1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-07-09 10:36

#331 形、意味、現象、そして日本語の主語 from Radiotalk

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参考文献
『世界の言語と日本語 改訂版』 (角田太作、くろしお出版)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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こんにちは、志賀十五です。 今日も志賀十五の壺、始めていこうと思います。
今日のトークは、主語っていうものを考えていこうと思います。 主に日本語の主語ですね。
過去のトークでも、主語についてお話ししたものはいくらかあると思うので、見つけたらリンクを貼っておこうと思うので、
そちらも関連トークとして聞いていただけたらと思います。
主語。 一応、学校教育でも
この主語っていう概念は習うものではあるんですが、 説明しろと言われるとなかなか難しいところがあるのではないかと思います。
英語の場合の主語はどう考えるかというと、 動詞の一致を引き起こす名詞句と言っていいと思います。
まあ、でも大部分の場合は動詞の前に出てくるものと言っていいんですけど、
時々ね、そのゼアイズ公文みたいに b 動詞の後に
その主語が現れるようなものがあるので、
英語では一応動詞の一致を引き起こすものが主語というのが、
もっとも無難な定義ではないかなぁと思います。
日本語の場合、主語はどういうふうに考えられているかというと、 よく言われるのは、
「は」とか「が」がつくと主語だと。 まあこれはあまり良くない定義ですね。
あるいは、何かする人、するものが主語だっていうふうに、
なんていうかな意味の面から定義しようとしているものもあります。 これもあまり良くない定義なんですね。
主語っていうのは形や意味から定義できるものではなくて、
どちらかというと、 現象から定義されるべきものなんですね。
現象とはつまり、英語でいうところの動詞の一致を引き起こすみたいなものですね。
ただ皆さんご存知のように、日本語は動詞の一致みたいなものはないですよね。
主語が私だろうがあなただろうが彼彼女だろうが、動詞の形は変わることはありません。
ただ、日本語の主語もまた別の現象から定義することができます。
時々日本語には主語はないっていう言い方をする人もいますけど、 まあそれも一つの考え方だとは思いますが、
僕個人的には日本語に主語を認めるだけの理由っていうのがあるのではないかなと思っています。
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本題に入る前にですね、 なぜ主語は形や意味から定義できないのかっていうことをお話ししていこうと思います。
先ほど申し上げました通り、主語っていうのは 「が」や「は」がついたものとはとても言えないんですね。
まず「は」から見ていきますけど、この「は」がつくのは主語というよりは主題です。
カタカナだとトピックなどと言ったりもします。
確かにこの 主題と主語っていうのはかぶることは多いんですが、
私は本を読んだみたいにね。これは確かに「は」がついたものが主語ですけど、
本は私が読んだといった場合、これは目的語に「は」がついてますよね。
本は私が読んだっていうのを見て、 この文の主語は本とはならないと思います。
あるいは「が」がついたものも とてもじゃないけど主語とは言えないんではないかと思います。
これもやっぱり私が本を読んだみたいに言えば、 「が」がついたものが主語となっているわけですけど、
いつも主語は「が」でマークされるわけではありません。 例えば、私は明太子が好きって言った場合、
明太子は主語ではないですよね。 どちらかというとこの文では目的語に「が」がついています。
あるいは俺にはわかるって言った場合、 これは主語に「に」っていうものがついているように見えますよね。
こういうふうに考えると日本語の主語は 形から定義することはできない。
つまり何かがついていれば主語だとは言うことはできないんですね。 また意味の面からも日本語の主語は定義できません。
何かを行う人、ものが主語とは言えないんですね。 私は弟を殴ったと言った場合、これは確かに私というのが主語で、
何かを行う人を表しているのでいいじゃないかとなりそうですけど、 これは受け身文にしてしまうともうその理屈が崩壊してしまいますよね。
私は兄に殴られたと言った場合、 動作を行う人ではなくてその動作を受けている人の方が主語になっています。
あるいはさっきの俺にはわかるって言った場合の俺っていうのは何か 積極的に動作を行っているわけではないですよね。
まあこういったことがあるので 主語っていうのは意味から定義するのも少し苦しいということになっています。
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主語っていうのは形でも定義できなければ意味でも定義できない。
ならどうやって定義するかというと、冒頭申し上げました通り現象から定義するんですね。 その主語を定義する現象として、いくつかあるんですけどここでは2つお話ししたいと思います。
一つは尊敬語の対象になれるということです。 例えば先生はテレビをご覧になったといった場合、
このご覧になるっていう風に動詞の形を変えているのは テレビではなくて先生ですよね。
こういう風に動詞の形を変えることができる つまり尊敬語にできるのは主語だけだと言えます。
このことは主語ににっていうものがついていても一緒で 先生には生徒のことがお分かりになっているとかね。
あるいはこの先生っていうのが何か動作を行う人でなくても全然構いません。 まあちょっと厳しい文ではありますけど
先生がお殴られになったとかまぁ状況を設定すれば言えなくはないと。 こういう風に
主語の名詞についているものがはだろうががだろうがにだろうが あるいはその名詞が表しているのが動作を行う人であっても
逆に動作を受ける人であっても 主語であれば動詞の形を尊敬語の形に変えることができます。
これが一つ目の現象です。二つ目の現象は 文中に自分というのが現れたときにその自分とイコールの関係になれるのが主語です。
これも例文を考えてみればわかるんですが、 俺は弟に自分の本をあげたといった場合
この自分っていうのは俺を指してますよね。 弟を指しているわけではありません。
こういうふうに自分とイコールの関係になれるのは主語だけです。 これは主語ににっていうものがついていても一緒です。
あいつに自分のことがわかっているとは思えないといった場合 この自分っていうのはあいつとイコールなので
やはり主語についているものがにだろうがあるいはがだろうがはだろうが関係ない ということになります。
というわけで今までの話をまとめると まず主語っていうのは形からは定義できません。
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ががつくものとかはがつくものとはとてもじゃないけど言えません。 あるいは意味の面からも定義することはできません。
何か動作を行う人とかものとか こういった定義も受け身分みたいなものを考えれば不可能ということがわかると思います。
じゃあどうやって定義するかというと現象から定義するしかなくて 日本語の場合は動詞を尊敬語の形に変えるとか
文中の自分とイコールの関係になれるとか こういった仕方で主語っていうものを認めることができます。
やっぱりこういった特徴があるので日本語でも主語っていうのは まあ認めるのがいいんじゃないかなぁと個人的には思っています。
もっと広く言うと主語っていうのは何か動詞の形を変えるようなものと言ってもいい かもしれません。
日本語の場合は尊敬語に変えるし英語の場合は動詞を例えば3単元の s をつけるとかね
そういうふうに変えているわけなので ものすごく大雑把な定義をすると
動詞の形を変える名詞が主語と言ってもいいかもしれません。 まあ当てはまらない言語もたくさんあるとは思います。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。 また次回のトークでお会いいたしましょう。
ごきげんよう。
10:36

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