1. 佐々木正悟の精神分析的ラジオ
  2. 人は不合理な生き物
人は不合理な生き物
2026-06-23 49:59

人は不合理な生き物

脳の実行機能なるものを高めて、タスクが進むものなのだろうか?
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https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

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サマリー

このエピソードでは、パーソナリティが自身のメディア運用戦略について語り、サブスタックとstand.fmの使い分けや、コンテンツのダブル投稿に関する考えを述べています。また、最近のメディア環境の変化、特にYouTubeにおける著名人の発信力の増大と、それが従来のテレビメディアに与える影響について考察しています。さらに、心理カウンセラーである中島みふず氏がビジネス書作家としても活躍していることに触れ、専門職の肩書きと実際の活動内容の乖離について言及しています。後半では、人間が不合理な生き物であるという観点から、タスクシュートのようなツールがなぜ機能するのか、そして「ちゃんと生きる」ことの難しさについて深く掘り下げています。特に、社会性や他者との関わりが、個人の行動や意思決定にどのように影響を与えるかに焦点を当て、自立と依存の間のアンビバレンスや、AIの進化が人間の学習や努力のあり方をどう変えるかについても考察しています。

メディア運用とプラットフォーム戦略
おはようございます。佐々木正悟の精神分析的ラジオをお届けします。 回を省くようになったので、今日は6月23日の火曜日で現在7時41分です。
久しぶりにこれに何の違いがあるのかというのが、私にもよくわかりませんが、スタンFMから収録しております。
最近ここ2回くらい、ラブスタックのライブを録って、その音声をこっちに上げると。
結局ね、このスタンFMで録ったやつはもちろんそのまま上げるじゃないですか。私はもう無編集で上げますから。
で、この上げたやつの告知をサブスタックでする。というのと、ラブスタックでもうダイレクトで録ってそのまま出しちゃって、
で、その音声を後でスタンFMでも上げる。 なんかこの2月ね、なんかね、校舎の方がダブル投稿で良くない、ダブルポストみたいで良くないみたいに言われるケースが、
まあ主にグーグルさんがそういうことを言い出してたからそうなってたんでしょうけど、 私はやってることは100%に近いぐらい、100%じゃないけど同じだろうと思うんですけどね。
まあ、でもこっちの方が楽です。自分の顔が映ってないのが一つと、慣れてるから。
あとスタンFはなんだかんだ言って収録者に対しては親切設計だなと。
サブスタックもある意味ワンストップで全部できるっていう、こう盛り盛りの総合型メディアにしては一つ一つの設計もよくできてるんですけど、なんかやりにくいんですよね。
まああれはアメリカ人仕様なのかイギリス人仕様なのか、あるいは単に慣れの問題なのかちょっとよくわかんないんですけど、とにかくなんかやりにくいなと。
英語がね、わかりにくいとか言うほどの難しさは別にないんですよ、僕は感じない。英語そのものには。
ただ、UIがなんかわかりにくいなとは思いますね。
今Xでも似たようなことできちゃうし、何ならYouTubeでもできちゃうんで、本当にもう結局のところ選んでいるメディアとの相性によって視聴者数がまた大きく変わっていくっていうこの現実があるんで、サブスタのやり方本当正しいと思うんですけど、
ちょっとね、しばらくはやっぱりこの使いやすいUIに頼り、それをサブスタックに集約していくっていう、情報として集約していくっていう、その辺にしようかなと思っております。
やっぱりやりにくいことは続きにくいってことですね。続かないとまで言わないですけど、そこまで強烈な違いはないですけどね。
はい、今日はですね、今週はやれる限りは山崎さんとの対談ですよ。やっぱこれが僕にとっては3ヶ月チャレンジがライフワークなら、僕としてはですね、非常に強く信頼度の高い精神分析的な心理療法士の人と、心理療法家の人とお話しできる機会というのはやっぱり貴重ですので、
そこからなんかね、なんか目から鱗だとかそういうことを期待しているわけではなく、私のアイデンティティーの上でやっぱり大事なんですよ。こういうのは他の人にはなかなか分かりにくいことかもしれないんですけど、私にとってはやっぱりここでイベントを成功するとも思ってますけど、成功とは何かっていうのはありますけど、そんな定義はしませんからね。
成功すると思ってますけど、成功させることが大切ですということですね。成功失敗が何よりも大事だというわけではなくて、やること自体が何より大事なんですよ、私にとっては。しかし、やっぱり参加されるわけだし、ビジネスにもするんだから、やっぱり製品も大事だと。
第一義的というか最優先事項では僕の中ではなかなかないんですけど、でも大事なんで、皆様にご参加いただけると嬉しいです。後ほどまたサブスタックで出すときにもコード張りますけど、コードのきばでね、NOKIBAで割引になりますので、ぜひよろしければ。
音声でこれを言ってもね、ここを聞き逃せばもうこのコード聞けないことになっちゃうんで、一律2000円とかにしちゃえばよかったのかもしれないんですけど、いろいろあるんですよ、我々にも事情がですね、会場費も存在するし。
そういうことで、コードNOKIBAで割引いただけますんで、よろしければお願いします。ぜひ、アーカイブでも構いませんから聞いてやっていただくと、私の活動にとっては実はナミナミならぬ意義があるんですよ。そう言われてもピンとこないとは思うんですけどね。
メディア環境の変化と著名人の発信
で、まあそのナミナミならぬ意義の一端を、まあこれもね、まるで批判してるみたいになっちゃうんですよね。そういうことでは全くない。むしろ応援してるんですよ。中島みずずさんという公認審理士さんがいます。いらっしゃいます。
先日TVSクロストークみたいな、なんかもう最近いよいよYouTubeにテレビが入ってきて、またちょっと雑談になるんですけど、もうほんと雑談になって申し訳ないんですけど、数分いきますね。
興味ない人には、興味ない、全くないと思いますが、楽天イーグルスという仙台のね、あの球団があります。私仙台応援できたらいいなと思うんですけどね、もうロッテの応援が26年間染みついちゃってるんで、もっとなんですけど、もうほんと50年間とは言わないまでも40年以上ロッテのファンやってきたんで、今更実家があったとか、じいちゃんの家があったとかでは映れないんですよ、楽天には。
楽天ゴールデンイーグルスの新監督というか、非常に今年成績が振るわなくて負けてばっかりなんで、ヨシ監督、元ロッテの監督が就任したんですよ。で、そういうことについてね、結構、あの球界の割と有名な人たちが結構YouTubeでガンガン批判してるんですよ。顔出して生声でね。やっぱりね、時代だなって思いますね。
あんなのテレビではみんなあそこまで、ちょっとね嫌味っぽく言うとか小言いうとかありましたよ、解説の時間に。でも解説の時間に新監督になった球団批判とかあんまり出てないじゃないですか、解説者が。今はしますね。やっぱり自分の言いたいことを言うってこういうことなんだなって思いますよね。
今まではやっぱりマスコミのフィギュアってもの、宇野昌磨さんのフィギュアのスケートのね、あの人がもう本当にそのことを本当にあの人は生まれながらのSNSの人だなって感じになりますね。天才だなって思いますよね。スケートやってもあんな能力があるのに、天は異物を与えてますけど、でもスケートの能力ってSNSの能力を与えているって何なんだろうなって感じなんですけど。
本当宇野昌磨さんを見ていると思うんですけど、あの人は別格としてもですね、やっぱりね、あのみんなもう名前に、ていうか苗字にチャンネルつけてるだけなんだけどね、あのこれでも結構走りになってガンガンやった人と一人に、あのロッテの元キャッチャー、千葉ロッテの元キャッチャー、里崎さんって人いるんですけど、里崎チャンネルってあの人は超有名ってわけじゃなくて、有名な人ですけどね、超有名ってわけじゃないんだけど、
YouTuberとしてはかなりの人ですよね。みんななんか彼に習っているのか知りませんけど、伊藤チャンネルとかなんとかチャンネルとか言って、ガンガンやっていて、ガンガンこの新監督このタイミングで交代するってどうなのみたいな、フロントとかGMとかの責任なんじゃないのみたいなことバリバリ言ってて、びっくりするよ、本当にびっくりしますね。
私は何を言ってるのかというとですね、こういうもう流れなんですよ。人がどんなにテレビに縛られているように、マスメディアとしてはこの人こういう風に打ち出したいとかってあるんでしょうけど、もう結局のところみんな有名であればあるほどですよね。有名な人しか呼びたくないじゃないですか、テレビで。だから佐々木翔吾はテレビに出ないわけですよ。
有名な人をテレビに呼ぶんだけど、有名な人は実はテレビでああ言ったけど、実は俺はこう思ってるんだよみたいなことガンガン言っちゃうんで、なんかこれはなんていうのかな確実に確実にテレビって離れられるじゃないですか、こればっかりやってると。だってそこでは嘘つかれてるんだなって視聴者思うしかなくなるんで、YouTube見ることが難しいということでも全くないから、あれ止める方法がどこにもないですもんね。
ただiPhoneでしかも有名人だからお金あるわけだからもうiPhone買ってきて、ていうかiPhone持ってますよね。で自撮りしてそこで言いたいこと喋ってYouTubeにアップってやったらもうアップされるわけですよ。そういうことをするとイメージ落ちるじゃんとかいう話になると思うんだけど、それは大手メディアにとって大事なイメージが良いっていう場合、結局それしか出る場所がなかったときはそうかもしれないけど、いや別に俺そんなこと気にしてないしっていう人には通じないんですよね。
それによってこう別に自分がテレビ局に呼ばれなくなってもYouTubeで言いたいこと言えるし、結局言いたいこと言ってる限りにおいて、有名な人が言いたいこと言ってる限りにおいてその視聴者数ゼロにはまずならないし、で一定の視聴者さんがいれば一定の収入をGoogleはくれちゃうんだから、これ厳しいだろうなっていうところでテレビ局の方で今度はYouTubeに入ってきてるわけですよね。
で割とそうなってくると著者さんとかがテレビの番組、YouTubeのテレビの番組に出るわけです。これよくわかんない言葉になっちゃってるね。YouTubeのテレビの番組、テレビ局がやってるYouTubeに出演されるわけですよね。
ここが面白くなってるな今と、今だけかもしれないけどこういうのってわかりませんからね、変わっていくんで。でいや面白いって言ってもその人の本を読むより面白いかっていうとまた別なんだけど、でもこの展開は興味深い。今まではまずそういうテレビ番組は見るにゃ。
深夜のBSとかで見れば見れたかもしれないけどめんどくさいじゃないですかそんなのいちいちチェックするの。YouTubeだと検索聞くし別にいつ見てもいいしなんならノートブックLMとかに予約させてもいいし要するに楽なんですよ。で人間絶対楽な方と楽じゃない方とで同じものしか得られないなら楽な方取りますから。
人間ってその辺すさまじいんでちょっとでも楽な方確実に取るんで。で大幅に楽だからYouTube見ますよね。そりゃそうだよ。だってYouTubeには本当の情報が本音として語られていてそれを見る方が簡単なんですからテレビ見るよりも。画質とかありますけどしかももう今テレビ局がやっちゃってるから画質も何も変わんないんですよ。
テレビ局がそれをやるってことはまるでこうテレビ離れをテレビが促進しているみたいな本当にそういう感じしますから私の目にはですね。新聞ならまだわかるんですよ。紙と画面で文字読むんだったらまあ結局のところでも新聞も確実に確実にあのだってテキストが無料で読めるのに金払って紙買わないだろっていう感じだ。でもまあまだわかりますよ。紙が手に入るから。
でもテレビ画面とテレビ画面で今YouTube見られるからテレビ画面でテレビ見るのとテレビ画面でYouTube見るのだったら何も変わんないじゃないですか。そんな戦いを始めちゃったらやばいだろって感じがします。
何がやばいってやっぱり政治とかですよね。あれはやばいと思いますけどね私なんかもさすがに。だって明らかなデマでも作り出せちゃう世界になってしまうんでまあテレビが本当のことを報道しているのかというとはなはな疑わしいですけどもうこの流れがですね。後めきかないなっていうのは思います。
心理職とビジネス書作家の境界
先日あの斉藤さんというですね。あの人申請というもので大ブレイクしているあのマルキシズムみたいな若い新進系の学者さんが領土なりにですよ。石破茂元総理大臣とあの市協賛党局長みたいに。ちょっと今何の立場なのか。昔は党首だった気がするんですけど今党首じゃないから。
両脇に置いて。両脇に置いてっていうのは良くない。両脇に読んで対談させていた。だから自民党と共産党の大物ですよね。で何の話をさせているかというと政治家の趣味っていう。石破さんはカレー作るのがとても得意で。
石破さんはひたすらクラシック音楽を聴くっていう。で話はクラシック音楽になっていくんだけど。いやもう平和だよなって思ったのと同時にテレビの意義って何なんだろうっていうですね。テレビではなぜかあれがあんまり見られないのに。YouTubeだと簡単に見られちゃうってのは何なんだろうなって感じがしますよね。CM入んないしね。
僕の場合はYouTubeに900円払ってるからCM入んないんだけど。でもだったら900円ですからね。BS、CSだったら結局有料ですからね。CMを見なきゃなんなくなりますしNHKを除いては。
良くないでしょうっていうか良い良くないは関係ない。良いんでしょうね。これは良いことなんでしょうね。もう大丈夫なのかって感じはしますよね。途中カットしませんからね。ほとんどね。石破さんとCさんの対談なのあれは何なのよくわかんないけど40分ぐらい。40分とかになっちゃうわけですよ。で早送りしながら見られるわけでしょう。私は全部見ようとは思いませんでしたけど。
でもまぁすっごいクラシック2人とも造形深いなぁと思いました。僕もそこそこ聞くんですけどクラシックはあんなには聞かないですね。そんなそんなこんなで全然関係ない話で10分も使って本当に申し訳ないんですけど本題に入るとですね。
なんでこの話してたかというと中島みふずさんの話がしたかったからなんですよ。公認心理師でTBSクロストークみたいな要するにテレビ局が作っているyoutube番組に出ていて。要するに中島さんという方はですね私の目から見るとライフハッカーでありビジネス作家なんですよ。でも肩書きは公認心理師さんなんですよ。これがなっていう話。いやいいんですよ。
というか是非やってほしいと思うしあの応援しているつもりです。ただただあれはいや公認の心理カウンセリングですからみたいになるわけでしょ。私たちがワンワンセッションするとなんか後ろめたい感じがして一歩間違うと仲間内からお互いを打ち合うというくだらないことが起こるわけですよ。
お前なんか心理カウンセリングでもないのにワンワンセッションしてるのみたいなことを言い出す人が最近ないですけど。かつては本当にいたんですよ。あれは何をやってたんだろうっていう感じなんですよね。肩が心理師の人たちがライフハックビジネス書側に入ってきて本当時間管理術の話とかされてますから。時間管理術の話とかしちゃいますから。
で我々が時間管理術のプロじゃないかなんですよね。ここで国家公認とかのそんな時間管理術師とかいないですから時間管理術の私たちが心理の話するとブブーってことになる。あれって感じがちょっとするわけだ。
いや僕はだからこれが特に中島美鈴さんの名前を出したのは特に彼女はこの界隈でその種のことで有名だからなんですよ。知ってるんですよ我々はみんな。著者は大体知ってるんですよ。あの本ね会社で一位引きずつかないね。最近割と飛ばしてるよねみたいなそういうのってすぐ共有されるぐらいには我々はそこにアンテナ立ててるんだけど。
あれでも我々は心理師名乗れるわけでも下手に相談に乗っちゃうと心理カウンセリング公認じゃないのにうんうんです。だけど向こうは別にねタスクシュート認定トレーナーとかじゃないしなみたいなそういうですねこうふにゃっとした気持ちに僕はふにゃっとした気持ちになるだけですけどなるわけですよ。
まあでも別に批判的な目で見てるとかではないんですとはいえ。だってこの界隈って盛り上がり続けないとアウトだからビジネス書っていうのは本当そうで盛り上がり続けてなんぼなものなんで中身の質とか大事だと思うんですよもちろんね。でも専門書のようになっちゃダメなんですよ。
専門書のようになるということは高くなって買う人の数がグッと減る。そしたらもう出版社出版業界がビジネス書を出し続ける体力って消滅しますから。本当に消滅の一歩手前をずっと行ってるようなあの心臓のねマッサージしてピコピコンってなってるようなあれに近い状態なんで。であれでやっていくっぞっていうのがもうだから戸田悟さんっていう方がよくオアコンみたいなことを別にこれも批判しろじゃないですよ。
本当にそうなんで。で私はよく面白がって見てるんでyoutubeでやってますけどももうビジネス書ってオアコンといえばオアコンなんで。でもオアコンだから職種変えましょうはダメなんですよ。そういうふうに未来を簡単に読んじゃいけないんですよね。オアコンでもそこで大儲けする人はいるんですよ。
私はフリーランスってのはこの観点すごい大事だと思うんですよね。お前1000年生き続けるわけじゃないんだぞっていうことなんですよね。そもそもここから100年だって生き続けられないんだと確実にとほぼ。僕のは全体無理ですよね。150歳まで生きられないですよ私じゃ。
あと10年でいいんですよ極論。あと10年経ったら年金出始めるんですよ私にだって払ってきたからね。だからあと10年でいいんですよ。10年で終わるかどうかなんですよ。オアコンであるということと10年後なくなるということはイコールじゃないですよ。新聞なんてオアコンだって言われて何年も経ってるじゃないですか。でも消滅したくじゃないですよ。
別に普通に新聞記者やっていい暮らししてる人はいるし。何なら新聞社のお偉いさんは別に全然困ってないわけですよ。だから終わっているということと自分にとってそれが食いムチにならないということは全然イコールにならないんですよね。マクロとミクロを混ぜちゃダメなんですよ。特にフリーランスはもうミクロ超大事なんで。
だって昨日のXの記事がバズってそれで今年食えますってことは起こるんですよ。今の時代は普通に。僕はそれを体験したこと一回もないけど起こるんですよ。
現に私が30万部シリーズ累計で出せたたまたまこれがたまたまって言いたいんですけどたまたまどころじゃないんですよあれは。私この出版社でこの本でこのテーマで書くのはもう厳しいなと思っていてしかもiPhone情報生理術っていうバンバン飛ばしていた本があったからもうこっちはあんまり力入れられないわ悪いけどみたいな感じで。
その本が出版された日には僕は今はあるのかないのかブタグミっていうシャブシャブ屋さんで堀さんっていう協調者の方とiPhone情報生理術バンザーイっていう会をやってたんですよ。そこに今日出ましたってあそうみたいな感じだったんだけどそっちのが飛んだんですよ。
こんなもんなんですよ。それで宇宙のローンの大半を組んで家建てたんですよ。そんなもんなんですよ。その金はもう全部なくなっちゃいましたけど。このやっぱりその終わってみるかどうかということとそこから収入源になるかならないとかということは別問題なんで。
やっぱりビジネス書でやっていってる人は明日にも大ベストセラーが出てその本が100万部売れてそれで一生食えるかもしれない。そしたら別にビジネス書はオワコンかどうかどうでもいいじゃないですか。ある意味。だからそういうことではないんですよね。
中島みすずさんの時間管理術みたいなのでTBSクロストークで冒頭でこういう話があったんですよね。やっと本題っぽくなった。私がなぜ山崎隆さんをお招きしているかというのはこういうこととつながってるんだけど。
人間の不合理性とタスクシュート
中島さんがその時間管理術でとは何なのかって話をしたときに例えばギリギリ締め切りギリギリになるまで何にも手をつけずにギリギリになってこの辺がいい世界の話だなと。
大概はギリギリになっても手をつけない話を進めるんだけどギリギリになって手をつけてなくなく徹夜で頑張った。でもそれによってうまくいっちゃうっていう変な成功体験がギリギリになってしか手をつけられないっていう脳の実行機能を弱めるんだっていうようなお話があったんですよね。
ある種の成功体験が悪い癖を習慣化するって話ですよね。でプロジェクト管理がうまくいかないと。私はこれを伺っていていや脳の実行機能っていう概念かなそれみたいなことを考えながら悶々としていくっていうね。別にこれも批判してるとかじゃないですよね。脳の実行機能って言われればそうなんだと思うし、それが悪い習慣化。成功体験による報酬権による習慣化だ。
なるほどなっていう感じなんだけど。いやライフワークだけの話でも私は自分の立感としては全然そうじゃないなと思うんですよね。いくらそれを前々から手をつけることによるどうやるのか知りませんが報酬権を高めて脳の実行機能を少しずつその辺はすごいあったんですよね。少しずつ育てるんです。育つかなーっていうのが脳の中にめちゃくちゃあって。
脳の実行機能を育てることによって人はタスクを実行率を上げることができるんだろうか。そもそも脳の実行機能って育つものなんだろうか。それは報酬権によって習慣化すれば育つっていうそれは何がどう育ってるんだろう脳細胞がでかくなってるんだろうか。それともニューロンがそこのところがヘブの法則みたいなそこが強化されるっていう意味なんだろうか。あるいはまた違う話なんだろうか。
その時にドーパミンの起床が少しエルドーパの数が増えるとかそういうことを言ってるんだろうか。全然わからない。なんかそうなる気がそうならしめる方法があるようには思えない。私には。
そもそも論に近いんだけどこの話は絶対当日させていただくと思うんですけどね。そもそも我々はタスクシュートというものに絞り込んできたのは私は脳の実行機能とかいうことは一切念頭においてない。でもライフハックなんで結果が出ないとダメじゃないですか。
脳の実行機能をどんなに高めてもタスクは進まないかもしれないじゃないですか。そもそも脳の実行機能が高まってるかどうかわかんないじゃないですか。心理師さんにはわかるのかもしれないけど我々にはわかんない。私自分の脳の実行機能が高いのか低いのか全くわかりませんから考えたこともないし。
そうじゃなくて私はタスクシュートのリストを見たときに自分が自立というものを意識していると思うんです。で、例えば歯を磨く、例えば顔を洗う、これは私のためだけにやる行為とはとても思えない。人間って別にお風呂入らなくても死にませんから。お風呂入るのは社会的なアイデンティティと関係があると思うんですよ。
特に税の整理とか娘を学校に送るとか全て僕の社会機能だと思うんですね。社会的機能、実行機能とかじゃなくて、実行するための機能だけだったらできないことってあると思うんですよね。
でも社会的機能ってのがここにあって、だから私はタスクシュートでよく自分だけのためのタスクは持たないようにしましょうと。それはいつやってもいいんですよ、別に。実行機能はあるんだから、ゲームとかだったらやればいいじゃないですか。ゲーマーとかじゃないんだったらね。
やりたいときやればいいじゃないですか。でもそれを24時間の中の時間を先取りしてしまっては厳しくなると思うんですよね。だってそれだけやってきていけるわけじゃないわけでしょ。それだけやってきていけるならタスクシュートっていらないじゃないですか、別に。
タスクシュートは結局社会性っていうもの、社会的アイデンティティを自分が持ってるってこと。ついさっき私ここら辺カラス寝るんで、生ゴミの網というものをかけてるわけですよ。生ゴミの網だから、しかもそこにカラスがフンとかしてくるんでめっちゃ汚くなるわけですよ。誰もやりたくないわけですよ。
だから網を片付ける当番制ってのがあって、20週間にいっぺん回ってきて、その当番札が今来てるわけですよ、うちに。だからその当番、当番って書いてある木札が、それ自体があまり綺麗じゃない感じがするんだが、で、うちの奥さんが大変嫌うわけですけれども、ここですよもう一つ。木札を取ってくる、木札を隣に渡す。ビニールの手袋はめてね。奥様がそう言うから。
私だけだったらこれですよ、社会性。私だけだったらビニールの手袋なんかはめないから、後で石鹸で手洗えばいいじゃんって思っちゃうから、私は素手で。でも素手で触れると奥様が非常に気分を害されるので、手袋はめます。で、その手袋どこに捨てるんだと。生ゴミ捨てる日なのにビニール袋ないじゃんと。
それをその時の手袋を捨てるビニール袋というものが別途用意してる。これが社会性ですよ。自分だけのためにやってるわけじゃないから、自分だけならそんなめんどくさいこと僕絶対しないから。社会性というものだけをタスクシュートに集めておくことで、これを実行するってことは、私は社会的な存在ですということを自分にフィードバックするわけですよ。
これは自立に向かうわけです。人間を自立に向かわしめてるわけですよ。人に依存して生きるんならば、これやっといてって親に言うわけですよ。親はここにいないし、もはややってくれる土地でもないので、私がやるわけです。私が親やってると、昔の私にとっての親を私がやってるわけですよ。嫌じゃないか。
こういうのだけじゃできないでしょ、こんなことは。他人の目があり、社会の中で生きていくっていう意識があるからできるんで、だったらここにケーキ食べるとか、ゲームするとか、ハンザー見るとか入れちゃいかんわけですよ。なぜならそれらは先に時間をとってしまうと、私の社会性を低下させるから。社会性なんてもともとつらいわけですよ。
そういうカラスの網とか、片付けたいと思ってる人は、本音のところではいないからこそ当番制なわけですよ。ゼロだとは言わないけど、半数以上の人はやりたくないんですよ、本音のところでは。でもやるでしょ。自治会の中にいる人間だし、社会性があるからやるわけですよね。そういうものだけで、リストは成立させておくべきなんですよ。
そうすれば、ここにあるものをミニマムになるべくするべきです。ミニマムといってもいろんな意味があります。お金が欲しいってこともあるでしょうから、膨らみます。膨らむけれども、24時間以内には遅めなきゃいけないわけだし、できれば、そうだな、起きてる時間で言うと10時間ぐらい、食事をするのも入れていいんですよ。食事をするのには社会性がありますからね。
好きな時間にわしづかみで物を食べないじゃないですか。食べることもあると思うんだけど。でもまあ、栄養とか考えるでしょ。すべて社会性があるわけですよ。社会性がある行動は、体が要求してくることと他人が要求してくることは、そこにあればいい。そして、それさえやってれば人間は、少なくとも生きていて誰に恥じる必要も本来はない。
罪悪感持っちゃうかもしれないけど、持つことはないんですよ。これをやってる限り、あとは好きなことをやったらいいわけです。
で、そういうふうにしておいたものを見る。そしてそのロゴを取り、このロゴを見ると、私は社会的アイデンティティをちゃんと保ってるなと。まあそりゃあ、それによってノーベル賞とか取れるわけじゃないかもしれないが、そんなことはどうでもいいわけです。どうでもよくはないかもしれないけど、私にとってはどうでもいいわけです。
これで社会的な存在だという、社会人だって言って、誰がわかる必要もないと。枕を高くして寝てはいいんですよ。で、ここで問われるわけです。でもやりたくないんです。これはつまりどういうことか。人は不合理だってことですよ。
人はこのように合理的に生きることはできないし、我々はこれをやっとけばいいことはわかる。それを実行する実行能力もおそらく実行機能は持ってるのは、でも発揮したくないんだと。人に支配されても構わないから依存して生きていきたいんだと思う時もあります。
でも実際にババレー子さんがまさに書いていましたけど、姿勢上げ前でね、お母さんがやってくれる。でもお母さんはプチ出してくる。お母さんに依存だけしたいんだけど、お母さんは支配もしてくる。やっぱり家に帰ってみると外に飛び出したくなる。あれっていうそんなしょうもないことってあるって思うじゃないですか。タスクシュートは嫌ですと。
昔言われたもんだんですよ。タスクシュートは嫌ですと。なぜならば変な色がついてるから。いや、色取ればいいじゃん。私がなんなら色取ってあげますよ。スタッフさんはそうやって色がついている画面出してるじゃないですか。だから色がついている画面じゃないといけないのかという誤解を振りまいています。スタッフさんはタスクシュートのブログ記事を書くのやめてほうがいいと思います。わけわかんないじゃないですか。でもわけはあるんですよ。わけがわかんなくなって。
つまり人は社会的なだけではないんですよ。非社会的なんですよ。適応というものがある以上は不適応ってものもあるわけですよ。
その人、どの人もそうです。私もそうなんだけど、不適応というものがあるので実行機能がどんなに強くなったってそれを破壊したいという、そんなものは活用したくないという気持ちが現れるというかなくせないわけです。私はなくせない派なんです。
だから山崎さんと共にというかイベントにお招きしてゲストでお招きして山崎さんがおっしゃっている人は不合理な生き物なんだと。自分が自分のことはわかっていないし何をし始めるかもわからないんだと。
その考え方不穏かもしれないけど精神分析では精神分析というのはそれを一番長く一番集中的に扱ってきた考え方なんですと。これを私はビジネスコンサルに導入したいわけですよ。
私は長らくビジネスパーソン、タスクカフェとかタスクセラピー、タスクセラピーって名前でしたからね。東京ライファク研究会とかそういうところ、名古屋ライファク研究会とかでは特にで伺っていたお話は結局のところ私がこれをやりたい、例えばサムでいつかやりたいことリストここには私がやりたいことしかありません。
ですが一個もできてません。不思議じゃないですか。やりたいことしかないリストを眺めて一個もやってない。このままでは人生終わるのは嫌だ。いやいや、やれよって話だけど。しかし人間はそういうふうにはできてないんですよ。合理的にはできていないし何を自分がやりたいのかもよくわかってないんですよ。
この観点が僕はいると思う。必要だと思っているわけです。この観点なくして実行機能が高かったって習慣化の報酬が高かったってやらなくなるんですよ。やりたいことであろうとやるべきことであろうと何であろうと。
それを私の考えでは書き出すとかあるいは本当にやりたいことを見つけるとか言ったことでは可決しない。なぜならそれは自分で自分がわかるという前提に立っちゃっているから無理だと思うんですよね。
そういうふうにすれば言葉になって出てくれば無意識から自意識に言葉が伝われば自分が本当に望んでいることを実行することができてそうすればサブネイリストの中からやりたくないことを削除してタスクシュートの中から優先順位の低いものは削除して高いものだけが残りそれだけをやっていくと自分の本当の望みが叶い
シュートの人間関係も良い人ばっかりが残り距離を空けたい人とはフェードアウトしていって幸せになって生きられるってことにはならないと思うんですよ僕はそんな風にはそういう風になってないと僕は思うこれには議論の余地があるのは知ってますただ僕は長らくやってきて人の訴えてくることはそんなに合理的じゃないと思うんですよね
そうやってじゃあ消していきましょうとあなたの本当の願望というものをはっきりさせてここにある本当の願望から見れば本当でないものを削除していきましょう
やってもてかそんなこと自体がやれないんだけどでもやってもここに残ったリストは翌日ぐらいな感じあるいは次回まあせいぜい翌月か本当の私がやりたいと思ってたことばっかりだったはずなんだけど一個もやりたくないですみたいなことがパッと起こるわけですよ即起こるわけ
そもそも最初から書き出しましょうと言われてその書き出しっていう方法なら何度も伺いましたもっとマシな方法をしてくださいとかさっと言われるわけですよ全然合理的ではないわけですよここでやってるやり取りそれ自体がなんでこんなに長い時間かけたりいろんな人のコンセンサスを得ている手法GTDとかアイデアマラソンとか今で言うとジャーナリングとか
さらにそこにAIも投入してきてやってるのにあのそんな風に一言の下に否定されねばならないのかと
なんて不条理なんだろうって思うじゃないですか思うわけです話を伺ってる方はねそもそも何で俺にそれ言ってくるんだろうって思うわけですよ
たかだかビジネス書書いていて時々ヒットしたことがあるという程度なのにそんなことを言われても困るじゃんっていう風にだってこの方法そもそも自分が開発したもんじゃないしねデビッドアレンさんとかなんとかさんとかが開発したのがみんながいいって言ってるからやってみてなんか良さそうだからお勧めしてるとかその程度なのに
だってそれ以上のこと考えつかないんですから
鈴崎さんが考えてくださいとか何を持って僕なら考えつくと思ってるんだこの人はっていうのを考えちゃうわけですね私は
で考えなかった日は思えばないなと
2013年なのか2年なのか14年なのかも忘れましたけどその辺にやっていたタスクセラピーみたいなところでこういう当時聞いたときは言いがかり以外の何者でもないと感じたようなことを聞いて以来
不合理な要求と長年の疑問
でもここ10年以上に渡ってほとんど全ての日
なんであの時私はああいうあの質問を例えばタスクシュートはカラフルすぎるとかね
なぜ佐々木はタスクシュートのことをブログで書いてばっかりいるのかとか
これグッドバイスになった時になぜ佐々木はグッドバイスのことばっかり書くのかといい加減にしろみたいなことを最低でも5人の人に面と向かって言われたんで
その時ものこともずっと考えてるんですよなんであれ言われたんだろうなと
私はそれを考えちゃうんですね
いやでも普通考えないかなって思うんですよね
なんでこの人こんなこと俺に言ってんだろうって思いません
なんかね私はそこが不思議なんですよ
そういう理不尽なこと言う人とは距離を取りましょう論っていうのはそこそこの勢力と思ってますけど
いや距離取る前に理由知りたくなりませんっていう
私は好奇心は猫を殺すタイプなのかもしれないんだけど
非常に気になるんですよね
かなり気になります
だって10年に渡ってほぼ考えなかった日はないぐらい考え続けてるから結局
なんだかんだ言って考えたくなるんでしょうねやっぱりね
だって不思議じゃないですか
たかだか2000円だか3000円だかしかしないセミナーに
一本は違うと云々万円というお金を新幹線に乗ってやってきて
タスクシュートカラフルすぎます
いやそれはタスクシュート作った人に言ってよっていう話だから
私タスクシュート作った人じゃないですから
なんかこの不思議さですよね
不思議じゃないですか
この話は必ずします
山崎さんと
この不合理感ですよ私にとって
本人には何か絶対合理的な理由があるはずだと僕は思ってるんですよ
ただ他人にはそれはわからない
私がこれを言ってると
なんかリベンジでもしてるように聞こえると思うんですけど
私はもう10年以上前の話ですし
そんなことはどうでもいいんですよ
ようやく分かってきたってことを言いたいわけです
なぜこれを私はあの時
面倒を向かって言われなかったのかが何となく分かってきた
ただそれは実証したり証明したりはできませんし
自立と依存のアンビバレンス
ただ確実に感じられるのは
人は自立を望まない時はもちろんあるということです
もう何もかもが嫌になってしまった
なんだこのタスクシュートに書いてある
私の社会的アイデンティティが存在しているという
こんなことをやって私は社会人ですと
なんていうことを証明したくないと
そんなんじゃなくて好きな時にうんちして
そこら辺にうんちして
そのうんちと混じっている食べ物を食べて
そのままゲロして寝ちゃって
ついでにお酒も飲んでエッチして
いいじゃんそれで
私のことをそしたら洗ってくださいと
トイレの処理もさせてやっといてくださいと
美味しいものだけ出してくださいと
いいじゃんそれで
なんでそれじゃいけないのと
なんでそれじゃいけないんでしょうね
僕これについて考えなかった日はないぐらいです
何佐々木はタスクシュートとか言っちゃってんのと
こんなものを私が見るから
私は迷惑してるんだと
私から見るとそれは
非常に何か意味かなってない気がしてしまいますが
でも私だって結局そうじゃんと思うんですよね
そうじゃないフリをしてますよ
その方が楽なんで実際には
いくら私が手足をバタつかせても
うちの奥さんがだって
無駄触るのにビニール手袋を
しかもサイズがうちの奥さん用だから
手が急遽なんですよね
こんなのしろっていう人が
そこら辺で私が飲んだくりでひっくり返ってたって
解放とかしてくれる
してくれそうなところもあるんだけどね
ここがまたややこしいんだけど
でも罵声の一つも浴びるじゃないですか
私はそっちが結構嫌な人間なんで
ここにもまた理不尽さがあるんですよ
いや本当にそれと比較してて
自分がやってる方が楽って言われると
分かんないわけですよ
でもそんな風にはできてないんですよね
やっぱり自分は
やっぱりちゃんと生きなきゃみたいな
そのちゃんとが意味しているものは
タスクシュートに書いてあるって
これなんですよね
僕がタスクシュートを人に推奨する理由
楽ですと
ちゃんと生きなきゃっていう方が難しい
何をどうすればいいんだか
でもあんまりやりすぎちゃダメです
ちゃんと生きるとはこういうことだ
タスクをもっと分解して
僕は推奨しません
ちゃんとを突き詰めすぎるのは
ちゃんとというのは所詮言語化されてない
まあはっきり言ってしまえば
あなたのお母さんの趣味でしかありません
ただあなたのお母さんの趣味は
おそらくこう社会的なものを向いている
側面
要素はたくさんあったと思います
私の母もね
だから私の母がこうやったら
人間いいのにと思っているように
一定程度合わせれば
生きていくのにおおむね役に立ちます
そこまでだそこまでだと思う
それ以上やったらいけない
と思います
そんなことをやったって
先日風谷さんとお話ししていたときも
ここで一番生きとおしたんだけど
私たちだって別にお母さんのために
生きているわけじゃないし
これは風谷さんがおっしゃるんだなやっぱりな
僕はある種の満足感を得て
私も母のために別に
生きているわけじゃないからなと
母は中心蔵大助だから
世の中の悪いキラ小助の
助の首を僕が打ち取って
母上帰って参りましたとか言って
失敗したら切腐とかするのが好きなんでしょうけど
やっぱそんなことやってらんねーよ
ちゃんと生きるっつったって
タイガドラマじゃんっていう感じで
今更そんなこと言いませんしね
AIの進化と学習のあり方
だからやっぱり
そんなんじゃないんですよね
お好みなんてもう
極小でいいんですよ極小で
これがミニマリズムと私は呼ぶんですよ
起きて歯を磨いて顔を洗って
ご飯食べて寝りゃいいんですよ
だけど我々は
例えば私はこれやってるように
iPhoneとか欲しくなるじゃないですか
これは母の趣味じゃないですよ
私の趣味ですね
私の父の趣味なんでね結局ね
だから親からの
首利きから逃れるというのは
実に難しいことなんですよね
結局iPhone欲しいのは親父の趣味なんですよね
親父iPhone使いませんけどね
そんなもんなんですよ
でもやっぱり
高社会性というものは
必要
ただしそれは必要あくぐらいな
意識が望ましいと思う
高社会的であればあるほど
いいっていうのは全然正しくない
ただ高社会性が
全くないという生き方は
かなり厳しい生き方になってしまう
だからライフハックは
そこまではいいと思うんです
ただしそこまでなんだと思う
我々はこんなものは
売っちゃってしまいたいと思う
それでいいんですよ
そういう時はあるべきなんです
べきまでいったらいすぎですね
べきっつったってしょうがないですからね
人にべったり依存して
生きていきたいという日は
別に来るんですよ
別にそれでいいと思うんですよね
ただ人は
その時そういうことを
おそらく自分は望んでいない
起きたいというのは
高社会的です
早く起きたいというのは全く高社会的です
社会的アイデンティティです
でも起きる段になったら起きられない
これが依存です
いいというか
そういうところに
フォーカスを私はしたいんですね
ここにアンビバレンスがある
自立したい
しかし依存したい
っていうアンビバレンスがある
あって当然だろうと思うんですよ
全然合理的ではないと言われれば
そうでしょうね
でもここに
報酬刑を充てる
実行機能を高める
ジャーナリングし
本当にやりたいことを知り
記録を残す
いやいやいやいやいや
やりたい日にやろうよ
そういうことはってことですよね
やりたくない日がいっぱいあるはずだと
で遅れを取るとか
そういう話になってくるわけでしょ
その時間にAIとかの勉強した方がいいと
でもこれは
私は嘘だと思うんですよね
そんなことはないと思う
むしろ逆だと思う
これからは技術の進歩の速度が
もはや人間の努力によって
追いつける日は
金輪際絶対来ないから
世界戦争とか起きちゃって
我々が原始的生活に
引き戻って
生きてないと思うんですよ
だから普通に行くと
無理なんですよね
絶対に技術が
思わぬ方向に向かっていってしまうんで
AIの勉強とかするぐらいだったら
なんか好きなAIをひたすら使ってて
全く新しい
なんか変な名前ばっかりだからね
わけわかんないんですよね
LLMMとかが来たら
そっちに乗り換えちゃえば良いですよ
乗り換え方教えてくれますよ
自分べったりのAIが
で乗り換えた先では多分
全てが上手くいくようになってますよ
そしてそれに乗り換えた後にまた
違う流行が来ますよ
これをずっと繰り返して
全然想像がつかない
ところまで我々の代わりに
色んなことをやってくれちゃうんで
あんまり勉強しない方が良いような日が
すごくするんですよね
漢字の書き取りとか
私もめっちゃやったけど
漢字の書き取りって
要ります?能力として
そもそも
漢字の原点の国が同じ漢字
使ってないしっていうこともあるけども
そもそも書き順
どうであろうと
もう今は勝手にiPhoneが
認識しちゃうじゃないですか
そもそも認識させようという
努力自体がいらないじゃないですか
だから勉強するっていうことは
なんつーのかな
この話がしたいわけでは
ないんですけどね
合理的な理由によったら無理がある
合理性と社会性の関係
と思うんですよね
勉強はどうせ人はすると思うんです
学校の影響力も絶大だし
っていうこともあるけど
そもそも人ってそういうところがあるんで
ただこれは
つまり高社会的な
社会的アイデンティティだと思うんですよね
勉強なんてものは
でもしたくない日はいっぱいあるでしょ
たぶん
しなきゃいいんですよ結局
しないことは合理的ではないですよ
つまり合理的ってことと
社会性ってことはほとんど一致します
なぜなら我々は
このような社会においては
若い時は特にそうですけど
自立心が旺盛なんで
人の言うこと聞きたくないんで
だから合理的に生きるためには
社会的に生きるってことになるんだけど
そこには
ここをマキシマイズする
ことによって
自己責任論の
頂点に立つみたいなこともできるし
それは一つの生き方だと思うんですけど
私は逆なんですよね
ここをミニマリズムに
しておきたいと
こういうこと
だけではありませんが
どれをとってもそうですが
だって自己責任論の頂点に
立ちたいっていうのはある意味非常に不合理な
欲求じゃないですか
だってどうするんだって感じじゃないですか
誰の言うことも聞かずに済みます
虚万の富が得られるかもしれません
そんなに嬉しいか
それって言うと
動く人によると思うんですよね
それはね
だから
ライフハックにおける普遍的なテーマ
いろんなことがあります
ただしどっちを向いても
合理的かどうかは相当疑わしい
ただそこには
社会性を持ちたい
自立したいという
一つの局に向かう気持ちと
少なくともね
そんなことはどうでもいいから
ひたすら依存していたいという
もう一つの局に向かう気持ちとか
引き裂かれようとしているところがやってくる
これはライフハックでも
いつもおなじみのテーマである
そのうちの一つが起きられない
もう一つが早く寝られない
あるいはお風呂に入りたくない
片付けられない
片付けると整理するというのは社会性を持っていますよね
間違いなく
どこの引き出しに何が入っているかは
即座にわかります
とても社会的です
でも実際には床中に物が詰まっています
ルンバを買ってきても
掃除してくれません
お母さん片付けておいてくれないかな
ってなるじゃないですか
依存したいじゃないですか
依存したくなるじゃないですか
何もかも売っちゃってしまいたいと思うじゃないですか
こういうのがどこにでもやってきます
ライフハックの中で
私はやっぱりそれはですね
脳の実行機能の強さとかでは
ないと思うわけなんです
行動の動機と実行機能
それは別に批判というわけじゃないんですよ
私はそういう風に
実行機能って聞く強いか弱いかって話って
ゼロから
強い方にしか向かわないわけですよ
合理的じゃないですか
実行する機能さえあれば
実行していくという発想は
合理的な発想じゃないですか
そして実行した方がいいよねと
考えてるわけじゃないですか
ギリギリになる前に少しずつ
夏休みの宿題を辿り着けるように
プロジェクトも例えば山崎さんとの
土曜にやるんだったら
もうそろそろ山崎さんプレゼン資料ぐらい
できてるんでしょうねって合理的でしょ
でもそれは社会的でしょ
できてないですよ全然
作ってもいない
私は全くそういう人間なし
全くそれでいいと思っているし
違うな
全くそれでいいとは思っていないけれども
できないんですよ
私はこれを
できるようになるために
私に必要なものは
少しずつコツコツやる計画とか
脳の実行機能とか
習慣化する報酬ということとは
まるで関係ないという風に
私は思うんですよね
ありがとうございました
49:59

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