何にお金を使っているかは無意識に近い。
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感想
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サマリー
このエピソードでは、パーソナリティが自身の「3ヶ月チャレンジ」への没頭と、それに伴うガジェットへの投資拡大について語ります。サブスタックやnoteでの情報発信方法の試行錯誤や、AIツールの活用についても触れられています。特に、AIがタスク管理ツール「タスクシュート」に組み込まれ、その進化が目覚ましいことに驚きを示しています。また、AIは人類が生み出した「鏡」のようなものであり、自己因(原因が自分自身にあること)の概念と関連付けて考察しています。最終的に、これらの投資やツールの活用は、自身の「3ヶ月チャレンジ」をより良く進めるための自己投資であると結論づけています。 パーソナリティは、自身の発信プラットフォームとしてサブスタックとnoteを使い分け、有料メンバーシップの提供についても言及しています。また、「3ヶ月チャレンジ」に集中するあまり、ライフハックやガジェットへの投資が拡大している現状を分析。これは自身の「無意識」の表れであり、自己の存在や行動が原因となっていることに気づきにくい「ナルシシズム」や「自己因」の概念と結びつけて考察しています。AIツールの進化、特にタスクシュートへのAI搭載が驚異的なスピードで進んでいることに触れ、これが人類の自己因的な探求の結果であると述べています。
情報発信プラットフォームの使い分けとメンバーシップ
おはようございます。佐々木正悟の精神分析的ラジオをお送りします。 7月16日木曜日7時9分です。
めっちゃ早い。 いろいろございまして、いろいろあるので、あんまり長々とはやりたくないんですが、
まあいろいろあるので、この時間ですと完全に家のことばっかりなんですけども、 まあいろいろあるわけですよ。
で、ここのところ、サブスタッフという方でライブ配信をしてみたり、またこっちに戻してきてみたりしているんですけど、
交互にやっていくということに一応落ち着きました。 やること全く同じなんで、これを交互にやることは全然できるでしょうという感じでやることにしました。
あわせて、まあこれは関係ない話なんですが、 ノートの方ですね。
note.comで日本のやつですね。 あっちでは今のところ有料にしてみたり、メンバーシップにしてるんですよ。月額600円で。
600円のメンバーシップに入っていただければ、私が書くものは基本的には全部読めるようにすると。
で、もしお支払いいただかずとも8、9割は読めるんだけど、残りの1割をどっちかというと1割読むために600円というよりは、余さず読みたいという方は、
あっちでメンバーシップに入っていただけると助かるなっていう感じです。
サブスタックの方で、メールで内部配信始めると飛んじゃうんですけど、そこはもうしょうがないといたしましてですね。
なるべくサブスタックはノートの方に記事じゃなくてね。なぜノートかというと、必要以上にメルマガを飛ばしたくないという気持ちがこちらの方にはございまして、
別に私はメルマガを配信したいと強く思っているわけではないので、お知らせを確実にメルマガ配信するシステムは必要だなと思っているんですよ。イベントとか結構やるし。
でも、メルマガを自力でシステムを構築するなり予約するなりするのは自分は面倒くさいと思ってしまうんで、
サブスタックはすごいその辺が良くて、メルマガにもできるし、ライブ配信もできるし、Xみたいにポストもできるし、
基本的にはサブスタックに集めていきたいというのがありますが、それは僕の側の事情なんで、
このスタンFで聞くっていう人もいらっしゃればノート読むって方もいらっしゃるんで、全部をサブエスタにする、そうするべきだっていう意見の人もいるわけですけど、
昨日言った通り私はフリランスは人の意見を真に受けない方がいいと思ってるんで、別にその意見はよく分かるんですよ。やってるからね。
やってるから分かるんですけど、まあまあ別にそこまで頑張ることもないだろう。こういう性分なんでね。頑張らないで
サブスタックはメルマガとして出すこともしたいし、
通常はノートで出したいし、でもXもやっちゃうしみたいな感じで、あっちもだから交互にしたいなと思っておるわけですね。
だからサブスタックのノートの方はもう本当に何でもありです。テーマはもう私の中では自由。別にロッテの話とかでもいいわけですよ。
そこではしない話ってあるにせよ、まあそのだいたい何でもあり。ノートの方はですね、これもすごい悩んでいるんですけれども、多分精神分析は絶対入ってくると思うんですね。
あとはあれかな、やっぱりその時々ホットなもの。今だったらタスクシドクラウド2とかかな。だからホットなものと精神分析。
ホットなものと精神分析みたいな感じで、これも交互にやれていけたらいいかなというふうに思っております。
そういう感じで、これは全部僕の側の発想なんですけど、メルマガはここに来るとメルマガというか、配信されますよということはお伝えしていきたいかなという感じを持っております。
そうするといいのかどうかは分かりませんが、そうしていくのがやっていきたいことかな、とりあえずというふうに思いました。
「3ヶ月チャレンジ」への没頭とガジェット投資
はい、では本題というか、今日もあまり何も、今日本当にバタバタしてたんで、朝猛烈にバタバタしてたんで、本題に入れないんですけどね、なかなか。
最近ですね、これは本当に僕は、でもねやっぱりちょっと反省してるんですよ。あまりにもそれはのめり込む、僕の性分なんですよね。
サンチャレライフワークみたいな感じで、全的にサンチャレにのめり込むみたいにしてしまうと、でも私ビジネス著作家でもあるわけだから、やっぱりそっちのお付き合いってないわけじゃないんで、全部とことんやってしまうのはどんなもんなんだろうと思い始めましてですね。
でも、体制的にはオールサンチャレモードと化してきてるんですけど、でも先日ね、実家に帰ってみたりして、肉親や兄弟のことがなくなっても、こんなじいさんばあさんのこともあるし、やっぱりあること一つに全身全霊みたいなのは、そうはいかない。
もう年だよねということに、年買いもなくっていう表現が、この場合適切かどうかわかりませんが、3ヶ月チャレンジに集中するっていうのがあったわけですよ。その集中は何に現れているかというと、僕の場合やっぱりライブハックとかガジェットにその傾向が適弁に現れるんですよね。
これは、そういう人間なんだなということに、わかりきってることですよ。ガジェットなんて目に見えるからね、無意識で買うとかありえないから、わかりきってるんだけど、私この無意識って言葉は定義付けが難しいと思うんですけど、
つまり自分に主体があるということに気づきにくい、ないし気づかない、あるいは自分がそもそも因果律の因になっているということに気づかないというのを無意識というのではなかろうかと、それは僕の勝手な定義であり、そういうんじゃねえんだよって言われると困るんですけどね。
つまり、ナルキストスの話があるじゃないですか。あれ自分が鏡に映ってるって気づいてないって話なんですよね。だから鏡に映った自分の姿に恋をしてしまうっていう、そこまで完全に盲点になってるわけですよ。
鏡像、ラカンなんかは鏡像っていうのをすごい重視するし、コフートもそういうこと言ってますけども、鏡に映ってるのが自分であるっていうのはね、すごい知能を必要としますよね。そして夢見る力を必要としますよね。だって鏡に映ってるのは単なる知覚だから、チンパンジーがかなり悩むらしいんですけどね。
チンパンジー頭いいじゃないですか。犬は全く悩みませんから。完全に相手の犬だと思って吠えまくったりするやついますからね。あれはナルキストスと同じなんですよ。
だからナルキストスというのはうのぼれて頭がおかしいとかじゃん。頭がちょっと微妙だっていうのはあるのかもしれないけど、エコーの話が非常に大事ですよね。前段にエコーはナルキストスに恋をするんだけれども、ひたすらエコーするだけだから、
アイラブユーはアイラブユーだけど、アイヘイチュウになっちゃうから振られるという話なんですが、非常に良いおっぱいと悪いおっぱいを連想させるので、ナルキストスの神話というのはですね、非常にフロイトとかクラインのラインにイーセン迫ってる話であり、だからフロイトがナルキストス賞と名付けるのは無理はないわけですよ。非常に理にかなってるというんですかね。
それを人口に解釈すると藤山直樹とかが残念に思うような事態が進行していくわけ。ナルシズムになり、やたらうのぼれの強い人っていう異常の意味をあまり持たなくなり、人によっては嫌いな奴は全員ナルシストだということにして片付けるみたいな、そういう概念に化していくということは、でもそういうのも世の中にやたらありますよね。
嫌いな奴は全部この病気にして片付けるっていう、そういう発想っていうのかな。でもそれはしょうがないですよね。嫌いな人は悪い病気にかかったことにしてしまうというのは納得のしやすそうという意味ではありじゃないかもしれないが、しょうがないですよねとは思いますね。
私が思ったのはそうじゃなくて、因果律の因に自分がある。だって自分がいるから鏡に映るわけだから。この自分の存在に気づいてないっていうのをナルキストス賞って言ったんだと思うんですよね。赤ちゃんはそうですよね。自分が泣くから親が来るとか、自分がなんとかだからなんとかかんとかって反応を見て、反応しか見てないわけですね。
自分が因になってるっていう第一因になるっていうことについてまだ意識が十分回っていかない。全く何もないってことはないと思うんですよね。だから僕はセルフエフィカシーとかああいう話を読むようですけど、自己効力感とかいうのはですね、あれは非常にこう追求しない方がいいと思うんですよ。
こんなものは自分が因になってる。例えば自分因によって何かがうまくいってることに気づけないから自信がないみたいな理屈を一生懸命こねればこねるほど自信はどんどん失われていくと思うんですよ。
自分が因になってるっていうのはすごい簡単に私たちが直感的に生まれながらにしてそれにすぐ気づくっていうようなもんじゃないんですよ。すごく構成されたものであって、視覚は構成されたものであって、夢を見て初めてできることなのであって、私というものがこの世にいて、私がうなずくと誰それが納得するとか、私が微笑むと誰それが喜ぶとかそういうのをいちいちはっきり意識する。
自意識過剰って言い方しますけど、難しいことなんですよ。この程よく自己認識に一定の位置を収めさせるみたいなことは。
言葉は自己肯定感でもいいんですけど、完全に乱用されていて、元々の意味は良かったかもしれないけれども、私はあんまりそこに頭を持ち始めるとむしろかえって疲れることになるだろうって感じを持つので、やっぱりもう少し真相に迫るみたいな話を考えた方がいいような気がしなくはないですね。
この自己因、自己が原因になってますということの盲目性というのは私たちおなじみで、私はそれを無意識と呼べば相当良いんじゃないかなというふうに思っているわけだけれども、それは僕の恣意的な定義に近いので定義じゃないですし、それは一旦飛ばすとしてもですね。
何て言えばいいんですかね。自己対象みたいなのは対象関係でも割と軽くスルーされてしまいやすいところだとは思いますが、何でこの話を今しているのだろう、モードに入っているわけですが。
つまりノートとか、話が遠いようですが、ノートとかタスクシュートの話なりをしていくという、こういうのを決めるのもですね。
何て言えばいいんですかね。これをね、自己因、そのナルキッソスというか、私が自分自身にある意味盲目になった方が、盲目はちょっと言い過ぎなんですけど、自分は盲点になってしまった方がやりやすいというか、スムーズにことが運ぶことはいっぱいあるじゃないですか。
例えば、昨日もそうだったんだけど、ライブビデオでやるよりは、こうやって喋るだけにした方が楽なんですね。慣れの問題なんですけどね。
喋っている自分の顔をまじまじと画面の中で見つめながら喋るというのは結構ハードルが高くなるんですよね。
だから、ライブ配信の方がハードルが高いなと思うんですよ。しかも、ご丁寧というか、また迷惑というか、何人が見ているかというのを目のマークの横に人数が出ていくんですよね。
つまりリアルタイムで今見られているということを意識しなければならない。このスタイルはそうじゃないですよ。終わってからの配信だから、その差は微妙ですよ、どっちにしたって。
微妙ですが、やっぱりこれがやりにくさを若干生み出すんだなということを、私はZoomなりGoogleMeetなりでセミナーするにあたってもですね、
皆さんの画面が全部見えず、見ている人の数は100人でということでも全く苦にはならなくなったんですけど、だから慣れの問題なんですよ、これは。
ナルスシズムの問題みたいに思えるところもあるんですけど、慣れちゃえばそうでもないから、そんなに深い話じゃないような気もするんですね。
人にもよるかもしれないけど、私はそもそも慣れてはいますからね。最初は慣れなかったってことなんですよ、慣れてはいるっていう言い方をするってことはですね。
うまくやれるかどうかを気にするっていうような話なんですけれども、そもそも。でもうまくやれるかどうかを気にするというよりは、だいたい我々が気にしているのはですね、下手を打つことなんです。
この下手を打つということについて、我々はですね、すごくこういろんな気の回し方をするんですけれども、いろんな本当に気の回し方をする。
誰それさんが嫌な思いをするとか、単純にみんなが笑う。この場のみんなというのも対象関係なんですけどね。
例えば自分の父親だったりするという話でしかないんですけれども、心の中のね。
心の中の父母が笑おうが、怒ろうが、私に影響を与えることは、少なくとも話すのが難しいというレベルにおいて影響を与えることはほとんどなくなりましたし、
今言うエイトみたいなのも消そうみたいなことを考えるほど、私はこれについていろいろな大きな影響を求めなくはなったし、自覚もしなくなっているんですよ。
ただただこういう話をしていきたいと。例えば精神分析というか、ポストをライフハックの世界には広めていきたい。
それ自体が無謀な気もするが、そうは言っても広めていきたいし、3ヶ月チャレンジももちろん広めていきたいと。
で、3ヶ月チャレンジにようやく戻ってくるわけですけど、3ヶ月チャレンジに、私はライフハックとガジェットの投資ですよね。
自己投資と呼ばれるやつ。自己じゃないんだけど、サンチャレ投資なんだけど、リソースが集中するようになっているわけです。
で、それは家計簿を見れば一発でわかる。サンチャレの業金が爆上がりしていくっていう、それも着実に上がっているというね、これが起こるわけですよ。
しかもそれは、起こっていることは家計簿で確認できるから無意識なはずないじゃないですか。
だからさっきの自己因の話に、それを引き起こしているのは私なんだけど、私だという自覚が薄いんでしょうね、きっと。
だから最近ね、いろいろなガジェットを買っているけど、そしてその支出も上がっているし、だからいろいろ快適なんだけど、なんでだろうね。
サンチャレのためと称してどんどん投入しているからだっていう、これがこういう感じなんですよね。
ここに何かおかしな感じがあるんじゃないですか。意識してやっているんだから、気づけよっていうか、気づいているだろうと思われそうなもんなんだけど。
なんかね、事後性なんですよね。それをフロイトが事後性といったことのことなのではないのかもしれませんが、事後になって随分使ってるなみたいな。
例えばあれですよ、TCLの。お前欲しかったんだろって言われると、それはその通りなんで微妙に難しいんだけど、でもやっぱりTCLのガジェットで、
インドの本を読む、そのなんていうのかな。
要するに自然光で反射するレベルに抑えてある新しいタイプの液晶なんですよ。だから反応速度はiPad並みだし、画面が残ったりしない。
そういう意味でE-INKとは違うんですよ。E-INKってリフレッシュを激しく手でかけたりするんですよね。遅いわけですよリフレッシュレートが。
だから残像が残っちゃうわけね。動画とか見てられない。真っ黒になっていくんですよ。これでわかると思われるんですが。
でも液晶って画面でそうは絶対になんないじゃないですか。前に映った顔がなかなか消えないなんてことは起こらないから。
速リフレッシュレートかかるから見てられますよね。かなり速い画面でも。
ゲームガジェットが一番スペックを要求されるのはこういう理由なんですよ。処理速度も必要ですし、リフレッシュレートもいるし、3Dゲームとなってくると本当そうですから大変なんですよ。
でも液晶ですからTCLの。液晶の会社なんだけど、もともとディスプレイっていうかテレビ売ってる液晶ディスプレイの会社なんで、さすがに素晴らしいわけですよね。
手書きで書くとiPadとかだと3時間やると頭痛が取れなくなるんですよ。半日。しかも酔うんですよね。それがないんですよ。
だからいかに光ってものが目に来るかだなと思うんですよね。光だけですから液晶画面であることに違いはないんで。
ただ自然光で見られるというのはどういうことかというと、実は微妙に見られるんだけど真っ暗な部屋だと見づらいんですよ。
暗い部屋とか特に夕日が沈んだ直後ぐらいの空間だとTCLの液晶画面は見づらい。
手書きとかKindleで読むやつはね。ただ普通の液晶でそういうことないでしょ。夕暮れの暗いところでもはっきり見えるじゃないですか。
あれは後ろから光が強く光らせてくれているからなんですけれども、それがないわけ。
違うやり方でやってるわけ。完全自然光とはまた違うんですけどね。
何にそれを使ってるかというと、3ヶ月チャレンジのノートであり、そのノートは後で読み返すためのものではほとんどないんですけどね。
ノートであり、計算用紙なんですよね。まったく計算用紙なんですよ。私にとって。
小学校時代すっごい使ったなあれって。計算用紙捨てるでしょ。計算用紙全部取っておく人っていないと思うんだが。
計算用紙とまったく同じなんですよね。ガーッと書いていく。でもそれは捨てはしないんだけど、基本的には後で読み返すようなものではない。
あれがないと計算はできない、私は。そういう感じなんですね。
あれ取るようになってから、本当、抜群に3ヶ月チャレンジ僕はまともになっているなとは思うんですよね。
昔はやっぱり一生懸命原理主義的にフロイトはノート取らないぞとかって言ってるから頑張って取らなかったし、それもよくわかるんだよ。
それはそれで必要なんですよ。時々やっぱり取らない時ってあります。何でしょうこの暗算するみたいな感じになるんだけど。
いるんですよね。それはフロイトが言ったことは嘘ではない。ないといつもいつも計算用紙を使いまくっていればいいってもんではないって感じなんですよね。
話を聞いていて、参加者さん、利用者さんの話を伺っていて、自分の無意識が反応していきますよね。
要するに転移、逆転移的になっていきますよね。なっていくっていう中で、どこか頭のスペースを開けておかないとわかんなくなってしまうんですよ。
話を聞く、要するに単なる社交になって、社交っていうのはおかしいんですけど、単なる会話になってしまうんですよね。
だから単なる会話にはやっぱりなってはいけないと思うんで、あくまでもどこか無意識はそうなっちゃうに決まっているわけじゃないですか。
無意識なんだから、コントロールできてたらもう無意識じゃないんで。でも意識している水準はやっぱりこれはサンチャレのユーザーさんのためであると。
それが何を意味するにせよですね、ためであるんだということの保持はし続けていかなければならないって感じなんですよね。
だから藤山直樹は間接的っていうのかな、受け身性と言ったりしますよね。
その意味とも似たような受動性とか、事後にならないとわからない、受け身ってことですよね。事前に何の計画も立てられないわけだから。
松木さんはそこは大まじめに逆転医逆転医っていう言い方をされますけど、何であれそういうことを言ってるわけですよね。
間接関与って言ったらいいんですかね。アドバイスをするってのは一番分かりやすいと思うのが道を聞かれたときの感じ。
道を聞かれて道に対して答えるって時に僕はその間接関与をしていると思うんです。
だからある意味道に迷いましたっていう人に道をお伝えします。
しかし行き先についてこれで行けるという保証はできないですみたいな感じが近いと思うんですよ。
何が言いたいかというとそれって別に答えなくてもいいわけですよね。
答えなくたって道聞かれて道に答えなければいけない市民的義務とか別にないわけじゃないですか。
答えますけど普通に親切にした方がいいぐらいな感じがあります。
でもそういうことなんですよね。
ある意味私は精神分析っていうのはある意味精神分析じゃなくても心理カウンセリングは全てこうでありたいみたいなところがあるんですよ。
間接関与と心理カウンセリングのあり方
これで絶対行き着けるとは言い切れないが道聞かれれば道聞いた人が主体になるじゃないですか。
その道に対して答えるというのがその答えている人の関与のあるべきっていうのも変ですが姿じゃないですか。
例えばだから外国人の人に浅草どうやったらいいですかって言った時にね。
いや浅草なんかやめてさとかって言い出すのはなんか変じゃないですか。
でも普通の会話ってそういうところあるじゃないですか。
浅草に行くことが絶対であるっていうこと。
これも変な言い方なんだけど。
一つの浅草に行くっていうことが絶対なんだっていうでも一旦そこに置いて私の事情を一旦捨てるわけじゃないですか。
でも究極的な責任を持てるわけではないですよね。
じゃあこう言ってこう言ってこう行くこれが絶対に正しいのか誰が聞いてもそれがベストなのかわからないわけですよね。
特に知らない年だったりした場合は。
もう一つはだったら他の人を紹介するってことも安易にはできないわけですよ。
だって紹介した人の方が詳しいとは限らないし紹介された人の方が親切とも限らないわけですよ。
これと近いと思うんですよね。
道に迷っている人に道を伝える。
でもそれは100%それで浅草に行き着けるという保障がここにないわけですよ。
でここで様々なことが起きるわけですよ。
お金を頂いているから。
例えば行き着けなくていいと思っているのかみたいな議論が起こるかもしれないわけですよ。
なんかこういう感じなんですよね。
でそういう時になるべく私の事情は捨てるが
でも私の事情はゼロには絶対ならないよねっていう
これを僕は間接関与って感じを持つんですよね。
で無意識がそこに地図の話じゃないんで
でも地図の話だとしても無意識は関与していると思うんですよね。
つまり私のシチュエーションは忘れてはいけないと思うんですよね。
道が分からないと言っている人に浅草までの生き方を伝えているというのがシチュエーションなんですよ。
でも議論がどんどん進展して
例えば今度じゃあせっかく知り合ったから日本でお寿司を食べに行こうみたいな話になったとするじゃないですか。
まあなんないですけど絶対そんなことは。
なったとするじゃないですか。
でも最初は浅草への生き方をこの人は聞いてきたんだっていう
このシチュエーションを見落とさないみたいなそういうニュアンスがあるんですよね。
なんか大した伝わっている気がしないし大したこと言っている気はしないんですけど
やっている側としてはなんか何か僕は何ていうのかな何かを一生懸命お伝えしている気はする。
これはなんかですね同じようなことをする方向けの話であって
利用者さん向けの話にならないんですよねなかなか。
これが難しいところなんです。
利用者さんは行きたいところが浅草とは限らないわけで観光地とも限らないわけで本当にセンサーはバーンベースなんで
そしてそのすべての事情が納得がいくようになってくるんですよね。
納得がいかないとうまくいかないんですよ。
なんで沼津に行きたいんですかみたいになってしまうとダメなんですよね。
それが妙にとか容易じゃないとか関係ないんですよ。
すごい深刻な問題でもう絶対富士山に夜登らないとみたいなことをおっしゃっている人には
やっぱりこれはなかなか大変だなみたいなのはないわけじゃないのかもしれないんだけど
じゃあそれは富士山に夜登ろうとしている人は重症だみたいなことはないわけじゃないですか結局。
だからある種相性みたいなところってどうしても抜けないわけですよね。
自分も夜富士山登るの大好きだったからっていう話だと
一見そのテーマは難易度高そうでもそうではなくなるわけですよ。
それに対して沼津行きたいからに対して全然共感できなかったりすると
そっちの方が難しくなったりするってことは往々にして起こる気がするんですね。
なんで沼津行くかなみたいなせめて伊豆高原にしましょうよみたいな
そういうことをやるのが一番いけないわけですよある意味で。
ただそれはもちろんこれは比喩で
何を言っている時にこういう感じになるのかっていうのは
なんとなく僕の脳内にあるから今のようなことを言うわけだけど
なんかこういう感じになっちゃう時もあるんですよね。
だから伊豆って言ったじゃないですかみたいな
急にそういう話になっていっちゃう時と
それをおかしくないみたいな空気になるんですよね。
確かにおかしいなみたいに思うわけですよ。
それはそれで何かが起きてるわけだけど
そういう道に迷う
それに対して正しい道を熟知しているとは言い切れないが
この辺についてはやや詳しい人っていう非対照性があって
で、やや詳しいからといってどこに行くべきだとかは
伝えてはならない人が間接的に関与するっていう感じ
どこまで直接関与していくかという
代わりに一番最悪なのが私じゃあ代わりに浅草行っときますからね
意味が全くないですよね。
でもこれは私はいわゆる人生相談ではものすごくよく起きてることだと思うんですよ。
いやいやわかった。そんなに浅草行きたいからわかった。
君はそこで寝てていいから。俺が代わりに浅草行くからみたいな。
もう論外みたいな。
でもこれが僕は直接関与の一番まずい形だろうと
そして怒ってないわけでは決してないと思うんですよね。
起きてると思うんですよ。
で、かなりそれに準じて僕がやっぱり絶対回避したいというか
今までそれはしなかったなと思いたいのが
浅草に行くにはもうこれが絶対ですみたいな。
こういうふうにしなさいみたいな感じ。
あなたの地図は取り上げて、私が地図作っておきましたからみたいな
そういう浅草ガイドブック売商号みたいな
そういうやつを手渡して
あるいはもう相手にGPSつけてその通り行ってるかどうかチェックするみたいな
これが代わりに行くのに準じてまずいやり方だとは思うんですよね。
野の医者なりに思うことなんですよ。
とにかく極力ここから離れれば離れるほどいいんだけど
だからといってじゃあ他の人に聞いてくださいみたいなのは良くないと思うんですよね。
そのところの間接性が分からないんだけどね
なんでこんなに間接性の話をしてるんだろう。
私は今ガジェットの話がメインで出てきて
今日は来るんではなかろうかと思ってたんですけどね。
AIツールへの投資と「ファブル5」の活用
いきなり話を元に戻し、強引に戻しまして
だからそういったTCNでノート取ってる話
ノートは取ってないんです。
計算用紙なんですねっていう話ですね。
そうそうだから聞かれているうちに
浅草までってどう行くんだっけみたいなときは
こう行ってこう行ってこう行ってみたいなのを
自分でも書いてみるみたいなのがいわゆる計算用紙なんですよね。
でこういうのに大金をかけ出している。
僕の中でおかしくはないんだけど
例えばそれであんまり関係ないようなんだけども
クラウドノートの方の
とりあえずファブルファイブ騒動があったせいなんですけど
というか100%そうなんだけど
課金とかしてついでに延長料金とかまで払っちゃって
いやあれひどいシステムだなと
恐ろしいシステムですよね。
今延長しないと5時間使えませんみたいな
なんというシステムだと思うんだけど
それで3回課金して1万円突破して
全部サンチャレのためということには
そうなんですよあくまでもね。
そうなんだけど
いやそうじゃないだろってところも
ないわけではないんですけど
だからIKEAってそういうもんですけどね。
サンチャレのためってどういうことかというと
ファブルに私のホームページを全部読ませて
どこをどういうふうに修正するといいかみたいなことを
聞いたり
あるいは3カ月チャレンジの第15期の募集は
どういうレターを打つとよいかとか
どのぐらいの頻度でSNSやって
こういうのやっぱ強いんですよね。
ものすごくいい回答ガンガン出してきてくれて
なんならレターもすぐ作ってくれたりして
ただし使用量が半端ないんですよね。
ファブル5はなんかこう
じゃあ今ので40%使いましたみたいな
なんとか屋みたいな感じがしますね。
これとかあとは音声系ですよね。
あれです。
ウェブカメラを新調したりしてますから
これも絶対したほうがいいとは思うんだけど
だからかさむわけですよ。
これはライフハックだと思うんだけれども
一応全部というか
外に向かっているものばかりだから
だからよしとするとか
そういう話にしたいわけではないんですけれども
そういうふうになっているんですってことなんですよね。
あんまり強く意識をしてなかったわけですよ。
これいるよな、こうだよな、こういう風にするよな
みたいなことをやっていくうちに
どんどんこうなっていって
つくと仕事の8割くらいはここが占めている
資質のね、っていう感じになってきて
つまり私はそうしたいんだなということなんですね。
でもこの仕事だけをやっているわけではないから
だからファブルに原稿とか書いてもらう
やってもらってますよ。
だけどやつは我滅院で原稿とか書かせると
激しくね、ボーグラフがあっという間に95%みたいになるんで
これだと本を書いていくっていうのは
やっぱ困難を強めるよねという
いや、もちろんどんなにファブルが高いといったってですね
それは本が10万かかれば優位にもと取れるんですよ。
ただそれは博打ですからね
本なんて出せないかもしれない、このご時世に
先行投資でガンガン金をかけられる
その考え方は間違っているのかもしれないが
理由はないわけですよ、私の側には。
だし、やっぱり今は本を書くっていうのがですね
本当にこう、実に難しくなりました。正直言いまして。
えーと、何て言うんですかね、別に
どうせ僕は締め切り落としたことはない人間なんですから
AIに書いてくれて嬉しいとかラッキーだとか早いとか
楽だとかいう感覚はないわけですよ、結局。
それは早いですよ、向こうの方が。
でも別に5日で書く必要とかは全然なくて
どうせ30日は絶対くれるわけですよね。
30日あれば書けるわけですよ、5万字ぐらい。正直言って。
別に楽になってないわけですよ。
全く僕と同じように書いてくれるならば楽ですけど
そうでは全くないんで
場所によっては僕より上手く、しかし僕らしくなく書いてしまうんで
困るんですよ、結局修正しなきゃならない。
だからトータルでかかる時間なんてほとんど変わらないのに
何かこうね、ファブルを噛ませないことによって
例えばそこをオーパス4.6で終わらせてしまうことによって
何か自分は上手くいってないんじゃないかって
思いだけは来るんですよ。
なんならチャットGPT5.6はファブル並みなのかみたいな話を
チャッピーと延々議論したりして
無駄にしてるんですよ、時間をね。
僕はしちゃう人間だし
これも対象関係に近いと思うんだけど
チャットGPTに言わせれば
向こうの方が文章を書くのが仮に上だとしても
その重量課金制度の中では
向こうは私のことをよく分かってないと
しょうこさんのことはよく分かってないと
っていうような上手いことを言ってくるわけですよ。
私が言いたいのは、私はいつも言ってることですけど
そのチャッピーの言い分が正しいかどうかではないんですよ。
どうでもいいことに、そのような言い分に
正しいの減ってくれもないと思うんですよね。
だって、なんていうのかな
人間だってそういうやりとりするじゃないですか。
私の方があなたのこと分かってるわよみたいな
これをどう受け止めるかって話でしかなくて
その人の方が本当に私のことが分かっているのかどうか判定をしようっていうのは
僕は人間関係だったらナンセンスだなって思うんですよね。
そうじゃないだろうという感じがします。
チャットGPTだって僕にとっては同じことで
君の方が僕のことを分かっているのか
パブルの方が分かっているのかっていうのを
これは相手がAIであれば残酷じゃないんで
もはや持ってきたやつを相手に見せてっていう
人間だったらもう完全にシュラバ案件を
現実には私はAIでやりまくるわけですけども
ただし、AIの場合チャッピーは気前よくどんどんどんどんやってくれるけど
パブルはその度に金を要求してくるという
こういう独特の非対称性がね
いやこれすごいなっていう
感じを僕は持つようになっているわけですね。
まあでもそんなのにいつまでも付き合ってられないんで
まあ仕事に戻っているわけですよ。
これ遊びですからね結局ね完全に。
しかも金かかる遊びで来てるんで
無しにならないんで。
AIによる執筆支援と誤字脱字修正
それでまあでも当然AIは
私の仕事の多くの部分を担うようになっていますから
そりゃそうですよ。やっぱりね。
そりゃ公正とか欠けますよ。
だって誤字脱字の修正を勝手にやってくれるんだから
一斉痴漢とかより全然いいんじゃないですか。
結局検索痴漢したところでゼロにならないんで
その公正ってのは表現揺れとかことごとく考えていくと
本当ゼロになんかならないんで
AIってその辺大したもんだなと思うんですよね。
で間違いはない方がいいと思うんですよ。
AIらしさから逃れるためにあえて脱字を残しておくとか
変なハックが世の中にはすでに出回ってますけど
いや読む方の身にもなればですね
そんなの著者が書いたことが確実であるならば
脱字なんかない方がいいに決まってるじゃないですか。
と僕は思いますけどね。
松競二郎さんはどういう理由なのか分かんないんだけど
あんなに貴重面な方なのに
変者になってる本にはしばしば脱字があって驚くんですよね。
いわゆる臨床系の本というものは高いんで
読者はやっぱり
専門書だから
読者はここはもう何か
都邸制度の弟子として読むべきなのかも
ただあの
詩の編集の脱字は
脱字を含めて
いやそういうことないだろうってやっぱ思いますね。
論戦もする本で
あからさまに読んでてすぐ気が付く脱字って
僕も物書きなんでですね
これを言うと完全にブーメランで
絶対あるんで
AIって本当に偉いなと僕は思うんですけど
なくはないですよ
AIだって脱字がないわけじゃないんですけど
今はもはや
でも数は全然減るし
もう1回2回3回構成かければですね
ほぼ見つけられなくなるレベルに入れますから
しかも速度が違うじゃないですか
もう言ってから
1分とかでやってくる
あれどうやったって同じレベルに僕が持っていくためには
1日はかかりますから
そういう意味では使えますよ
だから投資ですよ結局はね
それが何の投資であれ投資です
とは思いますけれども
投資なら許されるってもんではないということと
やっぱりそういうことじゃないな
自分というものは出るんだなってことですね
3ヶ月チャレンジへの向かっている
ライフがかかる
だから最近身の回りが豪華になってきたねっていうのは
それは3ヶ月チャレンジを頑張りたいというか
3ヶ月チャレンジに集中したいという気持ちが
強烈に現れているということなんだろうなと
合わせてですね
最近タスクジョークラウド2が猛烈に進化してるんですけど
進化って言っちゃいますけど
やっぱりJ松崎さんが無意識なんだなっていう感じがしますね
もちろんファブルですよ
それは間違いないと思う
ファブルですよ
あんな速度でできないですよ
タスクシュートの驚異的な進化とAIの力
彼がどういうエンジニアであれですね
なんかもうおかしいとしか言いようがないぐらい
なんかこの
なんていうのかな
魔法じゃないんだから
やっぱり高度価値っていうのは
こういうボタンをつけたいですって言っただけで
つくはずないんですけど
その速度でついてる
だから不思議なんですよね
毎回毎回
立ち上げるじゃないですか
僕はパソコン一応
日々毎日電源落とすんで
立ち上げるんですよタスクシュートをね
立ち上げると最新版が新しいバージョンがあります
毎日ですよ
一歩間違うと
なんかもう3時間に1回新しいバージョンが
しかもそういうのってバグフィックスばっかりじゃないですか
頻繁に構成されるので
そうじゃないんですよ
なんか新しい機能が追加されてるんですよ
タスクシュートクラウドは
数になって特に一定の完成の域に達したから
そんな3時間おきに新機能を追加されるところはないはずなんだけど
されてるんですよね
驚くなっていうか
やりたいことこんなにあったんだっていう
あれですよね
昔のチョークにあったGKDのサムデイリスト
いつかやりたいリストは永遠にいつかになるみたいな
そこがどんどん実行されているみたいな雰囲気があります
だからなんか気がつくとAIついちゃいましたしね
皆様の一般のバージョンではないかもしれないけど
私のバージョンにはもうカイロスAIっていうのがついてて
今日やり残したタスクを明日にしてくださいって言ったら
してくれるんですよ
そんなのは別に手動でしても全然3秒でできるんですけど
でもしてくれるんですよ
なんかが違う世界だって思いますよね
なんなら明日に回すやつのセクションは
今21時になってるけど
9時セクションにしといてくださいって言ったら
ちゃんとなってるわけですよ
そこのところにGoogleカレンダーの
Googleカレンダー読み込める予定があったら
ぶつかってたらそこはそのセクションを回避してくれって言ったら
回避しといてくれるんですよ
すごいですよやっぱりそれは
他人が僕のタスクシュートいじってる感ありますからね
問題というかすごいなと思うのは
それがここ数日の他の新しいアプリができてみたり
GoogleカレンダーのUIが一新されてみたり
タスクシュートの側からGoogleカレンダーの予定を
編集できていたりする中で起きてることなんですよ
カイロスAIだけが追加されてるわけじゃないんですよ
だからこれはやっぱりAIの力なんですよね
本当にこう具体的に現実の世界に入ってきたり
タスクシュートユーザーならそれは確実に感じます
自分のたぶん生活そのものが
少なくともテクニカルな意味では変わるんで
すごいなって思います
先日言ったチャットGPTにレシピを聞くと
晩御飯が美味しくなるっていうのは
具体的な変化ですから
これ交通事故減らしてほしいなって思いますけどね
人類どこまでもそれこそあれです
ナルシシスティックですよねこれは
自己因じゃないですか
AIは外からやってきたわけじゃないんですよ
人間が作った人間の言葉を使って動いてるもんだから
自己因は人類側にあるんですよ
どれほどAIが自立しているように見えたって
AIは全く自立性ないんで
自己因なんです
あれは鏡なんだと思うんですよね
すごい鏡かもしれないけど鏡は鏡ですよね
鏡が動き出していて
我々の生活を変えて
鏡は我々の生活を変えてますけど
ナルシシズムの世界ですよね
自動で
うぬぼれが強いって意味では
僕はないと思うんですよねやっぱり
43:27
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