういう的な人から話が聞けるのか聞けないのかでもまた違うかなと思ったし、
話すのももしかしたら違うのかみたいなね。
はいはいはい。
確かにね、リアルなところまで確かに見えてはいないから、確かに聞いてみたいなと思ったけれども。
ただ、そういう話だよね。大まかにプロテスタントと、
そうそう、枠組みとしてね。
カトリックを比べると、どうしても個人的に神と繋がらなきゃいけないっていうのが、
プロテスタントの大きな脱なというか、態度の荒い議会だよねって話だよね。
そうそうそう、繋がらなきゃいけないというか、そういう問いが出てくる。
で、キリケゴールがまさにそういったところをやりだって、
いろんな死に至り甘いとかそういうのを書いて出したよって感じなんだけれども、
そうすると、さっきの話と同じで、より切実に神と繋がりたいとか、
より本気で神を理解したいって思ったときに、自助努力が出ちゃうんだよね。
自分の力でっていうのは出ちゃうんですよね。
そうすると、神に全部預けてたはずなのに、
自分が努力をすることで神と繋がってなっちゃうと、
どんどん自分の重みが増すじゃないですか。
おー、確かに。
で、そうすると相対的に神の重みが軽くなっちゃうんだよね。
おー、なんかさっきの自然科学と同じような話になってきた。
そうなんだよね。
どっちも神様を切実に願えば願うほど、
なんか知らんけど神様の重みが下がってしまうっていう、
そういう逆説的なことが起きてるよねっていうことを言うんだよね。
そこ下がるんだ。あー面白い。
確かに下がるか。
仏教との比較とニヒリズムの構造
今、勝手に脳内で、
いわゆる定座部仏教の修行、
自分があらかになるのだ、自分が悟るのだっていう修行との対比で、
勝手に脳内でシミュレーションをしてたんだけど、
神様がいるバージョンと、神様がいなくて自分が悟るのだバージョンで、
なんかそういう挙動の違い確かに生まれるのか?みたいな。
なるほどね。
例えば、あらかんとして悟った人がさ、
俺めっちゃ苦力した、俺めっちゃ頑張った、俺が偉いのだなんて言ってたら、
たぶん悟ってないじゃん。
まあそうだね。
だけど、さっきの神様と繋がるレベルで言うと、
もう俺めっちゃ努力したし、こんなにやってるから俺神様と繋がれたのだ、イエーイって言っても、
それを自己批判する構造確かにないのか?みたいな。
はいはいはいはい。
むしろそれが賞賛されそうみたいな。
あの人めっちゃ繋がってる、すげー!みたいな。
確かになるのか?みたいな。どうなの?それ。
そこでまず、我々の定則仏教とかはなので、
我々はある種、あらかんどまりですと。
要はブッダ、ゴータマシッタルトの境地はもっと上にあって、
そこにはいけないから我々はあらかんという、
努力でいける最高位を目指しましょうっていうのがそもそもあるんだよね、発想として。
だからそれは外から揶揄的に言われたんじゃなくて、自分たちがそれを自覚してるんだね。
そうそうそう。
で、大乗仏教はそれを乗り越えて、いやいや我々でもブッダになれる。
ゴータマシッタルトと同じとこまでいけるっていうのはそもそもの発想の違いだから。
はぁはぁはぁはぁ。
そう、っていう、
でもまあ、ブッダは神ではないけれども、
神的な理想を手の届かないところに置いちゃったのが定則仏教なんだよね。
すごく語弊があるけど、神と繋がるじゃなくて、神になるのだっていうのがある意味、近いのかな。
どっちの、どこの話?
仏教、仏教。
神にはならないよ。
ならない。
だってブッダはもう遠いところにいて絶対になれないから。
あと定則仏教でいうとね。
大乗仏教は?
大乗仏教は、なる。神になる。
神というか、ブッダの境地に至ることができる。
だからまあ同列にはなるぐらいのイメージってことはね、そこと繋がるとかじゃなくてね。
だから、それに対して何世代、その人生を何回もやり返してやるっていうところから、
いやいや我々一瞬で仏になるんだっていうところまで、いろんなバリエーションがあるのが仏教だよね。
はいはいはいはい。
っていうのがやっぱり仏の世界だけど、こっちのキリスト教的な世界でいくと、
ちなみに助烈もないからさ。
ここまでは神に近いとかってことじゃなくて、
神様という存在があって、そこと自分がどう繋がるか。
でも基本的には断裂されてるっていう、イデア界の世界だから。
っていう中で、でも繋がりたいっていう風な構造なわけだよね。
やっぱそれが繋がれる感触があると、さっきハヤトが言った、
繋がれる俺すげえにやっぱりどうしようもなってちゃうみたいな。
繋がれる俺すげえというよりは、繋がるためには自分を変えなければならぬっていう、
自分がっていう方にベクトルは向いちゃうんだよね。
でも神様に救っていただくとか、
救うじゃない、神様の恩情を受け取るとか、
神様が言ってることを聞くっていう、自動的な態度じゃなくて、
自分から神に近づいていくとか、
神の言葉を自分が理解できるようになるっていう、
そういう自分っていうものがどんどん大きくなっちゃうんですよ。
なるほどなるほど。ちょっとわかった気がする。
カトリックと言うか、いわゆる偉い人の言ったことを守っていれば、
天国への扉は閉ざされませんよぐらいの感じが良かった。
そういうこと。だから考える必要がないんだよね、自分で。
むしろ考えちゃダメだよね。聖書ももちろん読ませてもらえないし、
アクセスできないし。
物理的にも読めないし、みたいなね。
何語か読めないんだね。
そうそうそう。ラテン語とか多分いろいろあるけど。
なるほどなるほど。そこを自分で学んでいかないとダメなのか。
学んでいけるようになったことによって、
自分がもっと理解できるはずだとか、
自分の解釈っていうものを研ぎ澄ませられるはずだっていう、
さっき言っただよね、もっと世界を理解できるはずだとか、
もっとまんまる深淵に近づけるはずだっていう、
そのはずっていうものを追いかけてしまうっていうことが起きちゃうんだよ。
そうかそうか、ごめんごめん。俺すげえみたいな話しちゃったけども、
これさっきの自然哲学を純粋に追い求めた人と同じで、
純粋にそういう風にやるっていう挙動が生まれちゃうよって話か。
精実さんだよね、ベースになるのは。
だから承認要求的な、俺すげえじゃなくて、
あの人すげえじゃなくて、純粋につながるっていうものが、
インセクティブとして構造的にできちゃうっていう話で。
結果的に努力する道が開かれちゃうから、
努力をやり続けた結果、まさに絶望に至ったりとか、
繋がれないってことに気づいてしまったりとか。
なるほど、ごめんごめん。ちょっと冗談みたいな感じで遠回りになっちゃったけど。
なるほどね。
でもそういうことそういうこと。
っていうところを行き着いてしまうと、
やっぱり神を本当に信じて、
その世界を見出そうとしていた人ほど、
神を殺してしまうというか、
それがもしかしてないんじゃないかというところに行き着いてしまうっていう、
そういうことを兄ちゃんは指摘したんだよね。
ニヒリズムの定義と「末人」の概念
すごい、だから自然的に考えたらちょっと、
めっちゃ頭いいというかさ、
学術的な人じゃないとダメそうだけど、
信仰を純粋に突き詰めるっていうのは、
誰でもできそうだもんね。
そうそうそう。
新人深い人ほどやっちゃう。
だから僕らは神が死んだっていうときに、
まさに理性的な理論的なことが発展していった結果、
合理的に神というものを排除できるようになったんだ、
みたいなイメージしがちなんだけど、
全然そうじゃなくて、
合理を突き詰めて神を表現しようとした結果、
それができないかもしれない、
こんなにも努力したのにっていうことに打ち当たってしまって、
結果的にこんなにも信じていたのに、
もしかしていなかったのかもっていう、
そういうところに放り投げられるわけだよね。
それがあれか、
どのルートから登ってもそうなっちゃうみたいな感じ。
神と真摯に向き合えば向き合うほどね。
この放り投げられた状態のことをニヒリズムって言うんですよ。
へー、そうなんだ。
つまり、神の価値、人間の最高の価値、
愛でも平和でもいいんだけど、そういうことを預けたじゃん。
前回フォイエルバッハが言ってた通り、
そういった人間にあるいいものを外に出して預けたものが神だとすると、
その神を信じていればよかったわけですよ、簡単に言うとね。
ここに人間の幸福とか最高のものがあるわけだから、
それを求めて生きてればよかったんだけど、
それが今突き崩されてしまって、それがなくなっちゃったじゃない。
その状態のことをニヒリズム、共主義って言うんだよね。
わー、そうなんだ。
うん。
だからなんとなく、世界には意味がないとか、
生きててもしょうがないよねっていう態度じゃなくて、
これ前回のショーペンハウンの悲観主義と一緒で、
要は構造的に、神を信じ尽くせば尽くすほど、
僕らはニヒリズムに至ってしまうっていう時代に行ったんだっていうことをニーチャーが言ったんですよ。
わー、すごいね。
だからあれでもね、俺こんな貧乏で仕事もなくて、
旅なんていねーよっていうのが主義なんじゃなくて。
そうそうそう、俺の人生虚無だじゃなくて、
信じたくても信じれない、
信じたくて仕方がない、その価値をどうしても信じられなくなってしまったっていう、
その絶望なんだよね。
そうだね、信じれば信じるほど信じられなくなっていく可能性が高まっていくっていう。
面白いね。
そうそうそう。
すごい偽世話の例えだけどさ、
例えば恋愛してて相手のこと好きだけど、
離婚しちゃったら他の女と歩いてたみたいなさ、
他の男といたとかってなったらさ、もう信じられないじゃん。
はいはいはい。
虚無主義です、それは。
え、それ嘘?
それは構造的にニーチェの虚無主義と違くない?
信じれば信じるほどさ、やっぱりさ、
本当は見なくていいのにスマホ見ちゃったりとかさ、
本当は行かなくていいのに尾行しちゃったりするわけじゃん。
神様はそんなことするか。
真実を明らかにしようという切実さだからね。
はいはいはいはい。
本当は私のことを好きなはずなのにみたいな。
でもそれを確かめようと思ってスマホ見ちゃったら、
なんかLINEがあるみたいなさ。
なるほどなるほど。まあまあまあそうだね。
アイドルはトイレ行かないみたいな話か。
それだとトイレ覗きに行っちゃうから。
一生懸命もそうね。
そういうことだよね。
要は確信を持てば持つほど確かめようとしてしまって、
で、確かめる術があればあるほど疑いを持ってしまうっていう、
まあそういうループだよね。
だから本当は確かめる術なんてなくて、
そのためのアクションとか理性とかがどんな方が良かったのかみたいな、
そういう声が出ちゃうわけですよ。
そうだね。
確かにその見たくない瞬間を見た時に後悔するよね。
そもそも知らなきゃよかったのに。
知らなきゃよかったっていう。
でもそれって後だから言えるし、
じゃあ例えばだけどキリスト教が、
いやプロテストなんて実はいらなくて、
我々はずっとカトリックでよかったのだって言えますかって話なんだよね。
それはそれでね。
そうそうそう。
っていうふうな話になっていくんだけれども、
じゃあこのニヒリズムがどんな状態かって言った時に、
その時に人間はどうなりますかって話もしてるんだよね。
気づいちゃった人たちね。
気づいちゃった人たち。
この話は面白いんだけど、
さっき絶望って言ったんだけれども、
この絶望っていうのは、
もうおしまいだとかじゃないんですよ。
じゃなくて、
だったらもうこの世界には意味がない、
虚無主義だってなったわけじゃないですか。
絶対の目的とか理想はないと。
人はどうなるかっていうと、
穏やかになるんですよね。
穏やかにっていうか、
信仰に気を使いますとか、
他人と摩擦を起こさずに、
人を疑わずに、とりあえず生き抜きますっていう。
そうなの?
そういうふうに人はなるんだっていうふうにニヒリズムは考えるんですよ。
そうなんだ。
これ末陣って言うんだけど、
末陣ってあの末。
末陣、末の末に人っていう。
面白いのは要は、
絶望、仮にだよ、
もうおしまいだってなったら、
もしかしたらどうしようっていうことを考えてるかもしれないじゃん。
そうじゃなくて、末陣たちはそのニヒリズム、
神様とかの人間の理想がなくなった世界で、
私たちは幸福を発見したって言うらしいんですよ。
ニヒジに言わせると。
つまり、何かを目指す必要もなく、
なんとなく生きてる中で、
日々穏やかだし、
飢えるほど苦しくもないし、
めちゃめちゃお金があるわけでもないけれども、
それなりに楽しく生きてるじゃんっていう。
それで一生を終えるんだっていうふうに言うんだよね。
これ何が悪いのって思わない?
それ別にいいじゃんって思わない?
ちょっと悟りっぽい感じもあるし、いいんじゃない?みたいな。
そうそうそう。
思うんだけれども、ニヒジに言わせると、
これはつまり、
神を殺せしまったっていう現実に向き合わずに、
ただただ日々を過ごすっていう。
それって要は何ていうのかな、
何にもしてない。
要は生まれたのに、ただ死んでいくだけで、
それこそ言ってみたら、動物と一緒というか、
動物に申し訳ないけれども、
そういうふうな人間になってしまうねっていうふうに考えるんだよね。
なるほど。それが虚無主義状態?
虚無主義の中に生きる人間、
虚無の中に生きる人間の状態。
はいはい、が末人ね。
そうそうそう。
ニヒジに言わせると、
能動的ニヒリズムと自己創造
そういう小さな幸福、日々平穏で、
毎日それなりの楽しさがあって、
まあしんどいこともあるけど、まあまあ生き抜きましたよっていうことは、
これニヒジに言わせると、ニヒジに言わせると、
それはもう人間のおしまいの姿なんだっていうふうに言うんだよね。
面白いね。ちょっともしかしたら先取りになっちゃうかもしれないけど、
例えば神様ダメだったわーって、
なんか別の目標とか立てちゃうと、
なんか同じこと起きそうだよね。そっちで。
いいね。それはまさに先取りになるんだけど。
だからいいんじゃないかなと思うけどね。末人の目標が。
つまり今の話はニヒリズム、虚無主義っていうものを受け取ってますって話なんだよね。
ニヒジがさっきさ、僕冒頭で結構刺激的だよとか、熱があるよって言ったと思うんだけども、
やっぱりそういう態度を、自動的な態度はニヒジはすごい嫌うんですよ。
なるほどね。
例えば神様の御徴だと受け取ってましたっていうこともやっぱり嫌だし、
ニヒリズムになりました。
じゃあそれはそれで我々楽しく生きていきますねっていう、それも自動的じゃない。
はいはい、そうだね。
的にその態度の人間っていうものをニヒジはめちゃめちゃ嫌うんですよ。
おー、わー、面白い、なるほど、そっか。
別の目標に向かって行くのも神様を純粋神経行為に、
同じことを繰り返しになっちゃうかもって言ったけど、
そのニヒリズムに浸ってるというか、
末尽状態でいるのは、今日の例で言うとカトリックだよね。
何も聖書も読まずに祝いたことをただ守ってるだけの、
自動的な状態。だからどっちもフラップの状態じゃない、
フラップというか、どっちがダメなんだ。
そうそうそう。国がいてその目的を受け取るのも、
神がいなくなって目的がないということを受け取るのも、
人間の態度としては一緒だから。
お前ら変わんねえじゃんと。
変わんないんだ。
もっと言うと、その意味を殺してしまった、
うわー俺はどうしたらいいんだってなる人が初めて、
能動的にやってくるんだよね。
わー、なるほどね。確かに、分かんないけど、
どっちもダメだってのも分かって面白いね。
なるほど。
そうそうそう。だから、さっきの例で言うと、
例えば恋愛の人の例で言うと、
そこで他の男とか女といたらもうダメだ、別れて、
次のもっといい男を探すみたいなのが、
まあまあ能動的じゃないですか。
能動的だけどさっきので言うと別の、あれだよね。
男を探すっていう目的になるから、
それはやっぱり同じ質問なんだよね。
だしまた同じ質問を味わう可能性もあるよね。
そうそう、ある。
まだ能動的っていうので、進んでますと。
一番ダメなのは、見たけど、いや私は見ていない、
そんなものはなかったって言って、
その状態が続いちゃうことだよね。
ああ、なるほどね。
受動的だから。
あとは、それを見たから別れても一生恋愛しませんっていうのが末人的?
うん。
それが何に向かうかによるっていうのがあって、
ちょっとこれ次の話をするんだけども、
自動的なニヒリズムだよね。
ニヒリズムっていう状態をただ受け取っている。
その中で何とかやっていこうよっていう話なんだけど、
そこに対して積極的や能動的なニヒリズムっていうのがあって、
つまり、世界に意味がなくなった神を殺してしまったらこそ、
私はこういうふうに生きるのだっていう、
それをちゃんと打ち出していくっていうふうなアクションがあるんだよね。
つまり、神以外の別の目的とか理想を受け取ろう、
探しに行こうじゃなくて、
その虚無のニヒリズムの世界に、
自分が生きる意味を自分で想像しようっていう、
そういう態度があります。
ニヒリズムっていうのは虚無とか嫌なことじゃなくて、
やっと人間が自分で自分の生きる意味を作り出せる時代になったよねっていう、
偉大な破壊と想像だみたいな発想なんだよね。
わー、なるほど。虚無主義。
前回のショーペンハウアーみたいに、人類はもう構造的に、
苦しみなさやね、そうそう。
悲観主義だから、もうダメだねーみたいな、どうしようねーみたいなじゃなくて、
ニーチャーそっから、だからこうするのだーみたいなのがめっちゃあるんだ。
むしろ、当時から主義からスタートなんだよーみたいな感じなんだ。
虚無主義。虚無主義っていうことに立って、初めて人間の想像性が本当の意味で、
開発されるというか、発揮されるっていう。
ニーチャーやばいねー。暑い。
暑さ伝わってきたよ。
暑いでしょ、すごいでしょ。
さっきの恋愛の例で言うと、他の男団がいたわ。
で、例えば、恋愛なんてそもそも、なんだ、
古いんじゃねーか、みたいな感じじゃなくて、
自分はそっちに依存するんじゃなくて、こういう風に生きるって言って、
ものすごい芸術をメンチとか、例えばね。
そういう風に、まあわかんない、それは芸術でもなんでもいいけど、
その人が信じる生き方になったとしたら、
それはニーチャーが言うところの自分で自分の人生を想像するってなるよね。
あー、面白いね。
別にそれで恋愛してもいいし、しなくてもいいし、みたいな。
芸術してもいいし、しなくてもいいし、何やってもいいんだけど、
ただその人が心からやるべきことをやっているっていう。
はいはいはい。
そんな感じかな。すごいキュってまとめて言うと。
ルサンチマンと今後の展開
伝わったね、そっか。
ただね、これだけだったら自己検出なんですよ、正直。
そうそう、そこは怖いなって思う。
そうじゃなくて、そういったとおり、
とはいえ世界はニヒリズム虚無主義で神は死にましたというときに、
どういうことかっていうと、既存の価値観とか、
それこそ愛とは何か、平和とは何か、善とは何か、悪とは何か、
これが全部ひっくり返るというか、
もうわちゃくちゃやってる状況なんですよね。
そうだね。
つまり既存の価値観の上でこれをやるべきって言ってしまうと、
それは何も乗り越えてないんですよ。
生きる上での価値観も全部作り変えて、
起こす始めて、創造できるっていうふうにニーチャー考えるんだよね。
すごいね、そうだね。
なので、ちょっとこれ次回になるんですけど、
ショーペ・ハワーはその恐怖みたいなところから、
お互い苦しみを分かち合うとか、
ある種倫理的な道徳的なところで、
世界をつないでいこうっていうふうに言ったじゃないですか。
まあまあ、責めても、みたいな感じだったね。
そうそうそう。
ニーチャーは最初、ショーペ・ハワーはめちゃめちゃ評価するんだけど、
それを乗り越えて、
道徳なんてものがあるからダメなんだ、みたいなことを言い出すんだよね。
はいはいはい。
それって既存の価値観じゃん。
同じだね。
イデアたちだね。
そう、イデアたちになるから。
じゃあ、我々が、
ある種、我々って当時の、
ニーチャーが見た同時代の人たちが、
頼りにしてきてきた道徳ってなんだって。
もっと言うと、善とか悪ってなんだっていう、
それを切り込んで解体していくんですよね。
やばいやつ出てきたね、本当に。
ニーチャーやばいのやっぱり。
ここでもう一個有名なルサンチマンということは、
覚えてるかな、ニーチャーのルサンチマン。
なんかよく覚えてる。
嫉妬みたいなやつだね。
あーそうそう、嫉妬とか言ったら、そうそうそうそう。
この嫉妬とかね、タイミングが何なのとか、
どういう文明が出てくるのっていうのを次回やることで、
ニーチャーが、神が死んだ、ニヒリズムの世界っていうものを、
立ち回りの再構成するとか、むしろより壊していく。
で、何なのっていうことをお伝えしていこうと思ってますっていう感じです。
まだ壊すんだ。
なんかダイナマイトだから、前回言ったじゃん。
私はダイナマイトであるって言ったじゃん。
もうさ、ここまででもう、
自分の中のそういう価値観全部壊れたと思ってたんやけど、
まだ壊れてない、壊されてない。
まだまだ残ってるよ。
生きてきた価値観を壊そうなんて、そんな簡単なことじゃないから。
簡単じゃないんだね、まだ壊すんだ。
簡単じゃないよ、まだまだ。
了解です。
すごいですよ。
私はハンマーであるとか、ダイナマイトであるとか、いろいろ言ってるらしいからね。
次回もちょっとそういった、次は道徳とか税学です。
これを打ち壊していきましょうって感じですね。
はいはい、わかりました。
次回ですね、ルサンチマンあたりですね。
その辺から何が壊すのがまだ残ってるとかですね。
そうですね。
その辺も楽しんでいきたいと思います。
では、続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
52:29

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