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日本語において、主語とは和がつく名詞だと思っている方もいらっしゃるかもしれません。
実際、和とか和がつく名詞が主語だという定義の仕方がされることもあるんですが、
少なくとも和が表しているのは主語ではなくて主題です。 あるいはトピックと言われることもあります。
和に比べたら、がの方がまだ主語の定義に使えそうですけど、
だからといって、ががつく名詞がいつでも主語を表すというわけでもありません。 微妙な例はたくさんあって、
水が飲みたいと言った時のこの水というのは果たして主語かとかね、そういったことが問題になります。
こういうふうに日本語の主語っていうのは、 和とかがとか、そういった特定の助詞がつくものだとは言えないんですね。
そういうふうな定義の仕方はできません。 主語っていうのは結構奥が深いんですよね。
今回は助詞の和について、さっきも言ったように主題トピックを表す和についてお話ししていこうと思います。
BGM行け! 始まりました4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。失恋ショコラティエです。
主題、トピックというのは、 話題と言ってもいいし、テーマと言ってもいいんですけど、
それについて話しますよみたいなことですね。 例えば、
太郎は朝早く出かけたといった場合、 太郎というのがその文全体のテーマであって、
朝早く出かけたっていうのが、要は説明というかね、 助述とか陳述と言われることもありますが、
太郎に対する説明となっています。 この一つの文におけるテーマ、トピック、主題っていうのは
必須の要素ではありません。 目の前に起こった状況を
そのまま助述する場合、雨が降ってきたとか、 財布が落ちてるとか、こういった場合は
和っていうのは出てきません。その文におけるトピックっていうのが、 その時点では存在しないからですね。
で冒頭お話ししたように、和っていうのは主語ではなくて主題を表しているわけですが、
和は主語を表しているというふうによく誤解されています。 これはある意味で仕方がないと言えば仕方がないのかもしれません。
というのが、主語イコール主題だということがあり得るんですね。 主語と主題っていうのは別に被っててもいいです。
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というかむしろ被っていることの方が多いかもしれません。 さっきの太郎は朝早く出かけた
ですけ、この場合も太郎はっていうのは主題であると同時に主語です。 この文がもし太郎が朝早く出かけたといった場合、
このががついている名詞が、つまり太郎が主語であって、 この文には主題がないということができます。
ここでポイントとなるのは、和とがっていうのは レベルが違う助詞なんですよね。
和っていうのは係助詞、 がっていうのは格助詞と言われて、本来レベルが違うものなんですけど、
ただ、和とがっていうのは一緒に出てくることができないんですね。 要は和の下にというか裏にがっていうのが隠されているような、そんなイメージで。
で、同じことはをについても言えます。 をっていうのも和と一緒に出てこられなくって、
ステーキはもう食べたとか言った場合、このステーキっていうのは目的語です。 目的語であり主題です。
この場合もステーキをもう食べたっていうのに 和が覆いかぶさって
ステーキはもう食べたとなっています。 これが例えば文語とかだったら、おばっていう形があって、
森鴎外の舞姫の冒頭に石炭おばっていうのが出てきますけど、 あれは格助詞のをと係助詞の和が出てきて、
オーバーでちょっと連濁してますけど、 文語だったらをと和は一緒に出てこられたんですが、
現代日本語、話し言葉の共通語では、おーわーという言い方はできません。 つまり、がとおーわー、わーで隠されてしまうということです。
これが他の助詞であれば一緒に出てきます。 他の格助詞であれば、
病院には行ったとか、
日本では認められていないとか、 にはとかではっていうふうに格助詞の後にはっていうのが出てくるんですけど、
がわとかおわっていう言い方はなくって、 和だけになってしまうので、
それが結構混乱の元かもしれません。 つまり、主語を表しがちながっていうのが和で
隠されちゃうので、和っていうのが主語を表していると。 そういう誤解を生んでるんですよね。
ただ、今まで挙げた例からわかるように、 目的語にも和っていうのはつくし、
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他にもにはとかではとか、他のものにも和っていうのはガンガンつゆゆくものなので、 やっぱり和っていうのは主語を表しているわけではない。
主題、トピック、テーマを表しているんだということです。
和というのは主題、トピックを表すもので、 そういう主題とかトピックっていうのは普通は一つの文で一つしか出てきません。
つまり一文の中で和っていうのは 普通一回しか出てこないんですよね。
この例がわかりやすいかどうかわかりませんが、 松田聖子さんの赤いスイートピーという歌がありますよね。
その中で、なぜあなたが時計をチラッと見るたび泣きそうな気分になるの? という歌詞があります。
サビの前の部分ですけど。
これは一種の副文で、つまり一つの文の中に二つ文みたいなものがある。 ミニ文みたいなのがあるっていうような構成になっています。
主語がこの文では二つ想定されてて、一つはあなたですね。
時計を見るの主語のあなた。
もう一つは私というか聖子ちゃんというか泣きそうな気分になるの主語の私です。
こっちの方は主語は出てきてませんけど、 普通は私と解釈されます。
こういう副文で前に出てくる文、 ここだとあなたが時計をチラッと見るたびの主語。
あなたは、 和ではちょっと表れづらいんですね。
試しにあなたがをあなたはに変えてしまうと、 なぜあなたは時計をチラッと見るたび泣きそうな気分になるの?
こうしてしまうと時計を見るのも泣きそうな気分になるのもあなたという解釈になると思います。
つまり、あなたっていうのが全体の主題で、
で、後に出てくる助術というか説明は全部あなたに関することなので、 あなたが泣きそうになるとそういう解釈になってしまうんですね。
こういうふうに和っていうのは、 全てが全てではないですけど、副文には表れづらくって、
さらに和っていうのは結構パワーが強いというか、 もう最後の最後までかかっていくっていうか、
後ろの部分全体を支配するような、そんな力があります。
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ただ、和の力っていうのが常に最後まで及ぶかというと、そういうわけではなくて、
つまり、主説、後半まで和の力が及ばずに、 重俗説、前半の中で和の力が切れてるっていう、そういった例もあります。
いくらでもありますけど、その映画はつまんなかったから寝ちゃったとか、
その映画っていうのはトピックですけど、前半の重俗説のトピックです。
主説の寝ちゃったまでは、その力が及んでないので、 その映画が眠りについたという解釈にはなりませんよね。
この例で、からっていうのは、かなり独立性が高い重俗説とか言われることがあって、かなり文っぽいんですよね。
そういった場合は、重俗説の中で、その中での主題っていうのが現れることがあります。
その重俗説の文らしさっていうのと、この和っていうのは関わってるんですよね。
そのあたりの話はまたお話ししようと思いますが、
ひとまず今日は、女子の和というのは主語ではなくて主題を表してるんだということを覚えていただけたらと思います。
ただ、主語と主題っていうのはよくイコールなので、そのせいで混乱が起こってるとか、
あとは、がと和というのは一緒に出てこられないので、それもちょっと混乱のもとになってるというお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いいたします。
お相手はシガ15でした。