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タスクシュートと精神分析
2026-07-17 41:19

タスクシュートと精神分析

お前が好きなだけだろうと言われれば、そうなんですけれども。
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00:06
おはようございます。 佐々木正悟の精神分析的ラジオです。
えーと、7月17日金曜日、8時16分です。
いやー、相変わらず、というか、相変わらずではないんですが、相変わらず暑いですね。
はい、えーとですね、3ヶ月チャレンジの、
7月中旬に入りましたので、依然として状況は変わっておりませんが、
3ヶ月チャレンジの第15期の募集を引き続き、2枠かな、残り2名様で募集させていただきたいと思います。
今日はその辺の話に触れつつ、
えーと、金曜だからとかはあんま関係ないんですけれども、
さっきですね、上田勝久さんという方の本を読んでいて、
あのー、そうだよな、こういう、まあすごい、
新人療法再効果、まあそういうようなタイトルなんですが、もちろん専門家向けの本で、
こういう本、
いい本なんですけど、こういう本をまず、
普通の人が手に取らないよなっていうタイトルから考えてるんですね、
最高からですからね、すでにタイトルに、再度考えるですから、
一度も考えてたことのないユーザーにとって最高っていうタイトルの本って、
最初から続編なんだけど、元はどこにあるんだろうっていうことになりますよね。
で、私は今、そのライフハッカーはポストを受けるべき的な展開をしたいと思ってるわけですよ。
どうやればいいのかよくわかんないけど、そういう展開をしたいと思っているわけですよ。
で、それはどうしてなのかという話をしようと思った時に、
手頃な本がないかと思って、そう、さっきの本を読んでたわけですけど、
手頃な本を見出すのは容易なことではないと。
まあいっぱいあると言われるでしょうけど、
私はいっぱいはないなって思うんですよね、今の段階で。
ポストの本を読んでいただけばいいっていうのもあるんですが、
あれだって専門家向けの本ですからね。
じゃあない本ってどうやって書いたらいいんだって考えると、
よくわかんなくなってしまうという話を今日はしたいんですよ。
ですが、そういう話を私がしようとすると、
うーん、じゃあお前が書けよってことになるかもしれないけど、
たぶん僕は書くことはできるかもしれませんが、
いやそれも相当疑わしいが、出すことはできる気がしないんですね。
これは疑わしいレベルを全然超えてしないんですよね。
でもまあ打診とかしてみようかなとは思っております。
で、えっと、タスクシュートと精神分析の、
03:04
まあそんなことを言っても、
お前だけがそう言ってるぐらいの話ではありますが、
まあでもラジオだからね、いいんだよ。
精神分析とタスクシュートって似たところが多いというところからまず始めたいわけですね。
で、例えば差病ってものが、
まあ先日父の差病的な何かを私はお話ししたわけですが、
差病っていう表現があります。
け病なのか嘘ついて、まあ詐欺の差ですからね。
で、病気ですからね。
だけど差病ってのはですね、
特にこう心身症となってくると、
だから身体症状がないのに病気だって言ってるのは全部差病だってことになるのかもしれないですけど、
じゃあ鬱はってことになってしまうわけですよ。
もし鬱で身体症状が全然出てなかったら、
まあ詳しく調べればそうでもない気もするが、
まあとにかく鬱はってことになるわけです。
鬱になってるっていう人はいっぱいいらっしゃるわけじゃないですか。
全員差病ですかっていうのはとんでもないじゃないですか。
大問題になりますよね、それを言ったら。
なんかもう何かの主義の国みたいになっちゃうじゃないですか。
で、まあそれこそ発達障害と言われているものだって、
そういう話になりかねない。
なぜなら数が多いかですね。
で、差病という、まあうちの父も結局身体には症状はないわけですよ。
何もFMRIで精密検査しても出てこないわけですよ。
でも調子は悪いわけですよ。
精神的なものだと私は思いますから、
うちの方で今手を打ちつつあるんですけど、
父はそれは元として認めないくせに、
これは精神的なもんだとかって言ってるわけですよ。
そのことに、もうその辺からしてすでにいろいろアレなわけですが、
差病という言い方を私はフロイトはしなかったと思うんですね。
フロイトは無意識って言ったわけですよ。
入り口はですよ、精神分析だってほぼ人生相談室なんですよ。
なんなら恋愛相談室ですよ、ありゃ。
少なくともそう見える部分は多々あったと思うんですね。
でもフロイトの発想の中に一般的でないところがあって、
その一般的でないところを我々は、
例えば体にうがいなんともないのに、
今日は頭が気持ちが悪いから学校休むって言うと、
けびょうだとかって言うわけじゃないですか。
この発想が一般的なんですよ。
だけどフロイトはそうは言わなかったわけですよ。
よく似たこと言ってるからよくわからないんですけどその違いが。
でもフロイトが言ってることはあかまでも無意識に、
原因ではないにせよ第一因というのが主要因を持ってくるわけですよ。
しかもそれ本人はわからないから無意識なわけですよ。
潜在的にわかってるとかなんとなく気づいてるとかではない。
06:01
一切わからないところからやってくるから無意識なわけですよね。
で、無意識が何でも作り出せるっていうか、
精神障害の主なるもの、
例えば鬱がそうでしょうし、なんなら統合失調症がそうでしょう。
あるいは脅迫症みたいなもの、不安症みたいなもの、
全て無意識ってものが重大関与している。
全ての原因ではなくても重大関与している。
ここにだから統一的な何かを持ってきているわけです。
こういう発想を取らないということなんですね。
我々は。
やれストレスだとか、
いやそれは怪病だとか、
あるいはそれはお腹の具合が悪いのがなんたらかんたらとか、
多様な要因を持ってきて、
見えている現象に合わせた要因をなんとなく持ってきて、
そしてそれを区別できれば、
まあいいやって感じがするはずなんです。
普通の発想では。
現代ではそっちが主流になっていて、
いやフロイトはすでに何かが間違ってたってことにされている。
ただされているわけですよ。
だから転移とか言い出すってのは大変困難な話であって、
転移ってのは結局無意識の筋書きみたいなものをその人が持っていて、
そういう話大好きな人いっぱいいますよね。
ファンタジーの世界でもそういう話みんな大好きじゃないですか。割と。
だけどそれは遊びの領域だと思われてますよね。
それを医療の領域でふんだんに使うってことは、
たぶん現代だったらやや正気の沙汰ではないなって思われる。
中二病ですかって感じにさせられてしまうと思うんですよ。
でもその中二病ですかって言ってる人は
とてもよくわかっているっていう含みがそこにあるんだけど、
その方がとてもよくわかっているのは、
あくまでも病名とか病名における症例診断の、
それも結構松木さんの本とか読んでると、
実はそんなこともないんだって思えてくるんだけど、
よく非常に引き目に見たと、
なでを引きしてるのか知りませんが、
引き目に見たとしても、あくまでも症例診断主義というのは、
症例と診断にものすごく細かく、
それができればすごいことですよね。
完全に専門家領域ですよね。
でもあくまでもそれは我々の常識に割と合致する観点なんですよ。
何を僕が言わんとしているかというとね、
僕は別に専門家なわけじゃないんで、
タスクシュートのことなんですね。
タスクシュートってよく似てるんですよ。ある意味。
あれはとても特殊な見方を体得しないと、
意味をなさないんだけれども、
あれも一見したところは他のタスク管理ツールそっくりに見えるはずなんですよ。
いや、なんかチェックボックスにタスク名入れて、
なんならそれとスケジュールを融合してるんでしょっていう。
嘘ではないが、それは症例診断っぽさがあるんですよ。
そこに見えているものの、
なんかまつわる関連しているものに、
因果率をその場で当てはまるものを当てはめて説明してるんですよ。
だから人によってはタスクシュートはライフログに見えるでしょうし、
09:00
人によってはスケジュール帳に見えるでしょうし、
人によってはタスク管理に見えるでしょうし、
なんだかGTDをリニアに並べ立てたものにも見えるかもしれないんですよ。
どれもその面を見る限り間違いではないんだけど、
タスクシュートってのはそこに、
これが大橋裕之の独特なところなんですが、
私は大橋を別にフロイトに否定すると思ってる。
でもフロイトって自分のことをダーウィンとコペルニクスに否定するって言ってるから、
正気じゃないと思うんですけど、
私はやっぱり凡庸なんで、
彼をフロイトに否定させる気は全然ないですから、
横に並べるのもどうかと思うんだけれども、
ただそこに非常に非常識的な観点が持ち込まれている。
フロイトは間違いなくそうなんですよ。
そこに完全に脱人間中心主義って言うんでしょうけど、
普通の人の目には地球は動いていないし、
太陽が動いているように見えるわけですよ。
それが常識というものなんですよね。
コペルニクスは異常なんですよ。
人間中心に世の中できてないからっていう人は、
だいたい極端な思想を持っているように見えるわけですよ。
だから一歩足がと殺されそうになるんですよ。
あまりにもあいつの言ってることはおかしいってことになるんですよね。
ダーウィンも相当叩かれたわけですよね。
だから人間にとっては人間の中心に見えるんだよ。
まさかね、
流発的にホモサピエンスはこうなったのか。
今でもこれね、結構受け入れられてないですもん。
いや、なんか人間にあるよって、
アメリカ人に言ってもだいたいそういうことを言うし、
自己啓発の人に言っても、
いや、もちろんダーウィンは正しいんだろうけど、
でもやっぱりなんかあるんだよみたいに言うんですよ。
これを私は相当強烈に否定している人が実は手塚治虫だと思うんですけど、
手塚は火の鳥の地球人類が滅亡してしまう悲しいお話の中で、
あれのバリエーションいっぱい他の漫画にもありますけど。
寺江がそうですけど、分かりやすいところでは。
それはいいんだが、地球人類が滅んだ後で、
彼はなめくじが人類並みに進化したっていう姿を描きましたよね。
あれですよね。
偶発的なことだったら何でもありなわけですよ。
ただ私はどうして無脊髄動物であるなめくじが
二足歩行をやってるんだっていうのが大変気になったんですけど、
それはいいとして、漫画だからね。
あのなんかこうもにょもにょして全然ダメそうなのに、
なんかもう人類並みに飛行機作るみたいなことを
宇宙にも行くぜみたいななめくじがね。
でもそれは人間だって50歩100歩なわけですよ。
神様に似てて作られたとかなんか設計図があったということを
認めないならばそういうことになるはずなんですよ。
設計図が問題なわけじゃないですか。
何か事前に計画されていたんだ。
そういう話好きじゃないですか。人類互換計画とか。
人間はね。
そういうの好きだけど、大体デタラメなわけですよ。
そんな計画はないわけですよね。
ここが我々はなかなか理解できない。
12:02
それはだからつまり自己愛が強いわけですよね。
自己愛と万能空想に生きてるから、
どうしても僕らはナルシシズムの世界に生きてるから
ない一人が自分に無意識から来ているということに
気づいてないわけですよね。
そのように我々は自分を中心に見る夢を見ているということに
この夢は無意識が形成している夢なので完全に。
この夢を形成できなくなると精神障害になるわけですけれども
そういう見方しないじゃないですか。
この見方をとっているのはビヨンが天才的だったと思うんですけど
大元は確かにフロイトにあるわけだけど
明らかにこのビヨンフロイトというラインは
かなり正気をかいているわけですよ。
普通は無理なんですよね。こういう観点を取ることは。
我々はやっぱり脱中心主義っていうのは
なんか主義者みたいに簡単に言うけど
そんな主義に持っている人は私はいないと思うんですよね。
何でしたっけ?英語では何とかセントラリズムなんですけど
無理っていう感じがするんですよ。
だって私はやっぱり自分が中心に生きているような気がしますから
どうした?ってね。
世界の中心に自分がいるような感覚がありますから
この感覚がなくなると多分
統合主張に近いんじゃないかなって僕は思うんですよね。やっぱり
なんかこう自分じゃないところに主体があるみたいな感じがするように生きる
っていうのは困難なことだと思います。
その困難なことっていうのは
だから脳みその中だけでシミュレートするわけよ。
それは遊ぶって言うんでしょうけども
そういうことをある意味私はタスクシュートってものは
道を開いたなって感じがする。
それはどうやったかっていうと
非常に簡単な話なんですが
ログに返帳することによってなんです。
要するにこれからやらんとすることに
焦点を当てるわけですよ。
普通タスク管理というものは時間管理もそうですけど
未来に焦点を当てる。
ところが大橋哲郎という人は
性格が特殊な性もあるのかもしれないんですけど
過去に焦点を当てるんですね。
過去に重きをぐっと寄せると
少なくとも未来と過去をある意味均等に扱うわけなんですよ。
こういう発想はGDDにはないものだし
マニュアルの法則とかにもないものなんですね。
もちろん7つの習慣にも私はほぼないものだと思うんですよ。
そうすると画前風景が変わってくるんですよ。
ログを中心に見るとログって基本動かせないじゃないですか。
動かせないものを正確に作り出すっていう作業が
一つ必要になってくるわけですよね。
ここまで最初から考えてたかどうか
これは最初からフロイトが
ビオンが考えたことを全部考えてたとか
ウィニコと考えてたことを
全部フロイトが考えてたわけではないのと似てるんですが
でも第一印を引きずり出してきたというか
第一印に突破口を開くことによって
その後の展開がガラリと変わることは
もうある意味約束されていたわけです。
そのことがやっぱりフロイトが特殊だったってことだし
私はタスクシューターは特殊だと思うわけですね。
15:02
その点において。
すごく精神分析的で、だから誤解されやすい。
なぜ誤解されやすいかというと
難しいとか取っ付けにくいとか
機能が多すぎるとかは関係なくて
多くの人がイメージしているものとは
全然違うものがそこにあるからで
普通に考えればやっぱりこう
なぜ作業をしたんですか
というふうに言うわけですよ。
作業っていうのは
疾病利得って言いますけど
病気を装うことによって利益を得ることですから
そこは全部意識でできると思われている。
そこにでもなんかちょっと意識が
朦朧としてるよねみたいな話を追加するから
トウハダ・カイトがよく批判するところの
潜在意識とかいうよくわからない言葉を
ここに強引に作り出しちゃう。
それは完全に万能空想なわけですよ。
出し入れ自由なんです。
あるんだかないんだかわかんないけど
あることにすると便利だから
潜在意識がありましたということにしましょうっていう
その潜在意識の定義は
グラデーションとか何とか言っておけばいいわけですよ。
スペクトラムとかね。
適当に言っておけばいいわけです。
夕日で思い浮かべてくださいっていう感じですよね。
青とオレンジのグラデーションがそこにあるでしょ
みたいなことを言っておけば
なんかわかったような気になるという
そういう非常に粗雑な思考の産物
だから万能空想なわけですが
そういうものを潜在意識とかって言っておくと
なんかいい感じになると。
でもそれはでだらめとは言わないまでも
なんとなくわからないことを
ゲイテが昔すごい通列に批判してましたけども
生命の飛躍とか言って
生物学者は自分がバカだと言っている
みたいなことを言うんだけど
そういうことになるわけですよね。
で、この話って
結局無意識というのはないってことなんで
ないものが何かの要因になっているっていうのが
コペルニクス的なわけですよね。
主体はつまり
サビを作ってる主体はあなたじゃないんです。
この段階でまず責任というものの所在が
不明になっていくし
サビを作ってる主体はあなたではないんです
って言った途端に
いろんなものが動き出すわけです。
というかパンドラの箱が開くわけですよ。
簡単に言うと。
それは確かに恋愛相談であったり
人生相談であったり
お父さんひどいんです
っていう話から始まってるんだけど
その点においては他の人生相談や
占いと大した違いはないように見えるんだけど
主体はあなたにないんですって言った瞬間に
そして主体は他の所にはあるんですって言った瞬間に
やっぱりじゃあ主体はどこにあるんだろう
って話になるじゃないですか。
主体が他の自分の中にないってことになってくると
ミニホットみたいな人が一番極端だってことになるんだけど
主体がそこにないってことになってくると
主体はこの二人の間にありますみたいなね
精神分析家とクライアントの間に主体があるんです
みたいな話になってくると
18:01
だからこの場がどんなに荒れようと狂おうと
その主体を分析家とかクライアントだけに
みたいな話が始められると言えば始められるし
始まっちゃうと言えば始まっちゃうわけですね
なんでそんなことが起きたんでしょうってことになると
昔あなたとお母さんの間に主体があったときに
みたいな話を始めることができるわけですよ
だって主体がその人の自意識の中にないんだったら
どこに置くことでもある意味可能になるわけじゃないですか
意識というもの、無意識ですね
そうすると自分と例えば環境の間にあったとか
その環境は母親だったとか
気づかないけれども母親だったとか
そういう話を展開することができるわけですよね
私が今日話してるのは
特定のなんかの話ではなくて
展開の可能性について言ってるわけですね
展開することができるわけですよ
この展開に私が思うに
これは私の引き決めで
他の人がついてきにくい
だからフロイトは全く関係ないところで批判されて
フロイトのようなことをやるのはやめて
もっと常識的で真っ当なことをやろう
っていう話を始めてしまうわけですよ
その時フロイトがやってることをやらないということによって
多くの人は、多くの人はなのか分かりませんが
新しい方法論は無意識というものを
一旦金具に捨てることになるわけです
特に例えばですけど
エリスですね
CBTを、CBTというよりは認知良好
論理良好とから呼んだんだけど
を開発したエリスのような人は
基本的に全部、ここで終えるでしょって言ったわけですよ
だから意識で終えるでしょという話をしたわけですよね
テニスのボールを打つとき
いや無意識のうちにあっちへ打っちゃって
違うでしょと
あなたよくよく考えてみると
意識的にボールを打ってるでしょと
ボールを打ってるとき寝てましたか
そんなことないでしょみたいなことを言って
論理で全部終えるんだってことにしていったわけです
これが認知行動良好の基礎にある考え方ですね
だから今はなんか無意識みたいなものを
扱ってしまってるような気もするんだけど
そんなことはないはずなんですよ本来は
あそこでカッチリ捨てたんだからある意味
フロイトに関してはケチョンケチョンにけなしてますからね
だからあそこまで言ったってことは
別にそれが悪いことだとは思わないですよね
常識の線で無意識に主体があるなどというのはやめて
やっぱり意識に全部主体があるんだみたいに
持ってくることによって
取り扱えるものになるじゃないですか
非常に扱いやすいものになる言語的にも
その後もちろんそれだけではどうしようもなくなるんで
行動良好とくっつく
なんか習慣感みたいな話をする
結局無意識がどこからか引き込まれて
だんだん似たものになっていってるんではなかろうかという風に
藤山直樹はスキーマ旅行について
スキーマ旅行をしてる人との対談だから
彼はすごい遠慮はしているように見えるんですよね
両者はあんまり近づきすぎないほうがいいんじゃないかな
と思うよみたいな感じで言ってるんだけど
21:02
それはそう思いますけどねやっぱりね
タスクシュートの話からすごい離れてるんですが
タスクシュートってのはログに重きを置くんですよ
ログに重きを置くということはログって正確性が問われますから
やってないことをやりましたって書くのはダメだし
やったことをやってませんって書くのもダメだし
やったのかやってないのか分かりませんでしたもダメですよね
やったかやってないかをはっきりさせろ
やったかやってないかをはっきりさせろって
言い続けるわけですよこの点で私はGTDとか
他のいろいろな方法論が批判みたいになっちゃいますけれども
方法論が非常に曖昧にしてきたところが
全然曖昧にできなくなるというのが重要なポイントだと思うんですよ
その点は強調されないんですよ
なぜならそんなことに多くの人は
一般的にタスク管理にイメージされているものは
そこじゃないからなんですよ
一般的にタスク管理にイメージされているものは
こうやって書いておけばこれらのことが
できるようになる気がするよねってことなんですよ
書き出せば頭がすっきりして
すっきりした脳だったらやる気も出るよねみたいな話なんですよ
でもそれは非常に厳密じゃない発想だと僕は思うんですね
僕はね厳密じゃないから
何かをしたかしてないかというものも
とても曖昧になっていくと思うんですよね
それは何で曖昧になるかというと
厳密に何かをやったかやらないかをはっきりさせる
根拠や理由付けをそれは持ってないからと思うんですよ
つまりログを持ってないからだと
ログは別に用意できるんだけど
ログに動きを置いてないから
別にログの正確性にそこまでこだわってないわけですよ
ログがどれほど正確かということに
そこまでこだわってないから
それをやったかやらないか
やってないのにやったと思ってないか
やったのにやったことを忘れてないか
何をやって何をやってないのかが
曖昧になってないかということが
全部ふわっとしちゃうわけですよ
チェックリストがあるんだからそうじゃないだろう
って言われるかもしれませんが
チェックリストを入れた途端に
例えばタスクが薄くなったり
何なら目から消えたりすれば
同じことが起きるじゃないですか
もちろんいくらかははっきりするかもしれないけど
非常に鮮明になるっていうことは
タスクシュートやってると分かるんですけど
実はそこにタスクシュートの限界はあるんですよ
結局のところタスクシュートのログは
それをやったことを確実にするものではないはずなんですよね
まして何かをやらなかったことを
確実には決してしてくれないんですけれども
でもタスクシュートをやることによって
それをはっきりさせるってことが
実はずいぶん困難なことなんだっていうことに
気づくはずなんですよ
GDDいくらやっていたとしても
そこにあるものを全部やりました
そこにあるものを全部やったとはどういうこと
なんでそこにあるんだみたいな話が
あるはずなんですよ
ましてログを消えたり
薄くなったりしていくということ
そのログを付けた日時がはっきりしないということ
そのログを例えば
24:00
この今私がやっている
Podcast
この前はゴミを出していました
こういう文脈を失っていること
失ってますよね
あれチェックリストでその直前に何やったかは
非常に分かりにくくなってるはずです
直後に何をやったかも
よく分からなくなってるはずです
つまりログの文脈が大幅に減っているはず
なぜならログに重きを置いてないからです
ログとましてルーチンが
繋がっているということ
これがやっぱり展開なんです
ログに重きを置くことは
当然ルーチンに重きを置くことになるわけです
その無意識に重きを置くことは
夢見に重きを置くことになるのと似ていて
夢見に重きを置くということは
やっぱりこれは主観性に
つまり対象関係に重きを置くことになるはずなんです
少なくとも部分的に
そういうふうに展開というものが起きるわけです
意向対象というものは
やっぱり無意識っていう発想を取らない限り
出てこない発想だと思うんです
現に意向対象は明らかに精神分析の文脈においてのみ
なぜライナスは毛布を持っているのか
これを現象だけとして捉えるならば
寂しいんだよねお母さんがありがほしいんだよね
間違ってはないです
精神分析と言っていること同じじゃん
でも同じではないです
やっぱり意向対象という概念は
それが無意識という発想と結びついてますし
いつじゃあその子は
意向対象というものを心に
心ですよね
ブランケットそのものは何でもいいわけじゃないじゃないですか
だから普通のブランケットはやたら汚くなるわけですよ
唾液はついてるわゴミはついてるわ
なんならちょっとね
排泄物ついてたりでもしかねない
外にも持ってっちゃいかねない
お母さん超やがるが
しかしライナスはお母さんだと思ってるわけですよ
部分的にはね
もちろんお母さんだと100%思ってるわけじゃないですよ
お母さんだと思ってる部分もあるわけですよね
だから部分対象でもあるわけですが
つまりそれは心の中のお母さんを宿してるわけですよね
でもそんなことをライナスは明瞭に説明しないじゃないですか
つまり無意識ですよね
そしてそこに対象がありますよね
自分の欲望の対象というのか
甘えさせてくれる対象というのか
環境の一部となっている対象というのか
なんでもいいんですが
対象ではあることは間違いないと
でこの対象だとはわざわざ多くの人は言わない
そりゃ布切れを持って歩いてる子は
日本にだって昔から江戸時代にだって
なんならいたに決まってるし
そんなのは世界中にいたわけですけど
それを意向対象だなんて誰も言わなかったわけですよね
無意識の母親というものをそこに宿しているんだなんて
そこにマントをくっつけると空間ができるだなんて
そういうことは言ってないわけですよ
そういうふうに考えてた人は
今までいなかったとは言いませんけど
エニコット以外にいなかったとは言いませんけど
いたかもしれないけど
でもそれを一つの無意識夢空間で
自立への移行というような
そういう文脈を全部与えた上で
27:01
それを捉えたっていうのはやっぱりフロイト以来の
フロイトがなければ多分生み出せない展開だったと思うんですよね
だから変わりものなんですよ
それを統一的な視点で見る必要は別にないわけですよね
子供はぬいぐるみ抱っこして寂しさ紛らわすもんでしょって説明は
終わっていいと大概の人は思うんですよね
そこを無意識がどうしたとか
夢ではそれが出てくるか出てこないかとかを
掘っていくというか体系立てて統一していく
その文脈を与える理由までは
持ってないから
だから症例と診断というものが重視される
だいたいそれでこと足りる
だからタスク管理もそうなんですよ
だいたいチェックリストにチェックつけておけばこと足りる
持ち物リストとかね
で終わるはずなんです
チェックリストとカレンダーは別物として扱うわけです
カレンダーには1週間が書いてあればこと足りるわけです
そこの予定と予定の間のどこでこのプロジェクトをやるかみたいなのは
どうしても必要になるとそこに
カレンダーに書き込んじゃうわけですよ
ここら辺でプロジェクトをやるみたいな
でもそこら辺でやるプロジェクトは
やろうとした時にはゴミを出さなきゃならないとか
なんかねトヨタの自動車工場に行って修理して
頼んでもらわなきゃならないとか
お父さんのサビを言ってるんで
精神科に予約を入れなきゃならないとか
そういうものがどんどんどんどん
同じ場所を占めているということに後で気づいて
俺プロジェクトやる日はないじゃんみたいなことになるはずなんです
なるわけですよ
なってるからそれらのものには手がつかない
っていう話がしょっちゅうあるんだけど
カレンダーだけを見たときはそうは思わない
なぜならカレンダーには空隙があるように見えるから
あれは擬似空間を作り出してるんで
あのような空隙はどこにもないんですけども
それは仕事で埋まってるって話じゃないですよ
あのような空間はないじゃないですか
それはただのメタファーですよね
じゃあだったらプロジェクトをやるチェックリストで
これをやったかこれをやってないかをチェックしていこう
それはチェックはできますよね
でも今度はそれをいつやるのかっていう問題が飛びますよね
つまり別々に扱ってるっていうことなんですよ
だけどログにすべてを集中させていくと
別々には扱ったものは別々になってないっていうことに
嫌でもおでも気づかなきゃならない
ログを隙間なく取っていくと
あのカレンダーにある空間というのは
デタラメだっていうことがすぐわかるわけなんですよね
だからタスクシュートクラウド2には
カレンダービューとタスクビューがあって
その二つをその二つは同じものとしては
決して扱うことができなくて
それを例えばカレンダー上にログを全部出すと
カレンダーはびっしり灰色で埋まって
なんだかよくわかんないものになっていくと
あれは一体何を意味しているのかということを
まあ考えないかもしれませんが
考えることができるようになるわけです
タスクシュートという概念を用いることによって
考えるということができるようになるわけです
だからあの空撃というのはデタラメなんですよ
なんならルーティンタスクで埋めてみると
30:01
起きている時間の全域は既に埋まっているという
時間的には埋まっているという
もちろんそれをしなければいいって話はあるんですよ
それじゃないことをすればいい
ただしそのしなければいいことの中には
食事が入っていたり
入浴が入っていたり
なんならトイレが入っていたり
睡眠も入っていて
実際のところ全部をよかすことは決してできない
そしたら死んじゃうということがわかるわけですよ
そういう意味でタスクシュートっていうのは
ロイトレベルだとは言いませんけれども
新しい物の見方というものを提供するところに
位置ついているので
あれを通してみるとですね
だから私はこれと例えば7つの瞬間
これとGTDとかを合流させようとか
合体させようという意味では
さらさらならないんですよ
それはなんかもともと見えてない物の物の見方を
見えた上での物の見方の上に貼り付けるということを
意味する感じがするんですよ
まるでそれは意識的なアドバイスというものが
なぜ無意識には響かないのかがわかった上で
つまり精神分析をやっているのに
何かこう直接関与的な
割と安易な助言をしてしまうということを
精神分析のいいところと
人生相談のいいところと
CBTのいいところを合体させましょうみたいな
そういう合体っていうのは
合体させるということの意味を
全然書いているような気がするわけですよ
だからあんまり近づかない方がいいんじゃないかなと
藤山直樹さんが伊藤恵美さんの前でおっしゃってたのは
私は実にそうだと思うんだけどなぁと思うわけですよね
同じなんですよ私からすると
GTDとタスクシュートっていうのは
合流はできないような気がするなっていう感じがするわけですよ
それは全然
このログに中心概念を引っ張ってきた時から
以降展開できる
例えばカレンダーをログで埋め尽くすと
どういうふうに見えるのかということを
考えられるようにわざわざなっているのに
その発想を捨ててまた元に
それが見えなかった時代のことをやり始めるって感じがしちゃうんですよ
まあ今日のほぼ批判になっちゃってますね
でも別にいいんですよっていうか
何がいいかっていうと結局
常識的なものの見方で見るとどうなっていくのかみたいな
私CPTない方がいいとは思わないんですよねやっぱりね
エリスとか偉かったと思うんですよ
ああいうふうに新しいものを作り出しても
なかなかああいうふうに広まっていかないじゃないですか
行動療法と途中合流したし
好きな考え方ですよね
ちなみに好きなって人はやっぱり
本当に行動主義者だから
仕事をして1時間経つとベルが鳴って
そのベルが鳴ったら自分がやったことを書き込んで
それを報酬刑とし
33:00
整然とさせて仕事を進めていたわけですよ
その姿は非常にフロイトと似てるなと私は思うんですよ
全然あの二人は発想が違いますが
二人ともやっぱり非常に恐ろしい感じがしますよ
8セッション持って
断続8時間セッション持っても
ページ分析ですから
そのセッションが生ぬるいものであるはずはないわけですよ
8人ともたぶん週5日とか6日やってるわけですから
毎日毎日問題を抱えてる人が
問題を抱えてるといいますか
毎日毎日無意識の話をしていくわけですよね
しかも彼はカウチを使ってるから
一時的に進んでると思うんですよ
しかも彼は訓練分析とか受けてないし
自分で定義を考えだしてる人だから
ものすごいことが途中起きたに違いない気がするんですけどね
なのに彼は全てが終わった夜中に論文を書き始めるわけですよ
精神なんとかとか
そういう論文を対象の影の論文とかを書き始めるわけですよ
とんでもねえなって思うんですよね
定義性例外とかね
だからそのとんでもなさに触れるということを
私は読みながらやるんだけど
やっぱりでもこれはですね
非常識な観点がいるな
つくつく思います
自分には取れないから
人の手を借りるわけですけど
非常識な観点というのは
つまり
これもなんかね
言うと荒れな感じが
でもそんなことはないんですけどね
つまり
これも菅沢直樹がよく設定から入るんだけど
設定は非常識で
こういうのを書いておいてくれないと
なんでこんな変なことやってんだって感じ
今更カウチに寝るのみたいな感じがするじゃないですか
してたんですよ私も昔
明らかに精神無敵で小馬鹿にされる感じで
あのカウチの絵に
ちょっと
ギャグ化された
デフォルメされたフロイドとかが
椅子に座ってフンフンって話を聞いて
そこになんか性的な絵が書いてあったりして
完全にそういう風に見られがちなんですよ
けどね
常識的な観点っていうのは
例えばアメリカの行くとスーパーに10売ってるわけですよ
そしてなんなら私も行ったすごく真っ当なお家にも
なぜか
戸棚のお家にかかってますけど
結構な銃がちゃんと置いてあるわけですよ
先日なんかね
J松崎さんがマニラ行ったときに
なんか兵が高く張り巡らされていて
その周りにはその兵の中を守るためなんでしょうけど
でっかいライフル持ってる警備員が立ってて
要するにすごい世界ですよね
常識って我々の常識にはそういうのないじゃないですか
だからびっくりするわけですよね
そういう常識ってさまざまありますから
36:02
その家内に寝る
で家内に寝るというその設定は
堀山直樹さんは非常識なものだっていう風にして
書き始めるわけですよね
非常識だからいいもの
常識的にやるんだったら他のと
他のっていうのはつまり世間話みたいな
ちょっとアドバイスをするみたいなのと
何の区別もつかなくなってしまう
このカウチをやることに合理性はないんだと
こうすればこうなるだろうと
フロイトは思ってたわけじゃない
ただこういう風にやってみたら
うまくいったことを取っていくみたいな感じを取っていくと
他の方法と比較できないでしょっていうのは
彼の言い分で私もそれはすごい思うんですよ
タスクシュートから
じゃあログドナイタスクシュートと比較してみましょうと
意味がない気がするんですよね
人が考え出した直感というものは
その方法にある意味とことん沿って見ることによって
なんかこう普段起きないことが起きる
実際タスクシュートってログを正確に取ろうと
していけばしていくほど
普段考えられないような考え方が発生するし
考えにくいような行動の動き方をするんです
やる気が出るとかいう言い方
しちゃう時もありますが
実は全然そうじゃなくて
タスクシュートがただやってるということは
精神結びやってるということと似ていて
非常に変なレストリクションがかかることによって
行動が変わらざるを得なくなっていき
そこを通すと見えなかったものは
唐突にやたらと見えてくるので
そのものの見方に到達しなかった場合は
あまり興味がわからないという限界と
それに到達したとしても
なんかそれが嫌だっていうケースはあり得ると思うんですよね
精神分析なら精神分析の設定自体が
好きになれんっていうことは起こり得ると思うんです
もうそしたらしょうがないと思うんですよね
やめるしかないぐらいの感じだと思います
ただ行き着けないとするならば
やっぱりそこにはなんか
レストリクションが不足している
つまりルールがあるから出てくる発想っていうのがあると思うんですよ
一番わかりやすいのがずっと今
頑張ってやってるいよいよ大詰めのサッカーですよね
手を使わないという
唯一の徹底的なルールによって
あと45分とアディショナルタイムみたいな
あのルール動かしがないじゃないですか
別に50分でも良くないとか
最近暑いから35分にしましょうとか
不可能な当てじゃないんですけど
ゲーム変わりますよね間違いなく
それはサッカー好きな人にはすぐ分かることだと思う
まして手使ったら全然違うんですよ
もはやラグビーになっちゃいますよね
ラグビーフットボールっていうのは
手を使うサッカーだって言っている人もいるんだけど
でもあれはこんな前には投げられない
ってまた変なルールがあるじゃないですか
全部取っ払ってアメリカンフットボールにすると
めちゃ暴力的になりますよね
ほとんど暴力っていうぐらいの
すごい世界が発生しますよね
サッカーは手が使えないから
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非常に変わるんですよね
手が使えないということによって
発想が出てくるわけじゃないですか
どう考えたってボレーシュートだの
オーバーヘッドだのというのは
どう考えても変じゃないですか
ああいう風にボールを蹴る理由は何もないんだけど
やっぱり手が使えないという制約が
あれを生み出すわけですよね
と思うんですよね
だからバレーボールって結構しょっちゅうルール変えますけど
ルールを変えるということは
もう違うものを作り出すということだから
タスクシュートってレストリクトのすごい強いルールに
実は縛られていて
それをうんと緩和するようにしているわけですよね
これやっぱ怒るんですよね
そこも私精神分析とあれに似てるなと思うときがあるんですよ
そんなこと言ってもしょうがないからあれですけれども
つまりレストリクションを緩くしていくと
裾の広がりますよね
今精神分析やってるじゃないですか
週3回でもいい
週6回が5回になり5回が4回になり
4日が3日になろうとしているというのが今のようなんだけど
日本では週に1回にして
これはもう精神分析ではないから
精神分析的心理療法のアプリですが
これはレストリクションを緩くすることによって
裾の広いげたいわけですよ
タスクシュートも私が
24時間記録撮るんですとか言っていたのが不評で
いやそんなに記録ガシガシで撮らなくても良くないみたいになるわけですよね
なってるわけですよ
今Jマスターキさんが
3つだけピックアップしましょうみたいな
3つとかになったりするわけですよね
広くしたいかってことがあるわけですよ
だけどどこまで緩くしても
タスクシュートはタスクシュートと言えるんだろう問題
つまりどこまで緩くしても精神分析は精神分析と言っていいんだろう
精神分析的というのはどういうことなんだろう
っていうことがやっぱり
カウチをやめてオンラインもOKにして
週に1回なんなら各週にして
みたいになってきた時にどうなの
っていう話が起こるわけですよね
僕はそういう風に
見るわけですけれども
見てるわけで自分は
こういうのが
タスクシュートと精神分析ですからね
最後に残ってるなって感じがしますね
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