1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-11-19 10:17

#388 「が」はいかにして主語を表すようになったか? from Radiotalk

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“A History of the Japanese Language” (Bjarke Frellesvig, Cambridge University Press)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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志賀十五の壺です。今日のトークのタイトルは、「が」はいかにして主語を表すようになったか、これでいきたいと思います。
これね、音声配信している人は、たぶん後からタイトルを決める人が多いんじゃないかなと思います。
特に雑談系の人は、とりあえず喋ってみて、話した内容のハイライトっていうんですかね、そういったものをタイトルにすると。
僕みたいな、ある程度テーマがしっかりしてるっていうか、まとまった話の場合は、先にタイトルつけることもあるかもしれませんけど、
僕もどっちかというと後付けですね。タイトル後付け派です。
ただ今回はちょっとね、逆に、「が」はいかにして主語を表すようになったかっていうのも決めてしまって、それでお話ししていこうと思います。
ややタイトル固いんですけど、でも非常に面白い話だと思うんですよね。
主語って何なのか、目的語って何なのか、この辺の議論は面白いものがありますけど、
とりあえずざっくりと主語っていうのをみんながわかってるっていう前提でちょっとお話ししていきますね。
日本語の主語っていうのは、「が」っていうものが付きます。そういうことにしておきます。
これってよく考えると、よく考えることっていうか、他の言語と比べてみるとちょっと変なんですね。
というのが、モンゴル語とかトルコ語とか、この辺の言語って日本語とよく似てるっていうようなこと言われることがあるんですね。
聞いたことある方もいらっしゃるかもしれません。
語順も似てるし、あとは、「が」とか「を」みたいなものが名詞の後に出てくるしっていうことで、非常に日本語っぽいと。
あるいは動詞に節字がついて、「食べられた?」みたいにどんどん動詞を膨らませていったりとか、こういうの後着的特徴とかいったりするんですね。
あるいは補助動詞っていうのも結構盛んにあったりとかするんですよね。
食べてみるみたいな、こういう抽象的な動詞の使い方があったりするわけなんですけど、
そういう日本語によく似た言語では、主語っていうのは特に何もつかないんですね。
「が」みたいに何かつけて主語を表すというよりは何もつかないことによって主語を表していると。
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なんかそれって日本語から見ると変わってるように思われるかもしれませんけど、合理性という意味においてはそっちの方がしっくりくるというか、
主語っていうのが最もよく現れる名詞だとすれば、何もつかない方が発音の負担が減るんですよね。
記憶の負担というか。こういうの言語の経済性って言うんですけど、
例えば日本語は食べるに対して食べないっていう形があるわけですけど、
どんな言語でも否定形が何かしらマークがついて優標的で、
肯定形に何か特別な形をつけるっていうことはないんですね。
多分ないと思う。どんな言語でも英語だってそうですよね。
ノットみたいなものをつけることによって否定を表していると。
肯定っていうのは特に何も言いません。
そういうふうに考えると、繰り返しになりますけど、
最も品質する名詞、主語にわざわざ何か形をつけるっていうのは、
どうも効率が悪いと言えば悪いことかもしれません。
しかし昔から日本語は主語にががついていたわけではないんですね。
古文で竹取物語っていうのをやった人多いと思うんですけど、
その冒頭で竹取のおきなというものありけりとありますよね。
ここは竹取のおきなというものがありけりとは言ってないですね。
主語に何もつかないと。つまり何もつかないことが主語を表しているっていうことで、
他の言語と同じような仕組みだったわけなんですね。
ただ、がっていうものが存在しなかったわけではなくて、
ちゃんとあったんですね。有所正しい助詞なんですけど、
このががやっていたのは、確かに主語を表していたんですが、
その時、動詞の形は終止形以外のものだったんですね。
どういうことかっていうと、
例えば条件を表すような、
未然形とか依然形とかありましたよね。
あるいは連体形とか、そういうふうに動詞の形が終止形以外の時の
主語を表すのにがっていうのが使われていたんですね。
有名なのは、源氏物語に、
スズメの子をイヌキが逃しつるっていうのがあるんですね。
これはスズメの子をワンちゃんが逃しちゃったっていう文なんですけど、
ここでイヌキがっていうふうにがが出てきています。
これは何でかっていうと、逃しつるっていうふうに、
完了の助動詞つが連体形のつるになっているので、
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終止形ではないということで、主語の名詞にがっていうのが付いてるんですね。
このがと合わせてのっていうのも同じように主語を表していました。
ただこの主語っていうのは動詞が終止形の時以外の主語なんですね。
このがとのの使い分けっていうのは結構はっきりしていて、
がっていうのは人間名詞につきやすくて、例えば代名詞ですね。
現代でも我が家とか君がよっていうふうにががついてますよね。
一方のっていうのはそういった制限はあんまりなかったようです。
いろんな名詞についていたらしいんですね。
というわけで今お話ししたことをまとめるとですね、
動詞が終止形の時は特に主語に何かつけるってことはなかったんですね。
竹取りの大きなというものありけりみたいに。
ただ動詞が終止形以外の時、条件を表したりとか、
あるいはイヌキが逃しつるみたいに連体形の時は、
主語を表すがとかのっていうものがちゃんとあったということなんですね。
ただ現代日本語を考えてみると、
文末が終止形であってもがっていうのは出てきますよね。
イヌが走っているみたいにがっていうのは出てきています。
これは何でかっていうと、
昔の日本語、我々が習った古文では終止形と連体形っていう別個の形があったんですけど、
全部連体形になってしまったんですね。
終止形ってなくなっちゃったんです。
だから中学で我々が習う現代日本語の文法では、
終止形と連体形って分けてますけど、
特に動詞の場合は形が一緒ですよね。
あれは別に分ける必要ないと言えば、もしかしたらないのかもしれません。
それは何でかっていうと、
連体形がもう終止形の役割までぶんどっちゃったからなんですね。
さっき挙げた例で言うと、
雀の子をイヌキが逃しつる。
これでもう終止形扱いになっちゃって、
そうなると終止形とは一緒に出てこなかったがっていうのが、
主語を表すようになってしまったんですね。
もう終止形っていうのがなくなっちゃったので。
さらに言うとですね、
先ほどがっていうのは人間名詞とよく一緒に出てくるって言いましたけど、
主語っていうのは人間がなりやすいんですね。
特に日本語ではそうだと思います。
英語では無生物主語とかありますけど、
日本語の場合はそれはかなり厳しくて、
人間名詞が最も主語になりやすいと。
そうなると主語を表すものとして、
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のよりがの方がいっぱい出てくるので、
現代ではがっていうのが主語を表すものとして定着してしまったんですね。
なので、今回のトークのタイトルですね。
がはいかにして主語を表すようになったかという問いの答えは、
連体形が終始形になってしまったからっていうのが、
最もシンプルな答えかもしれません。
学校で習う古文もね、
こういうふうに現代日本語との連続性というか、
そういった面をもうちょっと強調してもいいんじゃないかなと思うんですけど、
古文で習うのは平安時代の日本語なので、
この連体形が終始形にとって変わって、
でがが主語を表すどのこうのっていうのはその後に起こった変化なので、
学校ではなかなか扱わないところかもしれません。
というわけで、
今回のトークはね、僕自身すごい面白いなと思ってるところで、
過去にも似たような話してることあると思います。
お相手はシガ15でした。
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