それが理想的だとは言いませんが。
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感想
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サマリー
このエピソードでは、パーソナリティが自身の体調不良や新刊のPR、そして「3ヶ月チャレンジ」というプログラムについて語ります。新刊「自分時間の人生を変えるかな人生を変える自分時間の使い方」は、ウィニコットの理論を背景に、読者が自分時間を見つめ直すきっかけとなるように書かれています。パーソナリティは、自身の本作りが常に実験的であり、専門家ではないからこそ、中間層の読者に響くような工夫を凝らしていると説明します。また、AIの進化により文章作成の独自性が失われつつある現状に触れ、SNS、特にXでの発信について、仕事のPRというよりはフリーランスとしての感覚的な活動であることを明かします。 後半では、「3ヶ月チャレンジ」のプログラムについて、精神分析的なアプローチをビジネスコンサルに応用することの意義を深掘りします。既読スルーを例に、それが単なる人間関係の問題に留まらず、ビジネスにおける顧客対応や心理的な消耗にどう影響するかを分析。精神分析用語である「投影」や「コンテイン」を用いて、これらの現象を解説し、自己啓発とは一線を画す精神分析的アプローチの重要性を説きます。最終的に、パーソナリティ自身の変化が「3ヶ月チャレンジ」の成果であり、それが精神分析的ビジネスコンサルと呼べる所以であると結論づけています。
体調不良と新刊のPR
おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1338回をお送りします。
4月7日火曜日7時29分です。なんかそろそろ新年度とか新学期とか言われてくる時期ですよね。
私はこの時期になると体調がだいたい悪くてですね。 明らかに今も良くないんですね。
昨日もその話したと思うんですけど 温度が上がってくると気温が上がってくると基本的にはすべてが良い話なんだけど私にとっては
でも体調はなんか目に見えて悪化する時期があるんですよ 大胸お腹に来るんですけど
まあそれでこうこれはもういわゆる心身症とかそういう話じゃないんで 多分体がついていけてないんだなっていう感じがするんですけど
まあでもさすがに何十年とこれを繰り返しているのでさすがに対策は別にないんです けどせいぜいビヨヘルミンを毎日飲むぐらいなんですけど
対策はないんだけど対抗策はあるかなみたいな感じはします どう違うのかっていうと難しいんですけど
悪くなっても 焦らなくはなったなっていうことかな
そんな感じですねしょうがないんですねこれはね
それとですね昨日の話はまあまあ自分では面白い話ができたかなと思った一方で 全然何のPRにもなってなかったなという反省もありまして
今日から1週間ぐらいは少しPRをしたいわけですね まもなくフォレスト出版さんから黄色い本が出ます
自分時間の人生を変えるかな人生を変える自分時間の使い方みたいな本ですね
えーと佐々木翔吾でアマゾンで検索していただければ キンドルでもリアルな本もどっちも
キンドルもリアルな本でないわけではないな とにかく紙の本もキンドル本も今ご予約可能で
今週末には確実に出ると思われます 店頭にも並ぶはずですね
えーとまぁこれですね4800部書摺は何とか 書きたいと私は思ってるんですけど
わかんないんですよねまあいろいろと実験的な毎回毎回私は実験的なことをしますが この本の中では
えーと ウィニコットを
名前も1回は出したかなウィニコットを 前面には立ててないんだけど後面に立ててるって感じですかね
自分時間という部分が前面に出てるんだけど その後ろにウィニコットがいるみたいな感じで
私はその 全然ウィニコットとしては読めないですよ
読めないんですけどウィニコットの知恵を拝借してますということは
読む人にはバレるっていうかわかる人にはバレるっていう そういう作りにしました
わかる人にはバレるというか見え見えなんだけど 知らない人は多分ほぼ意識しないで読み終わるだろうっていう作り
それがそういうなんかこう 意味があるのかないのかわかんないようなチャレンジが
大体私の本には実は全ての本の中に入っております
それの専門家が読むと面白くもなんともないという気もするし
それについて詳しくない人が読むとそもそも気づきもしないんですけど
だからその中間の人なんですよね
本当の意味で私がやってることはその中間の人なんですよ
私なんですよ要するに結局
私は専門家ではないからああいう感じになるだけではないですけどね
ビジネス書だから専門書じゃないからあれ以上出すとはっきり言ってうるさい感じになる
でも専門書じゃないから専門家じゃない人しかほとんど読まないわけだから
そういう人じゃないとわかんないことを書いちゃダメなわけですよ基本的に
だから眩しすぎてわからなくなった眩しご飯みたいになっていくわけですが
でもわからなくなってる部分を見る人が見ると意外と露骨に書いてあって
それはそれで決して面白いわけじゃないなんかね伏線貼ってあるとかではないんですよ
出し方は露骨なんだけどでも知らない人はわからないみたいなそういうことになって
これはわかる人にはわかるとかじゃないんですよね
わかる人は読まないことが前提ですから
わかんない人が読むことが前提ですからその点についてはね
専門領域じゃないことがない人にとってはどうでもいいことなのでウィニコットの話とかは
でもウィニコットの話が一応そこに書かれていますっていうそういう立て付けなんですよ
僕にとってのお客様は第一人はそのウィニコットのことなんかどうでもいい人ですから
そっちに向けて書いているのは確実です
けども一読しておくと将来ウィニコットに当たった時
なんか似たようなことをどっかで読んだ気がするみたいなことは起きるはずっていうことを目指してます
実際その辺なんですよ目指してるところはね
まあそんなものをそれを読んだからすごいそこが面白いですってことにはなかなかならないので
そこを何と捉えていただくかという
ただし私本というのは高いものじゃないと思うんですね
今は確かに高くなりました
でもあの本で1650円っていうのは別に高いもんじゃないと思うんですよ
なのでこういう感じのものでいいんではなかろうかと
値段的にはですねちょうどいいものなんじゃないかな
専門をがっつり理解するとかいうのはそういうわけにはなかなかいかないと思うんですよね
1650円200ページ読んだってぐらいでは
一方でだからといって面白くもなんともないです
では済まされないと思うんですよ
面白いものがいっぱいあるわけですからね
千数百円出せば
だから面白くはある程度あることを期待して
で専門的な話も触れることができ
何ならそれを入り口にすることも不可能ではなく
一応書いておきましたから
ミニコットとかオグデンとか藤山直樹とか
カンマツの方にも一応
あのそういうわけですね
そういうわけです
PRになっている気がしないんだが
「3ヶ月チャレンジ」とパーソナリティのスタンス
まあでもこれがPRなんですね
私の考えるところの
はいということをイベントで尋訪長で今月中の末にやりまして
そこではオンラインでのイベントも開催しておりまして
ほぼ私の一人語りになるイベントではありますけれども
今のような裏話というのか
表話なのかわからないですが
この本を読むと何が得られるかとかでは基本的になく
私はそういうことに興味がないし
他の人も興味はないものだと思ってますから
そんなことには
私が興味のある話をさせていただこうと思っております
あの3ヶ月チャレンジも同じで
どこをPRするべきかっていう
私のがPRになってるなってないっていうのは
結局この3チャレで何が得られるのかっていうふうに
普通は言われるらしいじゃないですか
私はそういうことに興味がないんですよ
私自身があのセミナーに出るなり
人の講演聞くなりした時
ここから何が得られるだろうかなんて
全く考えてないんですよね
話が面白いかどうか
そしてそれはお笑い的な意味での面白さとは
何の関係もない面白さなので笑うことありますよ
ただ面白いかどうかっていうのは
そういうことではないのであって
だからあの今日は面白かったなって思ったら
基本的に言った意味はあるし
面白くも何でもなければ
途中で帰っちゃいますから
私のスタンスがそういうものなので
基本他の人もそうであるという前提で
やるわけですね
これが合わない人は多分私のなんて
長らくは聞いたり読んだりは
してられなくなるはずなので
これでいいはずなんですよね
僕がこれで50年生きてきたということは
もうこの先 先細ってしまっても
まあまあ差し支えはないんですよ
一緒に働いてるJさんと大橋さんには
それだけでは悪いから
例えばフォレスト出版さんとかにも悪いから
そうじゃないところも頑張って削り出すんだけど
それは所詮削り出してるんで
楽しなくなっちゃうんですよ
そういうものは削り出してるだけだから
というわけで基本的には
自分が面白いと思うことを打ち出していくしかない
なんか自分が面白いことをやればいいって
いうわけではないと思うんだけど
でもそこを中心に打ち出していくしか
私の結局リソースがですね
リソースというか
私からのサステナビリティが消滅していくだろう
と思うんですね
そういうことじゃないとね
今週末イベントもやります
興味があったらということですね
さらに3ヶ月チャレンジのPRを繰り返していきたいと
これもだからPRになってるのか
なってないのか分かんないような話になっちゃうのは
しょうがないんですね
なぜなら私がそういう話にしか興味が持てないから
そして私は興味だけで
ここまでやってきた人間なので
いろんなことはやりましたよ
お金と健康、そしてAI時代の文章作成
今風のマーケティングがどうしたこうしたみたいな
でも結局真面目にはやってません
真面目にやらないことは響かないですよね
他の人は真面目にやってるわけだから
私は自分の興味が向くものほど
お金に興味がないんですね結局
でも死ななかったからここまで
親も生きてますしね
親はこの年になって生きてる場合は
お金産むんじゃなくて健康産むんなんですよ
もうお金なんて使う元気ないからね
歩くのだって結構大変な状態ですから
2人でももう80目の前ですから
人によるんだけどその辺も
ステーキ毎日食いますとか
そういう親じゃ全然ないんで本当に
ラーメン食えるから偉いよでぐらいな親なんで
ラーメン食えるのは尊いよねぐらいになってくるんで
だんだんね
こうなってくるともうお金じゃないんですよ
お金は何とかなるんですね
私のお金でも何とかなりそうな感じになってきましたし
生活環境が狭まってきたから
しかも国もくれますしね
乏しいとかしょぼいってのはそうなんだけど
でもあの人たちの食欲と行動力から考えると
もう乏しくてもしょぼくても大丈夫なんですよ
ただ健康はもう他では得られない
一歩間違うと治療に体が耐えられない
みたいな話になってくるんで
本当にうちの義理の実家の方では
そうなってますからね
治療すると死んじゃいますから
みたいなこと言われるから
治療もできないじゃないですか
本人の体力に全てがかかってくる
みたいな話になってくるんで
そうなってくるとそれはお金では
絶対買えませんからね
ある意味では
なのでお金よりも基礎健康力みたいなものは
物を言うなみたいな
でもそれはある意味
遺伝みたいなところもありますし
ある意味その人の食生活80年が
どういうものだったかにもよったりするんで
今更しょうがないじゃないですか
今更ね
あの時バター取りすぎなければとか言っても
手遅れなんでそれこそね
うちの父は極端で
朝から晩までステーキ食ってられるような
坊主のくせにね
そういう人なんですよ
うちの母は肉は食べない
みたいな人なんですよね
でも同じようにそこそこ健康なんで
やっぱりこう色々なものの
組み合わせでしかないですよね
こういうのはね
まだどっちもね走れますからね
走れるの尊いですよ
あのぐらいになってくるとですね
走んないようにさせてますけどね
できれば階段の登りよりも
するべきじゃないと思うんだけど
しゃあないですね
はいこういうことを言っていて
時間が経つのが非常にダメなので
サンチャレのPRを含めて本題に入ろうと思うんですけど
昨日の話は個人的には面白かったけど
あれは絶対PRではないので
PRになってないので
今日もなるかなっていう心配を元に
進めていこうと思いますね
こういうことを喋ってる間は
何も頭の中にはないんですよ
考えついてないから
そうそうそうでも考えついてることはあったんです
あのですね昨日たまたま色々なノート
ノートまた書こう
ノート書こうか書くまいか
有料で出そうか出すまいか問題で
僕は多分ここ3年ぐらい悩んでますね
基本書きたくないんですよはっきり言って
まずどうやってももうAIが書いている中に
入ってっちゃうわけですよね
しかも今後ますます見分けがつかなくなってるんですよ
つくつく詐欺がいますけどいらっしゃいますけど
僕は全体信じませんからね
あのだってクラウドコードってすごいんですよ
このプロンプトでいかにも本人が書いたように
作られちゃったら
もう絶対わかんないなっていう
それがAI文書っぽいとかは言えるかもしれないけれど
もはやAIが書いたのか本人が書いたのかなって
絶対わかんなくなりますね
私なんかは的面なんですよ
やろうとさえ思えば
やる気は全くしませんけど
あのネット中に文書散りばまってるから
あれをノートブックLMに読み込ませて
それをひたすら解析させておいて
でそれっぽいプロンプトを何行も何行も打ったら
もう量産させていくことができるんですよ
さらにそれをチャットGPTに読ませて
あのAIっぽくなくさせて
さらにそれを他のAIで修正させる
でこれ全部自動でできますからね
やろうと思えば本当に意味ねえなって思うんですよ
本当に全く意味がないような気がするわけですね
でもそれと全く似たような
本当にそれこそあのAI文書
見抜き探偵みたいな人が読めばわかるような
違いでしかないものを
私がつまりあれですよね
なんか摂取の書いた絵の
岩作の話みたいな知らんけど
あのこの青は
えっとなんだっけ
あの牛乳を注ぐ女書いた人ですね
ああいう青じゃないと
なんとかかんとかみたいなのじゃないじゃないですか
私の書く文章は
そういう芸術作品やってるわけじゃないんで
アホみたいだなと思っちゃうんですよね
全く同じようなものを機械がやろうと思えば
1日の間に1万生地ぐらい作り出せるのに
私が1記事1記事毎日書いて
そっくり同じようなものを書く
書くものがそっくり同じに感じられてくるんですよ
ここまで来るとね
これをやるのは何のためなんだ
ましてそれを有料で売るとなったら
なんなのっていう感じになっちゃうので
それだったらなんかもう
親父じゃないですけど
筆で書いた方がいいんじゃないかって思うんですね
これなら真似はできないみたいな
それもね私は字下手だしね
意味が全くわからんって感じになるんで
そもそもこういうことを考えてる段階で
ダメな気がするんですよ
意味が全くわからんって感じがするんで
既読スルーと精神分析的アプローチ
まだ見抜けるかもしれないですよそれは
でももうここ1年の勝負だと思うんですよね
同棲でものを書くなどというのは
やっぱりここ10年の勝負じゃないと
ダメな気がするんですよね
まして記事当たりの単価が本だとしても
本の単価上がってますけど
著者に入ってくるお金は
もう激減もいいところですからね
激減どころではないぐらい激減してますから
絶対それで生きていくことはできないよね
っていう数字になっちゃってますから
これはですね無料で何のためにやるんだろう
だから最近私Xに投稿してるんですよ
Xはなんていうのかな
面白いなってこれも思うんですけど
AIがやろうと本人がやろうと
一記事語りにかかる手間も時間も
差がないかもしれない
実際は差はありますけど
でもAIが量産すると
量産するせいでバレるじゃないですか
その人がずっと絶え間なくそういう人いますけどね
Xにポストしまくっているという
人生を送ってきたならまだしも
私がいきなり1日100投稿とかしたら
完全にAIじゃないですか
私っぽくどれほどなっていても
量がそれを否定しますよね
だからいいんですよ
1日1投稿なら
もはやAIにさせるメリットが
ほぼ何もなくなっていくから
本人なんだろうなぐらいなのを
出来の倍とは関係なく
担保できるという意味で
最近Xをなんかあんまり大好きとか
のめり込める子じゃないけど
やっているんですよねXをね
だからそれがPRになるとか
思ってるわけでは必ずしもないですよ
なんとなくフリーランスは
こういうことをしておいた方が
仕事をしてるっぽい気がするみたいな
そういうノリでしかないです
はっきり言って
私はSNSにもはやそこまで
自分の仕事のノリと
マッチしない気がするんでですね
なんかもちろん絶対賛否もあるし
基本的に日本では非の方が強いと思うんだけど
ドナルドトランプ大統領とかが
SNSとか盛んに使ってるじゃないですか
私もSNSとは基本最も
あっちにマッチするものなんだ
ヨシア社は別としてですね
あっちに最もマッチしちゃうものなんだっていう
そういう感じをすごく抱くようになったんです
昔はなかったから
昭和の時代には
いかに政治家と言われている人が
ある意味誤解されてもいるし
ある意味確かに本当じゃないことを
いっぱい言うところも多々あるし
でも本人の中では必ずしも
いろんな何か書と違うんだなっていう
その週刊なんとかとかに書いてある話とは
ちょっと違うんだなっていうのが分かる
たったそれだけですけどある意味では
そういうようなものの方だなっていう
私なんかが大真面目に
サンチャレで喋るように
Xに投稿するっていう
そういうものとして使ったったら
ほとんど存在しないものになっちゃうんだなっていう
そういうことを考え考え
何のためにやってるのか
よく分かんないけどやってます
で本題に入りますと
いきなりですがノートを読んでいて
だからノートを読んでたんですが
思ったのが既読スルーの話なんですね
で既読スルーというものに
意外と心を痛めていらっしゃる方が多いと
ただですね
私よく思うんですけれども
サンチャレは精神分析的ビジネスコンサルとか
精神分析的個人コンサルと
言いたがってるわけですが
で昨日藤山直樹さんの話と
週1回か週2回か週4回かの話で
精神分析らしくなる
これは精神分析らしくなるというのは
効果が出るんだっていうニュアンスですよ
もちろん藤山直樹さんは精神分析で
そこにこそ力はあるんだっていう
そこにすごい懐疑的な目も向けているけど
やっぱり力はあるんだっていう
効果が出るんだっていう話をしてますからね
で週1回の精神分析らしいのは
的なものはどのぐらい精神分析らしく
できているのかっていう話を
よく書かれてるわけですよ
そんで私はそこまで
もともと精神分析はできない人間だし
的精神分析らしければいいのかっていうと
ただ私は精神分析的と言ってる以上は
らしいことに意味はあると思ってるわけですよね
でらしいことに意味があると思うという時には
らしいって何だろうっていうのは
やっぱり本人がそれを知らないというか
本当の意味では分かってない人間が
らしいってそもそもおかしいだろうとは思う
最初からそういう矛盾を含んでいるのが
3ヶ月チャレンジなわけですね
でらしいものとしてどのくらいらしいのかが
そもそも考えていかなきゃならないわけだけれども
その時に昨日の記録するについて
数記事読んでみたわけですよ
そこに書かれていることは私が読む限り
自己啓発に近い内容なんだけど
なんとなく精神分析らしさがあるんですね
例えば投影って言葉がある意味
盛んに出てくることがあるんですよ
で私は投影って言葉は
すごくリスクが高いんだっていうことを
身をもって知ったので
3ヶ月チャレンジのセッションを通してですね
最近言わなくなりつつ減ったんですね
明らかに投影が使えなければ
投影同一化も使えないですね概念としては
でかなり減らすことになってるわけですよ
してるとも言えるんだけど
でこの私自身に起きた変化が
精神分析らしいんですよね
いやお前が変化してもダメだろって
言われると思うんですけれども
要するに参加者さんの変化を促すものなんでしょ
っていう観点からすればそうなんですけど
でもですね例えば精神分析という営みを書いた頃の
藤山直樹さんのあの本と
今私が一生懸命読んでる
精神分析の深みへという本を書いてる
藤山直樹さんはずいぶん変わってるんですよ
もちろんそれは年月もセッションの濃さも数も
全てが向こうの方が精神分析家としては
当たり前なんだけど圧倒してるんで
それはもちろんそうだろうってことになる
その変化には意味があるが
佐々木の変化に意味はないだろうって話も
あるかもしれないが
私はそうは思わないんですよね
万が一そんなことはないんですけど
万が一参加者さんに変化はなく
参加者さんのおかげで私が変化したんだとしても
意味はあると思うんですよそこに
だって参加者さんが私を変化させたってことになるんで
でこの変化に意図的なものや意識的なものは
ほぼないんですよ
いやサンチャーレンについていろんな意見を言って
佐々木さんが変えたみたいなのは
そういう風な見方をされることあるかもしれないけど
私が言いたいのはそういうことではないんですね
やり方を変えた変えさせたみたいな
精神分析家の変化と「食わせてもらっている」感覚
貢献があるみたいなのも
そういうことではないんですよ
私が変わるというのはそういう意味ではないんです
参加者さんがおそらく全く意図しない形で
私を変えるんでなければ
あんまり意味はないと思うんですね
参加者さんの中でも特に
佐々木の変化なんかには何の興味もなく
とにかく自分が変わりたいんだという人のおかげで
私が変わったというのが一番カウントしてるんですね
私の中ではカウントに入ってくるんですよ
この中には一長するところっていうのかな
一目見ただけでは実につまらない話が含まれると思うんですが
私はでもすごい意味があると思うんですけれども
常時これはPRとしてはちょっとね
最悪のものになってしまうんで
ちょっとはばかられますが言いますが
常時お金を払ってくれている人が
私を変えている部分が極めて大だと思うんですね
でこれは私を食わせてるんですよ
やっぱりその感触がはっきりあるんです
藤山直樹さんはもっと露骨に精神分析語るものは
少人数のユーザーさんによって食っていくっていうのが
一番いいんだぐらいの書き方されてますけども
つまりそうなってくると
抜き差しならないだろうっていうことを言ってるわけですよね
でも藤山直樹さんは同時に週1回の時あんなに苦しかったけど
複数回にしてみてから
もっとずっと楽に精神分析はできるようになっているっていう
ある種の余裕感みたいなものが
余裕のようなものが精神分析への深みへ
最新の本ではにじんでるんですよね
かなり感じられるんですよ
なんかこう精神分析への営み
精神分析の営みだったっけ
精神分析という営みかな
一番最初の本は冒頭からキキの話
キキキキみたいな感じなんですよね
でキキはわかるんだけど
なんでやっぱあんなにキキを強調されてもね
っていう感じもするんですよね
例えば私の立場としては
私はグレーゾーンですが
グレーゾーンの人間は
キキを強調されるのが一番嫌な感じがするんだけど
利用者だとしてもやっぱり
キキばっかり強調されるのはどうかなと思う
結局のところ医者に通うようなもの
そうではないっていうことも藤山さんよく書かれてますけど
治療に準ずるようなもののところに行くのに
あんまり危機的なところで
会ってほしくないじゃないですか
これって歯医者さんに行った時
歯医者がいかに危機的な状況にあるか
みたいなこと言われたら
その歯医者行きたくないじゃないですか
そこまでではないにせよ
なんかやっぱりキキを強調されてもなっていう感じはあるんですよ
面白いですけど面白いし
ためになるんですよね
あまりにもでもためになっちゃうわけですよね
そこが専門書なんだろうなとも思うんですけどね
で今はそんな感じではないんですよね
危機がないわけじゃないと思うんだけど
やっぱりそんな感じではないんですよね
でその営みの頃には
もう冒頭の始めにから
その第1章のあたりまでずっと危機の話だったのに
今や危機の話は少なくとも交代している感じがあって
それは複数回セッションによるものなのかもしれないんだけど
少数の人によって支えられていて
そのスタイルはほぼ確立しているっていうことなんだと思う
少数の人がしかし藤山さんを食わせてるってことになると
やっぱり抜き差しにならないじゃないですか
そのセッション無理だと思っても
行き詰まってると思っても容易に終われないっていう立場が
はっきりあるじゃないですか
たちまち食えなくなるわけですから
楽さがあるわけじゃないですか
お金たくさんもらってる以上かなりいい生活ができている
しかしそれは大変危うい上になっている
だってある意味社会適用が難しい
少数の人が稼いでくる大金によって
自分がある程度以上の裕福な生活ができてるってことになってくると
非常に楽さがあるじゃないですか
こういうの非常に嫌がる人がフリーランスにはそこそこいるんですよ
でも私はこれをあんまり嫌がるぐらいなら
会社員やってる方がマシだって思うんで
やっぱりこの抜き差しならなさっていうのは
開業臨床の人っていうのとフリーランスの人間が
近いところにいるなって思う時があるんですよね
やっぱりどっか一攫千金的なものを狙わないんだったら
フリーランスなんてやんないほうがいいと
個人的に思うんですよね
やっぱりどっか幕中地みたいなところあるんですよ
私のような人間には
でこの抜き差しならなさがすごく大事だっていうのは
よくわかるんですよね
やっぱりこの人一人いなくなってもって思っちゃダメなんですよね
結構しんどくなるわけですからお互いに
そういう局面が来た場合には
で大事なのは食わせてもらってるって感覚なんだと思うんですよ
よく精神分析は権威的だとか対等でないとか
権力勾配がとか傾斜がって話あるんだけど
でもどんなに分析家の方が上から目線だろうと
上から解釈だろうと
投影とか振りかざしていようとですね
食わせてもらってるんですよ
これによってシーソーが傾きがガタンと戻るんですよ
どんなに自分が上にいても
上にいればいるほど
下の人に食わせてもらってるっていうのは
このシーソーを一気に逆転させ得るわけですよね
フロイトがわざわざ書いてる通りなんですよ
ひょっとすると年収の7分の1が
この人一人に支えられているんだぞと
それって自分で車の大事故を起こしたのと
という言い方をフロイトはしてますけど
変わらんでしょうという
それは私もその箇所を読んでみたことがあるんだけど
そう書いてあるんですよね
信用しないだけじゃないんだけど
だから大変なんですよ
それって自分が大災害にあったら大変だって思うインパクトを
一人の人が一人の利用者さんが中断してしまったら
そう思わなきゃいけない
いけないと言っていいはずなんだよと
だから福祉っぽいところだから
無料でサービスしますとか
半年にしておきますとか言ってるやつらは
分かってねえっていうことなんですよ
フロイト的にはね
私はそういうことをやっちゃいがちな人間ですけど
フリーランスっていうのは
フリーミアムっていう考え方は
結構引っ張られてる面もあるんで
あとやっぱり私はそこまでの
引き出しにならなくなるのは怖いんですよね
本当にサンチャレにそこまで
軸足を移してしまって
大丈夫なんだろうかっていうのはあります
本書いたりするのは
私は福山さんとかとの立場と全然違うんで
本書いたり100日チャレンジとか
タスクシュート協会とかで
もう踏ん張っていかなきゃならないのは
やっぱり年収の5分の1だ6分の1だっていうのが
サンチャレ参加者さんの
一人の方にかかってしまったら
まずいでしょそれはっていうのは
私の中にはあります
本当にサンチャレの参加者さんが
3分の2ぐらいになるってことは
今までだって波はありますからあるのに
それがそのまま年収を
3分の1だけなくなりましたっていうのは
私の立場ではまずいと思うんですね
妻子もいるんで
私一人ならまあまあいいのかもしらんけど
それもどうかと思うんですよ
やっぱりねあまりにも極端ですから
3分の1税金で持ってかれたら
止まったもんじゃないじゃないですか
いきなりなんか去年の3倍以上に
税金増やしますみたいな
稼いでも稼ぎ変わらないっていう状態では
だからやっぱりそこは考えなきゃいけないと思うんですよ
そうするとやっぱり一人一人にかかっている
あらゆるものを考えると
ここで踏みとどまらないわけにはいかないし
ただ踏みとどまっていても
呆れられてしまうとなると
踏みとどまるだけでもいけないし
でここで何かを言うと
もうなんかこの関係は壊れてしまいそうだが
ここで何も言わないと
立ち去られてしまいそうだみたいなのが
頻繁に頻繁に来るんですよ
その度にその7分の1
8分の1っていうのがちらつくことが
どれほど重要かと藤山直樹さんとか
フロイトとかは言ってるわけですね
ものすごく重圧感が強いじゃないですか
重圧えらいプレッシャーですよね
えらいストレスですよね
でこれが私を変えていくんですね
藤山さんをきっと変えたと思うんですね
一つと話としては
既読スルーのビジネスへの影響と精神分析的解決
既読スルーが心を傷つけます
みたいな話から始まるんですよ
でこれは恋愛に属する話だと思うんですけど
既読スルーが私を傷つけますというのは
でもこれがビジネスに入っていきますよね
例えば取引先の大事なお客さんとか
そうでもなくても普通のCtoCの
お客さんみたいなカッタマーが
なんか非常に厳しいことを言って以来
自分からの返信は読まなくなったみたいな
そういうビジネスってあり得るわけじゃないですか
で私ほどじゃないと思うんですけど
その人がお客を一人失うことは
年収の3分の1を失うなんてことはないと思うんだけど
だけれどもやっぱりそれは既読されると
大変引っかかりますよね
この既読という既読スルーとか
あるいは未読のまま放置されるといったことが
こういったことの積み重なりというのかな
そういうものの心の中での処理のされなさ
要するに夢見られない状態が延々続くということが
その人の仕事というものに対して
私は大変なこうなんて言うんですかね
トゲトゲになっていくと思うんですね
でこのトゲトゲがもしないんだとするならば
なかなかそうはいかないですけど
ないんだとするならば
仕事はどれだけその見え方が変わって生き得るかっていうのが
はいサンチャレのこれがPRなんですね
サンチャレではそういうことを言いたいわけです
ビジネスの成功と関係がないとは思わないんですよ私は
こういう時に既読スルーにせよ
未読のまま放置にせよ
そういうものが自分の心の中で
夢見られないものになる
夢見るというのはつまり安心安全だっていうような意味です
夢見るというのはなんていうのかな
無意識のうちに小人の靴屋なんですけど
無意識のうちに心が処理しておいてくれますってことです
無意識のうちに私たちは乗っかってる現実の
仮想現実なんですけど
VRが無意識のうちにVR空間を作ってくれるように
てか無意識というよりはVR空間は
VR空間を作ってくれる装置が作ってくれるわけですが
私たちの脳には
私は最近これを右脳と呼んでるんですが
仮にね右側にこれが全部結集してるって話ではないですよ
おおむね右脳を中心とした働きが
私たちが現実だと思っている
仮想現実を勝手に作っておいてくれて
この仮想現実についての心配はいりませんよっていうのが
安心というものなんですよ
多分
この中で記録スルーが私の処理として
仮想現実として忘れておいていいこととして
忘れてちゃダメだって思ってることは
つまり右脳が処理できてないってことなんですよ
だから私は今記録というものに
もう一つ興味が持てなくなりつつあるわけですね
これはちょっと問題発言なんですけど
私の立場としては
でも記録というものは忘れてはいけないことは
ある意味記録するわけじゃないですか
忘れても構わない
仮想現実として脳が勝手に
こしらえてくれるものについては
記録はいらんわけですよ
どうせそれはその都度その都度変わるものだし
そして私はそれをことさらに意識しなくても
十分生きていけるものだし
この境界が曖昧になってきたり
本来はスルーしてもいいはずのことを
スルーできなくなると
神経症という問題が始まるんだと思うんですね
例えばコンロの火は消してあると
仮想現実の心の中では処理されたのに
あれ本当に消してあるだろうか
これは処理が曖昧か
無駄な心配を左脳がしすぎているのか
とりあえずここでは仮に左脳と言っておきますが
しすぎているせいで
わざわざこしらえておいた
安心だということになった仮想現実を
壊しにかかるから
こういうことが起きるわけですよね
でこれが頻発してくると
仕事や生活に差し障りが出るわけですよ
それは出ますよ
何回も何回も確認しても
安心はできないってことが起こるわけですよ
だから記録をしようとか
何度も確認しようとか
万が一のことがあったらとか
そういう話が次から次へとやってきて
あからさまにその人の心理的な消耗を増やし
時間的な消費を増していく
それがなかったらと考えるだけで
どんだけビジネスという営みがスムーズにいくか
私はそれは成功ということと深く関わっていると思うので
これをビジネスコンサルと呼びます
ただしこれはこの仮想は
全部精神力道から来ているものなので
精神分析的なと受けたいと思ってるわけですね
で書いてあるんですよ
ちゃんと未読スルーについても
これは投影なんだと
その観点それ自体が
すでに精神分析的ですよね
何の投影か知りませんが
っていうか忘れてましたけど
例えば母親が私を無視したということを
繰り返されたから
既読されたものを
彼氏が返信してくれないと
これを彼氏はとても酷い彼氏だというのは
実は自分の親が酷いと思っていることの
重ね合わせだと言いたいわけですよね
例えば私はこの観点は
非常に精神分析的だなと思うと
同時にこれをさらっと言ってしまう
記事に書くのは全然いいんですよ
記事の批判スルーじゃないんですよ
これをさらっと言ってしまうことの
リスクってのをやっぱり
自分の3ヶ月チャレンジというもので
理解できたので
できれば言いたくないし
そもそも本当じゃない
例えばその言い方をした場合
この話は分かりやすいですよ
めちゃくちゃこんなに分かりやすい話は
3ヶ月チャレンジでは
一つもないと思いますが
ないんですが
それでもこれは話を
分かりやすく書いてるんだと思うんだけどね
母親が私のことを無視した
そのことが辛い
それを彼氏の振る舞いに
重ね合わせているんだと
仮に言ったとしても
その彼氏がずっと
記録スルーしておくのはいいのかって話は
残ってくるじゃないですか
問題として問題なのか知らんけど
少なくとも
私は母親に振り向いて欲しかったんだって
全部済ませるってことは
じゃあ彼氏はいつまで
記録スルーしていていいのかって話は
どうなるんだってことですよね
遠いって言って
片付けるということは
そういうことですよね
でも彼氏が本当にひどいのかもしれないし
少なくとも
少なくともひどいひどくないのは
人それぞれの考え方だとしても
20時間放置するのと
100時間放置するのと
100日間放置するのは
話が違うじゃないですか
全部投影では済まないと思うんですよね
っていう話が
一つはスルーされてしまう
もう一つは
この母親が私を無視したっていう問題は
どうするんだってことなんですよ
これを投影しているから
彼氏はひどくないのだとしても
でも母親が子供を無視しちゃダメじゃないですか
っていうのはどうするんだと
大概にして投影ってのは
無意識に起きることなんですよ
もちろん無意識に我々投影ってしてます
しょっちゅうあからさまにあちこちで
だけれどもそれは無意識なんですよ
母親が無視したから
私はそれを投影してるんだって
言っているならば
それが本当のことならば
それが投影と言えるかどうかについては
大いに見当の余地があるわけですね
もちろんそれは
あり得ないことでは全然ないです
しかし本来無意識にやっていること
つまりさっき言ったように
気がつけばもう仮想現実は
作り上げられているというのが
仮想現実の作られ方であり
投影みたいなものは
この仮想現実の作られ方と
よく似た作られ方をしているはずなんですよね
なのにそれが母親が
私をあのように無視したから
完全に意識されてますよね
無意識じゃないですよね
その水準だということは
その無視は思春期とか
その付近に起きたことみたいじゃないですか
いやすごい記憶力が良くて
実は4歳時に起きたことも
バッチリ覚えてますってことなのかもしれないが
それでも0歳時にあったことは
覚えてないと思うんですよね
こういう最早期にあったことこそが
問題を引き起こすはずなのに
なんかこの言い方だと
0歳時のおときに起きたことを
そんなに手に取るように
覚えてるはずはないわけだから
そこにあった問題は
どうやるんだろうって話
やっぱり結局のところ
彼氏の既読するに
怒っているということに対して
そんなに分かりやすい答えが
パッと見つかるとは
考えにくいわけですよ
だからそういう意味では
この話はあくまでも
自己啓発的であって
さっき言ってることを
矛盾してるんですけど
精神分析的とは言い難い気がする
ところもあるんですね
用語は精神分析的なので
自己啓発等には
精神分析用語って
非常に多く含まれていますから
もうどっちかどっちっていう話を
するのは難しいんですけど
例えばナルシズムって言ったときに
あれは精神分析用語だけど
ほとんどそうは思われてないですよね
今となっては
最近で言いますと
コンテインみたいなものも
これは戸畑海人さんが使われて以来
ちょいちょい散見されるようになったんだけど
コンテインは完全に基本的には
精神分析用語だと思うんですよ
おそらくまた変質していくだろうなって感じが
僕は他人事のように言ってますけれども
他人事なんで
この辺のことって
全部やっぱりそうなんですよね
コンテインのいいところは
投影とは違うんですよ
コンテインはリアルを含むんですよね
だから私は
彼氏の既読する理由ならば
投影よりはコンテインだって
思わなくはない
コンテインされていないって話ならば
今されていないっていう部分を
はっきり言えるんですよね
コンテインは仮想現実だけでは
決して成立しない
例えば家屋根部屋は
コンテインなんです
コンテナーなんですよね
これは物理的にもそうなんで
もちろん物理的にだけではないんですけれども
そういう意味では
コンテインの方がやっぱり
だからビオンテナー
そういうことがよくよく
よくよく意識されてるなと思うんですね
でこれ全体がサンチャレのPRだというのは
どういうことかというと
こういうふうに考えていきたいってことなんですね
やっぱりなんていうのかな
自己啓発だと言われれば
そうなんだと思います
ただ単に概念をそこに持ってきて
良しとしてるわけではない
できればそうはしたくないという
もちろんそうなっちゃっている時ってあったし
だから私はそういう失敗を経て
今のように変化してきている
ということを言いたいんですよ
そしてサンチャレでは少なくとも私が思うに
私の変化は起きている
皆様のつまり利用者さんが
望ましい変化が起きて
みんな起きましたっていうのは
理想的なんですけど
そんなことは言えないので
私に変化は起きている
最近では東映ドイツカっていうのは
散々話して十分満足したっていう面は
もちろんあるにせよ
これ大事なんですけどね
最近ではメインテーマが
東映ドイツカではなくなっているじゃないですか
そういう変化が私に起きている
で参加者さんはそういう変化を
私に起こさしめているっていうのかな
そういうことが起こってます
起こっている部分は
私は精神分析的と言って
差し支えないんじゃないんだろうかと
私がやってるのはビジネスコンサルだから
これはやっぱり精神分析的なビジネスコンサルとは
少なくとも言えるのではないだろうかと
こういうことまで踏み込みたい人には
この話はPRになるんではないだろうかと
いうことですね
43:17
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