1. ライフハック時代の精神分析
  2. 3チャレで佐々木はなぜ変わっ..
3チャレで佐々木はなぜ変わったのか?【1339】
2026-04-08 47:19

3チャレで佐々木はなぜ変わったのか?【1339】

夢を見ているということを理解できてきました。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:05
おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1339回をお送りします。
4月8日水曜日、7時17分ですね。
なんか今日は寒くなりましたが、そのせいなのかやや調子はいいんですよね。
たぶんまだ体が寒い側に寄っちゃってるんですね。 先々日めちゃ調子悪いみたいな話をした気がするんだけど、それは要するに
あったかかった時なんですよね。すごくね。 他の理由もあるんでしょうけど、
ちょっとねやっぱりいろいろありますね。こういうのって。 相変わらずお知らせプラス
3チャレ本題っていう感じでいきたいわけですが、 まずお知らせですが、
プランがこのポッドキャストはないのは、大体聞いている方は皆さんご存知の通りなんですけれども、
お知らせの時はプランが若干あるんですよ。お知らせしなきゃって思ってるから。 これがないとお知らせを忘れてそのままズルズルと本題に入って気がつくと40分経って終わっちゃうということも
ばっかりなんで、お知らせがありまして、 間もなく、本当に間もなく、明日かもしれない。
明日かもしれないですね。明日テントに並んでいる可能性があります。 説聴、人生が変わる自分時間の使い方ですね。
この自分時間の使い方の中では、もうぶっちゃけ言いますとウェニコットをベースにかなり意識して書きましたが、
しかしウェニコットの話を精密に書いていると、多分編集者さんは絶対に ok 出してくれなくなるので、
かなりビジネス書寄りにしているために、知っている人が読むと、なんかこうめちゃくちゃなウェニコットの使い方仕上がって的になっちゃうんですけど、そこはもう
ビジネス書とはそうでなければいけないので、 なんて言うんだろうな。
わかってやっていますっていうのが言い訳になるとは思いませんが、わかってやっています。 しょうがないです。これはもうこういうふうにやるものだと、私はそう思っているし、
だから嘘を書くってわけにもいかないし、でも役に立たなければいけないし、そういうのを全部整合しようとした私の実力があれなんです。
それ以上のものは出てこないんですよ。やっぱりね。 ちょっと頑張ったくらいでは、そんなことは無理なんですよ。
売れるってことも一応目指してますからね。 しかもそれは僕は決してうまくはないんで、
これもういっちょいせきじゃうまくなんないんです。 マーケティングのなんとかとかを勉強したっていうだけでは足りないんですよ、やっぱり。
だけれども、これも私の現段階での限界でして、そこにめちゃのめり込むと、多分3ヶ月チャレンジはできなくなるとか、そういうことが起きちゃうんですよ。
03:05
で、私はそれはないので、そもそも3ヶ月チャレンジができなくなるようであれば、ウィニコットなんて知らんがなってことになっちゃうんで、
だから結局、全てを成り立たせなければいけないのであってですね、どこかを犠牲にしても捨ててもいいとか、そういうことはないんですよね。
これが実人生ってもんだなって思います。 ということでウィニコットを下敷きにはしているが、専門家の目には読むに絶えないものになっている可能性は十分ありますが、
嘘は書いていない。よーく読んでいただくとね、嘘は書いていない。 一人で二人とか二人で一人っていう表現をとって自分時間というもの、自分時間なのに一人ではないということを
比較的強調している本ではあります。 私は自分の実感の中で自分時間というものがあるとすると、まさに
一人で二人が特にその自分時間に相当するなと。 二人で一人になっているところも自分時間ではありますから、
どっちかというと実務的な自分時間はそっちになっていきますから、 この二つが実は若干書き分けられているが、いまいち厳密には読めないということはあります。
二人で一人か一人で二人かっていうのは本当にシチュエーションにも左右されるんで、 仕事だったら絶対二人で一人ですとかそういうことではないので、難しいんですよ、やっぱり。
そこを厳密にひたすら書いていくのは専門書でしかなくて、しかし私は専門家ではないので、そういうことをしてもしょうがないんですね。
そういうことはしてません。 という本なんですが、明日から店頭に並びます。でもビジネス書には滅多にない本なので、
ウィリコットのことが扱われているビジネス書はありますよね、ちょいちょいあります。
ただし、ああいう本は滅多にないです。ウィリコットがやっぱりビジネス書にそもそも出てくるヒントそれ自体が極端に少ないとは言えるので、
例えばドラッガーとかに比べればもうないも同然の存在なんで、そういう意味ではそもそも珍しいですけどね。
とにかく盛り上げていただけるととても嬉しいということですね。
書釣りが5,000円いってませんから、ここはやっぱり専門書ではないにせよ、一般書とはいえ、もちろん電子が出ているっていう事情はありますよ。
にしてもですね、非常に厳しい情勢に違いはありませんので、大船にあった大きめの駅中本屋さんももう無くなっちゃったり、つい最近ですよ、していたりしますんで、
もうひひひひとですね、紙の本というものはもう衰退の一途をとっくにたどってますから、
いよいよその兆しが見えたとかでは全くありませんから、もはやほとんど消滅しかけているっていうのが正しい認識だろうなって思います。
まあ大型書店さんがまだね頑張ってるところが結構あるから、そう見えない部分もありますけど、まあ目に見えてなくなってるのは間違いないです。
だって大船の書店さんとか小田原のですね、駅ビルの最上階にあった本屋さんとか、無くなるイメージ全くないですよ。
06:04
ああいうのが無くなっていくんだからなっていうのをやっぱり考えててもしょうがないんですけどね。
最近の新書でそういうことがよく取り沙汰されていましたけど、全くその通りだなっていうふうに今は思います。
はい、まあそれはそれとして、そういうことはそれとして、電子書籍もあるわけだから、
まずまずこの方向も自分はいくらかを模索していかなければなと思っております。
いずれはですね、今やってるこの仕事のようなことが本に書けたらいいんですけどね、まあでも書けばわかるっていう話ともまた違うと思うんで、
書けばわかるってことならもう特にKDPかなんかで出してるんですけれども、書けばわかるわけでもないですから非常にお伝えするのが難しい。
何しろ中高大といっても出てこない話をしてるんでね、出てきますけどフロイトの名前ぐらいは。
でも全く伝わるようにはフロイトとか出てきてないんで、あの扱われようではもういないのと変わらないなっていうレベルに入っておりますんでね。
そういう意味ではやっぱり、この番組を通じたり、
ウェブサイトを通じたり、その他の活動を通じてやっていく方が手っ取り早かろうと、3ヶ月かけて本書いて全く読まれないっていうよりははるかにこの方がいいだろうとは思います。
はい、そういうことでよろしくお願いしますが、合わせて3ヶ月チャレンジが5月から来期が始まりますが、
その前に4月にお試し期間がありまして、そのお試しの初回は無料でお試しいただけますんで、
ウェブサイトを探していただくというか、私のXとか、この番組でも、この番組に貼っておかなきゃいけないな、
この番組に忘れなければ貼っておきますが、ウェブサイトに申し込みページはありますんで、そこからGoogleカレンダーから私がなるべく空いてる日を全部公開しておりまして、
空いてる日時ですね。1時間分。そこのどれかの枠を入れていただくと、3チャレを試せるか、試すか試さないかモードに入れます。
そういう言い方になります。初回はとにかくお金かかんないんで、お試しいただいてもいいんではないかなというふうに思います。
残り2枠とさせていただこうかなと思っておりますけれども、頑張れば3枠いけるかもしれないっていう感じで考えておりますんで、
とりあえずまだ閉ざされることはありませんので、締め切ったりはしませんので、よろしくお願いします。
では本題に入りたいと思うんだけれども、昨日の続きみたいな、昨日ですね、すごい良かったみたいなんですね。
総視聴者数に対して、いいねが5割を超えてるんですよ。これは大変、総視聴者数が100人満ちてないので、
09:03
5割を超えていると言っても、それで5割を超えてるっていうのはつまりどういうことやねんって感じなんですけど、
でも5割を超えるって素晴らしいんで、大変ありがたいなと思いました。ちょっとびっくりしました。5割を超えたことはないんですよね、朝見てた段階では。
5割は超えないっていう2人に1人以上がいいねをくださるというのは、これは私のやっていく世界だなって思うんですよ。
満々すっていいじゃないですか。アクセス数1万ってなった時に、5000いいね以上つかないじゃないですか、普通に考えれば。
ていうか、そんなんと見たことないですよね。5000いいね以上が1万に対してつくっていうのは、数字として異常な感じがして、それは異常ですけど、
そういうことは起きないと思うんですが、100いかない人間にはこういうやり方もあるんだなっていうふうに思いました。
昨日いろいろたくさんいいねいただいたんで、昨日の話の流れでいこうと、別にだからってわけじゃないんだけど、
3ヶ月チャレンジのPRを含めてそのままの流れでっていうことですけれども、私自身が変わったって話を昨日させてもらいましたが、
私自身が変わった中にはいろいろありまして、一つはですね、やっぱり私が仕事をしていないという批判が飛んだ時に、全然気にならなくなったっていうことがあるんですね。
合わせて年少1億とかいうものを見た時に、全くすごいなと思いますよ。すごいなと思うようになったんですけど、もともと思ってたけど、
めちゃくちゃ普通に羨ましいなと特に思わなくなったんですよ。お金には困ってるわけだから多少とも、結構僕は困ってるんですよ普通に。
だけれども、だからこそもっと羨ましがれるはずなんだけど、そういう気持ちに全くなってないというのが、やっぱりこれは精神分析なんですよね。
3ヶ月チャレンジでもありますけれども、昔だから羨ましがってたんですよ。そういうふうに感じないように感じないようにしてたんだけど、感じなくなってみると感じてたっていうのがよくわかるんですね。
羨ましいと思ってたし、フリーランスはそうでなきゃいけない。そうでなきゃいけないとは多少は思いますね。やっぱりフリーランスっていうのは何が起きるかわからないので、例えば今の物価が上がっていきますみたいなのでも、
毎月の給料が固定的に来る方と、その場合はどこを切り詰めるとかで対応できると思うんだけど、そうではない人間とでは、やっぱり今のように戦争危機、石油危機みたいになった時の恐怖感が全然違うと思うんですよ。
だって来月の給料とか入らないわけですから、基本的には。だから、しかも資産が乏しいとなってきますとですね、それはやっぱりね、ありますよ。
だから当然、AIの新しい何かが万バズして燃焼が1億になったとかいうのを聞くと、こうなったら楽だなとは思うんだけど、思わなくなってるんですよね。非常に不思議なことに。不思議だと思うんですけどね。いくらかね。
12:12
でもなんでなのかの説明が自分でつくので、合わせてですね、ごく身近な人に、やっぱり僕はそういう働き方をしちゃってるから、言われる、言いやすい人間なのかなと思うんですよね。
佐々木さんって仕事しないですよね、みたいな。仲間褒めてるんですよ、フリーランスの場合。でも私は、それは結構、昔は罪悪感があって、やっぱり一生懸命頑張らなければいけない。この抽象的な表現が大きな間違いなんですけど、一生懸命頑張るでは意味が全くわからない。
よくよく考えてみると。で、これが楽とか大変とか、稼いでいるとか稼いでないということとは何の関係もないんだっていうことを、精神分析でだいぶ分かったんですね。
やっぱり昨日も、昨日と同様、藤山直樹さんがおっしゃってたんですけど、小川さんって方なのかな、多分超有名な人だと思います。精神分析界の。で、小川さんって方が、我々は患者さんのために日夜奮闘するんだ、みたいな精神分析の話ですよ。
というのに引用して、日々ケチをつけるのは申し訳ないんだけどって書きながら、日夜奮闘してないよねっていうことを書いてるわけですね。
これは私は、他にもいろんなことを似たような話をしている人はいますけど、藤山さんのが、僕の感じにはしっくりくるんですけど、仕事っていうのは奮闘したら続かなくなる。これはですね、とても大事なことだと思うんですね、私。
で、彼は、ちゃんと歯磨きするテンションでやるといいっていうのを精神科にいた頃によく言ってたんだって書いてますね。これだから患者さんに言ってただけではないよっていう感じを僕は持ったんですね。
同僚の人とか看護師さんとかそういう人たちにも、このことはよく言ってたなっていうのを書いてるんだと思うんですよ。プラークをとりあえず取れるぐらいにはちゃんと磨こうと思っていても、毎日のルーティンなんだから、そんなに奮闘したり一生懸命頑張っていると続かなくなるよと。
彼の本にはこういうのがパッと出てくるのも大変良いんですよね。野杖さんの本にも全く悩みじゃないんだけど、やっぱり藤山さんのはリアリティがすごく強いんですよ。いかにも言ってそうだなって感じが分かんないんだけど、なんかそういう感じが伝わってきやすいんですね。
価値観中立ですから、精神分析は。セッション中そういうことを言うかどうかってのは分かんないところもあるんだけど、価値観中立っていうのは嘘ですけどね。でも、これは一つの価値観を示してるじゃないですか。結局仕事とはどういうふうにやるべきかという価値観を。
意外と語られないんですね。結構大変だ大変だっていう、正規の心理師さんがいかに大変かっていう話を常にあちこちで見聞きする人間としては、この大変にやってはいけないというのは実はあんまり見ることがなくて、でも私はあれにいつもすごく大いに賛成するんですよ。
15:18
ツゲヨシハルさんとか最近お亡くなりになりましたけどね。極端だけどツゲさんとかですね。つい最近も読んだんですよね。タイダの美学っていう本を書いている。割と僕この人も好きだったんですけど、タイダの美学誰だったっけな。名前が出てこなくなるのはこの年になってくると恐ろしいんですけどね。
中高新書家なんかで私は思ってたんですけどっていう方が、そうそう梅崎さんですね。詩を書いたりしている人ですね。この人はよく私もこれすごいね、この人の感覚ってよく伝わりやすいんですよ。
私は100均のプラスチック製品のようでありたいってよく言う話をここでしますけど、あれがどの程度理解、納得されているかわかりませんが、梅崎さんも似たようなこと書いてて、人間なんかに生まれなきゃよかった。雑巾にでも生まれていればこんな苦労することはなかったんだっていう。彼はよくそういうことを書くんですよね。生まれるんだったら貝になりたいってあるじゃないですか。
あんなに詩的じゃないですけど、滝とかがいいみたいな。なんか一生懸命動いてるようだけど実は全く動いてないとかそういうようなことを知り描いてたりするようなタイプの人ね。でもこの感じだなって感じがするんですよね。
サンチャレやってても思うんですけど、たぶん仕事全然してない人間に畑目から見えるだろうと思うんですけど、これ以上やると結構危険水域に入ってきちゃうんですね。この危険水域に入るってことは絶対基本避けるべきことであり、かつ自分ではわかんなきゃいけないって思うんですよ。
わざわざ危険水域に入ることを良しとするっていう考え方の人もいらっしゃるんですが、私はそれはある種の罪悪感のなせる技か何かだと思うんです。
で、私はよくいかにお前が仕事しないかということに対して批判的に言われることはあるんですよ。結構近い人からも身内に近い人からも身内からも。でもですね、昔はこれが答えでたんだけど、それはやっぱり私自身のひどい理解力不足から来るものであって、全然気にならなくなるようになったんですね。
で、そうなるのには訳があって、いかに人と比べないかなんですね。で、人と比べるっていうのは本質的に完璧におかしなことだ。人と比べるってのはですね、なんか私とタランチュラを比べるみたいな話なんですよ。そもそもそこには何の共通点もないものを無理やり引き合いに出しているから、自分はタランチュラのように毒持ってないしみたいなことで思い悩むぐらいずれてるんですね。
18:08
でもこのずれに我々はいつしか何かならされる、これは何ていうのかな、もののやっぱり見方なんだと思うんですけど、ある種の観点というものが強引に取らされていて、それがですね、客観的事実のように思っちゃうんですよね。
で、これはね、スキルではない、スキルなんだけど、ある種の。でも能力とか人格とかにはまして関係ないんですよ。だから人格的にタイダとかいう不思議な言い方があるんだけど、あれは本当に不思議な言い方で、勤勉な人格とかタイダな人格とかないんですよね。ないんだけどあるように、ある方が正しいように思えるところが有名なんだ。
これはやっぱり夢って言葉がですね、精神分析ではこの夢って言葉を実に独特な使い方をしているんだけど、本当にこれがまず伝わらなければいけないよなと。結局でもそれって美音だから、現代精神分析に近い領域なんで、我々が少なくともたとえ倫理の教科書にせよ、目にする耳にするのは古典なんですよね、精神分析の。
古典は大事なんだけど、なんかやっぱりなんて言えばいいんですかね、文学というものを理解するのに当たってはですね、現代文学とは言わないまでもやっぱり、例えば世界の文学みたいなときにはかなり軽い読み物だとして、ヘミングウェーぐらいは読まないと、なんかこう、面白くないじゃないですか。
なんかカンタベリ物語とかばっかり読んでたら、つまんないじゃないですか。だから古典っていうのは、そっから出てきているんですみたいな話を理解するには必須かもしれないけど、古典から入っちゃいけないような気がするんですよね。古典大好きって人結構少なくないし、文学の世界ってマニアックなんですぐなんか調査みたいな話になっちゃうんですけど、やっぱあれは良くないと思うんですよね。
だって今時の人間がカンタベリ物語読んで面白いはずないと思うんですよ、常識的には。普通一般の感覚からすると。だから精神分析もフロイトから入るってのはどうなんだろうって思うんですよ。フロイト絶対欠かせないのは確かなんだけど、フロイトから入ると訳わかんなくなっちゃう気がする。
だからといって美音が訳わかりやすいかっていうと、そこがすごい問題なんですが、夢、フロイトも夢分析とか夢判断とかすごく言ってますけど、夢、非常に大事ですね。でもフロイトが言ったような認識とか理解ではないな、もはやっていう感じは自分の中でします。
なぜかというと、あそこからアプローチするのはすごいと思うんだけど、やっぱり自分の日常生活にはあんなものの見方はなかなか現れてこない。加工みたいな考え方、圧縮みたいな考え方、自分に何かを隠しているみたいな考え方、それはそれで有効活用するべきポイントあると思うんだけど、やっぱりそうじゃなくて、美音が言ったみたいにですね、普段から僕らは夢を見ていると。
21:25
この夢の見方の問題なんだなと思うんですよね。で、この夢の見るっていうのは技術じゃないんですよね。なぜならこれも技術的にはできないというところがあるんですよ。でもこれは難しいことではないんだけど、できないときにはできる理由もよくわからないものでもある。
私は一番やっぱり交差点と野球場なんですよ。僕にとってはね。交差点に入ると人は誰もが間違いなく夢を見る。そうじゃなければ大事故を起こす。どっちかになっちゃう。交差点に入ったときに、なぜ赤信号が赤く見えるのかっていうような話っていらないじゃないですか。基本的には。
4歳児でも赤信号は赤信号じゃないですか。しかも幼い子を連れてる人はみんな知ってることだと僕は思うんですけどね。子供は信号に興味を持ちますよね。ほら赤とかって言うじゃないですか。子供は。この中に夢を見る技術ってものが含まれていると思うんですね。
やっぱり2歳児は、1歳児は十分何に興味を持っていいかよくわかってないから、信号機の傘の部分とかに興味持っちゃうじゃないですか。普通のってのは実に難しいんだけど。信号機の傘の部分には興味持たないですよね。キャップみたいになってるやつ。よく見るとありますよね。明るいと見えないからね。
今のやつすごいよくできてるから、うちの町でも全部取り替えてきてるんですけど、ああいうところに予算のどう使っていいかよくわかんないんだろうなっていうのがあるんですけど、傘なくなっているんですよね。薄くなってるんですよ。昼でもはっきり見えるんですよね。まあああいうものに僕はだから着目しちゃうんですけど。
あれがつまりシンボルであり記号であり象徴というものですよね。わりと農家学の本に信号って出てくるんですよ。やっぱり信号機っていうのは紛れもなく人工物ですから、自然にあり得るものは絶対ないんで。だから犬とか猫とかかわいそうなことに、今青だから渡ろうとかいう概念は彼らは持ち得ないもので、頭は2歳児よりいい犬って多分いると思うんですよ。
でも概念というものは決して持たないので、そういう生き方はできないと思うんですよね。
夢を我々が見るっていうのは、自動的にそういうプロセスの中に入り、勝手に終わっているものだと思う。この勝手に終わっているものの中で、私はですね、例えば奮闘せずに仕事をするっていう夢を見ているわけですよ。
24:13
この夢は私のための、私一人が見ている夢なんですが、にもかかわらず信号と交差点がそうであるように、他の人と共有できる夢なんですよ。
こういう夢を見てます。今青信号だという夢を見てます。だからここを信号しても大丈夫ですっていう、こういうふうに夢を見て我々は生きているはずなんですよね。
これが直接近くの世界では起きない。赤だから止まるとか青だから進むとか、そういう感覚はない。青は見えてるはずなんですよ、鳥とかになって、カラーがわかる鳥には。
でもだから進むという概念は決して用えないと思うんですよね。
こういうふうに私たちはお金に価値があるとか、年少1億だと楽に生きられるとか、本を書くためにはこのぐらいの時間が必要だとか、そういう膨大な夢を脳が勝手にどんどんどんどん作っては処理して、作っては処理してくれているから、何にも考えなくてもかなり妥当に生きられるというのが望ましいと思うんですよね。
何にも考えない必要があると思うんですよ。人こうね、今青だからどうどうこうのとか考えていたら多分死んじゃうと思うんですよ。
この問題はすっごく簡単なようで、実に複雑なところがあって、しかも実に危険なところもあるんだけれども、これができなきゃどうにもならないところもあるんですよ。
野球の練習とか、よっぽど好きな人間ですからね、私はね、東京ドームに練習時間から入ってくるんですよね。どこに立ってちゃいけないっていうのがあるんですよ。ファールボール直撃して一歩間違うと大怪我しますんで。
でもそういうのは、私子供の頃から分かってたんですよ。野球は下手っぴだったんだけど、どこに立ってちゃいけないっていうのは子供の時から分かるんですよ。
で、やっぱりそういうのは夢なんですよね。だってそこに絶対ファールボールが来るとかそんなことはないじゃないですか。
で、本当に外国人選手の腕の太さが私の足の太さより太いみたいな人がバッタボックスさせると、やっぱりちゃんと警戒して、なんか物陰とかに隠れるべきなんですよ。ものすごいんですよ打球が。
大谷翔平は1点何倍くらいすごいんですけど、だからもうなんか本当は球場に行くの怖いだろうなって感じがするんですけどね。
あのこともそうなんだけど、でもこれ物理的な話ですよね。鳥だって何だって分かりますよね。
でも大谷翔平はパワーがあるからスピードボールが来るからこの辺に立ちちゃダメってのは夢なんですよ。
ですよね。どんなに動体視力が優れている鳥でもこのようには考えない。
だから多分野球場にずっと飛び込んでたりすると撃墜して死んじゃったりするんだと思うんですよね。
27:10
そういうことなんですよ。夢が見られる見られないということは。
これ予知とか予想とか認知とかっていうことをどんどん使いたがるのが人間で、非常にある意味よろしくないと思うんですね。
なんかね、知覚に対する解釈をつけることが予知とか認知なんだみたいなことを言うと、それはその通りですよ確かに。
一つ一つを取り出せば。でも僕らは一つ一つを取り出して生きてはいないんですよ。
この夢の中には今大谷がバッターボックスに入ったからちゃんとボールの行方ちゃんと見ておかないと怪我するよねっていうことと同時に
家に帰ったらサンチャレのお客さんが待ってるなっていうのが夢なんですよ。
認知っていうのは僕らが認知とかSR反応、刺激と反応みたいなやつっていうのは部分的に取り出したものでしかないから
あれいくら追っていっても、例えば今度私ちょっとこれは思うところがありまして
週刊課のセミナーシリーズっていうのを5、6回でやろうと思っているんですね。
これは3ヶ月チャレンジした別コースを作んないなっていう、この精神分析をいわゆるビジネス的な営みの方に持ってくるというか
そういうところにも使えますというのを1on1をずっとやっているだけだとどうしても広まることはないんで、ほとんどないんで
もう少し広める活動というものをしたいと思って考え出したものなんですけれども
もちろんあれですよ、整形を営むという事情もありますよ。
常に私はこの2つはセットなんで、本当にカツカツなんでね。
1年間で常にずっと収支が黒だったことってまだ1回もないんで
ゼロになったことはないという程度で、常に借金を検討するっていう人間なんで
来たこともないんですけど借金自体はね。
すごいだから危ういところをやってるわけですよ。
で、それはいいんですけど、この行動科学っていうのは間違ってるわけじゃないんですよ。
全然正しいんですけど、なんで私が行動科学からは離れちゃってるかというと
今言ったように人は夢を見て生きているっていう方が
その人の動きを決定する重大因子だからなんですね。
で、例えば夢が見にくくなっている人、それは眠れなくなるということにもなるし
リラックスできないとか、人と話すと落ち着かないとか
特定の人が家からいなくなると、オグデンの本にあったエンジニアさんみたいなもんですね。
奥さんが家からいなくなると、ソワソワしちゃうとか
30:02
そういう話全部と絡むんですけど、全部と絡むんですよ。
一個だけ出てこないんですよね。
全部と絡むんですが、夢が見られないというのは
これを精神分析することで、藤山直樹流に言うと
だから日夜治療するために奮闘するっていうのに対して
彼がいちいち引用してはチャチャを入れたりっていうか
チャチャを入れては良くないけど、言ってみれば批判的に書くのは
治療してないとまず彼は言ってるわけですよね。
精神分析をするんだっていう、この漢字は私も
僕の場合は特に治療を全くしないっていう方針というか
立て前というか、その立場ですからね。
心理臨床じゃないって言ってますから
でも僕はすごい精神分析にそれを寄せてることは正しいって思うんですけど
妥当だなと思うんですよね。
CBDに寄せちゃうとむしろ治療に近づく気がするんです。
夢が見られないってことはないから、夢が見にくくなってるっていうのは
なんか血管みたいに語られるのもどうかと思うんですよ。
普通は見られるとか、だから治療しなければならないっていうようなものとは
全然違う気がするんですね。
だって私が野球場に行ってファールボールに気を付けるのは
夢が見られるからなんですけれども
でも夢が見られる人ならちゃんと気を付けて激突しないかというと
そんなことはないんですよ。
ファールボールをまともに食らって泣いてる子っているわけですよ。
そういう子はじゃあ球場に来て適切な夢が見られてないかというと
そんなことはないんですよ。
すごくこの辺が引っかかりがあるんですよね。
夢が見られる夢が見られないというのは
例えば夢が見られていないから人と比べるわけじゃないんですよ。
だって私は昔から別にこの分析的に言うところの夢は見られていましたが
年少1億の人は羨ましかったし
人にお前仕事してないって言われるとめちゃくちゃ罪悪感が募って
そいつとはもう仲良くできない、口も聞くのをやめようみたいになって
しかし悶々と悩み、仕事を変に増やすみたいなことはやってたわけですよ。
だから当時は夢が見られなかったからそうしてたわけではないんですよ。
ただ分析をやるようになって、分析を知るようになって
夢を見ているんだという自覚を強烈に持ったんですね。
これは全部夢なんだという。
だから夢幻だって言ってるわけじゃないですよ。
私は夢を通じて現実と触れ合うことしかできないんだと
例えば目の前にある川の桜という桜は
花散っちゃったんで葉桜になってるんですけど
鮮やかに緑色だという夢を見てるんですよ。
緑色なんですよ。いや緑色じゃないんだけど
葉っぱに色がないからね。あれは光が当たってるだけなんで。
33:04
でもこう見えているのは正しいんですが、でもこれは夢なんですよ。
この漢字が伝わらないんですよね。
例えば私はこの川の桜は
うちの奥さんが買ってきたものだということを知ってます。
というのは他の人は知らないじゃないですか。
だから同じ桜を見たときに同じ桜を見ることになります。
写真のようなものとしては。
しかしこれと奥さんが被るのは私の心の中だけです。
奥さんが買ってきた奥さん自身ももちろん買ってきたことは知ってるんだけど
同じようには見えません。なぜなら自分が買ってきたから。
こういうふうに人はものを見るはずなんです。
この桜は私が買ってきたんではない。奥さんが買ってきたんです。私からすると。
でも奥さんは奥さんが買ってきたんじゃないんですよ。自分が買ってきたんですよ。
事実としては同じですよ。でも夢の見方は変わります。
このように人は夢を見て現実と触れ合っているんだけれども
この夢を見て現実と触れ合っているんだっていう
夢だから現実と触れ合ってないんだじゃないし
現実と直接触れ合っているわけでもないんだけど
夢を通して現実と触れ合っているんで
これに上下はないってことだ。
だって私は奥さんが買ってきたって見るのが適当じゃないですか。
正しいとまでは言えないけどそう見なくてもいいわけだからね。
でも適当じゃないですか。奥さんは自分が買ってきたって思うのは間違っちゃいないわけじゃないですか。
それはナルシシズムだってことはないじゃないですか。
本人が買ってきたことに違いはないんだから。
それを私が買ってきたと思うのは思い違いですよね。
でも思い違っちゃいけないかというと別にそんなこともないじゃないですか。
思い違いは現実には我々はいくらもしていますよね。
だからいいんですよ。どういう夢をどう見ようと。
ただそれによって現実、例えばそれによって
野球場でファールを撃突すると痛いよねとかそういうことは起こるんですけれども
夢の見方に正しい正しくない上下はないんですよ。
ただ夢を見ているという自覚を持った時と持ってない時とでは
若干それは結構大きな現実との接触の仕方における
融通の聞き方は変わるんですよね。
まあ変わるようにも思います。
変わるんですよねと断定できるほどまだ状況証拠が乏しくてですね。
変わると多分思います。
で私は夢の見方を、夢を見るというのは無意識に起こっちゃうことだから
自分に都合よく操作できるわけじゃないし
またできてしまっては危険なんですけど
それでも何と言うべきなのか分かりませんが
例えば私の肌が老後には荒れるかもしれないという夢に
36:00
僕はずっと苛まれてたんだけど
こういう夢は夢なんで現実ではない。
分かりませんよ。そうなる可能性はある。
でも可能性と夢とは違うんですよ。
これはすごい難しいんですよね説明しだすと。
可能性と夢は違うんですよ。
現実にこうなるかもしれない。
我々はそういう風に夢を見ることによって可能性を検討するんだけど
可能性そのものの夢は違うんですよ。
このように夢ってのがどういう性質でどういう限界を持っていて
限界だらけなんですが
どういう作用を及ぼすのかということを
あれこれあれこれ探っていくうちにですね
自分がこういう夢を見ると都合が良くないとか
そもそもそういう夢はナンセンスだということを
少しずつ定理していくみたいなのが
精神分析をするってことかなという風に思います。
なんで治療するわけじゃないんですよね。
だって夢AをBに変えるのは治療であるということになってくると
夢Aは間違ってるが夢Bは現実に近い
そんなことはないんですよ。
しかもそれは文化状況によって変わっちゃうんですよね。
まさに今そういう議論をしてるじゃないですか。
憲法9条を絶対守るのが平和を守る道なのか
少しは抑止力を高める方が平和を守る道なのかって
違う夢を見ているから
で分かんないじゃないですか結局どっちになるかなんてことは
相手当てのことだし
分かんないって言ってる段階でダメだっていう人だっているじゃないですか。
分かりきったことだっていう。
でも僕は全部夢だと思うんですよ。
分かりきったことだっていうことにせよ
分かんないっていうことにせよ
こうするべきだっていうことにせよ
ああするべきだっていうことにせよ
そこに容疑はないと思うんですよね。
だって結果は分かんないはずだから。
どうしたからこうなったのかっていうのだって
究極的には言えないはずですしね。
ただ言えるって僕らは思っちゃいがちなんですけど
これもまた夢なんですけどね。
でこの夢っていうのは
その人が妄想抱いてるとか勝手に空想してるってわけではないんですよ。
そういう部分もあるけれど
信号が赤の時止まった方がいいのは
妄想してるわけじゃないんですよ。
正しい行動なんですよ。
ただし私が見ている赤信号は
私の夢でしかないんです。
私が見ている夢が適当である限り
多くの場合社会生活を営むにおいてはスムーズにいきますが
適切な夢を見てるからといって
事故らないとかそういうわけじゃないんですよ。
適切な夢を見ているばかりに事故ることもあるはずなんです。
よく言うじゃないですか
正常性バイアスとか言って
みんなが平時正常だと思って動いているからには
正常だろうと信じるのは
実は正しくないと。そうですよね。
誰かが倒れているんだけど
みんなが気づかないから自分も気づかないというのは
39:01
正しくないですよね。しかし
おおむね正常性バイアスに沿って動いている限り
社会生活はだいたいうまくいくようになっているのも事実なんですよね。
他の人が見ていて見えるねっていう通りに
だいたいしておいている方が
あれあれの生活を立てる上では
無理はないわけですよね。
ガソリンスタンドにみんなが並び出したら
やっぱり給油を入れる暇があれば
給油しといた方がだいたい基地なんですよ。
いやいやあんなの並ぶのバカでしょとか
言ってるうちに値段が上がっちゃったりするのは確かなんですよ。
でももしかするとそんなのに並ばずに
翌日行ってみると
知りませんけど政府が給付金出して
安くなってるってことが起こるかもしれないじゃないですか。
そんなことは分からないですよね結局は。
でもだいたい多くの人に習っておくと
おおむねうまくいくっていうのは
事実なような気がします。
ディズニーランドのアトラクションとかを見ていると
だいたいそういうふうになってます。
それは情報があるせいもありますけれども。
でも情報ってありますからね。
そして情報を思う僕らは夢を通じてしか見られない。
情報なんて特にそうです。
情報を直接近くしても何の意味もないです。
文字は猿にだって見えるでしょう。
でも意味はないじゃないですか。
直接近くって意味はないんですよ。
我々読めない人間がアラビア文字読むようなもんであって
見ることになっちゃうだけなんです。
でも近くはしてますよね。
夢は近くでは決してないので。
夢はやっぱり意味を持っちゃってるんで。
だから意味があるんですけれども。
だからいいんですけれども。
という感じで私はですね。
まだ克服はできてないんですけど
お金の問題から大きく開放されつつありますよね。
お金ってのはすごい人に夢を見させますから文字通り。
すごい夢を見させる。
一文無しになったら恐ろしいっていうのは恐ろしいですけど
恐ろしいという夢を見てるときは一文無しにはなってないので。
そういう夢を見ているうちに
人とタランチュラを比べるみたいなことが起きるわけだと思うんですね。
私は自分とタランチュラを比べるみたいなことを
今までずっと不思議とやっていた。
大谷翔平さんとか藤井聡太さんとか
ああいう人たちとは比べてないけれど
結局のところは誰かと比べてるんですよね。
仕事をしてないなんてまさにそうじゃないですか。
全く仕事一分もしてないなら別ですけど
一分でもしてるんなら
他の人と比べる理由は特にないわけですよ。実は。
自分の仕事がうまくできてるかどうかを
他の人と比べる理由は
そのナンセンスの極みみたいなもんですよね。
私と同じ仕事をしてる人なんて本当にいないんで。
全くいないんで。
だって精神分析的ビジネスコンサルなんて
してる人他に誰もいないじゃないですか。
これをしてる段階で
してるってことを人と比べるって人もいますよね。
そんなのをしているから○○だみたいなの
よくあるじゃないですか。
42:01
でもそんなのを私がする理由と
他の人がしない理由は
あまりにも関係ないわけだと思うんですよね。
で、間違いなくこれは夢ですから。
精神分析的ビジネスコンサルなんてものは
この世の中にないですから。
私があると思ってるだけですから。
私がこれがないと思って
無くしてしまえば本当になくなりますし、たぶん。
こういう風にできているものを
他と比べようがないわけなんだけど
比べられるような気がするようなもんですよね。
他の人はちゃんと仕事をしている。
うちの奥さんが時々言います。
兄は医者をしている。
それに比べてあんたは何をやっている
っていうような話ですよね。
それは世間的には通ります。
もちろんそれでいいんです。
ですが、比較の仕様がないんですよ、実際には。
医者をしているって言っても
異常に幅広いし、
結局一歩間違うと
お金をいくら稼いでるって話になるじゃないですか。
お金いくら稼いでるって話になると
非常に極端な例がありますよ。
めちゃくちゃ特殊作業をやっている
超親玉がめちゃくちゃ
妻の兄のお兄さんの稼いでる金額の
千倍くらい稼いでます。
そっちの方が立派ですってことには
ならないじゃないですか、なかなかね。
そもそもやっぱり比較するのが
ナンセンスじゃないですか。
今比較したポイントは
お金を稼げているっていう点において
高度なことですよね。
つまりその人の心の中に浮かび上がらせたことですよね。
でも実はそれだって
実に高度なことをやってるんですよ。
お金という抽象的なもの
その数字上の代償の比較
そこにおける
例えば年齢の中で
80歳が1000万稼ぐのと
40歳が1000万稼ぐのと
20歳が1000万稼ぐのを
我々は分けて考えるでしょ。
どっちの方が上だっていう考え方を
一人一人が持つじゃないですか。
なぜ持つのか
どうにもならないことじゃないですか。
今80なのか40なのか20なのかは
選べようがないじゃないですか。
で、これをパッと横一線に並べるっていうのは
心の中でしかできないことですよね。
そういうことを僕らは
実は超高速に絶え間なくやっているはずですよね。
やってなければ
自然な私はまだ何もしていないとか
さっきの植崎さんが書いていた
32にもなってこんなことをしているっていう風に
雑巾に生まれておけばよかったのにっていう
詩の結びが
32にもなってまだこんなことをしている
なんですけど
うまいことを書いてるけれども
全く意味のないことを書いてますよね。
32にもなってこんなこと
こんなことってどんなことなのかも
詩なんでね
実にいい詩だなって私は思うんですよ。
45:01
こういう夢を僕らはみんな見ているなと
32にもなってこんなことをしている
本当にダメだよねっていうニュアンスが
ヒヒヒヒと伝わってきますけど
こんなことってどんなことなのか
書いてないんですよ。
まさにあんな感じじゃないですか。
何にもそこに実態があったり
具体的な意味があったり
こんなことをしていると
みんながみんなパージするとは
誰も言ってないんだけど
あれだけで伝わっちゃいますよね。
32にもなってこんなことをしているっていう
書けばもうなんかその人は
自虐している
履歴の念に駆られている
不要に自分を責め立てている
なんだか欲打つっぽいっていうのが
一発で全部そこが詩ですよね。
伝わってくる。
でも実は何も言っていない。
まさに夢を見ているって感じがしますよね。
こういうのは夢なんだっていう
夢を見ない方向とかじゃないんですよ。
夢は見るんです。
夢見なければ
僕らは生きていけないんで。
だから32にもなってこんなことをしているって
一言言うだけで
自分を責め立てられ始めるわけですよ。
どれほど園人とか類人猿が賢くても
絶対できないゲートだと僕は思います。
人間ならではですよね。
これができるというのは。
これを誰かに教わったとか
誰かにやれと言われたっていうのも
どうかと思うんですよ。
そんなのやめとけっていう人
いっぱいいると思いますよね。
梅崎さんに向かって
お前十分ちゃんとやってるよとか
そもそもそんなこと考えなきゃいいのに
どう思いますか。
それは技術っちゃ技術ですよね。
大変高度な技術だと言えば
そうも言えます。
でも実に変な使い方をしている
という感じもしますよね。
治療によってこれを修正するべきだとか
その詩人の詩的な才能を削り取ってでも
心理療法を受けるべきです
っていうことになってくると
僕は全然そんなことはないと思うんだけど
これは精神分析をするんだよって言われると
少し納得できるんですよ。
なんて言えばいいんだろう
夢を見ていることを
認識しましょうね
っていうことでしかないんですけども
詩人のような人は
そんなこと100も承知だと思いますよ。
47:19

コメント

スクロール