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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。Mr.Popoです。
今回は、主語と主題というテーマでお話ししていこうと思います。
主語っていうのは、これ言語学の歴史とした用語なんですけど、日常生活でもよく使われていると思います。
主語がでかいとかね、お前の話は主語がないとか。
もうちょっと踏み込んで言うと、日本語は主語を省略しているとかね、そういった言い方もよくなされます。
なされますが、この主語っていうのが正確に使われているかというと、使われていない場合の方が多いと思いますね。
まあね、難しいんですよ、この主語っていうのはね。
この主語というのに非常によく似ている概念として、主題というものがあります。
よく似ているんですが、言語学ではきっちり区別するものです。
この主題っていうものの方が主語よりも簡単というかね、かなりすっきりしているんじゃないかなと思います。
ので、主題の方からお話ししていきますね。
主題っていうのは、英語だとトピックと言われることもあって、これから何々についてお話ししますよっていうような、
そういったものを主題と言います。
あるいは急情報と言われることもあって、聞き手と話し手の間で共通した話題ですね。
まさに話題と言われることもあるんですけど、そういったものを主題と言って、
日本語では話で表されるものです。
話以外にも主題を表す方法はあるにはあるんですけど、おそらく。
とりあえず今回は話だけに絞ってお話しします。
例えば、日本は島国だと言った場合のこの日本話というのは主題ということになります。
日本っていうのがこの文章の話題ですよっていうね、そういったことになっているんですね。
こういうふうに日本語において主題っていうのは、まあ大まかに言って和がつくものと言ってしまっていいんですが、
一方主語っていうのは形の面で非常に定義しづらいものです。
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これはどういうことかというと、いろんな形で表されるもので、
和がつくものは確かに主題を表しますが、同時に主語を表していることもあります。
またあるいは、がというもので主語が表されることもよくあるんですね。
実際学校の国語では主語っていうのは和やががつくものだっていうふうに定義しているものもあります。
ただこの定義は全く良くなくって、さっき言ったように和がつくのは主題であって、
主語を表すこともありますけど、必ずしも主語ではないんですね。
どういうことかというと、私はパンを食べた。こういった場合、私っていうのはまず和がついているので主題です。
それと同時に主語も表しています。
が、必ずしも和っていうのが主題かつ主語を表すわけではなくって、
パンは私が食べたと言ってしまえば、このパンっていうのは主題でありかつ目的語であるということになります。
ということで、まず主語っていうのは和で表されるものというのはダメなんですね。
あくまで和で表されるのは主題です。
で、それは主語であることも多いですけど、パンは私が食べたみたいに主語以外のものも和で表されるので、
まず定義に使えないんですね。
では、がっていうのが主語を表すって言えばいいのかというと、これもダメで、
確かにパンは私が食べたにおいて主語っていうのはががついている私ですけど、
水が飲みたいとか英語がわかるとか言った場合のこのがっていうのは主語ではなくむしろ目的語を表しています。
和者の直感としてなんとなくそういうことがわかるんじゃないかなと思います。
水が飲みたいの主語は水だって言われるとどうでしょうね。
逆にがやはがついていなくても、別の要素がくっついていても主語を表すということがあります。
お前に何がわかるって言った場合、この主語っていうのはお前ですけど、
これはにっていうものがついてるんですね。
っていうふうにこの主語っていうのは和がつくこともあればががつくこともあるしにがつくこともあって、
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まあ形の面で定義するのは非常に難しいです。
ただ確かに和で表されることやがで表されることは数字の上では多いと思います。
また別の主語の定義として意味の面から責めているものもあって、
何か物事をやる人やるものを表すのが主語だ。
つまり、私はパンを食べる、こういった場合食べるっていう動作をしているもの、人、私っていうのが主語だ。
まあこういうふうに定義しようと、主語を定義しようとしているものもあるんですが、
これもダメで、というのが受動体っていうものがあって、
この本は多くの学生に読まれているって言った場合、読むっていう動作をしているのは学生の方なので、
主語っていうのは本の方ですよね。
で、こういうふうに考えると意味の面から主語っていうのも非常に定義しづらいということになります。
じゃあ主語って一体何なのかというと、
簡単に言うと特別扱いを受ける名詞、名詞句が主語と言っていいと思います。
この特別扱いっていうのはいろんなものを含んでいて、
言語によっては動詞の活用を促すもの、トリガーになるものっていう感じで、
日本語には当てはまらないですけど、
動詞が主語と一致しなきゃいけないっていう言語はたくさんあるんですよね。
一人称の時の動詞の形、二人称の時の、三人称の時の、あるいは単数複数とかね、
そういうふうに動詞の形が変わる要因となっている名詞が主語っていうのが一番シンプルだと思います。
ただ日本語の場合そういったものはありません。ありませんが、敬語っていうのが一つそれに近いと思います。
先生は本をお読みになる。
こういうふうにお読みになるっていう動詞の形にしているのは先生という名詞です。
これが本は先生がお読みになるといった場合、
お読みになるっていう風な動詞の形にしているのは、本はではなくてやはり先生がですよね。
あるいは先生に英語がお分かりになるといった場合も、
動詞の形を変える要因となっているのは先生にです。
まあこういうふうに、はとかがとかにとか、その名詞につく助詞が何であれ、
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見た目の話は置いといて、動詞の形を変える名詞が主語と言っていいんではないかと思います。
というわけで、一言で言ってしまえば主語っていうのは特別扱いを受ける名詞であって、
日本語に主語はないとかいらないっていう人もいますけど、
別に僕は認めてあげてもいいんじゃないかなと思います。
それはよく主題というものとごっちゃになりがちです。
確かに主題と主語っていうのは被ることもありますが、そうでない場合もあるので、
やはり別々に定義する必要があるものです。
今回の話は、過去に関連エピソードがあって似たような話をしているはずなので、
そちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー。