1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. タスクシュートは朝を楽にして..
2026-01-13 30:02

タスクシュートは朝を楽にしてくれるのか?【1306】

タスクシュートの話は最後に少しだけです。
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サマリー

今回のエピソードでは、3ヶ月チャレンジと精神分析の関係について考察し、社会適応の必要性やその曖昧さを掘り下げています。目標設定や個性に対する価値観の向き合い方についても議論が交わされています。タスクシュートが実行を支援する可能性についても話題に上がり、自己愛的万能感や批判に対する反応の仕組みが深く掘り下げられます。また、朝のルーティンや早朝プロジェクトについての考察が行われ、自己理解の重要性が強調されています。タスクシュートは、生活の質を向上させる手法として特に朝の時間の活用に役立つ可能性があります。このエピソードでは、タスクシュートの効果やジェンダーの問題についても掘り下げています。

3ヶ月チャレンジの概要
おはようございます。 佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1306回をお送りします。
1月13日火曜日7時17分です。
はい、えーっと、早い早い早い。 いろいろ今日も事情がありましてね。これを撮るのを早く済ませて
さっさと出かけて戻ってきて、といろいろあります。
引き続き、お知らせです。
3ヶ月チャレンジ、来季、おそらく第13、第13が2月1日スタート、2月3月4月の3ヶ月で4月の30日までということになっています。
で、えーっと、75,000円です。
で、2月だけお試しで25,000円でお試しいただけます。3分の1ですね。
で、えーっと、2月お試しいただく前に1回だけ、多分最初の方はですね、
えーっと、無料で40分以上、40分、あの、40分前後、40分ぐらいのセッションをさせていただいて、ここで、あの、3ヶ月チャレンジで扱えるかどうかっていうことを、あの、まあ、
なんとなくね、感触で確認しましょう。1回で全部分かるわけでは、もちろんないんですけど、まあ、それでもなんとなく分かることもあるでしょうということで、まあ、この精神分析では何かと、集結って問題になるわけですよ。
終わっていいのか、なぜ終われるのか、なぜならば精神分析って、まあ、あれは心理療法に限りなく近く、心理療法のベースになったものでありながら心理療法ではないので、
ないんですよ、あれ。厳密には。治療ではない。まあ、これも意見が割れるところだと思うんですけどね。
ただ、治療でないということは終わらないんですよね。治療であるからには治療しましたということで終わっていいんだけど、
えっと、治療でもないのに終わるっていうのは、もちろん終わりたくなればいつ終わってもいいんですけど、終わるための明確な根拠が、まあ、そんなに明確ではないわけですよ。
だから終われないんですよ。そういうことになっちゃうと。それはそれでよろしくないので、集結って考え方があるんですけど、終わりある分析と終わりなき分析っていうのをフロイトも書いてるんですけど、まあ、そうは言ってもですね、えっと、何を持って終わるのかってやっぱり割れちゃうじゃないですか。
もしかして分析家の方もね、生活に苦しくて終わってほしくないかもしれないと。しかも無意識を扱う仕事ですから、無意識のうちに終わってほしくないと思ったら終わらなくなっちゃいますよね。
で、これを避けるためにも集結って考え方がありますが、かなりこれは扱いにくいものだと私は思うので、1回1回3ヶ月チャレンジは3ヶ月で集結することにしてあります。
あくまでも継続という考え方も極力避けて、あくまでも新しい木を始めると。1回は終わり、また新しく始めるという考え方をします。
これはそう言ったって、それは言葉の綾じゃんと言われればそうなんですけど、ここで少なくとも無意識の方にもメッセージを送って、12期は終わるんだからねと。
3ヶ月チャレンジというものが精神分析みたいにのぺーっと続いていくってことはないはずっていう考え方でやっております。
社会適応の必要性
それがどのぐらい意味を持っているかというと微妙だなとは私も思うんですけども、形式上は少なくともそういうことにしておいて、枠を変えるってことですね。枠組みを変えるということです。
精神分析って枠組みを変えないので頑固なまでに絶対枠組み変えないんだと。枠組みを変えないということに耐えられなくなって何かが紛失してくる。
そこがその人の現実検討のできないところなんだっていう考え方をとる一つの考え方として、そこに転移と逆転移が激しく現れることもしばしば期待されるし、実際そうなるっていう専門用語をバンバン使っちゃったんですけど、とにかく独特のそういう発想があるんですよ。
逆なんですよね、3ヶ月チャレンジは。3ヶ月で枠は変えちゃうと。そうすることである種のものが見えにくくなるんだけど、そもそも病気を炙り出そうとか無意識の現実検討ができない精神病部分って言うんでしょうけど、そこを炙り出すという考え方をとってないので、あくまでもね。
3ヶ月チャレンジはビジネスコンサルというふうに表看板を銘打ってありますから、中身は非常にグレーゾーンにはまっていくことはありますけれども、外としては、外面としてはビジネスコンサルですよと言っておりますから、そこで言うことはあくまでも社会適応は善とすると。善は言い過ぎだな。
社会適応は、まあ必要枠もちょっと言い過ぎな気がする。こんな逆の意味で。まあ目指しましょうと。お前そもそも社会適応できてるのかよと言われると。でもね、最近思ったんですよ。私が社会適応が危ういからこそ良い面もあるわけじゃないですか。
で、社会適応というのが善かどうかは非常に微妙だと思うんですよね。でも、しないってことはできないんですよ。過酷であり善とされてない社会適応こそ、むしろしなければならないんですよ。ナチズム考えてみてもわかるじゃないですか。適応しないと殺される。で、適応するのが善なのか。大変微妙かもしれないけど、そこにいちゃったらですね。適応するしかない部分って結局あるわけですよね。
まあ今が極端な例ですが、でも現実にそういうことはあるわけですから、社会適応は善であるとか必要悪であるとか言ったって、それはリアリティはないわけですよね。だから私は社会適応というものに対してはどうしたって人間、生きていれば懐疑的になるけれども、ただ懐疑していればいいってものでもないですし、だから非常にスタンスとしては常にグレーだなって思うんですよね。
私はだから逆算が好きではない、目標も立てないというのは全部ほとんど同じ意味を持っています。松木邦博さんは、という精神分析家が、私はこの3ヶ月チャレンジは、彼は畑迷惑だと思うんですけど、松木邦博流儀のビジネスコンサルであると、流儀ではないけど、強く参考にしたビジネスコンサルであると考えております。
おりますと言い切っているのは考えているだけだからですけどね。彼が死座って言葉を使って、また独特だなと思うんですけど、視点というよりは死座なんでしょうね。そこから無意識という透明の魔物っていう言い方をするんですよ。この透明の魔物は時代の文化と言われたり、個性と言われたりする。だから個性とか時代の文化、彼からすると魔物なわけですよ。
そこに入っちゃってるものにとってそれは見えないと。ライアル・ワドソンという生物、ちょっと独特の生物学者が、水を発見したのが誰であれ魚ではなかっただろうって言ってるのとよく似てます。魚は水の中にいるから、水の存在なんて知らないわけですよね。魚に乗って水というものはなくて世界になっちゃうわけですよ、多分。
なんか藤本徹だったかな、漫画家さんの村上ラジオの表紙書いてる人だったと思うんですけど、あの人がもう亡くなりになってますけどね、ちょっと残念な創生されてしまったんですけど、彼が漫画の中で、水槽から出た魚はそれはなんだと思うんだろうみたいな、夢の中から出られないみたいな感じで、彼はやっぱり自分の寿命意識してたんでしょうね。
夢見心地っていう漫画があるんですけど、ずっと目的になってみたり、普通の夢になってみたり、幻想的な世界になってみたり、大変シュールな漫画で、私は檻に触れて読み返すんですが、そういうものがありまして、そこでもやっぱり同じようなこと言ってますよね。
魚は水の存在を知らないし、水槽は世界だと思ってるっていうことですよね。で、私たちは時代の文化とかいうものの中にどっぷりはまってるから、時代の文化そのものは見えないわけですよ。どうしたって逆算とか、もうそこから議論を始めざるを得なくなるんですね。
佐々木さんは目標がなくて、なんでそんなことで大丈夫なんだって言われるんだけど、そもそも目標ってのは時代の文化を反映するわけじゃないですか。そこに本人が向かってるかどうかはわからないわけですよ。大谷翔平はストイックだっていうふうにおっしゃる人がたくさんいらっしゃるんだけど、大谷翔平がストイックかどうかはわからないわけですよ。彼は野球やってんだから。
だけれども僕らは時代の文化というものに浸っていきちゃってるんで、その時代が良しとするものは良いものだっていうふうに信じて生きるより他はないわけですね。で、信じて生きるより他はないから信じるっていうのは信じてないってことなんだけど、でも信じちゃってるわけですよ。
私たちは自分がそれだということはわからないわけですよね。なんかこう客観的に良いものを目指してるつもりにいつもいつもなってしまうわけです。個性というのも全く同じで、私たちは自分の個性の中にいるもんだから、自分がどういう個性で個性的なのか本当の意味ではよくわからないってことが起こるわけだと思うんですね。
だから、今日こんなことをやって失敗した罪悪感を持つみたいなことが起こると。でもその判断をしているのも自分だし、その価値基準を決めているのも自分だし、それが良いと思っているほうが良いと思っているのも自分だし、悪いと思っているのが悪いと思っているのも自分だから、つまりそこには何て言うんですかね、目を動かした瞬間に基準線そのものが目に合わせてずれていくみたいなもんで、歩いていくと月がついてくるみたいなものであって、
個性と価値観の問題
月と自分の客観的な位置関係は自分にはわからないわけですよね。
善と悪も、価値も価値の無価値もそうで、自分が歩くたびに価値自体も動いてしまうんで、そっちの価値があると思っているそっちってものは本来存在しないはずなんですよ。
っていうことを辺林でも見つけるっていう、なぜなら透明な魔物ですからね。
透明なものは見えないわけで、見えないものは見つけようがない。見つけるの見つけるの身は目ですから。
だから彼はシザって書いたんですね。
ビヨンに習ってるんですけど、ビヨンという人がいるんですよ。
ビヨンに習って松木さんは物を書いていて、その松木さんの読んで3ヶ月チャレンジをしているのが私なんですよ。
人気が一定程度で頭打ちするのは当たり前だなこれって思いながらやってるんだって松木さんが、これは不可能な仕事なのだと。
だって見えないものを見ようとしてるからですね。
不可能な仕事を専門とするのが私たちなのだって。
私はあれは名言だと思うんですけどね。
分析なんとかの実践。
あんなに繰り返し載ってる本のタイトルも言えないんだから、やっぱりあの本が増えるということを期待してはいけないんでしょうけど。
Amazonでなぜか星1がついてるんですよ。
衝撃的だったんですよ。僕びっくりしました。
自分の本に星1つけられたのと。
しかも星1一個しかついてないんですよ。
他には何のレビューもない。レビューはそもそもないのか。
星1が1.0なんですよあの本。
いかにも自分が世の中からずれ。
僕だったらあれはもう5.0なんだけども。
まあ5.0の100畳くらいの5.0ですから。
基本的にあれよりいい本は僕の中に今はないんで。
まあでも不在論。結局マスキさんの本なんですけどね。
でも僕はすっごく実践するのにあたって藤山直樹さんっていう人を参考にもしているんですが。
やっぱり本読む。本当に困ったときに読む本はどれかっていったらマスキさんの本で。
しかも不在論か分析なんとかの実践どっちかなんですよね。
なんかもうダメだ。もうやめようみたい。
全部やめようみたいになったときに読む本は。
まあそうなんですよね。
そこに書いてあるわけですよ。
私たちは不可能な仕事を専門とするんだ。
だからバッドジャブなんだ。悪い仕事なんですよっていう。
そういうことを書いているわけですね。
だから星1を1人がつけて終わっちゃうのか。
いずれ僕星5をつけて3.0にはしようとか思ってるんですけど。
それもなんかわざとくさいなと思うので。
そういうことはしていないわけですけどね。
まあ自分も本は書いてますけれども。
でも気分は良くないんじゃないかなってさすがに。
いくらストイックな松木だとしても気分がいいわけではないんじゃないかなとさすがに思っちゃうんですけど。
まあ3ヶ月チャレンジを同じような人にしてみると星1だろうなと思うんですよね。
思うんですが、類似の仕事をする人がなかなか出ませんからね。
やっぱりね不思議なぐらい。
何とかしなきゃならないなとは思うわけです。
タスクシュートの実行支援
何とかってのは何なのかがまだよくわからないんですけどね。
今日3ヶ月チャレンジの話をするかタスク主導の話をするかで悩んでるからここまでお知らせで引っ張ってるわけですが。
もはやお知らせにも何にもなってないわけですよ。
タスク主導の話。
気が乗ってないんですよね正直ね。
なんでタスク主導の話が気が乗らないんだろうな。
最近これを何百回も言ってる気がしてだから気が乗らないんですね。
タスク主導がなぜ実行を支援するのかがようやくわかった気がしておりまして。
その話は皆様お聞きになりたい人はお聞きになりたいんでしょうね。
でもですね考えてみればいいんですよ。
タスク主導が実行を支援してくれようと私がその理由を言語化できただろうと言語化とかすみなさん大変お好きだと思うんですけど
僕は本当に理解に苦しむっていうか私自身がね時代の空気がなかなかなじめないんですけど
言葉に直したものを読んだからって朝起きるのが楽になれるかっていうことを
なぜ我々はこう松木さんも書いてましたけど
自己愛的万能感ということを私たちは知っているつもりでいると
しかしその本人がつまり松木さんご自身がまさにその自己愛的万能感に浸った人物であるということを受け入れてはいない
本当にそうだと思うんですよ私もそう
ナルシシスティックパーソナリティーディスオーダー
自己愛的人格障害っていう言葉を知っていて
自分まさに自己愛的人格障害者じゃんって思うわけですよ
でこれを受け入れてないと
あいつは自己愛的万能感に浸ってるよねと言うと
全くそうだと思うんですよ
謙虚とかモラルとかどうでもいい言葉だと思うんですよね
さっきの魚と同じですよ魚は水の中にいるそれでいいじゃないですか
水の中にいるのをひけ目に感じるとか意味がないですよね魚にしてみれば
空気の中に我々はいる
いるしかないじゃないですか
空気がないと生きられないなんて弱々しいんだろうとか考えたって無駄な話ですよね
だから私が罪悪感を持つってのは全く意味がないと思うんですよ
人に迷惑をかけるとかいうつまり人の厄介になる
人に依存するそんなの当たり前じゃないですかってことなんですよ
あまりにも当たり前で酸素が必要ですって言ってるのと何も変わらないのに
明日も東から太陽が昇るでしょうって言ったっていう話が
要するにそのどうでもいいこと喋るなって話なのかもしれないけど
どうでもいいことなんだけど我々はそれを見失うんですよね
透明なんで相手は
自己愛的万能感ってやっと名前をつけたものであって
所詮透明なんですよ
例えばどこまで行っても追いつけない
アキレスと仮面は仮面みたいな話で
どこまで行っても追いつけない客観みたいなものを
見定められるような顔をするというか見定められるという風に
どっかでなぜか思ってる
客観というものは一回も見たことないくせに
どっかに客観があると信じてるっていうのが私たちですよね
プレゼント練習とかするじゃないですか
私はしませんとよく言うんですけど
これにはもちろんかなくりありますよ
しませんということに意味があると思ってるわけですけど
なぜならみんなが練習して練習して練習して練習して苦しんでるからですよ
練習しなきゃ練習しなきゃ練習しなきゃと思って苦しんでるからですよ
だからしないんですよ私は
単にしないって言うだけだと十分じゃないと思うんで
ロジャーズの一致ですね
しないんですよ本気で
これしかないなと思うんですよ
本当に批判もされるんですよ準備不足だと
それでいいんですよ
誰にも迷惑はかかってないんですよ実はね
そこを迷惑だ罪だと
罪とまでは言わないけどね大体の人は
批判されるべきものだと本気で批判できるんですよ人はね
だから苦しまなきゃなんなくなるわけですよ
いずれ自分にそれ跳ね返ってきますからね
嫌でも大でも絶対に跳ね返ってきますから
自分も準備しなきゃでもできないって日が
いずれ必ずどんな人だってやってくるんですから
その時苦しい思いをするじゃないですか
それを何とかするためには
誰かが準備をやめるしかないんですよ
しかも準備をやめて登壇もして
批判もされて恥ずかしい思いもして
でも平気でいるっていうことを
誰かがしないとねっていう話に近いんですよ
平気でいるが簡単じゃないかもしれないけど
ここで自分がシュンとすると
結局みんなシュンとしなきゃなんなくなるじゃないですか
レフェリーがどっかにいるわけじゃないのに
必ず批判はする人は出るでしょうけど
批判されたから死ぬわけじゃないでしょ
批判されたから辛いっていうのは
あくまでも自己愛的万能感のせいなんです
間違いなく絶対に
自己愛的万能感がなかったら
批判されて傷つくはずないですもん
もちろん批判する人がめちゃくちゃやってくるなら別ですよ
なんかでもめちゃくちゃ悪口言って
子供じゃないですか
子供の遊びじゃないですか
なんかよくわかんないけど
いっぱい幼稚園生って悪口言い合ってるじゃないですか
喧嘩になると特にね
あれと変わらんでしょう
あれで本気で傷つくことは大人はないでしょう
つまり大人が悪口で傷つく
大人が批判されて傷つくっていうのは
申し訳ないけど
これを言うのは確かに過酷に聞こえてしまうけど
でも自己愛的万能感なんですよ
これは立派な人間だと
心のどこかで思ってない限り
批判で傷つくはずないと私は思うんですよね
普通列車がお前特急列車じゃないじゃんって言われて
本気で怒らないだろうって思うんですね
私は普通の人間で十分だと思うんで
これ競争しているという意識
そして競争上上位に立っているという意識がない限り
お前が階にいるぞって言われて
困ることはほんとないんですよね
もちろんお金がもっと欲しいとか
もっと有名になりたいとかあるんだけど我々は
でもそれは自己愛的万能感じゃないですかやっぱり
準備不足ですよね
はいそうです
おしまいですよ
別に本当は不足もしてないんですけどね
いくらでも何とでも
そんなことではフリーランスで今後やっていけませんよ
って言われたとするじゃないですか
言ってればいいわけじゃないですか
何にも困らないじゃないですか
僕だってずっとこれでフリーランス
おそらくその言った人よりも長くやってるんだし
今後やれるかどうかなんてその人も知らないし
私も知らないわけですよ
何にも問題ないはずなんですよね
つまりなんていうのかな
こだわることですらないし
腹が立つことですらない
でもこの話をするとどうしてもですね
なんか宗教っぽくなるんですよね
そうではないんですよ
そうではなく私が見えない個性というものの中に入っちゃってるから
その個性と自己愛というものの中に入っちゃってるから
魚は水の中に入っちゃってるから
なんか辛い気がするんですよね
その個性の価値観によって自分が裁かれている感じがする
個性がなければ価値観はないし
価値観がなければ裁かれるはずはないわけです
まして個性と個性で競争しても始まらないわけです
私と大谷とどっちが優れてるとか
意味のない問いです
野球しなきゃ分かんないじゃないですか
どっちが優れている
どっちがホームランを出るかだったら一目瞭然ですよ
やる理由すらないですよ
比較ってのは全く同じ条件でして初めて比較ですからね
100mで100m間違いなく100だというところを走ってで時間測るから
なんで時間測るかというと
同じ条件で走ることが一斉にはできないからじゃないですか
100万人が同時にスタートしたら
すでに同じ条件じゃなくなってしまう
で風吹いてたら追い風参考とか言うじゃないですか
いかに同一条件を整えることが実際は不可能かってことですよね
たった100m走るだけですらそうなのに
なぜ人間がどっちが優れてるかが言えるのか言えないですよね
でもこれを言えないとなると大変なことになるわけですよ
この間すごい路上で殺人鬼がいました
それと藤沢さんのような立派な騎士がいます
どっちが人として優れていますかっていう問いに答えられないってことになる
我々はそういう世界に耐えられてないんですよ
つまり我々は時代の文化ってものの中にどっぷり浸っちゃってるわけですよね
猿から見たら同じですよ多分ね
そういうことを我々は受け入れられないんですよね
この死座に立つことができない
自分の死座にしか立てない
その自分の死座が自分を苦しめる
それを何とかするという仕事は不可能な仕事だから
バッドジャブですと松木さんが言うわけです
それを私は受け継いで3ヶ月チャレンジやってるってことなんですよ
だから問題の解決はできないんです
こっからタスクシュートの話にしましょうかね
自己愛と批判への反応
もうなんだかめんどくさくなってきた
タスクシュートはどうして実行できるんだろうなって思ったんですね
本当は実行できないんですよ
タスクシュートが実行支援をしてるかどうか
何を支援してるのかと
だってタスクシュートで背中を押してはくれないじゃないですか別に
そこにリストと時間が書いてあるだけだから
でタスクシュートを見るってことがまず何よりも必要ですよね
見たくもないって時には使えませんよね
見るっていう時に何を見るのか
その時私は何をやる何の中にいるのか
私はこれをプロジェクトと呼ぶべきかモードと呼ぶべきか今悩んでるんですけど
プロジェクトモードっていうようなものの中にいるんだと思うんですね
で早朝だけを取り上げます
原稿とかは無駄な感じがします
意味がないことをしゃべってる気がします
朝起きたくないです
しかしタスクシュートを見ると来て
娘を結局のところ娘に食べさせて送ります
やりたくないという人もいらっしゃるでしょうね確かに
だけどこれを私は早朝プロジェクトと呼び
早朝プロジェクトには早朝プロジェクトモードがあるなと思うんです
Good Vibesだと最愛の娘のリクエストなんだから
全く愛を持ってやれば辛くない
でも私はその境地にはいたれない
辛いです
めんどくさいのとは違う
できればやりたくないというのが本音です
私には早朝プロジェクトにおいては早朝プロジェクトモードというものがある感じがして
一つ一つのタスクにはモードがない感じがするんです
でも集合となったタスク
つまり早朝プロジェクト以外
私はプロジェクトというものを持つ気が今のところしないです
明瞭なモードがないんで
この時のモードつまりムードですね
気分は落ちる
グレーです相当濃いグレー
眠いし寒いしめんどくさい
ドラえもん行ってきてっていうのび太くんの有名なセリフが
有名じゃないかもしれませんが
そういうヘリフです
それに限りなく機会
娘のためとはいえ
娘のためなんでしょうけど私のためでもあります
なぜならこの時起きずに
全部寝っぱなしで
多分奥さんに丸投げすることもできるんだけど
たぶん喧嘩になります
タスクシュートの効果
この喧嘩は避けたいというモードもあります
ムードがあり
この喧嘩が避けたいからやってます
本音を言えば
ほぼ間違いないです
100%と言っていいでしょう
娘のためではないです
このモードの中で
私がやるっていうことを
タスクシュートを見ると決めやすくなります
なんでだろう
なんでなんだろうね
よくわからないです
ただやらないという人がいたり
私がやらない時があったとすると
我前モードは違うだろうなと思います
本当に起き上がれないんだろうなと
相当ギリギリのところまで
私は起きるだろうなって思うんです
だから私は自分が大変昇進だと思うんですよ
結局これは
妻と喧嘩したくないから起きてるんだと
相当自分をギリギリ追い込んででもやるなと
最近私100日チャレンジとか
3ヶ月チャレンジもそうでしたけど
100日チャレンジでワンワンセッションを
かなりの数の方とやらせていただいて
やっぱり
特にやっぱりですね
私のこの悪い癖なんですけど
フェミニスティックになりたくなりますね
すごく
この世の中の女性は
相当男性に
気を使ってますね
顔色をかがっていらっしゃる
そうさせてきているのは時代の文化ですね
男がってのは微妙ですね
なぜならお母さんの影がちらつくんで
これやっぱり時代の文化だなって思います
僕らは時代の文化の中にいれば
時代の文化が見えません
いかに日本が
いわゆるミソロジーの世界になってるかと
好きでそうしていない部分も
いっぱいあるにもかかわらず
実際にはそうなっちゃってる
そこで
女性は大変苦労されている
情緒的にね
身体的にも苦しんでるってケースあるんですが
むしろ情緒の方が
遥かに突出して苦しんでますね
やっぱり私はもう
正直で
男性は男性で
会社とかがあるんで
やっぱりすごい厳しいなって思うんですよね
こっちも情緒なんですよ
身体的には
特に男性にとっての身体的には
むしろどっちかっていうと
自分の健康のために走ります
みたいな状況になっちゃってるんで
いやーこれ
身体的な苦しみじゃないんだな
ってやっぱ思うんですよね
情緒的な苦痛なんだなって思うんですよ
女性の方が苦しんでらっしゃる感じは
100日チャレンジ等で受けるからなのかもしれませんが
僕の場合はします
いずれにしてもですね
これは苦しめてるのが
反対側のジェンダーかというと
微妙なんですよね
それはね
そこにはどうしても
母親の影の方が強い感じがするんで
考え方によっては
女性が女性をって感じになるし
女性が男性を通じて
女性をって感じにもなるので
最終的な受け皿になってしまってる
というケースにおいて
女性の方が大変だなっていう感じは
僕の中にもあります
今は
これをただ
僕は時代に向かっていくっていう気持ち
持ってないので
全然フェミニスティックじゃないんですよね
社会運動したいとは思わないんですよ
これは僕のパーソナリティだと思ってください
社会運動って興味が
興味っていうか嫌なんですよね
したいと思わない
やっぱり松木さんと似てるんですよ
社会に向かっていくというのは
PSポジションを取らなきゃならないじゃないか
っていう
他者を操作しなきゃならないじゃないですか
っていうこれが
受け入れがたいんですよね
ここにも自己愛があるんです
このぐらいにしておきますけど
こういう話は結局ね
モードってものは
つまり社会問題と無関係には出てこない
私が起きている理由にせよ
私が苦しんでいる理由にせよ
全ては時代の文化と関係があります
だからこのフェミニスティックな課題と
実は関係があるんですよ
まあちょっと飛ばしますけどね
この早朝プロジェクトモードというものを
PSにしないこと
これが第一義的な問題です
これにおいてある程度
タスクシュートは役に立ちます
ただDにできるかというと
別にタスクシュートにDにはできないです
大事なのは
これが生活であるということ
仕事ではないですね
純粋な意味で
早朝プロジェクトはお金入りませんから
生活であるということに
我々はエネルギーを注ぐ前とする
時代の精神があります
これも時代の文化です
これをやめることですね
やめられないので
これをなるべく避けること
ここにエネルギーを投入するのは
必要なエネルギーは少なくとも
投入せねばならない
それは現実原則なのであるということが
まず抑えられなければならない
それはタスクシュートがかなりの部分
確保して担保してくれます
今日はこのぐらいにしておきましょう
30:02

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